〜〜ゆく年 来る年〜〜










 リョーマの部屋に有る青い時計の長身が、11時を指した頃。桃城は膝の上で戯れ付くリョーマの愛猫と遊びながら、ベッドに寝転がっているリョーマに振り向いた。
「そろそろ行くか?」
「寒いからやめた」
 桃城の科白に、けれどリョーマの科白はあまりに素っ気なかった。
「拗ねるな」
 これは本格的に拗ねさせたかと、振り返った視線の先で、けれどリョーマは桃城を凝視していた。
「拗ねてなんて、ないっスよ」
 振り返ってき桃城を凝視しながら、リョーマの科白は相変わらず素っ気なかった。
「んじゃ、怒るな」
「怒ってない」
「機嫌直せよ」
「別に、俺の機嫌損ねる粗忽者だったんスか?あんた」
 そりゃ知らなかったと、嘯いて笑うリョーマに、桃城は大仰に溜め息を吐き出した。
「仕方ないだろ?」
「ヘェ〜〜何がどう『仕方なかった』んスかねぇ」
 適温に保たれている室内のフローリングの床の上、クッションを敷き腰掛けている桃城は、ベッドに背を凭れ、今の今までカルピンと戯れていた。今では桃城が室内に居る時は、彼の膝の上は指定席だと思っている様子の窺えるリョーマの愛猫は、そんな二人の会話を気にした様子もなく、桃城の膝の上でご機嫌に尻尾を揺らしている。
「振りたくて、愛想振り撒いてた訳じゃないっての」
 これは本格的に言い訳をする必要があると、桃城はカルビンを膝から抱き上げ床に下ろすと、可愛い声で抗議がの鳴き声が上がった。
「子供鳴かすの、あんたの本分に反するんじゃないっスか?」
 床に下ろされた愛猫は、桃城の膝の上に再度飛び乗ろうとしている。けれど桃城はクルリと態勢を入れ替え、リョーマに向き直った。
「子供が真っ当に成長するのに必要なのは、両親の愛情だろ?その為には、まず夫婦仲が最大の問題だろうが」
「フーン、それで今更、もう数時間前の事、あんた言い訳始めるんスね?」
「言い訳じゃなくて、本当の事だろうが」
 溜め息を吐き出し、凝視してくる眼差しを覗き込み、桃城は漸くリョーマの眼が笑っている事に気付いた。
 リョーマの反応や変化に誰より敏感な桃城にしてみれば、今更気付いた時間経過を考えれば、珍しくリョーマの反応に遅いと言う事になるだろう。
「俺が本当に、あんな頭悪そうな女達に、妬くと思った?」
 数時間前の出来事を思い出し、リョーマは笑った。
「お前なぁ〜」
 可笑しそうに笑うリョーマに、桃城はガクリと肩を落とす。
第一、自分に落ち度など何一つないのだから、責められる所以などない筈だと、けれど反駁などできよう筈もない桃城だった。落ち度はないが、その対応には、確かにリョーマの機嫌を損ねても仕方ない部分が存在していたからだ。
「でも、桃先輩は、俺の機嫌損ねたって思う部分があるみたいだし」
 桃城の周囲に女が群がるのなど、リョーマにしてみれば今更でしかないから、無駄な嫉妬をする気などなかった。けれど、自分の前で、群がる女達に愛想を振り撒かれ、面白い筈がないだろうと言うのが、リョーマの言い分だった。
 近頃では既にリョーマ自身、関係が始まった当初、桃城に告げた言葉など、とっくに放棄してしまっていた。
「確信犯だな」
 やれやれと、桃城は深々溜め息を吐き出した。
逆の立場なら、自分が無駄な嫉妬の一つでも示さなければ、納得などしないだろリョーマの理不尽さは、けれど桃城には愛しさしか感じないから、大概終わっている自覚の一つや二つ、持ち合わせている桃城だった。
「判ってるから」
 それだけだと笑って、リョーマは桃城に細い腕を差し伸ばす。伸ばせば、その意図を判らない筈のない桃城は、キシリと鈍い音を立て、ベッドサイドに腰掛ける、身を乗り出した。
「あんたは、悪党でタラシのヒトデナシだけど」
「お前……それ1つも褒めてないぞ」
 相変わらず小生意気な科白に、苦笑する。
「どうしようもない詐欺師だけど」
 嘘を望む理不尽さに付き合わされて、それでも苦笑一つで嘘を突き通す桃城の強靭さと寛大さは、その内側の何処に有るのかと思う。判りたいと願った所で、到底判る筈はない事だと、リョーマ自身認識している事だ。何故かと言えば、桃城自身が巧みに隠しているからだ。
 気安い笑顔の内側に、桃城が何を思い考えているのかなど、リョーマに到底判る筈もない。判っている事と言えば、自分には決して向けられる事のない、作為の上に成り立つ開放的な笑顔。それだけだ。けれどそれだけ判っていれば、今は未だ十分、そんな気分にもなる。
 身勝手な事は判っていた。引いたラインと境界線を、桃城はただの一度も、見誤った事はないのだから。
「でも俺に対しては、呆れる程不器用だって事も、判ってるから」
 器用貧乏と言う言葉は、桃城に対しては当て嵌まらないだろう。何事にも卒のない桃城は、リョーマ以外に対しては呆れる程用意周到な一面が有る。だからリョーマに対して器用になりきれない桃城の不器用さの意味など、他人に頓着も執着もないリョーマにさえ、筒抜けのものだった。
 大切にされているとリョーマが認識している桃城の想いは、何も根拠のないものではなかったのだから。時折桃城が冗談に誤魔化し紛らせる言葉に有るように、桃城は呆れる程、リョーマに対しては誠実だった。
「まったくお前は」
 その根拠のない自身は一体何処から湧くんだと呆れて見せれば、リョーマはまっすぐ桃城を見ていた。言葉ではなく、何よりリョーマの内側を綺麗に語る双眸は、逸らされる事なく、桃城の眼球の中核に焦点を絞っている。
「仕方ないだろ?」
 苦笑し、身を乗り出すと、ギシリと二人分の重さを受け、スプリングが鈍く鳴る。
「何が?」
 既に会話の内容に意味などない事は、二人共判りきった事だったから、ベッドの端に腰かけた状態で、身を乗り出してきた桃城の精悍な造作を包み込むと、リョーマは吐息で囁き笑った。
「親父さんの所為だな」
 リョーマの父親の南次郎は、寺を預かっている仮住職だ。その天性のタラシの要素で、南次郎が寺を預かり仮住職になって以来、檀家数が増えていた。どういう経緯で僧籍をとったのか判らない父親は、ちゃっかり寺を預かり、境内の余った敷地にテニスコートを作ってしまった神経の持ち主だ。そんな父親の口先三寸、飄々とした面の皮に騙された檀家の人間をフト憐れに思いつつ、今日は心底父親に対し、呆れたリョーマだった。
 年越しの一大イベントの大晦日の今日は、朝から越前家は忙しく、ネコの手も借りたいと、何故だか桃城に電話を掛け、有無を言わさず呼び出したのは南次郎だった。
「親父の相手に来る桃先輩の自業自得」
 呼び出す方も呼び出す方だが、呼ばれて来る方も来る方だと、桃城の来る事を知らされていなかったリョーマは、玄関先で桃城を出迎えその経緯を聴き、心底呆れた程だ。
 そんなリョーマの呆れた溜め息を正確に読み取った桃城は苦笑しつつ『親父さんに呼ばれたら仕方ないだろ?』憮然と呆れるリョーマの髪をクシャリと掻き乱した。
「そりゃ来るだろ?当然」
「何が当然なんだか」
「そりゃお前、何が当然って、未来の舅に、恩の一つや二つ、売っとくもんだろ?」
「未来の舅ね…」
 桃城らしい科白に、リョーマは呆れて笑った。笑い、すぐにその科白の意味に気付き、複雑な表情を作った。
「取り敢えず、俺のキモチ」
 一瞬で変化したリョーマの表情の意味に気付かない桃城ではなかったから、半分組敷く恰好で瀟洒で小作りな面差しを包み、鷹揚に笑って見せた。
「あんた…本当に莫迦……」
 やはり悪党だと、リョーマは内心毒づいた。
桃城は、決して互いに引いた境界線の位置を、見誤る事などしない。稀少と言えてしまう程、年齢に不釣り合いな見抜く眼を持っている。そのくせに、時折こうして綺麗に退路を切り取って行く。悪党の確信犯だと、泣き出したくなる自分の内心を、桃城は何処まで理解しているのか、それはリョーマには到底判らない事だった。
「でも、それとあれは別。親父に呼び出されて来て、アルバイトの巫女さんに、あんなサービス精神旺盛に対応しなくてもいいんじゃない?」
 外見だけなら到底中学生には見えない桃城だから、大晦日から三が日に掛け募集した巫女さんアルバイトは、盛大に桃城を口説きに掛かっていた。それをまたいちいち相手をしてやる桃城も桃城だと言うのが、リョーマのもっともな言い分だった。
「あんた結局、タラシなんだから」
「あのな…俺は女口説いた事なんて、一度もないんだからな」
「そんな事、今更言われなくても判ってるっスよ。あんた恒例行事のように、女に呼び出されてるんだから」
 テニス部で一番女に持てるのは断トツで不二と手塚だ。けれど二人共何処か近寄りがたい印象が強い。特に手塚は生徒会長とテニス部部長をも勤める存在だったから、女子から想いを寄せられる事も少なくはない。けれど桃城も中学生には見えないが、手塚し更に中学生には見えない端然さが有るから、女子が告白を切り出すには、些か近寄りがたい雰囲気がある。けれど桃城は違う。その笑顔が他人を構えさせないと同時に、内界に入り込ませない作為の上に成り立っている盾だとしても、その盾そのものを理解しない人間には、桃城は気安い部分が全面に出ているから、女子にしてみれば告白しやすい相手と言えるのだろう。
「……恒例行事かよ……」
 シレッと吐き出された科白に、桃城はガクリと頭を垂れた。恒例行事と言われてしまう程、自分が女に呼び出されてい自覚は、けれど不幸にも桃城にはなかった。
「自覚してる悪党のくせに、肝心なポイントで無自覚なんて、あんたサイテー」
 まだまだだね、そう嘯くリョーマに、桃城は深々溜め息を吐き出した。
「女口説く事はなくても、あんた作為的に愛想振り撒く詐欺師だから」
 将来結婚詐欺師で掴まらない様に、リョーマはそう嘯き笑う。
「ああ、あんた女衒とか似合ってるかもね」
「女衒………お前…国語苦手なくせに、知らなくていい言葉、よく知ってんな…」
「詐欺師と付き合ってればね、この程度は楽勝」
「って…親父さんが言ってたりするのか?」
「ビンゴ」
 やっぱ気ぃ合うんスね、そう面白そうに笑うと、リョーマの腕はスルリと桃城の首に回って行く。
「お前達親子の会話が、俺は怖いよ…」
 青学テニス部曲者は未だ健在、そういう事だろうと、桃城は思う。飄々とした所作と笑顔の裏側には、身震いする程、冷静に眼を持っている。
「俺があんな頭悪そうな女達に、妬くなんて、あんただって本気で思ってやしないくせに」
「でもお前、完全拗ねてたろ?」
 首に回った腕の細さを眺め、引き寄せられれば、桃城はリョーマの顔の横に両肘を付き、態勢を保った。
「子供に、旦那とられた気分ってのが、一番近いかな?」
 あんたカルピン構い過ぎ、リョーマはさして憮然ともしない表情と口調でそう言うと、
「……カルピン?」
 今の今まで確かに散々構ってやったけれど、何もペット相手に拗ねなくてもと、聴いた科白に桃城は脱力する。普通女に妬くものだろうにと、桃城の言外が語っていた。
「あんな女に妬く程、俺は安くないっスよ」
「安い安くないって以前に、ペットと女比べりゃなぁ」
 だったら自分の愛猫に妬くのは安くないのかと、ついつい尋ねたくなる桃城だったが、賢明にも、言葉に出す事はなかった。
「あんたあんな莫迦な女に本気にならないから」
「…そりゃ何か?俺はカルピンには本気で構うって事かよ」
「構ってたくせに」
「お前〜〜〜」
 朝から呼び出され、境内にアルバイトの巫女さん達と、売り物の御札や破魔矢もお守りにおみくじの準備をしてたり、掃除をしたりとしてはいたから、何やかやと一段落して戻った来た時には、夜の8時も回っていた時刻だ。それまでほっとかれたカルピンが、構ってくれと膝の上に乗ってくれば、相手の一つや二つ、してやるのは当然だろうと、桃城はリョーマの母親が容易してくれた夕食の年越し蕎麦を食べた後。この部屋でカルピンと遊んでいた。それがまさかリョーマの拗ねている原因だとは、思ってもいなかった。
「忘れてたかもしれないけど、俺も今日一日、ほっとかれた口だから」
 確かに一緒に父親の手伝いに追われていたから、ほっとかれたと言うのは語弊があるだろう。けれど一緒に居たと言うのも正しくはない言葉だ。
「そんで、拗ねてるって訳か?」
 小作りな面差しを挟む恰好で肘を付き、真上から見下ろせば、リョーマはただ笑っているばかりだ。
「だから、拗ねてないっスよ」
「お前のそーいうのは、拗ねてるって言うんだ」
「面白くないって言うのが正確」
 面白い筈はないだろう。漸く手伝いから開放され部屋に着いた途端。愛猫は指定席とばかりに桃城の膝の上に乗っかり戯れ付き、それをまた莫迦丁寧に、桃城は遊んでやっていたのだから。リョーマにしてみれば、面白い筈がない。
「この我が儘」
「その我が儘で小生意気なのが好みなんだから、文句言わない」
 クスリと愉しげに笑い、回した首を引き寄せる。
「子供が見てる前じゃ、教育的に良くないって言ったの、お前じゃなかったか?」
「それ桃先輩でしょ?」
 吐息が触れる程近付いた時。床の上で、抗議の声が可愛らしく鳴くのに、二人は互いに苦笑する。
「ねぇ桃先輩。もう寒いから、やめない?」
「ダメ」
「ケチ」
「意味違うだろ、それ。第一日本の年越し知りたいったの、お前だぞ」
「大体判ったからいいよ」
「どう判ったって?」
「あんな親父が住職預かる寺に参拝に来る程、だって」
「お前〜〜」
 全然判ってないだろうと、桃城は苦笑する。
「飄々と嘘付く親父の、ありがたくもない説教聴きたいなんて、相当変、だよ」
「お前がそう言うから、俺がいつも行く寺にしたんだろうが。まぁ本当なら、初日の出もお前と迎えたい所だけどな」
「泊まってく?」
 どうせ今夜は一晩中、両親は参拝客にかかりきりだろう。
「俺ん家がダメなんだよ。明日の午後から、俺の家はお袋の実家に泊まりで出掛けちまうから。朝くらいは家族揃ってないとな」
 とはいっても、警視庁勤務の父親は、当然の事だが現在も事件捜査で不在だ。だから尚更、長男の自分が家に居ないと拙いだろうと思うのは、桃城の長男としての責任を知っているからだ。
「フーン。でもそうすると、桃先輩、明後日どうするわけ?」
「ああ、俺は行かないぜ」
「って、俺一人で、菊丸先輩と不二先輩の相手するんスか?」
 それは全力で勘弁してほしいと思うリョーマに、罪はないだろう。
「そっちじゃない。お袋の実家には行かないって」
 上目で見詰めて来る透き通った双眸に笑うと、大きい掌中がサラリと柔らかい感触を指に伝えてくる髪を梳いた。
「揃っての初詣で行かないなんて言ったら、英二先輩に思い切り拗ねられる」
「何ソレ?」
「あの人タチ悪いの。お前も覚えとけよ。計算づくの意図的で、悪戯仕掛けてくるからな」
 自分と変わらぬ開放的な笑顔。けれどその内側にあるものは、自分では足許にも及ばない繊細なものばかりが、英二の身の裡には詰まっている。そのくせに、テニスもネコのような剽悍さなら、性格もネコそのものだからタチが悪い。そんな英二の手綱を巧くコントロールしている大石は偉大だと、言葉に出す事はなかったが、桃城が常々思っている事だった。
「だから、ちゃんと今夜はお前は俺に付き合うの」
「偉そう〜〜」
「たまには、俺の我が儘の一つくらいきけって」
「寒いからヤダ」
「ちゃんと着込んでけ。ホラ、支度しないと、拙いぞ」
 チラリとベッドヘッドの上に置かれている時計を見れば、もう11時30分を回っている。という事は、こうして延々睦言のような言葉遊びを30分もしていたのかと、桃城は内心苦笑する。
 そんな時だった。扉を叩く音と同時に、返事も待たず、扉が開かれた。
「いい性格してんな、お前ら」
 死角のない部屋の中。南次郎の視線の先には、ベッドの上で殆ど前戯としか思えない雰囲気を滲ませている息子とその先輩か戯れているのに、南次郎は怒るより何より、呆れて見せた。
 元々息子であるリョーマと桃城の関係を知っているから、驚き怒るなどと言う愚行はしない。その変わりというように、盛大に溜め息を吐き出した。
「この莫迦親父ッッ!」
 リョーマはベッドの上に置かれているクッションを素早く掴むと、南次郎の顔面目掛けて投げ付ける。それは綺麗な放物線を描き飛んだが、南次郎は軽い動作でそれを避けた。
「マダマダだな、青少年」
 ニヤついた笑みで、リョーマと、いい加減この歪んだ親子関係には慣れたものの、眼前で繰り広げられる光景に脱力している桃城に注がれる。
「まったくお前ら、親の居る場所でいい根性だな」
「煩いッ!」
 今まで、会話の中で父親の桃城との関係に茶々を入れられる事は有ったとしても、現場を目撃された事はないから、リョーマは白皙の貌に、らしくない朱を散らし、リョーマは父親を睥睨していた。
「ったく、家が寺やってるってのに。この親不孝息子は。他の寺に初詣でに行くとは、どういう了見だ」
「親父が住職やってる寺なんて、御利益が裸足で逃げ出しそうなだけじゃん」
 リョーマは起き上がると、スタスタとクローゼットまで歩き、中から白いハーフコートを取り出した。
「ちゃんと送り届けますから」
「ナイトとしては、当然だな。聴いた話しじゃ、明日の午後から、お前の家一人だって?」
「そうっスよ。って、何処で聴いてたんです」
 まさか相当前から聴かれていたんじゃないのかと、桃城は頭を抱えた。
「だったら、お年玉にこいつやるから、明日の午後、引取りに来い」
「俺はモノか」
 こいつ呼ばわりされ、リョーマは憮然と南次郎を見れば、全てを見透かして南次郎は笑っているばかりだった。
「どうせお前、行くつもりだったんだろうが」
「早く行かないと、除夜の鐘鳴り出すぞ」
「親父こそ、何しに来たんだよ。アルバイトの巫女さん口説いて、遊んでたくせに」
「折角手伝って貰った礼に、お前の彼氏にちゃんと現物支給してやろって、俺の心遣いだろうが」
「ハハハハ……」
 現物支給。流石親子だと、桃城は乾いた笑みを浮かべていた。
以前リョーマが言った科白も、今の南次郎の科白と同じだったから、もうこれは親子の証明に近いのかもしれない。
「んじゃ俺は行くからな。お前らも、気を付けて行けよ」
 相変わらずの飄々さで、南次郎はヒラヒラ手を振ると、室内を出て行った。
「ったく、あの莫迦親父」
 ハーフコートのボタンを留めながら、リョーマは苦々しく呟いた。
「お前の事、可愛くて仕方ないんだろう」
「気持ち悪いっスよ。それより、早く行かないと」
 憮然としたリョーマは、さっさと部屋を出て行くと、桃城もコートを羽織り、リョーマの後を追った。









「あ〜〜始まったな」
 桃城の家から歩いて15分程度の場所に、小さい神社があった。其処は普段なら大した参拝客など居ないが、大晦日の夜となれば話しは違う。結構な人が年越しの夜を迎え様と、集まっていた。
「どうだ?コレが日本の年越し。『ゆく年来る年』だな」
 日付変更線の少し前から、除夜の鐘が鳴り始める。簡素な住宅街の中。厳かな鐘の音が、静かに響いて行く。
「何で、鐘なわけ?」
 寒い中。コートを着込んで集まり出した参拝客の中を歩きながら、リョーマは隣を歩く桃城に尋ねていた。
「アア、除夜の鐘って108鳴らすんだけどな。108って確か煩悩の数だったっけな。一つ鳴らすごとに煩悩がなくなってくってな」
「フーン。変なの。煩悩消す鐘の音聴きながら、俺達こうして来てるんだ」
「まぁ、そういや、そうだな」
「でも寂しいじゃんそれ」
「寂しい?」
 リョーマの科白に、桃城は頭一つ以上小さい小柄な姿態を眺めると、リョーマはまっすぐ桃城を見上げていた。
「煩悩って、生きてく為の活力じゃん」
 桃城をまっすぐ見上げている眼差しは、『違う?』と語っていた。
「お前は…本当。国語苦手なくせに、そんな時ばっか、見抜いてくよな」
 適わないと、桃城は深く笑うと、クシャクシャとリョーマの髪を掻き乱した。







 簡素な住宅街に、除夜の鐘の音が、あちこちから響いてくる。寒い冬の夜。蒼い空には凍える空気の中。切り取ったように雄大に浮かぶ白い球体が在る。
「お前、何願い事したんだ?」
 そこそこ混雑してきた人の群れに混じり、二人は参拝を終え、人の流れに沿って、出口へと歩いて行く。帰国子女のリョーマにとって、日本の風習は何もかもが珍しいものだった。
「願い事は、口にしたら効力ないって言うから」
 吐く息も白く凍える寒い夜。今までなら、こんな酔興に出歩く事など、リョーマにはなかった事だった。それでもこうして日本の風習とやらに付き合っているのは、桃城に誘われたからだ。


『お前、日本の正月知らないだろ?』


 そんな単純な科白で、誕生日に誘われたから、リョーマは寒い夜、こうして酔興に付き合っている。
「まぁ、そいやそうだな」
「桃先輩こそ」
「お前、言ってる事違うだろうが」
 それでも、それがリョーマらしくて、桃城は笑った。
「願いなんて、本当は単純なものだよ。桃先輩が、いつだって莫迦みたいに願ってる事と、大差ないよ」
 ただ大切なもの。
言葉に出されない桃城の願いは、いつだって桃城自身のものではなく、それが自分に向けられているものだと、リョーマは判っている。
「お前…」
 気付かれている事は知っていた。と言うよりも、気付かれない方が、どうかしているだろうこの場合。そんな事は桃城自身自覚している。
 見知らぬダレかの痛みなど知りはしないし、知りたいとも思わない。けれど、誰より大切な存在が自分の知らない場所で疵付き、痛みを抱いているのかと思えば、それは桃城には堪えられない事だった。リョーマが笑っている。小生意気な口調とテニスをして、笑っているだけで、泣き出したい程満たされる。願いなど、とても有り触れているものだ。リョーマが笑ってさえいてくれれば。
「大抵の事はね、望めばどうにかできるんだと思うし、手に入れられると思う。努力とか持って生まれたものとか、色々あるけど。学歴とか、地位とか、金とかはさ、どうにかなるじゃん」
 それは当人の努力次第で、どうにか手に入る代物ばかりだ。願うとしたら、触れる事はできても、自分の届く範疇以外のものだ。
 望んでも手に入らない代物。大抵のものは、力が及ぶ範囲であれば、手に入れる事は可能だろう。
「まぁ、そりゃそうかもしれないけどな」
 リョーマの横顔を眺めれば、視線は地に落ちている。一体何処を見ているのかと思えたが、落ちた視線の行方は、桃城にも判らなかった。
 リョーマの言う科白は判るつもりだった。見合った望みならば、当人の努力次第で、手に入れる事は可能だろう。届かない場所に在る望みは、どうしたら手に入るだろうか?それを願うとしたら、どうしたら叶うだろうか?
「本当はさ、願なんてかけたって、誰も叶えてくれない」
 本当に欲しいもの。これから生きて行く為に、捨てられない、本当に必要なもの。そんなものは、とても少ない。
「煩悩消したら、願いだってない筈なのに」
 願いさえ、欲に塗れたものだろうに。綺麗なものに紛らせて願う、醜い内側。
「願いを掛けるってのは、結局自分に刻み付けるもんだろうな。まぁ日本は多神教で、クリスマスにはキリスト祝って、一週間後には神仏に願ってって国だからな」
 神はいないと言い切れてしまうのは、先進国に住む人間の傲慢さなのだと、知っている。縋り付く居場所が宗教と言う国の方が、世界には圧倒的に多いのだから。
 自分の力の及ぶ範疇の願いなど、綺麗事だと自覚している。
「俺の願いなんて本当に下らないもんだけど、届かないものかもしれない」
 落ちたままの視線は、その綺麗な造作の内側を、桃城に読ませてはくれない。
「ねぇ桃先輩」
「ん?」
 見えない表情。けれど、声で判断する事は可能だった。
「クリスマスに言ったじゃん?」


『言い続けて、やるから』


 そんな事は、何でもない事だと言うように、桃城は笑った。その深い意味を、何処まで理解されているのかと思えた深い笑み。届いていないのかもしれないと、らしくない程不安に駆られた。


「バーカ」
 お前人の事言えない莫迦だな、言外にそう滲んでいる。
「ありゃクリスマスじゃなくて、お前の誕生日にした約束。間違えるなよ。お前にあってから、12月24日なんて、お前の誕生日って意味しか、なくなっちまったんだからな」
 人類の罪を背負い、人類の手により磔刑にされた見た事もない救世主の誕生日など、何一つの意味など見出だせる筈もない。
「あん時言ったぞ。その為の努力は惜しまないってな」
 届かない望みになどする気はさらさらないので、その努力を放棄するつもりはなかった。
「まぁ、悩めよ」
「何それ?」
 見透かされている事に、幾許の苛立ちと、それ以上に無責任な安堵を覚えてしまう。溺れる事はとても簡単な事だろう。けれど溺れてしまったら全てを失う事も、リョーマは判っていた。
「悩みと迷いのない場所に、成長なんてねぇって事」
「いいよね、桃先輩は」
 落ちた視線が桃城に戻った時。リョーマの表情は綺麗にその内側を隠していたから、桃城はいつの間に、リョーマはそんな術を覚えたのかと思えた。
 小生意気で無表情と言われているリョーマは、けれど案外付き合えば簡単に表情を読む事は可能だった。周囲にも自分自身の事にも無頓着な面は多々存在しても、決して無感情などではなかったからだ。ちゃんと見ていれば、リョーマの感情表現は豊かなものだ。
 だから桃城は軽口に誤魔化す笑顔の内側に隠された表情を読む事ができない事に、半ばらしくない舌打ちをする羽目に陥った。
「悩みもなくって」
「お前なぁ」
 大仰に、溜め息を吐き出し脱力してみせれば、リョーマはまっすぐ桃城を見ていた。
「寒いから」
 桃城を凝視する眼差しが、今度は正面を向いて歩き出す。
「寒いから、早く帰ろう」
「甘酒飲んでくか?」
 逸らされたのは、多分視線ではなく、言葉だろうと判るから、桃城は追求はしなかった。
「奢り?」
「今夜は無料で参拝客に配ってるんだよ」
 ちょっと待ってろよ、桃城は言い置くと、走り出した。
「本当に詐欺師」
 走り出して行く背を眺め、リョーマは曖昧な表情を浮かべ、呟いた。
 何処までその嘘を付き続けてくれるのか、そう思えた。




「お前、待ってろって言った場所で待ってろ。探すだろうが」
 置いてきた場所にリョーマの姿がなくなっていて、少しだけ桃城は焦って周囲を見渡し、少しは慣れた場所の大木の下。所在無げに佇むリョーマを探し出した。
 夜目にも映える白いコートは、リョーマに似合っている。それが目印になった。
「そんな事言われても、参拝客増えてきて、流されちゃったんだから」
 仕方ないと、リョーマは差し出された紙コップを受け取り、憮然となる。
「そういや、もう0時になるよな」
 リストフォッチをみれば、丁度0時のアラームが鳴った。瞬間。一際高く、除夜の鐘が鳴った気がした。
「A HAPPY NEW YEAR」
 桃城が流暢な発音で話せば、
「あけましておめでとう」
 リョーマは南次郎に教えられたのか、年始の言葉を口にした。新年になった瞬間。何処かで花火が上がった。



「熱いから、気ぃ付けろよ」
 神コップに注がれた甘酒は、思いの他熱いから、ネコ舌のリョーマにはすぐには飲めない代物だった。それでもリョーマは少しずつ、舐めるように甘酒に口を付けている。その仕草が、何ともネコを連想させる。
「でも思ったより、こっちの新年って地味」
「ああ、あっちは派手だもんな」
「花火は上がるし、シャンパン掛け合うし、ノリはパーティーだから」
「こっちは、地味ってより、厳かってんだろうな」
 神社仏閣に参拝し、新年を祝う。宴会のノリのアメリカより、地味というより風習が厳かなのだろう。
「これで2日も、お参り行くんスか?」
「まぁ、そうなるな」
「何処まで?」
「ん〜〜英二先輩、明治神宮って言ってたな」
「フーン」
 明治神宮と言われた所で、リョーマには当然その場所など見当も付かなかった。
「っと帰るか?」
「ん〜〜」
 リョーマは当然飲み終わる訳はなかったが、少しずつ飲みながら、歩き出す。
 神社周辺は参拝客で賑わっていても、少し歩けば元々が簡素な住宅街と言う立地では、人通りも疎らになっていく。
 それでも周囲は何か所かの寺や神社から響く除夜の鐘が鳴り、新年を祝う花火が上がり、冬の夜空に花が咲いている。
 特別会話らしい会話もなく、帰路に付く。黙って歩く沈黙は、けれど気不味いものではなく、少しだけ心地好いものを伝えていた。
「じゃぁ、明日迎えに来るから」
 随分ゆっくり歩いても、大した時間も掛からず、リョーマの家に辿り着いた。
「別にいいっスよ。子供じゃないんだから」
「現物支給は、文句言わないもんだぞ。おとなしく迎えられてろ」
「俺、モノっスか?」
「アホ」
「何ソレ」
「ホラ、おとなしく入れよ。ナイトとしての、俺の信用問題に関わる」
「ナイトじゃなくって、タラシの女衒」
「お前、良くない言葉ばっか、覚えてるなよ」
「その良くない言葉知ってる桃先輩も、同類なんじゃないの?」
 誰にとは言わない。当然父親の南次郎とだ。
「まったくお前は、おとなしく寝ろ」
「だから、子供じゃないよ」
「駄々こねてる時点で、お前のそれは子供だ」
「子供は、こんな事しないよ」
 意味深に笑うと、リョーマは背伸びし、桃城の口唇に己のソレを重ねて笑った。
「ご馳走様」
 触れる程度の口吻を交わし、リョーマはシレッと言っては笑い、玄関へと消えていった。
「まったく…」
 それでも、リョーマが玄関に入ったのをちゃんと確認して帰るあたり、桃城はリョーマに対して周囲が呆れる程過保護だ。けれどそれも自分の不安材料を一つでも少なくしたいだけだと言うのが、桃城の弁だった。
「また、明日な」
 リョーマの部屋を見上げ、桃城は薄く笑うと、帰途に付いた。


『See you tomorrow』

 リョーマが望んだ言葉の意味を、桃城が読み違える事はなかった。