「いいねぇ。やっぱ、祭りはこうでなくっちゃ!」

文学部史学科2年の前田利大(まえだ としひろ)は、グラウンドの中心に組まれた櫓を見上げな がら、嬉しそうな声を上げた。
「日本のあらゆる祭りとその歴史・構造を、生涯掛けて身を以って経験してみせる!」と豪語する 彼は、金沢から単身上京し、戦国大学で本人的には大変充実した学生生活を送っているという。
「前田ァ。感心してんのもいいけど、お前もそろそろ明日の開催式や、その他イベント司会の 練習しとけよ?去年みたいに『タイムテーブル無視した、いきあたりばったり』になったら、ただ じゃおかないからな」
そんな前田に向かって、資材を手にしながら学友会執行部の学生が、彼を窘めにかかる。
「はいはい、判ってるって」
「んじゃ、早速コレに目ぇ通しておけや。そっちが明日の進行表、そんでこっちが2日目のヤツだ」
「ほうほう、流石は学友会会長。いつもの如く澱みない進行の仕方で…って、ん?」
学友に手渡された資料を見つめる前田の瞳は、2日目のとあるビッグイベントの詳細が記載された レポートに、釘付けになった。
「……へえぇ。いいねえ、いいねぇ!今年の祭りの華は、去年以上に盛り上がりそうだぜ!」


学祭1日目。
幸太郎は、子供達の輪の中で陽気に身体を動かしながら、彼らに英語の遊び歌を教えていた。
「blue・黄色・緑・black!これ、なーんだ?」
「青・yellow・green・くろー!」
「Great!凄いなあ。もう完璧じゃないか」
「簡単だよ、これくらい」
「よーし、じゃあ皆で歌ってみるよ。俺が質問したら、元気な声で答えてね!」
「オッケー!」

『Which do you like best of colors? "RED"!(or your favorite color)
 I like "RED", so much!
 Everytime I use it first,
 My "RED" crayon!』


「これだから学生時代、英語の成績が壊滅的だった人間が横文字を気取ると、ロクな事に ならないだろう」という言葉が方々から聞こえてきそうだが、それはさておき、文学部武田研究 室恒例の、子供を対象とした外国語による人形劇や語学教室が、校舎内の一角で行われていた。
「子供は素直な分聡い。本気で相手をせねば、こちらのウソなど簡単に見抜いてしまうぞ」と の武田の言葉を胸に、ゼミの学生たちは、単なる「子供だまし」ではなく、真剣に彼らに対し て接している。
その姿勢や熱意が身を結んだのか、地味ながらもこの企画は、学祭の中では人気のある部類に 入っていた。

「ねえねえ、今度はBINGOゲームがやりたい!」
「あ、さんせーい!こうたろう、やろうよー!」
大半は、武田の教室に来ている子供たちなので、気心や彼らに対する接し方も、知れたも のである。
「待っててね、今用意するから。あ、優子せんぱーい。すみませんがそこにある…」
「……アァ?」

まるで、何処かの某ご先祖様でものり移ったかのようなドスの利いた声で、部屋の隅に腰掛けてい た優子は、幸太郎を上目遣いに睨んだ。
「お、脅かさないで下さいよ。ってか、そんな顔してたら、折角の美人が台無しっスよ?先輩、 明日はコンテストでしょ?」
「誰の所為だと思ってんのよ?そもそも、アンタが私より課題を先に出したばっかりに、こん な馬鹿げた茶番に付き合う羽目になったんだから…」
「…ストレスは美容の大敵っスよ」
「うるさい、幸太郎のクセに」
それでも、彼に当たり続けるのは大人気ないか、と思い直した優子は、幸太郎に言われたゲ ーム用のカードを手渡す。
「……何だか先輩、ミスコン本番前に早くも疲れ切ってませんか?」
「『戦国大の女ビリー』の如く、『チア部の鬼』のしごきを一週間受け続ければ、誰だって こうなるわよ」
去年の準ミス・今川可憐に触発された優子は、対コンテストに向けてのレクチャーその他を、付 っきりで元子に受け続けていたのである。
「あ、でも何だか先輩、ちょっとスレンダーになったかも」
「…何よ。それは、私が肥ってたって事?」
「ええ!?ち、違いますよお!」
猜疑の視線を向けられて、幸太郎は激しく首を振って否定する。

「よっ、お疲れさん。交代するから、ひと息入れろよ」
「ハーイ♪これ、差し入れよ」
その時、露店で購入したと思しき食べ物を抱えた佐助と、チアのユニフォーム姿の元子が 入ってきた。
「あ、有難う佐助。元子先輩も」
「…うわ、出た。鬼教官」
「失礼ね。あの『お公家女』に一泡吹かせたいから協力してくれ、って言ったのアンタでしょ?」
烏龍茶のペットボトルを渡しながら、元子は愚痴を零す悪友に、心外だとばかりに目を丸くさせる。
「ゲームは俺がやるから、幸太郎も優子ちゃんも、休憩してこいって」
「でも、今からだと…午後の人形劇の時間とカチ合いそうね。確か、お姫様の声だけ録ってなか ったって話だから、私、ここに残った方が……」
何せ、あの豪快な教授のいる「武田ゼミ」には、女学生が殆ど寄り付かない。
優子が1年生の時にはひとりだけいたのだが、彼女が卒業してしまった今では、実質優子がゼミの紅 一点となっているのだ。

「──その心配は無用だ」

すると、そんな優子の危惧を打ち消すように、講師の毛利が入室してきた。
「あ、毛利先生」
「…どうも、この度は色々と……」
些か語尾を濁しながら、優子は無表情の毛利と、自分の隣でわざとらしく視線を反らせている元子を見比べる。
「これから劇が終わるまで、私もここにいる。真田くんも伊達さんも、出来るだけ今の内に休憩を取 ってくれないか」
「じゃあ、そうします。優子先輩、行きましょう」
「あ…え、ええ……」
素直にそう返して教室を後にする幸太郎に促されて、優子は何処か複雑な顔をしながら彼の後に続いた。
ふたりの背中を見送った毛利は、室内の進行状況を確認すると、それらに必要な用具その他を取り出した。
「鷲塚さんは、そのままゲームを始めて下さい。私は、これから人形劇の準備に取り掛かります」
「判りました。でも、お姫様の声って、いつの間に録ったんですか?」
「未だですが」
「ゑ!?じゃあ、劇中誰かがアテレコしなきゃいけないじゃないですか!一体誰が!?」
「──ここに、うってつけの者がおりますので」
慌てふためく佐助を余所に、毛利は平然と返しながら、元子に視線を向けた。
「え!?わ…私!?」
「他に誰がいる」
「あ、あの、就あ…じゃなかった、『先生』!私は武田ゼミじゃないし、学部だって違うんですよ!?」
普段、学内では武田研究室以外の接触を極力避けているだけに、元子は、動揺を隠せないまま、ぎこちない声で 毛利に口答えをする。
「『キミ』は経済学部の中でも、レベルの高い環境経済を専攻していたな。ならば、 PCP(Professional Career Program の略。すべて講義を英語で行うもの。一部の大学でも実施されている)は習得 済みの筈」
「で、でも、あの…あ、私、これからチアの出し物が……」
「ウソはいけない。チアリーディングのアトラクション、及び模擬店の店番は、午前の内に 終了したのだろう?」
「うぅ…そこまで……」
「知っているのは、『当たり前』だ」

含むような科白を聞いた元子は、観念したかのように、ガックリと肩を落とした。


「どうしたんですか?優子先輩」
「…あ、ううん。何でも」
幾つか学内の模擬店を見たものの、あまりの人の多さに辟易してしまったふたりは、結局学校近くの喫茶店で 休憩を取る事にした。
一見(失礼だが)寂れた風貌を持つ小さな店だったが、「ここの紅茶に、一目ぼれしたんですよ」という幸太郎 の言葉どおり、店の主人から出されたアールグレイは、ほろ苦さの中にも旨味がふんだんに含まれていた。
「元子…大丈夫かな……」
「元子先輩は、半分武田ゼミの聴講生みたいなカンジだし、佐助や毛利先生も一緒だから、心配ないん じゃないですか?」
「一緒だから、心配なのよ」
「え?でも学内なんだから、毛利先生はその辺、キッチリ弁えてるでしょう」
「幸太郎は、知らないから言えるのよ。ああ見えて毛利先生、物凄く独占欲の強い人なんだから」
シナモンスティックでカップをかき回している幸太郎の暢気な顔を見て、優子は少しだけ表情を硬くさせると 言葉を続けた。
ミスコンに向けてのレクチャーの為に、実は元子は一週間の間、優子のアパートで寝泊りしていたのである。
「あ、ひょっとして、以前俺もお世話になったあの部屋…」
「そう。何でも元子曰く『自分を出場させない為に、ゼミの学生、それも私の心友を売った男の顔なんて 暫く見たくありません』って、タンカ切って来たみたいで。別にそこまでしなくてもいいのに。お蔭でゼ ミにいる間、私まで先生に睨まれるし……」
「……ま、まあ、ヘタに早く戻り過ぎても変に巻き込まれそうですし、もうちょっとだけゆっくりしましょう か。ここって紅茶やケーキは勿論、実はオムライスも絶品なんですよ」
あくまでマイペースな幸太郎の笑顔を見て、優子は呆気に取られつつも、ほんの少しだけ心が和らいでいくの を覚えていた。


(……何よ。ちょっと1週間、友達の所に泊まってただけじゃない。大体、元はと言えば悪いのは就 明さんの方なんだから)
毛利に言われて、マペット型の人形と劇中の台本を渡された元子は、半ばぶすくれたまま舞台裏で練習を 繰り返していた。
「もうすぐ始めるぞ。それまでに、そのふくれっ面を何とかしたまえ」
「誰の所為だと思ってるんですか?それに、人形劇なんだから、客席に顔は見えないじゃないですか」
「子供の観察力を舐めない方が良い。そのような浅はかな態度など、瞬時に見抜かれる」
主人公である王子の人形を右手にはめながら、毛利はぴしりと窘める。
そうしている間にも、佐助とのゲームを終えて、舞台の前に次々と子供達が群がってきた。
それに気付いた毛利は、彼らの方を向くと、表情はあまり変わらないが、ほんの少しだけ和らいだ口調で話した。
「この物語は、以前教室でも話した事があるから、知っている者も少なくないだろう」
「はーい!」
「あたしも知ってるー!」
「だが、ここに来ている者の中には、知らぬ者もいる。いわゆる『ネタバレ』は御法度だぞ。判り辛い時 は、手元の冊子にあらすじが書いてあるが、なるべくなら読まずに、目の前の劇で確かめて欲しい」
毛利の説明に、子供達と、彼らの保護者(主に女性)達から肯定の返事が返って来た。
「では、始めるとするか。──頼んだぞ」
「……判りましたよ」
癪に障るが、彼の言動に元子は気を引き締めると、真剣な表情で台本を追い始めた。

『やっと、お会いする事が出来ました。姫』
『ああ、あなたはそんなにもわたくしの事を……』

物語は佳境に入り、いよいよ離れ離れになっていた主人公のふたりが、再会する場面へと移っていた。
お姫様役である元子以外の声は、すべて別録りであるが、それでも王子役の毛利の声は、事ある毎に元子 の鼓膜を刺激していた。
「元子、」
ナレーションに紛れて、彼女の隣で人形を動かしていた毛利が、小声で尋ねてくる。
「何よ」
「今日は、帰って来るんだろうな」
「さあ。ミスコン本番までは、優子の面倒見る約束だから」
「お前は誤解をしているかも知れぬが、伊達さんの出場を決めたのは、武田教授だ。それに、お前がミス コンを考えている事を知ったのも、彼女のエントリーが決まった後だ」
「…だから?」
「だから、私はお前が考えているような策略など、していないという事だ。第一、お前は本当にコンテ スト出場を考えていたのか?」
「……前にも言ったでしょ。チア部の宣伝と活性化に一役買おうかな、って」
「本当に、それだけか?」
「他にどんな理由があるって言うのよ」
「それこそミス・戦国を勝ち取り、グラドルや女子アナへの道を……」
「………私が、そんな事考える訳ないでしょ」
(でも…)
本気で出場するつもりはなかったが、それらしい素振りを見せる事で、ほんの少しだけ、この鉄面皮の 恋人の反応を確かめたかったという邪な目的が、元子にはあった。
自分を好いてくれている事は熟知している筈なのに、時に元子には例えようのない不安に駆られる事がある。
付き合い始めた当初は勿論、講師と学生という立場となった現在は尚更、理性では判っていても、あまり大 っぴらには出来ない自分達の関係に、感情を揺さぶられる時があるのだ。

そんな元子の気持ちを見抜いたのか、毛利は左手で元子の肩を掴むと、そのまま引き寄せた。
「きゃ…」
「シッ。続けろ」
『漸く、あなたと結ばれる事が出来ました。これほど嬉しい事はありません』
『お、王子様…』
『今、ここに誓いましょう。愛しています、姫』
『わ、わたくしもです。王子様…』
苦難を乗り越え結ばれた王子と姫は、互いの身体を抱き締める。

「人形、離すなよ」
「や、ちょ、就明さ…ん……っ」
元子の肩から腰に移動した毛利の左手は、そのまま彼女の身体を逃がすまいと固定すると、舞台上の主人公 たちと同じように、否、彼らよりは少々濃厚な愛情表現をした。
お姫様の最後の科白が消えた瞬間、毛利は元子の唇を、己のそれで塞いだのである。
「ミス・戦国は認められんが…2年前からずっと、『モト』は私のミス・毛利だ。来年も、その 先もずっと……」
「……」
「──返事は?」
「は…はい……」

人形劇とはいえ迫真の演技(?)に、幕が下りた瞬間、自然と周囲からは賞賛の拍手が鳴り響いてきた。
人形を下ろした後も、元子は、ふたりきりの時にだけ自分を呼ぶ愛称で優しく囁いてきた恋人に、嬉しさ と恥ずかしさとその他諸々で、全身をユデダコのようにさせながら、大人しく彼の腕の中に納まっていた のである。




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