「ちょっと、買いすぎちゃったかな」
買い物を済ませた元子は、流石にこれからクラブに行くのに この大量の紙袋は不恰好だろうと、施設近くにあったコインロッカーに預けると、足を急がせた。
彼岸も過ぎて、段々と日が長くなってきたが、元子が待ち合わせ場所に着いた頃には、辺りは すっかり暗くなってきている。
「元子ちゃん」
すると、既に来ていた男子学生が元子に向かって手を振ってきた。
「ごめんなさい。お待たせしました」
「ううん、ちっとも。…何だかチアの時とは随分見違えちゃったね。可愛いよ」
「あ、有難うございます」
事前にファッション誌などで研究した甲斐があったかな、と元子は内心で嬉しく思う。
「さあ、行こうか。こっちだよ」
男子学生に腕を引かれ、元子は会場である都内でも有名なクラブへ足を踏み入れた。


武田からの課題を、通常の倍以上のスピードで片付けた毛利は、挨拶もそこそこに 研究室を飛び出した。
あの後、どうにかチア部の学生達を見つけた毛利は、元子の名前は出さずに 件のコンパサークルの事を尋ねた所、思いも寄らぬ答えが返ってきたのだ。

(実は…ちょっと前に、ウチの部員がヤツらのコンパに参加して、酷い目に 遭わされたのよ)

言葉を選びながら話してくれたその部員によると、コンパに参加したチア部の女性に対して、通常 ではありえない量のアルコールを ドリンクに混ぜ、酩酊状態にした挙げ句、集団で狼藉を働いたという。
なおその際、行為中の写真を撮られ、「誰かに喋ったら、この写真を顔つきでネットにバラまく」 と脅された被害者の女性は、そんな所に迂闊について行った事への嫌悪感と、拭い切れない 恐怖の為に、部活はおろか大学にもロクに通えず、泣き寝入りをしているそうだ。

(警察に被害届を出す事も薦めてるんだけど、こればっかりは私達女にとってデリケートな 問題だし…悔しいけど、本人の口から「行く」って言わない限り、どうしようもないのよ)

だから、「せめてこれ以上被害者が出ないように」と、現在チア部では学内外問わず、コンパや飲み会に 関して、特に部員達に厳しく注意しているらしい。
おそらく元子は、チア部の先輩たちには内緒で出掛けているのだろう。
その前に彼女達の話を聞いていれば、礼節を弁えている元子なら、思い止まったに違いない。
「何故、私がこんな事を…クソっ、『袖すり合うも他生の縁』とは言うが……!」
らしくもなく平常心でいられない自分が、腹立たしい。
だが、そんな気持ちとは裏腹に、毛利の足は元子のいるクラブへ、止まる事無く進んでいた。


予想外の音響と照明の凄さに、元子は圧倒されてしまう。
故郷の四国にいた時も、何度かライブハウスに行った事もあったが、それとは比べ物にならない程 賑わいでいた。
(何だか、落ち着かないな…)
最早、BGMを通り越して騒音ともいえる環境に、元子は舞台上でパーティ開始の音頭を取る サークル代表者を、さして興味なさそうに一瞥すると、近くの席に着く。
「ホラ、元子ちゃん。そんなトコにいないで、こっち」
すると、先程まで元子から離れて、他のサークルの幹事らしき学生と話し込んでいた男が、 少々馴れ馴れしい仕草で、腕を引いてきた。
やがて、ひとつの個室に連れて来られた元子は、戸惑いながら周囲を見回した。
「お待たせ!彼女が、こないだ言ってた戦国チア部の元子ちゃん」
男の紹介を聞いて、周囲の学生達から歓声が上がる。
「長曾我部元子です。よろしくお願いします」
「あーあー、そういう堅苦しいのナシ。まずは、乾杯と行こうか」
妙にテンションの高い学生達に薦められるまま、元子は彼らに囲まれるようにして席に着く。
「はい、コレ元子ちゃんの分」
渡されたグラスを受け取り、促されるまま口をつけようとするが、

(羽目を外すような行為は慎むのだな)

不意に浮かんだ毛利の言葉を思い出した元子は、グラスをテーブルに戻した。
「どうしたの?」
「すみません。私、未成年ですから、お酒は…」
「えー、何?随分カタいんだね」
「それくらい平気だって。どうせ飲めるんでしょ?」
元子の反応が意外だったのか、周りの学生達が一斉に不平らしき声を漏らし始める。
困惑しながらも、出来るだけ丁寧に断り続けていた元子だったが、何処からか聞こえてきた 言葉に、眉をつり上げた。
「あのさ、場の空気読んでくれない?こういう所でそんなコト言われると、ホント 白けるんだよな」
「そうそう。このコンパに、来たくても来れないコだっているんだから。それだけでも、自分 がラッキーだと思わない?」
「…判りました」
それまで我慢していたが、元子は不快気に表情を顰めると、勢い良く席を立つ。
「帰ります。どうやら私は、ここには似つかわしくない人間のようですね。失礼しました」
「えぇっ!?ち、ちょっと待ってよ元子ちゃん!」
すると、元子を連れてきた男が、些か慌てたように、ドアに向かって歩き出す彼女を止めた。
「折角つれてきて頂いたのに、すみません。チケット代もお支払いしますから」
はっきり言って痛い出費だが、それに勝る不快感が、元子の背中を押していた。
「そんな事言わないで、機嫌直してよ。ホント、ウチのバカ共がごめんね。おい、お前らも飲めないコ に無理強いしてんじゃねぇよ」
諫められた学生達は、気まずそうに視線を反らす。男はどうにか元子を宥めて席に戻すと、ドア付近 にいた学生に「ドリンクを注文しろ」と声を掛けた。
「今度はノンアルコールだから、大丈夫だよ」
「……どうも」
念を押すように渡されたグラスには、柑橘系の甘い香りが漂っていた。
軽く口を付けてみるが、アルコールの味はしない。
「──それじゃ仕切り直し!乾杯といこうか!」
全員がグラスを掲げたのを見て、元子もグラスの中身を空ける。
だが、暫くして奇妙な感覚と鈍痛が、彼女の頭を襲った。何故だか妙に息苦しくなり、心なしか視界も ボヤけてくる。
「あれ?どうしたの元子ちゃん」
「いえ、何でも……」
気遣うように、男が声を掛けてきたが、鼓膜への僅かな刺激すらそのまま頭痛と直結してきたので、 たまらなくなった元子は、再び立ち上がろうとした。
「すみません。ちょっと、外の空気を吸ってきます」
「無理しちゃいけないよ。気分悪いなら、ここで横になればいいじゃない」
「いいえ…何だか、人酔いしたみたいなので……」

「──ああ、効いてきたんだ。アルコールに入れなくてもOKだな、この睡眠薬」
「…え?」

覚束ない足取りで個室のドアを目指していた元子は、短く呟かれた男の返事に目を瞬かせた。
直後、自分が嵌められた事に漸く気付いた元子は、 掴まれた腕を振り払おうとするも、それよりも早く男が元子の腕を勢い良く引っぱる。
身体の均衡を失った元子は、そのまま個室のソファに横倒しになった。
「きゃっ!」
あまりスプリングの利いてない、硬いソファの感触に顔を顰めるまもなく、元子の周りを学生達が 取り囲んできた。
「な…?」
「ごめんねぇ、元子ちゃん。俺も幹事やってると色々あってさ。上から『女調達して来い』って 言われると、従うしかないんだよ」
あまり悪びれない口調で自分を見下ろしてくる男に、元子は弾かれたようにその身を起こそうとする。
だが、不利な体勢に加えて薬で身体の自由を奪われている状態では、複数の男達から逃れる事も敵わず、 逆に馬乗りに押さえ付けられてしまった。
「離して!離して下さい!」
「戦国チア部のコは、最近ガードが固くてさ。それこそキミのような何も知らない新入生くらいしか、引 っかかりそうになかったんだよね。まあ、無理ないか。前にちょっとやらかしちまったし」
「俺、正直ガキは範囲外なんだけど…コレくらいのダイナマイトバディなら、大歓迎だぜ。オッパイもデ カイし、揉み甲斐ありそー♪」
「あ、俺は挟んで貰いたい!」
「オイオイ、最初は先輩に譲れよ。上下関係はきちっとしなきゃな」
「いや、いっその事皆で仲良く彼女可愛がるってのはどうっスか?」
無責任な学生の言葉に、周囲から物騒な雄たけびが上がる。
「──嫌!助けて、誰か助けて!」
恐怖に全身を強張らせながら、元子は個室のドアに向かって泣き叫んだ。
「大声出しても、ここ防音完備だから外には聞こえないよ。既に人払いは済ませてるし。 じゃ、そろそろ始めるとすっか」
「そんだけエロい身体してんだから、結構遊んでんでしょ?どうせなんだから楽しみなよ」
「やめてーっ!」
乱されたスカートの裾から入り込んできた不気味な手の感触に、元子は恐怖と絶望の声を張り上 げた。


その時。
「失礼します。お飲み物をお持ちしました」
ドアを叩く無機質な音に続いて、スタッフらしき男の声が、個室に備え付けられたスピーカーから 聞こえてきた。
「…は?ンなの頼んでねーっつうの」
お楽しみの所に水を注された為、学生のひとりが不機嫌も露に、インターホン越しに 声を荒げる。
「いえ…でも、こちらに運ぶよう言われておりますので」
「──しょうがない。怪しまれんのも困るし、受け取ったらとっとと追い返そうぜ」
淡々とした返事を聞いて、学生は舌打ちひとつすると、元子に妙な真似をさせないよう仲 間に言った後で、ドアに向かって歩を進めた。
少しだけドアを開けて、外を確認した瞬間、
「ぐあっ!」
突如、眼前に冷えたビールを浴びせられた学生が、情けない声を上げて目を押さえた。
突然の事態に、部屋にいた他の連中が反応するよりも早く、荒々しくドアが開けられたかと思うと、 見慣れぬ男が入り込んでくる。
「な、何だてめぇ…!」
「……毛利…先輩……?」
思わぬ人物の登場に、学生達だけでなく、元子も目を丸くさせた。




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