My Fair Lady
episide1
 act2
〜その執事、愛妻











 アフタヌーンティーを堪能した劉と葬儀屋が引き上げてから数時間後。妊婦であるシエルの就寝時間は
以前より強制的に早い時間に設定され、余程のことがなければセバスチャンによって強制的にキングサ
イズのベッドの中へと押し込まれていた。だからと言って、そう簡単に習慣付けらせた就寝時間が体内時
計に適しているとも限られないから、シエルは強制的に押し込められた広すぎるベッドの中、クッションに
細い背を凭れ、本を読んでいた。
「奥さんが推理小説マニアなのは判ってますが、胎教にはあまりよろしくありませんよ」
 シエルの夫となってからも、ファントムハイヴ家の執事をしているセバスチャンと、当主であるシエルの
間では、当然就寝時間にズレが生じているから、セバスチャンが寝室に訪れるのは、シエルがおとなしく
ベッドに入っているかの確認に過ぎない。これでシエルが妊娠でもしていなければ、セックスに興じるとい
うこともあるものの、今のシエルの状況ではそれもできない。
 そうしてセバスチャンは予想通りのシエルの行動に、ベッドサイドに燭台を置きながら、呆れた様子で溜
め息を吐き出した。
「マニアって言うな」
「もう少し刺激の少ないご本を読まれたら如何ですか?」
「読者は誰だって名探偵が事件を未然に防ぐことなんて望んでいないって、お前は知らないのか?」
 呆れた様子で溜め息を吐き出す夫に、けれどシエルはシレッと言ってのけては、再び視線を手元へと落
した。
「存じてますよ。推理小説の醍醐味は、名探偵がマジックのように、鮮やかに殺人事件のトリックを解明
することだっていう程度のことは。ですが推理小説に付き物なのは殺人事件ですから、胎教には宜しくな
いですよ」
 ハイ、もうおしまいですよ。そんな軽口を叩きながら、セバスチャンがシエルの手元から問答無用で本を
取り上げれば、そんな行為さえ毎夜のことで慣れてしまったのか、シエルはさして文句を言う出もなく、セ
バスチャンを呆れさせる科白を口にした。
「死体は殺人事件最大の遺留品だからな。死体がなければ、殺人事件にはならないし」
「……事実は小説より奇なりとは言いますが、子供達のこを考えれば、褒められたものではありませんよ」
 尤も、母親が喜々として推理小説を読んでいるのだ。もしかしたら別段胎教には支障ないのかもしれな
い。何せシエルの胎内に宿る血筋は、まさしく悪魔たる自分の血を引く子供達だから、並大抵の子供で
はないのは確かだ。そう考えれば、人間の身、悪魔の子供を生むシエルはもまた、生半可な精神の持ち
主ではないのだと、今更実感するセバスチャンだった。
 今までは命数の限られたシエルの魂を追いかけることで精一杯で、自分でも思ってみなかった程に余
裕がなかった。
「でも事実だろう?今までは奇跡的に女王から命が下ることはなかったが、これからもないとも限らない」
 裏社会の秩序たるシエルが妊娠中だからといって、犯罪件数が減少する訳でもなければ、裏社会の殊
更安定している訳でもなかったから、シエルがセバスチャンと婚姻後、女王から命が下らないのは奇跡的
確率かもしれない。
「限りませんが、私が奥さんを現場に出すとでも思っていますか?」
「………思ってない。出たいって言っても、お前は僕を絶対、事件に近付けたりはしないだろう?」
 劉や葬儀屋が聴けば、惚気と勘違いされる科白だったものの、それはシエルの実感の籠った即答だっ
た。
 元々シエルを事件に近付けたがらないセバスチャンだから、妊娠中となれば尚更なのは、予想できる。
尤も、裏社会の秩序たる家系に生まれた自分を、何故事件から遠ざけたがっていたのか、セバスチャン
の内心の苦さを、勿論シエルは知らない。
「当たり前です。たかが人間の女の命令一つに従うのは不本意ですが、夫の私が貴女の代わりに、現場
に出向きますよ。尤も、私が放って置いても、劉様と葬儀屋が奥さんを事件からは遠ざけると思いますよ。あの二人も、貴女には極上の大甘ですから」
 自覚の一つや二つはあるでしょう?そんな風に莞爾と笑えば、シエルが嫌そうに眉を寄せる。
「当分は育児に専念して下さいね」
 ニッコリと擬音が響きそうな威勢で優雅に笑うセバスチャンに、シエルは薄く細い肩を竦めると、諦めた
様子で吐息を吐き出し、幅広い肩口に小さい頭をコトンと凭れた。
「僕は、乳母なんて雇うつもりはないからな」
 中流以上の家庭ならば、乳児の世話は乳母の役目で、母親自らが母乳を与える事は滅多にない。
それは胸の形が崩れることを敬遠した貴婦人達がとった行動だったが、シエルにその気はさらさらなかっ
た。
「奥さん?」
「粉ミルクの改良に勤しんでるのは、母乳の出なさそうな僕に対する当てつけだろう」
「誰も奥さんが貧乳だなんて、言ってないじゃないですか」
「言ってるじゃないか」
 セバスチャンの即答に、シエルが少しばかり憮然となれば、やれやれと言った様子で、セバスチャンが
長いブルネットの柔髪を梳いていく。手袋を外している慣れた指先の感触に、シエルの瞼が重たくなって
いく。
「私も乳母なんて雇うもりはありませんよ。これ以上この屋敷に他人の出入りは増やしたくありませんし。
私達の子供を、他人の手で育てられるなんて、考えただけで嫌ですね」
 何せ生まれてみなければ、ある意味判らない子供達だ。ただの人間として生まれてくるのか、悪魔と人
間との混血として魔力を兼ね備えて生まれてくるのか、セバスチャンにさえ判断は付かない。そんな子供
達だから、余計見知らぬ他人の手になど、預ける気にはならなかった。
「長く人間界にいますが、子育ては初めての経験ですから、私も勉強途中なんですよ。生まれてくる子供
達に、よりよい環境を与えたいというのは、万国共通した親の願いというものです」 その為の労力を惜し
む積もりは、セバスチャンにはさらさらなかった。それが例え周囲には、傍迷惑以外の何物でもなかった
としても。  
「この子達の為に何ができるか、私も考えているんですよ」
 長い腕を伸ばし、シエルの腹部にそっと触れれば、孕み始めた腹部からは、確かに二人分の鼓動が感
じ取れる気がした。
「悪魔で親バカなんて言い出したら、離婚してやる」
 くすりと軽口を叩く表情は、けれど二人の間では睦言のようなものだろう。その証拠に、シエルの貌は、
柔らかいものばかりが滲んでいる。
「それはどうでしょう?」
 言わないという保障はできないと、セバスチャンがクスリと笑えば、シエルが埋めた肩口から顔を上げ、
呆れた吐息を滲ませながら、溶けた眼差しを向けてくるのに、セバスチャンは苦笑する。
「そんなお顔をなさらないで下さい、マイ・レイディ。マダムから、未だお許しは出ていませんよ?」
 キスをねだる溶けた眼差しに、啄むようなキスを贈りながら、セバスチャンがらしくない窘めの言葉を口
にする。そうすれば勝ち気さを失わない視線が少しばかり睥睨を覗かせるのに、セバスチャンは華奢な躯
をそっと横たえる。フワリと擬音を響かせ、長いブルネットの柔髪が、清潔なシーツの上に広がった。
「お前が、子供達の話しばかりするからだ」
 誘い掛けるような眼差しに、セバスチャンが苦笑する。
焼き餅と、嫌がらせとが半々に同居したシエルの内心など、セバスチャンには丸判りだ。
「私だって我慢していることを、お忘れなく」
「奇遇だな?僕も同じだ」
 契約時、紫に染まったシエルの右目は、今はセバスチャンと同じワインレッドの色に染まり、左の瞳は
以前より深みも鮮やかさも増したように思える綺麗なサファイアの瞳だ。その綺麗なオッド・アイが、夜の
闇夜に溶け出すようにゆっくり色香を灯すのに、セバスチャンが体重を掛けないように細い躯に伸し掛か
り、仕方ない奥さんですねぇと笑いながら、薄く開かれたシエルの口唇に深く貪るように酷薄な口唇を重
ねていった。