初  











「オ〜〜晴れたやないか、やっぱ新年はこうでなくちゃあかんなぁ」
 工藤邸の門を出た場所で、服部は天を振り仰ぐ。
天気が崩れるという気象庁の予報は良い意味で外れ、元旦は蒼い空が冷たい冬の凍える空気を引きつれ、綺麗に澄み渡っていた。
 風のない、高く澄んだ蒼い空。肌身を包む空気の冷たさすら心地好く感じられる。
「ひどい、詐欺だ……」
 けれど服部ののんびりした声とは裏腹に、工藤邸から出てきた新一の姿に開口一番、新年の挨拶より先に、快斗はボソリと呟いた。
「なんだぁ?探偵に向かって詐欺たぁ、どうゆう了見だ」
 開口一番詐欺と言われ、新一は正月そうそう憮然と客を出迎える羽目に陥っていた。
「だって、名探偵の着物姿見られると思って、楽しみにしてたのに」
 ひどい名探偵と、メソメソと快斗は思い切り嘘泣きをしてみせると、新一と服部は心底呆れた様子で快斗を眺めた。
「男が男の着物姿見て、何が楽しいんだ。第一そりゃお前ぇの勝手だ」
 お前ぇ頭大丈夫かよ、新一の言外には、そんな声が滲んでいる。
「特定人物になら、楽しいよ。名探偵の着物姿なんて、正月でもなきゃ、拝めないじゃない」
「拝む代物かよ、ソレ」
「黒羽、お前も大概、オワッてる奴っちゃな……」
 新一の横に立つ服部は、心底呆れて快斗を眺めている。けれど服部に快斗を責める権利は、実の所は何一つなかった。
 初詣に出掛ける身支度をしていた時。普段と何一つ変わらぬ服装をしていた新一に、着物を着てくれへんのか?そう言っては、新一を呆れさせた服部だから、今の快斗と心情はさした違いはないだろう。決してそんな事、おくびにも出さないけれど。
「アラ、オワってるのは、貴方も同じなんじゃない?」
 キィッと鈍い音を立て、工藤邸の隣の家から出てきた哀は、そう笑う。
「西の探偵さんが、工藤君の晴れ着、見たいってせがまないとは、思えないけど?」
 正鵠を射すぎている哀の台詞に、服部は反駁も出来ずに苦笑に口を噤む。
「俺だけじゃないじゃん」
 服部さんって、そういう奴だよね、快斗はヒラヒラと手を振った。
「灰原、お前さ」
 そんな服部の隣で、新一は目線を下げると、哀を眺めている。その眼差しは、何処か物珍しいものでも視る眼をしている。
「どうだ。いい見立てじゃろ?」
 哀を見送りに出てきた阿笠が新一達に尋ねると、新一はマジマジと目線の下の哀を凝視し、
「似合うなソレ」
 赤から桜へと濃淡を描いてた振り袖は、裾の方に桜と御所車が描かれているソレは、確かに哀によく似合っているし、白いショールも綺麗だった。
「着物の事?それとも私?どちらかしら?」
 感心したように呟く新一に、哀の反応はドライだった。きっと次に続く言葉が、予測できてしまったからだろう。
「孫にも衣装だ……」
「工藤……」    
「名探偵……」
 心底感心したように話す新一に、服部と快斗はガクリと肩を落とした。
推理の時は、呆れる程他人の機微にも周囲の雑音にも敏感だと言うのに、此処肝心な時、社交辞令が巧くない新一だった。けれどそれさえ今ではらしいと思えてしまうのだから、人間は確かに慣れの動物に違いない。
「新一君……」
 幼い時から新一を知っている阿笠も、些か呆れた様子をしている。
「ダメよ博士。この人、こういう人よ」
 情緒教育、されてないような人なんだから、哀はそう笑う。けれどそのくせ奇妙に鋭い感性を持っていて、やはりアンバランスだと思わずにはいられない。
 コナンだった当時は、様々な意味に於いてアンバランスな存在だった。けれど工藤新一に戻っても、そのアンバランスさは変わりない事が、ある意味で怖かった。決して言葉に出す事はないけれど。けれど新一以外、服部も快斗も、ソレを判っているだろうと哀は思う。でなければ、きっと彼らはこうして稀代の名探偵の隣に、立っている事はないだろう。
「とっても綺麗だよ、哀ちゃん」
 腰を屈め、目線を合わせ、快斗は笑う。
それはお世辞ではなく、快斗の素直な気持ちだった。
「ええやん、よぉ似合うとるよ」
 ポンッと、服部は哀の頭を撫でる。
「子供じゃないわよ」
 服部のその仕草に、哀は苦笑する。
「堪忍、ついな」
 見た目が子供だから、どうしてもそういった仕草を哀は嫌っていても、してしまう自覚はあったから、素直な謝罪が口を付く。
「別に怒ってないわ。子供扱いされるのが嫌なだけ」
「それじゃぁ、気を付けて言ってくるんじゃぞ」
「んじゃ今日は、エスコートね」
「アラ?貴方達がエスコートしたいの、彼じゃない」
 別に無理しなくていいわと、哀は笑う。
哀の視線の先には、白いハーフコートに細身の躯を包んだ新一が立っている。雪のように白いコートは、クリスマスプレゼントと、ロスの両親から贈られた代物だった。
「だって名探偵、着物着てくれないし」
「だから俺に着物着せて楽しむっていう、そのただれ腐った思考回路は、排除しろ」
 大体何が楽しいんだと思う新一だった。
晴れ着を着て綺麗と称賛されるのは、世間一般では女性に対する称賛の筈だ。
「眼福」
「眼の保養」
 口を揃えた服部と快斗に、新一はやはり心底呆れた顔をする。
真面目に眼科に引っ張っていこうかと算段してしまう新一は、自分の容姿と言う点には頓着がない。
「そんなに見たけりゃ、成人式まで待つんだな」
 声を揃えて言われてしまっては勝ち目はなく、新一は憮然と口を開いた。
きっと成人式には、着る意思なく、着せられるだろうから。今着ているこのコートのように。
 そう告げる新一に、服部の腕が伸び、クシャリと髪を掻き混ぜる。
「なんだよ」
 並び立って髪を梳く服部に、新一は不思議そうに目線を上げた。上げた目線の先に在る造作は、何ともいえない表情をしているから、新一は自らが何気なく告げた言葉で、逆に服部を傷付けてしまったと理解した。
「んな顔してんな」
 髪を掻き混ぜる腕を掬い上げると、
「お前が、苦しむ事ないよ」
 傷付く事も、痛む事も。心に抱えて行く疵。増えていくばかりで減らしてやる事もできない。
こんな何気ない言葉で傷つかせてしまうくらい気を遣わせて、優しくなっていく恋人。その分きっと自分は救われている。その存在に。変わってほしくなどないのに、こんな無力な自分の為に。言い募っても、堪忍と笑われるばかりだ。
「堪忍な」
 そう苦笑とも自嘲とも判らない曖昧な笑みを見せ謝罪の言葉を口に乗せる服部に、新一はやはり曖昧な顔をしてみせる。          
「癖、お前のソレ」
 掬い上げた手を、パシッと離す。
「楽しみにしてるからね」
 その時は、三人で着物着て、成人式出席しようね。何もかもを見透かして、快斗は笑う。
「パス」
「なんで?」
「ウザイ話し聴きたくねぇから、式はパス」
 成人式が分岐点なのだとは、思ってはいない。気持ちの問題でも、20歳が大人への第一段階だという説教じみた話しなど、聴いても面白くはないだろう。単純にそう思うだけだった。精々が選挙権が発生する、その程度だ。何が区分で分岐なのかと、新一は思う。
何故20歳という線引きなのか?判らない。
 2年後の事なんて、誰にも判らない………。
自分にも、自分を取り巻く彼らにも。ダレにも……。
「まぁ2年後の話しもなんやろ」
 そう言うと、服部は歩き出した。その隣を新一が並び、流石に四人並んで歩くには住宅街の道は広くはないから、快斗と哀は、半歩後ろを歩いて行く。
  高く澄んだ蒼い空。心地好い冬の空気。なんとなく、誰もが口を開かず、冬の道を歩いて行く。初詣に出掛けるには、世間一般の空気とは違う。喧騒もなく、雑談もなく、ただ、冬の朝の空気の中を、4人並んで歩いて行く。
 静かに歩きながら、新一は、フト過去を思い出す。
中学生の時。一人旅に出ようとした冬の朝も、こんな澄んだ空気と身が引き締まる空気に満たされていた。何を焦っていたのかと思う。
 アノ時から、少しは成長しただろうか?何かを見付けて歩いているだろうか?焦って手に入れ様として、見付けたのは冬の空に翳した手。未来。続く途。探していたのは途。歩いて行く為の強さ。
 後悔なんて沢山あって、思い出せば、身動ぎする程のものさえあって、それでも、きっと最期の最期には、後悔できない自分が在る事も予測できてしまう。そう告げたら、きっと苦笑するだろう、優しい彼等は。
  過去を想起しながら、新一は二年後の事を考える。
長くて短い時間の流れだ。きっと誰もが疑いもしないだろう。普通に生きている人間は、今その瞬間にも、死ぬ可能性など考えない。極当たり前に存在する命なのだと、きっと誰だって思っている。不可抗力の可能性など何一つ。
 自分はどうだろうか?新一は、ぼんやりと考えた。
『命果ててもともに』
 新年早々の大告白に、合わせた肌の熱さが肉の上に甦る。身の裡に入り込んで、翻弄して意識を奪っていく肉の熱さ。囁かれる睦言は何処までも優しく真摯で、淫蕩に酔わされていく。反面、同時に、サクリと裂かれた心の何処かが痛みを思い出す。痛みが甘いとバカげた事を考えて、感傷的だと内心で苦笑する。
 心臓なのだと、服部は言った。
喪失えたら、どうするのだろうと、フト盗み視るように、新一は隣の精悍な貌を覗き視る。
途端、
「なんや?」
 タイミングを外す事なく、服部はまっすぐ新一に視線を絞っている。
「嫌な奴、お前」
 凝視されると、どうしていいか判らなくなる。
甦る昨夜の言葉。甘い吐息。そのくせ、逃げ一つ許さない真摯な言葉。それが嘘でも偽りでもないから怖い。心臓とは、そういう意味なのだろう。その言葉は瀟洒で鋭利な切っ先さながら、正確に心臓の上を撫でていった。だから痛い。退路を絶たれた気分に陥った。服部の眼差しはいつも真摯で逃げを許さない。コナンだった当時もそうだ。否、コナンだった当時はよりそう思った。見透かされる眼差しの深さ。ナニが映っているのか、時折怖くなった。
「なんやそれ?」
 フイと、再び視線を正面に戻した新一に、服部は肩を竦めて見せ、その繊細な横顔を眺めている。
『生きているだけなら命なんていらねぇ』
 そう言った新一の台詞の意味は、いつだってその台詞のままに帰属していく。
死ぬ瞬間の事を考えて、そして生を問うのは生来の探偵の資質。生きて行くだけではない命は、新一にとっては訪れるその瞬間まで、探偵である事なのだと、瞬時に悟ってしまった快斗と、後にその話しを聴いた服部と、だから身震いする程怖いと悟る。悟りながら、だから止められないと悟る理不尽さに、きっと新一は気付かないだろう。
 新一には無意識で出た言葉で、無意識だからこそ素直な吐露で、だから怖いと思っている内心を、新一は知らないだろうと服部は思う。
 新一に、確かな生の安定はない。生命の寿命を司るテロメアが、循環されているキメラなのだと言ったのは哀だ。
 偶然の産物で出来た不老不死の媚薬。錬金の毒。細胞の自滅プムグラムを誘発する筈の薬は、けれど偶発的にもポストゲノムシームンスの注目点になっている寿命の延長に成功した。
 組織は壊滅している、表向きは。あれ程巨大な組織で、国にも通じていただろう事を思えば、新一と哀の存在は、打って付けとも言えるだろう。不老不死の奇跡の存在がこうして存在しているのだから。
 テロメアを延長する酵素のテロメラーゼが分泌され、繰り返される生命の循環。けれどそれは狂った生体機能で、いつ突然無に還か判らぬ爆弾を秘めているようなものだ。狂った生体機能は、新一に残酷な苦痛を強いる。それは発作となって新一に襲いかかる。引き裂かれるような痛みに、けれど新一は悲鳴を飲み込んで、最後には失神する。失神するまで、そんな時の新一は、服部の腕さえ拒む。縋ってしまえば、もう二度と自分の足で立っていられない恐怖が付き纏うからなのだと、今なら服部にも判る事だった。けれど、そんな新一を見守る事しかできない服部は、辛いばかりだ。
 不器用なのだと、快斗は言う。その不器用さが、けれど掛け値ない彼らの愛情なのだとも判っている。
「何かあったかな?」
 前を歩く二人に聞こえない極々小さい声で、快斗は誰に問うでもなく呟いた。
前を歩く二人の微妙な機微が、人の機微に聡い快斗に見透けない筈はなく、まして隠してもいない二人の事だ。そういう気配や雰囲気が嫌でも滲む。
「さぁ?新年の誓いでも、たてたんじゃない?」
 快斗の小声の声を正確に聞き取った哀が、口を開く。
いつの間にか、半歩開いていた距離は、5歩は開いている。理由は、着物を着た哀の歩幅がいつもより少ないからで、快斗は哀の歩調に合わせているからだ。
「服部の事だから、名探偵悩ませる事言ったんだ」
 新一と服部の関係を知る快斗は、二人の立場がよく視える。当事者ではなく第三者の眼として、二人の位置を良く見聞きして理解しているのは、快斗だろうと哀は思う。
「貴方も、変わった人ね、魔法使いさん」
「?なんで?」
「私、貴方は、西の探偵さんと同じ意味で、工藤君の事好きなんだって思ったわ」
「LOVE?」
 正面を歩く二人の背を見たまま、快斗は躊躇いなく言葉を口にする。
「違うのかしら?」
「服部の想いってのはさ、なんか近頃違うと思う、もっと深い。単純にLOVEっていうのとも違う」
 十代の恋愛は、自分の周囲を見てさえ、熱病に浮かされたような薄いものに視えるのに、服部のそれはだいぶ違う。
 十代の恋愛は、大抵が好きと言う延長線のままごとに近く、好奇心で恋に恋しているような薄っぺらい感情と熱病が入り交じっているようなものだ。肉と肉を合わせ交歓し、愛していると囁いて、それで熱病が満たされてしまう、肉欲が先に立ってしまう感情の一つにすぎない。
 けれど服部の新一に向けられる想いの深さは、好きなんて生易しい感情ではなく、かといって恋という熱病でもなく、熟成されている想いに近い。
 きっと哀が服部を腹が立つけれどギリギリのラインで大人だと言うのは、新一に向けられる掛け値ない情愛の深さをも秤に掛けての言葉なのだろうと快斗は思う。
「貴方は?」
 怜悧な双眸が、チラリと隣を間視する。
けれど別段哀も、快斗の内心が知りたい訳ではなかった。言葉にするより雄弁に、彼らはそれぞれの立場と位置で、工藤新一と言う魂を守っている。
「好きだよ?」
 哀の視線に、快斗はサラリと言った。
「冷静だから、時折疑うわ」
「ウ〜〜ン、こればっかはね。ホラ、好きも色々でしょ?likeとlove、もっと微妙だとfavorや
favorite」
 ひっくるめれば、どれもが好きという感情が先立つものだ。
「曖昧ね」
「匙加減の問題なんだけど」
「面白いと思うわ。貴方と西の探偵さんの関係」
「軸が星だからね。俺ら衛星なの」
「引力?」
「強くてさ」
「確かに、強いわね。でも知ってるかしら?引力は、互いに引き合って成立するって」
「林檎も微量な力で、地球引っ張ってるっていうやつ?確かに月と地球なら、互いに引き合って距離関係保って回ってるからね」
「帰りたいかしらね」
「どっちが?」
 月か地球か?地球の一部とされる地球の衛生。腕か足か肉体の一部から離れてしまった月を恋しがって引き寄せる地球か。
「でも好きって言う感情は、一番簡単で、でも一番難しいって、俺は思うよ。好きって想いが先になきゃ、恋も愛も存在しない。正反対の感情だって存在しない。単純な言葉で、だけど人間関係の一番最初にある言葉だと思うけど?」
「それで貴方は工藤君を『好き』なのね」
「一応言っとくけど、俺、哀ちゃんも好きだよ」
「光栄ね」
「名探偵の主治医で、俺の主治医で、尊敬してます」
「貴方の主治医にまでなったつもり、ないけれど」
「でも、助けてくれたの哀ちゃんだし」
「それは西の探偵さんでしょ?」
「でも治療してくれたの哀ちゃんだし」
「貴方も西の探偵さんも、本当、バカね……」
 呟くように、哀は言った。
「工藤君なんても大バカだわ……」
「名探偵は、確かに不器用で、言葉不自由で、こっちの言う事、一つも聴いてくれない人だからね」  
「判ってて、はぐらかす貴方って、西の探偵さんと同じね」
 サイテー的なフェミニストで、詐欺師で悪党。
哀は薄く笑った。
「それくらいじゃないとね、名探偵の側には、居られないから」
 嘘も巧くなるよと、快斗は笑う。
変わるなと言うのは、服部にだけ対する願いではなかった。関わる周囲の者に対して、自分の為に変わる事を、新一はひどく哀しんだから。
「偽りも吐き続けていれば、本当になるかもよ?」
 屍の中でなら、嘘も偽りも、押し通せば正論になる。
何もできず、何もせず、ただ無意味な称賛の数々を贈る人間よりは、幾らでもましだろう。流す血もなく、傷つく痛みも知らず、称賛だけを贈るなら、偽りより余程タチが悪い。
「まぁ精々とどまってちょうだい。ああ視えてあの人、見透すの得意だから」
「肝心な言葉はちっとも聴いてくれないくせに、見透してほしくない言葉ばっかり見抜くよ本当」
 肩竦め、快斗は前を歩く新一と服部を眺めた。









「だから来たくねぇって言ったんだ」
 不機嫌そのものの新一の声に、ほな帰ろかと言ったのは服部だった。
「元旦の明治神宮なんて、そりゃ来たらマンウォッチングするようなもんだと思ってたけど」
 毎年参拝率第一位の明治神宮だ。元旦は人で混雑している。
「だったらお前ぇこんなとこ来たがるな」
 4人で初詣に行こうと話しを持ち掛けたのは、確かに快斗だった。
「不景気やからな」
「神頼みでどうにかなるなら、とっくにどうにかなってるっつぅの」
 人混みの苦手な新一は、既に人の多さにゲンナリしている。
「神社仏閣の区別も付かないくせに、仰山人が居よるな」
 奇妙な感心の仕方をする服部に、不機嫌な新一の視線が突き刺さる。
「八百万ってくらいだかんな」
「新新興宗教まで含めると、確か3000越してた筈だよね」
「日本くらいよ、節操ない宗教感持ってるの」
 新一同様、人混みの苦手な哀は、やはり少しだけ不機嫌そうだった。
「まぁせっかく来たんや。お参りくらいして行こか?」
 疲れた様子の新一を気遣い、服部は問い掛ける。
「折角だかんな」
 仕方ねぇなと、新一は人波に沿って、砂利道を歩いて行く。
「はぐれんようにな」 
 新一の手を握ると、
「ガキじゃねぇ」
 パシリと、新一は服部の手を払い除けた。
「せやかて、此処ではぐれたら、困るやん」
「携帯でも鳴らせよ。何の為にあんだよ」
 情けなさそうに困った表情をする服部に、新一は無下に口を開いては歩いて行く。
「こぉさ、なんか名探偵視てると、初詣に来たって風情ないね、挑んで人混み掻き分けてく姿視ると」
「アホ言うとらんで、追いかけな、見失う」
 元旦の明治神宮は、確かに参拝率一位を誇るだけの混雑で、視線で追いかけていないと、小柄な新一は人込みに飲まれて見失ってしまう。
「哀ちゃん」
「工藤君言ったでしょ?何の為の携帯?迷っても、一人で帰れるわ」 
 そう言うと、手を伸ばす快斗の腕をすり抜け、哀も先へと進んで行く。
「私は平気。あの人を一人にしないで。あの人、人混み苦手なの」
 発作の起こる可能性。人混みで発作を起こし倒れたら、周囲に対してもただでは済まない。
 テロメアを延長する為の酵素が分泌される狂った肉体。書き替えられた遺伝子が、正常である筈がない。それは新一を発作という形で苦しめる。
 一人暮らをしていた時より、今は随分精神的に安定していて、肉体より精神の安定で持っている躯だ。けれど、発作を起こしていない訳ではない。精神と肉体の連動が崩れたら、簡単に発作は起こる。引き合う引力は、むしろ新一の内部の肉体と精神を構成しているナニかの方が、より言い当て嵌まるのかもしれない。引き合い上手に作用している肉体と精神。
 何より新一は人混みが苦手だ。波動が痛いのだと、以前ポツリと呟かれる独語で聴いた事を、哀は今でも覚えている。
「シンパシーが強いとは思えないけど…」
 肩を竦める哀に、
「視えすぎる視力も、考えものだよ」
 可哀相、そんな言葉はひどく傲慢で、決して新一が望まぬ言葉だと知ってはいるけれど、快斗はそう思う。
 人の機微とは違うのだ、明らかに。新一の肌身を通り越し、精神に落ちていく人の気配。
濃密になればなるたげ強くなる視力。上手に視界を遮る方法を知っているくせに、新一は視力にフレームを持たないし、持とうともしない。メガネをかけた分だけ、視力も弱まれば、下らない感傷だと、快斗は自嘲する。 きっと新一は、無機質なものの方が楽な筈だ。夜のネオンの中、息衝く人の輝きが綺麗だと言ってはいたけれど。それでも、新一の精神には、無機質なものの方が楽に思える。それでも、新一は人混みに溶けていくのだ。
「色々な意味で、不器用な人」
 見え過ぎる視界を隠す術も知っているくせに、探偵の摂理を優先する。肌身を刺す気配が情報と言う形でもたらされるから、新一は決して視界を弱める事はない。探偵にとって情報は命で、上手に選択する事が推理なのだと言うのは、新一の口癖だ。
「っと、見失う。行こう」
 人混みに呑まれていく華奢な姿。服部と並んで歩く後ろ姿。元々頭半分は背の高かった服部の骨格は、此処で一段と大人のものへと変化している。新一は、その意味に気付いているだろう。
 狭間なのだと思えば、新一を誰より愛し、大切にしている服部が気付かない筈はない。気付いて素知らぬ顔をしているのだろうから、服部の精神値は計り知れないと思う快斗だった。
「彼は、誰よりあの人に近い」
 快斗の内心を読んだように哀が呟いて歩き出す。
「そうだね」
 位置とか距離とか立場とか、そんなものではなくて、場所が近い。
隣に在る位置。気遣いつつ、けっして重荷にならない気遣いをして距離をとりつつ、並び立つものでもなくて、探偵という立場でもなくて、端的に言えば場所が近い。空間や、恋愛と言う感情より何よりも、きっと場所が近いのだ。
「綺麗に引き合ってる」
 並んで歩いて行く姿。目線の下に在る頭に伸びる腕。気遣うように撫でていく指。憮然としながら、決して嫌がっていない眼差し。そうやって、歩いていくのだろうか?互いの場所を確認しつつ。
「感謝するよ…俺…」
「誰に?」
「さぁ?」
「不謹慎ね、貴方」
 参拝にきて、それでも決して天上の者にかけない願いと祈り。
      

 






「黒羽」
「名探偵は?」
 何処か焦った様子で走ってくる西都の悪友に、快斗は思い切り攅眉し声を掛けた。
理由は一目瞭然。隣に在るべき姿がない。
「何やってんだか」
「賽銭投げた時までは、隣に居ったんや」
 手を叩いて、形式的に半瞬眼を閉じて、次に開けた時には、もう居なかった。
「って事は、その後すぐに消えたのか……」
 チッと舌打ちして、快斗は携帯を取り出した。
「そんなんとっくに鳴らしたわ」
「出ないのか?出られないのか」
 どちらの可能性も考えられる。発作を起こしているなら当然倒れているだろうから出られないだろう。意図して出ないのであれば、これはもう一般人が犯罪に遭遇する確率統計を一人で跳ね上げている、東の名探偵の日常茶飯事の領域だ。だとしたら、痕跡一つ残さない可能性も有り得た。
「幾らあの人でも、此処でそうそう遭遇はしないと思うけれど」
 指名手配でもされている人間が、こんな所をうろついているとは思えない。そして事件が起きていれば、混雑はもっと違う気配を放つだろう。尤も、相手は警察組織の救世主と言われる新一だから、断言は当然できない。この三人の誰にも。
「大体服部さ、どうして隣から名探偵の気配消えたの、判らなかったのさ」
 新一の気配には誰より敏感な筈だ。
「無茶言うなや、こんだけ混んでて、後ろから押されてみぃ。気配もなんもあらへん」
「武道家のくせに」
「得意なんは殺気や」
「大丈夫だと思うわ」
 貴方達が、そうして落ち着いていられる程度には。
哀は言外に滲ませる。らしくないわねと、自嘲を刻み付けて。
「科学者としては、失格だけれど」
 それでも、根拠なく、近頃そう思う事のある哀だった。
理屈や理論や言葉ではなくて、そういったものは、人の裡に存在している。
都合のいい昔からの言葉を借りるなら、『虫の知らせ』というのが最も近いのだろう。
 新一に何かあれば、意識するより先に動いているだろう服部や快斗が、落ち着いているのだから大丈夫だと思うのは、やはり根拠はないと哀は思う。
「手っとり早いのは、あそこやな、やっぱ」
 一人納得すると、服部は歩き出す。
「あそこね、でも居たら居たで、問題なんじゃない?」
 そう軽口を叩き、快斗も服部の横に並んだ。
「新年早々の日常茶飯事は、確かにいただけないわ」
 けれど目指すテントの近くに、白いコートの姿を見付けて、三人は一様に溜め息を吐き出した。










「仕方ねぇだろ」
 甘酒の入った紙コップ片手に、新一は神社の大木に背を預け、憮然と呟いた。
「確かに仕方ないやろな、だったら携帯にくらい出たらどないや?」
「だから両手塞がってたんだよ」       
「貴方らしいけど」
「クリスマスにはネコ探し。新年早々迷子の世話。なんか今年一年見たって感じだねぇ」
 軽口を叩き、快斗は紙コップに口を付ける。
「っるせぇ」    
「服部と居たのに、気付いたのが名探偵一人って言うのがなんともね」
「声、聞こえたんだよ」
 端的に告げる言葉に、けれどこの場では、親切丁重に初めから終わりまでを、話す必要のない気楽さが在る。皆まで話さずとも、読み違えられた事は、そういえばなかったと、新一は思う。此処に在る三人は、いつだって、断片的な言葉で、事態を把握してくれる。 
「声?あの人混みでか?」
 そして服部は、新一の端的すぎる言葉を、読み違える事はなかった。
参拝時、御縁が有りますようにと5円を投げ、手を合わせた時までは隣に居た。そして再び視線を隣に向けた時には、忽然とその姿は消えていた。瞬時の判断では、本当に『消えた』のかと思った程だ。
「泣いてた」
 服部の隣で賽銭を投げ、手を合わせ、瞬時に聞こえた事に耳を傾けた。
喧騒に紛れて聞こえてきた切れ切れの泣き声に、迷子だろうと思った時には躯は動いていた。
 この人混みだ。親とはぐれたのだろう。一瞬でそう判断でき、尚且つ考えるより先に動ける人間は、そうそう在ないだろう。けれど新一は普通ではなかったから、泣き声に耳を傾け、動いた。服部を呼ぼうかと思った時には、後ろから押されて人に呑まれてしまっていたから、結果的にはぐれてしまった。
「……眼も視えすぎて、耳も聞こえ過ぎ。確かに、人混み、辛いやろな……」
 クシャリと、宥めるように髪を梳くと、物言いたげな視線とぶつかった。
深い淵を湛えた蒼味がかった眼差しは、まっすぐ服部を見上げている。
 不思議な瞳だと、いつも思う。確かに覗き込めば黒々瞬く双瞳の筈なのに、フトした瞬間に覗かせる瞳の色は、深い蒼を湛えている。空の青とも海の碧とも違う、夜半の湖に映る月のような蒼。
「なん?」
「悪ぃな」
「迷子二人に両手掴まれてちゃ、携帯には出れないからね」
 幼い子供二人に右手と左手をしっかり握られていては、携帯には出たくても出られなかっただろう。
「でも良かったじゃない?ご両親、迎えにきて」
「ああ、俺が警備テントに連れてったら、すぐに来たぜ」
 新一が見付けた迷子は姉弟の二人。両親とはぐれて泣いていた声を、新一は聞き逃さなかった。そして宥めて手を握ってやれば、心細かったのだろう幼い子供二人は、握った新一の手を離さなかった。だから携帯が鳴って気にはなっても、出る事はできなかった。だから心配させた自覚くらい、新一にもあるのだ。
「さてと、これからどうする?名探偵」
 甘酒を飲み干して、紙コップをクルクル振り回すと、次にはその手の中からは、鮮やかな程、その片鱗は消え失せていた。
「相変わらずお前のソレは、マジシャンってより、魔術に近いな」
 世の中の法則を無視してるぞ、新一は笑う。
「定番なら、破魔矢買って、お守り買って、やろうけどな」
 なんなら此処にもう一杯甘下げ出してみぃ、服部は快斗の眼前に空になった紙コップを差し出した。
「おみくじ引いて、クレープ食べて」
 差し出されたソレを受け取り、靭やかな指が動いた時には、やはりコップは綺麗に消えていた。
「なんだよソレ」
 快斗の靭やかな指の動きを目線で追っていた新一は、けれど彼の台詞に可笑しそうに口を開いた。
「だってこういうお祭りの醍醐味でしょ?」
「……黒羽。お前初詣誘ったの、それが目的か?」
 目的屋台か?服部はついつい快斗の顔を凝視する。
「私、博士に破魔矢頼まれてるから」
 買ってくるわ、哀は売店に歩いて行く。
「俺達も買ってくか?」
「部屋飾るのか?」
 工藤邸に、神棚はない。買っていっても、飾る場所が存在しない。
「まぁ、そうなるか?」
 完全に洋館作りの邸宅に、両親も根っからそういう類いに関心はないから、神棚も仏壇も存在しない。
「別にええんやない?」
「そうそう、服部そういうもの、由緒正しい真言宗のくせに、信じてないみたいだし」
「そういう黒羽、お前はどうなんや?」
「俺?破魔矢買ってもご利益ないでしょ?」
「お前のソレは、基本的に間違ってる」
 何がご利益だと、新一は呆れた。
「厄除けなんて、もっとなさそうだし」
「お前結局、祭りのノリが好きなんやな」
 此処に至って、快斗の目的は間違う事なくそれだったのかと、服部は脱力した。       服部の呆れた貌に、快斗は笑う。笑うその意味に、気付かない服部ではなかった。
 神は、在るのかもしれない。そうと信じると人の裡に。信仰は貴いとも思う、精神の支えとして。信じる者にはそれさえ真実。在ると思えば在るのだ。神も悪魔も人の身の裡に、形を伴って。信仰とは、そういう存在なのだろう。
「だったら帰ろうぜ。少し疲れた」
「せやな、うちで落ち着いた方が、よさそうやな」
 新一の顔色は少し悪い。人混みで疲れたのだろうし、迷子の相手をして、躯が冷えてもいるのだろう。
 代われるものならばと思う。その痛みも苦しみも。見え過ぎる眼も、聞こえ過ぎる耳も。何もかも肩代わりできないのなら、此処にある意味などない。願いが空しいものだと知っている。少なくとも、神に祈る茶番は、服部にも快斗にもなかった。
「服部?」
 突然、柔らかく眼を塞がれる。緩やかに髪を梳かれ、そのまま額を撫でて、瞼に降りてきた掌。
「堪忍な……」
 こうして塞いで視えなくなるのなら、幾らでもこうしている。新一の持つ天の才は、そんなものでは覆い隠せない。だからこその才。
掌中に触れる長い睫毛が瞬いて、擽ったい感触がする。それさえ今は哀しい。
「バカだな、本当」
 コトンと、背後に立つ服部に背を預けると、薄く笑う。
「昨夜言ったろ?」
 心臓。聴いた瞬間浮かんだイメージは、きっと服部とはまったく違う。違うものだと、新一はちゃんと認識している。返した言葉も、それが叶わない偽りを含んだ言葉だと、服部も理解しているだろうと思う。だからこそ成り立つ関係のようにさえ思える。精神を恫喝させるくせに、甘い懊悩さえ心地好い痛み。
「なぁんか、やらしぃなぁ〜〜二人」
「妬いてろ、妬いてろ」
 ヒラヒラと、新一は笑って手を振っている。
「……成長しちゃって」
 新一を守っているのは一体何かと思えば、服部と言う存在なのだろうと痛感する。それでも、去年と今年では、たった一日で、ナニかが微妙に違う。
 此処に来る道すがらでも感じた事が、明確になった気分だった。それがナニかまでは言葉にできるものではないけれど。滲み出すナニかが違う。
「んじゃ俺はこうしてあげる」
「オイ」
 スラリと長い指が、耳を塞ぐ。ヒヤリと冷たい靭やかな指。夢を与えるマジシャンの指。鮮やかな手口で宝石を奪って行く指。
「なんか、どっかの猿みてぇだな……」
 薄く細い肩を竦める新一だった。
眼と耳を塞がれて、それでも新一はまっすぐ真実に向かって走る事が出来るから、服部も快斗も足下が竦むのだ。身の裡が引き絞られる感触が生々しい。
「約束だよ、名探偵」
 コトンと、新一の頭に額付くように、絞り出す声で快斗は囁いた。
「あんだよ?」
「呼んでね」
 何処に行っても、何処に消えても。
「黒羽、ホラ、呼んだぞ」
「そうやって、はぐらかすの、巧いね」
 本当に呼んでほしい時、きっと誰の名も呼ぶ事はないだろう。それは服部の名前でさえ。
「どっちが」
 クスリと笑って溜め息を吐くと、
「お前ぇなんて、一体幾つの仮面持ってんだか。俺が把握してるだけで、3つはあるな」
「名探偵……」
 呟くと、快斗は耳を塞いだ手を離す。
「お前ぇなんて、仮面ばっかで」
 スルリと腕を伸ばすと、未だ眼を塞いでいる服部の掌を外す。瞬きを忘れた蒼味を帯びた双瞳が、まっすぐ快斗を凝視していた。
 眼を塞がれ耳を塞がれ尚。新一の眼差しは正確に快斗の眼球の中核に焦点を絞っている。
「二枚舌で」
「そりゃないでしょ?」
「ちっとも本心明かさねぇ奴だけど」
 其処で一旦言葉を区切ると、新一は穏やかな笑みを覗かせた。
「それでもお前はお前で、俺にはちっとも不思議じゃねぇから」
 幾つの仮面を持っていたとしても。高潔に飛び続けている白い羽が血で染まっても。
「呼んでやっから」
 ペシッと、快斗の額を小突いた。子供のような悪戯気な笑みのまま。
「そこの三人、端から見てると、怪しい三人組よ」
 破魔矢を抱えた哀が、呆れたように声を掛ける。
見目のよい男が三人。神社の片隅の大木の根元で佇むだけで一目を引くのに、頓着ない三人に、哀は呆れ顔だ。
「たとえば?」
「人妻にコナかける間男」
 小学生が言っていい台詞ではないと言う自覚は、哀にはなかった。
振り袖に大事そうに破魔矢を抱えている姿だけを見ていれば、可愛い女の子で通用する哀だった。
「………」
「………」
「そら、当たらずしも遠からずやな」
「バカ言ってんじゃねぇよ」
 肩から胸へと伸び、自分を背後から抱擁している格好になっている服部の甲を抓ると、新一はネコ科の小動物のように、スルリと身を離した。
「帰るぞ」
 スタスタと歩き出し、クルリと背後を振り替える鮮やかさに、三人は息を飲む。
「怖いわね……」
 眼を塞がれ、耳を塞がれ、樹に寄り掛かった姿から連想された過去の偉人。
警察の救世主と、マスコミから称賛される姿に、掌中に杭打たれ、血を流した、磔刑のダレかと重なった。
「んな事に、ダレがさせるか…」
 吐き捨てるように、服部が毒々しげに告げる。
「ユダにならないように、してちょうだい」
 少女の顔をして、その眼はちっとも子供のものではない。驚く程冷ややかな眼光を正確に放っている。
「嬢ちゃんでも、ひっぱたくで」
 一瞬の気迫が服部から滲むのに、見知らぬ誰かが見たならば、その気炎が垣間見える殺気にも似た気迫にたじろぐだろう。けれど哀は薄い笑みを湛えているだけだ。
「言ったでしょ?裏切れる程あの人の傍に在るのは、貴方だって。知っている?キリスト教が此処まで布教したのは、ユダのおかげとも言われてるの」
「ユダは、キリストを裏切る必要が存在した。キリストを神の子にする為に」
 哀の淡々とした声に応えたのは快斗だった。
それはクリスマスの夜、おりしも服部と交わした会話と酷似していた。
「それだけキリストの傍に存在していたと言う意味よ」
 哀の眼は、欠片も笑みを浮かべてはいなかった。小学生の外見に相反し、その眼は恐ろしい程怜悧で鋭い。
「俺が工藤裏切る言うんか?」
「状況、色々在るでしょ?裏切りの意味も。これだけは、覚えていて。あの人、自分の所為で貴方や魔法使いさんが代わって傷つくなら、間違いなく、消えるわ」
 その存在ごと。躊躇いのない人だから。底冷えする程潔く。
「あの人がしようと思えば、痕跡一つ残さず、消えるわ」
「冗談やないで」
 吐き捨てる。
「置いてかれるんは真っ平ごめんや」
「俺もね、名探偵に、置いてかれる気はないから」
「だったら、間違えないで。守る意味も。見守る意味も」
「難しいからね、素直に守らせてくれる人じゃないし」
「あの人を、一人にしないで…」
 孤独にしないで。孤独も理解できない孤独な人だから。孤独の意味も理解できない人だから。愛されてなお。愛してなお。
「工藤、ネコやからな…」
「痕跡残さず、消えるのは得意」
 その意味を、きっと服部も快斗も正確に理解していると哀は思う。
愛し、愛されて尚、新一は孤独なのだと。新一自身の自覚はない。
「押さえ付けて鎖付けて、とどめさせられるんならそうしとる。けどあいつは根っからの探偵やから」
「残酷に優しいからね、ダンナは」
「探偵である事が、あいつを確立させとるなら、俺は見守る事しかできへんよ」
 最期の最期まで、探偵で在る事を望む潔い高潔な魂。理屈でも理論でもなく、そんな形式的な言葉を用いる事なく、新一は探偵なのだ。
「大人だねぇ」
「せやないと、アレの隣には立つ事はできへん」
 茶化した快斗の台詞に、服部は苦笑する。
振り向いて、すぐに前を見て歩き出した綺麗な後ろ姿。背筋が伸びて、澱みも迷いもなく歩いて行く姿が綺麗だと思う。
「お前かて、そうやろ?」
「あの人を守るなんて、俺にはできないよ。見守るのが精々」
 コナンだった時から今までも。自分にできた事は、見守る事。
幼い子供だった仮初の姿だった時でさえ、見守る事しかできなかったのだから。
「遅せぇぞ。お前ぇら、何やってんだよ」
 いつまでたっても追いつく事のない三人に、新一は少しだけ焦れたように背後を振り替える。
「呼んでるわよ」
「呼ばれている今は、まぁこれでよしとするのが一番いい形、そんな気がするね。ダンナも、そう思わない?」
「せやな」
 幅広い肩を竦め、服部もまた快斗と同じように自嘲とも苦笑とも付かない酷薄な笑みを刻み付ける。











「そんじゃ、東西お雑煮食べようか」
「プロ並だっつぅお前ぇの料理、食ってやっか」
 新一の横に並び歩く快斗の台詞に、新一は軽口を叩く。
「正月まで、人んちきて、食ってく気か?」
「だって俺関西風の雑煮って、食った事ないし。どうせダンナの事だから、どっちも用意してるんだろうし」
「私は辞退するわ」
「なんで?哀ちゃんも来ればいいのに」
「博士待ってるし」
「俺も夜には消えてあげるから」
 そうして快斗は服部の耳元で何やら囁くと、
「この腐れ外道がっ!」
「ホラやっぱ図星〜〜〜」
 ケラリと笑うと、
「名探偵も苦労するね、服部がダンナじゃ」
「っるせぇっ!」
 白皙の貌を僅かに紅潮させ、新一は叫ぶ。
「貴方達、少しは場所考えて会話しなさい」
 快斗が何を言ったのか予測の付いてしまった哀は、軽く額を抑え、次に呆れて口を開いた。
快斗の言うように、こうして未だ呼んでもらっているうちは、きっとそれが一番よい形なのだろう。
「いつまで貴方、そうして呼び続けてくれるのかしら……」
 気付いていない筈がない。自分の躯の事だ。
いつかきっと、誰かれらの前から消えてしまうのかもしれない。痕跡一つ残さずに。
「灰原」
 先を行く三人を眺めている哀に、新一は戻ってきて手を差し出した。
「ホラ、行くぞ」
「優しいのね」
「俺さ、別に後悔は沢山在るし、絶望もあるけど、でも今は今で救われてっから。お前も、俺の事ばっか考えてんなよ。少しは自分の事も、気遣ってやれよ」
 ポンっと、赤味がかった茶の髪を撫でると、
「貴方の癖、完全に西の探偵さんの移ってるわよ」
 まぁ始終一緒に居れば当然ね、哀はそう軽口を叩くと、新一の腕を取った。
「両手に葉っぱも、悪くないかもね?」
「葉っぱ?」
「花は女。男の人は葉っぱよ」
 だから貴方葉っぱよ、哀は笑う。
「んじゃ俺も葉っぱの仲間入り」
 そう言って、快斗は哀の左の腕を取った。哀の持っていた破魔矢は服部が持ち、新一の隣を歩いている。
 いつまで一緒に居られるかなんて、誰にも判らない。だから今は今の倖せを満喫してもいいのかもしれない。この先訪れるだろう哀しみを乗り越える為に。






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