『その6・マリアと狼藉者と、はばたきのSt.Luke(前編)』 色々な事があった高校生活最初の夏休みも、いよいよ終わりを迎えようとしていた。 入学当初に比べて、不本意ながら私のはばたきでの生活は、それなりに充実しているような気がする。 だけど、それと同時に私の脳裏には新たな疑問が生じてきた。 今充実しているのは、『礼緒』と『マリア』のどちらなのだろうかと。 8月最後の日曜日に買い物に出かけた私は、ついでに公園通りのフリーマーケットで、自分好みの 古着のジャケットと、手作りのアクセサリーを数点購入した。 「…いけない。9月になったら頼んでたヤツの支払いが待ってるから、あんまり無駄遣いは出来ないか」 長期休暇も手伝い、今月はいつもよりライブハウスで演奏の仕事を多く入れていたので、つい財布の紐が緩 み始めていたようだ。 もう少し見たいのを我慢して切り上げた私は、家路へと急ぐ。 途中、駅前広場にさしかかった所で、軽薄そうな男の声が私を呼び止めてきた。 「カーノジョ♪どこ行くの?あ、買い物?洋服とか?」 「…見れば判ると思うけど」 振り返ると、これまた声に違わずノリの軽そうな少年がいた。 「ねえねえ、カノジョひとり?良かったらこれからお茶でもどう?」 「結構よ。あなたのような義務教育も終わっているのかいないのか判らない子供の誘いに乗るほど、落 ちぶれちゃいないわ」 もっとも、自分も大してこの少年と歳が変わらない事と、以前の街でも『マリア』はともかく『礼緒』 として声を掛けられた事など殆どなかったというのは、この際横に置いておく。 「うわ、何か見た目以上にクールな反応…ま、そう言わずにさ。『はばたきミックスジュース』って 知ってる?」 「知らない。というか、そもそもジュース自体あんまり飲まないから」 「マジ?それ、勿体無いよ。飲まず嫌いは良くないし、これから一緒に飲みに行かない?」 「いらない、って言ってるんだけど」 しつこく付きまとってくる少年に、私は苛立ち半分困惑半分で眉根を寄せた。 以前の街なら、どぎついスラングとその他リアクションで交わすのだが、ここは海も人も街も穏やかなは ばたき市。 自分の為にも、あまり派手な立ち回りはしたくないし、取りあえず今の所はする気も無い。 どうしたものかと周囲を見回すと、私の目にとあるものが映った。 引っ切り無しにしゃべり続けている少年を無視してそれに近寄ると、私は財布から小銭を取り出す。 「ん?あ、ねえ、カノジョ!」 数秒後。 乾いた音を立てて取り出し口から出てきたものを確認した私は、その内のひとつの包装紙を剥がし てから、懲りずに声を掛け続けている少年の口に、無理やり含ませた。 「むぐっ!?」 「口寂しい坊やには、それがお似合いよ。判ったら、とっととお家に帰って『アン○ンマン』でも観てなさい。…… このfuckin' kid!」 最後までクールになり切れなかった私は、そう吐き捨てると踵を返して、少年から大股に遠ざかる。 「『クソガキ』って、何だよー!」 「──あ、意味判ったんだ。…しまった、こっち押しつければ良かったかな」 機嫌を損ねたような少年の声を背に受けながら、私は、自販機から出てきた『キュッパキャプス』と描かれた ロリポップキャンディーを、しげしげと見つめていた。 2学期が始まって半月程経った放課後。 今日は部活の無い日だったが、私はHR終了後鞄を手に取ると、軽やかな足取りで音楽室へ続く階段を駆け上がった。 もはや放課後の名物とも呼ぶべき設楽先輩のピアノをBGMに、私は音楽室の隣にある音楽準備室の小窓から中を窺うと、 そこにいた目的の人物のスーツ姿を見つける。 すると、私が扉をノックする前にこちらに気付いた氷室先生が、極力音を立てずに向こう側から扉を開けてきた。 「…部活の時にも、それくらい生き生きとした表情をしていると良いのだが」 「それは、無理な相談です。で、頼んでたヤツ、届きましたか?」 「ああ、これだ」 私の質問に、氷室先生は頭を動かすと、机の上に梱包された楽器ケースを指す。 はやる心を抑えながら、私はその梱包物に近付くと、中身を確認してから思わず歓声を上げた。 「Great!ずっと欲しかったんですよ、ファイバー製のケース!」 吹奏楽部顧問である氷室先生の計らいで、割引価格で購入する事が出来た真新しいトランペットケースを前に、私は ニンマリと表情を緩ませる。 「本当に有難うございます。手付けは払ってたけど、立て替えまでして頂いて…これ、残りの支払いです」 「君の音楽及び楽器への情熱と実績を鑑みて、私が判断したまでだ。気にしなくても良い。高校生には高価な買い物だからな」 私が差し出した封筒を受け取りながら、氷室先生は、私の鞄とは反対の手に携えられた、妙に年季の入ったトランペ ットケースに視線を移した。 普段は『マリア』の時にしか携帯しないトランペットだが、今後の為に軽量でかつ衝撃に強い素材 のケースに変えようと思っていたのと、その際氷室先生が「一度『港のジャズマスター』の楽器とケースを拝見してみたい」 と言っていたので、特別に持参したのである。 年季から歪みかかっている留め金を慎重に外した私は、中から『あの人』の遺産でもあるトランペットを取り出した。 日頃から手入れは怠っていないが、軽く表面の汚れをふき取ってから新品のケースに移す。 「これが、あの『マスター』の楽器とケースか。近くで見ると、中々…」 「これはこれでいい味出してるんですけどね。でも、やっぱり持ち運びの利便やもしものアクシデントとかを考えると…」 それまでのケースには適当な隙間に押し込んでいただけだった手入れその他付属品も、新品ケースのサイドに取り付け られたポケットに収納した。 「スッキリしました。背負えるストラップも付いてるし、最近の楽器ケースって本当に便利になったんですね。 …高いけど」 「だが、相応の価値と性能は保証する。ところで、そちらのケースはどうするつもりだ?」 「勿論、取っておきますよ。でも、今日の所は預かって頂きたいんですが…」 「確かに、一度に持って帰るのは大変だろうな…よろしい。週末までここで保管しておくから、土曜日の放課後に取りに来たまえ」 「はい。よろしくお願いします」 いけ好かない所もあるが、こうした点に於いては信用出来るので、私は中身のなくなった『あの人』のケースを、氷 室先生に手渡した。 すると、私のはしゃぎ声でも聞こえたのか、音楽室の中扉から演奏を中断した設楽先輩が準備室へと入ってきた。 「何だ、お前か」 「こんにちは、先輩。今日も演奏『だけは』素晴らしかったですね」 「お前の減らず口も、相変わらずだな」 「どうも有難うございます」 「褒めてない!」 まるで猫が毛を逆立てたような先輩の反応を見て、私は横を向くと失笑を漏らす。 「まったく…ん?何だお前、それ…サックスケースじゃないよな?」 部活中の楽器とは異なるケースを手にした私の姿に、設楽先輩は小首を傾げた。 次いで、氷室先生が手にした『あの人』のケースに目を向けると、そのやや赤みがかった瞳を僅かに開く。 「それはまさか、あの港町の『ジャスマスター』のトランペットケースですか?」 「…『あの人』を知ってるの?」 意外な人物から師匠の名が出た事に、私は驚愕の声を上げた。 「俺は、ジャンルは違っても良いモノにはちゃんと関心を向ける。確か、彼は2年ほど前に…」 「設楽、」 私の表情に気付いた氷室先生が、設楽先輩に声を掛けるが、 「──これは、『あの人』の遺産よ。私が継いだの」 続きを聞きたくなかった私は、彼の言葉をさえぎるように返すと、氷室先生に軽く会釈をして音楽準備室の扉を開け放つ。 「…継いだ?お前が『ジャスマスター』の?どういう事だ?」 「……そこの詮索好きへの説明は、先生に任せます。また、土曜日に」 「蔵田、待ちたまえ!」 ふたりの呼び止めもそこそこに、私はそのまま逃げるように外へ飛び出した。 教練の最上階から一気に昇降口まで下りてきた私は、疲れだけが原因ではない息を吐き出す。 『彼は、2年ほど前に…』 設楽先輩の言うとおり、『あの人』は、もういない。 だから私は、彼の後継者『ブルースのマリア』として『あの人』の痕跡を追い続けてきたのだ。 『あの人』の音楽を消さない為に。 『あの人』の…… 「……私の?」 今、私がこのはばたき市で奏でている音楽は、必ずしも『マリア』だけのものではない。 それじゃあ、この音楽はいったい誰の……? 「礼緒ちゃん」 「──はっ!?」 不意に声を掛けられた私は、らしくもなく無防備な反応をした。 振り返ると、飄々とした幼馴染の顔が飛び込んでくる。 「…琉夏くん」 「どうしたの?そこまで驚かせたつもりはなかったんだけど」 「ごめん、ちょっと考え事してたから。何か御用?」 僅かに眉を顰めてこちらを窺う琉夏くんを安心させる為に、私は表情を和らげると努めてあっけら かんと答える。 「うん、家はお隣同士じゃないけど、たまには一緒に帰ろうと思って…」 「あはは、何それ。でも、いいわよ。一緒に帰りましょう」 「OK。じゃあ、出発!」 琉夏くんの朗らかな声に引かれながら、私は少しだけ心を落ち着けると彼の後に続いた。 「今日、琥一くんは?」 「コウはバイト。俺は今日はヒマだし、バイクもコウが乗ってっちゃってないから、ゆっく り帰ろうよ」 「そうね」 言いながら、私達はアーケードまで寄り道をする。 折角だから、どこかでお茶でもしようかと話し合っていると、 「オウ、何だテメェ桜井弟か?」 お世辞にも穏やかとはいえない挨拶と共に、ふたり組の男が私達の前に立ちはだかった。 「えらそうに『はば学』の制服なんざ、見せびらかしやがって。調子こいてんじゃねえぞ?オラ」 「…あのさ。今、オフなんだよ。見て判んないかな?」 表情を硬くさせた琉夏くんが、デコボココンビのような他校のふたりに厳しい視線を返す。 「何だ?いつもの威勢はどうしたよ?」 「やっぱ、アニキがいないと何にも出来ねぇってか?ハハハ!」 「……待て、コラ。今なんつった?」 それまでどうにかかわそうとしていた琉夏くんだったが、彼らの挑発ともいえる揶揄に声音を変えた。 「ちょ、ちょっと琉夏くん」 良くない方向にスイッチが入ってしまった彼を止めようと、私は呼びかける。 「ゴメン、友達と用があるから。お茶はまた今度ね」 「友達?どう見ても…」 「いいから。帰れよ」 「……」 重ねて告げてきた琉夏くんに、私は肩を竦めながらその場を離れた。 『ピアスの桜井兄弟』と呼ばれるほど、この街では武勇伝を上げているという話だから、こうしたトラ ブルは日常茶飯事なのだろう。 余程厄介な事にでもならない限り、彼らのトラブルは彼ら自身の手で片をつけるのが筋なのだ から、部外者の私を巻き込むまいとした琉夏くんの態度は、至極真っ当である。 こちらとしても、無難に高校生活を送りたいのだから、面倒には関わりたくないというのが本音だ。 そのまま、暫く歩き続けていたが、 「……あー、もう!変にどっかお人よしな自分の性格が恨めしい!」 それでも、幼馴染を放っておけない気持ちの方が勝った私は、悪態を吐きつつ元来た道を引き返した。 |