『寒く、暖かな特等席』


この冬は、幸太郎の一族が所有するスキー場とホテルで年越しをしようと、決めたは良いものの。

「スミマセン…本っ当にスミマセン、先輩!」
「…ねぇ。去年と違って、今の私はあなたの彼女でもあるのよ?いったい何処まで私を放置したら気が済むの?」

いつもつるんでる元子たちは、年末で実家に戻っているので、やっとふたりきりの休みを過ごせると思っていた のだが、こちらに着いてからというもの、真田家子息の帰郷を聞きつけた地元の人たちに掴まってしまった幸 太郎は、挨拶回りや接待に明け暮れているのだ。
地元や親戚がらみの様々な付き合いその他は、優子自身承知しているつもりだが、一緒の時間がロクに取れない 状態が続いては、優子でなくとも不機嫌になるのは無理のない話であり。
「今日は大晦日だから、カウントダウンスキーが出来るんですよ。その時は一緒にいますから…」
「ふーん…せいぜい、あてにしないで待ってるわ。でも、夜だと私、寝ちゃうかも」
「優子先輩〜…」
「それに何なのよ、いつまで経っても『先輩』『先輩』って!これじゃ、付き合う前とちっとも変わんないじゃない!」
「ご、ゴメン。優子ちゃん…」
「うるさい!幸太郎ちゃんなんか、もう知らない!あーあ、どうせだからゲレンデで新たな出会いでも探 してみようかしら?」
「えぇ!?そんなあ〜!」
情けない声を出す幸太郎を置いて、優子は腹立ち紛れにリフトに乗り込んだ。
振り返れば、自分の事を見守るようにしている幸太郎の姿が、小さく見えてくる。
「そんなに心配なら、一緒にくっついて来なさいよ。…バーカ」
寂しさを隠せずに呟いた優子は、それ以上幸太郎を見ないように顔を雪山へと向き直した。


その後、独りきりでコースを滑っていた優子は、休憩を取ろうと一軒のロッジに移動した。
何人かのナンパ目的の男をスルーしながら、食べ物を注文すると、席に着く。
「どうぞ、温まりますよ」
取り出した携帯から、親友からのノロケ全開写メールを見つけ、こっそり毒づいている優子の前に、主人と思し き初老の男性から、ホットティのグラスが渡された。
「え?あの。私、頼んでませんけど」
「当店からのサービスでございます。貴方様の事は、幸太郎様から聞き及んでおりますので。手前どもの都 合で、幸太郎様を引っ張り回してしまって、申し訳ございませんな」
好々爺の穏やかな笑顔を見て、優子は仄かに頬を染めると首を振る。
自家製の果物が入ったフルーツティの芳香と甘さを堪能しながら、優子は暫し主人の話相手となっていた。
「…そういえば、この山には昔から言い伝えがありましてな」
「言い伝えですか?」
「ええ」
主人の話は、次のような内容だった。

昔々、ある娘が、病気の母親の為に峠を越えんとした所、その娘の美しさに嫉妬 をした山神が、たちまち辺り一面を吹雪に変えてしまった。
このまま、雪山に倒れるかと思った時、娘の前に一匹の狼が現れた。
真っ白な胴体に、一箇所だけ模様のように散りばめられた赤い斑点を持つその狼は、怯える彼女を母親の待つ麓 へと送り届けてくれた。
月日が流れ、娘はひとりの若者と出会った。
口数は少ないものの、誠実な若者に惹かれた娘は、やがて彼と所帯を持ち一緒に暮らし始めたが、ある時亭主とな った若者の身体に、見覚えのある赤い斑点を見つけた。
若者の正体は、あの時の狼であった。
山神の使いだったその狼は、娘の容姿と心根の美しさのあまり、言いつけに背いて娘を救ったのである。
罰として神格を失い、人間に姿を変えられたかつての狼は、それでも大好きな娘と共にいられる事に幸せを感じ、 そして娘もまた、狼だった若者の優しさを知っていたので、あえて何も言わずに、そのままずっといつまでも仲睦 まじく幸せに過ごし続けたという──

「…随分単純なお話ですね」
「そうですか?でも、昔も今も、人の恋路と言うのは存外単純なものだと思いますよ」
トレイを片付けながら、主人は優子から離れると、思い出したように再度口を開いた。
「今夜は、冷えるかもしれませんね。年越しスキーに行かれるなら、温かくしてお出かけ下さい。さもないと…貴 方のような美しい女性は、山神様の嫉妬を買うかもしれませんよ?」
「えっ?…そ、そんな訳ないじゃないですか!」
含み笑いを零す主人に、優子が僅かに慌てながらも、主人の言葉をほんの少しだけ頭の中で反芻していた。


その後。
一度だけ抜けてきた幸太郎と、ホテルで夕食を取った優子は、ナイトスキーに出かけていた。
「絶対にカウントダウンには間に合わせます。約束しますから、待っていて下さい」
誠実な幸太郎がこの言葉を使う時は嘘がないので、優子はひと足先にリフトへ乗り込んだ。
どうせなら、あまり人の来ない所がいいと思い、上級者用のコースまで進むと、昼間よりも硬くなった雪にエ ッジを馴染ませる。
「うー…判ってはいたけど、やっぱり寒い」
吐息を白くさせながら、優子はグローブのまま両手を擦り合わせた。
周囲を見渡せば、熟練者と思しきスキーヤー達が、新年へのカウントダウンを心待ちにしている姿が目に映る。
当然、その中にはカップルらしき男女もいて、未だひとりである自分に、優子はほんのり寂しさを覚えていた。
「…バカ、幸太郎。さっさと来なさいよ」
愚痴っている間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。
やがて、あともう少しでカウントダウンという時。
「ねえ、あれ何だろ?」
スキーヤーのひとりが、コースの遥か上から何かが近付いているのに気付き、声を上げた。
つられた優子も視線を移すと、白い毛皮のようなものを纏った数人が、滑り降りてくるのを発見する。
松明を手にかざしながら、器用に斜面を滑走する彼らに、周囲からどよめきと歓声が起こった。
「そういえば、このスキー場、カウントダウンの時に民話に扮したスキーヤーが、アトラクションみたいなのやる って言ってたっけ…」
昼間聞いた話と、ホテルのインフォメーションを思い出しながら、優子がしみじみと眺めていると、

「そこの人、危ない!」
「──え?きゃ、きゃああぁっっ!?」

突然の呼びかけに反応する暇もないまま、優子は眼前に迫ってきた白狼姿のスノーボーダーに、その身を掬われた。
松明を投げ捨てた謎の白狼に、訳が判らず抱きかかえられた優子は、振り落とされたらとの恐怖から、ろくな抵抗も 出来ずになすがままとなってしまう。
「嫌!離して!……助けて、幸太郎ぉ!」
「はい」
思わぬ所から返った来た返事に、優子は自分を抱き上げている人物を見上げた。
そこにいたのは、白狼の毛皮を頭から被った、優子の良く知る年下の恋人が。
「無理を言って、参加させて貰いました。脅かせてすみません」
「な…ば、バカバカ!サプライズにも程があるでしょ!」
緊張が解けた途端、暴れ始めた優子の身体を、それでも幸太郎は難なく支え続ける。
少し進んだ辺りで一旦停止した幸太郎は、眼下に広がる夜景を、感慨深げに見下ろした。
その壮大さと美しさに、思わず優子も抵抗を止めて見入る。
「俺、いつもこれが楽しみで、ここに来るんです」
「綺麗ね…」
「良かった、気に入って貰えて。だって、俺……」
言いよどんだ幸太郎を訝しげに見る優子は、次の瞬間己の冷えた唇を、温かなものが塞いでくるのを覚えた。
「いつか好きな人と見ようって、ずっと決めてたから。貴方と一緒にそれが出来て、本当に嬉しいんだ」
「……」
その内に、カウントダウンを過ぎて新年を祝う声があちこちからして来たが、今の優子の耳に は、只のBGMにしか感じなかった。
ウエアに隠れてはいるが、顔どころか全身を赤くさせた優子を、いとおしそうに抱え直した幸太郎は、もう一 度彼女の唇を、今度はもう少しだけ深く堪能する。
「あけましておめでとう。民話の狼は、麓で娘を帰したけど、俺は、このまま貴方を連れてっちゃいま す。いいですか?」
「…うん」
「寂しい想いをさせてゴメン。落とさない自信はあるけど、しっかり掴まってて。…優子」
「はい。……幸太郎さん」
はじめて恋人の口から出た呼称を、優子は、彼の温かく逞しい腕の中でうっとりと聞き惚れていた。


その後、美しい娘を抱えた白狼は、従来のコースを外れ、何処ともなく去っていったという。
そして翌日、隣接するホテルのベランダには、見覚えのある毛皮と女性物のスキーウエアが、並んでかかってい たという噂が、あったとかないとか。


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