snow white

act2


星の引力と共時性

東の名探偵の日常茶飯事










 服部が出迎えリビングに通した人間は、蘭と和葉だった。リビングに通された二人は、ソファーに腰掛け、再びテレビのリモコンをいじってチャンネルを回していた快斗に気付き、蘭は『アッ』と、声を上げた。
「いらっしゃい」
 そんな蘭に、快斗は声を掛ける。
「お前の家ちゃう言ってるやろ」
 何がいらっしゃいやと、服部は蘭に肩を竦めて見せる。
「こんにちは、確か、黒羽さんでしたよね?」
「お前も蘭ちゃん見習って、挨拶くらいせぇ」
 蘭の隣にたたずんでいる幼馴染みの和葉に、服部は声を掛けると、和葉は半瞬服部を睥睨し、次には蘭に倣って頭を下げた。
「夏会うた時も思ったけど、工藤君に似てるなぁ」
 とは、和葉の台詞で、マジマジと快斗を凝視している。
「そんなに似てる?言われる程、似てるとは思ってないんだけど」
 和葉の不躾な視線に気分を害した様子は見せず、快斗はソファーに腰掛けたまま、にこやかに和葉に口を開いた。そんな快斗を視て、『営業用スマイルしくさって』と、内心呆れている服部だった。
「ア、気にしてたらゴメンネ」
「私も最初は、似てるって思って喫驚したもの」
 無理ないわよ、蘭は笑う。
夏に新一が発作を起こし、見舞いに来た時、蘭と和葉は快斗に会っていた。その時も思ったけれどと、蘭は思う。
 自分より、ずっと幼馴染みの家に馴染んでいる。きっと何気なく『いらっしゃい』と言う言葉が口を付いてしまう程、慣れてしまっているのだろうと思えば、もう修復のきかないだろう距離を思った。
 幼馴染みは何処まで言っても幼馴染み。一歩を踏み出す勇気がなかった自分は、結局新一にとっては、幼馴染みでしか有り得ないのだろうと、蘭は何処か諦めに似た思いが、苦く胸を迫り上がってくる気分だった。
 人が親密になるのに必要なのは、重ねた時間ではないのだと、思い知らされた気分だった。蘭にとって、今まで新一に想いを寄せる女性に勝っていると思ったのは幼馴染みと言う時間で、けれど服部や快斗を見ていると、そんな事は無関係だと言われている気がした。新一が、服部で出会ったのは遠くない過去だ。けれど今では同居してしまう程仲がよい。そして新一と何処か似ている黒羽快斗は、どういう関係なのだろうかと思えば、判らない。
「新一は?未だ帰ってないの?」
 苦い何かを飲み下し、蘭は室内を見回し、新一の姿がない事に、口を開いた。
「未だって、蘭姉ぇちゃん、工藤に会うたんか?」
 新一がコナンだった当時、通い慣れてしまった毛利探偵事務所の一人娘を、服部は癖なのだろう、未だ『蘭姉ぇちゃん』と呼んでいる。さした違和感もなく呼ばれるから、蘭も気にしている様子は微塵もない。
「ううん、新一のいつも買ってるミステリーの新刊、毎年この時期発売なの。だから多分ね、そうだと思ったんだけど」
「ビンゴや。そろそろ帰って来る思うんやけどな、今珈琲淹れるから、座っててや」
 リストウォッチに視線を移せば、もう4時を回っているから、確か新一が本を買いに行くと家を出たのは2時近くで、入れ違いに快斗が来たから、3時間近く経過している。
「にしても、ちょい遅いかな?」
 やっぱつまんないなぁと、リモコンを切ると、快斗はリストフォッチに視線を移して独語する。
「新一の事だから」
 本屋に行ったら、平気で一日時間を潰せてしまう幼馴染みは、それで待ち合わせを遅れた事は少なくはない。そしてよく口喧嘩をした事も、今では懐かしい。さした時間は経ってはいない筈なのに、そんな些細な事も随分昔のように思えた。
「ねぇ平次達は、今年のクリスマスどないするん?」
 蘭の隣に腰かけ乍ら、珈琲を淹れ戻ってきた服部に和葉が口を開いた。
「俺ら此処でパーティーやで」
 トレイに載せたカップをそれぞれ差し出してやると、快斗の横に腰を下ろす。
「そっか…」
 明らかに落胆した少女達の様子に、
『モテるねぇ、服部さん』
 快斗はこっそりと耳打ちしては、服部に睥睨されて、大仰に肩を竦めて見せた。
「二人は、大学の友達らと、パーティーか?」    
 二人が今日、何をしに来たのは、今の会話で判ってしまった服部は、内心で深い溜め息を吐き出した。
 予告なく訪れた二人を迎えた時から、薄々気付いてはいた事だったけれど。 去年のクリスマスは、新一と初めて二人だけで過ごしたイヴだった。恋人同志になって初めてのクリスマスは、特別な意味を持っている。今までなら、近しい友人達し、馬鹿騒ぎをする日、くらいの認識しかなかった服部は、けれど去年から、クリスマスの意味は趣を変えた。そして今年は快斗と哀と、四人で過ごす予定になっている。此処に彼女達を参加させたら、きっと新一が疲れてしまうだろう。新一は、幼馴染みの涙に弱い。それは心配を掛けたくはないという肉親に近い情なのだと判っている。だから尚、パーティーに、彼女達を誘う事は躊躇われた。
 だから傷つけると承知して、こう訊く事しかできなかった。視界の端では快斗がニヤリとした笑みを浮かべ成り行きを視ているのに、腹立つ奴っちゃなと、内心毒付く服部だった。
「パーティーせぇへん?」
 それでも和葉は、服部の内心を正確に読むように、そんな誘いを口にする。何処か切羽詰まった感触のする幼馴染みの貌に、服部はますます溜め息を吐いた。
 そろそろちゃんと答えを出すべきなのだろう。たとえ告げられる想いはないとしても。
『好きな奴ができた』言葉にすれば簡単だけれど、幼馴染みの思いも判っているから、告げてしまえば、いらない詮索をされる可能性は否定出来ない。
「悪いな、先約ありでな」
「工藤君だけちゃうん?」
 もう修復のきかない距離を見せつけられるのは、夏からずっと付き纏って、拭いる去る事はできない。そうと知れば、ますます幼馴染みに異性を感じてしまう悪循環を、意識せずにはいられない和葉だった。
 此処最近急速に深みをました鋭角な造作は、ますます異性を見せつけられて、和葉はどうにもならない想いが腹の裡で澱んで行くが感触に、苦いものを感じずにはいられなかった。
「コレも一緒やし。他に何人か居るしな。男同士派手に騒ごうって、言ってるんや」
「可愛い子は大歓迎だけど、男同士っていうのもいいんだよね。なんなら服部だけ持ってっていいから」
 ケラリと、快斗が茶化して話しを混ぜっ返す。
「黒羽、余計な事いんなや」
「俺的には、その方がラッキー」
「ラッキー?」
 男同士で何がどうラッキーなのか?蘭と和葉は半瞬互いに顔を見合わせた。
「仕方ないね、まっそうかなって思ってたから。私達も園子と三人で、過ごす予定なの」  だから気にしないでと、少しだけ力なく笑う。 
「ほんま、平次、東京きてから、付き合いわるいわ」
 和葉は、そんな言葉で服部への想いを悪態を付いて口にする。
「それはそうとさ、ちょっと遅くない?」
 快斗はリストウォッチをトントンと示し、服部に問い掛ける。
「そやな、すぐ帰る、言うとったんやけど」
「携帯、鳴らしてみなよ」
「新一なら、本屋行ったら、時間忘れちゃうの、結構多いわよ」
「せやけどな……」
 もう時刻は5時を回りつつある。早く帰ってくるから、お茶の準備をしておけと言ったのは新一の方だ。心の余裕を失わない為に、一息付くお茶の時間は大切なのだと、母親の受け売りだと、力説していたのは新一だったから、お茶の準備をしていて帰ってこないという事は、考えにくかった。と言う事は、新一に限っての可能性は、一つだけな気がした。
「引力って、怖いからさぁ」
「引力?」
 快斗の独語に服部は攅眉し、和葉は首を傾げて快斗を視た。
「そぉ引力。凄いんだよねぇ」
 俺なんて、もぉ散々に引っ張られまくっててさ、と快斗は意味深に笑う。
「下手言うとるんやない。お前の悪いところは、口の軽さや」
 肝心な時に限っては、とことん口が堅いくせに、こうした軽口は躊躇いなく叩ける快斗だった。
「美味しそうな木の実、食べてるかもよ」
 真実と言う名の果実。知恵と言う名の罪の実。真実の眠る深淵に飛び込んでいく星。
引力だからなのか、稀代の名探偵の新一は、日常茶飯事的に、事件に引き寄せられていく。
 生涯、犯罪に関わる事なく平穏に過ごしていく人間も在るというのに、一般人である筈の新一が、偶発的に巻き込まれる確立というのは、統計的にはまったく当て嵌らない事になる。新一一人で、その確立を上げている気さえなってしまう服部と快斗に、きっと罪はないだろう。
「なんやの二人共」
 全然判らない会話をして納得している二人に、和葉も蘭も、もう入り込めない距離を意識しない訳にはいかなかった。
「例え悪すぎや」
 快斗の台詞に溜め息を吐くと、服部はテーブルに投げ出している携帯を手にとろうとした時だった。玄関のベルが鳴った。
「なんや今日は、客の多い日やな」 
 服部は携帯を手にすると、
「お茶冷める、言うとけ」
 快斗に放り投げ、自分はそのまま玄関へと向かう。
快斗が短縮ボタンを押そうとした時に、無機質な電子音が鳴り響いた。着信を見れば、新一からで、快斗は通話回線をオンにする。
「もしもし……ヘッ?」
 オンにし、携帯の向こうから響く声に、快斗は半瞬キョトンとした顔をした。次には、
「遅くなる?」
「どないした?」
 快斗の、素頓狂とも悲鳴とも言える声に、服部は玄関に行き掛けた足を止め、振り返る。
「って、今何処?ちょと名探偵、場所は?迎えに行くから」
「貸し」
 快斗から、携帯をひったくる威勢で携帯を取ると、
「工藤、どないした?今何処や?」
 服部の横で、快斗も携帯に耳を寄せている。その緊張を湛えた二人に、蘭はやはり自分では共有できない新一のナニかを、二人は共有しているのだろうと思った。そして和葉は、新一にだけ向けられる服部の気遣いとも、それだけではないナニかを感じ取っていた。 その時に、再び玄関のベルが鳴った。服部が無言で玄関を指差すと、
「迎えに行くから、場所ちゃんと訊いときなよ服部」
 まったくアノ人、相変わらず要件だけで済ますの、どうにかなんないのかね、快斗は内心で新一の余りに他人事のような台詞に溜め息を吐き出し玄関へと向かった。

 






「ハイハイ、今開けます。そう何度も鳴らさないでよ」
 横着に応えて玄関を開くと、
「助けてっ!」
 歩美達チビッコ探偵団の子供達が、玄関に雪崩れ込んでくる威勢で駆け込んできた。
「ちょっ…オチビちゃん達、助けてって……」
 突然雪崩れ込んできた子供三人に、快斗は眼を丸くする。
思ってもいなかった来訪者だ。『助けて』と、雪崩れ込んでくるのは尋常ではない。が、歩美の悲鳴のような声と、小さい手にハンカチに包まれ抱かれている小さい生き物を眼にした時、事態を悟った。
「ヒデェ……」
 歩美の小さい手に大切に抱かれているのは小さいネコ。それも血塗れのネコだ。
快斗は慌てて歩美の手から仔ネコを引き取ると、素早くネコを観察する。
 出血部位は腹だった。仔ネコは腹を抉られているらしく息も浅い。至急手当てをしなければ助からないのは、誰の眼から見ても明らかだ。
「どうしたの、この仔……」
 自分が縫合するには、傷は深い。浅い傷なら縫合できる手腕を快斗は持っている。が、手の中のネコは、自分の手に負える状態を明らかに脱している。専門家の腕が必要だった。
「後で理由訊くとして、服部ッッ!」
 幼い子供達が、自ら仔ネコを傷付ける筈はない事を、快斗はちゃんと知っている。彼らはチビッ子探偵団で、コナンだった新一の心の支えで、そして今も新一が大切にしている幼い友人達だ。傷の状態を見ても、偶然有り得ないだろう。明らかにネコは、意志を持って腹を抉られている。人の手によって。
「なんや黒羽、工藤迎えに行くからお前……」
 っと、玄関先に顔を覗かせた服部の口は、其処で停止する。その後ろには、蘭と和葉も立っている。
「キャアっ!」
 快斗の手の中の血塗れのネコに、蘭が驚いて悲鳴を上げる。
「ひどい…どないしてん、そのネコ…」
 蘭の悲鳴と相反し、和葉は冷静にネコを視ている。多少顔は引きつっているものの、父親を大阪府警刑事部長に持ち、服部にくっついて事件現場に足を向けている和葉は、そういった類いのものは、蘭より見慣れているのかもしれない。
「私達、ネコ苛めてる人見て、助けたら、この仔血流してて」
「兄ぃちゃん達、探偵だろ、助けてやってくれよ」
「お願いします」
 探偵だから助けられるいう理屈は、流石に快斗や服部には判らなかったが、幼い子供達が、必死なのは痛い程に判る。
「コナン君なら、きっとこんな時、すぐこうした方がいいって、教えてくれると思ったら、私、新一お兄ぃちゃんなら、助けてくれるかもって」
 しゃくりあげる歩美は、確かに眼を持っているのだろうと、服部と快斗は半瞬顔を見合わせた。
 子供でも女は女。そういう事なのかもしれない。
コナンは新一の遠縁で、今はアメリカに在る両親の元に帰った事になっている。けれど歩美は、身の裡の何処かで、理解しているのかもしれないと思う。
 大人は理屈で物を考える。けれど子供は理屈ではなく、ごく単純に、あるべき事実を指摘できる事がある。理屈を語る言葉を持ち合わせないからこそ、ある意味で、隠しているものが見えやすい。それ以前に、きっと彼らは、今でも遠く離れてしまったコナンと言う子供を、友人として大切にしているのだろう。だからこそ、此処に駆け込んできたのだろう。その想いが、服部にも快斗にも、痛い程嬉しかった。
「判った、俺腕のいい獣医知ってるから」
 それは嘘ではなかった。どっちが本業か判らない快斗は、マジシャンとしても、怪盗としても、鳩を飼っている。だから獣医に知り合いはいる。けれど場所が離れ過ぎている。仔ネコの状態を観ても、そこまで悠長にしてはいられないから、快斗が駆け込む先は、当然一つしかなかった。
「大丈夫、とびきり腕のいい先生だから」
 大丈夫だよと、歩美の頭を撫でてやると、歩美は泣き濡れた眼で快斗を見上げ、『本当に?』としゃくり上げた声で尋ねると、快斗は『大丈夫』と、念押すように笑ってやる。
「取り敢えず、俺はこの仔連れてくから。服部は名探偵迎えに行ってきてよ」
「ちょぉ遅ぅなるかもしれへんで」
 なんやややこしい事に、首突っ込んだらしい新一の電話での様子に、おとなしく本も買い物できへんのか?内心でつい溜め息を吐いてしまう服部に、きっと罪はないのだろう。
「取り敢えず、和葉ら、こん子らに、ちょぉお茶でも出してんか?黒羽、事情聴取、お前に任せたるから、きっちり訊いとけや」
 既に玄関から姿を消している快斗の後ろ姿に、声を掛けると、
「了解っ」
 叫んだ快斗の声は、門を出て、見えなくなった。
「あのネコは大丈夫や。ごっつ腕のええ医者知っとるから。あいつが帰っくる間、ちょぉ此処でお茶でも飲んで、待っといてな」
 歩美の頭をグシャグシャと撫でてやると、
「ネコちゃん傷つけた犯人、見つけて下さい」
 波濡れた、けれど強い意思を表す歩美の必死の表情に服部は頷くと、
「後頼んだで」
 和葉と蘭に後を頼むと、服部は玄関を飛び出すと、車庫に入れてあるバイクで飛び出していった。
 バイクで飛び出していった服部を見送る和葉は、なんともいえない眼をしている。その眼差しの意味に、気付かない蘭ではない。きっと自分も同じ眼をしているだろうと判っていた。
「入ろっか、今あったかいココア、淹れてあげるネ」
 蘭は歩美達を室内に招き入れると、玄関に立ち尽くしている和葉の薄い肩を叩くと、和葉は、泣きそうな表情をしていた。








「なんやネコに縁のある日やな……」
 新一から電話を受け告げられた場所は、工藤邸からさして離れてはいなかった。徒歩にしたら、20分程度だろう。
 服部は、要件だけ言って切れてしまった携帯に何事かと思ったが、駆け付けた住所は普通の民家で、玄関チャイムを鳴らして迎え入れられ客間に通されれば、子供と笑って話しをしている新一がいて、心配と不安が一挙に脱力となって服部を襲った。
 新一は、書店からの帰り道、歩道に飛び出した少女を助け、少女の家にタクシーで連れて行かれたのだ。
 母親は申し訳なさそうに娘を助けてくれた事に礼を言い、その為に怪我をした新一に詫び、少女は新一にその経緯を話した。
「工藤、ほんま怪我ないんやろうな」
 結局は、少し考えたいからと、歩いて帰る羽目になった服部は、今バイクを引きずって歩いている。
 隣を歩く新一に視線を映せば、相変わらず涼しげな横顔は、左頬にかすり傷を負ったからと、小さいバンドエイドが貼られていた。後は指先に擦りむいた後があったが、それは消毒されて大丈夫だと、服部の心配をよそに、何でもないように告げる新一だった。
「アア、かすり傷程度だよ、心配性」
 新一はこっそりと溜め息を吐く。
 心配させる事が判っているから、電話をしたくはなかったのだ。けれど電話もなしに遅く帰宅したのでは、帰ったら何を言われるかも判らなかった。服部を心配させているのは全部自分の躯の事があるからだと自覚している新一は、だから溜め息を吐かずにはいられなかった。
「帰ったら、嬢ちゃんに診察してもらうようやな」
「なんでいちいちあいつの診察受けるんだよ。絶対ぇ嫌だね。第一今灰原、その歩美達の拾ってきたネコの手当てしてんだろ?」
 自分を迎えにきた服部は、通された客間の扉に、縋りつかんばかりに脱力していた。相当心配させた事は判る。けれどだからといって、哀に診察をされなければいけない程の怪我など負ってはいない。過保護にも程があると、新一は少しだけ憮然となった。
「ひどかったで。腹裂かれてたわ」
 快斗の掌に乗っていた小さいネコ。流れ出ている澱んだ血液。
「助かるのかよ……」
 新一は繊眉を顰め、服部を視た。
「黒羽は、大丈夫って、チビっ子らに念おしとったけどな……」
 動物を扱うには、快斗の方が手慣れているだろう事を服部は判っている。が、あの場での台詞は、歩美達を安心させる為だけのもので、本当はどうだかは判らない。
「なんでネコの腹なんて裂く必要あるんだ……?」
 動物虐待は、エスカレートする傾向にある。そして残虐な人格が形成される事は、ままある事で、そういった犯罪を、新一も服部も視てきている。
 人間が、いきなり残虐になる事はないのだ。先天性の器質障害でもなかったら、大抵動物虐待という兆候を辿る。だとしたら、ネコの腹を裂くという残虐性は、その兆候と考えられなくもなかった。
 新一は、推理時の癖なのだろう、擦りむけて尚繊細さを失わない白い指が、日本人形のような細い頤に手を掛けている。眼差しは、濃く深い輝きを見せ始めているから、服部は溜め息を吐いた。こういう眼差しをしている時は、もう新一は事件に引き寄せられている。止められる筈はなかった。
「歩美ちゃんに、泣き付かれたで。絶対犯人見つけてくれって、ほんま今日はネコに縁あるな。工藤は迷子のネコ探しやし。当てあるんか?」
「ん〜〜全然ねぇよ。でもネコの行動範囲って限定されてるだろ。縄張りあるし」
 口調と意識が分離しているのが、服部には見て取れた。
意識は腹を裂かれたネコに向いている。けれど、自分が助けた幼い少女に託された依頼も、ちゃんと頭に入っていて、同時に二つの推理を行っているのだろう事か判る。
『ほんま、お前の頭は一体どないなっとんのや……』
 服部は、内心でコッソリと溜め息を吐く。
新一の異質性と言うのは、こういう事なのだ。記憶の構造化が大凡で常人と違う。
 まっすぐ真実に向かって引っ張られていく。それこそ引力のように。ただしこの場合、どっちが林檎で地球かは判らない。事件が新一に向かって引っ張られている。そんな感触さえあるのだ。だから怖いのかもしれない。そうと感じてしまう意識が、だから怖い。 一瞬で流れ消えていく鮮やかな残像を刻み付ける花火のようだと、快斗が言った台詞は、そのままだ。真実に向かって走り出す新一が綺麗なのは、そういう事なのだ。刻み付けられていく映像のように、鮮やかで、綺麗で、だからこそ怖い。
「事件体質なんも、ほどぼとにせぇよ」
 それこそ天の才。一般人が犯罪に遭遇する確立は、ここ最近多様化する犯罪によって急速になっているが、新一が遭遇する事件は、そういう事とはきっと無関係なのだろう。
「突っ込みたくて、突っ込んだんじゃねぇぞ」
 服部の口調に、新一は肩を竦めた。
言いたい事は判っているつもりだ。それでも止めない服部を、自分は幾重に傷つけているだろう?言葉にも態度にも出さないから、甘えているばかりだとの自覚はあった。それでも、止めれない。止まらないのだ。深淵を見詰める事を。声を聴く事を。識る事を。
「せやかてなぁ。なんでネコ、探しなん?」
「そういうそっちこそ、歩美達の件、どうにか出来るのか?」
「そりゃ刑事事件って事でか?」
 重いバイクを引きずり、隣を間視する。
硬質な印象を弾く白皙の貌は、暗い夜を視ている。
「刑事なら、せいぜい器物損壊、あるいは軽犯罪法ってとこやな」
 動物虐待が一時期問題になったが、刑事事件として扱われる事はない。ペットが虐殺されたとしても殺人ではないからモノとして扱われる。だから動物を殺してしまったとしても、刑事事件能力は低く、適応されても器物損壊罪がせいぜいだ。
「被疑者は3年以下の懲役、または30万円以下の罰金。もしくは科料。被疑者は大抵科料で終わりだ」
 淡如な声に、感情の波はない。あるべき事実を読み上げる程に、声に乱れも躊躇いもない。
「掴まえたるで。人間でも動物でも、無抵抗な命、あないな事する人間は、きっっちり灸据えたらなあかんやろ。次の犯罪の警告って事もあるんや。被疑者検挙は最大の防犯や」
「そっちはお前に任せるよ」
 人でも動物でも、一つの命なのだと言える服部は、恐らく精神は果てしなく健全なのだろう。器に囚われない眼を持っている。そういう事なのだろうと新一は思う。
「工藤の方は?」
「関わっちまったからな。解決しなきゃ、可哀相だろ?」
 アリスを探してと、桜という女の子は言った。年齢を訊けば、歩美達と同じ小学校一年で、奇しくも帝丹小学校だと言った。偶然というのはこういう事なのだろうかと思う。
 昨年のクリスマスのプレゼントとして、両親から贈られた仔ネコをアリスと名付け、桜は可愛がっていたという。その仔ネコが、夕方になっても帰ってこないと探しに出て、冬の早い夕暮れに、家に帰るようにと注意され、母親と件かをして、車道に飛び出したというのが顛末で、桜を助けた新一に、少女は泣き付いたのだ。当然少女は、新一が東の名探偵と言われている存在だとはしらないが、母親は気付いていた。
 アリスを探してと、泣きじゃくった少女の温もりが甦る。本当に、可愛がっていたのだろう。断る事など、出来る筈もなかった。殺人事件の被疑者を検挙する事が、探偵の仕事ではないのだから。たまたま自分はそういう事件に縁が有ると言うだけだ。
 少女の泣き顔を思い出していると、自分をジィッと凝視してくる眼差しに気付く。
「なんだよ?」
「ええ子やな」
 ついそんな言葉が口を付いては、新一の睥睨を買う。ついでとばかりに、服部は長い指先で、新一の髪を梳き上げる。
「ガキ扱いすんじゃねぇっ!」
 鬱陶しげに、髪に触れる腕を振り払うと、名残惜しげに腕は離れていった。
「見つからなかったら、別のネコ買えばええとか思わんとこが工藤やし、俺はそういうお前が好きやで」
「アリスって言うネコだって、フワフワして白くて、妹みたいだって言ってた」
 服部の穏やかな台詞に、新一は立ち止まる。俯き、ポツリポツリと話す。
不意に足を止めた新一に、服部は怪訝にバイクを引き摺る足を止めた。
「工藤?」
「だって、代えなんてねぇじゃん。ネコだからとか、ペットだからとか、消耗品みたいに、代替えなんて出来る筈ねぇだろ。あの子にとって、アリスっていうネコはそのネコだけで、命って言うのは、代えは利かないんだ。ペットっていうのは、純に愛情を注がれてる存在なんだ。純に愛情を注げる存在なんだよ。あの子にとって、アリスっていう名前を持つネコは、アリスでしかないんだ」
 俯き、話す新一に、服部はバイクを停止させると、長い腕で包んだ。
簡素な住宅街に入っていて、工藤邸はもうすぐで、簡素な住宅街だから、人通りはない。完全に闇に包まれているこの状態なら、男同志とは気付かないだろう。
「諦めろとか、言いたくないんだ。買い換えろとか、そんな簡単に、伝えたくないんだ」
 探し出せるか判らない。ネコの行動範囲を探してみても、見つからない可能性は高い。それでも、探すからと約束した。クリスマスにプレゼントされたネコなら、クリスマスまでには見つけてやりたい。
「そん力な、工藤にだからあると俺は思うで。そういう優しい気持ち、他人に持つ事のできる工藤にだから、有るんやと思う」
 深夜の散歩で、快斗に語った言葉を後から聴いた。快斗から。
『命なんて、ただ生きているだけじゃ意味がない、ただ生きているだけなら、生命なんていらねぇ』
 そう言った新一の身の裡を、きっと自分は完全に理解してやる事はできないだろうと思う。けれどコナンになって、絶望も知って、それでも諦めない魂は、その言葉を明確に現しているのだろうと思う。だからこそ新一は知っているのだ。生命というものを。言葉ではなく、身の裡の深い部分で。その痛みが、より新一を事件に近付けさせていく。感じる痛みが、新一に事件を解かせて行く。痛みが深ければ深い程、新一を事件の確信に近付けていく。そして身を守る術さえ繕う事もなく、新一は真実に腕を伸ばす。
素手で触れないと判らない、そんな意味不明な事を、以前聴いた。
 素手で触れる・・・。
ナニにかと、あの当時は判らなかった。けれど今なら判る。きっとその言葉を聴いたアノ当時よりは、判っているつもりだった。
 真実という深淵に手を伸ばす時、身を守る自衛をしていたら、触れる事は何一つできない。たとえ薄布一枚だとしても、素手でない限り、触感は鈍る。きっとそれと似た様な事なのだと思う。
 五感の全てを利用して、新一は精神の眼差しを深淵へと向ける。見えない第三の眼で視て、第三の手で触れる。きっとそんな感覚や感触なのだろうと思う。自分には真似などできない。きっと誰にも真似はできない。できないと悟っているからこそ、新一の両親は、新一に沢山の優しい言葉を託している。それは概ねで願いや祈りを孕んでいて、彼の両親が、彼の幼い時からその天の才は新一にとっても決して優しいものではないと、気付いていたのだろう。新一が探偵として名を馳せたのは中学の終わりからで、けれどきっと、それ以前に、何かあったのだろう。だからこそ、沢山の言葉を託している。そんな気がした。
「探してやるとええよ、アリスっていうネコ。歩美ちゃん達のネコの件は、俺がんな事した奴探すから」
「悪ぃな、お前にまた心配かけちまって」
 人通りのない公道で、流石に抱き合うのには躊躇いがある新一は、服部の腕から身を放した。
「せやなぁ、心配させられた駄賃、コレでええわ」
 意味深に笑うと、服部は細い頤を指で掬い上げると、酷薄な口唇に己のソレを重ね合わせた。
「バッ……!」
 幾ら人通りがないとはいえ、住宅街では何処に人の眼があるか判らない。突然前触れなく触れてきた口唇に、新一は剥製の貌に朱を散らす。
「駄賃や駄賃。安いもんやろ?」
 朱を散らし、口唇を拭う新一に、服部はニヤリといた笑みを見せる。こんな時のこんな笑みは、だからタラシなんだと、新一は内心で毒づいた。
「お前、俺とのキスは、安いっていいたいのか。今夜こそ一人寝決行だかんな」
 相手してやんねぇ、新一は指を突き付けると、スタスタと歩き出した。
「工藤〜〜そりゃないやろ」
 だから新一の方が余程タチが悪いと、服部は大仰に溜め息を吐くと、重いバイクを引き摺り、新一の後を追う。
「こっから先クリスマスまでネコ探しだかんな。お前の相手なんて、してやんねぇ」
「工藤〜〜」
「情けない声出すんじゃねぇ」
 クルリと振り返ると、新一は数歩後退し、服部の元まで戻ってくる。戻ってきては、服部の眼前に顔を突き出し、意味深に笑った。酷薄な口唇が、弧を描く。こんな時の新一は要注意だと、服部は構えてしまった。 
「クリスマスな」
 白皙の貌は青磁のような硬質感を滲ませ、夜の闇の中でも浮き上がって見えた。
「無事去年みたいに迎えたかったら、それまでに事件解決しろよ」
 去年のと言うこと、とどのつまり初めて二人だけで迎えたクリスマスで、恋人同志の夜を迎えたかったらと言う事だ。
「んじゃないと、あいつらだって、パーティーなんて、できないだろうからな」
 他人の事も、自分の事のように心を痛め泣く事ができる優しい子供達。あの優しさに、コナンだった当時、どれだけ慰められたか判らない。子供の無心な優しさの前には、自分の優しさなど、打算と計算のあるものに思える。
「俺ん事は二番目か…」
「いいんだぜ、解決しなきゃ、俺は黒羽と灰原と、パーティーして、そうだな、また深夜の散歩でも行くかな」
「自分、ほんまタチ悪すぎや」
「嫌だったら、とっとと解決しろ」
「そりゃ工藤もやろ」
「俺に一人のクリスマスなんて、させる気じゃないよなぁ?服部」
「そらこっちの台詞やで」
 新一は、時折タチの悪い挑発を躊躇いもなく仕掛けてくる。事件に関わり推理をすれば、そんな気配はなりをひそめ、足下の竦む恐ろしい程の静謐さで事件を解いていくというのに、こんな時の新一は、服部が脱力する程にタチが悪い。
「服部、駄賃やるよ。高いからな」
 そう言うと、新一は服部に口唇を重ね、それは服部がその意味を知った時にはもう離れていた。離れては、服部の反応を愉しげに眺めている。
「ほんま、タチの悪い恋人やな」
「そんな俺が、お前は好きなんだろう?」
 薄い笑みを刻み付け、再びクルリと前を向き、新一は歩き出す。







「にしてもな工藤、その格好、帰ったら、黒羽に騒がれるで」
 横に並んで歩き、新一の格好を改めてみれば、少女を助けた事で、コートは汚れ、顔にはバンドエイド。買いに行った新刊ミステリーは、新一が車道に飛び出した時、車に轢かれて視る影もない。弁償すると言い募った少女の母親に、やんわり断った新一だった。
「そういやあいつに、歩美達の話し聴くように、任せたんだよな」
「ああ、嬢ちゃんにネコ預けて帰ってくるまで、丁度蘭姉ぇちゃんと和葉が来とったから、チビッ子ら頼んで来たで」
「蘭達、来てたんだ」
「ああ、そや、クリスマス、断ったで」 
「そっか…悪ぃな…」
「何謝ってんのや」
「気ぃ遣わせたな」
 服部が断った理由を、新一は判っている。
「アホ」
 ポンッと、服部がサラリと髪を梳く。それはもう服部の癖だった。
「子供じゃねぇって言うんだ」
 それでも、新一は手を払い除けない。その温もりが、心地好いからだった。触れると言う行為は、確かに心地好い。恋人なら、尚更なのは当然だろう。どうせ公道でキスまでしてしまったのだから、今更こんな行為でたじろいでも仕方ないと思う新一だった。
「まぁ今回は、お互いネコに縁があったちゅうか、こういうん、シンクロニシティ言うんやろかな」
「共時性、意味のある偶然って?」
「そう思うで」
「符号の意味だろ、ソレ」
「偶然を越えた、ナニかを意味する時間、空間上の事象の符号、やったな、確か」
「本当は、もっと深くて、言葉にするより、こぅ精神で感じ取るって感じなんだけどな」
 言語構造するより、精神の襞や、もっと深い部分で理解している。感触に近い。
「面白い思うんは、ネコって符号と、工藤、お前って符号や」
「?」
「どっちみ、お前に引っ張られとる」
「歩美達の件は、お前と黒羽だろ?」
「ちゃうよ」
 歩美が、咄嗟に駆け込んできた意味を、帰ったら新一に話してやろうと服部は思う。
意味のある偶然は、新一に引っ張られているのだと。
「子供でも女は女、そういうこっちゃ、まぁお前には、判らんかもしれへんけどな」
「なんだよソレ」         
「そういう意味や」
「タラシ……」
「何や?」
 ボソリと呟かれた台詞に、服部は新一を凝視する。
「お前ぇだよ」
 急速に、大人の鋭角を深めた造作に、時折自分が心を疼かせている事など、きっと服部は知らないのだろうと新一は思う。自覚のあるフェミニストで、自覚のあるタラシは、無自覚の悪党だから始末に悪い。
「こないな誠実な俺に、何言うてん」
「誠実だから悪党じゃねぇなんて、思うなよ」
「コラ工藤」
「早く帰ろうぜ、歩美達の連れてきたネコの容体も気になるし、寒いし」
「すっかり茶の時間逃して、夕飯どないする?」
「ピザでも取ればいいだろ、黒羽も居るし」
「せやなぁ、あいつにきっちり、チビッ子らの話し聴かなあかんし」 
「その点は大丈夫だろ、なんたって、あいつ聴取される側の人間だから、ポイント押さえて誘導して聴いただろ」 
 きっと快斗が聴いたら、『そりゃないでしょ、名探偵』そう言って泣くかもしれない。
「まぁ、そりゃそうやな」
 そこで納得した時、工藤邸はもう目の前だった。





back‖act3‖