怠惰と贅沢の方程式











「んん〜〜」
 長い褐色の腕が、ケットの下でモソリと動き、サイドテーブルに片腕だけ横着に伸びた。
「10時……」 
 手にしたリストウォッチで、自覚を確認すると、服部は怠惰に呟いた。
「よぉ寝たなぁ」
 他人事のように呟くと、未だ頭の芯は冴えないのか欠伸をする。隣に視線を移せば、自分に背を向け、丸くなって眠る姿が在る。
 熟睡しているだろう姿に、服部は柔らかい笑みを口端に浮かべると、静かに上半身を起した。暖房の入っていない冬の空気は、肌身に冷たく纏い付く。
 服部のパジャマの上着は、新一に着られている。自分には大きい服部のパジャマの上着だけを、新一は好んで着る事が有る。
 大抵は情事に及んで、パジャマなど着る必要はない事が概ねな夜は、けれど昨夜のように、ただ緩やかな抱擁に抱き合い眠る事も有る。そんな時、新一は服部の苦笑を誘い、パジャマの上着だけを着る事になる。必然的に、服部は残されたズボンを履く事になるから、最近は濃紺のガウンを購入し、近頃ではソレを着る事が多くなった。時には新一に、そのガウンさえ奪われてしまうから、そんな面ばかりを見れば、子供のようだと苦笑する。
 服部は、床に放り出してあるガウンを拾い上げ袖を通すと、ソッとベッドからぬけ出した。
 レースのカーテンだけが引かれた少女趣味の出窓のカーテンをソッと捲って外を見れば、気象庁の予報どおり外は雨が降っている。前線が発達していて、午後にはひどい雨になる。確かそんな予報をしていた事を思い出す。
「たまには予報も当たるもんやな」
 雨の苦手な新一は、今日は特別な用事もなければ出かける事はないだろうから、これからブランチにして、午後はきっと書庫に籠って読書に時間が費やされるだろう。
 新一を起さないよう、フローリングの床を音を立てずに歩いて、室内を出ようとノブに手を掛けた時だった。
「服部、珈琲」
 横着に背を向けたまま、白く細い片腕だけをヒラヒラ振って、服部に寝起きの珈琲を要求する新一が在た。
「……工藤…起きたんか?」
「ん〜〜未だ頭起きてねぇから。珈琲」
 ヒラヒラと、再度手を振って要求する姿に、服部は大袈裟に溜め息を吐き出した。
「せやったら起きて顔でも洗い。眼ぇ醒めるやろ」
「面倒くせ〜〜、どうせ今日一日雨だろ」
「面倒ってな工藤、起きないつもりか」
「気が向いたらな」
 コロンと、シーツを撓ませ、新一が丸まって服部の方に向き直った。ネコのような仕草だと、フト思う。
「無精もんやな」
「贅沢な時間の過ごし方って言え」
 訂正しろと反駁し、それでもケットに丸まっている姿は、子供のソレだ。まだ頭の芯は醒めていないのだろう。眠たげな声と貌が、服部をぼんやりと見ている。
「物は言いようやな」
 ソレが自分に見せる甘えだと心得ているから、服部は緩やかな笑みを刻み付けた。
「っるせぇ」
 とっとと淹れてこいっ、新一の声より早く、服部の顔面にクッションがヒットする。
「工藤〜〜〜」
 柔らかく顔面に当たって床に落ちたクッションを拾うと、
「子供やな工藤。ココアでも淹れたろか?」
 ベッドに近付き、腰を屈めて新一を見下ろした。見下ろし、意味深に笑うと、細い腕が伸びた。
「くっ……工藤〜〜〜」
 細い腕がねだるように伸びてきたと思ったら、口の両端を引っ張られた。
「んな口利いてんのは、どの口だよ」
「工藤、自分、まだ眠てるやろ」
 子供のような仕草に、服部は苦笑する。
「頭醒めてねぇ、言ってんだろ」
 だから珈琲と、甚だ理不尽な要求を口にする新一は、それが甘えだと自覚している。
「寝起きには濃い珈琲」
「何か食うか?」
「いい」
 いらねぇと、素っ気な答える新一に、服部は半瞬攅眉し、長い前髪を掻き上げ、白い額に掌を翳した。
「なんだよ」     
 交睫していた瞼が、半眼開かれる。色素の薄い眼差しが、服部を見上げている。
心配気に自分を覗き込む表情に、新一は苦笑する。
 我が儘を言って、こうして心配してくるのだから、優しい恋人だと思う。そう考えれば、自分の何処がよくて隣に在るのだろう?そう思う。
「具合、よぉないんか?」
「バーロー、下らねぇ心配してんな。俺が雨苦手なの知ってるだろ」
「苦手やけど、嫌いやないやろ?」
 サラリと、髪を梳いていく。大きい掌の感触が心地好く、新一は半眼閉ざし、擽ったげに薄い肩を竦めた。
 新一に初めて告白したのも雨の中から、衝動的にキスをしてしまったのも雨の中。初夏の事件の後、胸が締め付けられる程の約束を交わしたのも雨の中だ。
「お前心配しすぎだ、珈琲」
 肩を竦め、交睫したまま、新一は素っ気なく要求する。長い睫毛が白い瞼に陰影を落としているのが、服部には気掛かりだった。
「疲れてるんやないか?」
「昨日してねぇんだ、疲れるかよ」
 シレッと言う新一に、半瞬後、服部は脱力した。
「工藤……タチ悪いで〜〜」
 情事の最中、確かに欲しいと言う想いを隠す事のない新一は、ベッドの中では放埒な娼婦さながら淫らに服部を挑発するのはいつもの事だ。清冽で清潔な印象の新一は、けれど背後にタチの悪さをも横たわらしている事が不思議だった。新一を見ていると、清潔と淫蕩は成立する、そんな気分にさせられるのも、いつもの事だ。
「っるせぇ、本当の事だろ」
 いったん肌を重ねてしまえば、溺れる心地好さに溺れ漬かってしまうから、心身共に達してしまうのはいつもの事だ。だから朝方まで睦んで、起床は昼過ぎという事は珍しくはない。その事を考えれば、昨夜は肌を重ねなかったのだから、疲れる筈がないと言うのは、新一流の考え方だ。それをして服部はタチが悪いと脱力するのだ。
「ヘイヘイ、俺が悪うございました」
 新一には何を言っても適わない、そんな気がして、服部は大仰に溜め息を吐き、室内を出て行った。










「工藤、ほんま今日一日、そうして過ごす気ぃか?」
 普段よりやや薄めのモカを淹れ戻ってきた服部は、身支度の気配一つしない新一に呆れ、ベッドに腰掛けマグを手渡した。
 寝起きの新一に珈琲を淹れる時、服部はいつもより薄めのモカを淹れる。そしてマグも一つしか用意しない。二人で一つのマグの珈琲を飲むのが、半ば習慣化していた。
「別に何もする事ねぇし、いいじゃねぇかよ」
 服部のパジャマの上着を着込み、緩く暖房の入れた室内で、新一はベッドに上半身を起し、マグに口を付ける。
「怠惰やな」
「バーロー、忙しい現代社会じゃ、怠惰な時間こそ贅沢なんじゃねぇか」
 基本的に日本人は貧乏性だ。働き者と言えば聞こえはいいが、単に何かしら動いていないと不安なのだ。 
「珍しいやん、工藤が書庫に籠らんなんて、雨の日、大抵書庫に籠るやろ?」
 新一に誘われ、服部もやはり着替える事なくガウンを羽織ったまま、ベッドに半身を起し、交互にマグに口を付けている。
 確かに恋人とこうして過ごす時間は、贅沢なものに思えた。
「午後から雨ひどくなるって言ってるし、出かけなきゃならねぇ用事ねぇし。たまにはいいんじゃねぇ?こんな時間が有っても」
 外から聞こえる雨音は、徐々に強くなっていた。
「雨の日って、怠惰な時間が似合うし」
「どういう理屈や?」
 新一の言葉は、時折不思議だと思う。その感性に驚かされる時もあるけれど、こうして意味不明な言葉を呟く事もある。
「スゲェ小さい時は、よくレインコート着せられて母さんに散歩に引っ張り回されたんだけどな、程度の年齢になると、雨の日って外の雑音ねぇから静かだろ?だから読書に時間費やしてた」
「書庫なら、雑音なんて入らないんやないか?」
 工藤邸の書庫は、地下に在る。元々喧騒が入らないようにと考慮されての設計だろうから、雨でも天気でも変わりはない筈だった。
「バーカ、気分だよ気分。天気の日は、それこそ書庫に入り浸っててみろ。母さんに連れ回されるのがオチだったし、サッカーの練習してたし。雨の日は、やっぱ気分的に静かなんだよ」
「せやな、俺もまぁ雨の日は、よぉ本読んどったな」
 それは確かに周囲の雑音が少ないからだったのかもしれない。晴れていれば、夕暮れまで、友達と外を駆け回っていた記憶があった。確かに気分とは、そういうものなのかもしれない。
「なぁ服部、贅沢な時間の過ごし方、教えてやろうか?」
 マグが空っぽになった時、新一は服部を見上げ、意味深に笑った。
「タチ悪いで、工藤」 
 空になったフォンテネーのマグを受け取り、サイドテーブルに置くと、意味深に笑う新一の双眸を覗き込む。瞬く眼差しの表層には、悪戯の反応を楽しむ子供のような光りが浮かんでいる。
「健全な事、しようぜ」
 スゥッと、白く細い腕が、途端に色を纏い付かせ、服部に伸びた。
「不健全とちゃう?」
 伸びてきた白い腕、指先の先、妖冶な気配を滲ませ纏い付くソレに、恭しく接吻る。
「恋人同志でこうしてて、何もしねぇ方が、よっぽど不健全だ」
 瀟洒で繊細な面差しを服部の眼前に突き出し笑うソレは、艶冶なものを滲ませている。吐息で囁くと、新一は服部のガウンの胸元を広げると、褐色の肌に顔を伏せた。口唇を這わせ、吸い上げると、鎖骨に鬱血の跡が付く。ソレを満足そうに眺めると、新一は笑った。
「俺にばっかってのは、面白くねぇからな」
 服部との情交で、雪肌に残されて行く鬱血の跡。胸元から下腹に散るソレは、今も色鮮やかだ。
「アホ言い、工藤の跡なら、背中にぎょうさん付いとるで」
 愉悦の中に崩壊していく新一が、幾重も付けた朱線。感じるままに爪立てる仕草はネコのソレだ。それは背や肩口、腕にと、残されている。
 胸元で艶冶に笑う新一に溜め息を吐くと、服部は薄い肩を包み、シーツに押し倒した。
「怠惰こそ贅沢、確かにその通りやな」
 組み敷いた華奢な姿態。頬から首へと淫らに這う、何処か冷たい指先の感触。互いの眼差しに、隠さない情欲が滲んでいるのが判る。
「だろ?」
 躊躇いもなく下肢を開き、恋人の姿態を挟み込む。近付いてくる精悍な貌に、薄い笑みを滲ませ、キスをねだる。
「んっ……」
 吐息が情欲に色付き朱に染まる。褐色の背に爪を立て、印を残して行く。
強くなる雨音に比例して、室内は淫らな空気に染まっていく。
 雨の日の、これこそ贅沢な時間の過ごし方。



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