一見、ボーイズパンツのようなショーツに足を通すと、優子は、ビキニの紐の具合 を鏡の前で確かめていた。
流行に左右されないように、と買ったお気に入りの水着だったが、彼女のイメージ カラーでもある青のグラデーションと、ボトムのサイドについた飾りボタンを除け ば、これといった特徴は何もないので、他の出場者の水着に比べると、どう しても見劣りするのはやむを得ない事だろう。
「……」
今までの自分なら、ここまでの仕打ちを受けた時点で、とっとと棄権して引き返し ていたかも知れない。
だが、今川への対抗意識の他にも、優子の中には「ここで逃げ出してはいけない」とい う気持ちにさせる何かがあったのだ。
時に優しく、そして時に(?)厳しく、自分に付き合ってくれた元子。
幸太郎をはじめとする、武田ゼミの皆。
そして、ひやかし半分かも知れないが、自分のような人間に声援を送ってくれた客席の 人達。
手元のブラシで髪を梳かし直した優子は、化粧ポーチからアイライナーとマスカラ を出すと、何故か左目部分だけボリュームを足した。
水着に合わせる予定だったブレスレットを外すと、先ほどパレオから切り裂いた布の 一端を手に取る。
「お待たせ!演劇部に言って、借りて来たわよ!」
その時。僅かに息を切らせながら、優子の用事を仰せつかった元子が、何やら黒い長 物を抱えて控室に戻って来た。
「有難う、元子」
「だけど、こんなものどうするの…って、優子!?」
「バティック並みに長いパレオで、本当に助かったわ。仕上げにかかるから、手伝 ってくれる?」
布の切れ端を、手首その他に巻き付けながら言う心友の姿を見て、元子は暫し呆気 に取られた。


「続きましては、エントリーナンバー6番……」
美女達の惜しげもなく晒された水着姿に、観客のボルテージは最高潮に達していた。
しかし、熱狂する大衆とは裏腹に、前田は何処か厭世的な気分を持て余している自分を 覚えていた。
(盛り上げ役の自分が言うのも何だけど、いわゆる裏事情を知っちゃうと、どっか冷め ちゃうものがあるんだよね…)
いわゆる「お祭りごと」には目のない前田だが、それに絡む人間のドロドロした事情と いうものには、どうも馴染めない。
「そんなんだから、お前にはいつまで経っても彼女が出来ないんだ」と、故郷の叔 父夫婦にからかわれた事もあるが、そこまでしなければ手に入れられないというのな らば、当分己の恋人は「祭り」でいいか、と前田は考えている。
(そういや…伊達さん、何かアクシデントあったみたいだけど…大丈夫かな?)
と、
『7番の伊達さん、準備完了です!今、控室を出たからヨロシク!』
仲間からの無線を聞いた前田は、一端舞台袖に引っ込む。
「ごめんなさい、迷惑掛けたわね」
「や、間に合ったみたいで良かったっスよ…」
そう言って優子を迎えた前田だったが、彼女の姿を正面から見た瞬間、ある種の衝撃 が彼の胸に突き刺さった。
「……どうしたの?」
「え?い、いやいや。何でもないっス!」
「小道具の持ち込みは、禁止じゃなかったわよね?」
「は、ハイハイ!大丈夫!OKっス!」
「…そう?」
小首を傾げる優子に、前田は今までの美女達とは違う胸の高鳴りを覚えたが、懸 命に気付かないフリをすると、マイクを握り締める。
優子を待機場所に移動させると、今の彼女に相応しいBGMをストックから瞬時に見付 け出し、音響担当の係に手渡した。
「……いよいよ、最後の美女の登場です」
前田のアナウンスに、それまで余裕の笑みを浮かべていた今川は、顔色を変えた。
事情を知る他の候補者達も「間に合ったんだ」「でも、どうやって?」などと、小声で囁き合う。
「今から約500年ほど前の戦国の世。奥州は米沢に、ひとりの武者が現れました」
妙に厳かな前田の声につられたのか、会場からも喧騒が消えた。
「戦国の乱世を駆け抜けたその武者は、『独眼竜』というあだ名で現在もなお、我々の記憶に 刻まれております」
くすり、と笑った優子に、前田は照れ隠しに咳払いをひとつすると、一気に捲くし立てる。
「…そして今日。この場所に、そんな武者の血を引いた人間が降臨しました。21世紀の『独眼 竜』。……それはお前だ、伊達優子!」
「c○oss wi×e」のBGMに合わせて舞台に踊り出た人物を、一同は大きなどよめきと共に 迎える事となった。
「うほっ!?」
「ほぉ…」
一見、タンキニかワンピースかと思いきや、所々故意に破いた形跡があり、だが、それがか えって隙間から覗く真っ青なビキニとマッチして、ワイルドな印象を与えていた。
ココナッツバックルに通されたストール(ちなみに、両方とも元子の私物を借りた)がベルト の役割を果たし、更に左側には模造刀が差され、そして何よりも。
「How cool!優子せんぱーい!!」
普段、彼女が忌み嫌っていた右目が、先ほど引き裂いたパレオの布で、完全に覆われてい たのである。
正に『独眼竜、ここにあり』といわんばかりの優子の姿に、会場は再び興奮に沸き返っていた。 (まあ、ぶっちゃけ某『無印無双』のコスチェン独眼竜のようなものを、ご想像頂ける と嬉しいです)

思いも寄らぬ優子の水着姿を見て、今川はその美貌を引き攣らせると、ギッと舞台袖に控え る彼女の取り巻きに目を向けた。
今川の厳しい視線に気付いた取り巻きは、「自分はしくじってはいない」とばかりに、首を横に振 り続ける。
そんな今川を横目に、優子は口角を仄かに笑みの形に動かすと、他の出場者の隣へ並ぶ為に 悠然とした足取りで近付いた。
だが、その時、
「う…ううぅぅ……おおおおぉぉぉぉ!!!!」
何処からか怪しい雄叫びが聞こえてきたか、と思いきや、それまで客席の最前列で、熱心と呼ぶには 程遠い、明らかに粘着質な視線を美女達に向けていた観客のひとりが、興奮状態でステージへと突進 してきた。
事態に気付いたスタッフや警備係が制止するも、それを強引に振り切ると階段を駆け上がり、丁度彼 の至近距離にいた今川へ詰め寄らんとする。
「ひ…ヒィっ!?」
余りの事に、今川はひきつった声を上げると、逃げる事も叶わず、その場にへたり込んだ。
他の出場者たちも悲鳴を上げるだけで、ロクな抵抗も出来ずに立ち竦んでいる。
暴徒の汗まみれの手が、今川に襲い掛からんとした瞬間、
「ガァっ!?」
突如、今川の前に人影が躍り出たかと思いきや、直後鈍い音と共に暴徒の身体は大きく傾いだ。
スローモーションのように崩れ落ちる暴徒と、だらしなく坐り込んだままの今川の間には、剣を構え た優子がいた。
模造刀による峰打ちとはいえ、優子の一撃を食らった男は脳震盪でも起こしたのか、情けない声を 漏らすと、ステージの床に引っくり返った。
そのまま動かなくなった男を見下ろしながら、模造刀を鞘に収めた優子は、水を打ったように静まり 返っている観客に向かって、おどけた様に嘯く。
「──独眼竜は、伊達じゃないの。You see?」
直後、会場を怒涛の歓声が取り巻いた。

「Amazing!!優子先輩、最っ高ーっっ!!!」
「優子ちゃーん!」
「天晴れじゃ、優子ぉ!!」
周囲から引っ切り無しに掛けられる賞賛の声に、満更でもない表情で客席に視線を泳がせて いた優子だったが。
「……」
(──!?)
幸太郎達のいる場所のやや後方から、見知った人物の姿を確認すると、思わずその身を硬直させた。
「ウソ…ど、どうして貴方が……」
「………」
視線の先にいたその人物は、彼にしては珍しく、心底驚いたような顔をして、優子の事を見つめていた。
「…優子様……」
相当な距離があったので、実際に声は聞こえなかったが、彼の唇がそのように動くのを、優子が見逃 す筈はなかった。
気まずさか恥ずかしさからか、それまで自信に満ち溢れていた姿勢を保っていた優子の身体から、突 如覇気が消え失せていく。
(見られた…よりによって、こんな姿……)
優子の視線に気付いた片倉は、苦笑しながら会釈を返すと、周囲の喧騒に紛れて会場を去ってい った。
そんな彼の後姿を、優子は、気絶した暴漢を引き渡し、コンテストの続きを促すスタッフの声も耳に 入らないほど、ただ呆然と見送る事しか出来なかったのである。


結局、本年度の『ミス戦国』コンテストの結果は、組織票その他諸々が絡んでいるのもあり、前評判 通り今川がグランプリに輝いた(もっとも、彼女にしてみれば目論見がすべて外れるどころか、舞台上 で醜態を晒す羽目になったので、不本意極まりないコンテストとなったのだが)。
優子は、一般からの好評もあって『審査員特別奨励賞』を受賞したが、最早彼女の頭の中は、それ どころではなかった。
コンテスト終了後、着替えもそこそこに携帯電話を取り出すと、メモリから片倉の番号をプッシュする。
『優子様?』
「片倉、あ、あの、私……」
『──お疲れ様でした』
受話器から聞こえてきた、変わらぬ彼の声に、優子は短く息を吐く。
『今日は、貴方がミスコンに出場するというのを聞いて、余計なお世話とは知りつつ、つい様子を見に行 ってしまいました』
「片倉…」
『思わぬ一面を拝見して、正直驚きましたが…同時にホッと致しました』
「え?」
意外な言葉を耳にして、優子は目を丸くさせる。
『いつも、私の後ろに隠れてばかりいた恥ずかしがり屋さんが、ここまで逞しく成長されたの か…と、思いましてね。少し嬉しくなってしまったのですよ』
「……」
『申し訳ありません。貴方は、いつまでも子供ではないというのに。ついつい、私の中にはあの頃の ままの優子様がいらっしゃるようですね』
「……私の気持ちも知らないクセに、勝手な事言わないで」
『…優子様?』

うっかり漏れ出た本音に、優子は慌てて口を噤んだ。
何を言っているのだろう。こんな下らない私情で、この人を困らせてどうするというのだ。
「な、何でもないわ。それより、片倉」
『何でしょうか?』
「その…今日の事……実家には黙っててくれる?」
『は…?はあ、私の口からは申し上げない、と約束出来ますが……』
腑に落ちない片倉の返答を聞いて、優子は数回目を瞬かせる。
『ご安心下さい。私の口からは、絶対に申し上げません。ですが…何かあった時は、全力 でフォローさせて頂きます』
「え?それってどういう……」
その時、優子の携帯にキャッチフォンが入ってきた。
『……お電話のようですね。では、失礼致します。優子様、今日は本当にお疲れ様でした』
「片倉、待って!さっきのはどういう意味…」
しかし、優子の疑問に答える間もなく、片倉の電話は途切れてしまう。
先程とは違う溜息を吐きつつ、優子は電話のディスプレイを見た。
それは、実家の仙台にいる弟の小次郎からであった。
「もしもし。小次郎?」
珍しい事もあるものだ、とボタンを押すと、優子は何ヶ月ぶりかの弟の電話を取る。
いつもなら、生意気盛りの弟による相槌が返って来るのだが。

『姉貴。頼むから、夏休みはこっちに帰ってくんな』
「……何よいきなり。そんなの、私の勝手でしょ」

いつになくぶっきら棒な弟の声が、優子の鼓膜を刺激した。
『今日の戦国大のミスコンで、おフクロが怒り狂ってる。今帰ってきたら、姉貴そのまま二度と 東京に戻れなくなるぞ』
「ええ!?何で…私、コンテストの事話してないのに……」
『知らないで出てたのかよ?戦国大のミスコンっつったら、全国規模でメジャーなコンテス トで有名なんだぜ!?毎年、リアルタイムでネット中継してるくらいなんだから!』
「ネット中継って…あんた、あの人の前でそんなの見てたの!?じゃあ、知られたのは、あん たの所為じゃない!」
『お、俺が見てなくても、バレるのは時間の問題だったっての!今時珍しい水着審査もあ るミスコンって事で、毎年あちこちの雑誌で特集組まれるくらいなんだぞ!』
「そ、そんな…」
『……とにかく。ほとぼり冷めるまではそっちにいろ。つーか、こっちに来んな。折角の夏休 みを、姉貴とオフクロの親子喧嘩で費やされるのは、ゴメンだぜ』
「他人事のように言うんじゃないわよ!そもそも、あんたが…!ちょっと、小次郎!小次郎!?」

言いたい事だけ言って早々に切られてしまった電話を手に、優子はガックリと両膝を着いた。
「…東京の夏はキツイから、今年の夏は、多少のお小言覚悟で実家で過ごすつもりだったのに……」
夏季休暇を前に、早くも計画していた予定が丸つぶれになった優子は、途方に暮れてしまう。
「あー、優子ちゃんみっけ♪」
「何をしておる優子。今日の宴会は、お前が主役じゃ」
そんな優子の境遇も心情も知らず、大量の酒と肴を買い込んだ武田たちが、彼女の背後から能 天気な声を掛けてきた。
「…優子先輩?どうかしましたか?」
「…ば」
「?」
「元をただせば、すべての元凶はあんたじゃないのよ!この…バカ幸太郎ーっ!!」
「うわっ!?ちょ、ちょっと先輩!模造刀とはいえ、そんなモン振り回したら危ないっスよ!」
「Shut up───っ!!!!」


八つ当たりも良い所なのだが、今の優子にとって、やり場のない感情をぶつけられるのは、この後 輩しかいなかったのである。
そんな自分に嫌悪を覚えつつ、それでも理不尽な仕打ちを甘んじて受けている幸太郎に、優子は心 の何処かで彼に詫びていた。




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