千年の孤独
Prologue



そう遠くない未来
皆にサヨナラを言うとき
お前にアリガトウと言える気がする
本当はいつだつて思っているのだと言ったら
お前は莫迦にして笑うだろう?












 細く開けられた窓から入り込む春風がレースのカーテンをフワリと揺らし、それはデスクの片隅に重ね
られた書類の端をヒラヒラと捲り上げながら通り過ぎていく。
 質量を感じさせない春風独特の軽やかさは、まるで少女が気に入りのドレスの裾をヒラヒラと翻すか
のような柔らかさをも合わせ持ち、季節がもう随分春の装いを深めていたことにシエルは今更気付いた。
 それは同時に、無類のドレス好きな婚約者の無邪気な少女をも思い出させ、シエルは苦笑とも自嘲と
も判別の付かない曖昧な笑みを柔らかく滲ませる。
 年相応の無邪気さと我が儘さを合わせ持つ婚約者は、けれど総じて素直な少女だ。自分にはもうな
い無邪気さが鬱陶しくもなく好ましく映るエリザベスは、本気で話せば、それがちゃんと通じる相手だ。
だからいつか彼女を本当に好きになって、閨閥ではなく彼女の価値をちゃんと理解してくれる異性が現
れればいいとシエルは願ってやまない。勿論そんなことは口に出したことはなかったが、何かと聡い伯
母には気付かれているかもしれない。
 大切だと思う気持ちは、けれど異性を好く感情とは別物で、最早家族のような感覚だ。その気持ちが
ある日突然、異性に対するものへと変容することはないだろう。何より自分はあの日この悪魔と契約を
して、さして長い時間など生きられないのだろうから。
 悪魔と契約をした人間は短命と決まっている。自然界の断りに背き異界のチカラを使役するのだ。代
価が生じるのは当然の結果で、魂が削り取られていくのは当たり前だろう。異界の住人に人間界の価
値観など通用しない。差し出せるものは、この身一つだ。
「坊ちゃん?どうされました?」
 広いデスク一杯に広げられた書類は乱雑極まりない状態と化している。シエルを知らない者が見たら、恐らく唖然とする程度にはデスクは雑然として、大切な書類を扱っているとは思えない乱雑さぶりに、
それはただの紙切れに見えるかもしれない。けれどこれが幼い主人には有用に機能していることを知ら
ないセバスチャンではなかったから、相変わらずの雑然さに苦笑すると、散らかる書類の山をさっさと一
纏めに積み重ね、デスクの片隅に押しやった。
 そしてどうにかアフタヌーンティーの為に用意した皿を置く隙間を確保すると、セバスチャンは瀟洒な白
い皿をシエルの目の前に揃えた。
「今日はミルフィーユか」
 淡いピンクに縁取られた白い皿の上には、程よくきつね色に焼き上げられたミルフィーユが乗っている。
 何層かに重ねられたパイ生地の間には、薄くスライスされたストロベリーと、その隙間を埋めるように
カスタードクリームが挟まれている。派手なデコレートも何もないミルフィーユは、極々シンプルなスイー
ツに見えるだろうが、パイは出来上がりの軽さが味を分けるから、見た目程簡単な作りではないことを
シエルはちゃんと判っていた。
 フォークを差し込めばサクリとひどく軽い音を立てる。その音だけでも充分食感を楽しめる出来上がり
に、シエルは満足そうに笑うと、パイを口へと運んだ。そしてパイは予想以上の軽い焼き上がりで、サク
サクと口の中で溶けていく。
「食べたいとお仰ったのは、坊ちゃんですよ」
 ミントンのティーカップにダージリンーを注ぎながら、セバスチャンが少しだけ呆れた笑みを覗かせる。
 情後のピロトークの最中、翌日のスイーツのリクエストを受け付けることが多いセバスチャンにしてみ
れば、まさしくシエルの性欲と食欲は比例しているということになる。それはそれである意味、健康のバ
ロメータとしては機能的だと思うものの、情後の甘い雰囲気がイコールでスイーツに直結している色気
のなさに、セバスチャンが内心でこっそり溜め息を吐いてしまったとしても罪はないだろう。
 そしてそのリクエストを付けたのは昨夜の情後直後だった。不意に何を思ってか、シエルはミルフィー
ユを食べたいと言い出したのだ。
 いつもの気紛れか、それ以外の何かあるのか。シエルの内心など判るものはなかったが、恐らく季節
的なものだろう。
移り変わる季節など欠片も自覚していないくせに、変な部分でシエルは自覚なくあっさり口にするのだ。
「ん〜〜昨日読んでた本に、これが出てきたんだ」
「………春だから、じゃなかったんですか?」
 作ったスイーツを満面の笑みで食べられて悪い気はしないが、何も情後のリクエストに、読んでいた
推理小説のスイーツを思い出さなくてもいいだろうと、セバスチャンは半瞬だけ遠い目をした。
 読書は嫌いなより勿論好きな方がいいのは決まっている。表の事業も裏の仕事も、些かワーカーホリ
ック傾向のシエルには、それはそれで息抜きだとも判る。けれどリクエストにしては随分色気のない発
想に、セバスチャンは大仰に溜め息を吐き出した。
「なんだその溜め息は」
「いいえ別に。坊ちゃんの読書好きには困ったものだと思っただけですよ。ついでに言えば、些か情緒
に欠陥がおありです。どうせ読んでいらっしゃったのは、推理小説でしょう?」
 文学も読むには読むが、シエルの愛読書は推理小説だ。裏社会の王たるシエルが推理小説を好き
だというのも些か問題はある気もするが、恋愛小説など読まれた日には、それはそれで驚愕に値する。
「僕が恋愛小説でも読んでいたら、それはそれでビックリものだな」
 そんな自分は想像もできない。好きと嫌いだけで構成される架空の世界。確かに人間の判断基準は
好嫌や有用無用という個人の思惑で計れるが、好きと嫌いしか構成要素がない話しは理解できないの
だ。「もっと他に考えることがあるだろう?この脳天気達が!」ついそんな悪口雑言まで内心で思ってし
まうくらいだ。それをしてセバスチャンなどは情緒が足りないということになるが、勿論シエルに自覚は
皆無だ。
「推理小説は、頭を整理するのに役に立つんだ」
「名探偵と、呼んで差し上げましょうか?」
 嫌味半分、本気半分。裏社会の王たるシエルの役割は、そう呼んで充分差し支えない程度に裏社会
の探偵役だ。
 『女王の番犬』『裏社会の秩序』『悪の貴族』怨念と称賛が紙一重で呼ばれる通り名は幾重も存在す
るが、実際行っている作業は探偵のそれと差異はない。ただ表ではなく法のチカラも通用しない裏社会
というだけのことで、起こる事案に裏も表もさした違いはないだろう。
 ヒトから生まれ、ヒトへと還る、憎悪と悪意。システム化された社会で生み出されるヒトの摩擦。僅か
な温度差により生み出される一方的な悪意だけでも、ヒトは簡単にヒトを殺せてしまう生き物だ。その点
食物連鎖の底辺にある獣より劣る。獣は無意味な共食いなどしないのだから。
 ダレかがダレかの生命を切断し、ダレかの生命が強制的に終了される。その事実だけを切り取って見
れば、発生する事案に裏も表も存在しないだろう。その存在しない足場で裏の住人の関与が認められ
た場合、シエルが女王によって召喚される。その為の番人だ。
 代々ファントムハイヴ家が受け継いできた宿業は、王室の影と同義語だ。王室制度の一端を、ファント
ムハイヴ家は引き受けているのだ。その血の業を理解して、シエルは深淵に佇んでいる。切っ先の上
に立つようなその覚悟を、セバスチャンは綺麗だと思った。
「嫌味か?」
 そんな呼び方ダレが好むと、シエルが軽口を叩く執事を睥睨すれば、セバスチャンはクスリと小さい笑
みを滲ませる。
「劉様がお仰ってましたから、その内そう呼ばれるかもしれませんね」
「……」
 涼しい表情でシレッととんでもない科白を言いのけたセバスチャンに、シエルは半瞬がっくり肩を落と
した。
 劉がそんな呼び方をしたらその場で追い出してやると、シエルが内心で拳を握り締めたとしても当然
だろう。劉のこの手の悪巫山戯は、容易に葬儀屋に伝播する性質の悪さを持っている。二人揃ってそん
な名称で呼ばれた日には、面倒が二乗どころか三乗だ。尤も、まさか本気でそんなことを思っている訳
ではないだろうが。嫌味半分、軽口半分で、ことあるごとに呼ばれる可能性は否定的できない。
「まぁ、考えを整理するのに役立たせている程度なら構いませんが」
「構う構わないなんて、お前に言われる覚えはないぞ」
 ザクっと、些か乱暴にミルフィーユにフォークを突き立てれば、それはサクリと軽い音を立てる。
 執事に、まして契約している悪魔に、何で嗜好品まで文句を言われなくちゃならないんだと、シエルは
半瞬憮然となりながら、それでもしっかり出されたミルフィーユは平らげていく。
「お味はお気に召して頂けましたか?」
 甘い物が大好きな幼い主の為、味の調整はいつも欠かさない。脳に必要なエネルギーは糖質だとい
っても、そればかりを過度に摂取すれば、待っているのは成人病だ。だからセバスチャンはカロリー控え
目な味のコントロールをいつも怠らない。
「もう一皿追加」
「…坊ちゃん…」
「それくらい美味いってことなんだから、別にいいだろう?」
 ぺろりと皿の上を平らげると、シエルは眼前に佇む執事に空になった皿を突き付け、ニッコリ音が響き
そうな笑みを満面に浮かべた。
「過度な糖分摂取は血糖値が上昇して、眠気に繋がります。これからもお仕事をされるんですから、却
って逆効果ですよ」
「………何処の管理栄養士だお前は?」
「私は執事ですから。坊ちゃんの健康管理も仕事のうちです」
「そうやって正論を振りかざすところがお前の嫌味な部分だな」
「嘘は吐くなというのが、坊ちゃんとのお約束ですから」
 ニッコリと、音が響きそうな威勢で極上の笑みを見せるセバスチャンに、シエルは半瞬だけ呆れた。
「じゃぁ妥協してもう一切れに負けてやるから、とっとと持って来い」
「ちゃんと夕食はお召し上がりになれるんでしょうね?」
 アフタヌーンティーで満腹になってしまった場合、シエルは夕食に手を付けない時がたまにある。その
内三食スイーツでも構わないと言い出しかねない、無類のスイーツ好きだ。
 天から与えられた錬金の才。世間はそうと簡単に位置付けているが、セバスチャンや劉や葬儀屋と言
った、シエルに近しい立場の人間から見れば、シエルは充分ダメっ子だ。
 三食スイーツでも構わない。そんな科白をいつか本気で言い出しそうなダメッ子ぶりが、可愛いやら可
愛いやら、劉や葬儀屋に構い倒される部分だと、シエルは気付いてもいなかった。
「ああ、だから一皿じゃなくて、一切れにしたんだ」
 悪魔が完璧に執事を演じている。シエルが読んで来た書物の中に、そんな勤勉な悪魔はいなかった。悪魔というのは総じて享楽的で狡猾だ。人間と契約を結ぶことで魂を手に入れ、魔力を増していくの
が通常だろう。それがこの悪魔は時折心底莫迦なんじゃないのかと思う熱意で以て、完璧なまでに執
事を演じている。それもセバスチャンの美学らしいが、執事を完璧に演じる悪魔の美学など、シエルに
は到底理できない。
「まぁ、そうお仰ると思いまして」
 予想通りの結果を裏切らない幼い主に、やれやれと溜め息を吐き出しながら、セバスチャンは二段重
ねのワゴンの下段から、同様の皿を取り出して、空になった皿と引き換えに差し出した。その途端、シ
エルは年相応の笑みを見せ、ミルフィーユにフォークを突き刺した。
「悪魔のくせにスイーツ作りが得意なんて、一体何処で覚えてきたんだ?」
 それは出会った当初からの素朴な疑問で、今まで口にしたことはなかったが、ずっと身の裡に根を張
り続けている疑問だった。
 それはそうだろう。狡猾で、ある意味口先三寸で人間を誑かすことに長けているのが悪魔だ。その悪
魔が完璧に執事を演じているだけでも充分異常だったが、自分の知る誰よりスイーツ作りが得意となれ
ば、シエルの疑問は最もなものだろう。
 両親も健在だった幼い時分、未だ周囲の誰もが自分を愛していると疑っていなかっとあの幼い時。
お抱えのシェフや、連れられて出掛けた他家のシェフの誰よりも、セバスチャンの作るスイーツがシエル
の舌には美味しく感じられた。
「ああ、それは」
 幼い主の科白に柔らかい笑みを覗かせると、白い手袋を嵌めた指先が不意にシエルの頤を掬い上げ、ペロリと口許を舐め上げる。淡い陽射の中、ピチャリと濡れた音がいやらしく響いた。
「お前…!昼間から何考えてる」
「口許にクリームが付いてましたので」
 くすりと小さい笑みを見せれば、サファイアの瞳が睥睨を向けてくる。その年相応の反応が可愛いやら
可愛いやら。セバスチャンは内心で苦笑すると、そのまま掬い上げた頤を上向かせ、瀟洒な輪郭に舌を
這わせた。その瞬間、細く薄い肩がピクリと引き攣るように顫えたのが判った。
「セバスチャン…離せ…」
 頬から首筋に濡れた感触を這わされ、嫌悪ではない感触に躯が引き攣るのをとめられない。これ以上
されたら、場所も時間も弁えず、この狡猾な悪魔を求めてしまうだろう。
「聴きたいですか?」
「んっ……っ」
「私の過去を」
「あっ……い…もう、いい」
 素朴な疑問を口にしただけで、何故こんな仕打ちを受けるのか?耳朶を甘噛み、情事の最中と変わら
ぬ低音で囁かれ、こいつは天性の詐欺師で悪党だと、シエルは内心で苦々しげに舌打ちを繰り返す。
「私がスイーツ作りが得意なのは、かつての主達が貴方同様、スイーツがお好きだったからですよ」
「僕同様?」
「ええ、お子様でしたからね。それも、どうしようもないダメッ子でした」
「……そのダメッ子の中には、もしかしなくても僕も含まれているのか?」
「さぁ、どうでしょう?ご想像にお任せします」
「………主人に忠実な執事が、聞いて呆れるな」
 その思わせぶりな口調から、セバスチャンの中では自分も百%ダメッ子に分類されているのは丸判り
だ。
「お前が今まで仕えてきた契約者は、子供ばかりだったとでも言うのか?」
「そうですね。大半はそうでしたよ」
 大半、実際はそんな可愛らしい数ではなかった。仕えてきた主は子供ばかりだ。それも三食スイーツ
でもいいと言い出しかねないダメッ子ばかり。
「お前……もしかしなくてもロリとかショタとか、そーいうやつか?それが契約の選別か?」
「………坊ちゃん。何処でそんな世俗の言葉をお覚えで?」
 幾らなんでも魂を代価に差し出させるのに、選別方法がロリやショタの訳もないだろうに。
「そんな下らない情報を僕に入れるのなんて、二人しかいないだろう?」
「今度から出入り禁止にした方がよさそうですね」
 シエルの愉しげな口調に、セバスチャンは半瞬だけ遠い目をした。尤も、その中身は当たってはいな
いが、遠くもない。
ロリでもショタでも何でもないが、まったく見当違いの答えでもなかった。
「年齢的なものは関係ないんですよ。私が欲しているのは魂ですから。貴方が貴方で在ることが重要な
ように、契約してきた過去の主も、その存在そのものが重要だったんですよ」
 言葉にしてしまえば、その程度の想いだ。待ち続ける為に過ごしてきた孤独など。
「お前…」
 漆黒の髪とワインレッドの双眸。冷ややかな微笑みがとてもよく似合う悪魔は、けれど何処か哀しげ
だ。きっと自覚などしていないんだろうなと、何となく推し量れるのは、いつもいつも手の内など見せない
狡猾な悪魔が、珍しくもその冷たい仮面が剥がれ落ちているからかもしれない。
「そんな表情もできるんだな」
「坊ちゃん?」
「だったら僕は、感謝しなくちゃいけないのかもしれないな」「感謝、ですか?」
 自嘲とも苦笑とも判別の付かない笑みを浮かべるシエルのそれは、何処か大人びた憂いを伴ってい
て、セバスチャンはサラリとブルネットの前髪を梳き上げる。
「お前が契約してきた過去のダメッ子とやらが、お前のスイーツの腕を上げたんだろうから」
 そしてもしかしたら、自分の次の契約者も、セバスチャン言う所のダメッ子かもしれない。他人様の嗜
好に是非を問うつもりは毛頭ないが、何故かそんな気がした。そしてその子供も、セバスチャンのスイー
ツを堪能するのかもしれない。そしてきっと、自分と同じ軋みを抱えて生きていくことになるのだろう。永
劫に交わることのない想いを抱えながら。決して告げられない気持ちを閉じ込めて。
 悪魔に情など求められない。セックスも快楽を取引する道具にすぎない。そうと判っていても、きっと溺
れてしまう。過去の契約者も、きっと自分と大差ない気持ちを抱え、この悪魔に見取られたのかもしれ
ない。
 そう考えれば、それは途切れることのない連環のようで、不意に可笑しくなる。
 魂を代価に成立する契約は、同時に過去の契約者の業をも受け継ぐかのように、この悪魔に魅せら
れ溺れて死んでいく。
「まるで遺伝子みたいだな…」
 見知らぬ物同志で受け継がれていく想い。契約という名の恋情を抱え、死ぬまでこの悪魔に魅せられ
ていく。
「坊ちゃん?」
「お前がロリでもショタでも、このスイーツは絶品だ。だから僕はお前の過去の契約者達に感謝する」
「その甚だ間違った納得の仕方はやめて頂けると嬉しいですね。私はロリでもショタでもありませんから。言ったでしょう?貴方という魂そのものが重要なんだと」
「セバスチャン?」
 くすりと小さく漏れた微笑みは、驚く程静邃として、シエルを不安にさせた。冷ややかで静謐な笑みは
幾度も目にしてきたものの、研ぎ澄まされた静邃さなど、セバスチャンから感じ取ったことはなかったか
らだ。それも何処か憂懐を帯びているとなれば尚更だ。
「でも、そうですね。そう言って下されると、これからも作り甲斐がありますね。貴方は三食スイーツでも
構わないと言い出しかねない、無類の甘い物好きですから」
「別にスイーツだけ褒めてる訳じゃないぞ。お前の作る料理はどれも僕の舌にあっている」
 ただスイーツの方がより好みだというだけの問題で、セバスチャンの作る料理は、フランスから招くシ
ェフも足許には及ばないだろう。口に出したことはなかったが、女王の晩餐に出される料理もスイーツも、セバスチャンの味に馴れた自分には及第点には程遠い。               
「でしたら、夕食はお約束どおり、ちゃんと召し上がって下さい。夕食のリクエストはおありですか?」
「任せる。言っただろう?お前の作る料理はどれも僕の舌にあっている」
「畏まりました。ではラム肉の赤ワイン煮でも致しましょう」
「デザートは、ベリー系のムースがいいな」
「結局スイーツがメインの様な言い草ですね」
 サラリと口にされたスイーツに、セバスチャンは苦笑する。「煩い。拘りの問題だ」
 セバスチャンの作る料理に文句はない。それこそ何処のシェフが作るより絶品だ。その拘りが自分は
料理よりスイーツに傾いているだけの話しで、偏食も何もないんだから文句は言うなと、シエルは少し
ばかり憮然となった。
「夕食をちゃんと召し上がられたら、ムースもお出し致しましょう」
「……おやつで物を釣る子供の扱いだな」
「事実ですから、仕方ありませんね」
 やれやれと大仰に笑う微笑みは、けれどひどく柔らかいものばかりを滲ませているから、シエルはキョ
トンと小首を傾げ、正面に佇むセバスチャンを凝視する。
 冷ややかな印象が強い悪魔に、不釣り合いな柔らかい笑み。勿論その笑みを見たことは初めてでは
なかったものの、何処か違う微笑みに、シエルは内心で訝しげに眉を潜めた。
 セバスチャンが過去仕えてきたという幼い主達。不意に口にした科白に、そんな過去を思い出してで
もいるのか。
「まさかな……」
 ボソリと呟きが零れ落ちる。
この悪魔が過去の主達を懐かしむなどある筈もないだろう。自分もその時がきたら、あっさりとこの悪魔
には忘れ去られてしまうだろう。それでも、今日みたいに、少しは思い出してもらえるだろうか?
「坊ちゃん?」
 不意に俯いて口唇を噛み締めたシエルに、セバスチャンがサラリと長い前髪を梳き上げる。
「そんな風に口唇を噛み締めないで下さいと、いつも申し上げているでしょう?」
 情事の最中、零れ落ちていく嬌声を噛む為、口唇を噛み締めることが多々あるのだ。その都度注意し
ているものの、一向に改まる様子は見受けられない。
「お前が…」
「私が何ですか?」
「何でもない」
「坊ちゃん?」
 雑談は終わりだと、デスクの片隅に詰まれた書類の山に手を伸ばしたシエルに、セバスチャンはやれ
やれと大仰に溜め息を吐き出した。
 こうなったら、シエルは絶対に口を割らない。意固地という意味合いではなく、言いたくないことは決し
て言わない性格だ。
「畏まりました。では夕食の準備が整いましたら、伺います」
「ムースを忘れるなよ」
「坊ちゃんこそ、約束を守って下さいね」
 言い様、素早くシエルの口唇を掠めとっていく。
「お前……」
 不意に触れた生暖かい感触に、けれど気付いた時には離れていた口唇。感じる間もなく掠め取られ
たそれは、けれど心まであっさり奪い去っていくから始末に悪い。
「それでは、失礼致します」
 くすりと小さい笑みを滲ませると、恭しく頭をさげ、セバスチャンは室内を後にした。 
 閉めた重厚な扉の前で、セバスチャンは自嘲とも苦笑とも付かない笑みを張り付ける。
「私が仕えてきた主は、いつだってたった一人のダメッ子なんですよ、シエル」
 ファントムハイヴの血筋に生まれ落ちる幼い魂。無類のスイーツ好きで、そして歴代の誰より短命な
寿命は十代の後半までさえ生きられない。それこそシエルが背負う業のように。
「貴方はいつも私を忘れてしまうから、私は毎回同じことを繰り返さなくてはならない」
 たった一人、愛した人間を待ち続ける孤独を、シエルは知らない。    
 それでも。名前を呼んで、肌を重ねて。シエルという幼い生き物と過ごす時間を思えば、例えそれが
瞬き程度の時間だとしても、千年の孤独にも堪えられる。 
「愛してますよ、シエル」 
 決して口に出すことはないけれど。
シエルが見ていれば、その極上さに却って不安を煽られるだろう綺麗な笑みを浮かべ、セバスチャンは
足音も立てずに騒々しい使用人達の中へと戻っていった。





いつの時代でも
どれだけ穢れた世界に生れ落ちても
たとえどんな姿形だとしても、
貴方だけが私の王

death and rebirth
繰り返される生と死
終わりのない連環

My Life
貴方は私の魂そのもの