ジュニア:01








 駘蕩たる麗らかな春は、煙景な桜の季節も終わり、徐々に初夏の色合いを深め、街路樹の木々も青黛に深まり、新緑が眩しい季節となる。
そんな眩しい新緑と木漏れ日を見詰め、青島は深く笑うと、一人息子の待つ幼稚園に向かった。
 青島は、例の副総監誘拐事件の後、昇進試験を受け警部補に昇進してからは湾岸署を離れ、警視庁刑事部捜査一課強行犯3係に異動となっている。それから5年の歳月が流れていた。
 因みに、真下はとうとう本店に異動になり、同じく警視庁刑事部捜査2課の管理官へと昇進していた。口説き落した柏木雪乃と目出度くゴールインし、二人の間には1歳になる男の子が在る。雪乃は産休明け早々に湾岸署刑事課強行犯係に復帰し、現在は湾岸署の刑事になった、緒方、森下、篠原夏美らを指導し、刑事として頑張っている。そしてこれは、湾岸署、本店を通しての七不思議的語り草と言われるすみれは、姓を新城と改め、現在は青島同様警部補に昇進し、本店刑事部捜査3課に異動し、新城との間に出来た2歳の娘の母親になり、本店の刑事として頑張っていた。湾岸署から、キャリアの真下はともかく、青島とすみれまで本店に異動になった時は、流石に皆一様に『持ち上がり組』と影で囁いていた。
何せ湾岸署に骨を埋めそうだった真下はとうとう本店に戻り、実は凡庸な外見とは裏腹に、とんでもない策士で、政治力にもとみ、真下が捜査2課に配属されてから、手掛けた事件は多く、最初こそ皆その外見に騙されたと、唸っていたと言う顛末が付いている。青島は副総監誘拐事件の功労者として、以前よりすんなりと捜査一課に迎えられ、すみれも着々と本店の刑事として頑張って、頑張り過ぎて、新城に顰めっ面されると言う事になっていた。
 そして問題の青島は………。
「陽一!」
 ツラツラ新緑を堪能して歩いていた青島は、目的の幼稚園の門が見えると、友達と遊んでいる一人息子の陽一を大きな声で呼び、おいでおいでと手招きをする。
「アラ、青島さん」
 数人の園児の世話をしていた保母が、青島の姿を認めると、笑顔を向けて来る。この当たり、結婚しても青島は青島で、ソツがない。と言うよりも、本人にその気がなく無自覚だから始末に悪い。だから、園児を迎えにきている他の母親達からも、笑顔を向けられる始末だった。極自然に、青島の回りには保母や他の母親達が集まると言う現象が起きる。
「お父さ〜〜ん」
 陽一は、青島ソックリだと表される笑顔を満面に浮かべ、走ってくると、ポンと飛び上がる。それを軽く受け止め、抱き上げると青島は、
「帰るぞ」
 子煩悩そのものの笑顔を見せた。それがまた他の母親達を魅了する。青島程子煩悩で、率先して育児に手を出す父親は、他の園児の母親達から見れば、理想の父親像と言えた。
「青島さんは、奥様助かりますよねぇ」
 一人の未だ若い母親が、青島に莞爾とした笑みを見せる。
「本当、青島さん、お子さん可愛くって仕方無いって感じですもの。奥様が羨ましいわ」
 私立幼稚園らしく、着飾った母親達が口々に青島を理想の父親と羨ましく思っていた。本来父親は、余り育児には参加しない。仕事仕事に追われ、ワーカーホリック気味に仕事に熱中する。だから必然的に、育児や躾、教育は母親任せにされてしまう。だからこそ余計、母子分離が巧くいかない母子が増えて行くと言う悪循環を生み出している。その点青島は全く違っていた。
 一人息子の事は、それこそ女房の妊娠期の母親学級や、育児指導にまで出席し、他の妊婦達を羨ましがらせた経験を持つ。陽一が生まれてからは、育児も一通りこなしていた。
 おしめを替え、沐浴させ、離乳食を作りと、まめにこなしていたし、夫婦共働きの所為で、陽一は半ば警視庁を揺籠に育ってきた様な所も有る。何せ必要が在れば青島は託児所に預けていたし、陽一の母親に至っては、執務室で育児をしていた。
特に離乳期は余程忙しく立ち回る仕事が入っていない時は、個室の執務室の簡易キッチンで離乳食を作り、育児をこなしていたと言う、語り草が有る。夫婦共に育児に参加し、一人息子を眼に入れても痛くない程の可愛がり様だった。故に、育児放棄している父親を持つ他の主婦から見れば、青島の存在は珍しくも有り、羨望でもあった。逆に青島は、育児に参加しない父親達が、可哀相とも感じていた。自分の子供の事だ。育児に参加すればその楽しみも判ると言うのにと、思っている。青島は楽しんで育児に参加し、だからこそ回りの主婦からは子煩悩との評価をなされていた。
「お父さん、今日ね、こいのぼり作ったんだよ」
 父親に抱かれ、陽一は満面の笑顔で幼稚園で遊んだ事を話している。
「そうか、今日、お父さんも、陽一の好きなデカイ鯉幟飾ったから、帰ったら楽しみだぞぉ〜〜」
 と笑う青島と陽一は、その笑顔がソックリで、似た者親子と呼びなわされている。          
「ホラ、それじゃあ。帰る支度。しておいで」
 トンッと、腕から小さい躯を地面に下ろすと、青島はポンポンと促す様に頭を撫でてやると、
「ハ〜〜イ」
 陽一は元気に返事し、教室に駆けていく。 
「陽一、走ると転ぶぞ〜〜」
 男の子だから、擦過傷の一つや二つ対した事ない筈が、陰惨な殺人現場での死体など見慣れている筈の母親が、途方もなく我が子には心配性で、下手な傷でもつけよう物なら、貧血を起こされる。以前にも起こされた前科が有るだけに、元気よく駆けて行く
息子の後ろ姿に、その当時を振り返り、青島は端整な面差しに微苦笑を刻み付けた。
 未だ陽一が3歳位の時だ。膝を擦り剥いて帰って来た我が子に、母親の室井は青褪め、たまたま事件が解決し早々に帰宅してきた青島が、消毒をしてそれで大丈夫と言い含めても、中々に納得しなかったという前科持ちだ。
 救急法上級の筈が、事青島や子供に関する事には思考力が停止してしまうらしい。まして男の子は中々育てにくいと言われる位、幼少時には病気をする。陽一は、流石青島と室井の血を引いている所為か、頑丈に出来てはいるが、1歳児の時に発熱した時、室井は何時もの冷静さなどなくなり、オロオロするばかりで、その場をテキパキとこなしたのは青島だった。そんな事を思い出して、青島は日々成長する子供の姿に、微笑ましく笑う。
 ほどなくして、帰り支度をした陽一が、教室から青島の待つ園庭へと駆けてくる。私立の幼稚園らしく、有名デザイナーにデザインさせたと言う子供服は中々に可愛らしく、黄色い帽子に鞄を下げた我が子に、親馬鹿宜しく、『陽一が一番可愛い』と青島は内心笑っていた。陽一の手には、画用紙で作った青と赤の鯉幟が握られている。それがパタパタ風に翻る様が、可愛らしかった。 陽一は、先刻の様に青島の前で軽く飛び上がると、青島は馴れた仕草で抱き上げる。
「こいのぼり」
 小さい手に握る鯉幟を自慢する様に父親に見せる。
「偉いな〜〜良く出来てるぞ」
 高い高いと、小さい躯を軽々と持ち上げると、
「本当に、子煩悩なんですのね」
 回りの主婦が関心した様に口を開く。
「よ〜〜し。それじゃぁ帰るか」
「ウン」
 父親に抱っこされたまま、満面の笑みを見せる陽一は、本当に青島そっくりの笑顔をしていた。







「陽一?コラ、何処行く」
 幼稚園からの道を、青島と手を繋いで歩いて来た陽一は、最寄り駅のホームで青島とは違う方向に駆け出して行く。突然失せた小さい温もりに、青島は慌てて小さい躯を追い掛ける。掛けると、
「お父さん、コッチ」
 『こっち』と、小さい手が反対のホームを示すのに、青島は瞬時に微笑んだ。
「お母さんのとこ、行くか?」
 佇む子供に目線を会わせる様に膝を折ると、青島の台詞に、陽一は嬉しげな笑顔を向けた。
「ヨ〜〜シ。それじゃぁ、奇襲かけちゃえ」
 再び子供を盛大に抱き上げると、青島は有楽町線に飛び乗った。








「アラ〜〜青島君、Jr連れて、どうしたのよ」
 警視庁の廊下を歩いていると、3課のすみれと偶然出会った。
「すみれさん?久し振りだね」
「そっちこそ、元気そうね。どうしたのよ。確かそっちは新宿署の事件片付いて、休暇じゃなかったの?」
「お姉ちゃん。こんにちは」
 とは、青島の腕に抱かれたままの陽一の台詞で、
「相変わらず、青島君の血筋よね。ソツがない事」
 ヨシヨシと、陽一の頭を撫でるすみれ表情は、母親のモノだ。
「何ソレすみれさん、ソツないって」
「だって、普通ならおばさんって言うもの。この位の年齢だったら。それをお姉ちゃんって言うんだから、女を喜ばせるツボ心得てるって事よ。流石、誕生日も血液型も同じで、ソックリな親子よね」
 陽一は、計画妊娠してわけでは決してないが、誕生日も血液型も青島と同じだった。当初出産予定日は12月24日と聖夜の筈が、初産はどうしても一週間位は早く生まれる為か、陽一は予定日より早く生まれ、誕生日は青島と同じで、血液型も同じと言う奇遇な親子だ。
そして陽一が生まれてからも、まともに育児休暇などとる筈のない室井は、だからこそ夫婦二人で交互に陽一の面倒を見て、室井も開き直って個室を与えられている執務室に乳飲み子を連れ込み、育児をしていた。その所為か、警視庁内部では二人の育児は有名で、陽一に付いた渾名は『Jr』だった。
 そんな光景が浸透してしまった所為か、陽一が警視庁の廊下を歩いていても、誰も不思議に思わなくなってしまったと言う顛末付きだ。
「そっちこそ、愛俚ちゃん2歳だろ?可愛くって、新城さんなんて、益々マイホームパパに拍車掛かってるって聞いたよ」
「言わないでよ。賢太郎ちゃんがあんなにマイホームパパになるなんて、私だって予想しなかったわよ。今じゃ愛俚が可愛いくって、きっちり定時に退出して帰宅してるわよ。こっちは宿直や残業で忙しいっていうのに。刑事部の参事官がアレでいいと思ってんのかしらね。だから警視庁の七不思議なんて言われるのよ」
「その点は、室井さんも呆れてたよ。アノ新城がってね」
「室井さんが言っても、一つも説得力ないけどね。青島君と結婚した揚げ句、こうしてちゃっかりJr産んじゃった訳だし。開き直って育児は執務室でしてたし。アレだって、警視庁の七不思議じゃない」
「子供持って変わった新城さんと、子供産んで変わった室井さん、って?」
「その通りよ。それで、今日は休暇中にも関わらず、奥さんに逢いにきた訳?」
「俺じゃないよ、陽一がね」
 腕の中の子供を示すと、父親の腕の中で、陽一は少し眠たげにして、それでもニコニコと笑っている。
「本当。この笑顔って、青島君ソックリ」
 二人が廊下で立ち話をしている最中に、通りすがりの婦警達が、寄ってくる。
「アレ〜〜青島さんと、ア〜〜Jrも一緒」
「ア〜〜陽一君」
 数人の若い婦警が、キャアキャアいい乍ら、青島に、と言うより、陽一に寄ってくる。
「こんにちは、陽一君」
「ワ〜〜イ、青島Jr、元気してた?」
「こんにちは、お姉ちゃん」
 陽一は青島の腕から降ろされ、婦警に囲まれニコニコしている。
 生まれが生まれなだけに、陽一は赤ん坊の時から大人に囲まれ、5歳になる半分位は警視庁の内部で育ったと言うのは大袈裟ではないかもしれない。その所為か、独特の雰囲気に飲まれて泣く事はなく、楽しげに婦警達に懐いている。
「本当、ソツのない事」
 その様子を視て、すみれが笑う。彼女の台詞に、青島は頭を掻き、苦笑する。   
「それじゃぁね。今度家の方に遊びに来てよ。雪乃さんも、逢いたがってたわよ」
「あそこも、勇気君1歳になって、可愛い盛りだよな」
「『正義』の息子は『勇気』ってね。すごいネーミングよね」
 真下の一人息子は、真下の名前が『正義』だから、息子は『勇気』と付けたのは、一体真下か雪乃なのか?判らなかった。
「本当、それじゃぁ、陽一」
 一瞬肩を竦めると、軽くすみれに挨拶し、婦警に囲まれ遊んでいる息子を手招くと、室井の在る部屋へと向かった。
        





 警視正時代、暫定人事で警察庁長官官房首席監察官をこなし、警視庁刑事部参事官、警察庁刑事局で理事官を経て、先頃警視長に階級が上がった室井は、30代後半、来年は40年と言う若さで、警視長第一方面本部長をこなすと言う、冗談の様な出世をしていた。
 元々青島との暴走行為で所轄のノンキャリアの心を掴みつつあった室井は、例の副総監誘拐事件で完全にノンキャリアの心を掴み、派閥には属さずにいた本人の意向は二の次状態で、自分は東大出身の割りには学部派閥を嫌い、現場を重視する副総監サイドに組み入れられ、その中には真下の父親も在て、知らずと副総監サイドの人間と見られてしまっていた。
 そして一部の現場を重視する幹部からもその人徳を買われ、当時の吉田副総監が警視総監に昇進してからは、異例中の異例で出世街道を進んでいた。だから、その室井が青島と結婚し、揚げ句に子供を産んだ時は回りは悲鳴の渦だったが、本人は全く気付いた様子はなく、育児と仕事を完璧に両立させて現在に至っている。
「こんにちは〜〜」
 室井の執務室は、二つの部屋からなる。廊下に面している扉を開けると、其処は極普通のオフィスの様に、パソコンやワープロが在り、秘書等をこなす部下が在る。そしてその続きの扉を開けると、其処が室井の執務室になっていて、室井の個室だ。必然的に、室井の個室に辿り着くには、部下達の在るオフィスルームを通る事になり、青島は廊下に面する扉を軽くノックすると、返事を待たずに入り込む。いい加減馴れてしまった部下達は、青島の開けた扉から、一足先にスルリと小さい身を滑り込ませ入ってきた陽一の姿に驚いた様子もなく、続けて入ってきた青島に、軽く会釈する。
「こんにちは、Jr君」
 二人在る秘書達が席を立って陽一の前に屈むと、『ハイ』とキャンディーを渡してくれる。ソレを嬉しそうに『ありがとう』としっかり礼を言うと受け取り、トコトコと隣の執務室の扉を開け、
「お母さん」
「陽一?」
 突然扉を開け入って来た、今日は此処に訪れる筈ない我が子の姿に、一瞬室井は面くらい、次には柔らかい笑みを見せ椅子から立ち上がると、トコトコと小走りに掛けてくる小さい躯を抱き上げる。
「室井さん」
 執務室の扉を締め、青島が勝っ手したたる何とやらで、遠慮なく入ってくる。
「青島?お前、どうして?」
 警視庁捜査一課に異動になっても変わらないトレードマークのモスグリーンのコートは、休暇にも関わらず羽織られて、鷹揚に微笑み室井を視ている。
「幼稚園迎えに行ったら、陽一が此処に来たいってね」
 ゆっくり歩き、室井の前で立ち止まると、室井の腕の中で甘えている陽一の頭をコツンと軽く叩く。
「陽一、今日は青島とおとなしく家で留守番してる約束だぞ?」
 とは言っても、その眼は完全な母親の眼差しで物柔らかく笑っているので、台詞の効力は何一つない。
 青島と室井は、結婚し、子供が産まれても、互いのスタイルは崩さずに、相変わらず『青島』『室井さん』と呼び合って、子供は室井のIQの高さと、青島の要領の良さを最大限に受け継ぎ、両親の呼び名に混乱をきたす事もなく、過ごしている。 
「コレ、お母さんにあげる」
 ハイッと差し出された画用紙に書かれた二匹の鯉幟に、室井は目許を和ませる。
「どうしても、ソレ届けたいってね」
「そっか」
 ヨシヨシと、青島と室井、二人で子供の頭を撫でてやる当たり、室井を知る人間が在れば、その変わり様に、唖然としただろう。それ程、子供と接している時の室井は、完全に母親の表情しかしていないので、時々青島が妬く事もある位だった。
「にしても、相変わらず此処って……」
 と、久し振りに入った上司で妻の室井の執務室は、広い個室に応接セットが配置されている。が、部屋の片隅に不釣り合いなものが置かれていて、青島は苦笑する。
「仕方ないだろう?お前が休暇だったりすればいいが、そうでなければ陽一は此処に来ている日の方が多いんだから」
 育児に関しては甚だ公私混同の激しい室井は、時間が空けば近所の幼稚園に迎えに行き、そのまま帰宅まで息子を遊ばせておく事が多い。初孫で、眼にいれても痛くない程孫を溺愛する青島の両親にも、そうそう甘えて何時も面倒は掛けられないと思う室井は、開き直りの極致で育児と仕事を両立させていた。
最初こそ煩かった上司達も、近頃ではめっきり呆れと同時に諦める事も覚え、放任している。別段仕事に支障をきたさないのだからいいんだと言う室井の居直りの勝ちだった。だから、執務室の片隅に、小さい玩具箱が綺麗に整頓され置かれていても、今ではもう誰も何も言わない。言う事を諦めてしまっていた。
「休暇で、こうして来てるし?」
 応接セットのクッションのよくきいたソファーに腰掛け、青島は深く笑うと、
「その通りだな」
 青島の横に、陽一を抱いたまま腰掛けると、何時の間にか細い腕の中で眠っている幼い寝顔に、室井は柔らかい笑みを見せる。
「室井さん、それってば反則」
「何だ?」
「陽一にばっかそんな笑み」
「……お前は…子供相手に妬くな」
 瞬時に憮然となった青島に呆れると、
「室井さんだって、俺が陽一ばっか構うと、目茶目茶拗ねるじゃないスか。拗ねて寝室に入れてくれないっしょ?」
 陽一が産まれた当初。子供ばかり可愛がる青島に、室井が目茶目茶に拗ねまくり、『そんなに子供が可愛いなら、子供と眠ろ』と、拗ねられた事が有った。その時は、最初何で室井がそんなに拗ねているのか訳が判らず困惑した青島も、すぐにその原因に思い当たり、『まったく可愛いんだから』と深い笑みを刻み付け、その晩は室井が失神する程情交に耽ったと言うオチが付く。が、何もそれはソレ一回きりの筈もなく、週に一回はそんな事が睦言の様に繰り返されている。端から見ていると、結婚し、子供も産まれ、5年経っても新婚と変わりない二人に、周囲は呆れ乍らも微笑ましい光景に笑っているのが実情だった。
「…そんな事は…ない」
 室井には、その自覚が今一つない。自分の子供相手に妬いて拗ねるなど、余り自覚がないのだった。ないが、全く身に覚えがない事もないので、今一つ強い反駁は出来ない。
「そぉ〜〜んな嘘付く口唇はね」
 柔らかく笑うと青島は室井を引き寄せ、軽く口唇にキスを落す。
「コラ、仕事中だぞ」
「今はファミリータイムでしょ?親子三人水入らずなんだから。俺が捜一に移っちまったから、下手すると3週間位陽一と逢えない時あるもんなぁ〜〜」
 そう笑い、室井の腕の中で眠る陽一の髪をサラサラと撫で梳く青島は、父親の表情をしていて、室井はフトと何とも言えない複雑な想いが胸に湧くのを感じた。
「ホラ。そんな表情。あんた拗ねてるって自覚ないからなぁ」
 陽一から視線を上げ、眼前で何とも言えない曖昧な微笑みをしている室井を視、青島は微苦笑する。
苦笑し、相変わらず白く細い左手を掬い上げると、
「室井さんは俺の奥さんで、陽一は息子。あんたが産んでくれた子供、可愛くない筈ないでしょ?」
 薬指に輝く細い室井の指にピッタリ嵌められている白金のプラチナリングに口唇を寄せ、薄く笑う。
 結婚し、5年も経つのに、室井への想いは何一つ変わらない。変わらないばかりか益々愛しくなるから困ったものだと、青島は内心苦笑する。小柄で綺麗な面差しは何一つ変わらず、陽一に見せる微笑みは母親のソレでしかなく、時折嫉妬もするけれど、愛しさが湧くばかりだった。
「当たり前だ。可愛くないなんて言ったら、今すぐ離婚だ」
 照れを誤魔化す様に憮然と口を開くと、腕の中で寝ている子供を起こさぬ配慮で青島の腕に抱かせると、スーツの上着を脱ぎ、事もあろうに簡易キッチンの戸棚の奥にしまってあったアイボリーのエプロンを付け、冷蔵庫から何やら取り出しキッチンに立ち始めた。
「何するんスか?」
 執務室は個室になっていて、応接セットに、簡易キッチン、冷蔵庫が備わっている、一流ホテルのスイートの並の作りだ。そのキッチンに立つ室井の後ろ姿に、青島は答えなど判っているものの声を掛ける。
「陽一は昼寝から醒めると、すぐにおやつを欲しがるからな」
「でっ?今日は何?」
「オレンジゼリー」
「俺の分も作って下さいよ」
「何でお前の分まで」
「じゃないと、このまま陽一連れて帰っちまいますよ」
「…お前は〜〜」
 フルーツナイフでオレンジの果肉を器用に取り出している室井が、ナイフを持ったまま青島に向き直る。
向き直ったその眼は、しっかり据わっていた。
「お前だけ帰れ、陽一は私が連れて帰る」
「そりゃないっしょ、室井さん。俺より陽一がいいんだ、グレるよ俺」
「グレればいいだろう?別に構わないぞ」
「ア〜〜そう言う事言う?んじゃ今夜俺あんた真似して、あんた寝室から追い出しちゃうよ」
「……すればいいだろう?」
 半瞬の間の後。室井は再びキッチンに向き直り、オレンジを剥き乍ら、口を開いた。
「んじゃ俺、本気でそうしちゃうよ?」
「出来るものならしてみろ」
 結婚してち5年。もういい加減夜の夫婦生活も飽きてていい筈が、青島は全く飽きを知らず自分を求めてくるものだから、室井は毎晩攻防を強いられる羽目になっていて、そんな理性が有るならしてみろと言う気になる。尤も、捜査一課に異動になった時点で、都下で起きる事件を追い掛け、特捜本部が置かれればまず3週間近くは帰宅しない日が続くから、事件が解決し、休暇になどなったら、それこそ翌日まともに職務に付くのが辛い位、啼かされている。流石に3週間も青島に触れていないと、その温もりが恋しくなるから、お互いの様の自覚は有るが、素直に認めたら青島の無茶に拍車が掛かるだけで、室井は口を噤んでいる。
「いいんスか?そんな事言うと、俺本気で今夜は陽一の部屋で寝ちまいますからね」
「寝室は提供するぞ、私が陽一の部屋で寝るから、お前は一人で枕でも抱えて広いベッドで寝ればいいだろう?」
 器用に次々オレンジの果肉を切り取り乍ら、室井は小さい鍋を取り出すと、ゼライスを溶かしてゼリーを仕上げて行く。
「全く、子煩悩の過保護なんだから」
 と、青島は腕の中で眠る小さい躯をソファーに横たえると、端整な輪郭に深い笑みを刻み付け、足音を立てない靭動きで室井の背後に佇むと、
「ちょ……青島」
 ギョッとして室井が背後を振り返る。青島は緩やかに細い躯を抱き締めいる。
「青島」
 振り返ると、青島は酷く静邃に微笑んでいて一瞬室井は見蕩れるが、次にはその腕に抱かせた子供の姿がないのに視線を移して、渋面する。
「ソファーになんて寝かせたら、危ないじゃないか」
 完全にソファーをベッド状態で寝かされている陽一は、けれど寝返りを打てば床に落ちてしまう。室井は慌てて青島の腕を振り解こうと抗うと、
「大丈夫っスよ。本当、あんたって陽一にだけ心配性なんだから」
 クスクスと、耳朶を甘噛む様に囁くと、腕にした姿態が瞬間顫えるのが判り、青島は穏やかに笑う。こうした緩やかな抱擁に室井は特に弱い一面が有る。
「何言ってる。お前は陽一以上に何時も私に心配かけるじゃないか。お前の方が陽一よりよっぽど手の掛かる子供だ」
 背後から緩やかに抱き締められる腕の中で、室井はゆっくり向きを変えると青島と向き合い、
「何時だって、お前が捜査してる時、心配でならない。無茶で無鉄砲で、根拠のない自信で暴走するから、私は気の休まる時がない。陽一の方が、よっぽど私に心配を掛けない」
「またそんな反則技言う」
 クスリと、深い笑みを漏らす青島の表情は、室井にだけ見せる完成された大人の表情で、室井は青島の時折覗かせるそんな微笑みが好きだった。包まれる安堵すら感じる事が出来る。際限なく魅せられて行く自分を知り、月日を重ねれば重ねる程生涯の伴侶として選んだ相手にのめり込んで行く。
「事実だ。お前は、手の掛かる子供と同じだ。子供を持ってみて、よくよく判った」
「でも子供は、こんな事しないでしょ?」
「ちょっ…んっ…」
 避ける暇もなく、室井は青島に啄む様にキスを与えられ、瞬間。四肢から力が抜け落ち、眼前の青島の懐にしがみついた。抗い予定の腕は指先が白くなる程青島のコートを握り締めている。
 啄むだけの甘いキスに、クッタリと華奢な躯から力が抜け落ちて行くのを認めると、青島は漸く口唇を離した。
「子供はね、こんなキス、しないでしょ?」
 莞爾と笑い、笑い乍ら、コツンと白い額と己の額を合わせる様に、青島は室井を覗き込むと、白い面差しは紅潮し、目許は薄く潤み、室井は慌てて青島の腕から抜け出した。
「……っの、マセガキ…」
 照れを隠し、憮然と室井が口を開くと、青島はクスクス愉快気に笑うばかりで、結局何処まで言っても甘々な二人だった。






「相変わらずですね、此処は」
 室井の執務室の扉を開け、室内の状態を視た新城の眉間には、室井のトレードマークの皺が、クッキリと刻まれていた。
「新城さん?どうしたんスか?」
 扉を開いた位置で、眉間に指を当て嘆息付きつつ佇む新城を、何処か愉快気に青島は視ていた。
そして室井は、明らかにバツが
悪そうに憮然とし、
「どうした?君が此処までわざわざ足を運ぶ事件は、起きていない筈だぞ」          
 刑事部参事官の新城が、室井の元まで足を運ぶ事件は、起きていない。その筈が、何故新城が自分の執務室に足を運んで来たのか?室井は怪訝な表情をする。 
「イエ、青島が休暇一日目から、貴方の仕事の邪魔をしに来ていると聴いたもので」
 と、理由にならない理由を、新城はシレッと言いのけた。
以前の新城なら、用事もないのにわざわざ室井の元に足を運ぶ人間ではなかったのは周知の事実だ。
 新城は、東大出ではないが、有能な室井を、内心は尊敬していたのだと、自分自身すら気付かずにいた感情は、けれどもその行動がしっかり回りにソレを暴露していた。特に青島にはバレバレで、だから自分に殊更敵意を剥き出す新城を、青島は鷹揚に笑って躱していた。
 室井の、捜一管理官の後を引き継いだのは、新城だ。青島に出会う以前の室井は、後に室井弐号と呼びなわされる新城と、大して差のない人間味に掛ける管理官だった。組織捜査を信条とし、使えない捜査員は切り捨てる。警察に協力するのは市民の義務だと、被害者にすら冷然と告げる事の出来た管理官。けれど、それが或る日を境に、急激に崩れ始めた。そんな室井の噂が、新城の元にまで届くのに時間は掛からなかった。室井が、所轄の新米に誑らかされた。そんな噂が出回り、揚げ句管理官自ら特捜本部を無視し、問題の所轄の刑事と暴走したと聴いた時は、これで室井も終わりだと思った。それは何も新城ばかりではなく、室井自身も覚悟し、室井と同期のキャリアらは、出世頭の室井の存在がなくなれば、出世の道がより有利に開くのが判っているので、手放しで喜んだ者すら在った。それが査問委員会を経て、それでも半年の捜査一課の残留だけで出世街道の警備局に異動し、二度目の青島との暴走で降格処分を下される所が、周囲の大反対に有って着々と出世している室井を知る新城は、いい加減に室井に向ける尊敬を認め、それでも将来の伴侶に所轄の暴走刑事を選んでしまったのだけは頂 けないと、こうして今では慣れた様子で室井の執務室に足を向ける機会が、此処の所増加の一途を辿っている。
 そして新城自身。湾岸署から警視庁捜査一課まで出回った、警視庁七不思議の一つに数えられる前例を作ってしまった本人で、毛嫌いしていた空き地署の、青島の同僚の恩田すみれに惚れてしまい、プロポーズをしたと聴いた時には、誰もが室井弐号は伊達ではないと、しみじみ痛感したという顛末が付いている。だからこそ、『キャリア潰しの空き地署』と言う、有りがたくもないネーミングまで付けられてしまっていた湾岸署だった。
「邪魔はないんじゃないスか?此処に来たがったのは陽一だし、休暇中に、奥さんの顔視に来たら行けないっていう服務規定は、儲けられていないじゃないスか」           
「…誰が奥さんだ…」
 青島の言葉に、陽一を膝に抱いたまま、室井が憮然と青島に向かって口を開く。
「誰って、俺の奥さんが室井さん以外に在る筈ないっしょ?室井さんは俺の奥さんで、陽一の母親なんだから」
 眼前で、母親然と陽一を膝に乗せている室井に話す。その合間に、ちゃっかり新城は室井の横に席を陣取って腰掛けている。女房のすみれに『賢太郎ちゃん』呼ばわりされ、すっかり人格が変質してしまったかの様な新城は、今では開き直り、愛娘を溺愛する親馬鹿ブリを発揮している。そして母親の膝に抱かれ、青島と室井の一粒種の陽一は、両親の痴話を、ニコニコし乍ら聴いていた。
「第一新城さん、あんただって相当暇、なんじゃないスか?俺が此処に来たからって、刑事部参事官がわざわざ来る事ないじゃないですか、折角のファミリータイムに」
 今更思い出した様に、青島は当然とばかりに室井の横に腰掛けている新城に反駁するが、新城はケロッとしたものだった。父親になり、すみれに呆れられる位愛娘を溺愛している親馬鹿ブリに、確かに新城は一時の様に青島に敵意を剥き出し、噛み付く事はなくなっていたが、逆に二人の熱愛ぶりを揶う事に愉しみを見出だしている節が有るのも、青島には否定出来なかった。
 結婚は人を良くも悪くも変えると言うが、新城の変化は、良い方になったのだろうか、断言は今一つ出来ない青島と室井だった。何せ娘が生まれてからは、すっかり開き直って余程の事がない限り定時出勤と退出を繰り返している彼だ。女房のすみれは捜査三課で残業と当直を繰り返し、今では娘の世話は、好んで新城がしている有様だと言うから、人生何が起るか判らない。
「新宿署の事件が漸く解決したんだ。休暇の日まで、此処に顔を出しているな」
「俺に言うなら、月山さんに言ったらどうなんスか?あの人、下手すりゃ別の事件に口挟んでまで、捜査したい人じゃないスか」
 自分の事より、捜査一課の管理官になっている月山紀子に言えと、青島は反駁する。その台詞に、室井と新城の視線が一瞬同時に青島に注がれ、次に二人揃って有らぬ方向を視ると言う仕草をするのに、青島は深々嘆息を付く。
 捜査一課に初の女性キャリアの捜査員を投入した経緯は、今となっては謎だらけたが、当時上層部では揉めたのだと言う。が、本人の強い要望と、すぐに根を上げるだろうと言う安易な考えが端を発していたのは間違いがない。
 国家公務員・種合格の女性キャリアで、警察庁を希望する女性自体が珍しい。けれど月山は初めから警察庁を希望し、同期の男性陣をぶっちぎり、首席入庁している頭脳の持ち主だった。そして、黙って佇んでいれば細面の彼女は、今では市民権を得て、信用を失墜させた警察組織のアピールに利用出来ると言う打算も絡み、上層部の安易さが、今となっては頭痛の種という自体を引き起こすとは当時考えもせず、今ではすっかり捜査一課を牛耳っている彼女だった。
 キャリアの管理官導入は、室井から始まっている。当初試験導入された捜査一課のキャリア管理官だった室井は、現場を知らず、警察大学校で型通りの、マニュアル化された捜査方法しか知らない人間に、警視庁内で一番忙しいと言われる一課の管理官など勤まる筈がないと、何日で根を上げるか、密かな賭けの対象とまでされていた。けれども室井は生来の負けん気の強さで、検挙率ほぼ百%と言う数字を弾き出し、結果を形にした人物だった。室井が数値として、キャリアでも一課の管理官が勤まると証明し、現場の指揮官としてキャリアの管理官を配置する動きが本格化し、捜査一課3係・4係はキャリアの管理官が着く事が慣例化されつつ有る。
 室井の後任を新城が。そして新城の後は月山が、初の女性管理官として責務に当たっていた。が、これがまた上層部ばかりか、一課の人間にも嘆息ものだったのは言うまでもない。一課課長の島津など、定年を来年に控え、どうにか無事警察を去る事が出来る様にと、読経の毎日だと言う噂まで出回っている。
 月山は、一課配属当時から、青島同様。単独捜査と暴走が得意だった。決して青島の事を言える人物でないのは確かで、殺人事件が大好きな現場好きな警察官僚だ。上層部にしてみれば、青島以上にキャリアな分だけ質が悪い。そして彼女は、主に下より上に対し、平然と文句を言う女性だった。
 その彼女が、一課の管理官になり、おとなしく指揮だけをしている筈もなく、何時も捜査員以上の情熱で以て、捜査現場に顔を出す。だからこそ、一課課長の島津を初め、キャリアの管理官は人間が変る都度、性格がグレードアップしていると言う事になる。
 現場好きだった室井。そして所轄と仲良くして迷惑だと公言していた新城。そして今が月山と、一課の面々は半ばキャリアの管理官の性格に、諦めていた。初のキャリア管理官として導入された室井など、彼女にしてみれば未だ現場好きなど穏やかな表現だったと、今では誰もが認識出来る位。彼女の行動は破天荒で傍迷惑だった。だったが、検挙率の数値も見事に弾き出すから、誰も文句を言えないのが実情だ。
「月山は、今日はおとなしく休暇をとっている」    
 苦々しげに、新城が口を開く。
「珍しいな…」
 新城の台詞に、室井も珍しく同意を示し、頷いた。
「監察医務院で、遊んでるんじゃないスか?杉先生と」
 何時の間にか、ソファーの背に掛けておいた、警部補になり、一課に異動しても着ているモスグリーンのアーミーコートのポケットに手を突っ込み、愛用の外国産煙草を取り出すと、マッチで火を灯し、紫煙を吐き出した。深々ソファーに腰掛け、天井を仰いで気怠げに紫煙を燻らせている当たり、すっかり青島は寛ぎ体制に入っている。そして室井と新城は、青島の台詞に互いに顔を見合わせ、『それは有り得る』と溜め息を付いた。否、別に休暇中に彼女が何処で過ごそうが自由だが、新城にとって監察医務院は鬼門だった。 
「輝夜と静夜は、今日お母さん休みで、お家に在るって言ってたよ」
 母親の膝の上で、今まで大人達の漫才の様な会話を聴いていた陽一が、無邪気な笑顔で母親の室井を振り仰ぎ、元気に答えた。そして次に、大人達を更に深々溜め息を付かせる発言をする。 
「お母さんと一緒に、パズルするって言ってたもん」
「……パズル…」
 無邪気な愛息の台詞に、けれども青島と室井。新城までもが溜め息を付き、眉間に皺を寄せていた。
「パズルって……田所先生、また得体のしれない人体模型買ったんスかね?」
 陽一の言った輝夜と静夜と言うのは、室井の従兄弟の田所新作と、青島の従兄弟の司馬江太郎との間に出来た、双子の子供の名前だった。長女の輝夜と長男の静夜は、陽一より一歳年下の4歳だ。当然母親が田所で、父親が司馬なのは、言うまでもない。
「新兄ぃだから…」
 従兄弟の田所の、年々グレードアップして行く性格に、室井は既に他人事と諦めていた。
 秋田から、東京に出て来て警察庁に入庁てからは、仕事に追われる日々に帰省する事も片手で数えられてしまう程で、自然幼い頃は仲の良かった母方の従兄弟の田所新作とも疎遠になっていた。それがひょんな事で、室井が一課の管理官として、監察医務院に出向く事が多くなり、付き合いは復活していた。
 母親の双子の妹の息子だけ在って、田所新作は造作だけは室井と双子の様に酷似している。が、性格は、室井が唖然とする程、コワレていた。 
 室井の母方の実家は、秋田でも有数な救急病院で、室井の母親も、その双子の妹の田所可憐。つまり田所の母親を含め、つい最近までメスを振るっていた気丈夫な外科医だ。確か田所は救急救命医を目指していた筈だ。それが何時の間にか、同じ医師でも監察医と言う、余り日の目を見ない専門に進んでいたと知ったのは、室井が一課の管理官として、始めて監察医務院に訪れた際だった。そして気付けば何時の間にか、自分の従兄弟と青島の従兄弟が、自分と青島と寸分変らぬ関係だと知り、何時ぞやは嫌がる自分を三人で引きずり倒し、Wデートを敢行された事も有る。そしてホテル側の手違いで、一晩スィートに詰込まれた前科まで有るのだ。その時つくづく、室井は認識したのだ。ホワイトカラーを歩んでいた筈の従兄弟は、コワレていると。飄々で掴み所がないなんて言う、生易しい性格ではない。そして子供を産み乍ら、その性格は年々グレードアップしていくばかりだ。その性格に関しては、室井にしてみれば、諦めた方が精神衛生上良かった。
「ウン、あのね。新しいパズル買って貰ったって言ってた。帰って着たら、遊びにおいでって」
 と、邪気のない笑顔で言われ、瞬間青島も室井も反応が遅れた。
「いいでしょ?」   
 とどめとばかりに、満面の笑顔で問われてしまっては、室井はNoとは言えなかった。が、その表情は素直に『No』と宣言し、困った顔して陽一を視ている。
「ダメ?」
 小首を傾げ、おねだりモードで母親の室井を視る陽一の表情は、室井にして見れば青島ソックリだ。流石誕生日はおろか、血液型まで同じな父子だけの事は有ると、内心で室井を実感させる。 室井は、一瞬我が子の、旦那そっくりに生まれ付いた表情を凝視し、次には何と答え様かと考える眼差しが、自然眼前の青島に注がれる。
「田所先生、今度はどんな人体模型を遊び道具にしたんですかね」
 室井の視線を受け、青島も困った様な笑みを見せた。
「うちの愛俚は、どんな事が有っても、そっちには出入りさせないぞ」                   
 憮然とした表情で、新城が断言する。
 新城にとって、監察医務院が鬼門なのは、田所を始め、女性陣から盛大に揶われた前科が有るからだ。一課の管理官時代。監察医務院に出入りした際。新城は反駁も出来ぬ程、医務院の女性陣に遊ばれた。室井と同じ造作して、性格は一癖も二癖も有るコワれている田所に、言いたい事はズハズハ言いのける黒川栄子、今では自分の女房になったすみれとそっくりな天野光。某大学の法医学教室の助教授だと言う割に、医務院に出入りしている比率の方が高い杉裕里子と、其処に月山が加われば、新城が口で勝てる事も出来ない口達者が揃ってしまう。そして田所は、双子の子供を産み、子供が物心が付くか付かぬかの内に、パズルと称し、人体模型で遊ばせている前科持ちだ。両親揃って医者だからと言って、何も物心付かない幼児に、立体空間パズルと称し、人体模型を与えなくてもと思うのは、田所の性格を知らない周囲の言葉だ。
 田所の性格を知る人間は、特に旦那の司馬は、女房のそんな行動は諦めているのか、根が鷹揚なのか、判らぬ程に端然と構えている。それをまた喜々として双子の姉弟がソレで遊んでいるのを目撃した新城は、田所の姉弟に愛娘を近付ける事はしまいと、堅く心に誓ったのは、言うまでもない。が、青島と室井の所も田所と司馬の家庭と大差ない。人体模型を六法全書に代えれば、空間パズルか本かと言うだけの違いになる。5歳の息子に六法全書を与えている家庭も、青島と室井位のものだ。否何も好んで与えたと言うより、室井の書斎に入り込んだ陽一が、勝手に持ち出し、大人ですら難解な条文を、意味も判らず読めもせず、観て遊んでいるだけの事、ではあるけれど…。
「そりゃ無理ってもんじゃないっスか?すみれさん。喜々として休みの日に、愛俚ちゃん連れて着てますけど?」
 すみれは休みの日に、休日が重なれば田所邸なり、青島邸なりに出入りしている。尤も、この二家族は、恐ろしい事に都内のだだっ広い敷地に、二件並べて夫々の家を建ててしまった家族だ。きっと互いの家の中心に、その内子供部屋が建つ事は間違いないだろう。
「そんな事、私は一言も聴いてない」
「いちいち休みの日に、娘連れて出かけた事、逐一報告する女房いませんよ」
「エ〜〜でもお父さん。何時もお母さんに話してるよぉ〜〜ねぇ?お母さん?」
 青島の台詞に、陽一は言語能力の高さを見せ、無邪気に母親を振り仰ぐ。その台詞に、室井は、腕の中の我が子をついついマジマジと凝視する。
 5歳児にしては、言語能力が高いと思ってはいたが、何も大人に混じって無邪気にそんな台詞を言わなくてもと、思ってしまう。まして新城相手に聴かれてしまっては、気恥ずかしさしか湧かないではないか、と、室井は一瞬だけを我が子の言語能力の高さを恨みたくなった。
「お母さんだって、お休みの日にお出かけすると、お父さんが帰ってくる時は、お話ししてるもん」
 子供だけに邪気がないが、ついついわざとじゃないだろうか?と室井は勘ぐってしまう。何せ相手は青島の遺伝子も受け継いでいる子供だ。要領の良さは、確かに室井が舌を巻く程度の事は在るのだ、陽一は。
「陽一ッ」
 室井は慌てて陽一の口を塞ぐが、その時には既に遅かった。室井の隣で新城が、ニヤけた笑みを湛え、室井を視ている。
「相変わらず、仲がいい様ですね」
「そりゃウチは、今でも熱愛夫婦ですから」
 青島は紫煙を燻らせ、端整な造作に惚気た笑みを滲ませる。滲ませ乍ら、シレッと口を開くと、室井だけがいたたまれずに白い頬を上気させて行く。
「なっ?陽一」
 揚げ句に、室井の様子を楽しげに眺め、子供にまで確認を取るどうしようもなさまで有った。
「ウン。お父さんとお母さん、仲いいんだよ」
 満面の笑顔で、陽一は新城に答えた。
「陽一、黙ってなさい」
 上気した頬を隠す事も出来ず、陽一を『メッ』と眇めても、効力は何一つない。それ所か、新城までもが悪ノリをするものだから、室井はついつい執務室を出て行ってしまおうかと言う考えに陥った。
「どう仲がいいんだ?」
「ウン、あのね」
「陽一、もう良いから」
 『黙っていなさい』と、言外に滲ませる。このまま野放しにしていては、有らぬ発言をされるのは火を見るより明らかだ。
「ダメッスよ室井さん」
「私は陽一に訊いてるんです。貴方は黙ってて下さい」
「新城、お前は性格変り過ぎだ」
 青島と息を会わせる新城と言うのが、お目に掛かれる日がこようとは、信じられないと室井は二人を睥睨する。
「昨日もね、お父さんがお仕事から帰ってきて、御飯食べたら、二人共お籠りしちゃったの」
 陽一の、それこそ爆弾発言に、室井は上気した頬を更に紅潮させる。それはつまり、夜も早い内から、青島に寝室に連れ込まれたと言う事にしかならない。
「新宿署の事件が片付きましたから、久し振りに奥さんと夜過ごしたいって言うのは、夫婦なら当たり前ですから」
 シレッと言う青島と、頬を紅潮させ全く反駁出来ない室井とは対照的で、新城を呆れさせる。
「何時もなんだよ。お父さんが仕事でお家に中々帰ってこないから、お仕事終わって帰ってきた時は、お母さん、お父さんの大好物作って待ってるんだもん。だから僕すぐに判るんだよ。お父さん帰ってくる日」
 子供と言うのは全く邪気がない分だけ始末に悪いと言うが、室井にしてみれば、その典型が腕の中の我が子たる陽一だった。
 幼稚園や保育園では、子供達の遊びや会話の中に、その両親の在り方が滲み出ると言うが、邪気がなく、言っていい事の善悪も付かない子供だからこそ、家庭の内情がモロバレになるのだ。子供は知らない様で、見ていない様で、実はしっかり両親の行動を視ているから、幼稚園や保育園でのままごと遊び等で、それが顕著に現れると言う。                
「それで早々に寝室に連れ込まれていると言う訳ですか」
「そりゃもぉ〜〜特捜立てば三週間は奥さんと会えないんですから。事件解決したら当然ですよぉ〜〜」
「青島ッッ!」
 真っ赤になって、室井は青島を睥睨するが、青島は余裕綽々としているばかりだ。揚げ句、
「室井さん、子供の前で、嘘はダメッスよ」
「僕、嘘言ってないモン」
 ちょっと拗ねた様に頬を膨らませる仕草は、益々青島がわざと拗ねた表情を作るのと同じで、真逆わざとじゃ有るまいか?と、イケナイとは思いつつ、ついつい我が子を凝視し、勘ぐってしまう。そんな母親の表情に、陽一は益々頬を膨らませる。
「陽一はいい子だから、嘘は言わないもんなぁ〜〜」
「貴方の家庭環境が、良く判りましたよ、室井さん」
「新城さん所だって、筒抜けですよ、すみれさん、隠さないっスから」
 湾岸署に、室井の後任として初めて新城が現れた時などの状況を考えれば、すみれと新城が結婚したのが、警視庁七不思議に数えられる怪奇談として伝えられるのは、あながち嘘ではないかも知れない。
「すみれが何を言っている?」
 新城が、攅眉し青島を視ると、自分から矛先が逸れた室井は、二人の会話に無視を決め込んだ。結局新城が何しに自分の元に足を向けたのか考えた室井は、やはり新城自身が言う様に、暇潰しなのかと思うと、本当に新城の性格は結婚し変わり果てたと痛感する。青島と新城が、和やかとはいえないかも知れないが、家庭の会話する関係に至るなど、以前なら誰もが考えなかっただろうし、こうして視ていてさえ、信じられない事だ。そして無意識に、慣れた仕草で腕の中の我が子の髪を愛しげに梳き、二人の漫才の様な会話に口を挟むまいと決め、聴いている。
「新城さんが、参事官執務室に、愛俚ちゃんの写真立て飾ってるとか、携帯電話にプリクラ張ってるとか、パソコンで取り込みした写真で愛俚ちゃんのカレンダー作ってるとか。今から娘は嫁にやらないってのが口癖だとか、定時で帰宅して、愛俚ちゃんと風呂入るのが日課だとか、色々聴いてますよ。ベビーピンクハウス片っ端から買ってきて、クローゼット一杯にしてすみれさんに怒られたとか。もう色々」
「すみれの奴……」
 女房から、青島や室井に自分の親馬鹿ぶりが具体的に披露されているのを知り、新城は苦々しげだ。
「本当、新城さんも親馬鹿ですよね。今から嫁の心配するなんて」 新城以上に、警視庁では知らない人間が在ない程、有名になってしまった、青島と室井の育児と親馬鹿ブリに関して、全く棚上げした発言に、新城は尚苦々しげだ。
「お前も、娘を持って見れば判る。ウチの愛俚みたいに可愛いと、今から心配ばかりだ」
 本気で今から娘の嫁入りを心配している新城に、すみれの苦労が青島と室井には判る気がした。未だオムツも取れぬ、2歳の娘の嫁入りを今から心配しているのだ。この調子では、娘が成長したらさぞ大変だろうと、溜め息を付いた。
「まぁ、ウチの陽一は、そりゃ男の子だから、嫁入りの心配はないっスけけどね。でも今から2歳の娘の嫁入り心配する新城さん、あんた相当変、ですよ」
「お前は娘が在ないから、そんな呑気な事が言えるんだ。考えてみろ。室井さんにそっくりな女の子が産まれたとしたら、お前平静で居られるか?」
 新城の思わぬ切り返しに、青島は室井そっくりな娘を想像し、
「そりゃぁ〜〜室井さんそっくりな娘産まれたら、俺だって考えるかもしれませんけど、新城さん程じゃないですよ、絶対」
 そう断言する青島は、翌年の夏に産まれる、室井そっくりな娘を溺愛する羽目に陥る事は、今は未だ本人達も知らぬ事だった。
そして其処にまた、陽一の爆弾発言が加わって、執務室は殆ど井戸端会議か、親戚同志のノリの会話に転がり落ちていた。
「僕、妹が欲しい。ねぇお母さん」
「よッ、陽一!」
 流石に室井は、陽一のこの発言に周章狼狽を浮かべた。こんな台詞を此処で言われたら、昨夜に続いて今夜も寝不足になるのは間違いがない。この先の青島の台詞など、聴かなくても室井には手に取る様に判る。
「そっか、陽一、妹欲しいか〜〜」
 青島は、母親の腕の中。無邪気に妹が欲しいと笑っている息子に、鷹揚に笑みを向ける。 
「ウン、欲しい」
 素直な即答だった。
「んじゃ陽一、もっともっと、室井さんにお願いしないと、室井さん、妹くれなないぞぉ〜〜」
「エ〜〜なんでぇ?」
「室井さんは、すっっごい恥ずがりやだから。一杯お願いしないと、可愛い陽一のお願いでも、聴いてくれないぞ」
 既に二本目の煙草を吸いきって、執務室の硝子細工のテーブルの上に乗るクリスタル製の灰皿に押しつけ、火を消すと、鷹揚に笑い掛ける。そんな青島とは対照的に、室井はこれ以上ない程、白く細い首筋から、小作りな面差しと耳朶までをも朱に染め、動揺したまま反駁は何一つ出来ずにいた。
「室井さん、貴方が青島と一緒になった訳が、良く判りましたよ」
 隣で室井の反応を眺めていた新城は、青島の台詞に反駁一つ出来ない状態を視るに付け、室井は実は突発事項に弱い一面が有るのだと、再認識した。青島の口の巧さなら、純朴なキャリアの一人位、簡単に落とせたのだろうとまで、邪推する。
「勝手な事を言うな」
「お母さん、妹欲しいよぉ〜〜」
「今夜も頑張らないとね、室井さん」
 三人三様、好き勝手に話しては、室井を混乱させて行く。既に青島と新城に至っては、此処が警察だという、まして第一方面本部長の執務室だという事すら忘れているのではないだろうかと、室井は疑いたくなってしまう。 
「お前達、いい加減にしないかっ!此処は執務室だぞ。何時までも遊んでるんじゃないっ!新城、お前は刑事部参事官だろうが。こんな所で油売ってるんじゃない」
 キレた室井と言うのは、普段感情を爆発させる事がない分、周囲に与える影響は大きい。が、生憎二人は室井のキレの具合を心得ているだけに、この程度ではビクともしない。しない所か、平然とし、
「そう言う貴方が、一番油売ってるんですよ、室井さん」
 新城が、シレッと反駁する。自分が先刻訪れた際。休暇初日に関わらず、ちゃっかり遊びに来た旦那と子供に、しっかり眼を蕩かせていたのは一体何処の誰だと、新城は笑う。
「生憎。参事官の私が出向かなくてはならない事件は、起きてません」 
「起きてないからって、私の所に暇潰しに来るな」
 新城の反駁に、室井は憮然と言い放ち。
「青島、お前も、もういい加減に帰れ」
「どうせなら、一緒に帰ったらどうっスか?もうすぐ定時じゃないっスか?」
「冗談じゃない。帰って夕飯の支度でもしていろ」
「何食べたいっスか?」
「僕ドリア〜〜」
「ア〜〜ドリアね。んじゃ陽一にはそれ作ってやる。で?室井さんは?」        
 室井は、味付けの濃い料理は苦手だ。元々朝食だけはしっかり摂る室井だが、一課の管理官時代や、警備局警備課々長時代。平気で昼食、夕食を抜く人間だった。躯が動けばそれでいいと、ひどい時にはカロリーメイトで済ませていた前科持ちだ。そのくせ料理は趣味の人間で、シェフ並みの巧みさだ。リクエストすれば、まず間違いない料理を出してくれる。そのくせ今一つ軽食は苦手で、青島と知り合う以前は、イタリア系の店には殆ど出入りをしなかったのだと言う。その所為か、今でもその系統の、胃に重い料理は、食べられるけれど、進んで食べる事はない。それでも眼に入れても痛くない程可愛がっている愛息のリクエストを、はずした事は今まで一度もない室井だった。そして青島は、室井の苦手な部分を補う様に、一人暮らしが長かった所為でか、軽食の類いは適当勝手に作れる人間で、夫婦共にバランスが取れている。
「任せる」
「判りました。んじゃ和食がいいっスよね」
「アアそうだ。室井さん。今度私の手料理ご馳走しますよ」
「アッ、また何か新しい料理覚えたんだ、新城さん。だんだん室井さんみたいに、料理が趣味になってるんじゃないっスか?」
「すみれの不在が多いからな。それでなくてもアレは料理が苦手だ。愛俚に栄養の偏った物を摂らせる訳にはいかないからな」
「……本当、親馬鹿っスね…。でも、まっ、いいんじゃないっスか?民主主義。女は料理が得意で旦那を立てるなんて、今時ないっスよ。男だってどんどん料理覚えてたら、困る事ないんスから」
 新城は、結婚し、娘が産まれた当初から。室井に料理を教わっていた。それもこれも愛娘に、真っ当な料理を食べさせたいと、離乳食まで手ずから作る思い入れ様だった。自分も陽一が産まれ、室井と育児を半々にこなして来たが、新城程の親馬鹿ブリは発揮していないと、青島は呆れ顔だ。それも端から視ていれば、新城も青島も同類項で括れてしまう存在でしかなかったけれど。
「それでは、室井さん。私はそろそろ失礼します」
 新城が立ち上がると、
「お前、本当に暇潰しに来ただけなのか?」
 ついつい問い掛けてしまう室井は、きっと人が良いに違いなかった。
「そうですよ。参事官が出て行く大掛かりな事件は、起きてません。各署に立っている特捜本部からも、目新しい情報は上がってませんし」
 これで定時に帰れるとしか、きっと今の新城は思っていないに違いないと、室井は脱力した。結婚で此処まで人が変れるものだろうか?自分の事を全く棚上げし、室井は甚だ疑問だと、首を傾げた。そしてそんな室井を残し、新城は室井の執務室を後にした。
「んじゃ俺も帰ろっかな〜〜。これ以上此処に在ると、室井さんのご機嫌損ねて、今夜大変だから」
 シレッととんでもない事を言う青島に、室井は再び白さの戻った頬に朱を散らす。
「陽一も妹欲しいって言ってるし。ねぇ室井さん?可愛い陽一のお願いなんスから、聴いて上げないとね」
「恥ずかしい事ばかり、言ってるんじゃない」
 室井にしてみれば、漸く片付いた新宿署の特捜本部が昨日解散になり、久し振りに帰宅した青島に、通常より早い夕飯を済ませ、シャワーを浴びた後。さっさと寝室に連れ込まれ、散々に啼された。
 二階建ての家の、子供部屋は二階で、夫婦の寝室は一階だ。幼稚園にあがった陽一は、その時から子供部屋に移され、青島にしてみれば、子供の眼を気にする事なく室井を抱ける状況に、際限なくのめり込んでしまう。特捜が立てば捜査一課の青島は中々帰宅出来ない日が続く。それだからこそ、青島が帰宅した夜は、互いに歯止めなど利かない。子供の眼を気にする余裕など、室井の方が先に手放すのは何時もの事だ。 
 細い躯を押し開かれ、青島の堅く熱い肉棒で、肉襞の奥を抉られる程に貫かれイク瞬間の快感と一体感は、青島と言う存在自身に、泣きたい程の愛しさが湧く。けれど、ソレをストレートに言葉で表現されると、いたたまれない羞恥が湧いてしまうのは、生真面目な性格故にで、今更仕方無い。
「室井さん」
 青島は、素早く室井の隣に移動すると、
「今夜もタップリ、ネ」
 耳朶を甘噛み、低い音色で囁いた。途端。室井の背筋を、生温い熱さが走った。
無意識に細く薄い背が顫え、怜悧な双眸に薄い情欲が素直に乗る。その眼差しを見詰め、青島は酷く物柔らかい笑みを滲ませた。       
「待ってますから、早く帰って来て下さいよ」
 細い頤を掬い上げ、アッと言う間に、啄むキスを送る。
「んっ…ゃっ…」
 甘い吐息が無自覚に零れ落ちて行く。そんな両親の仲の良さは、子供を安心させるのは当たり前で、陽一は室井の腕の中。しげしげと両親をまろい瞳で見詰め、
「お父さんもお母さんも、仲いいんだよね」
 小首を傾げ、笑顔を見せた。その台詞に、室井は慌てて青島から口唇を離すが、しっかり陽一に視られ、頬に血が上る。
「お父さんんはお母さんが一番大好きだし、お母さんもお父さんが一番好きなんだよね?」
 青島と良く似た造作に、まろい瞳は両親双方の遺伝か、ニコニコと輝いている。まろく笑う陽一の笑顔に薄く笑んだ室井は、けれども次にはその台詞にギョッとする。
「陽一?」
「だって、お父さん言ったもん。お父さんもお母さんも、一番好きなのはお互いなんだよって。二番目は、自分だから、僕は三番目だって」
 邪気がなく言う息子に、室井は隣に腰掛けている青島を睥睨する。室井に睥睨され、青島は僅かに慌てた表情を作ったが、刹那にシレッとした表情を作り、
「だって、本当の事っスから。そりゃ当然陽一は可愛いっスよ。あんたが俺の為に産んでくれたんだから。でも俺はあんたを一番愛してるし、あんたは俺が一番でしょ?陽一産まれた当初なんて、まぁ俺が陽一ばっか構ってたら、拗ねた位なんだから。そんで二番目は、お互いに愛されるてる自分が大事なんだから、陽一は三番目っスよ」
「青島〜〜〜子供になんて事む吹き込むんだっ!」
 青島の理不尽な理屈に、室井の眼が吊り上がる。
普通。何処の家庭も子供が一番と言う家庭が殆どの筈だ。けれど、臆面なく青島はそれを否定する。確かに子供は可愛いし、親として愛してはいるが、それでも青島には室井が一番なのだ。
「間違った事、言ってないっしょ?」
 真摯に問われ、室井は一瞬絶句する。即答出来ない室井の負けだった。
「愛してます。あんたも陽一も」
 まるで、誓約の様に真摯な響きを帯びた声は、室井の好きな深みの有る笑みと共に紡がれ、室井は一瞬だけ状況も忘れ、陽一を抱いたまま、青島の幅広の肩にコトンと額をくっつけ、
「バカ…」
 甘い音色が、無意識に零れ落ちる。珍しい甘えを現す室井の小作りな頭を、青島はまるであやす様に撫でてやる。
「今更言うな」
 室井はクスリと、一片淡い笑みを怜悧な面差しに湛えると、埋めた肩から顔を上げ、自ら端整な面差しに接吻た。 
「それじゃぁ、帰ってますから、室井さんも、早く帰って来て下さいネ」
「判った」
「陽一、おいで。帰るぞ」
「ハ〜〜イ。お母さん、おウチ帰ったら、輝夜と静夜の所に遊びに行っていい?」
 ピョンッと、母親の膝から飛び下りると、忘れ果てていた話しを蒸し返す。
「ア……」
 無邪気な笑い顔に、二人共Noとは言えない。否、別に二人共田所の破天荒な性格は溜め息付きつつ諦めているし、悪意が無い分質が悪いが、陽一の事も可愛がってくれるので悪い事はない。ないのだが、子供に人体模型をパズルと称して遊ばせるのは、勘弁して欲しいと思うだけなのだ。ソレも物はいいのだ。何せ医療現場のME系列のカタログから、直接業者に司馬が発注しているものなのだから。医師が患者や家族にムンテラ使用したり、医学生、看護学生用にと、精巧に作られている物でも有る模型だ。個々の臓器の骨格や血管系の細々した模型が取り揃えてある。前回は心臓の模型だった。今回は頭あたりだろうか?と、思考を巡らせる。子供が人体模型を遊び道具にし、喜々としている様は、知らない物が視たら、極めてブラックなネタになるかも知れない。
「ダメ?」
「お母さんが、迎えに行くまでだぞ?お父さんがドリア作ってくれるんだから、夕飯はちゃんとウチで摂る事」
 陽一の目の前に膝を折り見上げると、覗き込む様に話して聴かせる。         
「ハ〜〜イ」
 陽一は、母親の台詞に満面の笑顔を見せ、次に敬礼をして見せた。流石警視庁を揺籠に育ってきた面が有る所為か、青島が時折室井に巫山戯た敬礼をしている所為か?意味のハッキリ判らぬ筈の陽一は、けれども時折青島の真似をす事が有る。
「いい子だ」
 室井は、我が子のソレに微苦笑し、次に頭を撫でてやる。
「それじゃ室井さん」
「アア、気を付けて帰れよ」
「ハイ、第一方面本部長殿」
 青島が、陽一の真似をし、コートを羽織って敬礼する。そして次には深い笑みを湛え、陽一を抱き上げた。
「んじゃ、夕食期待してて下さい」
 そう言い置くと、素早く耳元で何事かを囁き、室井を真っ赤にさせると、物柔らかい笑みを湛え、青島は帰って行った。
「全く……」             
 急にシンッとなった執務室のソファーに腰掛ける。
「何がアッチの方も期待してろだ……」
 ボソリと呟いた。
 室井が期待して様がいまいが、青島は何時でも遠慮なく室井を求める。そして室井に青島を拒否出来る筈もなく、結局の所で何時も互いにのめり込む程愛し合っているから、そんな言葉は今更だった。きっと今晩は、陽一の妹が欲しい発言に託つけて、また明日も寝不足になるだうと思ってしまう当たり、きっと幸せなのだろうと、室井は薄く笑う。笑える事が、幸せなのだと実感する。そして、定時時間に退出する為に仕事を片付けるべく、室井は執務室の椅子に腰掛けた。


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