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A5/100ページ
12月29日コミックマーケット85新刊
イベント頒布価格:1000円
R18
*サイト掲載の為、本とはレイアウトが異なります。
*サイト掲載の為、本とはレイアウトが異なります。
現在の新羅の肩書きは、ロンドン中央病院の外科医だったが、最近は主に監察医の仕事に従事して
いることが多くなっている。手先が器用で、人体への探究心が強いため、ある意味なんでも器用にこな
す。葬儀屋が施行することも少なくない解剖を、新羅は積極的に行っている。そのため警察は、事件性
の高い遺体は、新羅に解剖を依頼することが増えていた。
「邪魔するぞ」
新羅に与えられた研究室に、慣れた様子で入ると、新羅はデスクから顔を上げ、笑顔で静雄を出迎え
た。
「やぁ、いらしゃい。そろそろ来ると思ってたよ」
適当に座ってと促され、ソファに腰を落とすと、新羅は研究室の片隅にあるアルコールランプに火を点
ける。ランプの上にあるフラスコを見咎め、静雄は心底嫌そうに溜め息を吐き出した。
「お前は、客に実験用のそんなもんで茶ぁ淹れる気か」
「静雄相手に気取っても仕方ないしねぇ。安心してよ、これお茶淹れ用のフラスコだから」
「安心できる要素が何処にもねぇよ」
セルティは一体こんな無神経な奴の何処がいいのか?趣味が悪いにもほどがある。それとも妖精の
センスはまた別なのか?
幼い時分、未だ臨也を保護者として育てられていたあの屋敷で初めて会ったセルティは、異端の存在
ではあったが、新羅には勿体ない知性と教養溢れる女性だった。正確にはアイルランドに住むデュラハ
ンであり、オーディンの遣いだ。その彼女が、一体どういう経緯で新羅といるのか、詳細は判らないもの
の、彼女も新羅を憎からず想っていることは静雄も知っている。けれどそこに隔たる壁は、自分達同様、
人間と異端という差だ。その埋められない溝の一つは、年齢の隔たりがある。人は一年ごとに確実に
歳をとるが、臨也やセルティは歳を取らない。いずれ自分達は、二人を遺いて逝くことになる。そのとき
絶望を味わうのは、自分達以上に、遺こされる臨也やセルティだろう。そこに心を交わした愛情があれ
ば尚更だ。
「はい、熱いからね」
静雄の前に差し出されたのは、カップだけは上等な紅茶だ。茶葉も高級なのは判る。こう見えて、新
羅は紅茶の味には煩い。そのくせあの淹れ方は如何なものか?と思わざるをえない。
「それで、今日はなに?巷で流行ってるヴァンパイア事件?」
「流行ってねぇよ。第一ヴァンパイアの仕業って決まったわけじゃないしな」
「まぁ?正確には、失血死、だからねぇ」
新羅はカップに口を付け、静かに笑う。今回の被害者全員を、新羅は解剖している。
「やっぱりあの針痕はそうかよ?」
「多分ね。太い針で時間を掛けて血を抜かれてる。目的は全然だけど。ヴァンパイアだとしても、餌とし
ての目的じゃないだろね」
「餌、ねぇ」
「あ、不満?その言い方?」
「いや、シビアだと思っただけだ。流石医者ってことか?」
人間を躊躇いもなく餌と言える人間は少ないだろう。そのあたりの感覚が、新羅は違う。流石デュラハ
ンに愛を捧げ、彼女と一緒にいるために、他人を巻き込もうとしているだけのことはある。そのために新
羅が医者を目指し、臨也の主治医紛いのことをしているのだと、静雄は知っている。その計画の一端を、静雄は既に担ってしまっている。
「その計画に自らのってきた静雄に言われるのは心外だなぁ」
何食わぬ顔してカップを傾けている幼馴染に、静雄は呆れた貌を見せる。この幼馴染は、昔から人の
裡を読むのが巧い。
「っで?」
「どっち?」
ソファで長い足を組み換え、静雄は正面の新羅を凝視する。
金茶の双眸から放たれる眼光に、けれど新羅は飄々としている。
決まってんだろう?と先を促せば、新羅は眼鏡の奥に隠された眸を面白そうに瞬かせて、口を開いた。
「臨也のあれは、半分は君の所為」
「俺?」
カップを持つ手で器用に人差し指を向けられ、静雄は攅眉する。臨也の不調の原因が自分だといわ
れても、皆目見当がつかない。
「そう。まぁ、君の所為だけど、発端は臨也の自業自得の結果なわけだけど」
「判るように話せ」
お前が臨也の主治医とか世も末だ、と静雄は苦く舌打ちする。
最近の臨也は調子が悪い。魔物語に登場するヴァンパイアのように、日光が苦手になり、朝は特に
起きられない日々が続いている。以前の臨也は、そんなことはなかった。ヴァンパイアと言われても、伝
説に登場するヴァンパイアのように、日光が苦手だったり、薔薇が苦手だったり、ということは皆無だっ
た。食事だって、抜群に美味い。自分の屋敷のシェフより美味いくらいで、特にスィーツ作りは絶品だっ
た。食事を必要としなくなってからも、臨也はその習慣だけはなくしたくないのか、よくスィーツを作り、お
茶を嗜んでいた。それなのに、最近はそれさえも作らなくなってしまった。
最近は霧や雨も苦手らしく、天気の悪い日はベッドの中、或いは、屋敷の地下にある霊廟の棺桶の
中にクッションを持ち込み、寝ている始末だ。
魔物語に登場するヴァンパイアみたいな真似は、臨也が一番嫌っていたというのに、体調を崩してからの臨也は、静雄との接触も避けている節がある。今の臨也の供給源は、静雄だけだというのに、それさえも拒む傾向にある。尤も、それは静雄とのセックスと同義語だったから、臨也にとっては成長した養い子に抱かれる、と言うこと自体が、堪え難い要因になっている可能性もあるが、少なくとも静雄の眼から見た臨也は、口ではどう言い繕っても、静雄とのセックスに嫌悪は示していない。むしろその逆だ。
抱けば雪のように白い肌は滑らかな色に色づき、身悶えを深くする。肉の輪に嵌めたみたいに包み込
み、蠕動する柔襞は、静雄の性器を離すまいと奥へ奥へと誘い込む。高く細い甘ったるい嫋々の嬌声
を上げ、細い腰を揺すりたてよがる。
過去に数え切れない男や女と関係しているのは知っている。そう思えば腹の底にどす黒い嫉妬が湧
くが、臨也がこれほど乱れて快感を得ている相手は自分だけだろうと、静雄は感じていた。それは時折
見る夢が影響していることにも気付いていた。
臨也が自分を通して、一体誰を見ていたのか?出会った当時、臨也は言ったことがある。遠い昔に会
っていると。それを総合した結果、静雄が導きだした答えは一つだけだった。何より自分は、屋敷にある、何代か前の肖像画の人物によく似ている。名前も同じだ。そして持っている膂力も同じとなれば、これ
が偶然の一致であるとは思えなかった。
――転生。
過去に思いを残した結果、今度こそ臨也を独りにしないと、諦め悪く生まれ変わったのかもしれない。
けれどそれは静雄にとっては、見知らぬ他人と同じだ。真偽の不明な過去に振り回されて、臨也を独り
にしないと決めたわけではないのだ。むしろ静雄にとって、夢の中に出てくる人物は、嫉妬の対象でし
かない。狭量だと言われようと、事実なのだから仕方ない。
――誰かにやる気はねぇんだよ
見えない相手に敵意を剥き出しに呟くと、そんな静雄の内心を見透かしたのか、新羅は淡々と言葉を
繋ぐ。
「静雄は前に僕が言ったこと、覚えてる?臨也の生態について」
「小難しい用語は判らないけどな。要はあいつの躯は細胞が死なないってってことだろう?」
「随分と簡略化してるけど、概ね正解」
どれだけ複雑な経緯で導き出された事象も、静雄は簡単に単純化して、現実に置き換える術に長け
ていた。そうすることで、よりクリアに現実を見ることができる。それはある意味、相関図を描く端緒には
必要不可欠なことだった。
「お前の話しは、まどろっこしいんだよ」
医者じゃないんだ。小難しい薀蓄なんて知るか、というのが静雄の意見だった。難しい用語を知らなく
ても、臨也の状態を知ることに、問題はない。
「前にも言ったけど、臨也はヴァンパイアっていうよりは、不死って言う言葉の方がいくらか適切なんだよ。臨也の細胞は、寿命細胞のテロメアが、確実に複製されているんだ。人間の寿命は、細胞分裂の回
数が決まってるからね。だけど臨也にはそれがない。細胞の寿命を司るテロメアが、正確に自己複製を
繰り返して、延々と細胞分裂を繰り返している。だから臨也は歳もとらないし、だから寿命がない。ぶっ
ちゃけて言っちゃえば、単細胞の自己複製と同じだよ。細胞がアメーバー化してるといってもいい」
「アメーバーねぇ……」
臨也とアメーバーを同一に置き換えたら、臨也は殴りそうだな、と静雄は内心で肩を竦めたが、それを
読んだように、新羅が苦笑する。
「臨也に言ったら、殴られたけどね」
「お前、バカだろう?」
お前時々深慮が足りないよな?と心底呆れれば、新羅は更に言葉を繋げた。
「遺伝子を設計図に例えるなら、臨也はその設計図を書き換えられてしまった状態なんだよ」
「設計図……」
「自然の理の中で、同一を保ち続けて存在することは不可能に等しい。それが人間なら尚更。だけど臨
也は違う。遺伝子という設計図を書き換えられて、死から永遠に遠ざけられてしまった」
そこで新羅は言葉を区切ると、温くなってしまった紅茶に口をつける。僅かな沈黙が、静雄には何故
か心地悪く感じられた。
「静雄はさ、死の起源はいつからだと思う?」
「はぁ?何の哲学だよ」
「臨也に教わらなかった?」
「あいつが俺に教えたことは山ほどあるけどな。その中で、そんなもんは習っちゃいねぇよ。あいつにと
って、死っていうのは、それこそ祈りみたいなもんだ。それが約束だとよ」
一体何処の誰と交わした約束なのか?そう思えば、苦い気持ちが胃の腑にへばりついてくる。