願わくは
花の下にて春死なむ
その如月のころ             
                   西行 







 春夏秋冬。季節の節目になると、総悟の元には、武州にいる姉のミツバから定期便が届く。
 春には淡い色合いの、夏には一滴の清涼さを紛れ込ませたような、秋には武州の琥珀色の
空を思い出させる悠久の、そして冬は新年のために。総悟の元には姉から心のこもった贈り物
が届く。それは総悟が近藤たちと江戸に上京してから、絶えることなく続いている交流だった。
それを総悟がいつも心待ちにしていることは、屯所の誰もが知っている。そして今日、それが
屯所に届いた。
「沖田さん、届きましたよ」
 屯所に届く荷物は、郵便から宅急便に至るまで、家族だろが知人だろうが、容赦なく荷物検
査が行われる決まりになっている。
 総悟が江戸に出てきて数年。近藤を局長にした真選組の名は、その良し悪しは別にして、江
戸中に知れ渡り、倒幕を禍心する攘夷浪士たちには脅威の対象となっている。それだけに、身
辺の警戒を怠ることはできない。隊士の家族や知人を装い、爆発物や劇薬など、危険物を送り
つけられる可能性がゼロではないからだ。そのため屯所に届く荷物は監察の手により、荷物
検査が行われる。そこには一人の例外もない。
 検査自体は、中身を見ずともレーダーで感知できる類のもので、ある程度のプライバシーは
配慮されている。だから一番隊隊長である総悟の荷物も、同様に検査される。それに否を唱え
る隊士は、真選組の中には存在しない。否と言った時点で、その人間は真選組隊士の資格を
失うからだ。
 隊規に背く、という以前に、危険を認識できない人間は、長生きできないと決まっている。
どんな局面に於いても、勝つということは、生きる、と言うことだ。その理を理解できない人間は、対テロ組織である真選組には必要ない。誰もがそう考えている。
 そして検査を終えた荷物を総悟の元に届けるのも、最近では山崎の仕事になっていた。別段
他の隊士でもよかったが、総悟が屯所内にいる場合、割り当てられた私室に居るより、副長で
ある土方の部屋に居る確率のほうが、圧倒的に多いからだ。要は他の隊士では気後れする、
そういうことだ。
 鬼の副長と、内外に広く知れ渡っている土方の名前は、同じ真選組の中でも付き合いの浅い
者にとっては、脅威と畏怖の対象らしく、土方の部屋に近付く者は少なかった。けれど山崎は
別だ。
 他の隊士が隊長の下に配属されているのに対し、山崎には隊長と呼ぶ上司は存在しない。
山崎の直属の上司は土方であり、山崎は土方の指示を直接受けて動く監察方だ。特に山崎
は一番隊隊長の総悟や他の隊長格を除けば、土方直属の部下にあたり、監察方の中に於い
ても、ある意味トップの存在だ。そのため、鬼と呼ばれる土方の気質も性格も、ある程度判っている。
 タイミングさえ間違えなければ、理不尽はある程度回避できる。特に総悟がいる場合の土方
というのは、隠す気がないのがあからさまで、埋没する書類仕事に機嫌を悪化させていたとし
ても、理不尽な被害を受けることは少ない。尤もそれは偏に総悟の機嫌に左右される脆弱なも
のだったが、障子越しに窺った内部の気配は、悪いものではなかった。だから山崎は障子越し
に、土方ではなく総悟に声を掛けた。
 この時期、総悟に届く物と言えば、姉のミツバからと決まっている。それを知らない人間は、
真選組内部には存在しない。何より土方は、総悟が姉からの定期便を待っていることを誰より
心得ているから、総悟に届け物と言えば、まず機嫌を悪化させることはない。そしてそれは正
鵠を射ていた。
「入れ」
 障子越しに土方の声が掛かる。その声は山崎の予想通り淡如なものだったが、機嫌の悪さ
は感じられない。
「失礼します」
 一声掛けて障子を開けた山崎は、室内の様子に深々と溜め息を吐き出した。がっくりと肩ま
で落ちている。
 副長という仕事の性質上と言うよりは、多分に他人に任せられないワーカーホリックの性格
の所為で、土方の部屋は執務室兼私室となっている。広い二間続きの部屋を襖一枚で仕切り、執務室と私室に分けて使用しているのだ。
 障子を開けた部屋が執務室で、襖の向こうが本来の私室だ。けれど土方は部屋の区分に頓
着がないのか、忙殺される仕事に、文机の横に布団を敷いて寝ることも少なくはない。
 物に執着しない土方の部屋に、私物は少ない。その反面、溜まる一方の書類は、消化する
端から増えていく悪循環に見回れているから、土方の周囲には紙の束しかない。そしてそれに
比例して増えていく喫煙量を物語るように、灰皿は吸殻で一杯になっている。 当然、室内は
煙で充満し、火災報知機が設置されていたら、鳴り出すレベルだ。そんな状態の室内に、むし
ろ総悟がおとなしくしていることが、山崎には不思議だった。
 普段ヤニ中と讒謗を吐くくせに、蜃気楼さえ見えそうな室内でおとなしいのだから、総悟もあ
る意味、始末に悪い。それくらい、総悟にとっては、土方の吸う煙草の匂いは慣れてしまったも
のなのだろう。そう思うと、やれやれと溜め息が漏れる。正面きって惚気られるより、余程タチ
の悪い惚気だと、山崎などは思ってしまう。
「副長、いくらなんでも、定期的に換気して下さい」
 じゃなかったら、本当に禁煙令が発動されますよ?と軽口を叩けば、うるせぇよ、と土方は苦
く舌打ちする。そんな土方に億することなく、山崎は障子を開くと、室内の空気を入れ替える。
「沖田さんも、よくこんな煙まみれの中にいれまね」
 ダメですよ、受動喫煙なめたらと、山崎が土方の傍で寝そべっている総悟に声を掛ける。
 以前煙草の有害性を訴え、屯所内全面禁煙令を言い出した張本人とは思えないくらい、総悟
は否も唱えず、煙まみれの室内に居る。
「まったく……」 
 やれやれとぼやくと、室内の空気が入れ替わったことを確認し、灰皿を新しいものに取替え、
山崎は中に入り障子を閉めた。山崎の溜め息を聞き流し、土方はその間も筆を動かしている。
 適材適所に人員を配することが土方は得意だ。各隊長から提出される毎月のシフトをチックし
て、人員に可笑しい部分があれば、即座にシフトを組み替えることは造作もなくしてのける。
 特に討ち入りに際しての布陣は、天賦の才を発揮する。自分を外側に置き、大局的見地から
物事を計ることに関しては天才的だ。あらゆる意味で、土方は真選組の頭脳であり、何より策
を弄することに長けている。おそらく自分たち監察方が入手した情報を報告した時点で、土方
は何通りかの相関図を組み立てている。だから出される指示は常に的確でブレがなく、監察方
は迷いなく動くことができる。
 土方が策を練り討ち入る場合と異なり、土方の指示を受けて動く反面、監察は自己判断が求
められる場合が多い。密偵として動く場合、線引きは自分で決めなければならない場合が多いからだ。見極める眼、というものを常に求められる。裏方に回って動く監察の情報なくして、攘
夷志士たちの動きは察知できないのだ。そのことに山崎は誇りを持っている。けれど上司のこ
のワーカーホリックな部分だけは、どうにかならないのか?と山崎は深々と溜め息を吐き出し
た。
 あれだけ的確な指示を出し、隙のない布陣を引くくせに、どうして書類を各隊長に振り分ける
ことをしないのか?勿論その意図する部分は判っているつもりだったが、物事には限度がある。尤もそれは総悟に言わせれば、好きでしている苦労だから、苦労じゃないだろう、と言うこと
になる。
 そしてそんな土方の部屋に、総悟が入り浸っているのは、最早当たり前の状況だったから、
書類と格闘する土方の傍らで、総悟が二つに折った座布団を枕に、マンガを読んでいたとして
も、驚くには値しない。むしろ非番で外出しているならともかくも、屯所内にいて、土方の部屋に
居ないほうが、余程不味い状況だと、山崎は正確に理解していた。その場合、被る被害は甚
大ではないからだ。
「沖田さん、お荷物届きましたよ」
「ん〜〜、ザキ、あんがと」
「ミツバからか?」
 マンガを放り出し起き上がった沖田に荷物を渡すと、筆の手を休めた土方が総悟に視線を向
ける。
 いつも丁重に梱包されている荷物と、宛名の几帳面な文字を見る都度、総悟から見せてもら
った写真が脳裏を過ぎる。
 顔立ちは総悟に似ている。と言うよりは、総悟が姉に似た面差しだというのが正解だろう。
まるで年の離れた双子かと思うくらい、二人の姉弟は生き写しのように似ている。けれど総悟
に姉ほどの聡明さがあるのかと言えば、誰もが首を傾げる部分だ。少なくとも、総悟はミツバほ
ど、字が綺麗ではない。斬り込み隊長としての几帳面さはあるものの、日常生活に於いては、
殆ど不適合者並みに役に立たない。
 ――引き換え
 普段の総悟を見ていると、ふとそんな言葉が山崎の脳裏に浮かんだ。
 土方の部屋に入り浸っている総悟の姿は、年相応に見える。むしろ不相応に幼いといっても
過言ではないのかもしれない。局長の近藤と、副長の土方に甘やかされて育った分、二人の
傍にいるときの総悟は、年相応な表情を見せる。普段副長の座を狙い、土方を殺す殺すと追い
掛けているが、こうして寄り添っているときは静かなものだ。他愛ない軽口は叩いても、書類と
格闘している土方を怒らせる真似はしないのだから、分別はある、そういうことだろう。寄り添う
ほど互いの気配に馴染んでしまっているというのは、山崎にとっては、立派に惚気の範疇に入
る。
 そのくせ、一番隊隊長として、隊士を率いて戦陣に斬り込むときの総悟は、今とはまったく別
の表情をしている。敵陣に赴くときの総悟というのは、十八という年齢が嘘のように、凛とした
気配を醸している。けれどそこに気負いはなく、ただ研ぎ澄まされた静謐な気配の中に、淡然
と佇んでいる。そして一歩敵陣に踏み込めば、総悟の気配は驚くほど綺麗に消え失せる。
 総悟は怖いくらい気配を絶つのが巧い。殺気も何も感じさせず相手に近付き、神速の剣で斬
り捨てる。そこには一瞬の迷いも躊躇いも感じられない。神速と謳われる速さで敵陣を駆け、
誰よりも多くの敵を斬り捨てる。その剣技に無駄な動きは一つもなく、かといって、荒々しい所
作は微塵もない。見ている者を圧倒する剣は、むしろ舞いでも舞うかのように綺麗で靭やかだ。
 気配を絶ち、相手の前に立ち塞がり、美しい舞いのように剣を振るう。おそらく敵は斬り捨て
られた意識すらなく、一瞬にして生を切断されているだろう。むしろあの美しい剣だ。進んで斬
られている可能性もゼロではないんじゃないのか?と山崎は思っている。それくらい、総悟の
剣は人並を外れている。武州にいるとき、剣に関して神童だと言われていると聞いたが、総悟
が剣を選んだというよりは、剣が総悟を選んだと思えるくらい、総悟の剣は研ぎ澄まされた月の
ように、静謐で冴々とした美しさを持っている。そして殆どの場合、総悟は返り血を浴びない。一瞬にして斬り捨て敵陣を駆け抜けるため、返り血を浴びている間がないのだ。
 けれどそれは常人とかけ離れた剣だ。剣に選ばれてしまった子供、そう思う。だからこそ剣以
外に関しては、適合が低い。ある意味それが引き換えなのだろう。研ぎ澄まされた刃同様、そ
れは切っ先の才だ。
「今度はどんなのだ?」
 山崎の視線の前で、沖田は丁重に梱包された包みを解き、白い箱から、一通の白い封書を
取り出している。それを畳に置くと、続いて出てきたのは、激辛煎餅が数袋。
「……ミツバ、相変わらずそれなんだな……」
 なんとも言えない表情で、土方が苦笑するのに、山崎はその煎餅だけはゴメンだ、と内心で
その辛さを思い出した。
 美味いから食ってみなせぇと総悟から勧められたとき、一口食べてその激辛に鼻の奥がツン
となり、涙と鼻水が滴ってきたときを思い出す。
 ミツバは労咳を患い治療しているらしいが、生来に辛いものが好物らしく、定期便の中には必
ず激辛い煎餅が入れられている。それは総悟には好評だったが、隊士には不評だ。何にでも
マヨネーズをかけて食べるマヨラーの土方をしても、それは食べられない代物らしい。けれど総
悟は違った。真っ赤な色をした煎餅を見て、喜んでいる。甘いものが大好きな反面、辛いもの
も大好きな総悟の嗜好は、山崎にとっては複雑怪奇だ。土方の食事をイヌの餌と言う総悟も、
何のことはない。同じくらい、味覚が可笑しいのだ。どうりでイヌの餌呼ばわりする土方の食事
を平らげられるわけだと、その時初めて誰もが納得したことを、総悟も土方も知らない。
「わ〜〜流石姉上。丁度なくなったところでさァ」
「いっぺんに食うなよ」
 赤い煎餅に閉口し、土方がぽんっと亜麻色の柔髪を梳けば、判ってらィ、と総悟がぞんざいな
言葉を返す。
「んで?本命はどうなんだよ?」
「アンタの言い方、いちいち、いやらしいですぜ」
 このエロ方。呆れた様子で応じながら、そのくせ科白とは裏腹に、総悟の声は柔らかい。
軽口で応酬しなから、白く細い指が風呂敷包みを取り出した。白刃を握り、死線を駆け抜けると
は思えない細い指が、丁重に風呂敷の包みを解いていく。それを山崎と土方は、興味津々の
様子で見ていた。
「今年はどんなのか、楽しみですね」
 総悟の元にこうして荷物を届ける特典として、山崎は土方同様、総悟に届く荷物の中身をい
ち早く見ることができる。
「灰桜と常盤色か」
 紫色の風呂敷包みの中には、色や生地は違えど、入っているものはいつも同じだ。季節ごと
に送られてくる定期便の中身は、季節に似会う色合いをした半襦袢と着物、それと袴だ。季節
ごとにミツバは、弟のために着物を縫って贈ってくる。遠く離れてしまった弟にせめて、という姉
の想いが伝わってくる優しい心遣いだ。山崎は会ったことはないが、季節ごとに送られてくる気
遣いに、その人柄が手に取るように判る気がした。
 総悟は姉からの贈り物をそっと広げ、胸元に当てる。薄い灰色に、薄い紅を織り交ぜたような
色合いは、亜麻色の髪と、白い造作によく似合っていた。淡すぎず、明るすぎず、全体的に色
素の薄い総悟によく似合っている。色彩のバランスが抜群に上手い。これも姉弟だからなのだ
ろう。
「どうでさぁ?」
「ミツバはお前に似会う色をよく判ってるな」
「よくお似合いですよ」
「姉上のセンスは一流でさぁ」
 得意気に笑う総悟は本当に嬉しそうだったが、こんな満面な笑みを見せることは、実は珍し
いと、土方も山崎も知っている。
 総悟の性質は、基本は猛禽と大差ない。けれど性格は完全にネコだった。自分の気分がむ
いたときは盛大に甘え、気分が乗らなければ、歯牙にもかけない。性格的には、案外と気難し
い一面がある。そんな総悟の気分の良し悪しを気にせず動かせるのは、局長の近藤くらいだ。
尤も彼は底のない陽気な気質をしているが、幼い頃から保護者代わりをしてきた近藤にとって、総悟の機微を推し量ることは容易だったから、彼は彼なりに、総悟の機微を判断しているのだろう。そして総悟はその好戦的な気質とは裏腹に、警戒心が強い。周囲にそうと悟らせない
から見落としがちだが、馴れるまでは自分の中で完全に線引きをしている。だから総悟が裏表
のない笑顔を見せているということは、それだけ気を許している証拠だった。それを知っている
から、それを見守っている土方と山崎も、自然と笑みを浮かべて総悟を見ていた。
 灰桜色した着物を畳に置き、次に取り出したのは、常盤色した袴だ。
 総悟は土方や他の隊士のように、着流しと言う恰好はしない。きちんと袴を穿く習慣がある。
それが少年と青年の中間地点に立つ総悟を、清冽に見せている。人斬り隊長として、戦陣の
切っ先を預かる姿とは裏腹に、ひどく清潔で、そんなものとは無縁に見せるから不思議だった。
元々が侍の子供だけに、躾けが行き届いている証拠にも見えた。それは裏を返せば、ミツバ
がしっかり総悟を育ててきた証拠だろう。
「これは単衣か」
 風呂敷に最後に入っていたのは、単衣だった。それを土方が広げ、薄く笑っている。
「エロ方、いやらしい想像すんな」
 土方が何を想像したのかすぐに判ったらしい総悟が、呆れた様子で悪態を吐いたが、その口
調は科白を裏切っていた。くすくすと笑う姿は、何処か艶めいて見える。
 土方の取り出した単衣は、毎度然程色合いの変化はない。夜着として着るため、白か、それ
に近い、押さえた色調をしている物が大半だ。そして今回送られてきたのは、淡水色を更に薄
くした色合いの、藍白の単衣だ。白に微かに青みがかった清楚な色合いは、確かに夜の総悟
に似会うのかもしれない。
「そうだ」
「総悟?」
 不意に何かを思いついたような総悟は、ひどく真面目ぶった様子で、土方に口を開いた。
「アンタ、これから休憩しなせぇ」
「は?何言ってる。この状況見てみろ」
 突然何言いやがる?と訝しむ土方に、けれど総悟は真面目ぶった表情から一転して、灰桜
色した着物を再び胸に当てると、土方に笑いかける。まるで悪戯を思いついた子供のような表
情だ。
「いつだって俺は、姉上から贈られてくる着物は、一番最初に、アンタに見せてるつもですけど
ねィ」
 見せるとは、つまりは着て見せる、と言う意味だ。
「それともアンタが旦那に優先権与えるってんなら、これから旦那誘って花見に行って来まさぁ」
 どうせ旦那は万年暇だし、と失礼なことを言いつつ、総悟の眼は完全に土方の次の科白を理
解して、くすくすと楽しそうに笑っている。
 ああ、沖田さんって、本当にダメな子だなぁ、と、山崎は内心で遠い目をした。
 部屋にこもってばかりの書類仕事では、気分転換も図れないから、偶には外の空気を吸いに
行かせようと誘っているのは判る。勿論土方も総悟の意図など丸判りだ。そして悪戯を思いつ
いた子供みたいな眼をして誘ってしまえば、土方が否と言うはずもない。すべて計算づくでやっ
ているからタチが悪い。そういう辺り、総悟も独占欲が滲んでいる。
 土方は総悟の我儘に苦笑して、さらりと艶やかな亜麻色の髪を梳く。けれどその苦笑は何処
までも穏やかで、仕方ないな、という甘やかしたい盛りの態度が透けて見えていたから、山崎
に言わせれば、どっともどっちだと言うことになる。
「判ったよ。お前の一番最初を、万事屋なんぞにかっ浚われたら、たまんねぇからな」
「……副長、それちょっと違うと思いますよ?」
「アンタはどうしてそういちいち、言い方がいやらしいんですかねぇ」
「そりゃお前の所為だ」
「人の所為にすんな」
 このエロ方、と悪態を吐きつつ、楽しそうに笑う総悟に、楽しんできてくださいねと笑い、山崎
は副長室を後にする。これ以上ここにいたら、馬に蹴られるのは必至だ。
 山崎は音を立てずに障子を閉め、足音を立てずに廊下を歩く。密偵の仕事をしている仕事柄、山崎もまた気配を殺すことに長けている。足音を立てて歩くこともしない。するりと廊下を歩き
ながら、屯所の庭先に咲いた桜を見やる。
 白とも紅とも判別のつかない花弁が、陽射しの中で揺れている。それは何処までも閑舒な光
景だった。








□ □ □ □ □ □





 黒々と天に伸びる枝に咲き誇る、薄紅の花弁。夜に見れば周囲を圧倒する異彩さえ放つとい
うのに、陽射しに透ける花弁は、まるで天女の衣が隠れているかのように閑舒な空気を滲ませ
る。
 男ばかりが起居する屯所の庭にも、何本ものの桜樹が植えられ、それは屯所に美しい色合
いを添えている。春爛漫というに相応しい光景は、何処か郷愁を誘う哀切が入り混じる、なんと
も不思議な花だ。
 今が盛りとあって、そこかしこに桜が咲き誇り、周囲は煙花のように春特有の春霞を醸し出し
ている。そのなんとも安舒な光景に、土方は自分が疲れていたのだと自覚する。
 書類を書くばかりの仕事は使う筋肉も限られ、こうして外の空気に触れると、神経も筋肉も極
自然に弛緩するのが判る。けれど、だからといって、付け入られる隙は微塵もない。
 晴れた空には薄い紗のような白い雲が棚引いていて、空は何処までも淡く薄い青をしている。周囲のそこかしこで咲き誇る桜に、全体的に空気が朧になっている。まさに春特有の韶光だ
った。そしてその光景の中に、まるで沈みこむように歩いている総悟の後ろ姿。
 どんな危険に曝されようと、決して俯かない綺麗な顔。そして綺麗な顔に嵌められているとは
思えない凛とした双眸。
 姉のミツバと振り二つの面差しをしているくせに、決して脆弱に映らないのは、その一対の眼
の強さの所為だ。凝視されれば、何もかも見透かされてしまいそうな視線の強さは、おそらくそ
の眼が永久に閉ざされるときまで失せないだろうと、土方は確信していた。
「綺麗ですねィ」
 数歩前を歩く総悟が、珍しくも軽やかな声で笑い、片手を宙に差し出している。その手の中に、はらはらと花弁が落ちてくるのを楽しんでいる様子は、武州時代の幼い頃を思い出させた。
 剣を極めているからなのか、総悟は外を歩くとき、気配を絶つ癖がある。その所為で、朧な空
気の中に、綺麗に溶け込んでしまっていて、訳もなく焦燥してしまうのは、毎年のことだった。
それは武州の田舎にいた頃から、総悟が未だ自分の腰辺りの身長しかない幼い頃から感じて
いるものだ。それを総悟も判っているから、ふわりと舞う桜と同じような有り様で、振り返って淡
い笑みを覗かせる。
「……魅入られるなよ」
「アンタ、昔からその科白言いますねぇ」
「危ねぇんだよ、お前みたいなのは」
 桜は二面性を持つ花だ。昼と夜とでは見せる表情が真逆に位置している。まして桜は境界線
に佇む花だ。それは生と死の境界線に佇む自分たちに、よく似ている花だ。
「俺は桜に浚われたりしまやせんよ」
 アンタ昔から過保護で困りまさぁ。可笑しそうに呆れると、総悟は再び前を向いて歩き出す。
その華奢な後姿に、万華鏡のような葉影が落ちる。まるで落ち葉衣のような韶光だと、ふと思
う。
 はらはらと舞う花弁が陽射しを透過し、天使の輪を描く亜麻色の髪に振り注ぐ。まるで今にも
桜に溶け込みそうな気配のなさに、得体の知れない焦燥に誘われるのは、毎度のことだ。だ
からついつい咎めた口調で呼んでしまうのも、いつものことだった。
「総悟」
「アンタおっかない顔して、ロマンチストなの困りやすよ。桜に浚われるって、一体どんな御伽
話しですかィ」
「桜の下には、死体が埋まってるって言うからな」
「人斬り隊長の俺は、血に魅入られるって言うんですかィ?」
「そんな綺麗な深淵じゃないだろうが、俺もお前も」
 所詮どんな理由をつけたとしても、自分たちのしていることは、人斬りだ。綺麗な花を咲かせ
る死体程度の深淵は、持ち合わせていない。それでも、そうと理解して、境界線に凛と佇む切
っ先みたいな姿は、美しい花を咲かせる二面性を持つ花と何処か似ている。だから桜に魅入ら
れるな、と言いたい。もう十分、剣に魅入られ、愛されてしまった子供だ。これ以上、余計なも
のに愛されるな、と願ってしまう。
「お前なら、物の怪にも愛されちまいそうだなぁ」
「なんですかィ」
「なんでもね」
 莫迦莫迦しい発想に自嘲すると、土方は総悟の隣に並ぶ。ぽんぽんと小作りな頭を撫でると
、行くぞ、と歩き出す。
「アンタ本当に、心配性で困りまさぁ」
 総悟が呆れ顔で肩を竦めるが、嫌がっている様子は微塵もない。むしろ毎年のやり取りに、
軽く口を楽しんでいる様子が窺えた。




□ □ □ □ □

 




 屯所から五分程度の公園には、四木折々の花が咲く。春には桜や藤が色美しく咲き誇り、梅
雨には色とりどりの紫陽花が、夏には賑やかな向日葵が、秋には紅葉が色をつける。
 今は桜が咲き誇り、花見を楽しむ花見客が賑わいを見せ、それを当て込んだ的屋が軒を連
ねている。
「土方さん、綿菓子買ってくだせぇ」
「お前なぁ……」
 総悟は自分と出掛けるときは、財布を持たない。元々姉と二人で寄り添い、慎ましやかに育
ってきた所為か物欲がなく、買う物と言えば、駄菓子や団子の類が大半を占める。けれどそれ
さえ自分と出掛けるときは、支払わない。完全に財布代わり扱いだ。
「アンタ俺の財布なんだから、文句言わねぇで、さっさと買って下せぇよ」
「財布かよ」
「アンタにいつだって最初に、姉上からの着物見せてる俺に、何か文句でも?」
 悪戯を思いついた子供のような瞳で下から覗きこまれて、土方は半瞬見惚れた。こんな時の
総悟は本当に楽しそうで、何処まで判ってやっているのかと思うが、楽しそうだからいいか、と
ついつい許してしまう。所詮惚れた弱味だと自覚している。
 ミツバからの着物を一番最初に着て見せる相手は、他の誰でもない、自分にだ。そのことが
土方を倖せにしているのだと、総悟に自覚は薄い。言えば安い倖せだと、きっと笑うだろう。け
れど死線に身を置いているから、手近に転がる倖せが大事だというのが、土方の持論だ。
 江戸に出てきて最初の一年、総悟が姉からの着物を見せる最初の相手は近藤だった。それ
が土方に最初に見せるようになったのは、総悟の中の気持ちが動いたときだ。互いに気持ち
を確認し、肌を合わせたときから、総悟は近藤にではなく、土方に一番最初に見せるようにな
った。その意味程度、ちゃんと理解しているから、甘いと言われようと、多少の我儘は許してし
まうのだ。
「文句なんてねぇよ。っつか、俺以外に見せんな」
「そりゃ我儘ってもんでさぁ」
 だったらアンタのその着流し、俺以外に見せんなって言ったら、どうするんでィと、何処か拗ね
た総悟の口調に、土方は半瞬瞠然となり、次に笑みを深くすると、華奢な躯を抱き締めたい衝
動に駆られた。
「お前なぁ……」
 これだから無自覚はタチが悪い、と土方は内心で遠い眼をする。本当に桜みたいな奴だな、
と思う。性質は猛禽のくせに、性格はネコで、桜なんてタチが悪い。こうして昼間無邪気な面を
見せるくせに、夜の褥で見せる妖冶な気配は、花街の女より艶やかで始末に悪い。そのくせ
印象は何処までも清潔なのだから、土方の苦労は並大抵ではないだろう。
「文句はいいから、さっさと綿菓子買ってきて下せぇ」
 綿菓子を売っている店の前には、子供が数人群がっている。
「面倒くせぇな。金やるから、自分で行ってこい」
「嫌でィ」
「お前が食いたいんだろうが」
「俺の一番最初、見せてやった駄賃でィ」
「ったく手前は……」
 どうせどう言い繕っても、総悟に甘い自覚は嫌と言うほど持ち合わせている。土方は深く嘆息
すると、前方に見える店に足を向ける。
「そこで待ってろよ」
「待っててほしかったら、さっさと行きなせぇ」
「お前なぁ……」
 一体どんな言い草だとぼやきながら、土方は総悟から離れていく。その後姿をひらりと五指を
振って見送った総悟は、はらはら舞う花弁を見上げた。
 黒々と天に伸びる枝に咲き誇る薄紅の花。陽射しを透過し舞う花弁は、淡雪のように儚い美
しさを持っている。
「綺麗だねィ」
 引き寄せられるように両手を差し出すと、皮膜のような花弁がはらはらと掌に落ちてくる。
「あの野郎、昔から俺が桜に見惚れるの、嫌いだったからねィ」
 花のような口唇に薄い苦笑を浮かべると、総悟は静かに思い出し笑いを浮かべた。





「チッ……あのくそガキ」
 言ってる傍から、桜に取り込まれそうにしやがって。と、土方は綿菓子片手に、ひどく苦りきっ
た表情をして、足音も荒々しく、大股で歩き出す。擦れ違った子供が土方の纏うオーラに怯え
ていたが、そんなことは知ったことかと、桜の袂に佇む総悟に近付くと、総悟がふわりと花のよ
うな笑みを浮かべて、振り返った。それは煙花に紛れて現れた佐保姫のように、違和感のない
笑みだった。
 ――だから始末に悪いから、近づけたくねぇんだよ。
 閑舒な春霞の中に埋没している総悟の姿は、副長を副長とも思わない暴挙とも、一番隊隊
長として、討伐に戦陣切って駆けて行く姿ともかけ離れていて、土方を落ち着かなくさせた。
 出会った当初から、総悟は桜に溶け込みそうな気配を纏う子供だった。気配を断つことをあっ
さりとして除ける総悟にしてみれば、桜に溶け込んでいること事態が恐ろしかった。まるで連れ
てゆかれそうな雰囲気だったのだ。少なくとも土方にとっては。
 普段クソ生意気な子供が、桜を見上げて無邪気に笑っている姿は、微笑ましいの一言に尽き
るが、ほんの一瞬垣間見せた溶け込みそうな気配に、土方はゾッとしたことを今でも覚えてい
る。間違いなく桜に魅入られている、と直感してしまったくらい、その時の総悟の気配は、桜に
魅入られていた。それからだ、総悟が桜に近付くことに神経質になったのは。元々桜は美しい
反面、伝承の類に含まれるものは、何かと血腥い悲哀が多い。
「総悟」
「アンタのそれはもう病気ですぜ」
 苦りきった土方の表情に心底呆れると、総悟は土方の手に在る綿菓子を奪い取る。赤い舌
がペロっと舐めて、甘ぇと嬉しそうに笑う姿は、年不相応に幼い。それは武州時代の幼い総悟
と大差ない。土方の中には、成長した今の総悟と、いつまでも宝物のように腕に閉じ込めて誰
にも見せたくない幼い総悟が混在している。
 クソ生意気なガキが、蛹から羽化して綺麗な蝶に成長したような錯覚に陥るとき、いつだって
土方は総悟を腕の中に閉じ込めたまま、誰にも曝したくない独占欲に駆られるのだ。桜にだっ
て、剣にだって、渡したくない。そんな碌でもない独占欲だ。けれど剣に愛された総悟は、それ
が存在しない場所で生きていくことは難しいことも判っている。
「お前は剣に愛されてんだ、それで十分だろうが」
「ふーん?俺はアンタに一番愛されてると思ってやすけどねィ?」
 アンタ俺の男じゃなかったでしたっけ?と綿菓子を舐めながら臆面もなく言い切られて、土方
は盛大に紫煙に噎せた。
 綺麗な顔は面白がっているくせに、冗談を言っているようには見えない。つまりは本気でそう
思っている、ということだろう。確かに幼い総悟を自分のモノにした自覚があるから、言い切ら
れて嬉しくないはずがない。
「旦那に言わせれば、アンタが俺を呼び戻してるらしいですからねィ」
 旦那も判らねぇお人だ、と総悟はひらひら舞う桜を眺めながら、綿菓子を堪能している。
「嫌な野郎だ」
「アンタと旦那は同属嫌悪でしょ。似てやすよ、アンタら」
「似てるか!」
「似てやすよ」
 似すぎてて、判らないだけでさぁと、総悟が綿菓子を食べつつ、歩き出す。その後を追うよう
に、桜がひらひらと亜麻色の髪に落ちていく。
「何もかも一人で背負い込んで、誰かに預けようとしない部分なんて、とくにね」 
 アンタら二人とも、性質っていうか、根っこの部分がよく似てやすよ。総悟が可笑しそうに笑う
のに、土方は苦虫を噛み潰したように眉を寄せ、深く紫煙を吸い込むと、吐き出した。
「珍しいな、お前が俺に対して過大評価するなんざ」
「そうですかィ?」
「じゃなかったら、俺を副長の座から蹴落とそうなんてしないだろうが」
「そりゃ過大評価ってもんでさぁ」
「……お前、過大評価の意味判ってるか?」
「アンタ俺を莫迦にするんですかィ?」
「事実を過大評価って言われたら、そりゃちと心配すんだろうが」
 剣の腕は真選組随一とはいえ、幼い頃から剣にのめりこんできた反動で、頭脳となると、平
均か、それ以下だというのが隊内の共通認識だ。尤も、戦陣に関しての勘は、理屈を抜きにし
て冴え渡るから、土方の布陣に対して誰より飲み込みが早いのも総悟だ。
政治的な問題は抜きにして、物事の本筋を視るチカラは、剣の腕同様、生来の才だろう。その
反動で他のことが後回しになるのは、引き換えだろうと土方は知っていた。
「アンタを蹴落とすのは、俺が近藤さんの横に立ちたいからでさぁ」
「俺はお前の男じゃないのかよ?」
「だからアンタには俺の背中預けてやってるんじゃないですか」
 俺はアンタ以外に、背中なんて預けないって知ってるでしょ?と笑われて、土方は肩は竦め
た。桜に負けるとも劣らない柔らかい笑みは、事実しか語っていない。
 斬り込み隊長である一番隊隊長の背中は、誰にでも守れるものではない。それは絶対的な
信頼と、同等の剣の持ち主でなければ、到底補えないものだ。その背を預けられているという
ことは、普段どれだけの暴挙を差し向けられたとして、信頼されている、そういうことだ。でなけ
れば、総悟が一番無防備な姿を見せるはずもない。戦いの最中でも、夜の閨でも。
「俺の初めてをアンタにやってばっかりでさぁ」
 アンタ初物食いって嫌いそうに見えんのに、と揶揄われて、土方は再び噎せる羽目に陥った。これは総悟と初めて関係した夜にも、言われた科白だ。
 初物なんて手間隙かけるだけ面倒だと思っていたから、関係してきた女は、男と関係するこ
とに慣れた女が多かった。遊びを遊びと割り切れた女の方が、後々に後腐れがない。そう思っ
ていた自分は未々青かったと思い知らされたのは、総悟への気持を自覚したときだ。
 総悟を手に入れたいと悶々と悩んだ月日。誰かにかっ浚われる前に自分のモノにしてしまい
たいと悩みながらも、ずっと手を出さずにいた苦労を、初物食いが面倒だから、の一言で片付
けられては堪らない。真剣だからこそ、衝動に任せて手を出すことはできなかった。
 慣れた女と適当に関係していた土方にとって、恋愛はそれこそ初めてと言ってよかった。
それだけにどう接して良いのか、悩んだのだ。関係した最初の夜にそう言ったら、ヘタレだった
んですねィと、総悟は可笑しそうに、それでも嬉しそうに笑った。
「これからも、初めては貰うぞ」
 四季折々に贈られてくる着物を一番に見たいと思う。誰にも見せずに閉じ込めて、自分だけ
のモノにしたいという執着と独占欲を、それで帳消しにしてやっているのだから、安いものだろ
うと、土方は身勝手にもそう思っているのだ。
 総悟が一番ラクに呼吸ができる場所は、おそらく人の命が行き交う場所だ。桜の下に埋めら
れた死体みたいに綺麗な深淵では生きられない。そういう子供だ。真っ赤な血の中で、真っ白
い花を咲かせられる、稀代の生き物。それが総悟自身を苦しめたとしても。剣から愛された子
供は、そう運命付けられている。そんな物騒な場所から引き離したいと思いながらも、そうでき
ない。だったら自分は精々守るしかないのだ。死線で俯くことなく、凛と佇む切っ先みたいな綺
麗な姿を。誰よりも傍で。
「どうせ嫌だって言っても、アンタは勝手にそうするでしょ?」
 食べ終わった綿菓子の串を近くのゴミ箱に放り投げて、総悟は振り返る。
「ああ」
 紫煙を吐き出し、細い腕を引き寄せれば、薄い躯は抗うことなく腕に収まった。
「アンタねぇ……」
 心底呆れた、という表情を見せる総悟は、けれど嫌がっていない。呆れてはいるが、陽射しを
透かして瞬く赤い虹彩は、楽しそうに笑っている。
「俺が桜に近付くの由としないくせに、どうしてこういうことだけは手が早いんだか」
 花見客で賑わう公園の一角、咲き誇る桜の下に薄い躯を太い幹に押し付けると、圧し掛かる
ようにして腕を回す。
 公園の敷地をぐるりと囲む桜樹は、それでも人が集まるのは中心部が多い。二人が居る場所
は其処から外れて、入り口から一番から一番遠い場所だ。だから人は少ない。賑わいからは
少しばかり離れている。
「だから、見せ付けてやるんだろうが」
 さらりと亜麻色の髪を梳くと、淡雪みたいな薄い花弁がひらりと落ちる。足元には花弁が絨毯
のように散っている。
 節だった指で幾度も髪を梳けば、総悟はネコのように喉を鳴らしそうに眼を細め、気持ち良さ
そうにしている。そのくせ開く口は、憎まれ口を叩くのだ。その真逆さが可愛いと思うのだから、
恋は盲目だな、と土方は内心で自嘲する。
「ガキですか?アンタは」
「いつだってお前相手に余裕なんざあるか」
「だからヘタレって言うんでさぁ。花街の帝王が聞いて呆れらぁ。ガキ相手に」
「おーおー、総悟君は大人だな。ガキの自覚がやっとできたってか?」
「アンタの中じゃ、俺なんていつだって成長しないガキのままでしょう?近藤さんもそうだけど
、二人とも過保護すぎまさぁ」
 俺はね、と、総悟が下から覗き込むように笑って、花のような口唇を綻ばせて口を開く。
「俺はね、別にアンタの宝物でいたいんじゃないんですよ」
「お前が宝物で満足してくれてたら、俺も近藤さんも、ラクだって話しだな、そりゃ」
 そうしたら幾重もの宝箱を重ねて、その中心にしまってやるのに、と、土方は苦笑する。
「俺がおとなしくそんなものに納まったら、アンタ満足しないでしょ?なんだかんだ言ったって、
アンタは剣振り回してる俺が大好きなんだから」
 だからアンタの屈折した執着とか、独占欲は判ってるから、精々好きにしなせぇ、そう笑う総
悟に、土方は目を点にする。何やらとんでもない科白を聴いた気がする。
「俺だって、アンタ甘やかす程度のことはできるって話ですぜ」
 してやったり。そんなふうに笑う総悟に、土方は複雑そうな貌をする。ガキだガキだと思って
いたら、いつのまにか大きく羽化していた。随分と化けたものだと思っていると、内心を読んだ
かのように、総悟が再び口を開く。
「これからも振り回してやるから、精々おたおたしてなせぇ」
「……お前が本気で俺振り回すのってタチが悪すぎるから、勘弁してくれ」
 総悟が本気で自分を振り回して遊ぼうとしたら、タチが悪すぎる。ハッキリ言って、敵うと思え
ない辺り、情けない。
「俺が全力で振り回すのなんて、アンタだけですよ」
「他の奴とは遊べないってか?」
 さらりと亜麻色の髪を梳く指先が、滑らかな輪郭を描く頬に触れる。数回撫でるように触れて
から、やんわりと節だった指は口唇に近付き、親指の腹で、そっと薄い口唇をなぞっていく。
「おや?土方さんは、俺が他の奴と全力で遊んでも構わないってことですかィ?」
 くすりと笑うと、口唇をなぞる指を、小粒の歯で甘噛みされる。まるでネコが戯れるような甘噛
みは、却って土方を煽るだけだ。
「煽るなよ」
「見せ付けてやるって宣言したアンタが今更」
 だからアンタ、ヘタレなんでさぁと、細い腕が挑発するように土方の首に回る。
「閉じ込めてやろうか?」
 瞬く白い瞼に口唇を寄せれば、極自然にそれは閉じられる。長い睫毛が陰影を落とす。慣れ
た仕草と間違えないタイミングに、二人で紡いできた時間の長さを思う。密着する躯から、ゆっ
くりと体温が伝わってくる。
 口唇を離して正面から見詰めれば、下から上目で見詰められ、だからこいつは始末が悪い、
と内心で毒づいた。威力がありすぎるのだ、総悟の双眸は。これじゃぁ、そこいらの相手は吸い
寄せられてしまうだろう。
「アンタにそんな甲斐性、ないでしょう?精々が過保護に甘やかして心配するだけで」
「そうでもないけどな」
 甲斐性、甲斐性とくるかい、と、土方は遠い目をした。総悟の中で自分は一体どんな評価を受
けているのか、放り投げられた科白に、今ひとつ自信がなくなる。
「飽きるまで俺を閉じ込めて、好きなだけ抱いて、愛してるって言うくらい、アンタ平気でやれる
でしょうけど」
「……お前の俺への評価はそんな奴か?」
「男って総じてそうだろィ?」
「あのなぁ、お前そういう話し、誰から聞くわけ?そんな子に育てた覚えないぞ、俺も近藤さん
も」
「だからアンタは俺に夢見すぎって言われるんですよ。男所帯で育って、それくらい知らなきゃ
箱入り息子でしょうが」
「その箱入り息子に育てた自慢してるぞ、近藤さんは」
「だったらアンタは、近藤さんの掌中の珠の俺に手を出した時点で、切腹でさぁ」
 近藤には、二人の関係は秘密だ。総悟のことを我が子みたい可愛がり、大切にしている近藤
に、我慢しきれず手を出してしまいました、と白状することは憚られた。いずれは話すときがくる
としても、今は未だ次期尚早だろう。近藤事態が子離れできていない親みたいな部分がある
のだ。あれだけ志村妙にストーカーしているというのに、総悟に対しては過保護な親以上に過
保護だ。その証拠に、近藤は未だに総悟は性に関しては無関心で、何も知らないと思っている
のだ。その総悟が、まさか自分に抱かれて気持ちよく喘いでいると知ったら、憤死しかねない。
「閉じ込めておとなしい俺なんて、アンタはすぐに飽きちまいますよ。言ったでしょう?アンタは
剣振り回してる俺に惚れてるんだから、閉じ込めておとなしい俺なんて、すぐに興味なくす」
 俺も、俺を閉じ込めて、愛してる、なんていう土方さんには興味なくしやすぜと、総悟は可笑し
そうにくすりと笑う。
「まぁ、たまには愛欲の日々も悪くないかもしれないけどねィ」
「お前なぁ、だから誰からそんな話し聞いてやがる」
「主に隊士たちが見てる昼ドラですかねィ。ドロドロの愛憎渦巻く昼ドラって、案外人間の根っこ
にあるもの映してて面白いですぜ」
 紛い物の嘘くささしかないくせに、真実映してるみたいで、と笑う総悟に、土方は眉間に皺を
寄せ、額を押さえた。
「今度から昼ドラ禁止だ」
「今更そんなの禁止にしても意味ないですぜ。俺を一から十まで、自分好みに仕込んだ張本人に、説得力なんてありやせん」
 映像で見る紛い物より、余程タチの悪い愛欲を植えつけておきながら、アンタも相当夢見が
ちだと、総悟が呆れるのに、土方は苦りきった貌をする。
「まぁ、アンタがどうしてもって土下座するなら、一日くらいなら、閉じ込められてやりますけどね
ィ。露天風呂付きの個室なら」
「温泉旅行に連れてけってか?」
「アンタも少しは骨休みしなせぇ」
 だから一人で背負う部分が似ているって言うんですぜ?と総悟が言うのに、それ意味違うだ
ろう?と土方は嘆息を吐く。それでも、総悟の中ではあの白髪だか銀髪だか判別の付かない
男と一緒なのかと思うと、些かげんなりする。得体が知れないという意味では、そこいらの攘夷
志士より得体が知れない男だ。
「まぁ、検討しとく」
「遠出しなくても、江戸にだって温泉はあるし、箱根あたりまで足伸ばせば、それなりにいい温
泉宿あるし。可愛い恋人のおねだりだ、一日、二日くらい、予定明けて付き合う甲斐性、見せ
てほしいもんですねィ」
 まぁシティホテルに一日閉じこもりっきりでも構いませんぜ。と、総悟の中では壮大な愛欲の
日々計画が進行しているらしい様子に、土方はそれも悪くないか、と満更でもない計画を立て
ようと、脳内で今後の予定を反芻する。
「精々期待しないで、待ってまさぁ」
 アンタ、ヘタレですからねぇと、白く細い指が土方の無造作に切られた黒髪に伸びる。土方の
黒髪にだって、淡い花弁は落ちている。それをさらりと除けると、
「土下座はしねぇぞ」
「俺が一日付き合ってやるってのに」
「可愛い恋人なら、可愛らしくおねだりしてみろ」
「リンゴ飴買って下せぇよ」
「……旅行の話し、してたよなぁ?」
「いつになるか判らない話しより、目先の楽しみでさぁ」
 あっちにありますぜ、と細い指が示す方向には、確かにリンゴ飴という文字が見える。
「食い気が優先かよ」
 だからガキなんだ、と卵の先端のよう形良い頤を掬い上げれば、総悟は一瞬だけ、夜の気配
を垣間見せる。
「昼間っから見せていいなら、見せますけどねィ?」
 夜の褥で土方にだけ見せる、妖冶な気配。性とは無縁な顔をしているくせに、既に男を知っ
て奔放に振舞うことも覚えている子供は、夜になれば別の生き物のように、土方を魅了する。
 一から十まで、自分好みに躾けた躯は、生涯男としての機能を果たすことはないのだろう。
総悟に女を教えるつもりはない。自分だけの為に躯を開けばいい。その証拠に、総悟の粘膜
は既に自分の形を覚えたかのように、穿てば貪欲に絡み付いてくる。
「俺以外に見せるなよ」
 昼間の顔も、夜の顔も、知っているのは自分だけでいい。対極の顔を持つ総悟は、だから桜
みたいだというのだ。同じものは、引き寄せられる。だから近づけたくはない。
「だったら文句言わずに飴の一つや二つ、買ってきなせぇ」
「俺にも食わせろよ」
「アンタ、甘いの苦手でしょうが」
「お前の躯は何処も全部甘いだろうが」
「アンタが花街の帝王ってガセじゃねぇの?」
 何その使い古された科白と、笑う総悟の口唇を、啄んで塞ぐと、憎まれ口とは相反し、総悟の
口唇は従順に反応する。
「ん……っ」
 甘ったるい吐息が口唇から零れ、土方の首に回る腕が縋るように力がこもる。
「んん……っ、ん……」
 薄く開かれた口唇から舌を忍ばせ、狭い咥内を堪能する。歯列の裏から柔らかい内部の粘
膜をぐるりと舐め回し、舌を絡ませる。縺れるように絡み合う舌を吸い上げれば、腕の中の華奢
な躯がびくりと引き攣るように顫えるのが判る。どれだけの憎まれ口を叩こうが、総悟はキスに
弱い。悪態を叩く口を黙らせるには、キスをすれば大抵の場合はおとなしくなる。逆に言えば、
悪口雑言は総悟からの挑発だと最近は思っている。
「あ、んん……っ」
 顫える躯を幹に押し付け、後頭部に片手を回して思い切り引き寄せる。逃げ場などない場所
で拘束されて、咥内を征服される甘さに、総悟は甘ったるい嬌声を漏らす。
「ん、ん……あ、ん……」
 狭い咥内で縺れる舌を千切れるほど吸い上げると、細い躯が靭やかに撓い、白い喉が上下
する。それを見逃さずに、撓う腰を抱き寄せれば、総悟の腕がしがみついてくる。密着する躯か
ら互いの熱が伝わり、融けそうになる。脳髄に桜みたいな白さが漂い始め、それに侵蝕される
前に口唇を離す。これ以上甘ったるい咥内を貪ってしまえば、それだけですまないことは判りき
っている。
「アンタ、サイテーだ……」
 甘ったるい吐息を吐き出して、赤い虹彩は熱を浮かして瞬いている。吐息する呼吸はひどく
甘く、空気の色さえ変えてしまいそうだった。
「その眼やめろ」
 目尻に浮かぶ涙を親指の腹で拭ってやると、総悟は淫蕩に煙る視線を眇めた。熱の浮く視
線で睥睨されても、それは却って男を煽るだけだ。
「煽ったアンタが悪いんだろィ」
 桜にまで独占欲とか、アンタ本当にサイテーでさぁと、総悟はぶつぶつ文句を言うと、土方の
腕から抜け出した。
「さっさとリンゴ飴買ってきて下せぇ」
「へいへい、俺はお前のパシリか?」
 不貞腐れた総悟の髪を梳き、耳元で、続きは屯所に帰ってからなと囁くと、白い頬が桜みた
いに色づいていく。
「アンタやっぱりサイテーだ!」
 讒謗を軽くかわして、可愛い恋人のねだるリンゴ飴を買いに、店に急ぐ。ちらりと背後を間視
すれば、桜の幹に寄りかかり、顔を赤くした総悟が見えて、土方は満足そうに笑った。






 差し込む陽射しに煙花を醸して、周囲の空気が淡く染まる。微風に揺れるそれは一斉に枝か
ら離れ、規則性も法則性もなく、淡雪のように宙を舞う。
 ちらちらと万華鏡のように落ちる花影が、灰桜色した総悟の着物に落ちると、それは一つの
模様みたいに見える。丁度色合い的にも適したそれは、まるで柄のようだ。
「花衣だな」
「なんでさぁ?」
 数歩前を歩く総悟が、振り返る。土方が買ってきたリンゴ飴を舐めている顔は、ひどくご満悦
だ。
「花衣」
「?」
 小首を傾げた拍子に、さらりと亜麻色の髪が揺れる。その髪に薄い花弁が落ちる。
「桜襲の衣のことだよ、本来はな。昔は表と裏や衣と衣の色にも色々約束事があったみたいだ
けどな。今は花見のための着物のことだ。俳句だと、確か春の季語だな」
「副長は無駄知識も多いんですねィ」
 何処の誰に教えられたんだか、と総悟が一面白くなさそうに眇めてくる。
「妬いてんのか?」
「ここで妬かなきゃ、何処で妬くんでィ」
「こういうときだけ素直なのも考えもんだな」
 鷹揚に笑うと、亜麻色の髪をやんわりと梳く。
「言ってきますけど、俺はアンタと同じく、独占欲強いんですぜ?」
「知ってるよ」
「アンタ本当に、ムカつく男だ」
「まぁ昔のことだよ。正確には、俺が言いたいのは落ち葉衣だってことだけどな」
「なんでィ、そりゃぁ」
 リンゴ飴を舐めながら、それでも髪を梳く指を叩き落さないのだから、総悟も素直だ。
「紅葉とかな、葉陰が着物に落ちて、柄みたいに見えることなんだけどな、今のお前の着物が
そうだって思ったんだよ。丁度灰桜で色もぴったりだしな」
「ふーん?」 
 訝しげに眉を寄せ、総悟は着物の袖を見たり、胸元を見たりしている。さらりと振ってくる花弁
や、陽射しが差し込む花影が、着物にうっすらと影を落としている。
「自分だと判りづれぇかもしれないけどな」
「そんなもんですかィ?」
「ああ、綺麗なもんだぜ。一つの模様みたいに見える」
 白とも紅とも判別の付かない綺麗な花弁が織り成す花影。差し込む陽射しにちらちらと万華
鏡のような影を落とす。それは一つとして同じものがない。
「だったら、来週の花見に、近藤さんに自慢しまさぁ」
 姉上の作ってくれた着物は、センス抜群だって、と、総悟は嬉しそうにしている。
「来週の花見、俺は仕事だから、お前あんま羽目外すなよ」
 真選組は毎年この時期、この場所で花見を行うが、全員で屯所を空にすることも、全員を非
番にすることもできないため、どうしても花見に参加できない者も出てくる。特に隊内のトップス
リーの自分たちが全員揃って仕事を非番にできる筈もなく、大抵土方は自分を仕事に割り当て
ている。局長の近藤を花見に参加させないわけにも行かないので、必然的にそういうシフトに
なってしまうのだ。けれど花見に参加できない隊士のために、その日の昼はちょっと豪華に、
花見弁当が振舞われる。
「屯所から五分程度だ。心配なら、アンタ息抜きに来なせぇ」
 仕事中の隊士たちだって、屯所から至近距離のこの場所に、順番でちょっとずつ顔を出して
いるのだ。その日は副長の土方も、隊士のそれには目こぼしをしている。
「サボりを強要すんなよ」
 仕方ない奴、と苦笑すれば、総悟は花笑みを浮かべ、歩き出す。
「過保護で心配性のアンタだ。桜の中に俺を放置はできないでしょう?だったら文句言わずに
休憩にくれば丁度いい」
 そしたら花盗人くらいには、なってやりまさぁと、意味深に言うのに、土方は少しばかり関心す
る。
「よく知ってたな?」
 それも昼ドラ知識だろうか?花盗人は一般的には花を盗んだ男の狂言が有名だったが、盗
むという文字には、人目を忍んで物事を行う、という意味がある。つまりは総悟の言いたいとは
、隊士たちの目を盗んで、キス一つや二つはしてやる。そういう意味だろう。変な部分で情緒
がある。一体誰からの知識かと思う。ミツバとは考えにくいし、万事屋とも考えにくい。というよ
りは、万事屋とこんな会話をされていたら、恋人として些か情けない。
「月が綺麗ですね、って言うのと、同じだって」
「お前、マジ誰に聞いた?」
 剣以外には興味が薄く、世情には疎い子供だ。情緒とは無縁の筈だった。それなのに、と本
気で心配になってくる。一体何処の誰に植え付けられた知識だ?
「ザキでさぁ。あいつ監察の所為か、色々知ってて」
「山崎だぁ?」
 ――あの野郎、何人のモンにいらねぇ知識植え付けてやがる!
「大体どういう状況でそんな話しになったぁ!」
「ん〜〜正確には、ザキだけじゃなくて、原田とか終とか居ましたけどねィ。アッ、近藤さんもい
たなぁ」
「……」
 ――近藤さん、アンタ箱入り息子に何教えてやがる?
「テレビ見てて、女の口説き方とかやってて、それで」
 俺には未だ早いって近藤さん言ってたんですけどねぇ、ザキたちは面白がって色々教えてく
れましたぜィ。
「今時そんな口説き文句通用する女はいねぇよ」
「でしょうねぇ。今は女も男も明け透けだから、風流とか無理だろうって原田とか言ってやしたし」
 ただ花街の帝王の副長なら、あの手この手で女喜ばす手管にはことかかないだろうって笑っ
てましたよ。総悟が面白そうに言うのに、土方はあいつら切腹だ!と、内心で苦々しく舌打ちす
る。それを見透かしたのだろう。総悟がくるんと振り返る。
「アンタにしか盗まれてやる気ないから、精々頑張って花盗みに来る甲斐性ぐらい、見せなせぇよ」
 花みたいに笑う総悟に、それこそ土方が敵う筈もない。リンゴ飴を堪能している赤い口唇に
魅了され、土方が一瞬を掠めて口唇を啄んでいく。さらりと緩い風に花弁が舞い、二人の姿を
周囲から隠すタイミングを見誤らず、甘ったるい口唇を掠め取ると、
「俺に盗まれるの、焦がれて待ってろ」
 土方は悪い男の表情をして笑った。