電話を切った幸太郎は、感情そのままに部屋を出て行こうとする。 「ちょっと待て、幸太郎!どっから電話があったんだ?」 「……俺が頼んだ引越し業者からです。今日から住む筈だったアパートに荷物を 運ぼうとしたら、既に他の人がいたって……」 「──はぁ?何だそりゃ?」 不安を隠し切れない様子の幸太郎に、佐助は勿論、無関心を装っていた優子も、 彼に引き寄せられるように傍へと歩を進める。 「貴方、賃貸契約書は持ってるの?」 「はい、ここに」 幸太郎に渡された書類を見た優子は、典型的ではあるが、それが正式なものであるの を確認する。 「まさか…ダブルブッキング?」 「どんな仕事してんだよ、そこの不動産屋!?」 「とにかく、今から行ってみます!」 幸太郎はカバンを掴むと、再び部屋のドアに手をかけた。 「落ち着けって。お前みたいな学生がひとりで行った所で、ロクに相手にして貰えな いぞ。俺も行く。優子ちゃん、アンタもついて来てくれないか」 「…私が?」 佐助の申し出に、優子は困惑の表情を浮かべる。 「もしブッキングの相手が女性だったら、同性がいた方が都合がいい。それ に、幸太郎のアパートはアンタの住んでる所の近くだ」 「ちょ…待って、ふたりとも!鷲塚!……幸太郎!」 阿吽の呼吸で部屋を飛び出した幸太郎と佐助を、優子が慌てて追いかける。 「──うむ。流石はワシの見込んだ生徒たちだな。見事な連帯感だ」 そのような状況の中、ひとり蚊帳の外から寿司をつつきながら、武田が悠然と事の 成り行きを見守っていた。 幸太郎の入居する筈だったアパートまでは、大学から徒歩で10数分ほどの場所にあった。 近辺の地理に明るい優子の案内で、幸太郎たち3人は、道に迷う事無くアパートの前ま で到着する。 道中、引越し業者には、事情を説明してひとまず荷物を預かって貰い、その後で、件(くだん)の 不動産業者に電話をかけた佐助は、今すぐ担当者をアパートに寄越すように連絡した。 「…すぐ来るってよ。ったく、何が『そんな事あるんですか』だ。てめぇらの失敗、棚上 げしてんじゃねーっつうの!」 ダークグリーンの携帯を切ると、佐助は吐き捨てるようにして呟いた。 「鷲塚って、意外と面倒見が良かったのね」 「おいおい、そりゃ心外だぜ。まぁ…特に幸太郎は、信太郎(しんたろう)…ダチに頼 まれた大切な弟ってのもあるからな」 「ふーん…」 「それよりも、俺には優子ちゃんの態度の方が驚きだぜ。普段、他人に殆ど無関心な アンタが、どうした風の吹き回しだい?」 逆に尋ねられ、優子は一瞬返答に詰まる。 「何言ってるの。強引に連れて来たのは、貴方たちじゃない」 「それでも、一緒に来てくれただろ?」 「……上京したばかりの時の、不安な気持ちって…結構覚えがあるから……」 ボソボソと、言い訳めいた科白を聞いた佐助は、優子に気付かれないように笑みを漏らした。 「205号室…ここだ」 部屋の番号を確認した幸太郎は、小さく息を吸い込むと、ドアの横についたインターホンを 鳴らした。 数秒置いて、室内から気だるそうな男の返事が聞こえてきた。 「…何?アンタたち、何か用?」 僅かに開いたドアの隙間から、幸太郎よりも少々年上の男が、胡散臭そうに視線を投げかけてくる。 「あの…ここって、戦国町の……丁目3番地の×荘、205号室ですよね?」 「そうだけど。それがどうかした?」 「実は俺、今日からこの部屋借りる契約してた者なんです。何だか、不動産屋の方でダブルブ ッキングがあったみたいで…」 「はぁ?この部屋は、俺が今月の頭から住んでるんだぜ?」 思いもよらぬ申し出に、男はその顔をあからさまに歪めてきた。 「でも、俺もこの部屋を契約してたんです。契約書もここにあります。さっき不動産屋と連絡 を取ったので、担当の人ももうすぐ来ますから、その時に貴方が交わした契約を確 認させて欲しいんです」 「バカ言ってんじゃねーぞ!今更出てけとでも言うのかよ!?お前、適当ほざいて俺をハメ ようとしてんじゃないだろうな!?」 「な…!どうして俺が…!」 男の剣幕に、幸太郎は声を荒げて反論しようとしたが、 「そんな小器用な真似、コイツには出来ねーよ。俺が保証する」 「な、何だよお前…」 幸太郎と男の間を、佐助が割って入ってきた。佐助の硬質な表情と声に、男は思わず先程までの 気勢を殺がれる。 「俺たちは、コイツの先輩。未成年のコイツひとりじゃ任せられないから、 保護者代わりについてきただけだ」 「確かに貴方も被害者かもしれないけど、それは彼も同じよ」 「佐助…優子先輩……」 「──チッ」 佐助だけでなく、優子にまで窘められた男は、舌打ちしながらそっぽを向く。 そうしている内に、慌しくアパートの階段を駆け上がる音が、廊下一帯に響いてきた。 |