| 回帰する願いと最初の魔法 |
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繰り返される、生と死のパラドックス 積翠眩しかった樹木が、移ろう季節に比例して、赤や黄色に色付く秋。様々に色付く樹木は、シエルにと っては魔法のようで、一つとして同じ色も形もないことが、不思議で楽しかった。 熱を運ばない淡い陽射が差し込む樹木は、其処彼処で柔らかい光を散らし、庭園を優しい色で包んでい る。 「どこ行っちゃったんだろう」 広すぎる庭園でエリザベスと遊んでいた際、何処までも転がっていったボール。 探すには広すぎる庭園を歩いていると、既に最初の目的から意識は逸れ、綺麗に色付く樹木を眺めてい ると、それだけで楽しくなってくる。 「お母様の持ってる宝石より綺麗だ」 繊細な宝石細工も綺麗だと思うけれど、自然の移ろいは人間には描ききれない無為たる光景だ。それは 一つとして同じカタチなど持っていない、天然の万華鏡さながらだ。 幼い子供の頭上できらきらと輝く赤や黄色、茶に色付く葉影。淡い陽射を透過すると、それはいっそう鮮 やかさと同時に、深みをます。それをシエルは心底綺麗だと思った。 「シエル〜〜見付かったぁ?」 遠くから聞えるエリザベスの声に、シエルは慌てて最初の目的を思い出し、 「未だだよ」 エリザベスに声を返した。 「もうちょっと、奥に行ってみようかな?」 領土の広いファントムハイヴ家はのマナーハウスは、大抵の貴族の屋敷がそうであるように、庭園として 形作られているのは屋敷前の極一部で、あとは森か林という具合だ。その所為で、あまり深くに訳いると、 危険なことも、両親からきっちりと説明されていた。 広大すぎる領土は権力の象徴ではあるが、防犯という意味では、無防備すぎるものだからだ。 「ダメですよ、これ以上奥に行ってはいけないと、お話されているでしょう?」 不意に森の茂みから現れた人物に、シエルは半瞬不審気な視線を向けた。 端麗な造作に、漆黒の黒髪。場にそぐわない真っ黒い燕尾服は、シエルの知る執事の恰好と同じだった。けれどファントムハイヴ家の執事はもっと年配で、こんなに若い男の人じゃないなと、シエルは一瞬で自 分の屋敷の執事を思い浮かべ、サファイアの双眸に警戒心を色濃く浮かべ、眼前に佇む長身の男を見上 げた。 「お探しものは、これですか?」 優雅な仕草で片膝を付き、シエルの目線に合わせると、男はシエルの探していた小さいボールを差し出 した。 「あっ…」 差し出されたボールを受け取っていいのか戸惑うシエルに、男は柔らかい笑みを見せ、 「坊っちゃんのものでしょう?」 小さい両手を掬い上げ、ボールを手渡した。 「あの…あっ、ありがとう」 「どういたしまして」 莞爾と笑う男に、シエルは不思議そうに小首を傾げた。 「お兄ちゃんダレ?なんでそんな服着てるの?」 「そうですねぇ。これは私の戦闘服、みたいなものですから」 「戦闘服?」 「アナタが下さったものですよ」 とはいっても、それはもう少し先の話で、貴方にはまだ判らないでしょうねと、男は優しく微笑んで、シエル の一揃えの綺麗なサファイアの瞳を見詰めた。 血統の正しさを受け継いだサファイアの瞳は、未だこの時には右眼は失われることもなく、悪魔の契約書 も埋め込まれていない。この綺麗な右眼がもう少し経てば怨嗟に彩られ、悪魔の契約書に変わるのだと思 うと、らしくなく胸が痛んだ。 「僕?」 「ええ、そうです」 「僕、お兄ちゃん知らないよ?」 「私の名前はセバスチャンと言います。これもアナタが下さった名前ですよ」 小さい首がキョトンと傾ぐのに、セバスチャンは柔らかい微苦笑を漏らした。 「アナタがもう少し大人になったら、私を必要とする時がきます」 サラリと、柔らかい癖のないブルネットの髪を梳き上げ、セバスチャンは優雅なたたずまいそのもののよう に、微笑んだ。 「だからその時まで、アナタに魔法を掛けましょう」 「魔法?」 それは寝しなに、乳母や母親に読みきかせられたことのある御伽話で、とてもワクワクしたことを覚えてい る。 「お兄ちゃん魔法使い?」 好奇心いっぱいの瞳が見上げてくるのに、セバスチャンは緩い微苦笑を覗かせると、 「そうですね。今のアナタには、そうかもしれません」 けれどもう少し時間が経って出会うシエルにとっては、底の知れない魔力を秘めた、魂を引き換えに契約 を結んだ悪魔だ。けれど幼い子供にそんなことを言っても判らないだろう。 「さぁ、眼を閉じて……」 サラリと好き上げた柔らかい前髪は、幾度となく番った情事の最中、触れてきたものと変わりない。 シエルは髪を梳く行為を自分にしか許してはいなかった。その意味をもっと早くに判っていれば、自分達の 関係はもう少し変わっただろうか?答えの出ない問いを自問自答し、白い手袋を嵌めた右手が、そっと小さ い視界を塞いでいく。 「お兄ちゃん?」 不意に視界を塞がれ慌てたシエルは、慌てて視界を塞ぐセバスチャンの手を振り解こうとして、白い手袋 に爪を立てた。 「大丈夫ですよ。私がアナタを危険な目に合わせる訳ありません」 そう囁くと、セバスチャンは左手の白い手袋に歯を立て、抜き取った。淡い陽射の下に曝された、シエルと の契約書の写し。それは徐々に薄れ始めている。 「もう……時間がありませんね」 悪魔と契約した契約者の末路。それは負の遺産として語り継がれてきているが、契約者に魅せられた悪 魔の末路も、また同じなのだと、知る者は少ないだろう。 「刻が来たら、アナタの魔法は解けるようになります。その時は迷わずに、私を呼びなさい」 「…呼ぶ…?」 「ええ、アナタに魔法の呪文を教えて差し上げましょう。一度きりしか使えない魔法です。今は覚えていなく て結構ですから、必要になってら、迷わず呼んで下さい。無茶で無鉄砲がアナタの専売特許ですから。迷っ たら、いけませんよ」 血の海の中に佇んでいた幼い子供に、迷う選択肢もなかっただろう。姦計により両親を殺害され、親族も 殺され。一人奇跡的に生き延びた幼い子供。 今なら判る。何故チカラもない幼い子供が、悪魔を召喚できたのか。 「セバスチャン・ミカエリス。これはアナタが下さった名前です。ですが私の本当の名前は……」 悪魔や妖精にとって、真実の名を教えることは、相手に魂まで従属させられる為、決して漏らしてはなら ない、最大の禁忌だ。 「……えっ?」 耳元で囁かれた名前に、シエルは視界を塞がれたままキョトンと小首を傾げている。 「これがアナタに教えてあげられる、最初の魔法です」 そして最期の魔法は………。 悪魔でさえ予想不可能なパラドックスに、セバスチャンは苦笑する。 「アナタと会うのはもう少し先。それまでは倖せな子供でいて下さい」 出会ったら最後、切っ先に立つ裏社会の王になるのだから。 「シエル」 視界を塞いだまま、小さい口唇にキスを贈ると、セバスチャンは右手を離した。 「……今の…キス?」 「ええ、お母様に毎晩おやすみのキスをされているでしょう?」 それと同じですよと笑えば、シエルはやはり子供の時から聡明なのだろう。しっかり反駁をしてくる当たり、勝ち気な性格が窺える。 「今は昼だよ」 「ええ、でも私と会ったことは忘れて頂く、おやすみのキスでから」 「なんで?」 「今は未だその刻ではないからですよ。この魔法が使えるのは、たった一度。必要になったら封印は解けま す。その時は、迷わないように」 いいですねと微笑むと、セバスチャンはサラリとブルネットの髪を梳き、フワリと空気に溶け込むように、姿 を消した。同時に、幼い躯は、力が抜け落ちたかのように、くったりとその場に崩れ落ちた。 「シエル〜〜見付かったぁ?」 「……あれ……?」 エリザベスの声に、シエルはキョトンと小首を傾げ、自分が何故枯れ葉の上で寝ていたのか、周囲を見渡 した。 「……ボール?」 手の中には、大好きなマダム・レッドからお土産に貰ったボールも在って、探していたものがちゃんと手の 中にあることに、シエルは不思議そうに周囲に視線を向ける。 さほど時間は経っていないのか、躯は冷えていないし、色鮮やかな樹木と、穏やかな鳥の鳴き声が秋深 い穏やかな昼下がりだと告げているのが判る。それでも意識が明瞭としていない不可思議さに、シエルは 何ともいえない感触を味わっていた。 「ダレか……」 いたような、気がしていた。何かとても大切な話をしていたように思うのに、何も思い出せない。 「なんだろう?夢…かな?」 起き上がり、周囲を見回しても、誰かがいた痕跡はなく、シエルは手の中のボールを眺め、 「ヘンなの」 一言呟いて、エリザベスの元へと戻っていった。 私のチカラが必要になったら、迷わず呼んで下さい。いつでも私は貴方の傍に。 「マイロード」 |