『ぬくもり』



「…良かった。気を取り戻したんですね」
詰所で舞が目を醒ますと、そこには整備兵の田辺真紀と、教師の本田 が自分を見下ろしていた。
「──?私は……」
「バカ、動くな!骨がいくつかやられている!」
のろのろと身体を起こそうとした舞を、本田が制した。その途端、舞の 全身にいいようのない激痛が襲う。

仕事時間終了後。舞は、ハンガー内の階段を下りて1階へと向かって いた。
その時、たまたま1階にいた田辺の頭上に、士魂号のパーツが落下しよ うとするのを目撃したのである。
田辺に注意を促す暇がない事を悟った舞は、階段の手すりを飛び越え ると、何も知らずに立ちすくむ田辺を突き飛ばしていた。
どうにか彼女を危険から遠ざける事には成功したものの、続いて落ち てきた士魂号のパーツが、舞の背を襲った。あまりの衝撃に、息が止 まりかけた程であった。
呆然と自分を見返す田辺の、風に揺れる青い髪をぼんやりと眺めなが ら、舞は意識を手放したのであった。

「良かったぁ。本当に良かったぁ…」
割れた眼鏡を気にもせず、田辺は目を潤ませながら舞の傍へ歩み寄 る。そして、
「────!」
新たな衝撃が、激痛を通り越して舞に襲い掛かった。田辺が舞の身体 を力いっぱい抱きしめたのである。
それでも声ひとつ上げなかった自分を、舞は褒めてやりたいと思った。
「昔から…私を助けようとしてくれた人が、みんな大怪我して…それ でもし、あなたが死んじゃったらどうしようかと思って……良かった ぁ、本当に……」
田辺が身体を押し付けてくる度に、舞の身体の中でミシミシ、ベキバ キ、と歪(いびつ)な音が響く。
それを見て、本田が慌てて田辺を止めようとしたが、舞は、田辺の両 肩にゆっくり手を載せると、
「…そなたが無事で良かった」
ヘイゼルの瞳を細めながら、それでも舞は口元に笑みを浮かべて見せ たのである。
「漢だな…芝村。───女だけど……」
げっそりと呟いた本田の足元で、ブータがニャーとひと声泣いた。


来須は、胸騒ぎがした。
グラウンドでの仕事を終えた後、裏庭の方で何やらワイワイとざわめ きが起こっていた。
ゴッドスピードの異名を持つ新井木が、頼まれてもいないのに自分の 下へ走り寄り、教えてくれた情報によると、ハンガーの1階で、田辺 を庇った舞が、何故か突然落下してきた士魂号の部品の下敷きにな ったというのである。
詰所に運ばれて手当てを受けた舞は、その後家に帰ったというのだが、 彼女の身体が、無事でいられるはずがない。
虚勢を張っているが、舞は自分たち「第6世代」の身体とはつくりが 違うのだ。
校内をくまなく探してみたのだが、一向に舞の姿は見つからない。
『…人目を避けて帰ったのか』
舞が詰所に運ばれた時に、何故すぐに駆けつけなかったのか。
来須は自分の迂闊さを呪った。


詰所から外へ出た舞は、背中に嫌な汗をかきながら、それでも毅然とし た足取りで校門に向かって歩いていた。
『倒れるんじゃない。もう少し頑張るんだ。もう少し……』
額に脂汗が滲み出てきたが、舞は残された気力を振り絞って足を進め る。
本来なら、今の彼女は外に出られるような状態ではなかった。
数値に換算すると、体力・気力共に50未満という非常に危険すぎるパ ラメータなのである。
しかし詰所にいても、田辺のとばっちりを食らってロクな事にならない し、やせ我慢をして出て行った手前、戻る訳にはいかない。
「味のれん」はとっくに閉まっているし、今の気力では瞬間移動も無 理である。
せめて救急箱を持って出れば良かった、と少々後悔したが、ここまで 来た以上、もう後には引けなかった。
幸い他の仲間たちは、舞の様子に気付いていないようである。舞は、 極力人目を避けると、どうにか尚敬高校の校門まで辿り着いた。門の 手すりに手をつくと、荒い呼吸を繰り返す。

「…しっかりしろ、舞。こんな事位で『あの男』に見下されるのはイヤ だろう」

深呼吸をした時に、ズキリと背骨が痛んだ。思わず小さく悲鳴を上げた が、歯を食いしばって堪えると、宿舎のあるどぶ川べりの道へと再び 足を動かした。
いつもなら何でもない道のりが、随分と途方もないものに感じられる。
止まらない汗と、断続的に襲ってくる鈍痛に、流石の舞も限界寸前で あった。

………どれ位時間が過ぎたのだろうか、ぼやけてきた舞の視界に、見 慣れたクリーニング店の看板が映った。
ゼイゼイと息を鳴らしながら、舞はボロアパートの入口に向かった…つ もりであった。

「───ぁ…」
なけなしの気力もついに底を尽きたのか、不意に舞の足元が揺らぐ。
一度崩れた身体の均衡を再び戻す事は出来ず、舞はそのまま地面に昏倒した。


学校から駆け出した来須は、舞の後を辿るようにどぶ川べりの道を急 いだ。
程なくして、クリーニング店の前に人影が横たわっているのが見えて くる。
「───舞!」
駆け寄ると、来須は地面に倒れる舞の身体を抱き起こした。
軽く揺さぶりながら彼女の名を呼んでみるものの、意識を失っている 舞は、来須の声にも目を醒まさない。
舞の部屋に行くには、多目的結晶を用いた特殊なアクセスが必要だと 聞いた事がある。
かといって、このまま放っておく訳にもいかない。来須は舞の身体を 抱えると、学兵用宿舎の自分の部屋で休ませる事にした。ドアを開け て中に入ると、とりあえずソファに舞を下ろし、ベッドのシーツとカ バーを取り替える。
そして、汗と埃にまみれた舞の衣服を脱がすと、湯で絞ったタオルで 身体の汗と汚れを拭き取る。流石に下着は少々ためらったが、数秒考 えた後、やはり脱がす事にした。
一糸纏わぬ舞の裸体が、来須の眼前に晒される。
普段『私の胸は薄い』だの『私の身体で滾るのは、よほどの物好きか 特殊な嗜好の持ち主だけだ』などと、舞はため息混じりにぼやいてい たが、単に彼女の場合は小柄なだけで、見かけよりも着やせする体質 の持ち主であった。
「……」
来須は、極力舞の身体を見ないように作業を続けた。やがて汚れのす べてを拭い取ると、洗いざらしのシャツを着せて、その上から布団を かける。
微かに寝息を立てている舞を、来須はベッドサイドに腰掛けながら見 下ろす。

義姉共々、守護を命ぜられた芝村一族の姫君。
だが、その一族たちからもある種脅威の対象とされている舞は、たっ たひとりでこの世界で戦い続けていると言っても過言ではなかった。
自分の大切なものを守る為なら、例えすべてを敵に回しても戦う覚悟 を持つ少女。
そして、自分の生命よりも、己の武器である小太刀の重さを尊ぶ潔さ を併せ持つ、誇り高き騎士でもある。
そんな舞の生き方に、来須は心の底から尊敬し、又何処かで不憫に思 う時がある。
この哀しすぎるほど凛然とした主(あるじ)に、自分たちは…自分は 必要ないというのだろうか。
舞の寝顔を見つめながら、来須は胸の奥にくすぶり始めた複雑な想い に、片眉をしかめた。

その時。

「…く……」
僅かな呻き声を上げながら、舞が覚醒した。瞼が開き、その奥に隠さ れたヘイゼルの瞳が現れる。
「──気がついたか」
「…来須?」
頭上から見つめてくる青い瞳に、舞は思わず目を瞬かせた。
「…アパートの前に倒れていた。お前の部屋に行く方法が判らなかっ たから、ここへ連れてきた」
気の利いた言葉が見つからず、来須は舞に現在の状況を説明した。
身体を起こしながら、舞は来須の言葉に耳を傾けると、
「…そうか。すると、そなたは私の生命の恩人という事だな。迷惑を 掛けたようで、すまなかった」
僅かに苦笑しながら、ベッドの上から軽く頭を下げた。
「まったく…自分の身体ひとつ満足に操れぬなど、芝村ともあろう者が、 だらしない事この上ないな」
「──そんな事よりも」
舞の言葉を遮ると、来須は僅かに身を乗り出した。
「何故、あの時大人しく詰所で休まなかった」
「来須…」
「他人を気遣うのは悪い事ではない。だが、その前に自分の事をもう 少し気にかけたらどうだ」
「……」
たしなめる様に言う来須を、舞は数回瞬きをしながら眺める。
「お前は…他人(ひと)が思うほど、丈夫ではないのだぞ。虚勢を張 るのも程ほどにしろ」
「……すまぬ」
真剣な青い眼差しに、舞はもう一度頭を下げた。乱れた髪を軽く梳く と、その視線を正面から受け止める。
「…確かに、『存在』を育て上げる前に私に死なれては、すべての計 画が水に流れてしまうからな。その所為で、私の守護者であるそなた たちに累が及んでしまうのは、申し訳ないというものだ」
俯きながら自嘲気味に呟く舞の周囲を、大きな影が覆った。
顔を上げた舞の眼前に、珍しい男の表情が映る。
「どうした…?」
あからさまな怒りを孕んだ来須の瞳に、舞は僅かに瞳孔を開いた。

「───もう一度、同じ事を言ってみろ…ただではおかん」

常に寡黙で冷静な守護者の、初めて目にする感情を露にした表情が、 舞の網膜に焼き付けられる。
来須は低い声で呟くと、ベッドに上がった。舞の身体を跨ぐように 両膝を着くと、目を丸くさせた彼女の肩を鷲掴みにする。
「俺は、ただ上からの命令だけでお前に付いている訳じゃない」
両肩に込められた力に、舞は僅かに眉を顰める。
「……お前だからだ」
「来須?」
「お前だから…俺は……」
それぞれの瞳に、互いの姿が映し出される。
訝しげに見つめ返してくるヘイゼルの瞳に吸い寄せられるように、 来須は更に顔を近づける。
だが。
「……」
何処までも澄み切った舞の瞳に、来須は己を取り戻すと、ゆっくり と舞の肩から手を離した。
そしてベッドから下りると、
「──すまん……お前の身体が弱っている事を忘れていた」
眠ってくれ、と付け加えると舞から背を向けながら、寝室のドアを 開けた。
「…来須、」
凛とした舞の声が、来須の背に届く。
「俺は隣室にいる。何かあったらいつでも呼べ」
「……」
「それから……先程の言葉は本当だ。お前には、お前の事を損得な しに、心から案ずる者が存在する……それを忘れるな」
「───肝に銘じておく」
舞の返事を聞くと、来須は後ろ手にドアを閉めた。


だらしなくソファに身体を預けながら、来須は己の両手を見る。
彼女の肩に触れた時の体温と感触が、何故だか今でも残っているよ うな気がした。
「…舞。俺は、お前を守りたい……」
来須は、小さく呟きながらその手を握り締めると、自分の胸元に引 き寄せた。

窓に映る自分の姿を、舞はぼんやりと眺めていた。
「……」
寝巻き代わりに貸してくれたシャツに触れながら、やがて舞の手 両肩へと移動する。
「来須……」
手を載せるだけで、先程の彼の熱さと想いが甦ってくるような感 覚がした。
あの時。守護者である筈の彼に、不覚にもそれ以上の感情を覚え た。
自分の使命も何もかも忘れ、舞はひとりの女として、「彼」とい う男性を意識していたのである。
「私は主(あるじ)失格だ……来須…私は…そなたを……」
まるで何かを堪えるように、小声で自分の気持ちを吐露すると、舞 は己の身体を抱き締めた。



それぞれのあずかり知らぬ所で、ふたりは互いの『ぬくもり』を、狂お しいまでに噛み締めていた。



『銀舞同盟』の舞姫誕生日企画の際に、投稿させて頂いたものです。 (といっても、送信したのはつい最近。舞の誕生日っていつよ)
付き合うずっと前のふたりの話なのですが、果たしてテーマに相応 しいものかどうか、と首を捻りまくり。
──つーか、普通舞の誕生日記念に描くようなSSじゃないよ(汗)。
気に入っている話ではあるのですけどね……


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