『超真剣(マジパネェ)、約5分間休憩』 今年のはばたき祭に向けて地元出身のミュージシャンを呼ぼうという運動は、 実現出来なかったという報告とお詫びを兼ねた紺野生徒会長の放送によって、ひとつの収束を迎えていた。 しかし、やり手と呼ばれる彼への過度の期待は、大きな失望という反動がついてしまったようである。 「あーあ、オレ楽しみにしてたのになあ」 「私なんて、友達に話しちゃってたのに。何でダメなのよお」 放送が終わった昼休みの教室はその話題で持ちきりで、あまりの喧騒に私は外へ移動しようと考えていたが、 「ったく見掛け倒しよねあの会長。やってくれるって信じてたのに」 「ホント、生徒会長の癖に使えないよなー」 ガタン! 一番後ろの席を良い事に、後ろ足で椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がった私に、周囲が静まり返った。 「……あはは、失礼。ちょっと勢い良過ぎちゃったみたい」 白々しく愛想笑いを浮かべた私は、その場で固まっている人の間を縫うと、教室を後にする。 怒りに支配されてた私は、自分が出て行った後に、1年からの馴染みである嵐さんが「…へえ。あいつ、マジギレすると あーいう顔になるんだ。おっかね」と嘯いて、他のクラスメイトを戦慄させた事には気付かなかった。 「本気でプロのミュージシャン呼ぶなら、もっと早くに準備するべきだったんですよ。署名活動始まってから今までの間、あ の人は出来る限りの事をしてたじゃないですか。成功したらしたで自分の手柄みたいに吹聴するくせに、何様のつもりなんでしょうね」 「結果がすべてだ。実現が不可能だと思った時点で、引き返さなかった紺野にも責任はある」 興奮冷め遣らぬ私は、その足で音楽室へと向かうと、既にそこの「主」と化した設楽さんに怒りを ぶちまけていた。 「だからと言って、どうして失敗の責任すべてを会長が負わなきゃなんないんですか。署名起こした連中は、しっかり 安全な場所で被害者ヅラ決め込んでるし…ああ、もう! Piss me off(クソムカつく)!」 「…いい加減慣れたが、女がそういった口汚い言葉を使うのはどうかと思うぞ」 感情に任せて音楽室の机に八つ当たりをする私を見て、設楽さんは一瞬怯んだような表情をしながら言葉を続けてきた。 「俺やお前のように裏側の事情に精通してるならともかく、普通、学校が著名人を呼ぶにはそれ相応のリスクも伴うと いう事まで、運動起こした奴らが考えていたとは思えん。ある意味これで良かったのかも知れんぞ」 「それでも、なんか遣り切れないんですよ。プロの世界ならともかく、あんなに一生懸命頑張 ってた人が報われないってのは。あと、自分達の力でやり遂げようとする前に、安易に外部や誰かを頼ろうとするヤツらの事も…って、あ」 「どうした?」 「……忘れてた。私、設楽さんに相談があるんだった」 偶然ここにくる途中で紺野会長に遭遇した私は、理不尽な非難の的にされてしまっている彼に、下手糞な慰めの言葉をかけた。 「気にする事なんかないですよ。結果は残念だったけど、貴方は本当に頑張ってたじゃないですか」 「……有難う。でも、落ち込んでばかりもいられないよ。はばたき祭に向けてやらなければいけない事は、まだまだ沢山ある からね」 何処か強張った笑顔で返してきた紺野会長は、「だけど、困ったな…」と口中で呟く。 「どうしたんです?」 「あ…いや。今回の事で、講堂のタイムテーブルに微妙な隙間が出来ちゃってね」 「どこですか、それ?」 「ええと…ちょうど吹奏楽部の発表が終わったあたりだね。時間にして5分ちょっと…ってトコかな。もう他の出演団体は決ま ってるから今更変更は難しいんだよね。おそらく片付けその他に時間をかける事になると思う」 ポケットから取り出した生徒手帳を確認しながら説明する紺野会長を見て、私はとある一計を思いつくと、 「紺野会長。その空白時間、明日まで保留にしておいてくれませんか?」 「え?どうしてだい?」 「ちょっと考えがあるんです。上手くいくかどうかは判らないけど…」 紺野会長との遣り取りを思い出し、少しだけ心の平静を取り戻した私は、何処か面倒臭そうにピアノの椅子に身体を預けている 設楽さんに向き直った。 「貴方の親友が窮地に立たされているんですよ?普段、試験で赤点取りそうな所を助けて貰ってるんですから、たまにはち ょっとくらい恩返ししてやったって、バチは当たんないでしょう?」 「はあ?どういう事だ!?」 「耳、貸して下さい」 「ちゃんと返せよ。…あと、俺も色々年頃だから、首とか首とか首とか不用意な場所に息を吹きかけたりしたら、ただじゃお かないからな」 「貴方は、私のストライクゾーンに全く掠りもしていないので、大丈夫です。えっとですね……」 私の耳打ちを聴いた設楽さんは、複雑な表情を作る。 「──俺が?お前とか?」 「はい」 「…あのな。一応、俺も3年で受験生なんだが」 「どうせ、一流芸大の教授に入試はノープロブレムだって、言われてるんでしょ?この間だって『課題曲の練習ばっかり で、うんざりしてきた』って零してたじゃないですか」 「まあ、そうだが…」 「紺野会長への労いと、学内にもそれなりのミュージシャンはいるんだって事、証明してやりたいと思いません?」 にやり、と悪童のように笑った私を、設楽さんは苦笑しながら見返してくる。 「…いいだろう。5分ちょっとの演奏ならば専門にも支障はないし、良い気分転換にもなりそうだ。しかし、お前がそこまで 俺を信用していたとはな」 「貴方自身は、信用していません。でも、貴方の音楽に賭ける技術と心意気は、100パーセント信頼しています」 「──奇遇だな。俺も、お前自身の事は今でも良く判らんが、お前が奏でるジャズのスキルと情熱は、理解しているつもりだ」 皮肉まじりに互いを賞賛した私たちは、同じ目的に向けて視線を交わし合う。 「……ところで、これだと有志団体扱いになるんですよね。団体名どうしましょうか?」 「はあ?そんなモン適当でいいだろうが」 「そうは言っても、総勢2名の超弱小団体ですからねえ…何かインパクトのある名前、ないかな?」 「俺は、そこまでは面倒見切れんぞ。お前が勝手に考えろ」 「あ、逃げた!」 言いながら音楽室を出て行ってしまった設楽さんの後を、私は慌てて追いかけた。 たったふたりきりの有志団体が立ち上がってからというもの、朝と昼休みの音楽室では、3年の男子学生と2年の女子学生との 口論と彼らの奏でる音楽が、途切れる事がなかった。 「後半2拍のタッチがキツいのよ!3+2を意識し過ぎて、本来の5拍子をおざなりにしないで!」 「お前こそ、ブレスのタイミングが合ってない!きっちり時間内で終わらせたかったら、必要以上にメロディを揺らすな!」 端で見ている分には、かなり険悪な様子で罵り合ってるようにも取れるのだが、彼らが言葉を交わす度に、そのメロディは磨かれていく。 「お前、息遣いよりも指押さえるのが遅いんだよ。特にオクターブ上げる時、普段使ってないからって左手サボらせてんじゃないよ」 「そーいう貴方も、夢中になるとソロ弾きになってるわよ。伴奏は、基本独奏のサポート。例えるなら、エビフライやトンカツの隣 にあるキャベツの千切りと同等だと思いなさい」 「な、それは幾らなんでも乱暴だろう!」 「そう?じゃ、しょうがないからポテトサラダもおまけしてあげる」 たった5分ちょっとの演奏に向けて密に練習を重ねるふたりを、様子を見に来た紺野や、その他野次馬が遠巻きに見守る。 「なにあれ、すっごい迫力…」 「設楽に食らいついてるの、2年の蔵田ってヤツだろ?」 「文化祭の練習如きに、あそこまでマジになれるのって……」 「設楽…蔵田さん……」 伴奏合わせというよりむしろ「真剣勝負」のようなふたりの姿を、紺野は食い入るように見つめていたが、 「実行委員は、講堂のタイムテーブルの再検討を頼む。出演団体の持ち時間や当日予測されるロスも含めて、もう一度 それこそ秒単位まで確認するんだ」 ここ数日のやや消沈していた紺野会長の表情に生気が戻るのを見止めた私は、思わず設楽さんの方を窺う。 どうやら彼も同じ事を考えていたみたいで、頼もしくなった親友の背中を、穏やかな顔で眺めていた。 文化祭の準備期間はあっとういう間に過ぎて、いよいよはばたき祭当日。 講堂では、毎年恒例の文化部を中心とした催し物が、滞りなく行われていた。 「悪くはないんだけどさ。やっぱ『スッチャ』に来て欲しかったよね」 「うんうん。ちょっと物足りないカンジ。この後、何があったっけ?」 祭りの賑わいの中、数人の女子学生が姦しく会話を繰り広げながらパンフレットを開くと、プログラムを確認する。 「今吹奏楽部だから、次は…あれ?何これ」 「どうしたの?」 「ホラ、吹奏楽部の後にちょびっとだけ時間枠取ってるヤツ」 「どれどれ…えーと、『有志団体・蔵楽礼司(くらられいじ)の約5分間休憩』……?」 女子学生たちが首を傾げていると、舞台では吹奏楽部の発表が無事終了した。 部員たちが退場する中、ひとりだけ椅子に腰掛けたまま女子生徒が取り残されている。 「あれ?ひとり退場してないのいるぞ」 「……どうしたんだあのコ?」 そんな生徒に周囲がざわついていると、彼女を残して退場した吹奏楽部のメンバーと入れ替わるように、ひとりの男子学 生が入場してくる。 「お、あれ設楽じゃん」 「キャー!設楽さま〜!」 (羽目をはずさぬ程度に、頑張りたまえ) 退場する直前、氷室先生はごくか細い声で私に労いの言葉をかけてくれた。 他の部員や先輩たちも先生から事情を聞いていたらしく、努めてさり気ない様子で私を残して退場してくれた。 「…何やってんだ?お前」 当初の打ち合わせ通り、椅子にだらしなく腰掛けた私に、設楽さんが呆れ顔で言葉を投げかけて来る。 「ああ、先輩。いやー、何かちょっと疲れちゃいまして」 「だからって、いつまでも舞台にいられちゃ邪魔だ。あと5分もすれば、今日のメインイベント始まるんだから、さっさと立て」 「どーせ、メインイベントったって、学生演劇でしょ?毎年恒例で特に真新しいモンでもないんだから、いいじゃないです か。某アーティスト呼ぼうとしてたのだって、マンネリ防止の為なんだし」 学生演劇の皆さんには、あらかじめこちらの意図を伝えて挨拶と謝罪はしておいたが、やはり私の斜に構えまくりの 態度に、周囲からざわめきが起こる。 「ダメだったものは仕方がない。学外に頼れなかったのだから、学内の俺たちで何とかするしかないんだ。…まあ、確か に文化部の力入った発表が続いたから、ここらでちょっと息抜きするのも悪くないかも知れないな」 「そうですよね。──じゃあ、今から『5分間だけ休憩しましょうか』」 設楽さんがピアノに向かうのを確認した私は、椅子から立ち上がると動き易くする為に、部活の発表では着ていた制服のブレザーを脱いだ。 サックスを構えると、困惑を隠せない周囲に視線を向ける。 「え、何か始まるの?」 お馴染みな5拍子の前奏に身体を馴染ませながら、私は軽く深呼吸をする。 ちょっと胸のリボンタイが邪魔くさく感じたので、左手で取り去ろうとしたが、勢い余ってYシャツの第1ボタンまで一緒に 引きちぎってしまった。 (…ま、いっか) 肌蹴られた胸元と、それまでの怠惰な表情から一変した私に、周囲のざわめきという名の雑音が次第に消えていった。 ひとつ年下のちょっと生意気な後輩に「マジパネェっす」と言わしめたほど、私と設楽さんの 奏でる『TAKE FIVE(5分間休憩)』は、講堂全体を興奮の渦に包み込む事に成功した。 (Yes!) (よしっ!) 予想以上の反響に、私たちは声には出さねど率直な感想を漏らした後で、見詰め合う。 「──お疲れ様。伴奏、上手くなりましたね」 「…お前もな。ふて腐れた顔でサックス吹いてた頃とは、別人だ」 そして、どちらともなく手を差し出すと、硬く握り合った。 「ふたりともブラヴォー!てか礼緒ちゃん、その胸元と演奏中の腰付きがヤバすぎる…」 (……オイオイ。お前ちょっと『マリア』入ってなかったか?) 「やったな。すげぇカッコ良かったぞ」 クラスメイトの嵐さんやルカくんとコウ、他にも様々な人たちから賞賛の声をひとしきり頂戴した私は、実行委員の人に 頼んでマイクを1本貸して貰った。 「どーも。有志団体『蔵楽礼司』による、約5分間休憩でしたー」 素に戻った私の緊張感の抜けた挨拶に、観客から楽しそうな笑い声が上がる。 「ありがとうございまーす。ええと、この場をお借りして…紺野生徒会長」 「──え?」 前列の役員席に坐っていた紺野会長に視線を移すと、私はニッコリと微笑みかける。 「団体募集締め切りのギリギリだったにもかかわらず、私たちのワガママを聞いて下さって、本当に有難うございました」 「あ、いや、そんな…」 深々と頭を下げる私(+ニンマリとした笑みで客席を見下ろす設楽さん)と、照れ笑いを浮かべる紺野会長に、もう 一度大きな拍手が沸き起こった。 はばたき祭終了後に回収されたアンケートによると、何と『有志団体・蔵楽礼司』の評判は、ブッチギリだったようである。 再演を求める声も幾つかあったみたいだけど、設楽さんは受験生だし、私も色々と込み入った用事があったので、結局は立ち消えとなった。 「…だけど、いつかまたやってもいいよな。お前もちょっと考えておけよ。直ぐにとは言わないから」 「え?は、はあ…」 少しだけ楽しそうに話す設楽さんの横顔を見ていた私は、それから「ちょっと生意気な生徒会長」となったひとつ年 下の後輩と、留学先から一時帰国していた設楽さんの要請で、2年後のはばたき祭に再び『蔵楽礼司』として招待される事 になるなど、この時は知る由もなかったのである。 |