『大街頭劇』


「うわああああっっ!」
恥も外聞も投げ捨てた絶叫が、第3カルパの地下3階に響き渡る。
そして、それに呼応するかのように、赤い服を身に纏った男の銃弾が、逃げ 惑う獲物を狩らんと矢継ぎ早に放たれていった。
「ハァ…ハァ……」
全身で息をしながら、新乃(にいの)は次の階へと続く梯子の部屋を探り当てると、自 分に迫る男の手を、首の後ろに生えたほんの『角の皮1枚』でかわして、ドア の隙間へと滑り込んだ。
ひとまず追撃の手が緩んだ事を確かめると、やがて新乃は、ずるずるとドアの背 にもたれたまま、地面へとしゃがみこむ。
「もうヤダ……」
束の間とはいえ、極度の緊張感から解放された為か、新乃の両目からは、涙が とめどなく流れ落ちていった。


イケブクロのビルの上空から、猛禽のように舞い降りてきた男は、自分を 執拗に狙い続けてきた。
二丁の拳銃と一振りの大剣を操る男の手によって、訳もわからず襲われる羽目と なったのだ。
その時は、仲魔のフォローもあって、どうにか凌ぐ事は出来たものの、ダンテと 名乗った男は、明らかに手を抜いていた。
まるで、獲物を簡単に殺さずいたぶり続けるようなダンテの態度に、新乃は 内心で腹を立て、また今も、そんな彼に一矢報いるどころか逃げ惑う事でしか抗う 術を持たない自分が、もどかしくてならなかった。


「…大丈夫ですか?」
声を殺して泣き続けている新乃の前に、チェック柄のハンカチが差し出された。
受け取りながら顔を上げると、壁に長槍を立てかけた妖精セタンタが、背を丸め ながらこちらを窺ってくる。
「本当にごめんなさい…俺が不甲斐ないばっかりに…貴方には、あの人の凶刃を 喰らわせてばかりだ」
「主を守るのが、われらの役目です。それに、以前身に付けた『耐物理』のお陰 か、あの男の攻撃も、私の命までには届きませんよ」
そう言っておどける『クランの猛犬』を見て、新乃は口元を綻ばせると同時に、 自分の所為でダンテに捕まる度に、彼の身体にはあの大剣が突き刺さる事を考え ると、改めて申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「取りあえず…皆様、今の内に傷の手当てをしましょうか。さ、新乃 様も……」
鈴のように清らかな声が、新乃の頭上に降り注ぐと、次いで温かな光が彼の周りを取 り巻いた。
「有難う…パールヴァティ」
「礼には及びませんわ。それよりも…本当に悪趣味な『ゲーム』ですわね」
珍しく不機嫌を帯びた呟きが、地母神の美しい唇から漏れた。


『受胎』が起こってから、果たしてどれくらいの時間が流れたのだろうか。
太陽の変わりに頭上に禍々しい光を放つ『カグツチ』からは、以前のような規則正 しい時の概念を、感じ取る事は出来ない。
「東京には空がない」と、先人の誰かが言っていたが、まさかこんな形で実現す るなんて、と新乃は現在置かれている状況も忘れて、ついそんな事を考えていた。

かつて、担任の高尾佑子の見舞いに同行していた幼馴染の橘千晶と、友人の新田勇 は、それぞれの掲げる『コトワリ』と共に、新乃の前から去っていった。
奇妙なマガタマを自分に埋め込んで『悪魔』にした、金髪の子供と喪服の老婆。
そして、『悪魔』となった自分に、メノラーの奪還を依頼してきた金髪の老人と 喪服の淑女。
これまでにも、様々な『魔人』と名乗る魑魅魍魎たちが、自分の前に現れては、戦 いを仕掛けていった。

「悪魔は、人間を惑わす為に様々な姿を持つ…って、昔、学校の先生が言ってた っけ……」

親の仕事の都合で、新乃は5歳の頃から中学を卒業するまで、カナダで暮らしていた。
敬虔なミッションスクールだったのもあってか、神と悪魔の存在は、日本人の新 乃にも自然と身近なものとなっていたのだ。
まさか、自分がその『悪魔』になったなんて聞いたら、当時の先生は、卒倒するに違いな いなと、自嘲気味に呟くと、新乃は再び地面に視線を落とす。
「…でも、あの人は…何者なんだろう……」
明らかに、他の悪魔や魔人とは異なるダンテの目的は、一体 何なのだろうか。
イケブクロで散々なぶり者にされた事を思うと、もう二度と会うのはご免被りたい所 だったが、ボルテクスとは違うこの世界で、望まない再会を果たしてしまった。

「あのジジイの目的を、お前も薄々感づいている筈だ」

──メノラーの奪還とは方便で、真の目的は、自分達『魔人』同士を争わ せる事だ。
ダンテの言葉に、新乃は瞬時に自分の中で思考を巡らせた。
外交官と弁護士を家族に持つ影響もあるのか、自分の知識とこれまでの戦いそ の他で得た経験を、試行錯誤しながらも結び付けていく。
『…この人は、あの老人の切り札…?ううん、悪魔の交渉が人間と同じとは 限らないし、いきなりこんな絵札どころかエース級のカードをぶつけるなんて、 いくらなんでも……』
彼の言う事が真実ならば、このアマラの世界には、自分の知らない秘密が 隠されている。
……果たして、その先にあるものは一体何なのか。
だが、そんな新乃の気持ちを知ってか知らずか、ダンテはこれ以上のアマラ 深界への進入を止めるように言ってきた。
「あのジジイの言いなりになって、踊らされるほど間抜けじゃないだろう?」
だが、新乃はそんなダンテに拒絶の意を示した。
今の自分には帰る家もなければ、安住の地もない。そんな中、この男は自分に 何処へ帰れというのだろうか。
そして、それは「はめられた」事に対する憤りか、あるいは明らかに自分を子 馬鹿にしているダンテへの、仄かな反抗心か。

だがその直後、新乃は子供が背伸びをした代償として、彼の銃弾と太刀の洗礼 を受ける事となる。


「…あれ?」
大きく伸びをしながら、壁に背を預けた新乃は、自分の腰の辺りに何かがぶつ かるのを覚えた。
身体を捻って見ると、ズボンのポケットに入っているものが、音を立てた事に 気付く。
「もしかして…」
尻のポケットを探った新乃は、次の瞬間表情を綻ばせた。
「俺のMDウォークマン!…良かった、まだバッテリー切れてない……」
手の中で操作して、異常がないのを確かめると、新乃は逸る心をおさえながら スイッチを入れた。

『Good evening! 皆さん、金曜の深夜のひと時、眠らずにお過ごしですか? さて、今宵も早速最初のリクエストを……』

MDに入っていたのは、新乃が毎週、録音するほど楽しみにしているラジオ番組 だった。
僅かな機械音の後で、明るいDJの声が聴こえてくる。
受胎前の、平凡ながらも平和だった世界の思い出が、鼓膜から全身を 震わせ、新乃は暫くの間、全てを忘れて聴き入っていた。
先程とは違う種類の涙が、ひと筋頬を伝って流れる。
「…何ですか?それは」
押し黙った新乃が気になったのか、セタンタが再度こちらの様子を眺めやる。
セタンタの視線に気付いた新乃は、イヤホンを片方外すと、隣に腰を下ろしてきた 彼の人間よりは僅かに尖った耳にあてがった。
「受胎が起こる前の…俺の、お気に入りの曲だよ」
小さく笑った新乃に安心したように、セタンタは律儀に主から受け取ったイヤホ ンを、耳穴に取り付ける。
そこから流れてくる人間の言葉は良く判らなかったが、やがて聴こえてきた荒々 しいパーカッションと叫ぶような歌声に、妖精の瞳が見開かれた。
「これは…楽器の音が、ないんですね」
「うん。これを作った人は、大分前に亡くなってしまったんだけど…人間 の世界では、今でも人気のある曲なんだよ」
「はあ…」
地の底から響いてくるパーカッションに、自然と新乃の足もそれに合わせて一定 のリズムを刻んでいた。
小声で歌を口ずさむ主に呼応するように、やがてセタンタも、立てかけた槍の柄 をコツコツと床に打ち付ける。

「何やってんだぁ?お前ら」
「ヒホー!面白そうな事やってるホー!オイラも混ぜるホー!」

休憩に飽きたのか、先程から周囲をうろついていたオセとジャックフロストが、 ふたりの前にやって来た。
「いつまでも油を売っていないで、そろそろ移動しませんか?」
「そうですわね…こうしている間に、先程の男が現れたら……」
主を気遣いながらも、あの赤い『魔人』の襲来を警戒してか、オオクニヌシと パールバティが、控えめに提案する。
仲魔たちの言葉に、新乃は小さく頷くと、ウォークマンのスイッチを切った。
手を差し伸べてきたオオクニヌシに、礼を言って立ち上がり、ふぅ、と 息を吐く。

「──ねぇ」
元の平静さを取り戻した新乃の声を聞いて、仲間達は、一斉に彼を見た。
「もうすぐ、第3カルパの最終地点だけど…もし、皆が『アイツ』だったら、 どうする?」
意外な主からの質問に、一瞬互いに顔を見合わせた悪魔達だったが、
「まあ、俺なら最終地点直前で、背後から拳銃で蜂の巣だな」
「オイラは、逃げ切れたって安心している所を、不意打ちでドッカーンだホ」
「そうですねぇ…私も、おそらく刀でズンバラリン、かと……」
「ちょ、ちょっと皆さん!たとえ話とはいえ、それは主に向かってあんま りにも……!」
「やっぱり、そうだよね」
言いたい放題の仲魔に、セタンタが制止の声を上げようとしたが、新乃は先程 より更に口元を綻ばせると、パチン、と拍手(かしわで)を打った。
「きっと俺があの人でも、同じ事を考えると思う。だったら…いっその事、皆 でお迎えしてみない?」
「どういう意味ですの?」
「あのね…」

パールバティの問いに、新乃はセタンタの方を見ながらニコリと笑う。
その笑みの意図を理解したセタンタは、驚きのあまり目を丸くさせた。


第3カルパの地下4階で、ダンテはもうすぐ現れるであろう、少年悪魔を 待っていた。
何度捕まえて痛い想いをさせても、馬鹿の一つ覚えのように、自分に 歯向かって来る少年。
その気になれば、完膚なきまでに倒す事も、その屍を依頼人の前に投げ捨 てる事も出来たが、ダンテはそれをしなかった。
所詮、自分が倒した所であの老人を喜ばせるだけだし、それ以上に何処か 危なっかしい未熟者を、放っておけない気持ちもあったのだ。
それは、訳も判らぬまま『悪魔』の力を手に入れ、戸惑いながらトウキ ョウの街をさ迷い続ける姿が、少しだけ昔の自分に似ていたからかも 知れない。

「……ガラじゃねぇな」
銀髪をバリバリと掻きながら、ダンテは自分の中に沸き起こった感傷を 打ち消す。
「大体、ガキの遊びじゃねーんだ。洒落で済まない事にもなりかねん のに、あの強情っぱりが……」
その時。不意に何処からか聴こえてくる声が、ダンテの耳に届いた。
「…?」
僅かに首を巡らせて、聴こえてきた方向を確かめると、次第にそれが単 なる声ではなく、アカペラの歌声である事に気付いた。
「……Queen?」
拍子というよりは地鳴りに近いリズム音に、英語のスペルが重なってい る。
その完璧な発音とメロディを聴いて、ダンテは自分もまたその歌を小さ く口ずさむと、梯子の先にある扉へ向かって歩き出した。
段々と歌声が大きくなるに連れ、ダンテは己の武器を構え直す。
そして、梯子へと続く扉が開いた瞬間。
仲魔たちの手拍子を背に、歌を唄う少年の姿が現れた。


「……Rock you!」
その歌のタイトルと同じ歌詞を、最後に口にした新乃は、そのまま己の 指を、真っ直ぐダンテへと突き出した。
思わぬ少年悪魔のパフォーマンスを目にする事になったデビルハンタ ーは、喉の奥で笑うと手を打った。
「…ha!まさか、こんな所で大道芸を拝むとはな」
「貴方のスタイリッシュぶりには、かないませんよ。元の 世界でも、充分オスカーを狙えるんじゃないですか?」
ダンテの揶揄に臆する事無く、新乃はにこやかに言葉を続ける。
「──ただし、『主演』じゃなくて『助演』男優賞だけど」
「主役は自分だって事か?随分と頼りなくて情けないヒーローも いたもんだな」
「最初っから勝ってる主人公なんて、演出不足じゃないですか」
先程まで怯えていた少年の瞳には、打って変わって強い意志の光が宿 っていた。
覚悟を決めたような新乃の眼光を、ダンテは僅かに目を細めながら受 け止めた。
「…本当は、今にも泣きべそかいて、逃げ出したい気持ちで一杯です。 でも、俺は行かなきゃいけない」
「……」
ここに来るまでの間に、友達や大切な人たちが、皆新乃の前から去ってしまった。
不意に虚空を仰ぐと、新乃は脳裏に焼きついた千晶や勇、聖や佑子た ちの姿を思い出す。
千晶たちをコトワリの世界に導いた『悪魔』たち。
そして、このアマラ深界の奥には、おそらく彼らの大元が控えている筈だ。
そいつの顔を拝んで言ってやりたい。「悪魔の気まぐれで、人間をもてあそぶな」 と。
もっとも、その『悪魔』になった自分が言うのもおかしいが、今の新乃の中では、 目の前にある魔人の恐怖よりも、未知の悪魔に対する想いの方が勝っていたのである。


「……オーケイ。その無謀な勇気に免じて、こっちも全力でいかせて貰うぜ。 何か、言い残す事はあるか?」
背中のリベリオンを携えると、ダンテは同じく臨戦体勢を取る新乃に質す。
「俺は、棺桶もゴミ箱もイヤなので、もしもの時は、土に還れるような場所に 置いといて下さい」
「随分消極的じゃねぇか。そんなんで、この世界の果てまで行けると思ってるのか?」
「大丈夫です。俺は、『世界の涯ては自分自身の夢の中にしかない』事を、知っていま すから!」
「……What's that?」


意味不明な回答に首を捻るダンテを余所に、新乃は自分の脳裏にもうひとり、 先人の姿を浮かべると、こっそりと謝罪しておいた。


……御大にも、そしてファンの皆様にも、心の底から土下座。