濃く蒼い闇の中。星と月が綺麗に瞬いている光景というのは見慣れたものだったが、蒼でもなく、かといって、漆黒の闇でもない不可思議な夜は、初めての気がした。
見慣れた光景の中では、蒼い闇に沈み込む深夜の住宅街の家々も、今夜は不思議と浮き上がって見えるのは、雪の所為だろうか?
「………怖いな……」
白い空に、周囲を彩る白一色の世界は、閉ざされた沈黙をリョーマに印象づけていた。
「どした?って言うより、越前。お前風邪引く気か?」
桃城のパジャマの上着をペラリと羽織っただけのリョーマは、細く開けた窓から外を見ていた。その姿に、桃城は慌ててベッドからケットごと引き剥すと、躯にケットを巻き付けたまま、リョーマを背後から抱き締め、ケットの中に閉じ込める。
大きい桃城のパジャマの上着を羽織っただけの姿は、よりいっそうリョーマを華奢に見せた。
ベッドサイドの明かりだけが唯一の照明の中。室内は仄明るい光と、情後の気怠い熱に満たされている室内。
無遠慮に剥き出した白い下肢は、先刻までは小刻みに顫え、快楽を示し喘いでいた。
その身の奥に雄の性を捩じ込み、桃城は熱を放った。
うつつなく悦る奔放さ。嫋々に啼く甘えた嬌声。背に朱線を描く、カタチの良い細い爪。
『ぁっ……んんっ…桃…先輩……』
生々しく喘ぐリョーマの姿が、桃城の脳裏に淫らに甦る。
けれど視線の先に立つリョーマは、情後の余韻を引き摺りながら、それでも情事の最中の艶冶で奔放な姿を引き摺る事はなく、寧ろそれは、切っ先の上に立つ、何処か不安定で、それでいて、切れぬものなどないかのような、研ぎ澄まされた水晶を連想させる。
それが桃城に言い様のない不安を抱かせる事を、リョーマは何処まで理解しているだろうか?
水晶で研ぎ澄まされた冷ややかな切っ先。触れれば切れぬものなど何一つないかのように、綺麗な切断面を曝すかのような痛々しさ。
「何が怖いって?」
細く開かれた窓から入り込む凍り付く冷気。まるで空気に氷が刻み付けられた冷たさは、肌身を切る程に冷たく感じ、吐き出す吐息が白くなる。
「雪って、案外明るいんだなって」
見慣れた深夜の光景は、けれどいつも見ているような、蒼い闇に沈み込む光景を、してはいなかった。
天地の落差もない程濃く蒼い闇に支配される時間帯は、周囲のその姿は、闇の中に沈み込む。けれど今は対照的だ。
深夜でも大して暗くならない空は、雨を降らせる空より若干白く、12月上旬に記録的な大雪を東京に降らせた低気圧が作り上げた天然の光景が、周囲を白く浮き上がらせている。
「静かで明るくて、だから少し怖いな」
夜なのに、明るい。人口の照明ではなく、白く輝く天然の雪。
「お前、時折感傷的になんのな」
確か半月前の夜は、月の光が明るすぎて怖いと言っていた。
「ねぇ桃先輩、この前の不二先輩の話しじゃないけどさ。こうしてると静かで、地上に俺達だけが取り残されたって、気ぃしない?」
『世界が明日終わるとしたら、貴方ならどうする?』
「本当は核戦争とか起きて、コレは終末の雪だったりしてさ」
崩れて行く閉ざされた世界。核が天を覆い、陽の光を奪われた空からは、静かに音もなく、柔らかい沈黙を運んで、終末の雪が降って来る。
そんな発想に、リョーマは次の瞬間、自嘲的に笑った。
御伽話しもいい所だ。核の残骸の後になど、生命など何一つ、宿ってはいないだろうに。
爛れ落ちていく血肉。灼ける大地。外側からも、内側からも、壊れて行く、愚かな栄華と無知を極めた人間達。
宇宙の辺境で、無知な栄華を極めた傲慢な種が、自らの無知を露呈させ滅んで行く。
たったそれだけの事だ。
こんな小さい星の、たった一瞬の出来事だろう。現実的に、そんな事が起これば。
「そしたらお前と心中だな」
取り残された世界に二人。閉ざされた世界で、孤独も感じない程、倖せな事に違いないだろう。そんな光景は。
「でもそうだな、それ少し、俺も考えるかもな」
ケットの中、リョーマを柔らかく抱き締める腕。
切なさばかりが押し寄せてくる気がして、リョーマは桃城の胸板に背を預け、細く切り取られた視界を見上げた。
月も星も瞬く事のない白い空と白い世界が、周囲を綺麗に覆い尽くして行く、閉ざされた沈黙の淵。
「雪が、世界の哀しい事を浄化してるようだってな」
「らしくない事言うの、あんたの方じゃん」
浄化や救いなんて、微塵も求めてはいない強靭な精神を持っているくせに。
「浄化してるって言うなら、俺達間違いなく、消されちゃうね」
無知で傲慢で、地球と言う母体を傷付ける事しかしらない種。
真っ先に消されるなら、人間だろうに。
「ア・ホ」
「何?」
背後で深い苦笑が漏れたと同時に、スルリと大きい掌が、前髪を梳き上げ、白い瞼を塞いで行くのに、リョーマは、けれど抗う事は何一つなく、クスリと喉の奥で笑みを漏らしたに過ぎない。
「お前のそんな表情は、実は一番タチが悪いんだよ」
見なくても、桃城には判る事だった。
きっと泣き出しそうな無防備な素顔を、白い世界に曝しているに違いない。
自分からは見えない位置だから、きっとリョーマは安心して、白い世界にその素顔を曝しているだろう事など、桃城には簡単に判る事だった。
「やっぱあんた、親父と気ぃ合うんスね」
塞がれた視界。瞬き一つせずに、リョーマは笑った。
桃城の科白は、以前父親にも言われたから尚更可笑しかった。そんなに自分は、泣き出しそうな表情をしていただろうか?
自覚など、ある筈もない。
「悩みとか、お前が心底悩んで、どうしようか迷ってるなんて、俺に判る事なんて、ないからな」
どれ程判りたいと願ってみた所で、それは所詮他人の悩みや迷いで、自分にはどうしてやる事などできやしない。
出来る事と言えば、その名前を呼んでやる事、その程度だ。一緒に悩んでやる事も、答えを出してやる事もできやしない。その時が来たら、この細い背を押し出してやる事。
その程度の事だ。
「あんたやっぱ、最低の悪党でタラシ」
そんな科白を殺し文句のようにサラリと言えてしまうのだから、タチが悪いにも程がある。
「桃先輩知ってる?」
其処でリョーマは桃城の手を静かに話すと、ゆっくり姿態の向きを変えた。
桃城の大きいパジャマの上着の下は、何一つ身に付けてはいない。密着する躯は、瞬時に熱が灯って行く。
「詐欺師は、最後まで嘘を突き通すから、詐欺師って言うんだよ」
あんたは何処まで、嘘を突き通してくれるの?
そう笑うリョーマに、桃城は自嘲する事しかできなかった。
窓の外では、白い空から、雪が再び降り始めてきた。
「静かに、降るよね、雪って」
覆われて行く白い世界。終末の雪に取り残され、二人で居られたら。
そんな陳腐な思考がフト脳裏を横切り、リョーマは笑った。
「音なんて何一つないのに、音が聞こえるんだから」
暗く白い世界に降る、白い欠片。音一つないくせに、綺麗に沈黙を響かせて行く。
「今夜は、お前の為に祈ってやるよ」
白い雪が、世界を浄化して行くのなら。
永劫の温もりより、今腕の中に在る確かな体温に。その在処に。
「ホラ。やっぱあんた詐欺師」
クスクスと、リョーマは可笑しそうに笑うと、
「ねぇ桃先輩。寒いから、温めてよ」
相変わらずリョーマはクスクス笑いながら、桃城の肩口に顔を埋め、ねだるような仕草で、細い腕が桃城の背に回った。
冷えた肩を手で温めて
もっと もっと 優しくしたい
もっと もっと夢の中まで
君を本当に 大好きだよ
何度言っても 言いたりない
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