参道から境内まで辿り着くのに、思ったより時間が掛かったのは、年々落ち込む景気回復の兆しが見えない事が原因だろうか?
 正月二日目となれば、大した人出ないだろうと思っていたが、案外参拝客は多かった。
砂利道の参道を闊歩し、大人数で歩いている彼等は、目立つ容姿が手伝って十分目立っていたが、誰もが見られると言う点では慣れているのか、周囲の視線はまったく興味がない様子で参拝の列に並んでいた。
「御縁がありますように」
「フーン、変なの」
 賽銭ばかりは桃城の奢りという訳にはいかないので、リョーマはコートの内ポケットから小さい財布を取り出すと、五円玉を取り出し、賽銭箱に放り投げた。
 大晦日の夜も思った物だが、日本語はこうして何かの言葉に置き換える力を持っている。
 五円玉を御縁。十五円は十分御縁がありますように。
それは賽銭した金子が、再び戻って戻って来るようにと言う意味だろうか?それとも別の意味を持っているのか判らないが、多分そのどどちらも兼ねているのだろうとリョーマは思った。
 様々な縁が有る。出会った人。別れて行く人。アメリカに居た当時には、縁など考えた事もなかった。
 日本とアメリカの正月は違う。新年の迎え方からしてまったく違う。桃城が言うように、日本の新年は何処か厳かなものを感じさせるのは、厄を祓う厳かな除夜の鐘の所為だろうか?厄を祓い、生きる糧とも言える煩悩を滅却し。そして祈り、願う。煩悩を打ち祓った場所に、一体どんな願いが有るというのか?
 口に出せる願いなら、良かったのにとフト思い、賽銭を投げ、手を合わせ、礼をしながら、チラリと隣に視線を移す。
 精悍な横顔は、生真面目に手を合わせ、何かを願っていた。口に出したら、どうするだろうか?この詐欺師は、やはり笑顔で嘘を付くだろうか?案外泣きそうに笑って困惑するかもしれないと思えば、困らしてやろうかとも思う。
 倖せに。
以前桃城に倖せの定義を聴いた時、『お前が笑ってればそれで倖せ』そんなふざけた事を言われたが、別段それは何も嘘ではなかったのだろうと、混雑する参拝客の人波に押されながら、リョーマは思った。
 人波に流されるままに歩いていれば、『はぐれるぞ』と肩を抱かれた。その感触に、不意に泣き出したくなる衝動は、誰もが持つ、莫迦みたいに単純な願いと祈りの在処に気付いてしまった所為、なのかもしれない。








「二日目になれば空いてると思ったのに、案外混んでるな」
 列に並んでいる順番で、参拝順序が狂ってしまった為、メンバーは現在バラバラになっている。
「確か部長達、俺等の後だったよな」
 極自然と人波に流され境内から押し出され、流されるままに歩いて、二人は境内からは離れた大木の根元に佇んでいた。
「この人だと、探すの難しいかもね」
 恋人同時に家族連れ。大人から子供。様々な人間が集まっている。
「まぁ、携帯鳴らせば、いいだろうけどな」
 はぐれても、今は便利な小型の通信器具がある。今時携帯電話は中学生でも持っている。けれど桃城にしてみれば、便利な機械を使っていると言うより、機械に使われている気がしてならないから、どうにも日常で無駄に使用する気にはなれなかった。どんなに便利な道具も、道具として使用できなければ意味などない。年々小型化するコミュニケーション機械が、世界の全てになっている人間の多さに、辟易するのは、特に電車などを利用する時だ。
 他人の干渉を嫌うわりに、常に誰かと繋がっていないとと言う不安。結果、現実と自分の頭の中との区別の付かない莫迦が増えている気がしてならない。尤も、小型な通信機械だけの付き合いなら、引かれた線の内外や思惑を、対面するように気にする必要はないから、ある意味では楽な代物なのだろう。
「部長も、案外携帯嫌いだし」
 柔道の指南をしている祖父の躾だろう。手塚は礼節に煩いから、マナーを守れず道具に使われているとしか思えない携帯という手段が、好きではなかった。
「お前も、好きじゃないだろ?」
 だから結果、自分達は世間の恋人同志のように、無駄な会話や無駄なメール使用料を支払う事は殆どないと言う桃城だった。特別それが寂しいとか言う程、桃城も莫迦ではなかった。何しろ毎日顔を合わせている相手だ。小型の通信機器から発せられる言葉より、ナマの方が言いのは当然と言える。
「便利っスかね?」
 リョーマにしてみても、手軽なコミュニケーション道具が便利だとは思えなかった。何処でも誰にでも繋がる安易さは、結果、自分の時間が磨り減る事に繋がるからだ。
 キャリアウーマンの母親などは、逆に携帯なしでは仕事ができないというタチだから、利用できる間は、便利な代物なのだろう。
「まぁ、人それぞれだけどな」
 人夫々、まったくどんな局面でも、人夫々だと思う。
「景気回復の兆しがないからっスかね?」
「ハッ?」
 突然の話題転換に、桃城は流れている人波に待ち人を探していた視線を、隣のリョーマに移した。リョーマはと言えば、桃城同様、人混みの中に焦点を絞っている。
「参拝客が多いっていうの」
 群れをなして歩いて来る人混み。信じているわけではないだろうに。それでも無心に歩いて行く人の群れ。
「不景気になればなる程、験担ぎするもんなんだろうな。後は占いが流行る」
「占い?」
「景気がどん底でリストラも流行って、誰だって精神的に不安になるんじゃねぇ?今じゃ占いなんて、手軽なカウセリングみたいなもんだって言うしな」
「誰かに何かを決めてほしいなんて、俺なら絶対御免っスけどね」
「まぁそれでも、アドバイスってのは必要な時多いぜ?答え決めてても、背を押してほしい時って、有るもんだしな」
 お前子供だから未だ判らないか?
桃城はそう嘯けば、リョーマの視線がゆっくり桃城に移った。
「あんたは?」
「俺?」
 空のように薄い一対の蒼が見上げて来るのに、桃城の身の裡にもらしくない困惑が湧いたのは、瞬き一つ忘れたかのような眼差しの深さが、その深奥に触れたからなのかもしれない。
「桃先輩は?」
 瞬きを忘れたかのような双瞳だとフト思う。常なら何よりリョーマの内心を綺麗に語り、彼を構成する要素の中、リョーマをソコと位置付ける意志を持つ瞳は、けれど今桃城に何一つの内側をも読み取らせてはくれなかった。そして今更、桃城は理解した気がした。
 蒼い空のようでいて、硬質な真冬の月のような冷ややかな研ぎ澄まされた双眸の持つ力。ソコにはいつも、彼の内心を語る光が隠される事なく宿っていた。だから桃城は言葉に出される事のないリョーマの内側を読む事が可能だった。けれど今こうして見詰めてくるリョーマの眸は、その一切を綺麗に隠している。大晦日の夜、彼の内側を読む事のできなかった理由を、今理解した気分だった。
 いつの間に、そんな芸当を覚えてしまったのかと思えば、それがリョーマの言葉に出される事のない、此処最近の迷いの結果なのかもしれない。
「そうだな、俺がもし迷ってたら」
 其処で言葉が途切れた。途切れ、瞬き一つしないリョーマの蒼い双眸を凝視する。
「お前にでも背、押し出してもらうかな」
「………嘘吐き…」
 悪い男の見本だとリョーマは毒づいた。
優しいフリして、最後の最後には決して甘えさせてはくれない。嘘吐きは最後まで嘘を吐き続けて、優しいフリの一つや二つ、していればいいだろうに。上辺だけを取り繕う優しい男だったら良かったのだ、桃城も。
「あんたのタチ悪い所は、そういう所」
 上辺だけではない優しさは、時には厳しい程の強さも持っているから、他人の迷いなど簡単に嗅ぎ別けてしまうくせに、自分の迷いなど欠片も覗かせやしないだろう。
「だから、お前のソレってば完全な買い被りだって。俺は其処まで強くはないし、余裕もない」
「俺の隣に立つ気はないくせに」
 隣に立つ事の方が、簡単な筈だろうに。
「お前、風避け」
 そんな言葉で嘯いて笑う桃城の内心など、リョーマには丸判りだ。
「先輩のくせに」
「お前都合よく、こういう時だけ俺を年上扱いするな」
 いつもは、一歳の差が気に入らないと言うリョーマなのだ。生きている限り、一歳の差は決して埋まらない永遠の落差だ。
「実力社会には、歳なんて関係ないだろ」
 生温い環境で、足並み揃えて生きていける社会ではない。これからリョーマが向かうだろう場所は。
「あんたの世界に、俺は何処まで居るの?」
 こんな風に、直接的に訊いた事はなかった。
もう随分、弱くなってしまったと思えた。ダレかを愛するなど、殺人行為にさえ思えていたと言うのに。もう引き返せない事だけは嫌と言う程判るのだから、やはりタチが悪いし始末が悪い。
「お前が望むまで」
 随分短絡で卑怯な科白だと思えたが、かといって、時期を限定できる筈もない。
「努力するって、俺は言ったぞ」
 最善な方法は一体何で、どう努力すればいいだろうか?
離れない為の努力。テニスだけではなく、一体何をどうすれば、とても簡単な事の筈なのに、とても難しく感じる。
「未来なんて、決まって無いから、未来って言うんだろ?」
 手放せない胸の裡の願い。験を担いで、居もしない存在に祈って達成できる程、安易な願いではないけれど。それでも、叶わないと思う程、桃城はリョーマに対して卑怯ではなかった。
「俺の願いなんて、本当単純だぞ。去年も良い年だったら、今年も良い年で有りますように。その程度だよ。お前が居て、テニスして、笑ってくれてればそれでいい」
「ダメだよ、ソレ」   
 歪に歪んだ笑みが漏れ、瞬き一つしなかった瞳が、不意に揺れる。
「自分の為に祈れなきゃ。自分の為の願いでなきゃ」
 ちゃんと自分の為に祈ってくれないと。どんなに綺麗に願いを向けられても、最後の最後に自分は卑怯だから、自分の為に願いを向けてしまう。
 綺麗なものばかりに守られている、醜い内側。綺麗なものなど、何一つない。
「お前、テニス以外は、からっきし莫迦だな本当」
 不意に抱き締めたい衝動が湧き上がるが、桃城はそれを何とか押しとどめた。
 参拝客で賑わっている、日本でも有数の境内の軒先で、それは幾らなんでも不味いだろうと言う理性が働いた結果だった。
「どれも自分勝手な俺の願いだろうが」
 リョーマと出会って倖せだったと思うのも、彼の笑顔を見続けていたいと願うのも。どれも利己的な産物で、これ以上ない程、自己満足の世界だ桃城は自覚している。誰もが利他では有り得ない。
「だからお前は、お前の事だけ願ってりゃそれでいい」
 桃城にしてみれば、リョーマの方が、余程利他的な願いをしていそうに見えた。
「願いなんて……」
 祈り願いも、近くて遠い場所に有る。触れられそうで、触れられない。
「大抵の望みなんて、どうにかできるもんだろ?」
 世間一般の子供より、自分が少しばかり恵まれた環境に在る自覚は有る。学歴も、金も。大抵の望みは、どうにかできる気はするのだ。けれど、足掻く程手に入れたいと願う望みは、そんなものではないのだ。
「これからもな、迷う事は多いし、後悔する事は山のように有るだろうけどな」
 トンッと、桃城は大木の背に凭れ、引き寄せるように薄く細い肩に手を回すと、幹に背を凭れさせる。 
「これだけは絶対自信あるって事だけは、有るんだぜ?」
 意味深に、秘密を打ち明けるように、桃城は笑った。
「最後の最後には、絶対後悔はしない」
 どんな結果になったとしても、選ぶはのいつだって自分だ。他人に任せて選択をするつもりはない。ダレかに選択を任せ、後悔する事など、まっぴらだった。迷った中で、決めた答えに背を押し出して欲しいと思う局面は存在するだろう。選択の時は、いつだって怖さが付き纏いもするだろう。それでも、いつだって選ぶのは自分だ。
「……後に悔いるから、後悔って言うんじゃないの?」
 引き寄せられた手に抗う事もなく、リョーマは幹に背を凭れ、人の群れを眺めて呟いた。
 何一つ変わらないだろうにと、思う。
新年になっても、何一つ変わらない。それは一つの区切りではあるだろうが、だからといって、社会は何一つ変わらない。時間は常に一定で、その間隔を伸ばしも狭めもしない。それでも、日本に来てから一年近い時間は、確かに急速に流れた気がした。
 一定に流れて行く時間を、早くも遅くも感じるのは、感覚の問題なのだと改めて思う。悲しかったり喜んだり、楽しかったり。ダレかと居て満たされてしまうから、早く感じるのだろうし、もう少しと、塞き止められない時間を、止めてみたくなるのかもしれない。
「確かに、今年も良い一年でありますようにって、言うしかないのかな」
 桃城の科白は、当たっているように思えた。
今年もよい年に。いつまで、言い続けていられるだろうか?
「よい年に、しないとな」
 クシャクシャと、桃城がリョーマの髪を掻き乱す。
他人任せにせず、自分の手でよい年にしなければ意味はない。
「俺、一つだけ判った気がする」
 無機質に行き交う人の群れ。その内側に何を願い、祈るのかなど到底判りはしない。誰もが迷いを持って歩いている。それでも、目指す場所を知っているかの様に、歩いている人の群れ。
 行き着く場所。辿り付き、帰る場所。そんな風でいられたらと、フト思う。
「誰もが利他じゃないけど、でもそれってとどのつまりさ…」
 どんなカタチを言葉に乗せても、それはとても単純なものの気がした。
「…………倖せに………」
 とても小さい声は、桃城の耳にまでは届かなかった。
大小様々なものはあるけれど、けれど身の裡に置き換えてみれば、きっとそんな言葉一つに集約されてしまえるものだろう。新年に願う祈りは、見知らぬ人の群れの中。見出だせる物など何一つないけれど。誰もが倖せを欲しているのだけは、判った気がした。その言葉に有る深い意味は別物にして、言ってしまえば、そんな単純な言葉だ。
「どした?」
 呟かれた声は、言葉として届かなかったから、桃城は問い掛けるようにリョーマを窺った。
「クレープ、買って貰わないと」
 軽口に誤魔化す言葉など、桃城には筒抜けだろう。けれど桃城は、踏み込んではこない。誤魔化す内側にまで、ラインを超え土足で踏み込んではこないから、ある意味安心で、ある意味不安になる。
 何処まで、届いているだろうか?言葉に出される事のない願いを。吐き出された約束を。
「弱くなったってお前思ってるかもしれないけど、色んなもん吸収して、化け物みたいに強くなってるさ」
 強さと引き換えの、脆弱ではない弱さを抱いて。全てを飲み込めてしまえる程の強靭さもなく、潔さもなく。何処かに、莫迦みたいな弱さを抱き締めて。それでも向かう場所に歩いて行く、頭を垂れないその揺るぎない強さ。
「悪党……」
 そんな言葉を吐き出してしまえるから、悪党だというのだ。綺麗に退路を絶って行く、切っ先の言葉だ。
「そろそろ行くか」
 ポンッと頭を撫でると、歩き出す。
「どうせ英二先輩の事だから、夏と同じで食い倒れだろ。その辺歩いてれば、遭遇するさ」
「…アノ人の行動パターン、随分把握してるじゃないっスか」
「そりゃお前より付き合い長いからな」
「フーン」
 付き合いが長いの科白に隠された意味を勘ぐって、リョーマは精悍な造作を睥睨する。
「勘ぐるな」
 桃城は振り返れば、蒼い双眸が勝ち気に眇めてくるのに、苦笑する。
「言い訳してる時点で、あんたのソレはもうアウト」
 桃城が1年生当時、英二の今の自分の位置は桃城だただろうし、今の自分に置き換えてみれば、桃城にとっての親しい先輩は英二だっただろう。だからこそ、桃城は英二に対してだけは『英二先輩』と呼ぶ事に躊躇いを見せない。桃城が幾人も居る先輩達を、気安くそう呼ぶ人間は、英二だけに限られている。その意味は、一体何処に有るのかと思えば、実は訊く怖さを感じて、今でも訊く事などできないでいるリョーマだった。
「早く行こ。奢ってくれるんでしょ?」
 深い苦笑を浮かべる桃城に、リョーマは眇める眼差しを向けたまま、フイッと歩き出す。
「ああ、何でも奢ってやるよ」
 適わないと、フト思う。
翻る白いハーフコートの裾。頭を垂れる事なくまっすぐ澱みなく歩き出す背。隣に立っていたら、見られない光景だと思えたから、桃城はリョーマの半歩後ろに立つ位置を選んだ。
 彼の向かう場所。傷付き血を流しても、到達するだろう目指す場所。隣に居たら、きっと見る事はできない気がしたから、半歩後ろの位置に立つ事を選んだ。
 それは桃城にとっては、覚悟の位置で距離なのだと、リョーマは未だ気付かないのかもしれない。







「ア〜〜〜オチビと桃」
「ビンゴ」
 混雑する人波の中、桃城の予想通り、英二達は居た。英二の素頓狂な声に、薄い苦笑を滲ませた桃城に、リョーマは少しだけ不機嫌な表情をして見せた。
 英二の手にはお好み焼きが持たれて居て、隣に立つ大石は苦笑しつつ、タコ焼きを持っている。それは多分大石ではなく、英二の腹の中に入るのだろう。
「何をしていた」
 リョーマと桃城以外ははぐれる事なく一緒だったらしく、けれど考えは同じな様子で、誰もが携帯を鳴らさず、適当に散策と食べ歩きを慣行していたらしい。
「部長達こそ、俺と桃先輩、待ってたんスよ」
「オチビのそれはダメだにゃ。多数決で、迷子なのはオチビ達決定。も少しして現れなかったら、迷子放送いれる予定だったんだけどな」
「そんな事したら、速攻見捨てて帰ります」
「手塚はこれでも心配してたんだよ」
「子供じゃないんスからね。大丈夫っスよ」
「ア〜〜リョーマ様。探してたのよ」
 とても探してたとは思えない朋香は、片手にジャガバターを持ち、食べている。桜乃はと言えば、彼女は飲み物の紙コップを片手に佇んでいた。
「桃先輩、俺もう腹へって死にそうだけど」
「んじゃ、さしあたりは、クレープでも食うか」
「買ってきて」
「アホ。種類色々あんだよ。選ばなきゃお前後で絶対文句言うだろうが」
 ホラ行くぞ、そう笑うと、桃城はリョーマの腕を引っ張って、目の前に有るクレープ屋台まで走って行く。
「妬かないのかな?」
 リョーマと桃城の後ろ姿を見送りながら、朋香が不思議そうに呟いた。その呟きを、英二と不二が、聞き逃す筈はない。
「にゃに?」
 細身の姿態の一体何処に、そんなに入るのかと思える程、英二はペロリと御好み焼きを平らげ、大石がつついているタコ焼きに手を伸ばしながら、口を開いた。
「桃城先輩に、名前も明かさない秘密の恋人がいるって、もっぱらの噂なのに」
「ア〜〜〜〜ソレね」
 桃城が女子に告白される機会は数多い。けれど桃城は片っ端からその告白を断り続けている。そんな中には、黙って引く女ばかりとは限らないから、結果、桃城は恋人が在ると、キッパリとした口調で断る事もあった。その時どれ程の詰問にも、決して相手の名前も素姓ね明かさないから、近頃では秘密の恋人持ちと言う噂まで出回っている。
「お正月なんて、一緒に過ごせる時間の筈なのに、桃城先輩、こうして皆と初詣で来てるし。リョーマ様と相変わらず仲いいし」
「親密だからね、桃と越前君は」
 英二の横からタコ焼きをつつき、いつの間にか不二も会話に加わっている。
「そうそう、親密なんですよ。リョーマ様ってば一人っ子だから、桃城先輩はお兄さんみたいなのかな?」
 こんな時、朋香は物怖じしない。不二の二面を知らないというのは倖せだと半ば英二は思うが、不二は滅多な事では柔らかい笑みを崩す事はないから、大丈夫なのだろう。まして所詮他人事だ。
 別名3−6コンビと言われる不二と英二が会話に関わっている以上。手塚も大石も少し離れた場所で二人の様子を見ているに止どまっている。
「私なら幾ら後輩でも、ああ仲がよいと、妬いちゃうな」
「でも朋ちゃん。桃城先輩もリョーマ君も男同志なんだから」
 妬くのは少し変じゃない?桜乃は小首を傾げた。
「え〜〜でも、もし桜乃がリョーマ様と付き合ってて、自分より先輩との付き合い優先されちゃったら、やっぱ妬かない?」
 私なら絶対妬く〜〜そんな口調で、朋香は手にしたジャガバターを平らげて行く。
「そうだねぇ」
 二人の女の子の科白に、彼女達も報われないなと、不二も英二も内心肩を竦め、前方のクレープ屋に走っていった桃城とリョーマを眺めた。







「俺、同じの三つも食べないっスよ」
 チョコレート生クリームアーモンド。いかにも甘い物が大好きなリョーマらしい好みに、既に桃城は胸焼けをおこしつつ、同じものを三つ注文した。
「あの子達にだよ。折角一緒に来たってのに、お前ちっとも相手してやんねぇだろうが」
 ホレッと、受け取ったクレープの一つをリョーマに手渡すと、
「相変わらず、女には卒ないっスね」
 流石フェミニスト、一本調子の声でせ、リョーマはクレープを頬張り、嘯いた。
「お前が、無頓着すぎんだよ」
 桃城は珈琲を注文すると、さっさと一人で歩き出したリョーマに苦笑し、歩き出す。
「応えられないのに、気ぃ持たせる対応する方が、残酷だって、俺前にも言ったスよ」
「まったくお前は、容赦ねぇな」
「桃先輩、珈琲、ちゃんと残しといてよ」
「お前〜〜」
 甘い物が大好きなくせに、食べれば口の中が甘くなるから大抵リョーマは珈琲を欲しがる。そしてそれは甘い物が苦手な桃城が、リョーマに付き合って飲んでいる珈琲と相場は決まっている。




「ハイよ」
 突然差し出されたクレープに、桜乃も朋香が喜んで受け取り、隣ではリョーマが憮然とし、そんなリョーマの様子に英二はクツクツ愉しげに笑っている。
「流石タラシ。相変わらず卒ない」
「こういう気配りは、桃が断トツなんだよね」
「そんで桃、俺の分は?」
「ハァ?あんだけ食って、未だ食うんスか?」
「あんなの食べた内に入んないよ。後輩にばっかベタ甘してないで、先輩にも買ってこい」
 こいつは〜〜と、英二は桃城の首を締め上げれば、桃城は焦った様子も見せず両手を上げている。
「桃はオチビに甘すぎ。この子たち心配してたよん」
「心配?ってちょ〜〜英二先輩、珈琲零れます」
「そう 名前も明かさない秘密の恋人持ちの桃が、越前君に甘いから。彼女が妬かないか」
 意味深に笑う不二の視線は、当然リョーマに向かっている。
 不二の意味深な視線に、けれどリョーマは我関せずを決め込んでいる。此処で口を挟んでは、話しの肴なのは眼に見えている。
「よし、んじゃ此処で、内緒の話し、あのねあのねって具合で、桃城の恋人暴露〜〜」
「英二先輩」
 流石に焦った桃城だった。
「越前、フォローしろ」
「ヤダ」
 珈琲頂戴とばかりに、英二と戯れている桃城の手から、さっさと珈琲を奪うと、一口含み、半分以下になったクレープを食べている。
「桃の恋人は、美人の勝ち気で、スゲー焼き餅妬きで、負けず嫌い」
 面白がる英二の科白に、リョーマは憮然と睥睨を向けた。
「へ〜〜それでもこうして皆と遊びに来るの、何も言われないんですか?」
 物怖じしないにも程がある朋香の問いに、桃城は乾いた笑みを浮かべると、リョーマを見やった。桜乃はと言えば、積極的すぎる朋香に、脱力している。
「勝ち気で負けず嫌いは当たってるけど、焼き餅は妬かないんじゃないスか」
 話しの肴になると判っていても、リョーマは英二の科白に反駁しない訳にはいかなかった。
「ダメだなオチビ〜〜先輩の恋人の性格位、ちゃんと把握してなきゃ」
「リョーマ様、会った事あるの?」
「……ない」
「嘘だにゃ〜〜」
 嘘嘘〜〜と英二が楽しげに笑うのに、リョーマは益々憮然となり、桃城は勘弁して下さいよと、些か焦った調子で英二の口を塞ぎに掛かっている。
「桃先輩、次、御好み焼きとフランクフルト」
 クレープを平らげ、桃城が奪った珈琲を綺麗に飲み干し、リョーマは英二の口を塞ぎに掛かっている桃城の腕を引っ張った。
「桃。今度はちゃんと先輩の分も買ってくんだぞ」
「英二先輩に付き合ってたら、破産宣告するようですよ」
「オチビの為には借金してでも何でも買い与えちゃうんだから、たまには先輩にも買ってこい」
「桃城先輩とリョーマ君、本当に仲が良いですよね」
 関心したような桜乃に、英二と不二は互いに顔を合わせ、
「溺れてるって言うんだよ」
「英二先輩〜〜」
 レギュラー内では公認でも、流石にリョーマに想いを寄せる彼女達に、リョーマとの関係がバレるのは勘弁してほしいと嘆く桃城に、罪はないだろう。
「俺、知ってるから」
 桃城の腕を引っ張りながら、英二達に背を向けたまま、フトリョーマの足が止まる。
「桃先輩の相手なんて、自分の事しか考えない利己的で、すごい薄情もんだよ。負けず嫌いってのに救われてるだけ。何か有ったら、簡単に桃先輩見捨てちゃう薄情もんだよ」
 呟くようなリョーマの科白に、二人の関係は見た目通りのものではないと、英二と不二は確認した気がして、互いに顔を見合わせる。
 此処最近、揺るぎなかったリョーマの瞳が、時折何か迷っていると感じられる事がある。
冷ややかな切っ先のように研ぎ澄まされた双眸が、時折何とも言えないものを滲ませている。自分達にも判る程なのだから、誰よりリョーマとの関係を慎重に扱っている桃城が、気付かない筈はないだろう。
「リョーマ君……?」
 呟くようなリョーマの声に、桜乃は疑問符を口にする。けれど桜乃の声にリョーマが応える筈はなく、リョーマは桃城の腕を引っ張って再び屋台に向かって歩いて行く。
「変なの」
「朋ちゃん?」
「普通幾ら仲良くても、自分の恋人あんな風に言われたら、怒る筈なのに」
 けれど桃城は怒るどころか、何とも言えない苦い笑みを浮かべ、リョーマの頭を撫でただけだったから、それが朋香には不自然なものに映ったし、不思議だった。
「桃の恋人は、本当に焼き餅妬きで、そのくせ自覚ないからさ」
 不憫だよなぁ〜〜と人混みに紛れていく後輩の背を眺めた。
「菊丸先輩、リョーマ様は?」
「ヘッ?オチビ?」
「だってリョーマ様も、桃城先輩みたく告白される回数多いのに、皆玉砕してるんですよぉ〜〜」
「オチビは、ダメだよ」
「どうしてですか?」
「オヤ?初めて声聴いた気がする」
 おずおずといった様子で訊いた来た桜乃に、不二は笑った。物怖じしない朋香とは対照的に、桜乃は驚く程引っ込み思案だ。とても顧問の竜崎の血筋とは思えない。顧問の竜崎スミレから感じるものは、パワプルなものばかりだ。
「オチビは子供だけど、子供じゃないから」
「子供じゃなくなったって言うのが、多分正解かな?」
 リョーマに想いを寄せる彼女達には、些か残酷な科白に思えたが、次の恋に向かうなら、早い方がよいだろうと、らしくないものを不二は感じて桜乃に答えた。
「オチビの想い人はさ、オチビが望めば、命くらい簡単に捨てちゃいそうな奴だからなぁ〜〜。時折見てて怖いって思うよ」
 甘やかすだけリョーマを甘やかしている桃城は、けれど決して甘いだけの関係に溺れ、境界線を見失ってしまうような浅はかな人間ではない事は、誰もが判っている。だから甘いだけの関係に見せかけて、中学生らしい熱に浮かれただけの恋愛遊びをしていると思ってはいなかった。けれど此処最近、リョーマの迷いが英二達にも知れる程度に表面化しだした頃から、桃城は更に成長したように感じられた。それが時折怖いものを孕ませている事を、桃城自身に自覚はない。それが尚更、英二には怖い時が有る。
「傷付かない恋愛なんてさ、恋愛じゃないよ。でもアレだよ。あの子が今迷ってる事に答えを出して、歩き出したら、きっと手塚でも適わないかもしれない」
「ウンウン、オチビが開き直ったら、怖い者ないかもね」
「手塚部長も、ですか?」
 桜乃が不思議そうに不二を見れば、不二も英二も、視線は前方に伸びていた。
「小生意気で負けず嫌いだけど、何せオチビはテニスの王子様、だから」
 朋香が良く言っている科白だ。
『テニスの王子様』それが何らキャッチフレーズではないところが、リョーマなのだろう。
 卓越した技術に試合センス。本人は決して望んでいるものではないが、母方の血筋を受け継いでいる整った容姿は、確かにテニスの王子様と言えてしまうものを持っている。
「リョーマ君には、そういう人、いるんですね」
「ダメよ桜乃。恋愛は戦いなんだから」
 落胆した様子の桜乃に比べ、朋香は相変わらずパワプルだ。けれど朋香の言う事は、あながち外れではないだろう。








「結局、皆は何を願い事したんだ?」
 英二と不二が、後輩を肴に会話を楽しんでいる間。手塚と大石は破魔矢とお守りを買いに行き、リョーマは英二と不二に近付く疲れを感じ、桃城を引っ張り回して食べ歩きを慣行していた。
 クレープから始まって、御好み焼きタコ焼きフランクフルト、ジャガバターと、細い躯の一体何処にそれが吸収されるのか?桃城はその食欲の旺盛さに呆れながら、その大半のものは奢ってやったのだから、大概終わっている。これで綺麗に夕飯も食べるのだから、やはり食欲中枢も化け物並だと、自分の事は全く棚上げしている桃城だった。
 そして最後まで誰の肴になる事もなく、無事一日を終え、内心ホッと胸を撫で下ろしているのは、海堂だった。
 海堂と乾は、参拝を終えた時から、境内を歩き、破魔矢を買い、お守りを買い、そしてやはり食べ歩きをしていた。尤も、料理の腕がプロ並みの母親の手料理で育ってきた海堂にしてみれば、屋台の味は今一つ好みではなく、リョーマや英二程に、食べる事はなかった。
「そんなの決まってるじゃん大石」
「来年もよい年でありますように」
 ありきたりだけど、一番無難なんだぞ〜〜英二は笑う。
「僕はちょっと違うけどね」
「ハレ?んじゃ不二は何お願いしたんだ?」
「内緒」
「狡いぞ不二。そいやオチビは?」
「秘密」
「オチビ生意気〜〜」
「願い事は口にしたら叶わないって言うから」
「うわ〜〜オチビ、それすごい乙女発想」
「余計なお世話」
「桃」
「だから俺にとばっちりしないで下さいよ」
「お前、オチビの教育担当なんだから、ちゃんと躾しとかなきゃダメ」
「菊丸」
 まったく正月から賑やかだと、手塚は大仰に溜め息を吐き出した。尤も、この明るさが英二の部内でのムードメーカとしての位置だから、その明るさに救われている事も少なくは無い。「そろそろ帰るぞ」
 冬の夕暮れは早いし、今日は一段と冷え込んでいる。夕刻は短くすぐに夜が訪れる。残り火を灯しながら、太陽は西に沈み始め、反対に、凍えそうな光を放ち、白い月が姿を現していた。
「リョーマ君」
「ん?」
「あの、今日はありがとう」
「別に、俺何も付き合ってないけど」
 桜乃の科白に、リョーマはやはりキョトンとしている。
「本当、手塚と越前ってば、似てる」
 国語が苦手な事はない手塚と、国語がまったく苦手なリョーマと。けれどどうにも感情表現が乏しいのはとてもよく似ている。
「ありがとうって言ってんだから、素直に受け取っとけ」
 苦笑いを漏らし、クシャリとリョーマの髪を掻き混ぜる桃城に、桜乃は何か深奥に触れた気がした。


『オチビの想い人はさ、オチビが望めば、命くらい簡単に捨てちゃいそうな奴だからなぁ〜〜。時折見てて怖いって思うよ』


 英二の科白が何故か甦る。
誰よりリョーマの近くに居て、きっと誰よりリョーマを理解している。
 まさかと一笑するには、何故か符号が一致しすぎた。
けれど訊くのは躊躇われた。訊いた所で、返答など返ってくる筈もない事を、桜乃にも判る事だった。
 まだ今は、手放せない恋心なのだろう。




「桃先輩、夕食どうするの?」
「オチビ、もしかして今夜もお泊まり?」
「Need not to know」
「ウワ〜オチビ生意気」
 流暢な発音で綴られる言葉に、英二はやはり賑やかに騒ぐ。
「こいつの機嫌、下げないで下さいよ。俺が苦労すんです」
 それでなくてもやたら英二の事に拘っていたリョーマだから、今夜機嫌を取るのは大変かもしれないと、桃城は苦く笑う。
「どっか寄ってくか?」
「モスもマックもパス」
「夕食にそんな所に寄るか」
「桃〜本当、オチビに激甘……」
「甘くないですよ。俺は、ただの我が儘ですからね」
 大事にしたところでし足りない程大切、その程度だ。誰だって利他ではありえない。その程度のものだ。
「んじゃ俺等、此処から夕食食べながら帰りますんで」
「ああ、また新学期に合おう」
 もう残り少ない冬休みに、テニス部の練習もなかったから、会うのは新学期になってからだ。
「リョーマ様、また学校でね」
 元気な朋香の声に、彼女はリョーマと桃城の親密さに気付いていないのだろうか?桜乃は友人の顔を眺めたが、その横顔からは、何一つ読み取る事はできなかった。








 冬の夜は早く訪れる。空はもう蒼いものに変わり、磨き抜かれた切っ先のように鋭利な光を放つ月が、白く天空に浮かんでいる。
「何処寄りたい?」
 吐き出す吐息が白く染まる。随分気温も低下していた。
「桃先輩家」
「そりゃ夕飯すませた後だろ?」
「カップラーメンでもいいよ」
「アホ。んなもの夕飯になるか」
「本当、変な所で几帳面」
「限定だから安心しろ」
 自分一人なら、それこそカップラーメンでも何でもいいのだ。
「桃先輩、姫初めの続きしよ」
 ポツリと告げる声。視線は大晦日の夜を桃城に思い出させる程、似通って地に落ちている。こんな時のリョーマの内心は、何一つ読み取れない。
「俺言ったよね。欲しいのは同じだって」
「俺も言ったな。大事だし、壊したくないから無茶はさせられない」
「俺が、欲しいって言ってるの」
 駄々を捏ねている自覚はリョーマにもあった。けれどどうにも収まらない衝動と言う物を、教えたのは桃城だった。
 躯は怠いが、けれどどうにも飢えている。満たされた後から、すぐに飢えなど湧いてしまう。この飢えは、桃城でなければ満たされない。
「明日が辛いぞ」
 言い出したら決してきかないリョーマの事だ。けれど今欲していると口に出す声は、下がった機嫌を取れという、いつものものではなかったから、桃城は落ちた視線の先を凝視する。
そうした所で、リョーマの内心など判るものはなかったけれど。
「ねぇ桃先輩………」
 不意に立ち止まり、落ちた視線が桃城に向いた時。リョーマの瞳は歪に歪んでいた。
「仕方ないな」
 泣き出しそうに歪んだ瞳。けれど決して涙など流れない。其処にあるのは、哀しみとも憂いともとれる何かが、横たわっているだけだ。
「駅前のコンビにで弁当でも買って、それで帰るか」
 何がリョーマを不安にさせているのか?漠然と判る様で判らない。言葉に出されない部分で、リョーマが手放さない弱さと脆さ。
「お前は、利己的じゃないし、薄情でもないさ」
「知らないくせに」
 何を願い、祈り、望んでいるのか、何一つ知りはしないだろうに。醜い内側など。
「俺は、強くなりたい…その為には……」
「バーカ」
 言葉に出されない途切れた言葉の先を、けれど桃城は聞こえた気がした。