| My Fair Lady episode6 |
| ベッドルームの遮光カーテンを威勢よく開くと、薄昏い夜の気配を払拭するかのように、眩い朝の光が室 内を包む。窓を開ければ、朝特有の清涼な空気が室内を満たし、昨夜の情交の名残を綺麗に掻き消してい く。 「奥さん、起きて下さい、朝ですよ」 振り向いて天蓋付きのベッドに視線を移せば、白い裸身が眩しそうに身動ぎするのに、セバスチャンは緩 やかな微苦笑を滲ませた。 「おやおや、これではまるで人魚姫のようですね」 白いケットから剥き出しにされている薄く細い華奢な肩。対照的に、白いシーツの上を流れる長いブルネ ットの柔らかい髪。それがよりいっそうシエルの肌理細かい肌の白さを浮き立たせている。 注ぐ陽射に柔らかく輝く滑らかな髪は、さながら白いシーツの波間で午睡に戯れる人魚のようだと、劉や 葬儀屋が聴いたら盛大に呆れて指を指されて笑われかねない感想を、セバスチャンは愛妻に向けていた。 それをしてバカップルだと言われているセバスチャンとシエルだったが、当人達に自覚は薄い。 清涼な朝の陽射に満たされている室内だからか、シエルからは昨夜のような淫蕩な気配は不思議と感じ られない。いっそ無邪気とも思える少女のような寝顔に、セバスチャンは優美な笑みを滲ませる。尤も、世 間では未だ少女と呼ばれる年齢のシエルだから、寝顔が無邪気に見えるのは、シエルの精神が健全な証 拠なのかもしれない。 そんな下らない感慨に浸りながら、セバスチャンはシエルの枕元に腰掛けると、差し込む陽射に淡く輝く 長いブルネットの髪を一房掬い上げ、そっと口唇を寄せた。 現在妊娠中のシエルは、叔母であり担当医でもあるマダム・レッドから、安定期に入るまでセックスは禁 止だと厳命されていたから、二人の昨夜の夫婦生活は、推して知るべしという状況だった。世間一般から 見れば男であるセバスチャンの方がシエルを求めそうなものの、いつも我慢が効かず、セバスチャンの苦 笑を誘っているのはシエルの方だ。勝ち気な性格が災いしてか、ダメと言われるとチャレンジしたくなる性 質らしい。その流れで、結局昨夜も一悶着あった二人だ。 汗とそれ以外のものとで濡れた髪は、けれどそんなものを感じさせない滑らかさと柔らかさを持っている。 「シエル、そろそろ起きて下さい。朝ですよ」 口唇を耳元に寄せ、柔らかい口調で囁くと、セバスチャンの声に反応したのか、長い睫毛が微かに揺れ、 白い瞼が気怠げにゆっくりと開かれる。 「……セバスチャン……?」 「おはようございます、マイ・レイディ」 掠れた声が少しばかり不機嫌そうに向けられるのに、セバスチャンは柔らかい笑みを滲ませ、白い額に 口唇を落した。まるで子供に対するようなその遣り様に、少しばかり憮然としながら数回瞬きを繰り返すと、 シエルはキングサイズのベッドに半身を起こした。瞬間、白いケットが裸身に寄り添うように緩やかに崩れ、 決して豊かとは言い難いシエルの胸が露になった。尤も、お世辞にも豊満とは言い難いシエルの胸は、け れど決して貧乳ではなく、少女らしい瑞々しさと形の良さが備わっている。 「………奥さん、少しは羞恥心をお持ちになって下さい」 淡い陽射に浮き上がる白い裸身に、やれやれと大仰な溜め息を吐き出すと、セバスチャンが白いケットを 引き上げ、シエルの胸元をやくわりと隠した。 「夫婦で姦ること姦ってて、今更だろう?大体お前は男だった僕を抱いてきたんだ。今更お前に羞恥心なん て湧く訳ないだろう?」 悪魔らしくないセバスチャンの科白に、シエルは本気で呆れた。非常識な存在のくせに、時折この悪魔は こちらが呆れる程、常識的なことを言うから始末に悪い。 「そういうものではありませんよ。男の羞恥心を煽ることができてこそ、一人前のレディというものです」 「いちいち煩いなお前は、人間みたいだ」 正論を語る悪魔は始末が悪いと、シエルが深々溜め息を吐いてしまったとしても、罪はないだろう。語り 継がれてくる伝承の中、理路整然と正論を口にする悪魔など聴いたこともない。 「長く人間界におりますから、仕方ありませんね」 生まれ変わる都度、決まった命数しか生きられないシエルを求め、結局本来の居場所に帰ることを放棄 してしまったようなものだから、望む望まないに関わらず、セバスチャンは否応なく人間界の世俗さをよく見 知っている。 けれどシエルは違う。セバスチャンが一体何を求め、長くこの世界に関わってきたのか知りようもないから、 時折語られる何気ない一言に、無自覚な不安を煽られる。今もそうだ。サファイアとワインレッドの瞳が何と も言えない複雑な色を刷かして凝視してくるのに、セバスチャンは内心で苦笑すると、柔らかい前髪を宥め るように梳き上げた。 「僕が他の男の羞恥心なんか煽ることができたら、お前は僕を何処にも外出させなさそうじゃないか」 胸元まで引き上げられた白いケットを片手で押さえると、シエルは小首を傾げ、セバスチャンを見上げた。 「……奥さん、少しは自覚なさって下さいね。貴女は自分のことを自覚することが昔から不得手ですから仕 方ないかもしれませんが、貴女はそこに在るだけで、人目を惹くんですから」 それは様々な意味に於いて、シエルは人を惹く。容姿も、立場も地位も。様々に於いてシエルは人を惹く のだ。勿論社会的立場だとか地位だとか、そんなものを差し引いても、シエルは単純に男達の眼を惹く容 姿を誇っている。そして女性からは、羨望と嫉妬と値踏みが常に付き纏っているが、自分の容姿に無頓着 なシエルが、そんな視線に気付く筈もない。 「アーリーモーニングティーをお淹れしましょう。本日はウェッジウッドのフルーツティーの中から、ストロベリ ーティーをご用意致しました」 それを使用するシエル当人というより、セバスチャンがお気に入りのアビランドのピンクローズのティーカッ プにフルーツティーを注ぐと、柔らかく甘いストロベリーの香りが室内に広がり、シエルは受け取ったカップに 静かに口を付けた。 乾いた喉元に浸透するように溶けていく甘い味わいに、気怠い意識がゆっくりと覚醒してくるのが判る。 「本日はエリザベス様がお見えになりますが、お躯の具合は如何ですか?」 安定期に入る前の妊婦というのは、何かと躯と心の偏重を起こしやすい。それがマタニティーブルーを引 き起こし、時には鬱さえ併発するから、セバスチャンの気掛かりもそこにあったが、シエルはセバスチャンの 気掛かりなど素知らぬ顔で、日々をマイペースに過ごしている。むしろ生まれる前の子供達に対する過保 護な夫の遣り様こそ、シエルの目下の悩みの種だ。 大体と、シエルは内心で溜め息を吐き出した。 他社の製品は安全性に欠けるから、生まれてくる子供達には使用したくない。その主張は判る。我が子の ことを思えば、より安全で品質の確かななものを与えたいというのは、親なら誰もが当たり前に願うことだろ う。けれどだからと言って、自社開発に勤しんでしまう悪魔というのは如何なものよ?と、ここ連日机に積み 上がる企画書の山を思い出し、無自覚に眉間に皺を寄せた。他の悪魔とやらが居るのなら、是非意見を聴 きたいくらいだとシエルが思っていることを、勿論セバスチャンは知らない。 「誰かが山と積み上げた書類もどうにか片付いたし、大丈夫だろう」 「奥さん、私は奥さんの体調をお聞きしているんですが」 ワーカーホリックもいい加減になさって下さいねと釘を指せば、シエルが心底呆れた様子で小首を傾げた。 「膨大な企画書の束を押し付けた張本人が言う科白か?」 山と積まれた企画書の中身は、他社の製品を生まれてくる子供達に使用できるかとばかりに、セバスチ ャンが提案した書類の束だった。立て板に水の整然さで製品の中身を語られた日には、最後には聴くのも 莫迦莫迦しくなったシエルだ。 生まれる前からこの騒ぎでは、生まれてからは一体どれだけ大騒ぎするのか。その時のセバスチャンの 親バカぶりを想像すると、シエルが頭痛を覚えるのも無理はない。頭痛が痛いと、うっかり何処かの大喜利 のようなことまで、内心で思ってしまうくらいだ。 「それは当然ですよ。安全性に欠いたものを、子供達に使用できる筈もありませんから」 「だったら、いちいち気遣うな。疲れたら疲れたって、ちゃんと言う」 「その科白が信用出来るなら、私の心配は減るんですが」 本当に疲れた時、シエルは何も言わなくなる。無口になって食欲も落ち、前触れもなくスイッチが切れるよ うに寝てしまう。それが判るから、セバスチャンに言わせれば、シエルの言質程信用できないものはない。 「だったらもう少し、企画は控えろ。社員がオーバーワークで泣いてるぞ。お前の企画書のおかけで社員は 残業だらけで、残業代もばかにならない」 企画を立案し、生産ラインに乗せるまで踏む手続きと手間。企業の業績を伸ばす為には、柔軟な思考回 路と発想が重要だと判っているが、何事にも限度というものは存在する。幾重もの工程を経て市場に流通 するまでにかかる費用は、注がれるものが大きければ大きい程、金額も人員も莫大になる。 「私の企画したものが市場に出れば、元などすぐに回収できますよ。むしろ他社の製品が安全性に欠ける と判る筈ですから、子供を持つ親がどちらを選ぶかは、推して知るべしですね」 立て板に水の調子で語るセバスチャンに、シエルはがっくり脱力すると、遠い眼をした。 正論を語る悪魔は始末に悪い。それも生まれてくる子供達の為だと真顔で語られた日には、生む決意を するまでに泣いてきた時間が莫迦みたいだ。 「男親にできることなんて、この程度なんですよ」 顰っ面をするシエルに微苦笑を滲ませると、セバスチャンはほっそりした躯を引き寄せる。 「できるだけの力があることに、今は感謝するだけです」 魔力の有無は別にして、ファントム社という下地が企画を容易なものにしているのは確かだ。子供向けの 製品を売り出しているファントム社が、オーナーの妊娠に合わせてベビー業界に参入するのは、何も不思議 なことはないだろう。むしろ当然のことだと、セバスチャンなどは思ってしまう。 企画を形にするだけの人脈も生産ラインも、ファントム社は持っている。そしてそれに注がれる費用も何も かも。 「生みの苦しみは、共有できませんから。男親は、こんなことしかできないんですよ」 原始から続く生みの苦しみは、創世の時代から変わらない。どれだけ科学が進化し医学が発展しても、 おそらく出産に伴う苦痛と危険は変わらないだろう。 神の教えに背いたイヴの末裔達に継承され続けていく苦しみ。そして、そんな中から生まれてくる生命。 悪魔の子供も、例外ではないのだと、セバスチャンは苦笑する。それはそのまま、シエルに伴う危険と同義 語だからだ。 「私が子供達にしてやれることも、だからこの程度です。ですから、これくらいはさせて下さいね」 「……物は言い様だな」 さらりと髪を梳き、そっと瞼に落とされる口唇に、シエルが小さい吐息を吐いた。 「モーニングティーが済んだら、シャワーのご用意を致しましょう。今朝は昨日取り寄せたバスアメニティー が届きましたので、それでシャンプーして差し上げますね」 シエルと、その胎内に宿る子供達の為にと、セバスチャンが取り寄せたバスグッズは、肌にも躯にも優し いとされる天然素材の代物だった。 「別にそんな拘る必要もないだろう?」 英国一の玩具・製菓メーカーのオーナーなわりに、シエル自身はメーカーに頓着はないから、セバスチャ ンの拘りが今一つ、二つ理解できなかった。この辺り、二人の意思疎通は平行線だ。けれどセバスチャン に延々と言い募る無駄も判っているから、シエルはセバスチャンの好きに任せている。 「そうは参りません。妊娠時期は色々とありますから。香料の強いものが引金でアレルギーが出たり、肌が 荒れたりしたら大変です。何よりこの髪は、私が丹精込めて毎朝毎晩手入れしているんですよ?傷んだら どうするんですか」 「……お前…そっちが本音だろう…」 うっかりすると、髪の色艶に固執しているセバスチャンの科白に、シエルが憮然となった。 「社交界で羨望の的になる奥さんの髪は、私の自慢なんですよ?貴女を綺麗にするのが、私の勤めですか ら」 まるで極上の絹糸のようだと社交界の女性達から羨望の的になっているシエルの髪は、セバスチャンの 愛情の結果だ。その程度のことが判らないシエルではなかったから、真顔で恥ずかしい科白を告げてくる 旦那の科白に、苦笑するとこしかできなかった。 「そう言えば、私としたことが、大切なことを忘れておりました」 「大切なこと?」 「ええ、あとで企画書を追加致しますので」 「………お前は〜〜僕の躯がどうとかいっておきながら、未だ書類に判子をおさせるつもりか!」 しれっと告げられたセバスチャンの科白に、シエルの眉が吊り上がる。 ここ連日眼を通した書類の半数以上は、セバスチャンが記載した企画書ばかりで、本来本社から回ってく るべき製菓・玩具メーカーとしての書類は半数以下とあっては、シエルの眉が吊り上がったとしても誰も責 められないだろう。 「大丈夫ですよ。今回は既にサンプルも作って、市場モニターしたものですから」 「………そんなの一体誰が許可を出した」 サンプルばかりか、用意周到に市場モニターまでしている辺り、悪魔の夫は始末に悪い。なまじっか高位 な悪魔なだけに、創ろうと思えば指先一つで何でも創り出せてしまうのだから、本来企画書も何もセバスチ ャンには必要ないものばかりだ。 「双子ですから、双子用のベビーカーが必要ですので」 「………はぁ?」 たっぷり数秒費やして、シエルはセバスチャンの科白を脳内で反芻し、既に鬱陶しい生き物になっている 旦那を心底呆れた様子で眺めては、海より深い溜め息を吐き出した。 「何で双子のベビーカーなんだ……」 この鬱陶しい悪魔をどうにかしてくれ。シエルが頭を抱えてしまったとしても、罪はないだろう。 「男の子と女の子。双子の子供達だと申し上げた筈ですが?」 心底呆れて脱力しいる様子の愛妻の細腰を引き寄せ、白いケットり上から腹部を撫でると、セバスチャン は真顔でシエルのオッド・アイを覗き込んだ。 「だからってわざわざ双子用のベビーカーなんて必要あるか!どれだけ需要があると思ってるんだ!」 世間で双子の生まれる確率は、そう多いものでもないだろう。その辺りの細かい数字的な問題は、叔母 であり、担当医でもあるマダムレッドに確認すれば済む話しで、わざわざ金を掛けてサンプルを作る必要も なければ、市場モニターなど必要ない筈だ。第一と、シエルは覗き込んでくるセバスチャンに睥睨を向ける と、憮然となって口を開いた。 「そう都合よく、双子の赤ん坊がいたな」 「ええ、マダムにご協力頂きました」 「マダムレッド〜〜〜」 社交界の女王とか呼ばれながら、その傍らで王立病院の産科医もこなしている優秀な叔母は、けれど破 天荒な性格をして、看護師からは人気が高い。気取らない性格は患者からも好かれるらしく、在る意味人 間以外の存在にも懐かれている。 ある事件が切っ掛けで知り合った赤い髪の死神は、人間界での定宿は叔母の家と決めているらしく、何 かと理由をつけては、居着いている。揚げ句に二人して男を逆ナンパして遊んでいるとまで聴くくらいだ。そ んな叔母が関わっているとなれば、在る意味データーなど容易にとれるだろう。学会でも座長を勤めるくら いの優秀な叔母だ。双子のデーターなど、医師会を通じて話しを通せば、データーは待っていても転がり込 んでくる。 「先日企画書を提出した育児書ですが、マダムにご協力して頂いたので、かなりいい出来に仕上がりまし たよ。近日中に原案が届きまよ」 眼を通して下さいねと、にっこりと音が響きそうな威勢で微笑まれ、シエルが半瞬、遠い眼をした。 子供が生まれたら本気で『悪魔で親バカですから』と、嫌味も通じない親バカになりそうな旦那に、シエル は別の意味で泣き出したい心境で、がっくりと項垂れた。 「子供達によりよい環境をと願うのは、万国共通した親の願いですよ」 「……自分の物差しで万国を計るな!」 「女性の生みの苦しみは共有できませんが、傍らに在ることくらいはできますので」 そこでにっこりと微笑まれ、シエルが眉根を寄せた。こんな時のセバスチャンの微笑みは、碌でもないと 決まっている。大抵とんでもないことを言い出すのだ、この悪魔は。 「マダムレッドに許可を頂いたので、立ち会い出産に致しましょうね」 「………立ち会い……?」 致しましょうねとにっこりと微笑まれ、半瞬ではその意味が繋がらなかったシエルは、数秒の間の後その 意味を理解し、繊眉を吊り上げ、叫び上げるように口を開いた。 「絶対断る!」 何をどうしたらそんな発想になるのか?シエルには甚だ謎だ。生みの苦しみとやらは、それこそ初産のシ エルには判らないことばかりで、担当医であるマダムレッドから聴く範囲でしか判らないものの、危険と苦 痛と隣り合わせなことは理解している。その分、より出産した我が子に対面する感慨はひとしおなのだろう。けれど旦那に傍にいて欲しいかと言えば、話は別だ。 「何故ですか?」 眉を吊り上げて嫌がるシエルに、セバスチャンは心底不思議そうな表情を浮かべて、瀟洒な貌を覗き込 んだ。 「貴女が負う痛みや苦しみは共有できなくても、せめて傍にいたいと思うのが、当たり前じゃないですか」 マタニティーブルーに陥ることもなく、日々をマイペースに過ごしているシエルは、けれどそこに辿り着くま でに泣かせた自覚は多大にあるから、不安など微塵も感じてほしくなかったというのが、セバスチャンの素 直な本音だ。 「お前は扉の前で、熊みたいにウロウロしていればいいんだ!」 真実は一つとばかりにビシッと指を突き付けた拍子に、白いケットがパラリと崩れ落ち、白い裸身が明る い陽射に露になった。淡い陽射に滑らかな光沢を弾いて輝くブルネットの柔髪。そこから見え隠れする張り 出した胸元に、セバスチャンが深々と溜め息を吐き出した。 「熊はひどい言い草ですね」 一体どんな表現だとシエルの物言いにやれやれとケットを掬い上げると、セバスチャンは包み込むように シエルの裸身にケットを巻き付け、問答無用とばかりにお姫様抱っこで抱き上げ、悠然と立ち上がった。 「なっ……!下ろせ!」 「おとなしくなさい」 腕の中で駄々を捏ねる子供と大差なく暴れるシエルに優游と笑みを向けると、セバスチャンはにっこりと 意味深に笑った。 「奥さんが嫌なら、無理に立ち会い出産しろとは言いませんが、でもエリザベス様は、どうか判りませんよ?」 元々はシエルの婚約者であり、今は仲の良い従姉妹同士だ。尤も、セバスチャンによって記憶を上書きさ れている割に、今までと何一つ変わりないエリザベスは、昔と変わらずシエルに自分好みの服を貢いでは、駄々を捏ねる子供さながら、持ってきた服を着てアフタヌーンティーをしようと、定期的に訪れて来る。そん なエリザベスは、年頃というより仲のいい従姉妹が出産という人生の一大イベントを今年に控え、何やらテ ンションが可笑しいし方向に流れているから、何をとち狂ったのか、向学の為とか意味不明のことを言って は、出産に立ち会ってみたいと言い出す有様だった。 そんなセバスチャンの科白に、シエルがむぅっと顔を歪めて嫌そうに黙り込むのに、セバスチャンはくすり と小さい笑みを覗かせる。 「エリザベス様も、まさか本気でお仰ってる訳ではないと思いますが」 「……リジーだからな…」 本気とは思えないが、嘘とも言い切れない何かがエリザベスにはあるのだ。無邪気なくせに、得たいの 知れない葬儀屋や劉と、あっさり打ち解けてしまった少女だ。何処まで本気の科白か、時折シエルでさえ その判断には迷う時があるのだ。 「流石にマダムが止めると思いますが」 多感な少女には、些かショッキングな場面に遭遇することになるのは判りきっているから、流石にマダム レッドでもそれは止めるだろう。 「扉一枚向こうで貴女が痛みを負っているんだと思えば、私もウロウロしてしまうんでしょうね」 それこそシエルの科白ではないが熊のように。扉の前で、右往左往してしまうのかもしれない。 「たまにはいいだろう?お前はいつだって冷静沈着で、そんな表情を見せないんだから」 散々僕を泣かせたんだから、それくらい甘んじて受けろと、シエルが笑えば、セバスチャンは少しばかり 眼を円くして、綺麗な笑みを見せる愛妻に、肩を竦めた。 |