『みんなの、うた』



あれから壬生屋は、森とひと言も口を利かない状態が続いていた。
自分の大人気ない態度は、確かに褒められたものではなかったが、それ以上に 森の態度も、どうかと思っていた。
一体、彼女は何が気に入らないのか。
そんなに自分の事がイヤならば、違う人間をパイロットに就かせるか、滝川や 速水たちの整備士になれば良いものを…などと、投げやりな感情になってくる。

「──放っておけないのだろうな」
「…はい?」

まるで、考えを見透かしたかのような舞の呼びかけに、壬生屋は意表をつかれた 表情をした。
『厳しい大和撫子』ではない、年相応の少女の反応に、芝村の変異体は面白そ うな顔をする。
「森は…自ら志願して、そなたの機体の整備士になったそうだ。大太刀のみ の戦いを繰り返す1番機は、どうしても他に比べて損傷が激しいからな」
整備学校の首席であった森は、先輩である原には及ばないものの、優秀なメカ ニックとして、その能力は他の整備士を圧倒していた。
「ならば、自分がその機体の担当になれば、少しは復旧も早まる…と考えたの だろう」
「ご自分の腕前を、鼓舞する為にですか?」
「──そなたも、素直ではないな」
「あなたに言われたくは、ありません」
苦笑しながらこちらを見つめてきたヘイゼルの瞳から避けるように、壬生屋 は視線をそらす。
「事実、彼女のおかげで1番機の修復速度は、以前の倍近くにまで跳ね上がって いる。…一体何の為に、森はそこまで頑張るのだ?」
「……」
「自分の力を思い知らせる為?…違うな。我らの切り札である、異形の侍の 為。…強いては壬生屋。他でもないそなたの為だ」
腕を組み直すと、舞は苦笑しながら壬生屋の横顔を眺めた。

『人の気も…知らないで……!』

「気に入らないのなら、自分を見限ればいい」と言った壬生屋を、森は涙に顔 を濡らせながら、叩いてきた。
もう腫れは引いていたが、何故かあの時の彼女の顔を思い出すだけで、 壬生屋の頬はちくり、と痛みを覚える。
──本当は、判っている筈だ。
どうしてあそこまで、彼女が自分を気にかけて『くれる』のか。

「わたくしは……」
無意識に頬を触りながら、壬生屋はぽつりと呟く。
だが、言い終わらないうちに、何処からか警報が聴こえてきた。


昼休み中とはいえ、聴き慣れた音に、クラスメイトたちはにわかに ざわつき始めた。
「もうすぐ授業も始まりますし、席に着きましょう。あの警報は、隣の戦区 のものでしょう。ウチの小隊には関係ありません」
しかしそのような中、隊長の善行だけは、至極冷静に学兵たちに説明した。
「という事は…われわれの出撃は、ないのですか?」
善行の言葉を聞いて、若宮が確認するように質(ただ)してくる。
「そうなりますね。前回の戦闘で、予想外に損害を受けましたので…暫くは、 態勢の立て直しをしたいと思います」
「それは…それは、わたくしの所為ですか!?」
続けられた言葉を聞いて、壬生屋は眉を顰めながら善行に尋ねた。
「…違いますよ、壬生屋さん。あなたの所為ではありま せん。隊長の私が、出撃を控えた方が良いと思ったからです」
「ですが…!」
その内に、2度目の警報が聴こえてきた。次いで、爆音と黒煙が、遠くに 見える。
「意外と近いなぁ。俺たち行かないで、大丈夫なのかよ…」
「た、滝川!」
「…バカっ!しぃっ!」
滝川の無神経な言葉に、速水と瀬戸口が慌てたように彼の口を塞いだが、 その失言は壬生屋の耳にも届いていた。
弾かれたように席を立つと、そのまま教室を飛び出そうとする。
「──壬生屋十翼長!席に戻りなさい。これは、隊長命令です」
先程よりも厳しい声が、壬生屋を止めた。
唇を噛み締めている彼女を一瞥すると、善行は淡々と諭す。
「…あなたが行った所で、どうなるのですか?メカニックがいなけれ ば、出撃は出来ませんよ。その前に、今のあなたに士魂号を任せられる だなんて、誰が思うのですか?」
「──!」
「これは、戦争です。個人の感情で勝手な行動が、隊の皆さんに、どの ような悪影響が及ぶかぐらい、判っている筈でしょう?」
がっくりと肩を落とす壬生屋に、善行は片手で眼鏡を直すと、もう一 度「席に戻りなさい」と告げる。
足を引きずるように、壬生屋が席に坐ると同時に、教室のドアから教師 の本田が入ってきた。


本田の話を、半ば上の空で聞きながら、壬生屋は、窓越しに見える黒煙 を眺めていた。
あの煙の向こう側では、自分たちとそれほど年の変わらない学兵たちが、 幻獣と戦っているのだろう。
壬生屋たちのいる戦区は、中央からの支援もあって、どうにか人類側が 優勢を保っていたが、数を増やしている幻獣によって、抵抗勢力を失いつ つある地域もあると、聞いた事がある。


『森があそこまで厳しくなったのは、昔、大切な仲間を亡くしてからなの』

整備学校でも森の先輩だった原が、彼女のいない時に、こっそりと壬生 屋に話してきた。
5121小隊が発足する少し前。幻獣との戦闘の大敗北によって、多数の戦 死者が出た。
当時、別の部隊にいた森は、その戦闘で自分の担当する戦車と、パイ ロットを失ったのである。
舞や来須のような、圧倒的な強さとまではいかないが、そのパイロ ットは、そこそこに優秀な兵士だった。
出撃の度に、それなりの戦果を上げて帰ってくるパイロットに、いつし か森は、それが当たり前のように思っていったのだ。
そして、ある日。
「いつものように」機体の整備を済ませ、パイロットを送り出した森 は、二度とそのパイロットはおろか、実戦兵の誰にも会う事はなか った。
幻獣の猛攻によって、戦区の学兵たちが全滅したのである。

『あ…な…なんで……なんでなのよぉ!』

遺体・遺品すら満足に回収出来ないまま、空の棺がひしめく葬 儀場で、森は号泣した。
どうしてあの時、「いつものように」ではなく、もっと慎重に機体の メンテナンスをしなかったのか。
どうして、『戦争』という事を認識しきれずに、この束の間の日常が、 恒久のものだと考えてしまったのか。

『…だからなんでしょうね。あそこまで機体と整備にこだわるのは』

──戦っているのは、パイロットだけではない。
原から教えられたこの言葉の重みを、壬生屋はこの時、はじめて知った のである。


「──!?」
聴こえてきた爆音に、壬生屋は思わず首を巡らせて、窓の外を見る。
先程よりも、煙が立ち上っていたのだ。
「……まずいな」
壬生屋の後ろの席でも、舞が右手の親指と人差し指で、顎と頬を挟みな がら、眉根を寄せていた。
周囲を見渡すと、他のクラスメイトたちも、戦いの行方が気になってい るようであった。
だが、出撃の命令がなければ戦場に赴く事は出来ない。
士魂号の威を借りなければ何も出来ない自分を、壬生屋は心の底から 嫌悪していた。
『わたくしは…なんて、ちっぽけな人間なのだろう……!』
少し戦車が操れるだけで、天狗になっていた自分が、恥ずかしくてたま らない。今の自分は、無力なひとりの学兵にすぎないのだ。
やりきれない思いに、壬生屋の瞳から涙がひと筋こぼれ落ちる。

その時。壬生屋の脳裏にある言葉が浮かんできた。

『…苦しいときには、歌を歌いなさい。
歌は、命令で殺し合いを職業にする兵に許された、唯一神聖なる暗黙の権利ですから。
両手が切れても塞がっていても、歌は歌えます。歌うなと、士官は言えません。 なぜなら、士官もまた歌うからです。
苦しいとき哀しいとき、己を奮い立たせるその時に、ただ一つ味方となるのは歌。 ガンパレードマーチ(突撃行軍歌)ですよ……』


「…今のわたくしに…出来る事……!」
小さく呟いていた壬生屋は、はっと目を見開くと、勢い良く席を立った。
「な、なんだぁ!?おい、壬生屋!待て!」
本田が呆気に取られているのを他所に、机の間を器用にすり抜けると、壬生屋は 駆け足で教室を出て行ってしまう。
「壬生屋さん!待ちなさい!」
善行は、慌てて2組の原に多目的結晶でメールを送ると、壬生屋の暴走を止める よう伝えた。
だが、返ってきた答えは、
『彼女、ハンガーには向かっていないわよ』という意外なものであった。
「一体、彼女は何処へ…?」
腕を組みながら考え込む善行の傍で、テレパスを使った石津が、蚊の鳴くような声 を出した。
「壬生屋さん……整備…詰め所……あ、今…プレハブに戻っ……え…屋上……?」
石津の語尾が、疑問系に上がった直後。
プレハブの屋上から、けたたましいほどの楽器の音が聴こえてきた。

「な…アイツ!オレの授業をサボらす為に、ギターを貸したんじゃねぇぞ!」
思いの外、まともなギターの音色を聴きながら、本田は複雑な表情で声を荒げた。
「何やってるんだろう?壬生屋さん…」
「理由は判りませんが…これだけの大音量では、隣どころか女子高からも苦情が 来そうです。止めましょう」
「──待て、善行!このメロディは…」
若宮に指示を出そうとする善行を制すと、舞は耳をすませ、そしてその直後、ヘイ ゼルの瞳を嬉しそうに輝かせた。


延長コードで、食堂の電源から屋上のアンプを繋いだ壬生屋は、ギターをかき 鳴らせていた。
ある程度の基礎が出来るようになった後で、何か曲を弾こうとした時に、どうせ ならこの歌を覚えてみたい、と思ったのだ。
だが、メロディは何とか演奏できるようになったものの、いわゆる「弾き語り」 までは習得していなかった。
このまま演奏を止めずに歌えるだろうか、と考えていると、

 それは子供の頃に聞いた話 誰もが笑うおとぎ話

「…えっ?」
良く通る男の声が、壬生屋の耳に届いてきた。
振り返った視線の先に、マイクを手にした瀬戸口が立っていた。
「この間ギターを始めたばっかの青二才が、弾き語りなんざ20世紀早いんだよ」
「なんですって!?」
「BGMだけじゃ、寂しいだろ?この『お耳の恋人』が特別に歌ってやるから、お前 は弾き続けろよ」
そう言うと、瀬戸口は歌を再開する。
暫しの間、呆然と天敵の横顔を見つめていた壬生屋だったが、彼の歌声につられる ように、ピックを動かした。

 今なら私は信じれる あなたの作る未来が見える
 あなたの差し出す手を取って 私も一緒にかけあがろう
 幾千万の私とあなたで、あの運命に打ち勝とう……



「素晴らしい…この歌声は、異形の侍に勝るとも劣らぬものだ!」
女子高の音楽室から拝借してきたショルダーキーボードを 下げながら、舞がふたりのセッションに加わってきた。
そんな舞の後ろでは、照れ臭そうに、でも一生懸命な様子で森が歌っていた。
そうしている内にも、ひとり、またひとりと、歌声が増えていく。
屋上にのぼってきたものも、そうでないものも、皆声を上げて、あのマーチを 歌い続ける。

 全軍抜刀 全軍突撃 未来のためにマーチをうたおう
 ガンパレード・マーチ ガンパレード・マーチ……

           (「ガンパレード・マーチ 突撃軍歌」より)


隣の町だけでなく、今世界中で戦っているすべての人たちに届け、とばかりに、そ の歌は、春の空へと吸い込まれていった。



数日後。
態勢の立て直しを済ませた5121小隊は、久々の出撃へと準備を進めていた。
コクピッドで計器の最終確認をしている壬生屋のもとへ、森が近付いてくる。
「あなたの機体の整備士として、言いますけどね」
顔を上げた壬生屋の瞳に、伏し目がちに話を切り出す森が映る。
「戻ってこなかったら、泣きますからね。……いいですね。怖かったら、帰っ てきて下さい」
不器用だが想いの込められた言葉に、壬生屋は小さく頷くと、
「……ええ。もし、死んでしまったら、お葬式の時に、あなたに弔辞で酷い悪口を 言われてしまうもの」
「あら。よぉーくお判りで。だったら、もうちょっと機体を大切にしてく れませんこと?」
おどけながら返してきた壬生屋に、森もにんまりと笑って応えていると、善行 の出撃命令の声がスピーカー越しに響いた。
ふたりは表情を戻し、もう一度互いを見詰め合う。

「士魂号1番機、壬生屋未央出撃いたします!」
「ご無事で!幸運を!」


信頼、そして敬愛する仲間へ敬礼を交わすと、ふたりはそれぞれの戦いの場 へと向かっていった。


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