| Famme Fatare Little Lady act2 |
午後の淡い陽射が窓から差し込み、室内全体が琥珀色に包まれていく。それは何処か懐かしい思い 出を引き連れて来る気がして、シエルは僅かに苦笑を漏らした。 もう二度と戻らない優しい時間。優しかった父と母に叔母。枯れ葉を踏む音すら楽しくて、エリザベス や愛犬のセバスチャンと一緒になって庭園を駆け回った。あの優しかった時間は、もう二度と戻らない。 リセットできる救いは何処にもない。 移ろう季節に比例して、マナーハウスの樹々は赤や黄色に深まっていく。それが午後の淡い陽射を 透過すると、琥珀色の光を散らし、マナーハウス全体を深まり行く秋色に染めていく。それは何処までも 優しい淡さだ。 シエルは自嘲とも苦笑とも判別の付かない笑みを漏らすと、鏡の中の姿を凝視する。 もう少ししたら、従姉妹のエリザベスが次女のポーラを連れて、賑やかに訪れて来るだろう。そして呼ん でもいないのに、当たり前の顔をして、劉や葬儀屋も来るに違いない。 「……莫迦みたいだ…」 「お嬢様、浮かない表情をなさっていますね」 シエルの背後で、長いブルネットの髪を整えていたセバスチャンが、不意に漏れたシエルの小声に、 鏡越しに視線を移した。 鏡に映る瀟洒な姿は、出会った当時よりも随分と成長し、今は少女らしい気品を兼ね備えている。そ の美しさは、夜会に出席すれば、誰もが羨望と嫉妬の眼差しを向ける程だというのに、シエルは自分の 容姿にはあまり頓着がないのか、男からも女からも注がれる視線の意味には、まったく気付いてもいな かった。 化粧を必要としない肌理こまない雪のように白い肌。人形のように整った繊細で瀟洒な面差し。淡い 花片を連想させる薄い口唇。細く華奢な折れそうに腰。骨格の造り自体が華奢なのか、全体に細い印 象を受ける。それがまた莫迦な男達の庇護欲を掻き立てるのか、夜会に出席すれば、ダンスを申し込 む莫迦も多い。とはいえ、婚約者持ちの女伯爵に、ダンスの申し込みを仕掛けられる莫迦はそう多くは ない。それでも注がれる視線の多さは、呆れるくらいだと言うのに、シエルは頓着がない様子で、殺意 や敵意といった害意でもない限り、莫迦な男達の視線の意味には気付きもしない。些か情緒に問題が ないとは言わないが、目の当たりに経験した、人間の心の闇の深さを知るだけに、それは仕方ないこと なのかもしれない。 そしてあの惨劇こそ、今のシエルをシエルとして構成する要素の最たるものだと、セバスチャンは正 確に理解していた。 不意に見回れた惨劇。薄汚い大人の欲望に曝された無垢な躯。直視させられた現実の残酷さに、け れどシエルは正気を手放すとなく悪魔を召喚し、契約は更新された。 あれから数年。両親や周囲の愛情に包まれていた愛らしい笑顔は消え失せ、代わりに静謐で硬質な 美しさが、シエルの内面からは滲んでいる。経験した凄惨な過去が、シエルを内側から変容させた。虚 勢ではない美しさこそ、セバスチャンが魅了してやまない。そして勿論、セバスチャンばかりか、周囲に 男達をも魅了するのだ。 「お前の頭に、呆れているだけだ」 鏡越しの端正な造作を眺め、シエルは苦く舌打ちする。 幼い自分の前で、青年貴族を演じた悪魔。あまつさえ、10歳の誕生日には、求婚までして見せた詐欺 師っぷりだ。今考えれば、あれは契約更新の意味だったのだろう。けれどあんなふうに求婚されてしま えば、幼心にもトキメイてしまった胸の甘さが、今も身の裡の何処かに残っていて、時折覗かせる悪魔 の気遣いに、勘違いしてしまいそうになる。 「何が楽しくてハロウィンパーティーなんてしなきゃならないんだ?うちには年中無休で居座っている悪 魔が居るのに」 地獄の釜の蓋が開き、死者も魔物のこの世に現れるというハロウィンは、けれど正真正銘の悪魔の 前には、何の意味も持たないだろう。そのくせセバスチャンは一体何が楽しいのか、ご丁寧にも出入り のデザイナーにハロウィン用の仮装ドレスを作らせている始末だったから、今のシエルの恰好と言えば、専属デザイナーの趣味が丸出しのデザインだった。 ハロウィンだから可愛らしく、かつ大胆にというコンセプトの元作られたらしい仮装ドレスは、上質な黒 いレースで作られたミニ丈で、シエルのほっそりとした白い足が剥き出しに曝されている。そしてドレス の上にバサリと羽織らされた黒いマントは蝙蝠の羽の形をしていた。 大体、と思う。大体ハロウィンの意味合いを考えれば、仮装がイコールで可愛らしさに直結することは ない筈だ。それなのに何処をどうとち狂ったら、こんなデザインのドレスが出来上がってくるんだと、シエ ルは眉間に皺を寄せた。 有能で万能な執事兼婚約者を演じる悪魔に、専属のデザイナー。そして絶対エリザベスが絡んでい るんだろう。この三人が共闘してしまえば、シエルに太刀打ちできるものは一切ない。 「どれだけ下らない行事でも、形式に乗っ取り行動するのが、貴族の嗜みというものですよ、マイ・リトル レディ」 にっこりと笑って、長いブルネットの髪に口吻ければ、シエルは嫌そうに眉を寄せた。 「悪かったな、貧弱で」 成長ししたものの、同年代のレディ達より、成長が緩く貧弱なのは判っている。特に胸の発育は遅い だろう程度の自覚はあるのだ。コンプレックスを抱く程気にしてはいないが、セバスチャン好みの胸には 遠いだろう。 「お嬢様」 憮然となる表情に、セバスチャンはやれやれと大仰に溜め息を吐くと、シエルの脇の下から腕を伸ば し、背後から両胸を包み込んだ。 「なっ……ッ!昼間から何考えてる」 そっと大きい掌中に胸を包まれ、愛撫にも似た動きで揉まれてしまうと、セバスチャンの愛撫に慣らさ れた躯は、否応なく反応してしまう。 「つき立ての餅みたいに豊満で軟度のある胸が好みなコアな方もいらっしゃいますが、私の好みはこの くらいですね。大きくして差し上げる楽しみが残されている方が、却って萌えますね」 だから無駄な心配はやめなさいと、やんわりと笑って胸からてを外せば、シエルは白い頬を僅かに薔 薇色に染め、貧乳で悪かったなと、プイッと横を向いた。 「何が萌えだ、莫迦莫迦しい」 目的を果たせば悪魔に魂を喰われてそれで終わりだ。この悪魔は長年ファントムハイヴ家当主と契約 し、そうして人間の世界に関与している生き物だ。萌えも何もないだろう。自分の美学にしか興味のな い悪魔なのだから。 「私が婚約者として、お嬢様の胸をちゃんと大きくして差し上げますよ」 だからそんなに気にしなくていいんですよと、些か見当違いの発言をするセバスチャンに、シエルは嫌 そうに眉を寄せる。何処までか本気で何処までが嘘か。この悪魔から語られる中身は、推し量ることが できない。 契約したあの日。見知った青年貴族が実は悪魔で、代々ファントムハイヴ家当主と契約を交わしてき たと知った時の胸の痛みを、この悪魔が知ることはないだろう。これでも一応少女らしく、10歳の誕生 日に求婚されたことをそれなりに喜び、他愛ない未来を想像したりもしたのだ。それがその正体は悪魔 で、歴代当主と契約を更新しながら、人間世界に関与し続けていると知らされた時の衝動の大きさを、 この悪魔が知ることは決してないのだ。それは言い換えれば、自分もいつか見知らぬ誰かと婚姻し、そ の男の子供を生み、この悪魔と契約更新させることと同義語だからだ。 だから自分は、婚姻なんてしないと決めている。その為にこの悪魔は執事兼婚約者として、この屋敷 に住み込んでいるという設定を作り上げた。尤も、シエルの思惑と、セバスチャンの思惑が、まったく真 逆にあることを、シエルは知らない。 「昨夜も気持ちよくして差し上げたじゃないですか」 頑なだった躯が、急速に腕の中で愉悦に溶けていく快感など、今までなら知らなかった。うっとりと淫 蕩に酔うようなシエルの愉悦の深さに、自分も容易に煽らせてしまう。 「いつかのこの胸に、私を挟んで悦がるくらいの快感を教えて差し上げますよ」 「この…エロ悪魔!」 この胸と、ぎゅっと鷲掴みに握られ、そうして背後から抱き締めるように懐に包まれてしまうと、莫迦な 勘違いをしてしまう。 「挿入しないくせに…」 精神的にも肉体的にも、際限なく上り詰めさせられるのは自分だけで、セバスチャンは胎内に挿入し ようとは決してしない。その分口や手、双丘などに挟み込まされ、セバスチャンをイカせることになるが、 けれどもうそれだけでは収まらない肉体の疼きを、この悪魔は知らないのだと思えば、抱いても貰えな い偽りの婚約者という立場が、最近では苦しくもある。 ファントムハイヴ家に惨劇をもたらした相手を見付け、根絶やしにする。その目的の為に悪魔と契約し、その為だけに生きているのだ。セバスチャンという悪魔が婚約者という隠れ蓑になているおかげで、被る面倒も少なくて済んでいるのは事実だ。デビュタントを果たしたレディは、集団見合い的な社交界で 相手を物色し、婚姻するのぎ貴族の決まり事だからだ。その面倒は、今の所 セバスチャンという悪魔 のおかげでことなきを得ている。 「お嬢様、そんな言葉を一体何処で覚えてきたんですか」 「年齢に見合う一般的な知識だ」 「相変わらず推理小説にしか興味のない貴女が、ハーレクイーンなんて読む筈ないんですから、そうい のは間違った情報というんです。第一」 私が射精すれば、貴女妊娠しますよ。耳朶を甘噛み囁けば、ぴくりと薄い肩を慄わせ、シエルは鏡越 しにセバスチャンを眺めた。 「悪魔の子供なんて、嫌でしょう?」 尤も、シエルが復讐を遂げ、契約が執行されれば、その時はシエルで泣いて嫌がったとしても、決し て許すつもりはなかった。その時まで心も躯も魂も熟成させて、自分に餓えればいい。そんな悪魔の思 惑を、シエルは知らない。 「私は悪魔ですから、お楽しみは大切にとっておくんですよ」 それまでは貴女の忠実なナイトとして、傍にいますよ。そんなふうに笑うと、シエルは一瞬だけ泣き出 しそうに瀟洒な顔を歪め、鏡越しのセバスチャンを凝視し、次には諦めたように静かに吐息を吐き出した。 「お嬢様、覚えているでしょう?ハロウィンは、私達の出会いの日、なんですよ」 懐に抱き寄せた華奢な躯をやんわりと抱き締め、長いブルネットの髪をさらりと梳き上げる。それはさ らさらと指の隙間を流れ、室内に指し込む淡い陽射を反射する。そうするとブルネットの髪は、金色とも 蒼銀とも判別の付かない微妙な色合いに染まる。極上の絹糸のような滑らかさを誇り、社交界の淑女 達の羨望と嫉妬一心に集めている。 「私に名を与えたのはシエル、貴女ですよ」 「求めたのは、お前だろう?」 ミカエリス伯爵。父親に紹介されただけで名前がなかったから、不思議に思い尋ねたものだ。そして 返された言葉に思ったことを言葉に乗せ、愛犬と同じ名をセバスチャンに贈った。漆黒の姿が、何処か 愛犬と同じで、ナイトのようだと思ったからだ。 「貴女の大切なナイトの名を頂いたんですから、最期まで貴女のお傍にいますよ、マイ・リトルレディ」 「リトルじゃない」 2人だけの時、セバスチャンは躊躇いもなく『リトルレディ』と口にするが、もうデェビュタントも済んだ自 分を掴まえ、大した言い草だと、シエルなどは思ってしまう。殆どそれは、嫌がらせの領域だ。けれどセ バスチャンは憮然となるシエルを鏡越しに見詰めると小さい笑みを漏らし、細い頤を掬い上げた。 「いいえ、貴女はいつまで経っても、私のリトルレディですよ」 マイレディと莞爾と笑うと、掬い上げた頤を強引に背後に向かせ、セバスチャンは啄むようなキスを贈 った。 【コメント】 悪魔様と9歳シエルのフォールインラヴ編、如何でしたでしょうか?時間なくて色々書ききれなかった エピソードがてんこ盛りで、シエルのBDに求婚しちゃうセバスチャンとか書けていないんですが、それ はおいおいな書いていくことにします。 年齢設定は原作より3年ずれて書いてますので、シエルが惨 劇に合うのは13歳になります。そしてこの話の2人は、セックスという意味では、最後まで関係が進ん でいない2人です。ってことで、これからオフとオンでシリーズとして描き進めていく予定です。多少なり とも皆様に楽しんで頂けたら幸いです。 |