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| 過去と未来の狭間 act 2 |
リョーマの家の外壁に背を凭れ、ボタンを止めないコートの内側に細い躯を抱き寄せたまま、桃城は 左手首に嵌めた腕時計に視線を移した。 冬休みの始めで、イブの所為だろう。深閑とした住宅街の明かりは、未だ完全に落ちることはなく、等 間隔に点在する街灯以外にも住宅街の明かりが結構多い。けれど誰も寒い季節の夜、物好きにも窓を 明け、意味もなく外を眺めている者はいないだろうから、リョーマは桃城の懐に潜りこんだまま、ネコの ような仕草で時折寒そうに身動いでいる。 「もうすぐ、今日が終わるな」 静かな声が、リョーマの耳に落ちる。 黒いコートが呆れるくらい様になり、ちょっと袖口を捲り時刻を確認する仕草は、リョーマが呆れる程大 人の男の気配を身に付けている桃城だった。 「うん……」 桃城の時計を覗き込めば、長針と短針はあと数分で重なりあう時刻を示している。 結構長い間こうしている感じがしたものの、実際の時間はさして流れてはいなかった。それなのに足許 から凍えていく寒さに、リョーマはフルッと身動ぐと、更に桃城の懐に潜り込む。 「ねぇ、カイロ用の缶ココアないの?」 「寒いか?」 「決まってるでしょ」 「カイロなら、タヌキ連れてくるか?」 「寝た仔、起こさないで」 先刻まで甘えたに戯れ付いてきた愛猫は、きっと今はベットの上で丸くなって眠っているだろう。 暖房を切ってしまえば長毛を纏うカルピンでも寒いのか、最近ではリョーマのベッドがカルピンの寝床に なっている。 可愛らしい寝顔を曝す愛猫を思いだしているのだろう。リョーマは電気を消さずに飛び出してきた自室 の明かりを見上げ、クスリと小さい笑みを刻み付けた。 「やっぱ寒いな」 「だからそう言ってるじゃん」 小春日和に包まれていた昼間は、けれど深夜になれば寒いのは当然だ。それでなくても今年は気象 庁が暖冬予報を厳冬に修正し、東北地方は既に豪雪の被害が出始めているくらいだ。 けれど逆に東京は雨らしい雨も降らず、乾燥しきっている。 「こんな寒いんだから、ホワイトクリスマスでもいいと思うんだけどな」 「似非ロマンチスト」 決してロマンチストなどではない桃城の科白に、リョーマは呆れた笑みを滲ませる。 「第一雪なんて降られたら困るじゃん、明日は午後から部長とテニスなんだから」 明日の午後、ストリートテニス場でテニスをする約束を手塚に取り付けたリョーマだったから、明日は なんとしても晴れてもらわなくては困るのだ。 「本当にお前、部長のこと好きだよな」 「あんただって」 桃城が手塚に寄せる尊敬を、知らないテニス部員は、恐らく存在しないだろう。 今年の新入部員には天上人に近しい意味合いを持つ手塚の存在は、けれどリョーマ達二年生部員ま でになら、共にテニスをした記憶は鮮明で、だから手塚の後を引き継いだ桃城が、前任者と比較される 重圧に押し潰されず、苦悩も覗かせないことが不思議だったのだから。 プロからも注目されていた手塚から、部長職を引き継いだ桃城だ。普通の者なら手塚と比較される重 圧に押し潰されていただろう。けれど桃城は違った。素直に手塚を尊敬し、決して身の裡の苦悩など欠 片も覗かせず、飄々と部を纏めていた。桃城の部長としての苦悩を知っている者がいたとしたら、それ はリョーマではなく、副部長だった海堂だけだろう。 「部長がストテニに現れたら、絶対お前部長と試合できないと思うぞ」 その時の状況が容易に想像できて苦笑すれば、リョーマは桃城の科白に途端に憮然となった。 海外で早くも頭角を顕し始めた手塚は、間違いなく、これから日本テニス界を背負っていく存在で、南次 郎が描いたテニス界百年構想の一角を為す存在だろう。そんな手塚が当たり前の顔をしてストリートテ ニス場に現れたら、競って試合したがる人間が、あの場所には集まり過ぎる。 それでなくても近隣のテニス部員は、一体何処にそんなツールを張っているのか、情報を拾ってくる人 間が多いから、手塚が帰国していることを知っている人間も少なくはないだろう。だとしたら、明日は穏 やかに懐かしい面々とテニスをする余裕は、きっと与えてはもらえない筈だ。そして桃城のそんな内心 は、正鵠を射ているものだった。 「……あんたも、その内の一人でしょ」 「そりゃ当然だろう?」 「俺の誕生日プレゼントじゃなかったの?」 今は言えない口無し色。周囲を鮮やかな梔子色に染め替える光景に、言葉遊びのように引っ掛けた 言葉で与えられた思ってもいなかった誕生日プレゼント。 一体何処の誰に教えられたのか?そう考えると、少しばかり面白くないリョーマだった。どうせ初体験 の従姉妹にでも教えられたのだろうと、桃城の機微には鋭いリョーマには丸判りだ。 「言っただろう?どんなプレゼントより、お前にはいいと思ったんだよ。お前、物とか欲しがらないし」 実際、リョーマの誕生日に何かを贈るとしても、桃城には何を贈ったらいいのか判らなかったというの が素直な本音だった。 リョーマは物に執着しない。何かに執着するなら、プレゼントも贈りやすいだろうが、リョーマは物に執 着するタイプではなかったから、桃城は何を贈ろうかと考えた時。思い付いたのは一つしかなかったの だ。そして国際電話をかけた。 金を積んで買えてしまうものなど、きっとリョーマは欲しがらない。それだけは判っていたから、桃城は 頭を悩ませ、そうして国際電話の向こうの懐かしい人物に、帰国日時の調整を計ってもらったのだから。 きっと今のリョーマに必要なものの少しでも与えてくれるなら、自分ではなく、手塚だろうと桃城には思 えたのだ。リョーマのテニスに力を与え、苦しむと承知して、リョーマに柱を託した手塚しか、桃城には 思い付かなかった。 「莫迦だね」 桃城の腕の中、リョーマは可笑しそうにクスクス笑う。 確かに、自分のテニスに力を与えてくれたのは手塚だろう。 『越前。お前のテニスを見せてみろ』 夕暮れ時の高架線の下。端然と告げた手塚の言葉を、その時の情景を、リョーマは今も鮮明に覚え ている。けれど自分の内側の一切を、守ってくれているのは手塚ではなく、桃城だ。そしてテニスは楽し いものなのだと思い出させてくれたのは、青学という場所そのものだ。 「ねぇ?桃先輩。部長との試合の一番籤は譲ってあげるから、プレゼント頂戴」 悪戯を思い付いた子供のように、小首を傾げ意味深に笑えば、無防備なリョーマの姿と科白に、桃城 は大仰な溜め息を吐いた。 「お前、一体俺から幾つ、プレゼント貰うつもりだ?」 呆れた苦笑を滲ませながら、それでもリョーマに甘い桃城は、咎める口調も覗かせず、告げられた望 みを当たり前のように叶えようとする。それはこんな局面でのリョーマの科白は、決して金銭的なやり取 りの代物を欲しがらないと判っているからで、胸の内の何かを、分け与えようとするものだと知っている からだ。 「コレ」 頂戴?無邪気な笑みに紛らせたリョーマの科白。細く白い指先が、桃城の左手首を指差せば、桃城 は少しばかり驚いた表情で小作りな面差しを凝視した。 思ってもいなかった方向のプレゼントを要求された、桃城の貌はそう物語っている。 「時計?」 「そっ」 ダメ?リョーマの指が、桃城の時計の文字盤に触れる。 凍えた冷気に曝されていた所為で、時計は指先に冷たい感触を落としていく。 「ん〜〜ダメじゃないけどな」 手軽な価格で買える時計は、父方の祖父が中学の入学祝いにと買ってくれた代物だった。 男は年相応に会わせ、一流の物を持たなくてはならないというのが祖父の持論だった。それは何も世 間の流行に合わせ、ブランドを持てといっているものではなかったから、祖父はかなり昔に買った鞄や 時計を丁常に使用し、今も愛用している。 長年愛用している鞄は年期が入った代物で、使い慣れた暖かさが感じられた。スーツもオーダーメイ ドで注文している為、十年経っても縫製が痛むことはなく、常にカッチリした印象を崩さない。 それは官僚だった祖父なら、当然のものだったのだろう。けれど無駄金を使うことはなく、常に一流の 物を使用していたから、逆にそう頻繁に買い換える必要はなかったのだ。 男なら一流の物を持ち、それをしっかり使いこなせ。それが祖父の持論だ。逆にそれはブランド志向に 踊らされ、虚勢を身に纏わなくては安心できない無知な子供にはなるなという戒めが含まれている。 個性という割に、今時の子供は誰もが他人との境界線をなくしたがり、誰もが無個性にブランドを付け て安心する。そんな莫迦な子供にはなるな。自己肯定できるている人間は、そんな世間の流行に惑わ される必要は何処にもないのだから。 そんな言葉にされない祖父の願いを、桃城も理解していた。祖父が中学の入学祝いに贈ったスイス 製のハミルトンのカーキーは、中学生らしい年相応さで、以来桃城の腕を飾ってきた。矍鑠とした年齢 の割には、遊び心も忘れない祖父は、ハミルトンのカーキーが、ミリテリーウォッチと理解して、贈ったに 違いないのだ。カーキーの種類は軍用に製造されている為、耐水性などの面に優れたもので、年間数 秒と誤差が生じない優れ物だ。 言葉にされない祖父の願いがこもった時計を、勝手に贈っていいものだろうか?けれどあの祖父なら、大切な人間に贈ることを、咎めたりはしないだろうとも思え、そして視線がリョーマの右手首に伸びた。 「じゃぁ、いいでしょ?」 疑問符を付けた科白は、けれど確認の意味さえ持たず、リョーマは桃城の腕からリストウォッチを取り 外していく。 「だったらこっちは、俺のもんだな?」 深い笑みを刻み付けると、桃城はリョーマの手首からウェンガーの時計を外していく。 「親父さんも、案外遊び好きだよな」 細いリョーマの手首を飾っていた時計は、当然桃城の腕に合う筈もなく、桃城はリョーマの腕から取り 外した時計を翳しながら、苦笑する。 腹の底に切っ先の刃を隠し持つ南次郎は、けれど案外と遊び好きだ。息子の入学祝いに祖父と変わ らずミリタリーウォッチを贈っている辺り、案外自分の祖父も南次郎と似たり寄ったりの曲者なのかもし れないと、桃城は初めて気付いた。 「お前全然知らなかったのか?これ、俺のとタイプは同じだぞ」 「何が?」 クツクツ喉の奥で笑う桃城に、色素の薄い空色の瞳が、不思議そうに瞬きを繰り返す。折れそうに細 い首が、キョトンと傾いだ。 「ミリタリー系」 「……ハッ?」 「軍用物だってことだよ」 それぞれメーカーこそ違うものの、どちらもその方面では有名な時計だ。 「っんの、クソ親父」 苦々しげに呟くと、リョーマは桃城の時計を腕に嵌めようとして、それを桃城に掬い上げられた。 「返さないよ」 桃城が何を考えているのか判らない。言葉にされない架空の未来の有り様。桃城はもうかなり以前 から、不確定なそれを選び取っている予感が、リョーマの深奥を重く凍えさせる。そして父親である南次 郎が、自分の知らない桃城の行く末を知っている理不尽さが、胸の奥に焦爛を刻んでいく。 言葉にしてもらえないのは、自分が不安定だからだろうか?桃城は決して自ら選んだ道を、悔いたり はしないだろう。未だ子供だからという免罪符を、きっと口にはしない。だとしたら、話して貰えないのは 自分に原因があるからだろうという推測程度、リョーマにも判るものだった。 たった一年の年齢差が、途方もなく重くのし掛かるのはきっとこういう局面だ。そしてそれはこれから 増していく一方だろう。だからこそ、自分の知らない桃城の時間を刻んできた時計が欲しかった。随分 乙女思考だとは思うものの、思ってしまったら感情は抑えようがなかった。 「慌てるなって」 睥睨してくる眼差しに深い笑みを滲ませると、桃城は細い手首を掬い上げた。 「お前本当に細いな。これじゃ時計ってより、ブレスレットだな」 カチッと止め具を止めはみても、リョーマの細い手首にシルバーのそれは大きすぎて、止め具などさし て意味はなさなかった。 「あんたの腕、太い」 桃城に嵌められたハミルトンのカーキーは、桃城の腕を飾っていただけあって、きっと止め具を外さな いでも腕から抜くことができるだろう。 いつもいつも、どうにもならない餓えに肉を番い、桃城の腕の太さなど判っていたつもりになっていた。 けれどこうして物理的に比較できるものがあると、嫌でもその差異を実感として受け止め、胸の奥に言 葉にできない切なさが増えていく。 「お前が細すぎるんだよ」 お前のはバンド自体変えないと、俺には合わないな。 そんな風に笑いながら、リョーマの腕から抜き取ったウェンカーのリストゥウォッチを腕に嵌めてみせる。 桃城の腕には細いそれは、手首に到達する以前の段階で阻まれている。 「越前」 時計をしげしげと眺めているリョーマ不意に抱き締めると、桃城はひどく真摯な声で、リョーマの瞼に 口唇を寄せた。 「んっ…なに…?」 不意に与えられた温い感触と真摯な声に、リョーマは無自覚に華奢な身を顫わせる。 「指輪の交換と、同じだな」 互いの時を刻んできた時計の交換は、まるで指輪の交換のようだと桃城には思えた。そしてリョーマ がそんなものを欲しがった理由も、判っているつもりだった。 告げた科白が、話せない未来の免罪符になるとは思わないが、それでも不安ならならないでほしいと、桃城はリョーマの躯を閉じ込めるように抱き締めた。 「だったら、見知らぬ神様になんて誓わなくていいから、俺に誓って」 「越前…」 思いのほか強い眼差しが凝視してくるのに、桃城は表情には出さずに驚いて、瀟洒な輪郭を包んだ。 「俺に誓って」 「何をだ?」 「俺から、逃げないで」 「越前」 真摯な言葉と表情に、桃城は深く吐息を吐きだすと、リョーマの名前を大切なもののように囁いた。 「人なんてどうせ好き勝手に何かを見て、好き勝手に判断して、好き勝手に生きていくっていうのはあん たの持論でしょ?」 「そうだな」 こうしてリョーマと同じ物を眺めても、意識下の感性に触れてしまえば、それは同じように映っているの かは誰にも判らない。所詮人は好き勝手に何かを見て、判断して、生きていく。良いものも悪いものも飲 み込んで。 「だから、あんたはあんたの道を歩きながら、俺から逃げないで下さい」 所詮人は自分の道しか歩けない。同じ道は決して歩けない。けれど、寄り添って歩いていくことは可 能なのだ。 「俺はテニスしか選べない。どれだけあんたに恋焦がれても、最後にはきっとテニスを選ぶから。だから、あんたは俺を離さないで」 随分身勝手な言い分だとは百も承知している。理不尽だとも判っている。けれど指輪の交換と言うな ら、それくらい誓ってくれと思うリョーマが抱えてしまった切なさを、桃城は決して見誤らない。 「言ってるだろう?お前は笑ってテニスしてろって」 それは出会った当初から口にしている科白で、変わることのない祈りにも似た願だ。 リョーマはテニスを失ったら、正気ではいられない。だからこそ、一時の恋情ですべてを失わせるように 真似を、する訳にはいかなかった。だからこそ自分も選べた道なのだから。 「あんたってさ、莫迦みたいに甘やかすくせに、最終的にはトドメ刺すのが巧いよね」 優しさと等分の厳しさを決して忘れない桃城は、忘れたいと願う自分を見透かして、柔らかい言葉に紛らせ突き付けてくる。 「あんただけが、俺を殺すんだ」 「誕生日に、物騒な科白言うなよ」 切なげに笑ったリョーマの貌に、桃城はひどく優しい声音で、囁いた。リョーマの言外の意味など、今更だ。 「俺のココ、可笑しくするのはあんただけ」 ココと笑うリョーマの指先が、桃城の左の胸を厚いコートの上からつついた。 「だから、あんたはあんたのまま、ソコにいて」 常に半歩後ろに佇む姿が、桃城の覚悟だと知っている。 自分の内側を守ってくれている存在の最たる者。 隣に立つ方が余程ラクだろうに、桃城は肝心な時程、常に半歩後ろに佇んで、そして鋭い視線を投げ ている。 「お前は笑って、テニスしてろよ」 切なげに笑うリョーマに、桃城は精悍な面差しにひざく大人びた笑みを刻み付けた。 「もうすぐ、24日が終わるな」 交換した時計を重ね合わせるように二つ並べて覗き込めば、あと1分で24日が終わりを告げる時刻 になっている。 「越前」 「なぁに?」 「誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとうな」 「桃先輩もね」 厳かともいえる声音で囁いてくる桃城に、リョーマも厳かな声で返す。 生まれてきてくれてありがとうと言うなら、桃城も同じだ。人の出会いは、奇跡的な確率で結ばれている のだから。出会えた何かに感謝する。 そして感謝しようと思った時、リョーマは不意に何か思い付いたように口を開いた。 「ねぇ、桃先輩。俺思うんだけど」 「ん?」 ジィッと空色の双眸が凝視してくるのに、桃城は瀟洒な輪郭を覗き込む。凛冽とした深夜の夜気で、 リョーマの顔色ははますます白くなっている。 「誕生日って、本当は子供だけを祝うものじゃないのかもね」 生まれてきてくれてありがとう。そんな風に言って貰えるのは両親だけだと思っていた。けれどたった 一人の男に、莫迦みたいに恋情を傾けてしまっている今。それは逆に言えば、生んでくれてありがとう という言葉にも繋がってしまうから、感謝するとしたら、それは自分をこの世に生み出してくれた親に向 け、言う科白なのかもしれないとリョーマには思えた。 「お前、本当にいい子だな」 リョーマの言外の意味を半瞬考え、桃城は破顔するように深い笑みを滲ませる。 「ムカツク。子供扱い」 「いい子だから、いい子って言ってるんだよ」 冷たくなってしまった柔らかい髪を愛しげに掻き混ぜると、リョーマは憮然となったまま、桃城の抱擁 に身を任せている。ムカツクと言いながら、離れないのがリョーマの内心を如実に物語っている。 「拗ねるなって、ホラ、終わるぞ」 桃城の声が促せば、都なリアほせに並べた時計は、狂うことなく二つとも0時を数秒後に控えた位置 で動いている。 「5」 少しばかり抑揚を欠いたリョーマの声が、カウントを刻む。 「4」 リョーマの言葉の次を受け、桃城がカウントを刻む。そしてそう告げる合間にも、秒針は過ぎていくから、まさく時間軸に『現在』はない。 「3」 「2」 「1」 「メリークリスマス」 思いのほか流暢な発音で話す桃城に、リョーマは詐欺師と呟いた。到底英語が得意には見えない桃 城が、一体いつの間に、こんな流暢な発音をするようになっていたのだろうか?そう考えれば、胸の奥 が切なさで疼く。 答えは、きっと判っている。桃城が選んだその道。架空の有り様と理解して尚、見定めた未来。 「終わっちゃった」 まるで一つの季節を見送ったような淋しさは、真夏の夜空に咲き誇る光の花を、見送った後の一抹の 感傷と良く似ている。 風に乗って届く硝煙と、鮮明な残像を残していく光の花。夜空にだけ咲くこと許された刹那の花は、一 つの季節の終わりを予感させる。その花を見送った後の、言い様のない淋しさと、今自分が抱えてしま った淋しさにも似た切なさは、ひどく似ていると思うリョーマだった。 「そうだな」 24日の終わりと、25日の始まり。昨日と明日が重なった境界線は、けれどすぐに次へと刻を刻み、 24日は既に過去へと押し流されていく。 「ねぇ桃先輩」 「お前、何企んでる?」 不意に悪戯を思い付いた子供のような笑みを覗かせたリョーマに、桃城は苦笑する。 「誕生日は終わっちゃったけど、これからはクリスマス本番だから」 「ミサにでも行くか?」 「俺に誓ってって言ったばかりじゃん」 眼に見えない異界の主に何かを頼む程、自分の力をリョーマは過少評価してはいなかった。まして桃 城へと願うものなど、桃城自身にか叶えられないことばかりだ。 「クリスマスの夜は、恋人同志で過ごすのが、日本の正しいクリスマスなんでしょ?」 アメリカでは親しい人と過ごし、ミサにいくのが一般的なクリスマスの過ごし方だったから、帰国して目 の当たりにした日本のクリスマス事情には、流石のリョーマも眼を点にした程だ。 「…これからか?」 「誕生日プレゼントは沢山貰ったけど、クリスマスプレゼントは未だだし」 「越前〜〜〜」 判っていたとはいえ、堂々と告げられると脱力するしかない桃城だった。それでもリョーマが口にする 願い程度はあっさり叶えてしまう桃城は、所詮リョーマという生き物にはとことん弱くできている。 「ねぇ?寒いでしょ?」 「ああ、寒いな」 半分自棄くそ気味に口を開き、細い躯をきつく抱き締める。そうすればリョーマはひどく倖せそうに笑う から、桃城は白旗をあげるしかなかった。 「ヘイヘイ、二人で暖まりましょうか?お姫様」 「お姫様は余計」 精神な面差しにソッと手を添えれば、手袋をしていない指先は悴む程冷たく、触れる体温を奪っていく 気がした。 「明日にでも、直しにいかないとな」 ヒヤリと冷たい指先が触れる頬。視線を少し動かせば、ブレスレットの役目しか果たしていないリョー マの手首を飾るハミルトンのリストウォッチに、桃城はそれがプレゼントだと苦笑する。 「時計は誕生日プレゼント」 「だから、バンド直すのがだよ」 「安い」 「越前〜〜〜お前一応ブランドだぞ。直すのも金はかかるんだからな」 「直したくないんだけど」 桃城の時間を刻んでいた桃城の時計。自分とはまったく違う腕の太さを物語る緩いバンドを直してし まえば、それは桃城がしていたものと判らなくなりそうで、リョーマは少しばかりそれが残念だった。 「アホ。それじゃ、いつも身に付けてらんないだろう?」 それじゃ意味ないだろうと、桃城は細い手首を掬い上げると、手首の内側に一つ口吻を落とした。 冷たくなっている白絹の肌をきつく吸い上げれば、痣のような淡紅色の花が一つ咲いた。 「いつもいつも、俺だと思って、つけてろよ」 「…そんなロマンチストじゃないくせに」 「俺は付けるぞ」 「当然でしょ?」 「だったら、明日は直しに行かないとな」 「これからセックスして、起きるのは昼間でしょ?午後からは部長とテニスして、時間あるかな?」 「……お前…なんか今物凄く不穏当な発言を聴いた気がするぞ」 「恋人同志で過ごすクリスマスですることなんて、一つしかないくせに」 どんなに気取ってみた所で、することなど誰もが同じである以上、今更気取ってみた所で、意味はな いだろう。 「明日部長とできなくなっても、責任もたないぞ」 「だから、一番籤はあんたにあげるって、言ったでしょ?」 「………お前…」 まさかその科白が此処に繋がるとは思っていなかった桃城は、リョーマの策略に嵌まった気分で、 ガックリ肩を落とした。 「どうせ部長は、正月中は日本にいるんだし」 いつでもテニスはできるでしょ?そんな風に笑うと、リョーマはねだるように桃城の首に両腕を回した。 「手加減してやれないからな」 こんな風に可愛らしく挑発してくる恋人を腕にしてしまえば、脆弱な理性しか持たない桃城が手加減 などできる筈もなく、桃城はほっそりした姿態をきつく腕に閉じ込め、貪るように口唇を合わせた。 『今』という時間が存在しない時間の中で、それでも『今』を感じる瞬間は確かにあるのだと。それは有り得ない永遠を感じる瞬間と何処か似ていると思いながら、二人は深夜の空間でいつまでも抱き合っていた。 |