『遺品』



指揮車からの出撃命令で、士魂号は戦場へと歩を進める。
士魂号3番機パイロット速水厚志も、いつものようにパネルに視線を走 らせつつ、これから戦う人類の敵への殲滅に思いを馳せる。
「舞、もうすぐポイントに到着するよ。分析よろしくね」
「──是非もない」
相棒の期待通りの答えに満足しながら、速水はふと舞の姿を盗み見た。
彼女の席の隣に鎮座する、白い帽子。
「………」
速水はその帽子を、まるで恋敵を見るかのように睨んだ。


激戦区に移った数日後、5121小隊は初の戦死者を出す事になった。
その名は来須銀河。
寡黙で屈強なスカウトと謳われたその男は、舞の守護者であり、そして 伴侶にあたる人物であった。
友軍の支援を受ける事も出来ない状況の中で、それでも小隊は、司令官 瀬戸口隆之の下、どうにか幻獣を殲滅させる事に成功した。
だが、その引き換えに来須という大切な仲間を失った。
激戦区でのひとりの学兵の死など、当たり前の事だとはいえ、彼らにと ってはあまりにも大きすぎる勝利の代償であった。


戦いの後、士魂号から降りた舞は、無言で来須の亡骸を見つめていた。
そして、腰に差した小太刀を取り出すと、丁寧に来須の身体を締め付ける ウォードレスを切り裂いた。
綺麗な布で彼の身体や顔に付いた血や汚れを拭うと、乱れた金色の髪を そっと撫ぜる。

「───今まで本当にご苦労だったな。…ゆっくり眠るがいい」

ほんの僅かに口元に笑みを浮かべると、舞は後を原たちに任せ、彼の 元を去っていった。
「──冷たいヤツ…仮にも自分の彼氏が死んだんだから、涙のひとつ くらい、見せらんないのかよぉ」
何度もしゃくり上げながら、滝川は舞の態度に声を荒立てる。
「……何て泣き顔だ」
「…え?」
すると、そんな舞の後姿を眺めながら、瀬戸口が吐き捨てるように呟 いた。
「あいつ…別に涙なんて流してないじゃん……」
「───背中で泣いてんだよ」
滝川の抗議に、瀬戸口は黙って舞の背を指差す。
舞の背中はあまりにも強かった。
それは、まるですべての者が立ち入る事を無言で拒絶する、哀しいま でに強すぎる背中だった。
「『背中で泣く』なんざ、男のする事だろ。女にあんな泣き方させてい いのかよ……!」
瀬戸口は拳を握り締めると、舞の周囲を漂うひとつの小さな光を見据 える。
『馬鹿が……』
舞の背に寄り添うように浮かぶその光に向かって、瀬戸口はさらに渋 面をつくると、心の中で文句を言った。



来須の葬儀を済ませた後、舞は義姉の小杉ヨーコから、来須の帽子 を受け取った。

「きっと…来須クンも、アナタに持っていて欲しいと思いマス」

だが舞は、決してそれを己の頭に載せる事はなかった。ただ、いつも 自分の傍らに置いていた。
被らないのか、という問いにも「これで良いんだ」と、小さく笑って 首を振っていた。

その後、小隊は一丸となって戦いへと繰り出していった。
来須の後釜には田代が入り、若宮と共にその拳を、仲間の生命を奪 った幻獣たちに叩きつけていた。
壬生屋と滝川には士翼号が与えられ、整備兵たちは、寝る間も惜しんで 彼らのバックアップに努めた。
そして、速水たちは。



『……ご苦労だったな』
通信機のヘッドホンから、粘着質な男の声が聞こえてくる。
『これで、戦況は人類に有利に働くだろう。歴史には残らぬが、お前 たちはまさしく名も無き英雄だ』
「言いたい事はそれだけか」
従兄でもある勝吏の言葉に、舞は冷ややかに応答する。
「口先だけの労いなどいらぬ。用が済んだのなら、とっとと帰らせて 貰いたいのだが」
『──帰りを待つ者など、お前にはもうおらぬだろう』
「な…!」
あまりにも無神経な言葉に、思わず速水は眉を吊り上げたが、舞はそ
んな彼を優しく手で制した。
「それでもだ。早く帰って休みたい。流石に今日は疲れた。その上、聞 きたくも無い男の与太話は、耳が痛くなる」
『フン……まあ、いいだろう』
忍び笑いを漏らしながら、勝吏は通信を切った。


芝村勝吏直々に命ぜられた「極秘任務」を、無事に終えた速水と舞は、学 校に戻ると、ハンガーで士魂号の再調整にあたった。
任務の為に用意された装備を外すと、いつもの弾薬や武器に交換す る。
「すまんな、付き合わせて。明日で良いかとも思ったのだが」
「ううん、早朝にいきなり出撃、なんて事になったら大変だもん」
舞の言葉に、速水は明るく応えた。屈託のないその笑顔に、舞はヘイ ゼルの瞳を細める。
「私は…いつもそなたに頼ってばかりだな」
「──そんな!僕は君のパートナーなんだから、遠慮しないで何でも 言ってよ」
「速水…」
「…そうだ!食堂の冷蔵庫に、買い置きの紅茶があるんだ。待ってて、 今取ってくるからね」
足取りも軽やかに、速水はハンガーの階段を一段抜かしで駆け下りる と、外へ出て行った。

冷蔵庫から2本の紅茶を取り出すと、速水はそれを腕に抱えた。
「うん、良く冷えてる。飲み頃だな」
独り言を呟きながら、再び元来た道を戻ろうと、踵を返す。
不意にその時、速水の目に小隊の掲示板が飛び込んだ。
「……」
先日まではあった来須の名前が消えている事に、速水は今更ながら、 彼がこの世にはいないのを思い出す。

来須が死んだ後も、舞は決して気丈な態度を崩さなかった。
「どんなに泣いても、死者は帰ってこない。だから、私は泣く代わり に彼らの仇を取る」
その言葉通り、熊本にその名を轟かせる『電脳の騎士』は、戦場を駆 け続けた。転戦する度に、その地区にくすぶる幻獣を殲滅し、人類に 希望の光をもたらせていた。
だが。
『君は…それでいいの?』
日を追う毎に、速水の頭の中では舞に対する想いが募っていった。
彼女が頑張る姿を見れば見るほど、遣り切れなくなってくる。
あんなに愛し合っていた恋人を失ったというのに、それでも虚勢を 張り続けている舞が、不憫に思えてならないのだ。
「……いっその事、あなたと一緒にあなたの記憶も消えてくれれ ば良かったのに」
掲示板をひと睨みすると、速水は足早に食堂を後にした。


再び速水が戻ると、舞は、ハンガーの階段の踊り場から、星を眺めて いた。
速水は声を掛けようとしたが、彼女の胸元に抱えられた白い帽子に、 露骨に顔を顰めた。
舞は速水の事に気付いていないのか、両手で来須の帽子を抱きなが ら、夜空を見続けている。
「舞」
出来るだけ感情を抑えながら、速水は舞に呼びかける。
「お待たせ。はい、どうぞ」
「…馳走になる」
礼を言って舞が受け取るのを見て、速水は自分も紅茶の缶を開けた。
ひと息に中身の半分ほど飲み干すと、ふう、息を吐く。
「……ねえ」
速水は顔を上げると、意を決したように舞の正面に立った。
「?」
突如迫ってきた相棒に、舞は紅茶を持ったまま動きを止める。
「僕じゃ…ダメかな……?」
「何…?」
「僕じゃ……先輩の代わりにはなれないかな?」
「……」
速水の言葉に、舞の瞳孔が開いた。僅かに揺らいだその表情に、速水は 心の何処かで満足感を覚えていた。
「…ずっと一緒だったから判るんだ。君がどれだけ強い人か。そして…同 時にどれだけ素敵な女の子か」
「速水…」
「いつか言ったよね。『君に相応しい男になってみせる』って。僕…これ でも頑張ったつもりだよ。だって…舞、君に認めて貰いたかったから」

速水は、当初舞の後ろ盾である芝村の権力が欲しくて、彼女に近付いて いた事がある。
だが、次第に舞の強さと優しさに惹かれていき、いつしか本気で彼女に 恋をするようになってしまったのであった。
舞が来須を選んだ時も、速水は悲しかったが、それでも彼女を想い続け ていこうと心に決めた。
恋人にはなれなかったが、舞は、その後も変わらず自分の事を、大切な 相棒だと認めてくれたからである。
それだけに、今の舞を見るのは辛すぎる。
来須を失って一番哀しい筈の彼女が、何故、ここまで自分の気持ちを隠 さなければならないのか。

「もう僕は…君にそんな顔をして欲しくないんだ」
「……」
「どうして君のような女の子が、そうやって哀しみを堪えなければいけ ないの?」
「速水……」
切ないほどの告白に、舞は胸が締め付けられるのを覚えた。
思わずこみ上げてきそうになる感情を、必死に抑え続ける。
「僕は、もう何もいらない。芝村の権力も、名誉も地位も。ただ…僕の 傍に、愛する人がいてくれれば……」
「──!」
「……受け止めたいんだ、君の全てを。僕の腕はあの人よりは小さいけ ど、それでも今なら、僕は舞を……」

刹那。
カシャン、と音がして、舞の持っていた紅茶が落下した。

踊り場で勢い良くバウンドした缶は、そのまま乾いた音を立てながら、階 段を落ちていく。
「舞…?」
速水から顔を背けて、舞はそれまで手に持っていた来須の帽子を、深々と 被っていた。
大きすぎるその帽子は、舞の表情を覆い隠す。
「…頼む……」
「…?」
「頼むから……それ以上は、言わないでくれ………」
両手で帽子を掴んだままの状態で、舞は声を震わせた。
「舞…」
「お願いだ、速水…それ以上は、決して言わないでくれ……頼む………」
「ま……」
「…許してくれ……後生だ………」
いつしか彼女の哀願は、涙声に変わっていた。帽子の隙間から見える舞の 頬には、熱い水の粒が零れ落ちていたのである。

漸く身に付けた恋人の遺品は、感情の吹き零れた自分の顔を隠す為であ った。
そのあまりの不憫さに、速水は舞から背を向けると、ハンガーの階段を 駆け下りた。


───そんな彼の走り去った後には、中味の零れた紅茶の缶が、所在無げに横 たわっていた。



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