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Etiam cum duos populus mori,
cum vivum autem.
補整されていない道路を走る馬車が、ガタン、と派手な音を立てるのに、静雄は夢の中から引き戻さ
れた。何やら随分と昔の夢を見ていたらしい、と記憶を反芻すれば、臨也と出会った当時の夢だった。
あの当時は、どうして臨也が夜に出掛けたのか理解できなかったが、今は違う。ヴァンパイアの臨也
は、そうしなければ、生きていくことができなかったからだ。死にたがりのヴァンパイアは、けれどいくら
餓えても死ぬことはできない。死にたいと願っても、始祖の血を色濃く受け継いでしまった臨也は、自ら
死ぬことはできなかった。その結果、人からそれを補充するしかなかったのだ。
今思えば、あの細い躯を、好き勝手にさせていたのかと思うと、腸が煮えくり返るという表現は、生温
かったのだと痛感する。
シミ一つない、雪のように白い肌。指にしっとり吸い付く滑らかさは、それでいて陶器のようにひんやり
としている。それが快感に身悶え、淡く色づいていく様は、なんとも言えずに男の情感を煽りたてる淫靡
さを持っている。それを一体何人の人間に見せてきたのかと思えば、腹の底にどす黒い嫉妬が湧く。幼
い頃は、そのどす黒いものの正体が判らなかったが、今なら判る。それは明確な嫉妬だ。それも、殺意
と憎悪のこもった、物騒な代物だ。
七歳の誕生日、ミッシングリンクみたいに突然現れた膂力は、臨也と出会う切っ掛けになった。化生
みたいな膂力がなければ、臨也と出会うことはなかっただろうし、臨也の関心を引くこともなかったのだ
ろう。臨也に拾われ、彼の双子の姉妹と兄妹みたいに育つ過程で、静雄は一つの危惧を抱いていた。
それはある日唐突に、頭の中に湧いたものだった。
臨也と出会ってから、臨也も双子の姉妹も歳をとらず、自分だけが成長している。そのことに関して、
最初こそ疑問を持ったが、けれど臨也と出会ったときに問われた科白で、彼らがヴァンパイア、あるいは
不老不死的な存在だろうと推し量ることは可能だった。イギリスは妖精や幽霊という、目に見えない存
在が昔から御伽噺として伝えられている場所だ。静雄も最初は、自分も妖精の取り替えられ子だと思っ
ていた。けれどそれを違うと否定してくれたのは臨也だったが、では彼らはどうして歳をとらないのか?
その疑問にぶち当たったとき、静雄は臨也と出会った最初の言葉を思い出した。
『死なないって、どんな気持ちだと思う?』
『死ねないって、どんな気分だと思う?』
今思えば、それは臨也の祈りにも似た願いが集約したものだと判る。けれど何の知識も持たなかった
子供の自分に、その言葉の意味は判らないものだった。そして突き当たった一つの疑問。
出会った当時は自分より若干身長のあった九瑠璃と舞流は、気付けば自分の目線の下にいた。その
事実に気付いたとき、静雄は足元が喪失してしまったかのような絶望を味わった。
このまま自分が成長しても、臨也達は歳をとらない。彼らの仲間でなければ、いずれ永遠の別離がや
ってくる。そう気付いてしまったときの凍りつく絶望を、一体臨也は何処まで理解しているだろうか?
そんな絶望の中、突然親元に帰されたのは、十三の誕生日だった。その日は朝から臨也の手作りの
誕生日ケーキとご馳走を食べた。出会ってから毎年、臨也は誕生日を祝ってくれたが、それはいつも夜
だった。けれどあの日は朝からお祝いをして、そして昼には出掛けるよと言われた。何の疑問も持たず、用意された馬車に乗り込んだとき、九瑠璃と舞流が何処か淋しそうに、けれどいつもの無邪気な笑顔
を絶やさず、ひらひらと手を振った。まさかあれが別れになるとは思いもしなかった。
懐かしい生家に着いたのは、もう夕暮れどきだった。馬車の中で眠ってしまった静雄は、臨也に起こさ
れ、そのとき初めて、臨也の魂胆が理解できた。前もって連絡していたのだろう。馬車は咎められること
なく錬鉄の門を潜り、長いアプローチをゆっくりと走る。
貴族のマナーハウスは、門から屋敷までの道程が長い。数キロの道程を、地形によって変化を持た
せ、その中に並木や渓流を配し、
更にいくつかの門を潜って、屋敷への到着に期待感を高める工夫が凝らされている。静雄の生家も、英
国の裏社会に属する特務機関の領袖とはいえ、貴族の屋敷だ。門から屋敷までは数キロに及ぶ。途
中牧草地や渓流があり、突然視界が開けたと思ったら、壮麗な屋敷が現れる、という具合に、設計され
ている。元々マナーハウスは、訪れた人間に、どれだけ強烈な印象を与えられるかが最大の関心ごと
として設計されているから、貴族の屋敷はそれぞれ広大な領地を利用して、創意工夫が凝らされるの
が普通だった。
静雄が起こされたのは、馬車が屋敷の正面に到着する少し前だった。
真冬の所為で牧草地は荒涼のように枯れているが、春になったら緑豊な肥沃の土地だろう。眠い目
を擦り、馬車から外を眺めれば、見覚えのあるような光景が広がっていて、ここは一体何処だろうか?
と、正面に座る臨也に視線を移した。臨也は物憂げな様子で外を見ていたが、静雄の視線に気付き、
薄く笑った。
「もうすぐだよ」
「臨也、ここどこ?」
見覚えのある、懐かしささえ感じる光景に、静雄の背筋に嫌な予感が走る。
「すぐに判るよ」
密やかな臨也の笑みに、いよいよ嫌な予感が確信に変わる。まさか、という思いと、今更どうして?と
いう思いが交錯する。
静雄の焦燥など素知らぬ顔で、馬車はゆっくりとアプローチを進み、やがて開けた視界の前には、壮
麗な屋敷が見えた。そこは紛れもなく自分の生家で、もう二度と、帰ることのできない場所だった。そし
て滑らかな動きで馬車が停まったとき、正面の玄関ホールから、飛び出してくる姿があった。
「静雄!」
いつも朗らかな笑みを絶やさなかった母親が、泣きだしそうな表情で飛び出してくる。その後ろから、
小柄な姿が走ってくる。そして一番後ろからは、あの夜不在だった父親の姿があった。その後ろでは、
見覚えのある執事やメイド達が、不安そうな、心配そうな顔を覗かせている。固唾を飲むという表現がぴ
ったりだろう。そんな張り詰めた空気の中、静雄は臨也に促され、懐かしい生家に足を下ろした。
「臨也!どうしてだよ!?」
懐かしいはずの我が家に数年ぶりに戻ったというのに、静雄には感慨より、臨也の裏切りに等しい行
為に腹が煮えた。同時に、あの夜、母と弟の前で曝した人外の力を持つ自分を見る、家族の目が恐ろ
しかった。
「誰もシズちゃんを怖がったりしていないよ。ご両親は今でも、シズちゃんの帰りを信じて、ちゃんと待っ
てたんだよ」
それは嘘偽りのない科白だと、臨也の双眸を見れば判った。赤い双眸は清冽で、揺らぎ一つ見つけ
られない。
「嘘……嘘だ」
俄かには信じられなかった。あんな人外の力を見せ付けられたら、誰だって自分の子供は人間では
なかったと思うだろう。家族から恐怖や奇異の目で見られることに堪えられるほど、静雄の精神は強く
なかった。だから今まで、親元に戻りたいと思ったことはない。幼い頃の綺麗な思い出は、心の一番奥
深い部分に大事にしまっておいて、そして時々取り出すように、眺めて懐かしむだけでよかったのだ。そ
れで満足だった。だから親元に戻り、居場所のない絶望を味わいたいとは思わなかった。けれどそれは
臨也の裏切りにより打ち砕かれ、静雄は強制的に親元に戻されてしまった。
自分の力をある程度コントロールできるようになったとはいえ、静雄の力は未々未熟で、何より周囲か
ら奇異の目で見られることを恐れていると、養い親の臨也が知らないはずはない。それなのに、臨也は
何の選択肢もなく、静雄を強制的に親元に帰した。その躊躇いのなさに、静雄はいたく傷付いていた。
静雄にとって、臨也は誰より近しい存在であり、自分を理解してくれる保護者だったからだ。
裏切られた、と思ったときには、カッと腹が煮え、あの莫大な力が湧き出てきた。握り締めた拳が繰り
出されたものの、臨也はひらりと剽悍にそれを避けると、ふわりと静雄を抱き締めた。鼻孔を擽る柑橘
系の甘い匂いに、静雄は怒りと同時に、泣き出したくなっていた。
ここで離れたら、臨也とはもう二度と会えない。足元が凍りつきそうな予感に、静雄は奇跡的にも力を
抑えた。
「ふふ、やればできる子だよね、シズちゃんは」
えらい、えらい、と、白く細い指が、優しく頭を撫でていく。
「臨也!」
離れたくなくて、ぎゅっと臨也の黒いコートの袖口を掴むと、臨也は莞爾と微笑し、静雄の手をやんわ
りと外した。真冬の夕暮れどきに、それは一足早い春の訪れのように、日溜りのような温かい笑みだっ
た。けれどそれが臨也との別れだと知っているから、胸はきりきりと刺すような痛みを訴えてくる。
ここで手を離したら、永久に会えない。何せ相手は不老不死のヴァンパイアだ。長年身を隠すことにた
けていたのだから、ここで別れたら、永久に会えない。外された指で更にきつく臨也のコートを掴むと、
臨也は少しばかり困ったような、それでいて、何処か泣き出しそうな、痛みを堪えるような顔をした。赤
い双眸に凝視され、その眸を見返せば、臨也はやはり莞爾と笑い、残酷な科白を口にした。
「シズちゃんさ、約束、覚えてる?」
「知らねぇっ!」
約束、それは一つしかない。臨也と出会ったときから、臨也が繰言のように言ってきた言葉は、一つ
だけだった。
「もし、もしまた俺と会いたいって思うなら」
その瞬間、何かを堪えるように、臨也は一瞬口唇を噛み締める。静雄の目線に合わせ腰を屈め、金
茶の双眸を覗き込むと、まるで睦言を囁くように囁いた。
「誰にも負けないエクソシストになりな」
シズちゃんの力があれば、大丈夫だよ、と臨也は別離とは思えない静邃な笑みを見せる。その笑み
に、卑怯だ、と思う。
「ふざけんな!」
「俺を殺せるくらい強くならなかったら、俺はシズちゃんとは会わない」
きっぱりと宣言する視線は真剣で、それが臨也の本気だと静雄に伝えていた。それは裏を返せば、た
った一つの約束を守れ、そう言っているに等しい。
この先臨也が自分の前に現れたら、それはエクソシストとして、約束を果たせ、違えるな、と言うことだ。そして同時に、それは強さの証左、なのだろう。臨也を殺すことのできる強さを身に付けたという。
「シズちゃんは、大嫌いな勉強だって、ちゃんとやったし、嫌いなわりに吸収は早いし、誰にも負けない
エクソシストになれるよ。シズちゃんが俺を殺せるくらいに強くなったら、また会いにきてあげる」
真剣で、それでいて清冽に笑うと、臨也は一度だけ小さい躯をぎゅっと抱き締める。最後に視線を合
わせると、約束だよ、と囁いて、ふわり、と静雄から離れた。
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