『微妙な定位置』
(後編)



「あの戦闘力は、スカウトに欲しいくらいだな。パイロットにして おくのが勿体なさすぎる」
顎をしゃくりながら、若宮は眼下のふたりを面白そうに眺めて いた。
「スピードだけかと思いきや、パワーもある。あの来須を相手に、 決して引けを取っておらん」
「だ、ダメだよ!舞は僕のパートナーなんだから!」
それを聞いた速水が、慌てたように反論した。不満そうに若宮を 見上げてくる。
「何でだ?確か来須のヤツ、こないだ戦車技能を取っていたし、ふ たりをトレードするって事でもいいんじゃないのか?」
「それは面白そうですね」
若宮の言葉に、隣にいた善行が、わざとらしく眼鏡を動かして追随 した。
「善行さんまで!とにかく、絶対ダメですからね!遺伝子的にも何 もかも、僕と舞は最高の相性なんですから!……来須なんかよりも」
最後の科白は良く聞き取れなかったが、あまりの速水の剣幕に、若宮 と善行は半ば押された形で口を噤んだ。
すると。

「え───っ!?」
「お、おいおい嘘だろぉ!?」

突然ギャラリーから、これ以上ないほどのどよめきが上がった。
何事かと、皆の視線の先を追った速水たちも、思わず凍りつく。
僅かな隙をついて来須の脇に身体を入れた舞が、何と来須の身体を 持ち上げたのである。
自分の体重の2倍はある来須のベルト部分と上着を掴むと、そのまま すくい投げの要領で投げ飛ばす。
「チィッ!」
投げられた来須は、どうにか受け身を取ると着地した。そこへ、す かさず舞の追撃が襲う。肘からの一撃はかわしたが、そこから連続 できた裏拳までは防ぎきれなかった。
ガツ、と乾いた音と共に、来須の帽子が弾かれる。普段はあまり見 る事のない金髪と青い瞳が曝け出され、一部の女生徒からキャーと 黄色い声が上がった。
落ちた帽子を気にもせず、来須は構え直すと舞を見た。傍目には判 らないが、舞の呼吸が微かに荒くなっている。
そしてそれは、来須もまた同じだった。見た目よりずっと重い舞の 攻撃に、流石に体力を削り取られていた。

『次の一撃で勝負が決まる』
『これが最後だ』

舞のヘイゼルの瞳と来須の青い瞳が、互いを見詰め合う。
軽く呼吸を整えると、ふたりは最後の攻撃を繰り出そうと振りかぶった。 舞はその拳を、来須は己の利き足を。
軸足から腰を捻って、舞が拳を突き出そうとした時。

「ニャー」

緊迫した雰囲気にはあまりにも場違いな、のんびりとした猫の鳴き声が舞 の足元でした。否や、舞はぜんまいの切れた玩具のように、全身を硬直さ せてしまう。
「な…な…なな……ブ、ブータ?そ…そそそそなた、ななな何故ここ に…?…ぁ、あわわわ」
突如目の前に現れたブータに、舞は完全に冷静さを失っていた。
拳を握りしめたまま、視線はブータに釘付けになってしまう。
「───何処を見ている!」
「ぇ…えっ?」
来須の声を耳にして、舞がふと現実に戻った瞬間。

パカン。

……些か間抜けな物音を聞きながら、舞は地面に引っくり返った。
自分の所為とも知らず、突然倒れた舞を見て、ブータが不思議そうに ニャンと鳴いた。

「…ま、舞───っ!」
「し、芝村ー!生きてるかー!?」
唐突に終わりを告げた戦いに、数泊遅れてから周囲が騒ぎ出した。
「フフフフ。これは、中々の重傷のようですねぇ」
「詰め所に…運びましょう。…今は、死んでいるから…そっと…」
「ちょっと萌りん!勝手に先輩を殺人犯にしないでよぉ!」
様々な声が頭上から降ってきたが、舞には確かめる術はなかった。先 程まであれだけ動いていた身体が、ぴくりともしない。
「ああ、私は気絶しているのか」などと、普段の自分では絶対にしない 間抜けな考えしか浮かんでこなかった。
そうしている内に、視界も何もかもがゆっくりとフェードアウトして いく。


意識を手放す直前。
何故だか舞は、これ以上ないというほど慌てふためいた来須の顔を見 たような気がした。



「…フフフ。怪我の状況はズバリ、右顎から頬にかけての裂傷。及び、 目の周りの内出血です。残念ながら…いやいや、幸い脳の方には異常 はありませんでしたよぉ。オーノー!…ぐはぁ」
岩田のギャグ(?)に鉄槌をかますと、速水は詰め所の戸口に立つ来 須を睨みつけた。
「…最低だよ。いくら格闘戦だからって、ここまでする事ないじゃな いか!」
それを聞いた滝川が、抗議の声を上げる。
「勝ちは勝ちだろ?先輩は悪くないぜ。よそ見してた方が悪ぃんじゃね えか。でなきゃ、あいつなら避けられたと思うぞ」
「そーそー。悪いのは芝村じゃん」
来須の隣にいた新井木も、口を尖らせて滝川の意見に賛同した。
「今回ばかりは、私もお姫様の味方よ。来須くん、女の子の顔を蹴る なんて、ちょっとあんまりじゃない?」
「───気絶させるにしても、もう少し手加減するとか出来なかった のかよ」
原が腕を組みながら、来須に非難の眼差しを向けてくる。
原の剣幕に、若宮は肩を竦めながら来須に声を掛けた。
「手加減などすれば、俺がやられていた」
憮然とした声で、来須は短く返事をする。
「だが、俺が舞を傷付けたのは事実だ。その報いは受ける」
「来須…」
「せんぱい……」
来須は、詰め所のベッドで眠る舞を、帽子の影から眺めた。顔の右側 に大きく貼られた絆創膏と、目の周りの痣が何とも痛々しい。
そんな舞の傍らでは、事態を把握していないのか、ブータが気持ち良 さそうに丸まっていた。
「……まあ、その…何だ。取りあえず全員持ち場へ戻れ。一応、19時 までは仕事時間なんだからな」
詰め所を包んだ気まずい雰囲気を吹き飛ばすように、本田は一際明 るい声を張り上げた。
教官に言われた学兵たちは、それぞれの仕事場へと足を運ばせる。

「───ああ、来須。お前はいい。ここに残って芝村を看てろ」
どうせ駄目だと言っても聞かんのだろ?と付け加えられて、来須は小 さく頷いた。
「僕も残る」と駄々をこねている速水の襟首を掴むと、本田は詰め所 を後にする。
「おめーらの戦いは、凄く良かったぞ。たとえ他の連中が何を言おう と…な」
本田はニッと好意的な笑みを浮かべると、自分もまた詰め所の外へと 消えていった。


 「それじゃ…悪いけど……よろしく……ね…」
眠っている舞を配慮してか、衛星官の石津は簡単な掃除と備品の整頓 だけをすませると、来須を残して詰め所を出て行った。
何処に行くのだ、と尋ねると、若宮の手伝いをする、という返事が返 ってきた。
「手伝い…だから……大丈夫…よ……」
華奢な身体でスカウトの仕事が務まるのか、という来須の考えを見透 かしたように、淡々とした石津の言葉が聞こえてくる。
来須は帽子を被り直すと、ベッドで眠る舞の隣に腰を下ろした。
か細いが穏やかな寝息を立てている舞に、来須は小さく安堵の息を漏 らす。
「俺は守護者失格だな。守らなければならない筈のお前に、このよう な怪我を負わせるなんて……」
僅かに寝乱れた舞の髪を、片手でそっと掬い上げると、来須は瞳を曇 らせた。額に載せられたタオルを、冷水の入った洗面器に浸けて絞 り直す。
眠る舞の姿は、何処かあどけなくて無防備だった。
閉じられた睫毛は意外と長く、穏やかなカーブを描く眉が、普段とは 違った印象を与えていた。

騎魂号(複座型)を駆る電脳の騎士。
『姫君』と呼ぶにはあまりにも凛々しく、そしてあまりにも強すぎる 戦士。
だが、そんな彼女も小隊の他の連中と同じ14歳の少女である。
このような時でしかそれを認識する事が出来ずにいた自分に、来 須は不甲斐無さを感じていた。

「…っ」
その時。眠っていた舞が小さく身じろぎした。数呼吸置いて、ゆ っくりとその目が開かれる。
「───気が付いたか」
「あ…来須?…私は……!」
舞は、勢い良く布団から起き上がった……否、起き上がろうとしたが、 意識が覚醒した途端に傷が痛み出したようで、小さく呻くとへなへな と崩れた。
「…無理をするな。相当痛むのだろう…怪我を負わせた俺が、言うこ とではないがな」
来須は、絞り直したタオルを舞に手渡す。
「……ああ、そうか。私は負けたのだな」
タオルを受け取りながら、舞はこれまでの経緯を思い出していた。
朧気だった意識もはっきりしてきたようで、彼女を印象付けるヘイゼル の瞳が、いつもの輝きを取り戻している。
───ただし、右の瞳だけはいつもの半分しか開く事が出来なかったが。
「…すまなかった」
来須は舞を一瞥すると、頭を下げた。
「そなたは悪くない。優勝劣敗は勝負の理(ことわり)。そなたが私よ り、強かっただけだ」
「だが…」
「真剣勝負の最中に、他のものに気を取られていた私が悪いのだ。これが 実戦なら、今頃私は死体となっていたであろう」
来須の言葉を遮ると、舞は来須を見つめてきた。
「それから…そなたあの時に、咄嗟に蹴りの方向を変えてくれたであろ う?お陰で助かった。そうでなかったら、私の顎は砕けていた所だ」
「……」
そう言って微笑む舞に、来須は再び己の胸が高鳴るのを覚えた。

強く優しい自分の主(あるじ)。
だが、舞は別段自分や小杉の事を従者扱いはしていない。一族の会合に どちらかを伴って出掛ける事はあっても、普段の生活の中では、彼女は 自分たちの事を本当に大切に思ってくれている。
それでも。
来須の中では、もう少し舞に近付きたいという想いが日増しに募 っていた。
守護者としてではなくて、ひとりの男として。姫君でも主でも騎士で もない、舞というひとりの少女に。

「…来須?」
黙りこんでしまった来須を不審に思ってか、舞が軽く首を傾げてこちら を見つめてきた。顔の半分を絆創膏に覆われていても、彼女の瞳の輝き は、少しも損なわれる事は無い。
「…お前に言っておきたい事がある」
何かを決心したように顔を上げた来須は、舞の肩にそっと手を置くと、 来須は少しだけ彼女に詰め寄った。
「何か大切な話なのか?」
帽子の奥の真剣な眼差しに、舞は目を瞬かせる。
「お前は勘違いをしているが、俺は…」
「…?」
今まで口に出せずにいた想いの総てが、来須の頭の中を総動員して いた。
言えばいいのだ。たった一言「俺が好きなのはお前だ」と。
ところが。
「……」
言語中枢が麻痺してしまったのか、あるいは緊張しすぎたのか、来 須はどうしても、その先を告げる事が出来なかった。
肩に置いた己の両手を僅かに震わせながら、彼女のヘイゼルの瞳を 見つめ続ける。
と、

「…プッ」
少女の息を吹き出す音が、来須の耳に届いた。
「…うふふふ……」
続いて、無防備な忍び笑いが聞こえてくる。何処からしているのかと 来須が辺りを見回すと……
そこには、控え目に口元を押さえながら、顔を綻ばせている舞がいた。
「…何がおかしい」
「ぁ…」
来須の言葉に、舞は笑いを止めようとしたが、顔の筋肉を無理矢理引 き締めようとしても、中々戻ってくれないらしい。
「いきなり笑われるのは、いくら俺でも不愉快だぞ」

「…ご、ごめんなさい。だって、戦闘以外にあなたがそんなに緊張し ている顔を見るなんて事………はっ!?」

無意識に漏れ出た言葉に、舞は慌てて口を噤んだ。僅かに顔色を変え ると、
「───いや、すまぬ。…そなたのそのような顔を、戦闘以外で見る 事などないと思っていたからだな……」
取り繕うように、ぼそぼそといつもの口調で言い直す。
だが、芝村的な言動とは打って変わった、年頃の少女に相応しい舞の 表情と声は、来須の視覚と聴覚にしっかりとインプットされていた。
「お前…」
呆然と呟く来須に、舞は、暫し言い訳のようなものを口の中で反芻さ せていたが、やがてふう、と息を吐くと、困ったように笑った。
「…参ったな。これでも、かなり矯正したつもりなのだが…まさかそ なたの前で、このような醜態を晒す事になろうとは」
「舞……」
照れ臭そうに下を向く舞を、来須は無言で見下ろす。
「…何故だろうな。どういう訳だかそなたの前だと、私はつい芝村ら しからぬ自分が顔を出す時がある」
髪をかき上げながら、舞は来須を見る。常に凛々しい光を放つヘイゼ ルの瞳は、いつもより柔らかい色を帯びていた。
だが来須は、そんな彼女の瞳に少しも違和感を覚えない。
むしろ今の方が、何よりも『舞らしい』と思っていた。
「──どうかこの事は、勝吏や更紗殿には秘密にしておいてくれぬ か?あと、そなたにはすまぬが……」
「判っている」
舞の言わんとしている事を、来須は即座に理解した。
「…ふたりだけの秘密だな」
僅かに語気を和らげると、来須は彼にしては珍しく小さく笑いな がら、小指を舞の目の前に差し出す。
舞もくすりと笑みを返すと、来須の小指に自分のそれを絡めた。



仕事の終了まで、まだ時間があったので、来須と舞は詰め所から出 ると、互いの持ち場へと向かった。
ふたりとも、手合わせの後で疲れている筈なのだが、その足取りは、 誰の目から見てもとても軽やかであったらしい。
そして何よりも。

「…舞(来須)。何か嬉しい事でもあったの(か)?」

───時折、小指を見つめながら思い出し笑いをする相棒の姿を、速 水や若宮は訝しげに見つめていたという。


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