『私と、St.Lukeの歌』 「もうすぐ桜、咲くのかな」 「そうかもね。この間から段々と暖かくなって来てるから。本格的な春までは、もうちょっとだけど」 学年末試験も無事に終え、私の…私達の高校生活も、あと1年ちょっとを残すのみとなっていた。 両親との約束を果たす為だけと割り切っていた筈の「はばたき学園」での生活は、幼馴染のルカくんたちを はじめとする様々な人達のお蔭で、私は自分という存在が何であるのかを改めて認識させられたのだ。 同時にそれは、もうひとりの私である『マリア』との新たな出会いと言おうか共存と言おうか、とにかく それまで闇雲に『あの人』の影を追いかけていただけの『マリア』ではなくなっていたのである。 そして、そんな自分に気付かせてくれたのは。 静まり返った夜の教会は、初めて訪れたときと変わらぬ荘厳な佇まいを醸し出していた。 硬く閉ざされた扉と、屋根に掲げられた十字架を一瞥すると、私はそれまで背負っていた楽器ケ ースから『あの人』から譲り受けたトランペットを取り出した。 「ごめんね、いきなり『たったひとり、特等席で演奏聴きたい』なんてワガママ言って」 「ううん。ルカくんやコウには、本当にお世話になったから」 「……今だけは、コウの名前出しちゃダメ。だってコウのヤツ、これまで俺に内緒で礼緒ちゃんの秘 密を独り占めにしてたんだから」 子供のようにふくれっ面をするルカくんを、私は苦笑交じりに眺める。 1年目の夏休み、思わぬ所で『マリア』の正体を知られて以来、コウと私の間ではある種秘密協定の ようなものが結ばれていた。 決してルカくんを蔑ろにしたつもりはなかったのだが、あくまで謎めいた存在でいる必要のあった 『マリア』の事情や、その後私と音楽仲間との間で起こった確執などが原因で、結果彼には最悪の形で 秘密が露呈する事となってしまったのだ。 今でこそ、どうにか事態を収束させる事が出来たが、一見孤独を好むようで、その実その孤独を一番嫌 うルカくんを傷付けてしまった失態は、彼の兄であるコウは勿論、私の心の奥底にも小さな後悔という 名の疵として残っている。 楽器の用意を済ませた私は、夜の帳に包まれた教会の周辺を見渡した。 「夜だけど…まあ、一曲くらいなら大丈夫かな?」 「平気だよ。ここ、滅多に人来ないし」 アリーナ席よろしく、教会の石段に腰を下ろしたルカくんは、夜目でも判るほどその瞳を期待に輝かせていた。 「きっとこれから礼緒ちゃん、カッコイイミュージシャンになっちゃうだろうから。今の内に堪能させて貰うんだ♪」 「さあ、それは未だ判らないけど」 「なれるよ。その内礼緒ちゃんどんどんビッグになっちゃって、俺なんか相手にもされなくなりそう」 「そんな事は…」 途中で舌を止めた私は、改めて右手に携えたトランペットと、ルカくんの表情を見比べる。 「ルカくんは…今、私のジャズが聴きたい?」 「え?ううん、特に希望は無いよ。礼緒ちゃんの演奏する曲なら、何でも」 「そう……判った。ねえ、ルカくん」 彼に呼びかけると、私は愛用のトランペットを左手で撫ぜながら言葉を続けた。 「『あの人』からこれを譲り受けて以来…いつも、このペットを奏でるのは『マリア』だったの」 「?」 「あくまでこの楽器を鳴らすのは『マリア』。その間、礼緒の私は『マリア』の影か何処かに隠れ続けてた」 「礼緒ちゃん…?」 「──だから、」 言葉を切った私は、改めてルカくんに向き直ると、一旦楽器を左手に持ち替えて右手を己の胸元に当てた。 「誰かの為に、『あの人の』楽器で『礼緒の』演奏を披露するのは、貴方がはじめて。『マリア』ではないけれど…それでもOK?」 「勿論!礼緒ちゃんのはじめて、俺が貰っちゃうんだね!?ゴチになります!」 「ちょっとニュアンスが違うかも知れないけど…ま、いっか」 嬉しそうに拍手をするルカくんに安堵すると、私は教会の屋根上に立つ十字架に一礼した後で、頭の中に浮かんだ 曲を演奏する為に楽器を構えた。 「これは、『礼緒』から貴方に捧げる曲。幼い頃…そして高校入学前に貴方と出会ってからこれまでの 事に、最大の感謝を込めて。はばたきの『St.Luke』」 虚を突いた顔をするルカくんを他所に、私は演奏を始めた。 信者ではないと言っていたが、彼ならひょっとして馴染みがあるかも知れないと思って選んだその賛美歌は、もとは北欧 のとある作曲家によるもので、その国では「第二の国歌」とも言われる唄であった。 当時、外部からの度重なる侵略や圧制にも負けず、国の誇りと独立を叫んだその唄は、現在でも大元の 交響詩と一緒にその国から愛され続けているのだ。 出来るだけ原曲に近付けられるよう、息遣いや頭の中のメロディとリズムに折り合いをつけながら、演奏を続けてい た私だったが、1コーラスが終わった所で、不意に美しいバリトンが私の鼓膜を刺激してくるのを覚えた。 「『……わが心よ、なみかぜ猛る時も………恐れも悲しみをも、みむねにすべて……』」 いつの間にか、石段から立ち上がっていたルカくんは、私の演奏と一緒に詩歌を口ずさんでいた。 これまで、カラオケなどで彼の美声を耳にした事はあったが、それとはまるで違った美しく澄んだ歌声は、自然と 私の中の音楽魂のようなものに火をつけた。 いつしか、控えめだった彼の歌声が段々と大きくなっていくのを確認した私は、彼にメロディを預けて副旋律に移行する。 「『……憂いは、永久に消えて………いのちのさちを受けん……』」 (賛美歌21 532番「やすかれ、わがこころよ」より) その絶妙な和声は夜の静寂を侵す事無く、やがて教会へとゆっくり吸い込まれ行った。 「何だか、途中からセッションになっちゃったね。でも、とっても素敵な……」 楽器を下ろして笑う私の前に、突如大きく温かいものが覆いかぶさって来た。 「……ルカくん!?」 「──有難う」 「…え?」 「こんなに心が揺さぶられたの…こんなに心から歌いたいって思ったのなんて…本当に久しぶりだった…」 少々痛いくらいに抱き締められながら、私は僅かに震えるようなルカくんの声と身体を、何も言わずに受け止める。 暫く、ふたりそのままの姿勢でいたが、 「ねえ……礼緒」 「…ん?何?」 彼の声に応える私に、ルカくんはもう一度私を読んだ。 「えっと…だから……『礼緒』、」 「はいはい。どうしたの?改まって」 「………何でもない」 何故だか憮然としながら私から身体を離したルカくんに、私は訳が判らず首をひねる。 「ルカくん、大丈夫?私…何か気に触るようなこと言った?」 「言ってない!…したけどね。……そうだよな…インターナショナルにいたんだから、呼び捨てなんて慣れてるよな……」 「あの、ルカくん…ひょっとして怒って…」 「怒ってないってば!ただ、『礼緒ちゃん』がニブチンなだけ!はあ…そのボンヤリが、俺を益々屈折させていく……」 「ちょ、ちょっとルカくん、その科白は色々とまずいんじゃ…」 楽器を片付けながら、むくれてしまったルカくんに私がおろおろしていると、 「うるせーぞ。夜中は、音楽よりも喋り声の方がムダに響く事を、忘れんな」 「「コウ!?」」 森のわき道から、両手に何かを抱えたコウの大柄な身体が現れた。 「流石にこれ以上は近所迷惑になる。冷えねえ内にとっとと帰んぞ」 言いながら、コウが私とルカくんに何かを投げて寄越して来る。 完全ではないが、それでも温かさを残した缶コーヒーを受け取った私は、彼に礼を言った。 「おめぇが、礼緒をワガママに付き合わせたんだろーが。これ以上コイツに無理言うんじゃねぇ」 「ちぇっ。でも、いーもんね。俺、礼緒ちゃんの初めて、貰ったから」 「何ィ!?」 ホットのミルクティーを飲みながら嘯くルカくんに、コウが素っ頓狂な声を上げる。 「コウ、うるさい。ただでさえデカいのに、近所迷惑」 「くっ…な、おい礼緒!お前、は、初めてって……!」 「Huh!?ち、違う違う!コウが心配するような事は、本当にないから!」 手をブンブン振りながら否定する私を見て、コウは不審ながらもどうにか気を落ち着けたようだ。 やがて、片付けを済ませた私を認めたふたりは、私を家まで送り届けてくれた。 【エピローグ】 「そういえばコウ、いつの間にか礼緒ちゃんの事呼び捨てにしてない?」 「あぁ?べ、別にいいだろ。ガキの頃は普通に呼んでたんだからよ」 「ふーん。でも、いい気になるなよな。礼緒ちゃんは、そんなの何でもないんだから」 「…?ま、どっちにしろ今のアイツは、色恋沙汰より音楽だろ」 「……そうだね」 「それと……お前もいい顔してたな。ガキの頃、一生懸命合唱団で練習してたお前を思い出した」 「……」 兄の言葉には答えず、ルカは「West Beach」の窓から海を見渡す。 続けて夜空を仰ぐと、最近では顔を忘れかけている彼らの姿と、その後でちょっと斜に構 えた、だけど変な所で情に厚い、ルカの大切な彼女の笑顔が浮かんできた。 (礼緒ちゃん…) 『St.Luke』 幼馴染が付けてくれたあだ名と彼女の声を、脳裏に反芻させながら、今宵彼女と共にした喜びと、 これからの自分のなすべき事を考えながら、琉夏はそっと目を閉じた。 歌集の版によっては、作品番号が異なっているかも知れません。 演奏した事がありますが、原曲の交響詩もこの賛美歌も本当に良い曲です。 |