| 未来予想図 番外編 エピソード01 |
「もう君に預けたんだから、ウチじゃ面倒みないからね」 近代的なオフィスビルのような外観を誇る湾岸署は、知らない者が見たら、警察署には見えない建築になっている。 その署長室の一室で、振りの茶碗を手に、ズッと音を立て、神田はちょっと渋めのお茶を啜った。 「預けたっていうなら、何かあったら、またお前が面倒みる、そういう事じゃないのか?」 署長の神田と向き合う恰好で座っている島津は、相変わらずタヌキの同期生の顔に、深い嘆息を吐き出した。 「冗談でしょ。あんな暴走刑事、手綱とれるのはたった一人じゃないの。その一人が大阪に異動じゃ、誰が手綱とるの」 そう言い、神田は応接セットの瀟洒なガラステーブルの上に広げた、湾岸署御用達のレインボー最中の橙色を一つ取っては、頬張って口を開く。 「室井さんも、これからますます大変だな」 神田の台詞に、島津もお茶を啜る。 来客用にと備えられている瀟洒な陶器を使用する事なく、島津は湾岸署で不定期に開かれている、陶芸教室で神田が作ったというお茶茶碗を使用している。 『ミスのない捜査』『スキのない接待』と書かれたセットの茶碗で、最初こそソレにニッコリお茶を淹れ出された時には嫌な顔もしたが、神田と言う同期生はこういう奴だったと、すぐに同期生のタヌキの性格を思い出す。以来、島津が時折神田の元を訪れ使用する茶碗は、神田手作りの湯飲み茶碗が定着していた。 「でもアレだよ、あの人には、出世してもらわないとね」 最中を一口で頬張り渋めの茶を啜る神田は、署員の間で囁かれている事に間違いのないタヌキだろう。 タヌキだタヌキだと署員に囁かれている神田は、まぎれのないタヌキだった。何もかも見通して、それでいて何も気付かないフリをしている。 そんな同期生の姿に、島津は昔から変わらないなと苦笑する。 接待だけで、出世ができる筈もない。 警視庁一新しい所轄だから、比較的ノンキャリアの署長が赴任するには丁度いいから、神田が着任しているといわれているが、けれどそれが違う事を、島津は知っている。 確かに湾岸署は、警視庁の所轄では新しい警察署だ。けれど埋め立て地として活用している新しい土地で、受け持つ管轄は広く、そして新しい所轄故に、人員は少ない。それでいて観光地であり、カップルのメッカと言われる台場を管轄に受け持つだけに、窃盗や傷害など小さい事件が多かったから、臨機応変で柔軟な対応のとれる署長が要求された。 少ない人員で合理的な運営ができ、尚且つ有事に対し、即座に捜査員を起動できる。若い所轄だから、若い捜査員を指導し、管理できる人材が必要だった。だから神田が選ばれた事を、けれど湾岸署署員で知る者は少ない。 もう青島は神田のタヌキが演技である事に気付いているけれど、気付ける人間は少なかった。けれど神田はそれなりに署員に人望がある事を、本人は知っているのか、いないのか?青島にも判らなかった。 「相変わらず、タヌキだな」 レインボー最中が、実は甘い物好きな島津の好物の一つになってしまった事を知っているから、神田は毎回捜査本部にソレをだしている事を、けれど島津は知らない。知らず、お茶受けに出された見慣れたソレを一つ手に取り、頬張った。 「署長はね、タヌキで丁度いいんだよ。じゃないとね、若い捜査員は育たない。警察官がマニュアルだけで動いてたら、いつまでたっても自立できない捜査員ばっかりになるからね」 「俺はてっきり、お前は俺と一緒に、一課長のポストを争うもんだと思ってたよ」 島津と神田は、警察学校の同期生だった。互いに捜査本部ではそんな事をおくびにもださないから、そんな関係を知る人間は少ないが、神田は島津と一課長のポストを争うべき立場にあった。 「僕はね、一課長には向かないよ」 そう笑う神田は、実に穏やかそうに見える。 「俺よりお前の方が、向いてると思ってたけどな」 「言ったでしょ?僕は、マニュアルだけの捜査方針を強いる一課には向かないよ」 そう言う神田は、けれどマニュアルの必要性を十分理解している管理職だった。 マニュアルは、捜査だけでなく、警察の基礎になるものだ。基礎がなければ当然応用はきかない。だからマニュアルの必要性を、神田は理解していた。けれど一旦警察官になれば、マニュアルだけで動く事は困難になる。その時その都度、必要な要項で動けなければ意味はなく、マニュアルだけに頼るステレオタイプの捜査員は現場には不必要だったし、そんな捜査員は、現場では足を引っ張る事も、神田は承知していた。 タヌキな神田も、伊達にノンキャリアで所轄署の署長をしているわけではないのだ。 「それで青島みたいな暴走刑事が、育つわけか?」 少しだけ苦い顔をして笑う島津も、青島の刑事としての優秀さは心得ている。 青島の無茶は、自らの正義を信じる為だ。それが青臭い正義でない事も判っている。旧態依然な組織の中で、正義を口にする難しさを、神田も島津も心得ていた。そんな事は、組織に帰属すれば、誰もが嫌でも眼にする現実だ。 けれど青島は諦めない強さを持ち、自らの信念を信じていられる刑事だった。そして常に結果を弾き出す事のできる優秀な捜査員だった。 青島の暴走が、自らの正義を信じての行動だと、今は知っている二人だった。そしてまっすぐ事件と対峙し、迷い傷つき、深い苦悩を抱き、それでも自らの正義を信じて歩く事のできる刑事だと、判っている。 「そうは言っても、ウチの検挙率No1だからね。青島君の抜けた穴をうめるのは、容易じゃないよ」 無茶で無鉄砲で、上司の言う事をきく事の方が珍しい青島は、けれど湾岸署刑事課検挙率はNo1だった。 昨年の冬、副総監誘拐事件で青島が刺され入院した時。湾岸署捜査員は確かに地獄を見たのだから。その時誰もが、青島の検挙率No1の意味を痛感したのだ。 青島は、文句を言いつつも残業をしていた。そんな青島と残業時間を競っているのは、盗犯係のすみれだった。 そんな青島が抜けた穴は大きく、刑事課長の袴田は、どれだけ残業を重ねても解決しない事件に、胃を壊した程だ。 一体青島は普段どれだけの残業を重ね、事件を抱え、解決してきたのか? 誰もがその時初めて、青島の存在の大きさを思い知ったのだ。 だから青島が一課に異動した後、新人二名を刑事課に異動させても、青島の代わりにはならない事を神田は知っていたし、今から袴田は胃を痛めていた。 「誰かいい捜査員回してよ」 それくらいの特権、一課長にはあるんじゃないのと、神田は嘯いた。 「いたら、一課でほしいくらいだ」 「だからあげたじゃないの、ウチの暴走刑事。引き換えに誰か回してくれても、バチあたらないよ」 「相変わらず、無茶言うな」 同期生の気安さで、島津は笑う。 「ウチはね、若い捜査員が育つには、いい環境だよ。署員はみんな元気いいし、だから僕はこうして、此処で呑気にお茶を啜っていられる」 「こんな騒々しい警察署で、呑気に茶を啜っていられるお前は、やっぱりタヌキだな」 島津は伊達に一課長をしているわけではなかった。 ノンキャリアの最高ポストと言われる警視庁捜査一課長をしているだけに、都下の101在る警察署の署長達をよく知っている。神田のように、部下のやりたいように捜査させるような力量は、よほどのタヌキでなければ勤まらない。それは自分の進退にダイレトクに影響するからだ。 「署長が乗り出すような事件、ないんだから。青島君がいなくなって、ウチもやっと静かになるよ」 しみじみ言う神田のソレが、本心なのか島津は知っている。 刑事に見えない青島は、誰より刑事らしい刑事だった。バカな子程可愛い。神田が青島をそう思っている事を、島津は知っていた。 「災厄は、一課が被るのか?」 「推薦状書いて、君もよく言うね。君や新城管理官、室井さんが推薦状書くって意味、青島君自身、呆然として理解してたよ」 副総監誘拐事件後、青島は昇進試験を受けた。そしてその結果が、先日出たばかりだ。 青島が警部補になったと同時に、一課へ異動させる。それ以前に、青島の昇進試験に推薦状を書くという事は、アノ副総監誘拐事件の見解は、上層部と一課内部では、見解は全く逆と示す事になる。それはそのまま造反行為にも繋がる事を承知で、島津や新城、室井は推薦状を書いた。その意味を、神田が間違える筈はなかった。 「キャリアキラーって噂は、本当らしいな」 「僕だってね、恩田君と新城管理官の関係は、初めて聞いたんだよ。4月に異動した真下君と柏木君は、纏まりそうだしね」 「最初は、室井さんだと俺は思うが」 「青島君と、室井さんね」 「キャリアとノンキャノアの共存共栄なんて、足下掬われるっていうのに、室井さんは青島の正義を守りたいらしい」 「アノ人いつも眉間に皺よせてたから、青島君みたいにまっすぐな男には弱いんだよ、きっと。キャリアに警察の正義がどうのなんて、普通言わないよ。それを青島君はしちゃったからさ」 気の毒な人だよねぇと、なんとも呑気な神田の台詞は、けれど青島と室井が成し遂げようとしている現実を、しっかりと見抜いている人間だった。 「バカな子ほど、可愛いっていうからねぇ」 ズッと音を立てお茶を啜り、神田は笑う。 「島津君、たとえ所轄でも、署長は一国一城の主なんだよ」 たとえ上から押さえ付けられる事が多くても、署長は警察署と言う城の主だった。 「そこでお前は、若い捜査員を育てる事にしたって言う事か」 それで一課長争いから早々に離脱したのかと、島津は苦い顔をする。 「いいのが育ったじゃないの。無茶で無鉄砲だけど、磨けば二十年後、一課長の椅子に座っているのは、彼だよ」 嘘か本気か判らぬ神田の台詞に、島津は苦笑を深めた。 島津も知っているのだ。 刑事警察の再生と言う困難な現実を成し遂げようとしている青島と室井は、刑事警察の再生を求めるからこそ、室井は自分が組織を革新できるだけの力を持った時、青島にも刑事警察の中枢である一課を、掌握できるだけの力を持ってほしいと願っている事を。 それがどれ程残酷な夢で祈りである事か、室井は知っているのだ。 それでも、青島の自らの正義を求めるナニかに、共感したのだろう。 これから先の二人は、どれだけ傷ついていくだろうか?そう考える時、神田も島津も、残酷で、それでいてほろ苦い夢を味わうのだ。 警視庁は再生されるだろう。その結果が出るのは、20年後の筈だった。 その時やっぱりモスグリーンのアーミーコートを翻し、今と変わらぬ眼差しで、飄々とした笑顔を見せている彼を想像できてしまうから、島津も神田も苦笑する。 アノ強さ。澱みなく佇み、自らを信じる事のできる勇気を、失ってほしくは無かった。そして失わず、昇り詰めてほしかった。 事件に対峙する真摯な強さや迷いを抱き、青島には成長してほしい。 だから島津は青島を一課へよんだ。どんな事件も真摯に対峙する事のできる青島は、すでに所轄の域では窮屈になっている筈だと、島津も神田も正確に見抜いているのだ。 「見てみたいもんだよねぇ」 警視総監になった室井と、その横に、端然と佇む一課長の青島を。 二人がそれぞれの正義を貫いた時。警視庁は再生されるだろう。 「そうだな」 のんびりとした神田の声に、島津は苦笑しながら頷いた。 「だから後は、君に頼んだよ」 苦笑する島津に、神田はレインボー最中を頬ばった。 湾岸署の署長室は、今日も穏やかだった。 ← |