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HARVEST MOON ending |
「なんで黒羽まで在んだよ」 少しだけ憮然とした新一の声が、周囲に響いた。 蒼い闇に包まれた心地好い静寂の中。天空には、切り取ったような円い球体が綺麗に浮かんでいる。今夜は仲秋の名月だった。 「なんでって、名探偵に会いに」 工藤邸で月見と洒落ようと、言い出したのは服部だった。 結局服部は、月曜日に事件が解決しても大阪には戻らず、呆れる新一をよそに、週半ばの今日まで、工藤邸に居座っている。もう新一は文句を言う気も失せていた。言っても無駄だと学習したらしい。受験生が呑気だとは思うが、服部は何時だって自らの決断に対して責任を持つから、決めた事に口を挟んでも、無駄なのだ。 それを聞き付け現れたのは、同じ歳の稀代の怪盗である黒羽快斗で、隣家の灰原哀を誘ったのは、服部だった。、 「傷はもういいのかしら?泥棒さん?」 元々庭にあったガーデンパーティー用の椅子とテーブルに、服部の作った料理が並べられている。仲秋の名月に託けて、既に月見酒の様相を呈している中、哀が隣に座っている快斗に口を開いた。 「もうバッチリ、哀ちゃんのおかげで」 「……哀ちゃんはやめてちょうだい。貴方といい、西の探偵さんといい 思いきり渋面する哀に、きっと罪はないのだろう。 今年の初夏、つい2ヶ月前の事だ。服部が夜の買い物に出かけた際、手負いの怪盗キッドたる黒羽快斗を拾ったのだ。そうして哀が呼ばれた。 掠ったとは言え、銃創を持つ少年の傷を、医者に受診させるわけにはいかなかった。 だから哀が呼ばれたのだ。私は医者じゃないわ、科学者よと言う台詞は、聞き入れられる事なく、結局快斗の治療をしたのだ。そして更に完治した傷を派手に血塗れにさせたのは、そのすぐ後だった。 「仲秋の名月なんて、もろお前好みのチュチエーションじゃねぇか。おとなしく泥棒してろ」 月見団子を摘み、口にほうり込む。 「ひどい、名探偵。そんな事言うなんて」 「泣き真似してんじゃねぇ」 「工藤君、機嫌悪いのよ。折角の二人きりの逢瀬、私達が邪魔してるから」 シッと言っては、テーブルの上に置かれている銚子に手を付けた。 「灰原〜〜〜〜」 哀の台詞に、新一は睥睨する。 「目許染めて睨んでも、説得力ないわよ」 手酌で日本酒を呑み始めた哀は、クスリと笑う。 服部のおかげで、工藤新一が随分楽に呼吸出来ている事を、哀も快斗も知っている。 「コラお前等、何勝手に食べてんねん」 料理を室内から運んできた服部は、すっかり出来あがってしまっている三人の会話に、ガクリと肩を落す。 「服部〜〜肩落してもいいら、料理落さないでねぇ〜〜」 「黒羽〜〜押しかけたんなら、少しは手伝え」 どないな性格してんねん、ボヤきながらも、決して嫌がってはいない服部の声に、快斗は笑っている。 蒼い闇に差し込んでいる白い月の光り。室内に在っては感じ取る事のない月の光りが心地好かった。こんな風に、仲秋の名月を楽しむ事になるなど、出合った当初は予想もしなかった。それはきっと、此処に在る誰もが同じだろう。 稀代の怪盗と呼ばれる快斗は、探偵で有る新一や服部とは、対極に位置している存在だ。 「西の名探偵は、そんな調子で本当にT大、大丈夫なわけ?」 出された料理を頬張りながら、心配の欠片も浮かべてはいない快斗が、薄い笑いを刻みつける。 「なんで知ってるん?」 新一からお猪口を取り上げ、服部は怪訝に快斗を視た。その横で、お猪口を奪われた新一が、取り替えそうと手を伸ばす。 「そんなの言われなくても判るよ。探偵続けるなら、法律が必要条件だろ?」 「服部、返せよ」 「もうあかん」 隣から伸びて来る手を、綺麗に避ける。 「相変わらず、過保護ね」 「嬢ちゃんもやで。加減しぃ」 「哀ちゃん、結構行ける口?名探偵もさ、辛口好きでさ、案外笊、なんだよね」 「黒羽、自分人が居らん間、工藤に酒飲ませて宴開いてないやろな」 何で工藤が辛口好みな知ってんのや、服部は想いきり渋面し、快斗を見ている。 「してない、してない。もう名探偵ってば貞操堅くって、単身赴任の旦那居ないと、相手してくんないし」 ヒラヒラと手を振っては、服部の言葉を笑って否定する。 「適当な事言うな、出入り禁止にすんぞ」 なんとか服部からお猪口を取り換えした新一は、溜め息を吐く服部をよそに、軽口を叩きながら、ちゃっかり快斗にお酌をしてもらてってる。 「ひどい名探偵〜〜いつもそうやって苛める」 そう言いながら、新一に酌をしている辺り慣れたもので、服部はついつい疑いたくなった。 「いっつもってなんや、いっつもって」 手酌で酒を呑む仕草が妙に様になっている服部に、 「普段の生活が忍ばれるねぇ〜〜西の名探偵」 そう笑ったのは快斗だ。 「結局貴方達、花より団子の人間ね。月見なんて言って、月視てないじゃない。折角の『弄月』なのに」 そういう哀も、服部の手料理に舌鼓を打っている。 「こうして騒ぐのが宴の醍醐味だろ」 取り皿に盛られた料理に箸を付ける新一の横で、かいがいしく世話をやく二名に、哀は呆れて笑う。 「貴方達、過保護過ぎよ」 「そんな事ないよ、俺はフェミニストだから」 スラリと哀の前に両腕を差し出せば、なめらかな動きで手を開く。 「アラ、美味しそうね」 快斗の掌中には、いつの間に細工したのかケーキが一つ。 「でしょ?俺のお土産」 「コラ黒羽、デザート先に出すんやない」 確か冷蔵庫に入れて置いた快斗の土産のケーキは、米花駅前のケーキ屋で、新一も哀も好きなケーキ屋だ。 「でさ、本当の所、どうなのさ、西の名探偵は」 笑っている顔の裏に、真剣なものが見え隠れして、だから服部も軽口を叩きながら、話すのだ。 「大丈夫やろ、取り敢えず担任と進学担当者からは太鼓判貰ろうとるし」 「そういうお前はどうなんだよ、まさか高校卒業を転機に、副業に専念、なんて言ってみろ。この場でパクッてやる」 「現行犯逮捕が基本でしょ、名探偵。俺はね、まぁマジシャンに専念するよ。父親の後継いで」 父親の後。その意味を、きっと新一は判っているのだろうと、快斗は思う。 初夏に交わした会話だ。怖いくらいに澄んだ眼差しで、静謐に切り込まれた。きっと新一に切り込む意思など、存在していなかったに違いない。 『お前、怪盗してる理由、俺と同じか?』 背後に綺麗に隠してきた翼を、断罪もナニもない静謐さで、問い掛けてきた。 血にまみれた白い翼。夜目には眩しく綺麗に映るだけで、それは決して綺麗なものなんかではなかった。 『守ってやっから』 幼い子供の姿をして、けれど双瞳は怖いくらい深みを増して瞬いていた。 自分の血で汚してしまった小さい探偵の手。今でも忘れられない温もりが、確かに在る。 躊躇いのないその言葉に、瞬時には反応出来なかった。 きっと新一は気付いただろう。自分が怪盗をしている意味と理由。それでも何も言わず、それ以上言及もせず。 どうしてああも簡単に、隠している真実を見抜くのだろう、この稀代の名探偵は。 恐ろしい程真実を見抜いてしまうその才が、けれど新一に倖せをたらしているとは、到底思えはしなかった。 「下手打たんようにせぇよ」 「止めない所が服部だよ」 普通止めるだろう。仮にも東西の名探偵二人だ。 「止めて止まるくらいなら、最初からせぇへんやろ。まぁ精々俺等以外に掴まるアホは、曝すなや」 「アレに懲りて、被弾するなんて真似は、やめるのね。都合よく、治療できるとは限らないんだから」 「なんかさぁ〜〜」 変わってるよ、とは口に出さない。けれど悪くはない空間と感触だと、そう思えた。 そんな時だ。一斉に周囲の空気の気配が変わった。 「なんだ?」 誰もが肌身に伝わる感触に、訝しむ。そんな中、服部と快斗の行動は素早かった。 服部と快斗は、新一の両側にピッタリと立ち尽くし、ガードしている。 「貴方達、サイテーね。フェミニストなんじゃなかったの?」 薄く笑う哀に邪気はなく、呆れている。 「お前ぇら、鬱陶しい」 ピッタリと左右からカードされ、いい加減ウンザリしている新一だった。 「誰や」 服部が周囲を窺い、鋭い声を放つ。こんな時、開放的な笑顔が印象的な服部の表情は一遍する。 「姿見せ」 周囲の樹々がざわつき、肌身に伝わる感触が異質を訴えている。けれどソコに邪気はなく、奇妙な異質感だけが伝わってくる。 「エッ?」 愕然としたのは新一と服部だった。 「香…ちゃん……?」 まさかと、新一も服部も互いに顔を見合わせ、そうして現れた小さい少女に焦点を絞る。 蒼い闇の中。ソコには確かに、検死写真の中でしか見る事のなかった、佐々木香の姿が在った。 「なんで……?」 探偵をしている二人は、けれどこんな事態に遭遇した事は一度もない。けれどそれは不思議と恐ろしい感触や気配を、伝えてはこなかった。 「佐々木香ちゃん?」 新一は、ガードする二人からすり抜けて、現れた小さい少女の前で膝を折る。 目線を合わせ話す声に、背後の闇が透けて見える少女は、確かにこの世の者ではない事を物語っていた。けれど怖くはない。 「何か、伝えたい事あるの?」 新一の声は、何処までも柔らかい。その新一の背後に、服部と快斗が並び立つ。哀は相変わらず平然と、そんな三人を眺めている。 新一の台詞に、少女はニッコリと笑った。笑い、 『ありがとう』 声なき声が、そう語ったのが誰にも判った。 「逝くんやな?」 服部の台詞に、またニッコリと笑う。あどけない笑顔だと思う。失われてしまった笑顔。 もう二度と、巻き戻らない時間。 「じゃね、ハイ。女の子の一人歩きは寂しいから」 快斗が何処からともなく、季節外れの霞み草の花束を取り出すと、持てるかな?そう言いながら、差し出してやると、 『ありがとう、お兄ちゃん』 ソレは小さい手に収まった。 ニッコリと笑い、消えていく少女。快斗の渡した小さい白い花が、月の光りを映して消えて行った。 『ありがとう』 最期に幼い声が聞こえた。 「何や、狐に化かされた気分やな。こんな事始めてや。工藤、お前ちょくちょくあるんか?」 暫く呆然としていた三人は、漸く落ち着きを取り戻し、元の椅子に座わり直す。 「ある訳ないだろ。初めてだよ」 「名探偵〜〜今度お祓い行こうよ〜〜事件の度に懐かれてたら、とんでもない事になるよ」 「そや、ウチは由緒正しい真言宗や。頼んだるで」 「……裏高野とか…呼んじゃダメだよ服部」 「……黒羽、漫画の読み過ぎや」 「ありがとう、そう言ってたわね、あの子」 冷静な哀の声が、響く。 「今回の事件、下手したら幼児虐待って事で片付けられてた可能性だってあったんでしょ?違う事を見抜いたのは貴方達でしょ?だからお礼言いに来たんじゃない?母親に自分の声を届けてくれた貴方達に」 不思議じゃないわ。そういう哀に、三人は瞠然となる。 「へぇ〜〜灰原も女だったんだ」 「嬢ちゃんも、案外かロマンティストなんやな」 「俺てっきり、非現実的って笑うのかと思った」 「貴方達が、常日頃、どういう眼で私を視てたか、よく判ったわ」 「でも、嬢ちゃん言うん、間違いないやろな。あの子、工藤に礼言いに来たんやな」 「ちゃんと声聴いてくれたってね」 誰かが幼い声を届けてくれなければ、母親である佐々木典子は後悔したまま生きていかなくてはならなかっただろう。それを救ってくれたのは、新一だった。 「良かったわね」 労りを帯びた柔らかい声は、確かに哀が年上なのだと思い出させる。 「俺は…別に何もしてないのに…」 少しだけ、慄える声をしている。俯く顔は、長い前髪に隠され、見る事はできない。 けれどどんな表情をしているか、三人には判っていた。 「してなくないやろ?ちゃんとあの子の最期の声、聴いたったやないか。工藤だけやで、聴けたんわ」 サラリと、慣れた仕草で髪を梳いてやる。 「人前ですんな、言っただろ」 バーローと悪態を付き、それでも手は振り払われない。 「魔法よ」 「哀ちゃん?」 「月の魔法。今夜は仲秋の名月。魔法の一つくらい、使えるのかもしれないわよ」 「らしくねぇの」 新一は顔を上げ、柔らかく笑い。 「本当に伝えたい言葉を、本当に伝えたい人に、本当に伝える時に、伝える事は難しいわ」 「そうだな、難しいよな」 「言葉は、難しいよ」 「せやな」 だから、必要な時、必要な言葉を惜しんではならない事を、四人は知っていた。 「来年もさ、こうして月見しようよ、四人で。服部も、来るんだし。どうせ工藤邸に転がり込むんだろ」 「俺は許可してない」 快斗の断言に、けれど新一は途端に憮然となる。 「ねぇ名探偵さ」 生真面目な快斗の声に、新一はキョトンと小首を傾げて視線を移す。 「どれだけ事件で走っていっても、此処に還っておいでね」 「?あったり前だろ?此処俺の家だぞ。他に帰る場所なんてねぇよ」 新一の台詞に、彼以外の人間がガクリと肩を落す。 「工藤お前、やっぱ現国不自由やろ」 「なんなんだよ、お前ら、俺の家は此処だぞ。何訳判んねぇ事言ってやがる」 「服部さ〜〜ん、名探偵、おもいきり現国不自由?」 「不自由よ、それで順位下げてる人だもの」 「言葉は難しい、いい見本が居るやろ」 「なんなんだよ、お前ら」 三人で判り合ってしまっている様子に、新一は憮然とする。 「そのままでいてね、名探偵はさ」 「さっきから訳わかんねぇ事言うな」 自棄だとばかりに新一は手酌で日本酒を呑み出している。 「工藤の現国不自由なんは、変わらんやろな」 深々溜め息を吐き出すと、新一の手からお猪口を取り上げる。 「服部って、案外大変なんだ」 見直しちゃったよ、言外に被せられた言葉に、服部は肩を竦め、 「せやろ?」 「お前等二人で、判りあってんじゃねぇ」 お猪口を取り上げられてしまった新一は、大皿に盛り付けられている料理に箸を伸ばし普段にはない食欲で、服部の手料理をパク付き始めている。 「工藤君は、工藤君だって事よ」 「なんだよソレ」 余計判らねぇよと、新一は首を傾げた。 「貴方が貴方だから」 天の才が、決して新一にとって幸福をもたらしているとは思えない。それでも、聴く事も、視る事もやめない新一の魂が綺麗だと思う。 「来年も、できたらいいわね」 こんな風に四人で騒ぐのも、たまには悪くないのかもしれない。 「したらええやん。こうして集まって」 先の事は誰にも判らない。新一はその時、どうしているだろう?さんな不安が服部や快斗の胸の裡には存在していた。 「んじゃ服部幹事ね」 「コラ黒羽、次はお前やれや」 「んじゃ俺のマジックショーやってあげる」 「中森警部、呼んどいてやるよ」 「名探偵〜〜」 「いつまでも戯れてると、料理なくなっちゃうわよ」 彼の料理美味しいしと、哀は珍しく食欲を見せている。 「喪失えんといてな…」 「ん?なんか言ったか?」 隣でかいがいしく世話をやく快斗をよそに、新一は耳を掠めた声の主に振り返る。 声は小さくて、言葉として聞き取れなかった。それでも、自分を見詰める眼差しが切なげな事に、新一は気付いていた。 だから伝わる筈だった言葉は、きっこんな言葉だったのだろう。 新一は、静謐な笑みを見せると、 「此処に在るよ」 小さく潜められた声は、服部にだけ届く。 「工藤……」 小さい小さい声に、服部は泣き笑いの貌を浮かべた。 「来年も、こうして騒ごう」 不確かな約束かもしれない。けれど今はそれだけでいい。 誰にも未来は不確かで、けれど、愛されている事は判るから。大切な人達に囲まれて、それだけで強くなれる。 「せやな」 新一の淡い笑みに、服部は笑う。 月の魔法だと哀は言った。仲秋の名月の魔法。だったら叶えてほしい。たった一つの願いと祈り。 『力を……』 見守り続けていく強さと勇気を。かの人の笑顔を見守り続けていく為の強さを。 天を仰げば、蒼い闇に、切り取ったように浮かぶ白い月。 静謐な光が、静かに地上を見下ろしていた。 |