月に眠る祈り SCENE5











「服部の言うように、どれだけ素人が計画殺人を実行しても、おのずとその片鱗がほころびとなって現れてきてしまう。けれど今回の事件は、その痕跡が綺麗に拭いさられている。そんな事は、素人には不可能に近い筈です。だから暴力団、或るいはその末端組織の可能性を疑ったんです」
「不良少年グループなんて、大抵どこぞの暴力団の末端構成員やからな。トラブル起こしたかで、殺された可能性が高い。玄人ってたら、まぁ、暴力団関係を真っ先に疑うもんやろ?」
 冷静にそう告げながら、けれど内心服部が考えている可能性は、全く別のものだった。
 理性的な計画殺人。それも毒物を使用した痕跡はあるものの、異状死体の鑑定に慣れている監察医務院でも、すぐに特定の出来ない毒物。それらを総合して考えた場合。服部の脳裏に浮かんだ可能性は、解体した筈の組織の存在だった。
 中毒死の判定は出た。けれど毒物の特定は未だされていない。否定する可能性はゼロではない気がしたし、疑う余地の有る材料が転がっている気にさせられた。そう思い、隣に佇む綺麗な横顔を間視すれば、新一も、その可能性を疑ってはいない筈だという、奇妙な確信が湧く。
 新一は相変わらず感情を読ませない面差しをして佇んでいる。端然としたたたずまいをしているくせに、その気配は恐ろしい程希薄な気がして、心根の奥が恫喝される。
 それは意識の深奥から訪れる自らの恐怖なのだと、服部は判っている。
 新一が、再び危険を犯して走りでしてしまう要素が、簡単に存在してしまう事への恐怖。大切な彼が、傷つく事への恐れ。そしてきっと、自分は止める事ができないだろう懊悩。
 自分より細くて華奢な躯だ。それが新一の隠されたコンプレックスである事も知っている。
 彼の高潔な探偵としての自尊心を踏み躙り、力で抑え付けてしまう事は、難しい事ではないだろう。けれどそんな事をしたら、新一は二度と自分の元には戻らない。自分を赦さない。
 服部にとって恐ろしいのは、新一と言う存在が自分の元を去る事以上に、彼の危険に際し、助けを求めてもらえない事だ。助ける事ができない事だ。自分の知らない所で、新一が失われてしまう可能性など、考えたくもなかった。
 そしてそう思う感情の裏側に存在する、もう一つの感情を知るのは、共犯者めいた感情を共有してしまった、抑揚ない玲琅な声をした綺麗な少女と、未だ素顔の判らない、剽悍な小動物や、猛禽のような白い翼を持つ怪盗だった。
 探偵と怪盗という対極する立場のくせに、奇妙に関わりを深めてしまった黒羽快斗は、表の顔はマジシャン、裏の顔は怪盗という二つ名を持ち、何かと自分達に関わっている。それを新一が鬱陶しいと軽口を叩きながらも、傍に在る事を許している事が不思議だった。
 そして名前に哀の名を持つ少女はその名の通り、少しだけ哀しげな横顔を秘めている。
 彼女の新一へ向けられる想いの深さや強さを知るのもまた、服部一人だ。新一が知る彼女の想いは、きっと違う形で、身の裡に取り込まれているから…。その事を、少女は知っている。自分の持つ想いが、永久に告げられる事のない想いだと。
『厳しい愛情ね、西の名探偵さん』
 服部の愛情を、彼女はそう評した事があった。
おそらくは、新一も知らないだろう服部のもう一つの感情を。それが新一を愛した、新一が愛を返した人間の強さだと、哀は揶揄する事もなく、淡如に評した事があった。それは新一を見つめ続けて行く事を己に課した人間の苦悩であり、哀しみであり、やはりそれさえ愛情なのだと。
 怖いわ……灰原……。
フトらしくない気弱な台詞が、脳裏に反芻された少女に問い掛けるように呟かれた。
 毒物という言葉に、神経が過敏になってしまっているのかもしれない。けれど可能性はゼロではない。今回の事件で急速に意識の眼前に突き付けられた現実に、胸が鷲掴みにされると言う痛みを比喩でなく服部は味わっている。己の迂闊さに、今更の悔咎だと嘲笑でもするかのように…。 
 新一はどうなのだろうかと思い、寝室での台詞を思い出せば、得体の知れない恐ろしさに襲われる。
『お前だったら、どうする?』
 どんな毒物を用い、理性的に殺害するか?
淡如に何気なく紡がれた台詞。そう問い掛けた新一は、どんな想いで言ったのだろうかと、今更考えるあたり、愚の骨頂だ。 
   新一は、自分の疵を、きっと意識してはいないだろう。その台詞すら、無自覚に掴んだ意識下でのナニかの働きだっただろう。
 新一にとって推理する事は、呼吸する事と変わりのない、自然な事に等しいものだと、今の服部は知っているから、そう思えた。
 客観的情報分析能力と、集積される情報に惑わされない取捨選択能力。理論的で合理性を好む推理展開は、けれど恐ろしい程極自然に無意識下で行われる。それが工藤新一の特徴であり、畏怖と畏敬の対象だったのだと痛感し、実感してしまったのは、いつだっただろうか?
 鮮やかな推理展開に魅了されたのは事実だった。その推理展開は、マジックを観る程鮮やかなものだった。けれど知れば知る程、新一の推理展開は、ある意味で『異常』だった事も、認識してしまった。 だからこそ、判ってもいる。
発生した事件と、自分に起きたアノ事件を、重ねる事はないと言う事を。できないと言う事を。きっとそんな事、想像もしないのだろう。新一の中ではその可能性すら、自分を投影する事なく切り離されて思考される。だからこそ怖い。
 推理に主観は邪魔になる。必要なものは、客観的な判断力に伴う観察力や洞察力。それらに裏付けされる推理力は、総合的なものだ。必要な情報をどれだけ持ち、集積される情報に、惑わされない眼識を持っているかだ。だから新一は、自分の体験と発生した事件を、重ねる事は決してないし、想像もしない。 重なるとしたら、それは彼の中でバラバラに存在したピースが、嵌められるべき場所に収まった時にしか、思考されないだろう。それさえも無意識だろうから、新一の持つ恐ろしさはソコにある。
 自分の疵には気付けないくせに、他者の痛みには関わってしまう。それは新一がコナンとなり、真実を追求する意味と痛みを知ったからだ。痛みを直視しなくては、真実は覆い隠されてしまう。そう実感したからだろう。その新一の内面の変化が、目暮達には、彼の探偵としての鮮やかな変化や成長として、映るのだろう。
 他人の疵を気にかけるほんの僅かでいいから、自分の疵にも気付いてほしい。抉らないでほしい。その願いが届く筈もない事を、服部は哀しい程理解していた。それでも祈り願ってしまうのは、大切だからだ。そして止められないのも、大切だからだ。
「気になるのは、もう一つ」
 服部の内心の痛みなど知らぬ様子で、新一は相変わらずの淡々さで言葉を繋ぐ。
「もう一つ?」
「暴力団やその末端組織とトラブルを起こしたにせよ、暴力団が、ある意味手間隙かけて、毒殺と死体遺棄をするかと言う点です。暴力団なら、もっと単純な方法がいくらでもあると思いませんか?」
「たとえば、銃?」
「絞殺でも構わない筈です。それこそナイフで一突きでも、殺す事が目的なら、単純な筈です」
「って事は、殺すだけが目的じゃないって事?」
「少年相手に、計画殺人は大仰過ぎる。そういう事やろ?通り魔に見せかけて殺害する方が、痕跡が残らない事も多い。あんたらの方が、それは痛感してる筈やろ?誰もが他人には無関心やから、目撃者探すのが困難や。少年殺るだけなら、通り魔的でもよかったんや。それが冷静に判断して、死体も遺棄している。大仰すぎや」
「……凄いわね…」
「推論ですよ、単純なね」
 少しだけ肩を竦めた自嘲とも苦笑とも付かぬ貌をする新一の表情は、何ともいえない曖昧なものを含んで視えた。
「アッ…」
 その時、佐藤の軽装なジャケットの内ポケットで、携帯のバイブレーターが着信を知らせていた。
 捜査現場で、刑事が着信音を鳴らさない事は常識だった。
目撃者捜査の中や該当者の尾行の際に、着信音など鳴ったら、被疑者にその存在を知らせるようなものだ。それは刑事自身ばかりか、周囲の人間にも危害が及ぶ結果にも繋がるから、刑事は捜査現場では、着信音を鳴らさない。勿論東西の名探偵と言われている新一と服部が知らぬ筈もなく、二人も外出時は、着信音をバイブレーターに切り換えてあった。
「ハイ、佐藤です」
 素早く携帯を取り出した佐藤は、次に驚愕に顔色を失くした。
「判りました」
 手短に要件を受けると、佐藤は通話を切った。
「高木君、車回して」
「事件ですか?」
「殺しよ、有明テニスの森公園」
「二人とも、来る?」
 佐藤は、既に公園脇に停めたPCに向かって走り出す態勢で、思い出したように、背後を振り返った。
「今回の殺人と、類似性があるの」
「なんやて?」
「目暮警部の電話だったの。たった今、現場に鑑識と機捜が入ったわ。どうせ二人とも此処に在るだろうから、連れてこられたら連れてきてくれってネ」
 ウィンクを投げるように、軽快な響きだ。
「ちょぉ待ち、工藤」
 佐藤の台詞に、服部の幾分きつい声が、新一を呼んだ。
その声に込められた意味を読み間違える事なく、今までの感情を読ませない貌を変え、幾ばくかの苦笑を滲ませ、
「佐藤刑事、すみません、ボク達も後から追いかけますから」
 新一は薄く細い肩を竦めてみせた。
「一緒に乗って行けばいいのに」
 佐藤の知る工藤新一は、こんな謙虚な少年ではなかった筈だ。殺人事件、それも取り分けて奇妙な殺人事件の推理が得意で、何かと捜査に顔を覗かせる少年だった。PCに同乗し、現場に向かうという申し出を、断るような少年ではなかった筈だったから、佐藤は怪訝に新一を視た。
「都民の税金で成り立ってる警察車輛に、警察官でもない俺や工藤が同乗するのは、よぉないやろ」
 全く説得力のない服部の台詞に、新一は内心呆れて笑った。
以前大阪観光に誘われた時。府警所轄署のPCと刑事を、運転手として私的に使用していた人間の台詞ではなかった。あの時の方が余程税金の無駄遣いだ。観光にPCを使用したのだから。 服部の台詞に、効力も説得力も何一つない。けれど佐藤と高木はそんな事は知らない。額面通り、服部の台詞を受け取った。
「目暮警部に伝えて下さい。今回の事件に、ボク達が関与している事は、絶対公表しないで下さい」
「らしくないのね」
 新一の台詞は、佐藤にも高木にもらしく映った。
「気楽な大学生ですからね、騒がれるとちょっと」
 新一は曖昧に笑ってみせる。
「せや、俺ら今は呑気な大学生や。東西の名探偵が乗り出してるなんて、マスコミの餌食やからな」
 ウンウンと、服部は新一の台詞に口調を合わせた。
「判ったわ、それじゃぁ現場で」
「アッ、それと佐藤刑事。ボク達野次馬がいなくなった頃見計らって現場に入りますから。どうせすぐに、遺体搬送しませんよね」
「どうしたの?随分慎重ね」
「マスコミの連中、煩いねん」
「判ったわ。伝えとくから」
 新一と服部の台詞の内心を深く考えていられる程、佐藤には時間はなかったし、考えても判らない事だったから、彼女は一足先にエンジンをかけている高木の待つPCへと向かった。
その後ろ姿を見送り、服部は深い嘆息を吐く。
「ほな、行こか」
 溜め息を吐いた後に紡がれた声は、静かすぎる響きを持っている。長い腕が、慣れた仕草で髪を梳く。
「心配性」
 何度言っても聞き入れられる事のないその仕草に、新一は少しだけ憮然とする。それでも咎める言葉が口を付かないのは、既に服部の仕草に、新一自身、諦めてしまっているからだ。
言っても効力のない人間に、言い募る無駄と時間を内界で取引した結果だった。
「どれだけ心配しても、し足りんわ」
 長い溜め息を吐き出す服部の背後に、憂嘆が横たわる。
溜め息と同時に掠れた声が漏れ、新一は言葉を失った。
「…服部……」
 苦笑とも自嘲とも付かぬ曖昧な貌をしていると思う。精悍な面差しに嵌められた一対の眼差しを凝視した時、瞬く眼差しの奥深さに、哀しませている事が判ってしまった。
「大切にしても、心配しても、し足りんわ。工藤はすぐ無茶するさかいな」
「俺は探偵だかんな」
「判ってるで、だから止めてへんやろ。生憎俺も、探偵やし」
 新一が佐藤の申し出を断ったと言う事は、今回の事件に、自分と同じ可能性を否定してはいないという事を意味している筈で、だから服部はクシャリと薄茶の柔髪に手を差し入れると、次には促すように歩き出した。
 半歩だけ服部の後ろを歩く新一は、自分より体躯な背筋を凝視し、次には口唇を噛み締め、俯いた。
 胸が痛い。
服部の想いが切ない程真剣だと判ってしまうから、胸が痛んだ。愛されていると痛感するのは、こんな時だ。
 愛する人間に求められ、深まる快感に肌を貪り抱き合う行為より、愛されていると泣き出したい衝動を孕んで胸を痛めるのは、こんな服部の眼差しと向き合う時だ。見詰められる時だ。きっと服部は知らないだろう。
「工藤?どないした?何処か苦しいんか?」
「誰の所為だよ」
「なんや?躯きついんか?」
「……お前…それしか考えないのかよ」
 バーローと、差し伸ばされた腕を、乱暴に振り払う。
褐色の肌の下。怺える術も知らず、散々に喘ぎ啼いた記憶が甦り、白皙の貌が紅潮するのが判る。
「否、無理させた自覚あるよってな」
 スッと、自分より目線の下にある小作りな顔を覗き込む。
覗き込み、服部は攅眉した。
「何だよ?」
「冗談ぬき、顔色悪いで。どこもなんともないんか?」
 スゥッと、大きい掌中がサラリと長い前髪を梳き、白い額に柔らかく触れる。
「何度言わせんだよ、子供じゃねんだ」
 パシリと腕を振り払う。色素の薄い双瞳が眇められた。
新一は、服部を放り出し歩き出しす。その後を、服部は苦笑して歩いて行く。細く薄い背を眺め、服部は後ろ姿に言葉を掛ける。
「子供やないから心配なんや。言うてるやろ?少しは自覚しぃ。無茶して倒れたら、本末転倒や」
 それでなくても新一は、これから先の季節は体調を崩す事が多くなる。           
 梅雨から夏へ移る季節。新一は体調を崩す。元々の食の細さに手伝って、夏バテが入るから、ますます食欲が低下する。
昨年の夏もそうだった。きっと今年もそうだろう。
「学習する事も、探偵の仕事やし、自分の行動の許容範囲知っとくのも、探偵の基本や」
 静かな声は、優しすぎる程に奥深い労りが込められている。こんな時の服部の声は諭すように静かで、寧ろ内面の思惑を読み取れない声や響きをしている。その台詞に、新一は思い切り心外だという表情で渋面する。
「言われたないなら、基礎体力つけるんやな。そうすれば嫌でも夏バテなんぞせぇへん」
 武道に精通している服部は、大抵夏は道場で汗をかいてきた。剣の天才と言わせしめる腕を維持するには、鍛練が必要だった。奢れば剣は曇る。服部にとって、自分を鍛えるのに、剣はてっとり早い手段の一つで、生まれた時から慣れ親しんできただけに、何より身近なものだった。オモチャを持つ事を覚えるより先に、竹刀をオモチャにする事を覚えた服部だからこそなのだろう。実際今でも母親の静華はそう笑う。
 幼心にも、和服の似合う瀟洒で細面の母親が自慢だった。
瀟洒な面差しをしているくせに、冴えた眼差しがその名の静謐さを表わしている母親だった。母親の、少しだけ心配そうな表情と、自分を東京へと送り出した笑みを思い出す。思い出しては、堪忍と、親不孝を謝罪する言葉しか思い付かない。
 母親も、薄々気付いている。自分が純粋な意味で、大学進学を東京に選んだ訳ではないのだと。それでも『気ぃつけるんやで』と、静かな笑みで送り出してくれた母親に、堪忍と言う言葉しか思い付かない。母親を哀しませても、自分はもう後戻りは出来ない。選んでしまったのだから。危険を承知で、工藤新一という存在の隣に在る事を、切望してしまったアノ瞬間から。
「迷惑かけた覚えはないぞ」
「アホ、誰が迷惑言うた」
「俺だって、サッカーやってたんだかんな、基礎体力ならある」
 服部が剣の天才なら、新一は超高校級とマスコミから評価されたミッドフィールダーだった。
コナンになる事がなかったら、プロチームからの誘いもあった筈の超高校級の選手だった。推理を組み立てるように、試合を展開させる司令塔。新一にとってサッカーは、脳を活性化させる頭脳訓練に近いものだ。
「のわりに、夏バテしよるな」
 高校サッカーの試合は、前後半合わせて90分。体力と精神力がなくては乗り切れない。その割に、やはり新一には、基礎体力が欠如している気がする服部だった。
 観てみたいな、お前のサッカー。
薄い笑みを漏らす服部に、新一は少しだけ肩を竦め、
「しょうがねぇだろ、昔から夏は苦手なんだよ」
 暑いしと、ボソリと呟いた新一に、服部は呆れた表情をする。
「ソラ夏は暑いわな。寒かったらえらいこっちゃ」
「なんだよ、つっかかんじゃんかよ」
 完全むくれた新一に、服部は堪忍と笑う。ただ心配なだけだ。拗ねさせるつもりなど、毛頭ない。
 心配で心配で、くるみ込むように大切にしても、し足りない。そうしていなければ、結局は自分が不安なのだ。
 そう考える時。新一を想いながら、想いを告げる事もなく、ただ守って行く為に正面を向き、歩いている少女の強さを思う。
「代謝、悪いんとちゃうか?」
 何気なく呟かれた台詞に、新一は半瞬顔を歪めた。
「工藤?」
「アッ…アア、なんでもねぇ」
 歪めた表情を元に戻すと、ソコには刑事達に見せる、感情の波を読み取らせぬ硬質な面が在った。
「……何隠しとる?」
「なんもねぇよ」
「工藤」
 厳しい制止の声。早足で駆け出した新一の薄い肩を、背後から伸びた長い腕が引き止める。
「いい加減にしろよ。俺は壊れもんじゃねぇ」
 簡単に、引き止められてしまう薄く細い肩。
武道で鍛えられた筋肉が、骨格に沿い綺麗に付いている服部の体躯と並べば、自分の華奢さがよりいっそう比較されてしまう。服部の過剰な心配は、新一のコンプレックスを刺激する。
 それは日常では滲む事はないが、こんな風に心配されると嫌でもコンプレックスが刺激されてしまう。それが新一には嫌だった。恋人同志の関係は、対等な筈なのに…。
 八つ当たりだ。
心配させてしまう自分が、新一には何よりも腹だたしい事だったから、服部の正鵠を射る台詞に、だから尚腹が立った。
 ギリッと無自覚に口唇を噛み締める。薄い皮膚が傷ついて、口内に鉄の匂いが広がった。
 自分と同じ境遇の少女の冷静な声が、脳裏に響いた。
『私達の躯は、ホメオスタシス機能が、幼児化した時、障害を起こしているの。だから簡単に生体バランスに、異常をきたす。それに……』
 途切れた言葉に続く台詞を聞いた時。新一は初めて絶望を味わった気がした。コナンになっても決して諦めなかった事が、無意味に思えた衝動はアノ時ぐらいだ。
 自分と哀の躯は、生体バランスを司るプログラムが阻害されている。それだけに、コナンだった時、ちょっとした事で熱発しては、幼馴染みを心配させた。そして狂ったプログラムは、それだけではなかった。時間の流れに逆行した躯の不均衡さに、生体自体のプログラムが異常をきたしてしまっていた。冷静になって考えれば当然だ。
 まるでSFだったよな…。
自然摂理に逆らった躯の若返り。時間の流れにすら、逆らっている。ゼロ点はないとされる時間理論から言えば、自分達の存在自体が、自然摂理に逆らった産物と言えるのかもしれない。自分達だけが、時間軸に固定されてしまった躯。時間軸に逆らった生命は、本来時間の中では存在できない。圧縮されてしまう筈だ。自然や時間の流れの中で、存在を抹消される筈だ。けれど自分達が存在できていたのは、狂った生体機能のおかげとも言えて、その矛盾さに、可笑しささえ湧く。
 そんな事、服部には話してはいない。今でさえ心配性の恋人を更に傷付け心配させ、不安を煽るだけのものになっしまう。そんな存在ではいたくなかった。
 今こうして元の躯に戻れたのは、哀の作った解毒剤の効果だ。けれどその副作用は判らない。だから服部が自分を極力事件から遠ざけたがった事も、判っている。けれど自分は探偵だった。探偵で在る事以外の自分など、想像もできない。
 いつまでこの躯は持つだろうか?
できれば服部の前でだけは、倒れたくない。それは虚勢ではなく、優しすぎる位に優しい恋人を、自分を愛する事で、傷ついてしまう恋人を、傷つけてきただろう恋人を、これ以上哀しませ、絶望させたくないからだ。きっと絶望は、そう長くない時間の中で、訪れてしまうだろうから・・・。
 それは根拠のない確信。けれど、判るのだ。言葉には出来ない部分で。説明など出来ない。ただ、判るのだと言う事だけが、判っている矛盾。自分の躯の事は、自分が一番良く判っている。台詞にすれば、たったそれだけの言葉だ。
『大丈夫よ、貴方は死なないわ。私が守るもの』
 根拠のない端然さでそう告げた少女の台詞が、心根の奥に響いては消えた。
「いっそ壊れ物でいてくれたら、安心やったのにな」
 そしたら綺麗なガラスケースにしまっておけるのにと、服部は傷付いた口唇にソッと指を当てる。
「そんな俺なら、きっとお前は俺の隣にはいねぇよ」
 コッソリと、内心で新一は呟いた。
守られるだけの存在を、服部が愛するとは思えなかった。
従順で受動的な人間がいいなら、きっと自分の隣には在ないだろう。コナンだった時、絶望に足掻きながら、そんな自分を背後から支えてくれた服部だから、受け身の人間を愛するとは思えなかった。
「行こうぜ」
 名残惜しげに離れていく指先の感触に、甘い懊悩が疼いてしまう。それを振り払うように、新一は歩き出した。
 服部は、幅広の肩を竦め苦笑すると、新一の後をゆっくりと歩き出した




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