| 常 闇 |
願わくは 花の下にて春死なむ その如月のもちづきのころ 西行 ここ最近暖かくなった気候の所為か、桜の開花が一挙に早まり、ビルだらけの池袋にも、それは訪れ ていた。 夜の闇に溶けない、白い花片。陽射を透過して咲き誇る花は、けれど闇の中で見れば、一段も二段も 趣が様変わりする。寄り集まり咲く花は、闇の中では凛然とした佇まいを崩すことなく、研ぎ澄まされた 真冬の月のような静謐さを持っている。それが風に揺れ、一斉に枝からもぎ取られてひらひらと舞う様 は、まるで淡雪のようで、幼い頃に逆戻りしてしまいそうな憧憬を漂わせてくる。 風に舞う花片に何気なく腕を伸ばせば、それは音もなく静雄の掌中に落ちてくる。雪のように体温で 溶けてしまうことはないものの、被膜のように淡い花片は質量など感じさせることなく、手の中に収まっ ている。ここで手を握れば、羽のように柔らかい花片は、跡形もなく無残な残骸になるだろう。そう思うと、何やら忍びなく思え、静雄は軽く手を払った。そうすれば花片は静雄の手から離れ、再び規則性もな くひらひらと風に漂っていく。どちらにしろ、残骸にはなるのだ。静雄の手の中か、土に落ちて人に踏ま れるかと言う違い程度で、そこにさした違いはないだろう。 「桜か……」 ぐるりと周囲を見渡せば、自分の住むアパート周辺にも、確実に春の装いは訪れていて、あちらこちら で桜が闇の中に白い姿を浮き上がらせている。白い花は寄り集まって咲き誇り、燐光のように発光して いるようにさえ見えた。 春の夜空は月の光が朧な所為で、燦然と咲き誇る白い花は、まるで月の代わりのように闇の中に浮 き上がって見えた。その光景は恐ろしい程静謐な美しさを備えていて、凛とした研ぎ澄まされた佇まい は、見る者を圧倒させる威力があった。けれど今の静雄にとって、桜はただ綺麗なばかりのものではな かった。美しいけれど、魔を孕む闇の花。桜は二面性を備えた魔性の花だ。現に昔から桜は神木とされ ながら、鬼をも棲まわせる花として有名だ。 燦然と咲き誇る桜を視界の片隅に映しながら、静雄は胸中で文句を吐き出し、深夜の住宅街を歩い て行く。 「ったく、あのノミ蟲野郎が……」 大股で闊歩する姿は、静雄を知る者が見れば、今度は一体何処の莫迦が喧嘩を売ったんだと、道を 開けるだろう。けれど深夜の住宅街に人通りは皆無だ。等間隔に点在する街灯と、それと同じくらい点 在する桜樹が春の訪れを告げる中、静雄はある場所を目指して歩いていた。 それはつい先刻のことだ。静雄が帰宅したのを見計らったように、深夜の住宅街にメールの着信音が 鳴り響く。突然バーテン服の内ポケットで鳴った携帯を取り出すと、画面には『折原臨也』と言う着信名 が刻まれていて、静雄は苦く舌打ちした。 通常臨也は誰かと接触する時、当たり前だが、本名は明さない。それが正しい遣り様かと問われれ ば、世間一般的には眉を顰められる行為だろうが、情報屋として、情報をネタに扱う臨也にとっては、至 極当然の結果だろう。その為、臨也は通常誰かと接触する時、『奈倉』と言う偽名を使用する。その臨 也が、堂々と本名でメールを送ってくる辺り、静雄が舌打ちするのは当然だろう。尤も、『奈倉』の偽名 でメールなど送っても、静雄には綺麗にスルーされることも判っているから、臨也は偽名を使用せず、本 名でメールを送りつけてきたのだろう。本名で送り付ければ、静雄が完全に自分の存在を無視できない ことを、臨也は正確に理解しているからだ。そして案の定、静雄は臨也のメールを無視することもできず、住宅街を歩いている。 『桜』 臨也からのメールは、件名にたった一文字、それだけだった。本分には何の文字も打たれてはいない。それは裏を返せば、その一文字だけで、静雄には十分、意図が通じると言うことだろう。そして現に 静雄は舌打ちしながらも、臨也の意図を正確に理解して、ある場所に向かっていた。 アパートからは、歩けばかなり距離のある場所は、けれど仕事で池袋界隈を西に東に歩き回っている 静雄にしてみれば、その場所は、ちょっと距離のある深夜の散歩コースだった。 そして辿り着いた場所で苦く舌打ちすると、静雄は固く閉ざされた正門を凝視すると、次には建物を取 り囲む塀に背を預け、煙草を取り出した。 「ったく」 ゆっくり紫煙を燻らせれば、仄白い煙は闇に溶けていく。その様をぼんやりと眺め、静雄は夜空を見上 げた。 春の霞んだ夜空に、月はない。その代わりとばかりに、静謐な美しさを放つ白い花が、あちらこちらで 咲き誇っている。その花は闇に溶けることのない白さを放ち、無音を形成している。緩やかな風に漂い ひらひらと舞う時でさえ、不思議と音を感じさせない。 桜の時期になると、臨也は常より更に壊れていく。その有り様は、他人にとっては打算と狡猾さが入 り交じった思惑と見えるだろう。けれどそれが正確ではないことを、静雄は誰より知っていた。 この時期壊れていく姿を、臨也は自分にしか曝さない。それは何処か共犯者じみていて、年一度逢 瀬を重ねる、星座に祭り上げられた恋人達のように、桜の時期だけ、臨也は静雄にだけ違う一面を覗 かせる。そして毎年桜の時期になると、臨也は静雄を誘い出す。それは直接静雄を迎えに来る時もあ れば、今夜のようにメールで呼び出す時もある。けれど向かう場所はいつも決まっていた。 『来良学園』かつて来神高校と呼ばれた母校は、今は少子化に伴い、近隣の高校と合併して名を変 え、自分達が在籍していた当時とは、かなり校風が変っていた。自分達が在籍していた当時は、男子 の制服は学ランだった。けれど今は男女共に淡い色した青いブレザーで、最初その制服がかつての母 校のものだと知った時は、些かギョッとしたことを、今でも覚えている。 時代に合わせ、制服のデザインが変るのは当たり前のことだったから、学ランが品良いブレザーに変 ったことは仕方ないと思う。けれどその気の抜けたような色合いは如何なものかと、一時期街中で来良 の制服を見掛ける都度、新羅や門田らと話していたことを思い出す。 それでも、荒廃していた当時を思い出せば、今は随分と穏やかになったのだろう。 自分達が在籍していた当時は、校内の治安は最悪で、安手のドラマではないが、他校の不良連中が 乗り込んで来ることは日常茶飯事と化していた。それさえ荒廃した学園の教師陣には日常になり、生 徒達にも日常の額縁に収まっていったから、人間の順応力は莫迦にできない。 校内に乗り込んで来る不良連中の裏には、大抵臨也が糸を引いていたし、今では池袋の裏社会に身 を沈めて闇医者となった新羅などを抱えていた教師陣は、今思えば毎日大変だっただろう。そう思える 程度には、自分も成長したよなと、静雄は暢気にも紫煙を燻らせる。勿論池袋の喧嘩人形と呼ばれる 静雄を知るかつての教師陣から見れば、成長の意味を辞書で調べろと言うことになるのは言うまでもない。 とは言え、ダラーズなどという組織の土台を作り上げた竜ヶ峰帝人やら、やはり黄巾賊というカラーギ ャンクを作り上げた紀田正臣。そして身の裡に罪歌と呼ばれる妖刀を秘めた園原杏里。こんな化け物を 3人も抱えている校風が喉かだと言えば、喉が泣くだろう。尤も、この三人は自分達が高校時代のよう に、少なくても見える部分で派手な立ち回りは決してしない。むしろそういう意味で、この三人はとても 理性的だ。 非日常に憧憬じみた感情を抱いている帝人も、臨也より余程危うい一線に佇みながら、昏い側面を覚 醒させて、こちら側に止どまっている。かつて臨也に煮え湯を飲まされた正臣も、臨也からは完全に離 れることはできないと言う、些か中毒じみた状態に陥っている。そして人を愛するが故に、人を斬り殺す ことでしか愛情を示せない、妖刀『罪歌』を身の裡に飼う杏里。この三人は、自分達より余程タチが悪い くせに、そんな自分に焦燥を感じていたり、自分が嫌いだったりと、胸中複雑なものを秘めている。 「俺達の方が、案外とマットーだったかもな」 目に見える遣り様をしていた分だけ、判りやすいという点では正解だろう。それが教師陣や、一般生 徒には迷惑以外の何者でもなかったとしても。 静雄は過去を想起して苦笑すると、吸い終えた煙草を携帯灰皿に放り投げ、外壁に足を掛けた。よっ と軽い掛け声を掛けるとネコのような身軽さで塀を乗り越え、深夜の校庭に入り込んだ。 一歩校庭に足を踏み入れた途端、そこは隔絶された空間に擦り替わる。聳え立つ校舎は、暗い造形 物のように闇に溶け込み、黒々とした影を浮かばせている。都心という立地条件の為、さして広くない 校庭に植えられた緑も、それは校舎同様、深夜の闇に同化して、周囲は深夜の闇に包まれ、悄然とし ている。流石に深夜も1時を回った時刻では、繁華街の中心部も、静かな眠りに付き始める時間帯だ。 それが春休みで生徒も教師も立ち入っていない場所ともなれば、寂然としているのは当然だろう。それ でも、自分達が在籍していた当時とは比べるべくもなく穏やかな校風が肌身に伝わってきて、静雄は苦 笑する。 南池袋に位置する来良学園は、池袋と言う都心に在るわりには、落ち着いた佇まいをしていて、合併 して随分様変わりしたんだなと、静雄は何処からしくない感慨を浮かべた。 高校時代は臨也と連日殺し合いの喧嘩をしていた記憶ばかりが想起されるが、その時間が過去にな ってしまうと、荒んだ学園生活も懐かしく感じるから不思議だ。 あの時も今も、臨也に向かう憎悪に変化はない筈だと言うのに、それでも、もう随分とその有り様は変 ってしまった。臨也に向かう憎悪も、距離も。特に憎悪は少しずつ形を変え、自分でも知らない内に身の 裡に堅く根を張り、意識した時にはもう後戻りできない程、浸蝕されていた。 胸中の複雑さに苦く舌打ちすると、静雄は境界線のようにぐるりと張り巡らされた塀に沿い、闊歩する ように歩いて行く。その塀は、まるで今の自分の複雑な胸中そのものに思えた。 臨也と自分を隔てている境界線は、春になると一際強く、不鮮明になっていく。境界線が失われると 言うよりは、互いに浸蝕して喰らい合い、垣根を壊していく感じだ。 塀沿いには、どんな学校もそうであるように、幾重もの桜樹か植えられていて、闇夜に燦然とした白い 光を放っている。それもまた、韶光には違いない。 黒々とした枝に咲き誇る白い花。それは当然、光など帯びていないといのうに、闇の中で見ていると、 花自体が光を透過するように輝いて見える。それは異彩の如き光を放ち、周囲を仄白く染めている。怖 いくらい静謐な美しさは、見る者を圧倒せずにはいられない。その威力は、満月と同じで、人の深奥に 届きやすいようにできている。 ぐるりと塀沿いを歩いていった桜の下に、臨也は居た。その姿に、静雄は僅かに眉を寄せると、足許 に寝転がる臨也を見下ろした。 「……手前は、一体何してやがる?」 一体いつからこんな場所で寝転がっていたのか?臨也の躯の上には、白い花片が落ちている。知ら ない者が見たら、死体と誤認されて、警察に通報されているところだろう。 「死体ごっこ?」 閉じていた双眸を静かに開くと、赤い視線が自分を見下ろしてくる静雄にまっすぐ伸びる。そうして疑 問符を浮かべた科白が、薄い笑みとともに紡がれるのに、じゃあ取りあえず踏んでおくかと、静雄は長 い片足を持ち上げ、次に何かを思案すると、懐から携帯を取り出した。 「シズちゃん?」 「そのまま死体ごっこしてろ」 携帯をフォト撮影に切替え、臨也に焦点を合わせると、訝しげに攅眉する臨也を無視して、静雄はシャ ッターを切った。 「ちょっとシズちゃん、それどうするつもりさ」 何とも嫌な予感に、寝転がったまま問い掛ければ、静雄は意味深に笑い口を開いた。 「遊馬崎と狩沢に送ってやる」 「……それって、ちょっと色々と問題ありすぎるんじゃないの?」 少しは考えてよと呆れれば、手前にしか問題はねぇだろうと、完全に他人様の意見を口にする静雄に、臨也は更に大仰に溜め息を吐き出した。 「問題あるよ。考えてみなよ。俺のこんな写真を、シズちゃんから送られてきた二人が、どういう狂喜乱 舞に陥ると思う?」 その場合のポイントは、桜の根元で寝ている自分という以上に、そんな怪しげな添付が、静雄の携帯 から送られて来たと言う事実だ。その場合の、あの二人の狂喜乱舞は簡単に想像が付く。それを今更 理解したのだろう。静雄は嫌そうに眉を寄せて、携帯の画像に視線を落した。 「あの二人だからさ、特に狩沢は、俺とシズちゃんの関係を勝手に捏造して喜ぶ腐女子だからさ、男同 士でボーイズにラヴってるって、絶対周囲に吹聴するよ。それも喜々として送った画像片手にさ」 それはある意味間違ってはいないが、真実でもない。少なくとも自分達の関係の中に、ラヴは介在し ていない。だからといって、肉欲だけで相手に捌け口を求めている訳ではないのだ。性欲の捌け口と言 うのなら、互いに違う相手は幾らで求めることができる。けれど、互いにしか激しい欲情が湧かないのも 事実だったから、尚更始末に悪い。 「ヌクのに必要ならそれ使ってもいいけど、添付はしない方がいいと思うよ。色々とオモチャになると思う し、俺じゃなくって、シズちゃんが」 「手前は、さらっと言うな、さらっと!」 「別にいいじゃん。今更ガキじゃあるまいし」 何やらこんな局面の静雄というのは、臨也の予想外の反応を返す。餓えた獣のように、いつだってこ っちの都合などおかまいなしに犯してくるというのに、こんな部分で、静雄は正面だ。 「第一、俺達高校時代から、散々姦ってきた関係には違いないし?孕むくらいシズちゃんのもの、中出 しされてきてるしね。ああ、だからそんな画像くらいじゃ、満足しないか」 ころころ笑うと、臨也は蟀谷に青筋を立てている静雄を窺い眺めた。勿論そんな画像で満足しない静 雄の欲情は心得ているし、画像程度て満足させるつもりも、更々ない。滴り落ちるような欲情は、互い でなければ貪れない。 「臨也、手前〜〜」 本気で踏み殺すかと、静雄が物騒なことを考えた瞬間、臨也は謎めいた視線で静雄を見上げて、薄 い笑みを滲ませた。 「俺がこの時期可笑しくなる責任の一端は、シズちゃんにあるんだし」 「手前のしてきたツケを、死払わされただけだろう?」 尤も、それは静雄から見ても、手段としては最低な代物で、後日相手は静雄に半殺しの目に遭ってい る。その辺りからだ。静雄が池袋界隈のやくざから、喧嘩人形と言う、ありがたくもない名前を付けられ たのは。 臨也を姦計に陥れ、結果的に墓穴を堀り、双方から潰された莫迦。静雄が直接的な方法で相手を締 め上げたのとは対照的に、臨也は持ち得るツールを駆使して相手の弱点を付き、警視庁組織犯罪対策 部に、人を介して情報を流して、その組織自体を壊滅させた。 日本の司法制度が、罪刑法定主義に乗っ取っている以上、状況証拠だけで、相手を拘束できるもの は何もない。警察の最大の権力が逮捕権である以上、冤罪を防ぐ意味でも、物的証拠が出なければ、 怪しいという捜査員の勘だけで、裁判所の令状発行担当官は、令状を発行しない。そこにフッと湧いた ように、捜査線上に乗っていた関係者の証拠がざくざくと出てくれば、捜査員が両手を上げて喜ぶのは 当たり前だ。尤も、その物的証拠の証拠能力を確かめる為、捜査員が都内中を駆け回ったのは言うま でもない。結果、かなり大掛かりな捕物に発展した。それは今でも裏界隈の語り草だ。高校生二人に 壊滅させられた組織。 「あれくらいで、俺がどうこうできると思ってた、それはあいつらのレベルの低さだから、どうってことない よ」 折原臨也を力づくで壊すことは不可能に近い。それも殺すならまだしも、周囲への見せしめも兼ねて、 精神的にダメージを与えて壊そうなんていう手段は、それを楽しみにしている臨也に通用する筈もない。 躯を無理矢理開かれる行為は、それこそ、それ以前に、静雄によって経験させられているから、複数 の人間相手に突っ込まれる嫌悪は確かにあったものの、そこに恐怖はなかった。むしろ違う味も覚えて 静雄を嗤ってやるとさえ思っていた臨也の性質の悪さを、おそらく相手は知らなかっただろう。けれどそ んな最中、臨也を呆然とさせたのは、もっと違う恐怖だった。 無理矢理押し込まれる面倒もあって、抵抗らしい抵抗などしなかたっとはいえ、押し込まれてくる相手 に、何も感じなかった。確かに見知らぬ男達に犯される嫌悪はあったものの、それは恐怖とはまた種類 が違うものだ。むしろ臨也はあの時、プレゼントのリボンを解くような気持ちで、わくわくしていたくらだ。 自分を力で開く相手は、どれだけ自分を愉しませてくれるだろうか?生憎と男は静雄しか知らないか ら、静雄を嘲笑する為の道具として、自分の躯さえ臨也は利用することができた。けれど解いたリボン の箱の中身は、臨也さえ思ってもいなかった方向性で出現した。 静雄に犯されれば、容易に反応してしまう肉体の淫らさが、力で躯を開いてくる男達には、何一つ感 じることができなかった。犯される恐怖も、痛みも、快楽も。あの時臨也は、何も感じることができなかっ た。痛みでも快楽でも、何か感じることができたら、自分は未だ救われただろうし、徹底的に組織を壊滅 させる為に、労力は支払わなかっただろう。 けれど静雄は、臨也の身の裡に巣喰う澱んだ肉の欲を知らない。臨也も静雄には話してはいなかっ た。弱点を曝け出して、静雄を喜ばせる自虐趣味はなかったからだ。話す時が来るとすれば、それはこ の行き止まりの袋小路のような関係が、どんな形にせよ終わる時だ。その時自分達はこの世界に止ど まっていない気がした。それこそ望んだヴァルキリーの迎えなど現れることもなく、無音の根の国に身を 投じている気がして、臨也は静かに苦笑すると、ゆっくりと細い両腕を天へと伸ばした。 規則性も法則性もなく、風に舞う花。闇に溶けない白い花は、淡雪のような儚さを持ちながら、何か心 の奥を冷やすような研ぎ澄まされた切っ先のような美しさを持っている。だからこそ古来から、この花は 人に愛されてきたのだろう。 「月の花、みたいだよねぇ、桜って」 頭上から落ちてくる花片が、指先に、頬に触れ、落ちていく。被膜のように柔らかい花片は、僅かにで も力を込めれば、呆気なく残骸となってしまう。そして土の上に落ちた花片は、見向きもされずに踏み躙 られ、やがて土へと還る。どんな生命も、等しく土に還るように。そして新しく芽吹く同族の糧になる。 それが生々流転の理だ。 「狡いよねぇ。化け物のシズちゃんが日で、俺が月なんてさ」 スゥッと伸びた両腕の先には、視界さえ埋め尽くす白い花が寄り集まって咲いている。寝転がって下 から見上げていると、ただ単純に花見をするより、見え方が変る。 月の光のように、凛然とした咲き誇る花は、けれど不思議と一抹の郷愁をも呼び起こす。陽射を透過 すれば、薄紅に見えるそれも、闇の中で見ると、雪のように真白に見えるから不思議だ。まるで実態の ない花のように、桜は昼と夜とで簡単に趣を変えてしまう。まるで境界に佇む二面性の花のようだと思 えば、何故自分がこの時期になると可笑しくなるのか、その疑問の答えが、ストンと胸に落ちてきた気 がした。 つまりはそういうことなのだろう。日と月を湛えた二面の花。どちらにも属しながら、どちらにも属さない。神木でありながら、鬼をも棲まわせると言う意味が、今更ながら、理解できた気がした。それはこの 花の本質そのものだからだ。 日と月、陽と陰、光と闇。そう言った、対極に位置するもので構成されている双極の花。自分達も、お そらくあの子供が告げたように、陰陽の関係なのだろう。だからどれだけ拒絶しても離れらない。離れた ら、おそらくどちらも壊れていく。静雄一人が勝手に壊れるのは構わないが、静雄を失った結果、自分 が崩壊するのは堪らない。けれどと、臨也は薄い口唇に謎めいた笑みを浮かべて、白い花を見詰めた。 静雄を失い、自分がどんなふうに壊れていくのか、一抹の興味が湧いた。だとしたら、やはり静雄を殺 すしかないのだろう。 「臨也、いい加減に起きろ、風邪罹くぞ」 臨也が薄い笑みを湛えている時は、碌でもないことを考えている時だ。 足許に転がる薄い胴体を爪先で蹴ると、臨也は大仰に痛そうに顔を歪めた。 「シズちゃん、爪先でも脚力あるんだから、加減してよ」 「知るか。嫌ならとっとと起きろ」 本気で踏むぞ。そう呆れる静雄に、臨也は情緒がないと、少しばかり憮然となり、やはり次にはタチ の悪い娼婦のような笑みを浮かべて、ひらひらと手を振った。 「手前で起きろ」 「違うよ。たまには趣向を変えるのもいいかと思ってさ」 「そういう趣味でもあったのか?」 他人に見せて楽しいものでも、他人が見て楽しいものでもないだろうから、他人の目のある所で、セッ クスに及んだことはない。 「たまにはね、ここ誰もいないし。流石に普段俺とシズちゃんがセックスしてる所なんて目撃されたら、 世界が崩壊するって騒ぎ出す連中は多いだろうし」 見せたいなら、見せてみてもいいけど?そんなふうにさらりと言えば、静雄は呆れた様子で臨也を見 下ろし、不機嫌にぼそりと呟いた。 「手前の淫乱な姿なんて、他人に見せていいもんじゃねぇよ」 自分の腕の中で、愉悦に崩壊していく臨也の婬らさなど、他人に見せたい姿ではなかった。 娼婦のように妖冶な笑みを浮かべながら、男を陥落させる手管を心得ている姿は、免疫がなければ、 毒にしかならない。一体何人が、この薄い躯を開いてきたのかと思えば、反吐が出そうな気分の悪さが、肉の芯を灼いていく。 「相変わらずさ、こういう時のシズちゃんて、天性の人タラシだよね。気を付けなよ。玄人ならリップサー ビスって受け止めてくれるだろうけど、素人の子は、本気にするよ?」 これで意図していない辺り、静雄は天性の人タラシだ。人気俳優の弟を見ても判るように、造作は一 流なのだ。そこに凶悪的な暴力が加わらなければ、今頃、細身で長身な体格を生かして、ファッション モデルでもやれただろう。 「だとしたら、手前は生まれ付いての娼婦だな」 それも金銭を稼ぐ手段としての娼婦ではなく、自堕落で蜘蛛の巣に引っ掛かった男を喰うことに薄昏 い愉悦を見出だしているような、女郎蜘蛛のような狡猾さと淫靡さを身に付けている、生まれ付いての 娼婦だ。 「ひどい言い草だね。少なくとも俺は、シズちゃんに強姦されるあの時まで、男との経験はなかったけど?」 そんなことは、シズちゃんが一番良く知ってるよね? にっこりと音が響きそうな笑顔を見せれば、静雄はどうやらそれが臨也の地雷だったらしいことを理解し て、物珍しいものでも見るように臨也を見下ろすと、次には見えない牙を覗かせ嗤った。 「ほら、シズちゃんも姦りたいんじゃん」 簡単に挑発に乗った静雄の、酷薄な笑顔。見えない鋭い牙を覗かせるような嗤いは、臨也しか知らな い。肉食獣が獲物を引き裂く為の牙と爪を、静雄は躊躇いもなく臨也には見せる。そしてそれは常に臨 也にだけ向けられる。それが臨也の快感を煽情するのだと、静雄は知らない。 「好きだよ、シズちゃんのそういう獣の表情」 このケダモノ。そう嗤うと、静雄は臨也の下肢を無造作に押し開き、薄い躯にのし掛かった。 「後で文句言うなよ」 抵抗もしない薄い躯を地面に押し付け、静雄は吐息が触れ合う間近で、小綺麗な顔を見下ろした。 臨也の造形的な綺麗さは、女が持つような艶やかしい繊細なものは微塵もない。かと言って、弟の幽 のようなものともまた違った。幽の持つ造形は、当人の問題もあって、何処か生気を感じさせない人形 めいた綺麗さだ。けれど臨也の綺麗さは違う。 無機質な赤い視線は得体が知れず、酷薄な口唇が刻 む薄ら笑いは謎めいて、それでいて何処か妖冶な気配を浮かべている。免疫のない人間が見たら、謎 めいた薄ら笑いに、催眠に掛かってしまうような効果を持っている。そしてそれを簡単に可能にしてしま う、相手から警戒心を殺いでしまうような、小綺麗な貌。艶やかな黒髪に縁取られた貌は肌理細かい白 さで、むしろ女なら美白の手入れを知りたがるような、陶器のような質感を持っている。そして細い首に 乗る、小さい頭。 「今なら簡単に、手前殺れるな」 「別に今じゃなくったって、最中は殺れるんじゃないの?」 細い首に掛かった静雄の左手。それは利き手ではない分、静雄の甘さが滲み出ているような仕草だ。 「首締めながら姦ると、中が締まって気持ちいいって言うけど、試してみる?」 とんでもない科白を、何でもないかのようにさらりと告げる臨也の科白に、静雄は更に首を締める指先 に力を加えた。 「そいつはいいな。手前の細い首が、ひしゃげちまうかもしれないけどな」 歪に歪む小綺麗な顔を見下ろしながら、それでも薄笑いを引っ込めない臨也に、静雄は何処か満足 そうに笑うと、細い頤を思い切り仰向かせ、噛み付く様に貪り始めた。 「んぅ…」 即座に侵入してきた舌に狭い口内を掻き回され、息苦しさに否応なく胸が喘ぐ。それから逃れたくて、 臨也は静雄の金色の髪を掻き乱し、噛み付く様に荒々しい口吻けを甘受する。 「んンッ……」 肉を喰む様な激しさで口唇を貪られ、ねっとりと掻き回される。縺れ合う舌が根から引き千切る激しさ で吸い取られ、のけ反った胸元に、シャツを捲り上げた静雄の手が伸びた。 「んく……んッ……」 尖り始めた胸の突起を、思う程繊細な愛撫に曝され、びくんと細い腰が跳ね上がる。 「臨也…」 荒々しい欲情を湛えた吐息が口唇から白い首を撫で、耳朶へと舌が這う。かりっと薄い耳を噛めば、 それだけで感じるのか、臨也は今にも陥落しそうな表情を曝し、細い眉が快感を怺えるように歪に歪ん だ。それが面白くて、静雄は焦らしながら、臨也の肉の芯から性感を引き摺り出していく。それは普段 の静雄からは想像もつかない繊細さだ。 「ん…ッ…やッ…、だ…。そこばっかりぃ…」 濡れた音を立て、首筋から耳朶を這い回る舌先。そして胸元で蠢く指先に、意識を掻き乱されていく。 腰の奥が急速に熱くなり、吐き出したい欲求が目前まで迫り上がってくる。 「なぁ、臨也。ドライでイカせてやろうか?」 「あッ……、あれは…嫌だ……」 射精のない快感だけを押し付けられる強烈な快楽は、拷問に近い。快感だけを押し付けられるドライ オーガズムは、確かに快感は深いが強烈すぎて、元々静雄に開発されてしまった感の強い肉体は、呆 気なく上り詰め、幾度も射精のない快感を繰り返された。あの時の拷問に近い断続的な快感を思い出 し、臨也は顔色を変えると、静雄から逃れようと抗った。 「嘘付け。あん時何度も、イッただろうが」 射精の伴わない快感の深さに、臨也は幾度も上り詰め、最後にはすすり歔きさえも出ないくらい追い 詰められて、死体のように自分の下でか細く喘いでいた。あの時にやっと、臨也を手に入れたと思った。散々に焦らし追い詰めて、もう出ないという躯を犯して、やっと欲求が満たされた。あの時の凶悪的な 肉の欲望は、一体何が原因だったかと、静雄は凶悪的な笑顔を張り付けた。 「ひぁッ……ッッ!」 のし掛かる胸板を押し返せば、強い力で捩じ伏せられ、背が痛むくらい地面に押し付けられる。その 合間にも静雄の指は、折れそうに細い腰に伸び、スラックスの上から、肉付きの薄い双丘を揉みしだく と、ゆっくりとその狭間へと沈んできた。 「判るぜ臨也。ココ、ひくひくしてんだろ?欲しくて仕方ないって、淫乱な表情してるぜ」 途端に顔色を変え、歪に歪んだ表情を見下ろし、静雄はスラックスの上から沈めた指を、やんわりと 掻き回していく。その瞬間、臨也は嫌々と細い首を振り乱しながら、細い眉は淫蕩に歪み、白い面差し は血の色を透かして根深い快楽に飲み込まれ始めた姿を、静雄の眼前に曝け出していた。 「感じてるじゃねぇか」 「あんンッ……」 厚い布地の上から弄ぐられただけでも、静雄相手には、こんなにも容易く反応してしまう。腰の奥から 背筋を這う鋭い刺激に、脳髄が腐蝕していく感覚が生々しい。漏れる喘ぎは隠し様のない甘ったるさを 滲ませ、恐怖で凍り付きそうな心とは裏腹に、快楽に弱い肉体の脆さを露呈していた。 静雄の胸板を押し返す細い指先が、咄嗟に縋り付くように、白いシャツを握り締めた。 「シ……シズちゃ……」 静雄を挟み込んだまま、引き攣るように顫える下肢。射精の伴わない快感は強烈すぎて恐ろしいと思 うのに、その恐怖さえ躯は容易に拾い上げ、愉悦に融け出してしまう。 「…全部…シズちゃん…の…所為だ…」 恐怖しか感じない筈の強烈な快感に喘いでしまうのも。他の誰にも、感じることのできない、壊れてし まった肉体も。全ては初めて静雄に犯された時の恐怖を上回るものがないからだ。 あの時に自分は、この男に壊されている。そして壊されてしまった肉体は、静雄にしか感じないという 病を生んだ。それは解体の後に生まれ落ちる再生のようで、自分の肉体ながら、何処か奇異だった。 けれど本当は、それさえ悦んでいる精神の一部が在ることも、臨也は正確に理解していた。だからこそ 余計に腹が立つ。 あの子供に見透かされたように、平和島静雄と言う男は、自分の男だ。生かすことも殺すことも、生殺 与奪の全権は、自分が持つ唯一の男。だからこそ、この男を失ってしまったら、自分はどんなふうに壊 れてしまうのか、知りたかった。 半身を求めて静雄の力にその姿を見出だし、結局自分のものにできないと悟った時、静雄を道連れに、奈落に身を投じようとしていたあの子供のように。自分もやはり奈落に身を投じて逝くだろうか? 「…俺…壊れたら…シズちゃんは……」 どうする?くすりと笑うと、静雄は奇妙な者を眺めるように、腕の中の小作りな貌を凝視した。 自分が静雄を失い壊れていくというのなら、もしその逆が生じた場合、静雄はどうなるだろうか?荒れ 狂う暴力と、肉の欲望の捌け口を失い、壊れていくだろうか?化生と大差ない力を誰より恐れて嫌って いるこの男は。 「安心しろ。手前はとっくに、壊れてんだろうが」 そう笑う静雄の声は、科白とは裏腹に、莫迦みたいに柔らかいものが滲んでいる。労りや気遣いさえ 感じ取れるその声に、静雄は何も語らないものの、何かしら見透かしているのかもしれないと思えた。 あるいは動物的な嗅覚や直観が勝っている男だ。意識とは別に、感じ取っているものもあるのかもしれ ない。 「そうだね、化物みたいなシズちゃんに付き合えるのなんて、俺くらいだろうね」 狂人の心理は、狂人にしか理解できない。狂って貪り合う互いの欲望は、互いにしか理解できない。 そこに第三者の介在は許さない。まるで円環のように、延々と終わりのない線上で媾合を繰り返す。 それは何処までも闇が続く無音の世界だ。自然の理で出来上がる極夜という、可愛らしいものはそこに はない。 「だからさぁ、シズちゃん。うんと気持ち良くしてよ」 くすくすと気狂いのように微笑う臨也の貌は、桜の下で睦むに相応しい狂女のようで、その得体の知 れない妖冶さに、静雄も魅了され、飲み込まれていく。 「壊れた手前の相手が勤まるのなんて、俺くらいだろう?」 折原臨也と言う生き物は、毒に等しい。あるいは禁断の果実だ。一度口にしたら、二度と手放せなく なる。そういう意味では、麻薬のような毒を持っている。そのくせ毎年この時期になると不安定になる臨 也は、自分をも不安定にさせる。その時、新羅が来神時代に言っていた科白を思い出した。 臨也が月に還らないように、呼び戻してやらないとね。そんな下らないことを言っていたが、思えば新 羅は、自分達をよく見ていたのだろう。 月に還る。今思えば、随分と的を得た科白だった。桜の時期。目を離したら、臨也はすぐに還ってしま いそうな不安定さを露呈する。月という比喩が、あながち間違ったものではないのだと思い知ったのは、 つい最近のことだった。 月のような花の時期。臨也が不安定になるのは、何も巻き込まれた事件が、この時期に起きたからと いう理由だけではないのかもしれない。もっと根本的な、臨也の本質に関わっているものに思えた。 「覚えておけよ、臨也。手前はとっくに壊れてやがるんだ。正常になんてなれねぇ。化物に抱かれてる 手前も、遜色なく化物なんだってな」 物騒で険悪な科白とは裏腹に、静雄の声音は莫迦みたいな気遣いが感じられる。荒々しいセックス の最中も、静雄は莫迦みたいな気遣いを忘れない。 本当は臨也も判っているのだ。あの射精を伴わない媾合も、自分が不安定になった時だったのだと。 自我さえ失くして混融してしまいそうな不安定さに、静雄は手っ取り早く、合理的な方法をとったにすぎ ない。 「臨也」 その名のとおり、静雄が静かに臨也の名を呼ぶと、臨也はびくんと細く薄い躯を従順に反応させ、全 身が愉悦に溶け出していく。 「んッ……んぁ…んんぅ……」 シャツを捲り上げ、胸の突起をねっとりと舌で絡め取られ、その合間にも下肢へと伸びる手。思う様玩 弄しているくせに、乱暴にならない静雄の愛撫は、却って臨也の血肉の奥から、根深い性感を引き摺り 出していく。 「ひぁん……んゃ……ッ」 思わず漏れた嬌声に、臨也は口唇を噛んで、肉の芯から迫り上がって来る絶頂の波をやり過ごす。 その合間にも静雄の指は撫でるように内股を撫で、ゆっくりと下肢の付根へと這い上がってくる。その 焦らすような生温い愛撫に、臨也は腰を揺すり立てる。そのくせ漏れる嬌声は羞恥を煽るのか、臨也は 白く細い指先を噛み締め、啼き声を殺している。 「嬌声、殺すなよ。聴かせろ」 顔を上げれば、淫蕩に耽った表情を曝しながら、それでも必死に嬌声を噛み殺している臨也の姿が在 る。欲情を怺える生々しい姿に、静雄はぞくりと背筋を灼く快感を感じずにはいられなかった。 快楽に弱い躯は、呆気なく上り詰めて喘ぎ啼くというのに、いつだって臨也は嬌声を殺そうと必死にな る。そのくせ途中からは此方が呆れるくらい快楽に素直になり、娼婦のような奔放さを覗かせる。それ が静雄に堪らない想いを抱かせていることを、臨也は知らない。 壊れている。静雄がそう強く意識するのは、互いに喰らい合うようセックスに興じている時だ。滴り落 ちるような欲情に、互いに貪り合う時、臨也は気狂いのように求めてくる。それはおそらく、最初に臨也 を暴力で捩じ伏せ、力で犯したことが生んだ弊害だろうと、静雄は根拠もなくそう感じていた。 「臨也、啼けよ」 嬌声を殺す為に噛んでいる指を乱暴に引き離すと、下肢の付根から中心へと指を這わせ、既に熱くな っている性器を布地の上から乱暴に揉みしだく。 「んくぅぅ…ッ!」 指を引き離され、咄嗟に口唇を噛み締めれば、それが気に入らないのか、静雄の指が乱暴に口内に 突っ込まれる。舌を引き摺り出すように押さえ込まれ、口唇を噛むことから許されなくなってしまえば、 既に臨也には静雄の愛撫を抑える術はなくなっていく。 「……そんな表情、一体何人の人間に見せてやがるんだ、手前は」 乱暴な遣り様に赤い視線が睥睨する。けれど愉悦に溶け出した視線で睨まれても、それは挑発にし かならないことを、臨也は一生気付かないのもかしれない。それは雄の嗜虐を煽情してしまう被虐美だ。 「犯されても仕方ねぇな、臨也」 雄の劣情を刺激してしまう被虐美は、けれど処女と娼婦の双方を合わせ持つ得体の知れなさも持っ ている。何も知らない処女に、何度でも雄の欲望を押し込んで、手垢を付けることができる。そのくせ囚 われてしまうのは、犯している男の方だ。 清潔と淫蕩という相反するものが、臨也の身の裡には整然と同居している。その得体の知れない謎 めいた気配に、大抵の男は飲まれてしまう。 「…フフ…シズちゃんに…だけだよ……」 乱暴に突っ込まれた指を威勢良く噛めば、それが合図のように、静雄は狭い口内を掻き回すして指を 引き抜いた。唾液が絡み付く指で紅潮した細い頬を撫でると、頬から首に指を這わせ、そして細い首を 締め上げた。 唾液が外気に触れ、ひんやりと冷たい感触が、肌を更に敏感にするのに、臨也は更に静雄を見上げ たまま、歪に笑った。 「俺を犯してきた…人間は何人かいるけど…」 情報の取引の為、躯を使うことも、稀にはある。取引相手の中には物好きもいたから、必要な情報を 引き出す為には、それも手段の一つとしては、仕方ない時もある。そんなことは、静雄もよく判っている だろう。けれど静雄は知らないのだ。 自分を抱いた男達は、二度同じ取引材料は口にしなかった。それは何も感じない人形のような相手を 抱いても、興ざめるするからだ。そして同じ要求を持ち出してくる相手は、切り捨てた。そんな相手は、 大抵の場合で、碌でもない手段に出ることは判っているからだ。 「笑えない冗談だな」 「綺麗な冗談って言ってよ」 首を締め付けてくる指先は、けれど呼吸を奪ってしまうような苛烈さはなく、むしろ愛撫のように柔らか く締め付けてくる。 どう言えば静雄を煽ることができるのか、嫌という程知っている。そしてどう言えば、静雄が信じない かも、臨也は嫌と言う程、心得ていた。 静雄にしか感じない躯なのだと、自分の躯はとっくに壊されているのだと、静雄に知られて楽しい筈も ない。教えてやるのは、殺す瞬間で丁度いいくらいだ。静雄をこの手に掛けることができたら、その時は 大笑いして、教えてやる。その時この男は、一体どんな反応を示すだろうか?暴力以外は割合と正面 な思考を持つ男は、罪悪を感じるのか?それとも自業自得だと笑うのか、それ以外の反応を示すのか?その時を想像すると、それだけでイケる気がした。 「でも…俺の最初の男がシズちゃんだって言うのは、拭えない事実だよね。シズちゃんがどれだけ嫌だ って思ってもさ」 くすくすと笑えば、静雄は何処か苦しげに顔を歪め、土の上に乱れて散る艶やかな黒髪をやんわりと 梳き上げた。その思いがけない静雄の仕草に、臨也は半瞬キョトンと小首を傾げた。 静雄はいつも此方の思惑どおりには、動いてはくれない。今もそうそうだ。普段なら怒気を滲ませる科 白だろうに、こんな時ばかり見透かしてくる。それが嫌いだ。 「勝手に月に還ったりするなよ、臨也」 「…何それ?」 「手前が何処の誰と姦ろうが構わねぇが、無防備に喘いで、寝首掛かれてるんじゃねぇぞ。手前は俺が 殺すんだからよ」 「生憎と、俺もシズちゃん殺すまで、他人に殺られるつもりないし」 やっぱり新羅の言うように、俺達って相思相愛だねぇ。茶化して笑えば、静雄は苦く舌打ちする。 「いい加減黙れ」 「啼けって言ったり、黙れって言ったり、シズちゃん我儘」 くすくすと笑いながら、細い腕がスゥッと伸びる。質量を感じさせないその身動きは、規則性もなく舞い 散る白い花片と何処か似て、静雄の首に婬らに絡んだ。 「おとなしく、喘いどけ」 「やーらしぃの」 静雄の首に絡み付けた細い指が、金色の後ろ髪を引っ張った。悪戯を思い付いた、それでいて妖冶 な娼婦のような謎めいた笑みを覗かせ、静雄の頭を引き寄せれば、静雄もにやりと笑うと、 「これからもっと、いやらしいことするだろ?」 臨也の下肢から余計なものを毟り取り、白い下肢を押し開くと、本格的に薄い躯を貪る為に、静雄は 昂まる自身を取り出し、小さい肉の入り口にあてがった。 「んッ……ッ!」 白い双丘を思い切り開かれ、先走りの滲む脈動を押し付けられれば、そこは浅ましいくらい収縮を強く して、内側の肉の色を覗かせる。 「いやらしいな、もう欲しがってるじゃねぇか」 すぐに挿れることはせず、焦らすように花莟の周囲を擦ってやれば、華奢な腰がびくんと跳ね上がり、 白い内股が引き攣るように顫えた。 「シズちゃん……こそ…」 白い造作に血の色を透かし、陶然の貌で強がりを吐けば、静雄は臨也にしか見せない淫猥な表情で 酷薄に笑い、滾る先端を肉の入り口に押し付けた。 「ぁ…ん…ッ…い……ッ」 途切れた嬌声が零れ落ち、臨也は愉悦に蕩けきった表情で静雄ょ見上げれば、静雄は冶容な態を惜 しげもなく曝す臨也に魅入られたように、なまめいた裸身を見下ろして、臨也の細い片手を乱暴に引き 寄せた。 「手前のモン、押さえとけよ」 「アハハハ、やらしーの」 強引に握り込まされた自身は、既に張り詰めて先端から愛液を滴らせ、それが腹の上にまで垂れて いる。 「挿れたら、すぐにイッちまうだろうが」 快楽に弱い躯は、挿入と同時に、達してしまうことも珍しくない。その場合、急速な絶頂に飲み込まれ た臨也は、あっさりと理性を手放し、気狂いのように求めてくることに躊躇いがない。 本来ならそれでも一向に構わないものの、野外でそれでは、臨也の躯に負担が大きすぎる。そう判断 した、それは静雄のぎりぎりの理性だった。けれど臨也は、そんな静雄の意図をあっさりと見透かした。 「嫌らしい俺の躯が大好きなくせに、こんな時ばっかり、常識人になろうなんて、許さないよ、シズちゃん?」 壊された肉体の責任の一端くらいはとってもらおうと、臨也はなまめいた笑みを刻み付けると、腹の上 に滴る愛液を掬い上げ、肉色した舌先で、ぺろりと舐め上げた。 「やっぱ自分のって、美味しくないなぁ」 赤い舌を見せつけるように覗かせると、静雄は忌ま忌ましげに舌打ちして、張り詰めた自身を臨也の 胎内に深々と埋没させた。 「ひぁぁぁ……ッッ!」 爛れた肉襞を巻き込み、熱く張り詰めた雄が肉の底に届く威勢で潜り込んでくるのに、臨也は歓喜と も悲鳴とも判別の付かない声を張り上げ、薄い背を撓わせた。 「ったく、手前は何処まで莫迦なんだ」 こんな時の臨也の声は、静雄には痛々しい悲鳴にしか聞こえない。餓えた獣のように、互いに喰らい あうことしかできない。貪婪なまでに互いを喰い、そうしてやっとこの飢餓にも似た激情から開放される。けれどそれはほんの一時限りで、募る飢餓はひどくなる一方だった。 互いに互いを縛り付けあうような関係は、他人見たら理解できない茶番にしか見えないだろう。殺し合 いとセックスがワンセットになっている関係は、誰にも理解できない。この堕ちて逝くような壊れていく歪 みは、何処までも円環を辿り、互いにしか回帰されない病だ。それは何処か絶望と似ている。 「んンッ……ぁん……い…いぃ…もぉ…」 張り詰めた雄に深々と胎内を征服されながら、シャツを引き裂く威勢ではだけた静雄の肩口に顔を埋 めると、臨也は思い切り歯を立てた。 引き締まった静雄の胸板は歯を立てた程度で何の痛手も負わないが、噛み跡はくっきり残る。その跡 に満足そうに笑う臨也のなまめいた表情は、桜の下で番うに相応しい冶容さを闇の中に浮き上がらせ ている。 「んぁぁ……ッ!」 噛み付けば、呼応するかのように、下から串刺しさながら、突き上げられ、腰を揺すり立てられる。 張り詰めた雄に内側から押し開かれていく生々しさに、臨也は怺え性のない嬌声を張り上げる。 下半身を無防備に曝け出した淫猥な恰好は、静雄と正面から抱き合う態勢になっていて、細い下肢 が静雄の体躯を挟み込み、抽送の度にいやらしく揺れ動く。陶器のようになめらかな白い下肢が闇に 浮かび上がる婬らさは、蛇淫を連想させる妖冶さだった。 「シズちゃ……」 熱に浮かされた瞳がトロンと瞬き、自分を抱く男に視線を向ける。そうすれば静雄も何処か余裕のな い表情を曝してくるのに、臨也は喘ぎながら笑った。 「未だそんなふうに笑ってられるなんて、余裕だな臨也」 乱暴に黒髪を引っ張り、小作りな貌を上げさせれば、臨也は官能に漬かり込んだ表情を曝し、静雄を 見上げた。 「イキたいんだろ?」 細腰を抱く指に力を込め、下から容赦なく突き上げれば、臨也は今にも達してしまいそうな表情を覗か せる。 「手前の中、どろどろじゃねぇか」 女のように自ら濡れる機能のない胎内は、けれど泥沼のように生温く潤い、咥えこんだ雄にぎっちりと 絡み付く。柔らかく爛れた媚肉を掻き回し、下から捲り上げて更に奥へと腰を押し込むと、臨也は嫌々と 細い首を振り乱し、シャツの下潜った指先が、肉に爪を立てた。 「はぁ……シズちゃ…気持ちい…」 絡み付く柔襞を巻き込み奥を突き上げられ、背筋が限界まで反り返る。目前まで迫った絶頂の予感 に腰を揺すり立てれば、静雄は更に荒々しく下から突き上げ、深々と胎内を征服されていく。 「ねぇ…シズちゃ……」 途切れ途切れの嬌声が、静雄を呼ぶ。熱に浮かされた赤い双眸が静雄を見詰めると、臨也は快楽に 侵されながら、フフッと笑った。 静雄の性器は胎内で硬度を増し、爛れた媚肉は、雄の形に内側から押し開かれていく。小さい肉の 入り口に、ぎっちりと肉の輪を貫き通された、息苦しいくらいの圧迫感。それが気の狂いそうな快感を生 む。 静雄にしか感じることができなくなってしまった肉が、血を灼く程の快楽に漬かり込む。こうして抱かれ る都度、餓えていたのだと実感させられる。それが腹立たしくて、抱かれる都度に嬌声を殺そうとするも のの、殺されることすら静雄は許してはくれない。何もかも毟り取られ、丸裸にされていく。 「桜の下には…ぁん…死体が埋まってるって…あ…ッ、あッ!だめ…んゃぁ……ッ!」 互いの腹に擦られ、止めどなく精液を垂れ流す自身を掴み取られ、臨也が白い下肢を揺すり立て、シ ャツを捲り上げられた薄い胸が、靭やかに反り返る。 静寂が支配する深夜の闇に、肉と肉が擦れ合う濡れた音と、臨也のなまめいた喘ぎがいやらしく響き 渡る。 「手前を殺したら、この下に埋めてやるよ」 月とよく似た光を放つ花。その根元に。 「言っただろう?勝手に月に還るなって」 「んぁ…かぐや姫…じゃな…」 「当たり前だ。手前は俺の番だ」 勝手に何処かの誰かの手に、委ねてやるつもりは微塵もない。 「アハハハ、俺達、番いなんだ」 とんでもない告白を聞かされた気がして、臨也は泣き笑いの表情を浮かべた。それは奇しくも、あの 子供が言った科白と同じだからだ。 「殺し合いながら喰い合うことしかできないのは、似たようなもんだろう?」 何処までも直線な静雄の暴力同様、静雄は複雑な経緯から導かれた事象を、あっさりと単純化してし まう。まるで距離など無関係に、臨也が導き出した答えを、シンプルに置き換えてしまう。臨也が静雄を 苦手とした原因の一つは、そこにあった。 コマとして使えるか使えないか、それ以前に、極あっさりと、静雄は見透かしていく。それが気に入ら なかった。今もそうだ。何も知らないくせに、あっさりと見透かしていく。そして当人は見透かしていること にも気付かないのだから、始末に悪い。 「手前にトドメを刺すのは俺だ。くたばったらこの下に埋めてやるからくらいはしてやるよ、臨也」 「んやぁぁぁ………ッッ!深い……」 グッと下から突き上げられ、一際強く押し込められてきた雄に、臨也はびくびくと白い内股を引き攣ら せ、足先が反り返る。指先の先まで、婬らな陶酔が血のように行き渡り、互いの腹に挟まれ捏ねられて いる自身が、限界を訴える。 臨也自身は互いの腹に挟まれびくびくと顫え、今にも達してしまいそうな熱を孕み、先端から生温い 愛液を滴らせている。 「あはぁ…でも…さ…俺…殺したら…」 シズちゃんは本当に、化物になるよ? くすくすと淫蕩に耽った微笑みを綺麗に見せると、臨也は自らも細腰を揺すり立てた。肉と肉が番う濡れ た音が、周囲に響き渡る。 「無駄口ばっか叩いてないで、集中しろ」 臨也の科白は判るような、判らないような、そんな曖昧さがある。元々理屈を捏ねて答えを導き出す 臨也の遣り様は気に入らなかったから、理解したいとも思わない。けれど今臨也が壊れていることは判 るから、静雄は苦い舌打ちを胸中で繰り返すと、臨也を抱く腕に力を込めた。 「ひぁ……んぁ…や……ぁんん……」 途切れ途切れのなまめいた嬌声を漏らしながら、白い喉元が反り返る。そのまま後ろに倒れてしまい そうな細い躯をしっかりと抱き留めながら、静雄は深く杭を打ち込むように、臨也の胎内に昂まる自身を 押し込める。 「あぅ…ッ!イ……ク…イッちゃ……落ちちゃ…ぅ…」 焦点を失った視線が虚空を彷徨い、譫言のような喘ぎを繰り返す。 「シズちゃ……」 気の狂いそうな悦楽に啼きながら、視界を埋め尽くす白い花片に、臨也は笑う。 規則性も法則性もなく、ひらひらと舞う白い花片。まるで淡雪のような儚い姿を見せながら、心の奥が 冷えていくような静謐さを突き付けてくる。それはまさしく月と同じだ。 「安心しろ、落ちる時は、一緒に落ちてやる」 だら今は未だイクだけで満足しろと静雄が笑えば、臨也は半瞬だけ正気の色を覗かせ、次には怖いく らい綺麗な貌で、蕩然と微笑んだ。 そして闇に溶けない白い花が二人の姿を飲み込んで、二人は互いを貪り喰う行為に没頭していった。 【コメント】 桜の時期、精神の歪みが更に破綻して、シズちゃんの目の前に、見える形に露呈するって感じの話で、 シズちゃん以外には感じることのできない病を抱えしまった、冷感症の臨也さんでした(汗) この話は前回した「異形の獣」と地続きの話です。わりとマイ設定のシズイザの終盤の一幕です。 作中に出てきた「あの子供」っていうのは、後々オフで出す予定のオリキャラです。まぁ臨也さんその子供に、 シズちゃんを奪われそうになって、キレたって話がベースになってます。 |