| オマケ其の参 |
結局、男は最期の最期まで、女には勝てないのかもしれない。 『私、テニスをしている南次郎君も、テニスしてない南次郎君も、どっちも好きよ』 『だから大丈夫。南次郎君くらい、私が守ってあげるから』 もう10年以上前になる彼女の笑みは、今でも褪せる事なく、南次郎の胸の一番深い場所に刻み付けられている。 少女のような笑み。それでいて、凛然とした強さが感じれる鮮やかな生命の脈動を宿す笑みは、綺麗に息子が受け継いでいると、南次郎はそう思う。 南次郎に似ていると言われているリョーマは、けれどその強さは、どちらかと言えば母親気質なのだと、リョーマは知らない。テニスの技術や何かは南次郎に似てはいても、根本的な強さは、多分母親のものを受け継いでいると、南次郎には思えた。 「南次郎君、お弁当できたわよ」 キッチンから、顔を覗かせた愛妻は、過去と変らぬ少女のような鮮やかな笑みを見せている。 崩れて行く世界に、それでもパニックなどに陥る事なく、リョーマを送り出したその強さは、やはり大切な存在の元。振り返らずに走って行った息子は、この愛妻の強さと同じものだと、らしくない感慨が湧いた。 「ピクニック、行きましょ。此処最近忙しくて、デートもできなかったもの」 大きいバスケットを軽やかに揺らし、覗かせた顔は、何一つ変らぬ明るいものだった。 その強さは、やはりただものではないと、南次郎は苦笑する。見せかけではない強さは、彼女の本質的な部分だろう。絶望にも決してめげない立ち向かう強さ。自棄になって全てを放棄するものではなく、絶望を直視し、終わる世界を堪能しようとするものは、最後の最期まで、自らの享楽を満足させる為に行動できる勇気を持っている。かつて自分は、その鮮やかなまでの強さに、勇気づけられた事を、知っているだろうか? 「地球最後の日。ピクニックできるなんて、日頃の行いがいい証拠よ」 「そりゃ、そうだな」 クツクツ笑うと、南次郎は愛妻の後を追った。 「ウ〜〜ン、よい天気、とは言い難いけれどね」 近所の公園に出かけた二人は、人一人いない敷地の緑で寝転がっていた。 本当なら、頭上には青空が広がっている筈で、この季節にピクニックなんていう正気を疑う行動をとる人間は、いないだろう。真夏日の最中のピクニックなど、即座に熱中症だ。 「リョーマは、無事彼氏に会えたかしらね」 いつのまにか、成長していた息子。他人との接触が苦手で、関係形成が希薄で、親としては些か心配する程、他人と居る事が少なかった。けれど気付けば、大切な人間を見付けていて、終わる世界の最中。その人間に辿り着く為に会いに行く程、成長していた。 「会えただろ。どーせあいつらは、ラヴラヴだからな。途中で会っだろうな」 「だったら、私達はやっぱり家に帰らない方がいいかしらね」 新婚夫婦の邪魔になっちゃうわね。そう嘯く愛妻に、南次郎は苦笑する。 「勿体ないわねぇ。折角のんびりできる時間出来たっていうのに、曇り空じゃ」 厚い雲が覆う世界は、今はもう陽光も差さない閉ざされた世界を連想させる。 「お前も、変らないな」 出会った当初からマイペースで、地に足を付け、自分でしっかり歩いている女性だった。 「そりゃ変らないわね。私は私でしかないもの」 旦那の言いたい事は、百も承知しているのだろう。クスクス可笑しそうに笑ってい彼女は、威勢を付け起き上がる。 「お弁当、食べない?南次郎君」 「本当、変らないな」 その強さに、何度救われたか知れやしない。 テニスが出来なくなったと宣告を受けたアノ時も。彼女は何一つの安易な慰めなど持たず、黙って隣に居てくれたのだ。 「南次郎君も、変らないわよ。スケベでエロ親父度はあがったけど」 「Thank youな」 隣に居てくれて。 今までなら、照れくさくて、とても言葉に出す事などできなかった。けれど、いつだって、救われてきたのだ。 「どういたしまして」 倖せそうに笑う彼女は、昔と変らず綺麗だと思えた。 やはり男は女には適わない。最後の最期。辿り着くならこの女だと、選んだのだ。 崩れて行く世界。終わる時間。閉ざされる未来。それでも、倖せだと思えるのは、生涯ただ一人と選んだ彼女が、隣に居るからだろう。 男は何処までも女に支えられ生きている生物なのかもしれない。 「ん〜〜〜何だぁ?」 頭上で切れ切れに響いてくる聞き慣れた鳴き声は、けれど何処か普段と鳴き声が違う気がして、覚醒を促された。 「っと、夢かぁ?」 周囲を見渡せば、見慣れた室内が映るだけで、周囲の何処にもくすんだ世界に埋もれた緑は存在しない。傍らには、出会った当初と何一つ変らぬ寝顔をしている愛妻が居る。 「夢の割に、妙にリアルだったな」 途切れて行く時間。交わした会話。その感触が、肌身の上に甦る。 「ったく、あいつら、子供放り出して、中学生の分際で」 息子の愛猫は、よくよく聞けば廊下に放り出されてしまったのか、抗議じみた鳴き声を上げている。 仕方ないと、南次郎は起き上がると、リョーマの部屋へと続く階段を上って行く。 「カルピン」 照明の消された薄暗い深夜の廊下で、南次郎の予想通り、リョーマの愛猫は廊下で鳴き声を上げていた。 南次郎が声を掛ければ、カルピンはダッと走り込んで、南次郎の足許で抗議の声を上げている。 喉の奥で哄笑を漏らすと、南次郎はカルピンを抱き上げてやる。耳を澄ましてみても、室内から声は聞こえてこないから、寝ているのだろうか?それでも、リョーマが愛猫を廊下に出す事は滅多ないから、その意味を考えれば、桃城が泊まっている状況では、辿り着く答えは一つしかない。 「さしずめ、子供放り出して、夫婦関係満喫してるって事か?」 以前カルピンが行方不明事件を引き起こした時。家族以外に懐かない、何処か息子と似通った人見知りの愛猫が、桃城にだけは抱っこされて帰宅してきた。赤ん坊を抱くように愛猫を抱いた息子の隣に、旦那然と立っていた桃城と。その時の構図を思い出せば、ますます夫婦の構図になる事に、きっと二人は気付かないのだろう。 「ったく、仕方ない」 クツクツ嗤うと、南次郎はリョーマの部屋の扉を叩いた。 「オーイ、新婚夫婦。外で子供が鳴いてるぞ」 数秒後、リョーマが威勢よく扉を開き、南次郎に抗議するのは、言うまでもない。 |