『その2・はばたき劇場開幕・マリアと、眼鏡の賢者』 両親の条件をクリアする為だけ、と割りきって入学した筈のはばたき学園は、幼馴染の桜井兄弟を はじめ、一癖も二癖もありそうな学生たちのるつぼだった。 初対面で私を『バンビ』と呼び出した世界的デザイナーの一族である花椿さんや、占星術を趣味とする 宇賀神さんには「あなたは不思議な人。星の導きの他に聖なるモノの加護も受けてる」とちょっとヒ ヤッとさせられる事を言われたり。 「ねね、バンビは何か部活やんないの?」 「…部活?」 いつの間にか『キューティ3』というユニットを組まされていた私は、彼女たちと一緒の帰り道で尋ね られた。 バレー部、美術部とそれぞれの好みや性格に合った部活動を楽しんでいる彼女らと違って、私 にはあまりこの学校でそうした活動に励もうという意欲はない。 そんな暇があったら、ライブに向けての練習に打ち込みたいし。 「うーん、今はちょっと考えてないかな」 「そっかあ。ま、ウチの学校の部活はいつでも入れるからね。何だったら、バンビもアタシと一緒にバ レーで汗流してみる?」 「何かに打ち込めるのは、学生の内だけ。無理強いはしないけど、やってみるのもひとつの選択…」 「……そうかもね」 彼女たちの厚意に困惑半分で返事をする私の頭の中は、しかしGWに控えたセッションの事で いっぱいだった。 仲間から「GWにライブを頼む」との連絡を受けて以来、準備を整えていた私の元へ待ち に待った続報が届いたのは、連休開始の僅か数日前であった。 相変わらずのルーズさに呆れつつも何処か懐かしさを覚えながら、私は旧友からの電話に耳を傾ける。 「スペシャルニュースよ。何と今度の会場は、あなたのいるはばたき市!」 「え?そっちじゃなくて?」 「そんなに大きくはないんだけど、はばたき市には評判の良いジャズバーがあるのよ。そこのマス ターも中々のナイスガイみたい」 「……まさか、それが理由で会場選んだんじゃないでしょうね」 「他にも理由はあるわよ。今年の夏に、近郊のバンドやミュージシャンを集めたジ ャズのフェスティバルが、はばたき市の臨海地区で行われるの。いわゆる事前PRも兼ねてるって訳」 「なるほどねえ…」 「私達の存在をホームタウン以外に見せつける、絶好の機会よ。『マリア』、あなたの活躍にも 期待してるわ」 言いたい事だけ言ってさっさと電話を切ってしまった仲間の相変わらずな様子に、私は苦笑しつつも壁に 貼ってあったカレンダーを見る。 はばたき市に来てからというもの、一日が過ぎるのが妙に気だるく感じられたが、今はただ連休が待ち 遠しいと心から思っていた。 待ちに待った当日。 楽器を収納したケースやその他用具など一揃えの荷物を確認した私は、逸る心を抑えながら家を出た。 本当は、早々にウィッグや化粧など『マリア』になる為の用意を済ませたかったのだが、「自宅 に『マリア』は持ち込まない」という両親との約束上、面倒だがそれは守らなければならなかった。 それでも、一応簡単にベースメイクだけは施したので、後はどこか別の場所で残りの扮装をしようと思い直 すと、私は指定されたバーへの道を歩き続ける。 途中、アーケード街の一角にある花屋の前を通り過ぎた時に誰かの視線を感じたが、先を急いでいた私は、 それを確かめる余裕も気持ちも失念していた。 「ようこそはばたき市へ。今日はよろしくお願いしますよ」 「こちらこそ。この度はお招きいただき、有難うございます」 駅ビルの多目的化粧室で『マリア』の支度を完了させた私がバーに辿り着くと、既に仲間がバーのマスタ ーらしき男性と話し込んでいた。 流暢な英語で返すマスターの横顔は、扮装用のサングラス越しからでも、中々のルックスである事が 判る。 「ああ、マリア。こちらがここのマスターさん」 そう呼びかけられた私は、彼らの前まで進むと軽く会釈をした。 「…はじめまして」 「やあ、キミが噂の『マリア』か。会えるのを楽しみにしていたよ」 「どうも」 暫し迷った挙げ句、英語で挨拶を切り出した私に、マスターはにこやかに右手をさし出して来る。 男性特有のゴツゴツとした彼の手を軽く握り返した私は、そのまま無言で演奏の準備に取り掛かった。 「……何だか随分と無口なコだね」 「ごめんなさいね。マリアは気難し屋だから」 一応『マリア』は謎めいた存在である事と、ボロを出して正体を悟られるのを防ぐ意味も含めて、必要 以上には他人と言葉を交わさない、関わらないよう努めている。 それを面倒と感じた事はないし、『マリア』として演奏が続けられるのなら安いものだと思っているが、 他の仲間や周囲の大人達を見ていると、この世界には、本来子供の自分には踏み込む事の許されない領 域のようなものが存在するのだと、痛感せずにはいられなかった。 早く大人になりたい。 さっさと高校を卒業して、あの街に戻りたい。 そうすれば、私は今よりもっと『あの人』を近くに感じる事が出来るのに。 そんな焦燥感や葛藤を、私は自分の構えるトランペットとブルースハープに込めて、かき鳴らす。 それに呼応するように観客から歓声が沸き起こっていたが、私はそれに手応えを覚える一方で、自分の 心のほんの一部だけが満たされていない現実に、苛立ちも感じていた。 「評判以上だな。かつて『港の首領(ドン)』とも呼ばれたジャズマスターの後継者、『マリア』 …か。このままいけば、相当面白い奏者になりそうだ」 「──だが、危う過ぎる」 「…どうしたんだよ?」 店の一角で感心した様子でセッションを眺めているマスターの横で、それまでひとり静かにグラスを 傾けていた男が、冷徹な声で独りごちた。 巧みな技術でトランペットを操る『マリア』に意識を集中させていた男は、やがて、何とも形容し難 いような複雑な表情を浮かべる。 「……まったく。過去の卒業生といい、設楽といい…どうしてウチにはこのような異色な才能の持 ち主ばかりが集まるのだ」 「おい、零一?」 苦虫を噛み潰したような声を耳にしたマスターは、暗がりでも判るほど眉間に皺を寄せている 旧友の顔を、訝しげに覗き込んだ。 |