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「工藤……?」 フト肌寒さを感じ、服部は朧な意識が覚醒を促された。意識が心地好い疲労から覚醒を促されると、腕の中に在るべき人物がいないのに、服部は掠れた声でその名を呼んだ。 夕刻から始まったパーティーも終わって、恋人達が、ベッドに潜り込んでする事は、一つしかなかった。 タイミングを間違う事なく合わせられた眼差しに苦笑し、徐々に深くなる接吻を交じわせば、互いの肉など熱くなるばかりだった。そして番い目蕩んでから、さした時間は経ってはいなかった。 「なんだ、起きちまったのかよ」 服部の声に、新一はクスリと穏やかな笑みを湛え、やはり掠れた吐息だけの声で応えた。少しだけ甘さを帯びた声は、つい先刻まで肌を重ねていた余韻だろう。 「何しとるんや、風邪ひくやろ」 ベッドサイドの淡い照明だけが灯る室内の中、新一はパジャマの上着だけを羽織、長く細い白い下肢を剥き出しに、出窓に腰掛け、外を眺めている。 「雪、未だ降って、綺麗だぜ……」 夕刻からチラホラ降り出した雪は、パーティーもたけなわの時には相当降り出して、東京では珍しいホワイトクリスマスになっていた。都内のテレビ中継で、女子アナウンサーが、そんな事を言っていた。一際ロマンチックなクリスマスイヴ。 「服部、ちょっとそこの電気消してくれよ」 ソコと、繊細な白い指が、ベッドサイドの照明を示した。 「暗くなってまうで」 そう言いながらも服部は新一の言葉通りに照明を消してやると、室内はシンとした耳に痛い程の沈黙が空気に張り詰める。それは透明な静謐感に満たされている。 「みて見ろよ」 照明の消えた室内から見る外は、雪の白さだけが眼に痛い。 窓の外を眺めている新一に、服部はパジャマのズボンに足を通し、バサリとベッドからケットを剥ぐと窓際に近寄った。 「風邪ひくやろ」 ちょぉこっち来い。そう言って、出窓に腰掛けて、上半身を捻って外を眺めている新一の姿態を引き寄せると、薄い姿態は抵抗もなく服部の腕の中になる。 服部は手にケットを自分諸共バサリと華奢な姿態ごと包んでしまう。 「雪って、明るいんやな……」 照明を落とした室内に差し込む明かりは、雪明かりだ。思っていたよりも白く反射して、仄かな明かりは深夜の闇の中で綺麗に灯を湛えている。 「静かだろ。雪って不思議だよな。静かすぎて、降る音が聞こえるんだ」 耳に痛い程の沈黙、そんな気配が張り詰めている。けれど何処か心地好いのは、こうして寄り添っているからなのか?判らない。けれど確かに、雪は降れば寒くて冷たい結晶なのに、何処か静かで暖かい気配を伴って天から降ってくる。 「ほんまやな……」 掠れた声の新一の吐息のような声に頷き、服部は腕の中の姿態が冷たい事に気付く。いつからこうしていたのかと思う。 「なんや、考えてたんか?」 パーティーの時もそうだった。何処か少しだけボーとした面差しは、何か拍子抜けしているようにも思えたし、酒に酔っているようにも窺えた。 「ん〜〜母さんが言ってた、台詞さ」 「ア〜〜あん台詞な。流石工藤のお袋さんや、思うたで俺は」 その台詞をパーティーの最中、新一から聞かされた時、やはりと思った。 新一の母親は、きっと我が子がその才故に、疵付いて行く事が判っていたのだろう。 繊細に縁取られた輪郭は少女然として、女優を引退した今でも、『世界の恋人』と呼ばれてしまっているだけに、才なる美貌を誇っている。新一に言わせれば、少女と変わらぬ破天荒さで、父親と自分を困らせる事は天才的だと話していたけれど、それはごく一面的な有希子の印象なのだと、今更服部は思う。彼は紛れもなく、工藤新一という、比い稀な稀代の名探偵の母親なのだ。様々な意味に於いて。 「俺さ、何も母さんの台詞、判ってなかったなって思ってさ……」 コツンと、服部の胸板に、甘えるように頭を凭れる。相変わらず、視線は窓の外、静かに降る雪を眺めている。 「今は判ったんやろ?それでええんやないか?」 珍しく甘えた仕草をしている新一に、服部は深い笑みを滲ませる。滲ませ、乱れた前髪を梳き上げてやる。 「判ったソレを、忘れんようにしたらそれでええやろ?」 「母さんはさ……」 そこで不意に言葉が途切れる。 脳裏を過ぎるのは、母親の泣いているとも微笑んでいるとも曖昧な綺麗な貌だった。 『自分を、信じてあげて……』 そう言った母親の台詞の意味や、告げられた言葉の深さは、きっとまだ判らないのかもしれない。 「お前は、救世主なんやないから、それでええやん」 途切れた言葉の意味を、服部は漠然とだが、判る気がした。気がしたから、ケットに包んだ細い右腕を掬い上げた。 「ココに」 ココと、掌中を広げて見せる。 「自分で、杭打つような真似、せんでええんやで?お袋さんかて、そんな事望んでないやろ」 だからこそ、願い祈り、託した沢山の言の葉が在る筈だった。 「バーロー聖痕なんて、有ってたまるか。俺は聖人君子じゃねぇ。少なくとも聖人は、んな事してねぇな」 そう意味深に笑って、新一はクイッと上半身を捻ると、服部の口唇に接吻る。 「人類の救世主は、他人の犯した罪状ひっかぶって、死ぬ事も許されなかった」 エリ、エリ、ラマ、サバクタニ そうと叫んで磔刑上で死んでいった救世主は、けれど死ぬ事すら許されず復活した。そのメシアの生誕の夜。 「工藤……」 「俺は別に復活なんて信じてねぇし、したくもねぇし」 「もぉええ、言うんやない」 「俺は救世主なんて言われたくねぇし、ヒトでいい」 「工藤」 もうええよ、服部はそう言うと、華奢すぎる姿態を抱き竦めた。 「俺は、歩いて行きたい」 自分の足で、自分の意思で、絶望を知っても限りがあるまでその途を。例え死ぬ事すら許されなくても。優しい恋人を、更に傷つけてしまったとしても。自分の足で、立っていたい。 「俺は、聖人じゃねぇよ…」 「わかっとる。工藤は工藤や」 幾度となく告げられてきた言葉。初めて肌を合わせたアノ時も、そう言われたのだ。 『自分は聖人君子ではない』と。きっと自分が理解したソレは、随分甘い考えだったのだと、服部は思った。 薄く細い背に視えない十字架を背負っても、新一は彼の救世主ように、神に奪われはしないだろう。けれど、APTXを飲まされ死ぬべき生命を、コナンという子供の姿で生き延び、そして再び戻った新一は、十字架を確かに背負ってしまったのだ。誰も救えない、誰も救い出してやる事の出来ない重い枷を。それは確かに、ある一種の復活とも言えるのかもしれない。 「俺は別に天使の羽だっていらねぇし、神の加護だって信じてねぇし」 「判った、工藤、判ったから」 「判ってねぇよお前、絶対ぇ判ってねぇ」 駄々をこねる子供のようだと、フト思う。けれど今は吐き出してしまいたい、そう思う。 服部には、知っていてほしい、そう思ったのかもしれない。 「お前の痛み全部は判らん。せやけど、言いたい事は判るつもりやし、判りたい思う。せやから、ええよ」 「お前、本当、バカだ…」 深い吐息が溜め息となって肺から吐き出されて行く。 「バカでええやん」 奥深い笑みを湛えると、服部は卵の先端のように細い頤を掬いあげると、口唇を合わせた。 「浄化してるみたいだ………」 服部の腕の中、吐息を漏らすように、新一は視線を外に向けたまま呟いた。 「なんや?」 雪明かりが入り込む室内は、深く接吻をした事で、少しだけ密度が上がった気がした。 「陳腐だな…」 クスリと、新一は薄い笑みを刻み付ける。 「工藤?」 「雪が綺麗でさ、思わねぇ?世間の哀しい事全部、雪が浄化してるって……。感傷的だけどな」 おとなしく、服部の胸に頭を凭れ、新一は魅入るように雪を眺めている。 静かに音なき音を奏でて降り注ぐ雪は、綺麗な大地を覆い尽くしている。シンっと空気を刻み付ける冷ややかな結晶。 「なんかこうしてると、俺ら二人だけ、世界に取り残されたみたいやな」 シンシンと降り続ける雪。彼の救世主の生誕の夜。そして腕にした奇跡の存在。 傷ついて、痛み嘆いて絶望を知って尚、崩れない魂が愛しいと思う。深淵に焦点を合わせ、無防備に真実に向かって走り出す背が、だから綺麗で怖いと思う。潔すぎる魂が、だから綺麗で怖い。それでも新一は視る事も聴く事も、識る事もやめられない。だとしたら、自分にできる事は、止める事でもなく、逃げ出す事でもなく、その痛みも罪も共にし、見守り続けていく事、それだけだった。 「ソレッて、終末の雪か?」 「せやな…」 新一の台詞に、服部は深い笑みを刻み付ける。 「こんな雪みてると、祈りって信じられる気がするな…」 それは力と願いで、願い続ける力なのかもしれない。 「らしゅぅないな」 「いつもお前が、祈ってくれるからな」 フワリと、空気が動く気配も見せず、新一は服部の腕の中でクルリと態勢を入れ替えた。 「工藤……」 薄い笑みを刻み付ける新一の繊細な面差しに、服部は息を飲む。 「だから今夜は、俺が祈ってやっからさ」 スルリと、細く長い腕を服部の首に伸ばす。蒼く静謐な空気が動く気配がした。 静かに瞬く眼が、服部を魅了する。 「愛してる」 どちらからともなく囁いて雪明かりだけが差し込む室内で、二つの影が密やかに重なった。 右手には愛する人を 左手には地球を 天には平和を 地には光を 人類には祈りを 『雪が世界の哀しみ全部、浄化してるみたいで綺麗だろ?』 吐息で囁く静かな声が、服部の身の裡に落ちていく。 ソレは少しだけ哀しく、痛みを伴って、きっと忘れられない言葉になるだろう。 だろうと、服部は腕にした華奢な肢体を抱きしめた。 |