月に眠る祈り SCENE3









「んぁっ…やっ…だ……こん…な…ぁっ…んっ…服部ぃ…」
 舌足らずな嬌声が、ベッドサイドの照明だけが灯る室内に、余韻嫋々と淫靡に響いている。
「気持ちええやろ。工藤ん内、よう蕩けて柔らかくなってるで」
 ぬめる程に柔らかく喘ぐ新一の肉の熱さに、服部は腰を突き上げる。瞬間、服部の腹の上で、華奢な姿態が身悶える。
「ヒィッ!ゃぁ!ぁんっ…服部ぃ…服部ぃ…もぉ…」
 下から腰を突き上げられれば、自分の重さで嫌でも恋人の雄を根元まで受け入れてしまう。服部の熱棒は、内部で益々硬さを増し、知り尽くしている自分の性感の奥を、掻き混ぜ、刺激して擦っていくのだ。
「ホラ工藤、もっと動きや。その方が、もっと気持ちよくなるんやで」
 下から見上げる恋人の嬌態に、服部は喉を鳴らす。自分より華奢で細身の裸体が、淫乱に喘ぐ様が丸見えで、雄の欲望を刺激していく。
 服部は細腰をガッシリと掴み、揺すり立てる。
「ぃやっ!や…だぁ…離し……もぉ…ぁん…イ…クゥ…」
 服部を挟み込む形で、彼の腹の上に座り込み繋がっている姿態が細腰を動かされ、ガクンと下肢が開いてしまう。そうすれば、なお深く服部自身を受け入れてしまう結果になる。
 結合部の奥から、グチヤグチヤと濡れた音が淫靡に響く様が、新一をなお啼き狂わせた。細腰の奥に、開放されない凝縮された熱の塊を感じ、新一は嫌々と激しく喘ぎ身悶えていく。
「ヒッ!やっ…ぁぁんっ…やっ…!服部…こ…んな…恰好…」
 嫌々と頑是なく細い首を振り乱す。
白い裸体は桜に色付き、細い腕が、縋るように服部の胸板に爪を立てている。必死に怺える様が、服部の雄の嗜虐を煽情する事を、新一は、けれど知らない。
 陽に灼けた褐色の肌。幼少時より剣道を続けている肉体は鍛えられ、骨格に沿い、綺麗に筋肉が付いている。
 服部の剣の腕前は、高校大会優勝者であるというだけでなく、強者揃いでは警視庁とひけをとらない大阪府警の刑事達を、一人で打ち負かした剣の天才だった。ばかりか、服部は幼馴染みの和葉と共に、少林寺も習得し、父親から逮捕術も手ほどきされ、今では剣だけでなく、逮捕術でも大阪府警の捜査員を投げている腕前の持ち主だった。
 そんな服部の胸板や背筋には、新一が付けた朱線が幾重も刻み付けられている。そして新一の白い裸体には、服部の所有印が散っていた。それが情感によって桜に色付く肉体の中で、淡紅色に色付くと、なおいっそう、なまめいて見えた。
「んっ…ぅぅんっ…服部ぃ…もぉ…あんっ…んゃっ…」
 自然細腰が動く事を、新一は止める事ができない。淫らで浅ましいと思い、それでも服部を欲する事を止められないでいる。 嫌々と頑是なく細い首を振り乱し、熱に浮かされ半眼閉ざされた瞳からは、快楽の涙が溢れていく。
 内部に押し込まれ、質量を増す熱棒は、内側から圧迫し、肉を押し開き掻き回していくのだ。自分の性感帯を知り尽くし、擦り上げて行く服部の雄に、新一は嫋々に啼き喘ぐ事しかできなくなる。
「名前呼んでや、工藤」
 下から突き上げる都度、顕著な反応を返す肉体の敏感さに、服部も限界に近付いていた。
 腹の上で踊るように跳ねる姿態。その内部は驚く程に蕩け、雄を包み込む術を、教え込まれた甘美な肉体だった。そうして何も知らずにあった新一を、確かに抱かれる躯に慣らしたのは、自分なのだと言う傲慢な満足が服部にはあった。
「んっ…ぅっ…んっ…平……次…」
「新一」
「……ッ…」
 服部の低い声が聴覚を刺激した瞬間、痩身が跳ね、嫌々と、激しく首が振り乱される。瀟洒な指先が、ますます肉に爪を立てた。
「俺が名前呼ぶと、そないに感じるんか?」
 スッと、細腰を掴んでいた片手が離れ、淡い翳りの中央で息づく新一自身を包み込む。刹那、
「ヒッ!離…やっ…平…次…」
 人の手の温もりに囚われた小魚さながら、華奢な姿態が跳ね上がる。
「こないになってて、イキたいんやろ?」
 新一自身は、先端から白濁とした粘稠の愛液を滴らせ、淫靡に濡れている。ソレは痛い程に張り詰め、開放を哀願していた。 緩やかに追い上げると、新一は声もなく嫌々と頭を振り乱す。肉の奥を凝縮した熱の塊が出口を求め、奔流している様が、痛い程肉の奥を灼き焦がし、焦燥を煽られて行く。
「新一…」
「やっ!」
 ビクンと、顕著に反応する。
新一が日常で服部に名前を呼ばせない最大の理由は、コレにあった。
コナンだった当時から、服部が『新一』と呼ぶのは、情事の最中だった。その所為なのだろう。服部に名前を呼ばれると、嫌でも情事の最中の自分の痴態を思い出してしまい、どうにもならない自分を意識する。だから新一は、情事以外の時間では、服部に名前を呼ぶ事を許さなかった。 
「腰、動かしてや、新一。俺もそろそろイキたいんや、新一んナカで」
「やっだ…やぁ…平次ぃ…」
 言われるまでもなく、新一は腰の動きを止める事などできないでいた。淫らに円を描いて蠢き喘ぐ細腰。ガクガクと顫える内股が、新一の限界を知らせている。
「もっ…もぉ…ん…くぅぅ…」
 内部で質量を増し、内側から花襞を押し開いていくその圧迫感に柔肉を擦り上げられ、肉襞が充血しきっているのが判る。 ハァハァと、忙しい呼吸で喘ぎと嬌声を嫋々に繰り返す。
白皙の貌は紅潮しきって、口唇は渇ききっている。その渇きを癒す為にか、肉色した舌が、口唇を舐める仕草が奇妙に淫靡で、ソレは雄の嗜虐を煽情する。情事の最中の新一には、雄の欲望を刺激し煽情する、被虐性があった。
「綺麗や…」
 甘く囁くと、服部は振動を付け態勢を起こした。
「ヒィッ!やっ…!う…動くな…ダメ…」
 突然態勢を変えられ、肉棒が威勢よく内部に突き刺さる。
その感触に、新一は背筋を顫わせた。顫わせ、細い腕は、咄嗟に掴まるものを求め、褐色の背筋に朱線を描いて縋り付いた。
「新一……新一」
 対面座位の態勢でまぐわい、細腰をきつく抱き抱え、自身を突き挿れる。敏感に顫える新一が愛しく、そしてもっと乱れさせたくて、服部は耳朶を甘噛み、濡れた軟体が内腔へと這った。ピチャリと音を立て耳朶の奥へと這ってくるモノ。そして甘く低い声に名を囁かれ、新一は限界に来ていた。尤も、既に精神的には何度となく達している新一は、恍惚とした官能の淵に埋没していた。
「平…次ぃ……もぉ…ィク…ぅん…」
 肩口に顔を埋め、ギュッとしがみ付く。開かれた下肢が褐色の腰に回り、内部の服部を心地好く締め付けている。
「新一……」
 細腰を突き動かし、揺すりたてると、内部の自身がギュッと包まれ、服部は達しそうになる。
 しっとり吸い付き絡み付いてくる花襞は、男を快楽に陥れる術を心得ている娼婦のようで、服部を夢中にさせる。
 しっとり薄く汗をかき、指先に心地好く吸い付くしなやかな肌。情感で熱くなりながら、それでも裏腹に何処か磁器のように冷ややかな感触をしている新一の雪肌を知る者は、自分だけなのだと言う満足が服部を熱くさせる。
 茱萸の実さながら色付き屹立を増す乳首。淫蕩に乱れ、閉じる事の適わなくなった紅脣。紅潮し、悦楽の涙を流す繊細な貌は恍惚と色付き、達する寸前の官能深い表情を曝ていた。
「平次……へ……じぃ…」
 舌足らずで辿々しい嬌声が、甘く服部を挑発している。
推理以外の時間では、新一は服部が唖然とする程素直だ。特に情事の最中では、最初こそ建て前の抵抗をしてみせるくせに、服部の指先が胸元を彷徨う時にはあっさり抵抗を放棄し、娼婦の表情をして服部を誘うのだ。そして服部が唖然とする程、素直な媚体を眼前に曝す事に躊躇いをみせない。
「愛してる……」
「平次………」
 律動が切迫し、吐息が喘ぎ忙しくなる。途切れた声の狭間で互いの名を呼び、意思も意識も混融する、法悦の淵に身を溶した。                    









「昨日の件、乗ってるで」
 翌日、結局二日続け、深く肌を重ね睦んでしまった二人の起床は遅かった。
 こざっぱりとシャワーを浴びた服部は、黒のシャツにジーパンという姿で、片手にコーヒー、片手に新聞を持ち、新一の部屋へと入ってきた。
「ん〜〜〜」
 ベッドの上、俯せにねっ転がり、二日続けての情事に疲れた躯でダラダラしていた新一は、横着に片手を伸ばし、応えた。
「コーヒー淹れたで、いい加減に起きたらどないや?それとも、躯きついか?」
 横着に手を伸ばしてきた新一に、服部は苦笑すると、新聞を渡してやる。
「ン〜〜」
 案外寝起きの悪い新一は、事件絡みでない限り、覚醒してから暫くは頭が働かない。その事を服部が知ったのは、同居を初めたばかりの、ごく最近の事だった。
 新一はゴソゴソ起きると、服部が背にクッションをあてがってやる。
「代々木署に、特捜たったみたいやな」
 ストンと、ベッドサイドに腰掛けると、珈琲を片手に新一の手元を覗き込む。
「変死体発見、身元不明……殺人・死体遺棄事件で捜査開始…」
 ブツブツ独語する新一は、漸く頭が回転してきたらしかった。そしてベッドサイドの時計に視線を向ける。
「いい加減、中毒判定されてるよな…」
 昨日遺体が発見され、解剖に搬送されたのは夕刻だ。そして朝刊の最終原稿が間に合う時間を考えれば、ギリギリ毒物判定されたかされないかと言う時間帯だった筈だ。
 新一の手元の新聞には、昨日の事件は掲載されているものの、極小さい記事でしかない。そこには殺人・死体遺棄事件で警視庁捜査一課と代々木署が捜査を開始。その程度しか掲載されてはいなかった。
「まぁ、百%昨日のアレは中毒死やろうからな、ええ加減、判定出たとちゃうんか?ギリギリ朝刊に間に合うかあわないかで、掲載できなかったか、どっちかやろ。ただ、毒物特定できたかは、微妙やな。身元も不明のままみたいやし」
「お前、何の中毒だと思う?」
 服部の手からマグカップを取ると、一口口に含み、新聞から視線を上げずに問い掛ける。  
 寝起きの新一は、大抵が頭が回転しないから、服部は珈琲は一つのマグカップにしか注いではこない。新一程にカフェイン中毒ではない服部は、新一の横から飲む程度だ。
「なんやろな、少なくとも、青酸性じゃないのは確かだな。一酸化炭素、硫化水素、二酸化窒素の有毒ガス系。睡眠薬、向精神薬、アンフェタ関係の医薬系、青酸やなんかの工業薬品。農薬の有機リン系、あとは自然毒やな。動物毒か、植物毒」
 一口に中毒死といっても、その種類は多数に渡る。それだけに、毒物特定には時間がかかる。胃粘膜や胃液、血中濃度など、毒殺の判定はできても、簡単に毒物の特定はできないのだ。
「ガスは考えにくいよな、となると、医薬品……、アンフェタのたぐいの急性中毒か、睡眠導入剤じゃ、人は殺せない」
「農薬系はどないや?」
「殺害状況によるよな」
「アア、相手に殺す意図見抜かれないようにするなら、有機リン系は無理やな。ありゃ臭いが強すぎる。青酸なんかも同じや。ありゃアーモンド臭がきつい。今時素人でも、青酸はアーモンド臭やっつうのは知っとるからなぁ。相手に殺すって意図がバレても困らん状況やないかぎり無理や。それに大抵毒殺は計画的やし、殺害相手に殺害の意図を見抜かれては困る場合に使用すんのが普通や。でなきゃ、んな面倒な事せんでいいんやし」
「お前ならどうする」
「俺かぁ?そうやな」    
 毒物で相手を殺そうとする場合、自分ならどんな方法をとるだろうか?
「植物毒なんてのはどうや?」
「トリカブトか?」
「代表例やな。まぁでも植物毒なんて、珍しないやろ?植物毒やったら、青酸毒でも不思議やないな。昔あったやろ?母親が子供の弁当にオニギリ作こうて、ダリアの葉っぱにくるんでやったら、子供が死んでしもたって話し」
「お前…ソレ俺達が生まれる前の話しじゃないか?良く知ってるよな」           
「俺らが生まれる前の話しって知ってるって事は、お前だって知ってるって事やないか」 
 よく言うと、服部は肩を竦めた。
「青酸は、元々自然界に在るからな、曼珠沙華の根っこや、それこそ青梅なんてそうだし」
「あとは、動物毒…テトロドトキシンのフグ毒や蛇毒」
 服部は、新一の手首を引き寄せると、珈琲を啜る。
情事の後をまったく隠さない新一の裸体は、今は雪肌の白さを取り戻してはいるものの、細腰から下はケットで覆われてはいるが胸元は隠す事もないから、白い肌には服部の付けた所有印が淫らに刻まれている。              
 躊躇いなく白い肌を見せている新一に、服部はこっそり嘆息を付く。推理に頭が回ると、他の事にまったく頓着しない性格も困ったもんだと、服部は溜め息を吐き出した。
「?どした?」
「挑発や、してまうで」
「アレだけやって、お前元気だな」
 服部の台詞に、新一はキョトンとまろい双瞳を瞬かせ、呆れた表情をして恋人を見ている。
 新一が、本気でそう思っている事が判るから、服部は無防備な恋人の台詞に、脱力する事が少なくはないのだ。
 新一の幼馴染みである毛利蘭の言う通り、新一は推理バカなのには違いなかった。ただの推理オタクだったら、事件に巻き込まれる事もなかったのだろう。新一の不幸は、父親が推理作家で、幼い時から推理小説に接してきた下地と、生来の好奇心と、それを満足させる頭脳があった事だろう。それが新一をただの子供には成長させなかったし、事件に巻き込まれる事にもなったのだ。けれどそれを不幸だと欠片も思っていない所に、新一の強さはあるのだろう。コナンになった時でさえ、新一はいつか必ず、元の姿に戻れる事を、疑う事はしなかったのだから。そしてそんな中、崩れそうになる思いを、いつも背後から気遣い、支えてきてくれた人間が在る強さと痛みを、コナンになって、新一は手にいれたのだ。
「そらないで〜〜」
 散々可愛い嬌声で啼いて、挑発したのは自分だろうと、服部は脱力する。
「テトロドトキシンか…青酸致死量の0.15〜0.3mgに対して、0.01mg程度の致死量で済む猛毒。でも、入手ルートは、青酸より困難」  
「せや。フグ毒は、調理法によって誰でも調理できるわけやない。その調理には特殊免許が必要やし、内蔵捨てるにも、鍵のかかった場所に保管して、捨てるように徹底されとる」
「相手に殺す意図見抜かれていい場合に、通常毒物は使用しない。絞殺でも扼殺でもいい。返り血浴びるリスク考えなきゃ、刺創でもいいんだ。ただ判んねぇのは、そんな計画的に殺しといて、アノ遺体は、無造作に捨てられてたって事だ」
「せやな、でも判ってる事もあるやろ?」
 意味深な台詞に、新一の酷薄な口唇が薄い笑みを刻み付ける。こんな時の新一の笑みは冷ややかな忍び笑いで、情事の最中同様の効果があった。
「アア、相手はプロだ、殺しのな」
 磨き抜かれた月の光のような酷薄な笑みに、服部は白い手首を掬い上げたまま鷹揚に頷き、マグカップに口付けた。
その時には、気付きもしなかったのだ。新一のもたらした台詞の意味合いなど、告げた新一自身。                 
       







「代々木署に特捜たったって事は、警部はデスクか」
 昨日の事件現場になった代々木公園に行く為、最寄り駅である原宿に降り立った時の、それは二人の会話だった。
「今頃、指揮系統に難渋しとるんやないか?」
 特捜本部は、事件発生時の所轄に特捜本部が立つのが通常だ。目暮は捜査一課5係々長だ。係長は、現場捜査員と管理官との調整役をし、捜査方針を管理官と立案する義務をおっている。と言う事は、当然所轄の捜査本部に詰めている事になる。
「どうせ月山さんが、喜々として現場に出向いてるんだろうから、後始末は、全部目暮警部がしてるんだろうな」
 官僚候補であるキャリアの管理官など、現場には無用だと言われてきた。けれど最初キャリア管理官の下敷きを作った人間の有能さが活かされ、今では月山でキャリアの管理官は3代目で、最初の管理官同様、月山は現場が大好きなキャリアだった。ノンキャリアの陰口にもめげない月山紀子は強かったし、キャリアには珍しくノンキャリア同様の捜査方法と臨機応変さを持っていたから、今では現場捜査員に受け入れられて久しい。そして今では8人在る捜査一課古参のノンキャリアの管理官を抑え、被疑者検挙率、起訴確定率・公判有罪率は一番の管理官になっていた。けれど捜査本部の管理官席におとなしく座っている性格はしていなかったから、その後始末は、大抵がノンキャリアの係長に回ってくるのだ。そしてその被害を一番被っているのは目暮だと言う事を、二人は判っていた。そして目暮がキャリアの管理官である月山をかっている事も、知っていた。
「しゃぁない、直接月山ハンに訊こか」
 どうせ現場捜査員を纏めている主任刑事は佐藤だろうから、どちらにしろ、情報源には苦労しない筈だった。
「警視庁のサイトには、情報あがってなかったよな」
 昨夜の情事の所為で、スッカリ予定が遅れた二人は、アレから遅い昼食を摂りながら、ノートパソコンで警視庁のサイトを覗いていた。
 スッカリ予定が狂ったとボヤくものの、その半分が自分の責任だと自覚のある新一は、ボヤきながらも、デリバリーピザを頬張り、慣れた仕草でPCを操り、ページを開いていく。その仕草が、そのサイトにもう何度となく通っているだろう事を、服部に窺わせた。窺わせ、苦笑を誘った。
 二人が覗いていた警視庁のサイトは、当然通常の検索ルートでヒットする警視庁PRページではない。
 二人が覗いていたサイトは、警察組織の、それも上層幹部でなくては知り得ないパスワードを使用し、画面を開き、捜査状況を覗いていたのだ。ソコには警視庁が抱えている捜査本部の状況が、逐一映し出されていた。
 事件は何も刑事部だけが抱えているわけではない。刑事部だけでも、凶悪犯罪を扱う捜査一課から、経済犯罪の捜査二課、窃盗を扱う捜査三課、暴力団相手の捜査四課と別れているし、薬物などを扱う生活安全部。地域と密接している地域部、更に警視庁都下101在る所轄の捜査状況となると、ファイルは膨大な数になる。
 その中でも、秘密色の濃い公安部のファイルは、別になっているのか、二人の知るパスワードでは、検索されないシステムになっていた。そして二人が、そのパスワードを知らない筈はなかった。
 それぞれ申し合わせた訳ではないのに、パスワードを知っていた。互いに何も話した訳ではないのに知っているそのパスワードに、日本警察の情報管理や自己防衛機能の甘さに、肩を竦めた二人だった。だから簡単にハッカーに、省庁のシステムを書き替えられたりするのだろう。  
 新一は、知っている。
服部の父親は大阪府警本部長だから、当然警視庁のメインコンピューターにアクセスできるパスワードは知ってて当然だろう。けれど昨今の警察不祥事にたち続き、監察制度の徹底が、警察庁首席監察官室から管区警察局へと指導されているから、組織内部の情報管理は徹底されているし、服部の父親が、我が子可愛さに、公私混同する筈がない人物だとも知っていた。
 そして服部も知っていた。
目暮警部など、警察組織の人間に精通しているコネクションを持つ新一でも、警部では組織の中枢に位置するメインコンピューターへのアクセスパスワードは知り得ないと言う事を。だから新一がそのパスワードを知っているという事は、別口のコネクションがあると言う事だろう。新一自身、相当PCには詳しいから、知ろうと思えば、それなりに知り得るルートが存在するのだろう。敢えて服部も訊きはしなかったし、新一も尋ねはしなかった。
 互いのテリトリーは侵害しない。譬え恋人同志であっても、それは最低限のルールだった。でなくては、この関係は近くに破綻してしまうだろう事を、二人は自覚している。
 恋人同志ではあるけれど、同時に、探偵として対等であり、ライバルでありたいと考えているのは、二人とも同じだった。守られるだけでも、守るだけでもない。その関係はあくまで対等でありたかった。でなくては、愛情は何一つ育たない事も、知っている二人だった。
 育てたいのは愛情であって、庇護欲でははなかった。そして互いに歩いて行きたいのだ。それは尚いっそう二人の身の裡を切なく焦がしていく愛情になる筈だった。そして二人は既に知ってしまっていた。深い切なさや優しさに泣く愛情と言うものの存在を。二人は17歳のアノ時、知ってしまった。それはこれから先、二人を苦しめていくだろう。傷つけていくだろう。けれどそれを乗り越えなくては、真実には到底辿り着けない事も、二人は正確に理解していた。
「更新記録、昨日やったからな。今頃何か情報あがってるかもしれんで」
 原宿駅からゆっくり歩いて行けば、昨日の雨が嘘のように晴天に見回れ、日曜な事もあってか、若者の街は喧騒で溢れていた。
「奇妙だよなぁ」
 事件現場の代々木公園に足を踏み入れ歩いて行くと、歩道の奥には茂みがある。その茂みの合間を縫う様に、昨日視たホームレス達の『家』が在る。
「なんで秩序から断然した筈なのに、ああして秩序だって『家』並べてるんだろ」         
 昨日も、新一が呟いていた台詞だった。
「昨日から、気にしてるな、そないに気になるんか?」
 二人の視線の先に在るホームレスの家は、青いビニールテントだったり、ダンボールの家だったりしているが、その建ち並びは、同一線上に並べられ、秩序だっている。それが新一には奇妙に映っていた事を、服部は判っていた。昨日新一が呟いた薄気味悪いと言う台詞の意味は、秩序から断然した筈の人間が、秩序の中で生きている事実を指した言葉だった。
 初夏の陽気に移り変わる季節の狭間で、木々は空翠から、青黛へと移って行く。その中で、点在するキャンプ場を連想させるホームレス達の『家』は、どれもが奇妙な程、整然と秩序だって並んでいる。
 秩序に価値を置く社会という枠組みから断絶した筈の人間は、結局相変わらず秩序に囚われている。その奇妙さが、新一には薄気味悪かったし、可笑しかった。理解できなかった。
「結局、天涯孤独な身の上でもなけりゃ、真実社会的断然はありえんってこっちゃ。家族から離れてホームレスになる。その理由はまぁこないな不景気やから、個人個人理由はあるやろうな。でもな、家族から離れて一人になっても、本人は社会っつぅ枠組みからドロップアウトしたつもりでも、そんな事あらへんのや。そいつを探している人間が居る。心配してる人間が居る。そんだけでそいつは社会っつう枠組みからは逃れられんのや。まして家族が心配して、捜索願でも出しててみぃ?立派に社会の中に入ってるってことや。年間どないな人数の特異家出人が居ると思う?ホームレスも立派に社会の一員ってのは、その存在自体がその証拠や。美観を損なう、迷惑だ、犯罪の温床になる。様々に言われとるそれだけで、立派に社会の枠組みに入ってるってことや。誰も社会の枠組みに入ってないもんを、迷惑なんて考えへんさかいな。それだけで十分社会に囚われてる証拠や」
「服部、お前ってさ、何も考えてないようで、ちゃんと考えてんだな」
「泣くで工藤〜〜本気かソレ」        
 関心したような新一の台詞に、服部はガクリと肩を落とす。
「アハハ、悪い。だってお前って普段明るいし、なぁ〜〜んも難しいこと考えてないみたいじゃん」
 どんな状況でも笑顔を絶やさない精神力が、服部の本質的な強さだと新一は知っている。笑顔の印象の強い服部の本質は、思案気で深慮深い事も、判っていた。そんな服部の素顔を知る人間は、極端に少ない筈だった。
「アホぬかせ、ちぃっとも難しいことあらへんやろ。単純なこっちゃ。天涯孤独の身の上で、山ん中ででも自給自足の生活でもせん限り、社会からの離脱や断絶なんて、夢の理想ってこっちゃ。ちぃっとも難しいことあらへんやろ」
 物事を難しい方向へと考える傾向のある新一にとって、服部の断言は驚かされる言動には違いなかった。
 物事を理論や理屈で変換しないと納得できない新一と違い、服部は物事の本質を見抜く直観に優れている。だから新一にとって気味が悪いという印象の、秩序だったホームレス達の家も、服部にとっては単純明快に出る答えでしかないのだろう。その思考力の違いが、二人の推理展開の違いにも現れている事を、新一は痛感した気がした。
「ホームレスが一般社会人にとって奇異に映るんは、自分達の価値の中に、当てはまらんからや。工藤、お前正常と異常の差異は、なんやと思う?」
 意味深な服部の台詞は、珍しい事だった。荒削りではあるが、精悍な面差しが女性にモテル要因である服部の、口端に浮かべた酷薄な笑みは、むしろ珍しい事だった。
「多数が常態であり、正常と判断されてるから、だろう?単純にいえば、少数は多数から逸脱しているから、異常に映る。数の多いものに、価値が置かれている傾向にある、から。だろう?」
「正解や」
「服部、お前さ、案外そっち方面に進んだ方が、いいんじゃねぇの?」                  
「アホいい、探偵には必要な必須条件や。犯罪を推理する時に必要なんは、情報を的確に判断する分析・取捨選択能力に、捜査線上に浮かんだ人間達と、現場の足跡状況から推察される被疑者の心理状態や」
「お前、きっとプロファイリングにむいてるぜ」
「俺等のしてる探偵業なんは、似たようなもんやんか」
 探偵業の仕事内容は、その探偵の得意分野と技量により多種に渡るが、少なくとも二人のしている探偵業は、プロファイリングに近いものだろう。警察でも被疑者検挙に手を焼く殺人事件に関わってきただけに、プロファイリング能力には長けているのかもしれない。
「ホラ、行くで」
 ポンッと、小作りな頭をひと撫ですると、新一は睥睨するように長身を見上げ、スタスタと歩きだした。   
「まったく、あないな所が子供や言うのに」
 判っているのかいないのか?確信犯か知能犯か、無意識か。恋人の姿に服部は深い笑みを刻み付けた。この場に和葉が在たら、きっと胸を痛ませただろう幽邃な笑みは、彼女が一度も眼にした事はないものだった。








「では、貴方がアノ遺体を発見し、警察に通報したんですね?」
 昨日、警察に第一報を通報したホームレスの存在は簡単に判明し、新一と服部は公園のベンチに座り、ホームレスの男に話しを聴いていた。
 警察に通報したと言う事は、その男性が第一発見者と言う事になるから、警察に事情聴取を受け、供述調書を作成され、男は少しばかり疲れた様子で口を開いた。
「アア、そうだ」
 そのホームレスの男は、片山吾郎と名乗った。実際それが本名かどうか、二人には判らなかった。
ココでは本名は何の意味も持たない。誰も本名を気にする事はなく、外見を重視する人間もいなかった。住民票も戸籍も縁がなくなって久しいく、保険証や免許証など、身分を証明し、保障する物など、彼らには必要なかった。そして新一と服部にも、彼の名乗る名前の真偽は必要なかった。そんな事は警察が調べて判明しているだろうし、これから二人が行う推理には、何の弊害にもならなかった。 名前は、個人を識別する為の符号にすぎない。価値を排し、個性をなくす、社会に適応する為の符号にすぎない。すぎないと、元営業マンだった彼は、現在の状況に身を置き、漸く悟る事ができたのだと言う。できた時、営業マン時代の堅苦しさから開放され、心底深呼吸した気分にになったとも、新一達に語っていた。                    
「朝から、あの場所に、放置されていたんやったな」
 新一の隣から身を乗り出す恰好で、服部が訊くと、男は無言で頷いた。
「可笑し思わなかったんか?」
「何がだ?」
「雨の中、朝から人が倒れていたのに、誰も可笑しいと思わなかったんでしょうか?通報されたのは、午後になってですよね」 
 丁重な言葉に被せられた疑問は、確認の意味しか含まれてはいなかった。
 感情の波を綺麗に殺いだ淡々とした声は、その端整な造作と相俟って、深い聡明さを引き出している。それは少しばかり冷ややかで、視る者に冷たい印象を与えかねないが、不思議と新一にはそれを嫌味に感じさせないナニかがあった。それは国際的名女優、世界の恋人と謡われた母親の美貌を引き継いだ所為なのか、感情を殺した冷ややかな面をしているくせに、奇妙に柔らかい印象がぬけないという二律背反を伴っていた。それが新一の魅力の一つだろうと、服部は思っている。
「ああ、そう言う事か」
 男は新一の台詞に、漸く納得がいったという調子で頷いた。
「別に可笑しい事はない。ココでは誰も他人に干渉しない。ココに居る者は皆、社会とは縁を切った人間ばっかりだ。警察へ通報する義務もない」
「でも貴方は、警察に通報した」
 男の語る言葉は、今まで新一と服部が此処に訪れる道すがら、語ってきた言葉そのままだ。此処に在る人間達は、誰もが社会から逸脱した事と思い込んでいる。人間は最期の最期まで、社会から断絶できない仕組みを知らず、社会と別離したと思い込んでいる大人達だ。 
 現に、男は関係ないと言いながら、警察へ通報している。
「本当は、どっかに捨ててやろう、そう思ってのさ」
「では、何故そうしなかったんですか?」
「犯罪になる可能性があるからだ。遺体を勝手に動かしたら、死体遺棄になってしまうかもしれない」
「犯罪…なぁ」
 男の台詞の二律背反さに、服部は肩を竦めた。
男が自覚している通り、遺体を勝手に動かしたら、死体遺棄が成立してしまったかもしれないし、今回の事件の発見も遅れたかもしれない。
 社会とは縁を切ったと言いながら、犯罪になる恐れが有るから、遺体を別の場所に動かす事もなく、けれど放置しておく事もできずに警察に通報した。立派に社会の一員として存在している事実に、けれど男は気付かないのだろうか?
「賢明な処置だったと思います。遺体を動かした場合、この住居を奪われたくないという目的で、遺体を一時的に略取し、移動したと見なされたかもしれないでしょう。利益を優先した、そう判断されていたかもしれない」
 男がそう判断できる程、精神的には社会とは何一つ縁は切れていない。本人だけか、自覚できないのだろう。競争が加熱する社会から逸脱し、開放されたと思い込んでいるだけだ。 
「まぁいろんな理由つけたけどな、単純には、関わりたくなかっただけさ」
 その時垣間見せた男の自嘲が、服部と新一には、本音を語っている事が判った。誰もが犯罪に関わりたくないと思うのは当然だ。喜々として、関わりを持つ者など少数だ。その少数の中に、新一と服部は組み入れられる。
「それでもあんさんは、警察に通報したんやな」
 結局、人が良いのだろう。遺体を無視できなかったのだから。関わりたくないと言いながら、こうして関わっているのだから。その矛盾さを自覚できない事が、不思議なくらいだ。



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