「コラ越前、いつまで寝てる気だ」
サクサクと着替え、英二達と予定した初詣に出かける準備の整っている桃城は、一向に起きる気配を見せないリョーマに苦笑しつつ、ポンッと軽い仕草で、頭を叩いた。
「行かないって、昨日言ったよ」
昨夜抱き合った温もりが生々しく残っているベッドから、リョーマは細い手首を突き出すと、横着に手をヒラヒラさせ、 『桃先輩いってらっしゃい』の挨拶をしている。そんなリョーマに桃城は脱力し、大仰に溜め息を吐き出した。
「だから夕べは加減しろって言ったんだ」
こうなる事は、判りきっていた事だ。けれどいつだってリョーマは翌日の事など考えず挑発行為に出るから、結果、桃城は迂闊にも放埒な恋人に、翻弄されると言う事になる。
「日付変更線超えた今は無効。第一、どう考えたって、俺の方が分悪いじゃん。テーブルでなんて。躯痛くてヤダ」
ヒラヒラ手を振っていたリョーマは、『それじゃ、そういう事で』とばかりに、クルリと桃城に背を向けると、ネコのように丸くなった。
布団に潜り込んだリョーマの姿は、頭の天辺しか見えない。性格もネコなら、寝る恰好もネコだと、桃城は見当違いな感心をして見せた。それは何処かリョーマの愛猫のカルピンを連想させる姿でもあったからだ。
ネコの寝る恰好など皆代わり映えなどないだろうが、ペットは買い主に似るというから、どうにもカルピンとリョーマに、幾重かの類似性が有る気がしてならない。それは昨夜も感じた事だ。
やはりペットは買い主に似るというのは、定説を通り越し、事実以外のなにものでもないのかもしれない。
「コラ」
リョーマの寝起きが悪い事などいつもの事だ。この程度で投げ出していては、到底リョーマの恋人などやってはいられない。そして腐った事に、桃城はそんなリョーマが可愛くて仕方ないのだから、大概終わっているのかもしれない。
桃城は盛大に溜め息を吐き出すと、布団を引き剥がそうと手を掛ける。けれどリョーマは桃城の行動など予測していたのか、布団を抱き込む恰好で丸くなっているから、攻防になるのも、いつもの事だ。
「お前〜〜〜だから言ったんだ」
お年玉と称し、南次郎に現物支給されてしまったリョーマを、昨夜の夕方、迎えに行ったのは桃城だ。
既に通い慣れてしまった道で、迎えなど必要ないと言っていたリョーマに、それでも桃城は迎えに行き呆れられ、南次郎には盛大に爆笑された。
親子間で、他人には理解出来ない少ない言語で意思疎通を図っている南次郎とリョーマは、どうやらまた下らない賭をしたらしいと、桃城は迎えに行き感じていた。
迎えに来た桃城に『何で来るんスか』と盛大に呆れつつ八つ当たりしてのはリョーマで、俺の勝ちだと笑ったのは南次郎だった。
一体何を賭けたのかと想像すれば、到底身になるものなど賭けている筈もない事は、リョーマと付き合い出して、それなりに時間の経過した桃城には判る事だった。
どうせろくな事じゃない。
言えばリョーマは心底嫌がるだろが、そういった点で、南次郎とリョーマはとても良く似ていたから、親子だと思わずにはいられない桃城だった。
「だから、日付変更線超えた今はもう無効。第一桃先輩だって、盛大に愉しんだせくせに。腰痛くて怠いの、あんたの所為なんスからね、責任とって下さい」
だから行かないと、言外に滲ませるリョーマに、桃城は呆れて苦笑し、ベッドの端に腰掛けた。
ギシリと、鈍い音をスプリングが鳴った。
「同罪だろ?」
どうせ愉しんだのはお互い様だ。元々気遣う桃城を挑発するのは、いつだってリョーマの方だ。
「フーン」
リョーマは意味深に笑うと、ムクリと起き上がる。起き上がり、
「俺の躯の何処見て、そう言います?」
起きた拍子に捲れた布団から現れたのは、白い裸体に淡紅色の所有印を胸元から腹部に掛け、散らせている裸身だった。
「いつもは付けていいっても付けないくせに。当分部活休みだと思って、盛大に付けてくれたの、あんたでしょ?」
いつもいつも、抱き合う行為の中。桃城はリョーマに所有印を残す事はなかった。時折残す事はあっても、それは誰からも見えない、桃城だけが知っている足の付根に限られていた。
リョーマに対し、周囲もリョーマ自身も呆れる程慎重な桃城にしてみれば、リョーマに所有印を残していると言う事は、昨夜は確かに桃城自身余裕なく求め、愉しんだと言う事になるのだろう。
「………」
「返事は?」
「……俺の所為か?」
それは余りに理不尽だろうと思えば、リョーマはやはり桃城の視線を受け、意味深に笑っているばかりだ。
「この跡があんたじゃなきゃ、誰だって言うんです?それとも、他の誰かの方が良いって?」
言い訳無用とばかりに、リョーマは再び布団にもぐりこんだ。
「俺以外に付けられたいってんなら、試してみるか?」
これは約束の時間に間に合うには、相当骨が折れるだろう。そう判っていたから、相当時間を見越して起こしたと言うのに、きっとこの分ではギリギリだろう。だから桃城にしてみれば、この科白は、少しばかりの意趣替えしが込められていた。
「フーン、そーいう事言う?」
布団から顔だけ出して、リョーマが桃城を見上げる恰好で睥睨する。
「お前が下らない事言うからだ」
白皙の貌に嵌め込まれた一対の眸。けれど眇める眼差しの奥に漂うものは甘いばかりのものだったから、二人にとっては日常的な、戯言に等しい言葉遊びだ。
「俺の躯に付けた跡見れば、一目瞭然っスよ」
「だったら、俺の腕や背中が痛むのは、何処の誰の所為だって思う?」
「俺以外誰か居るなら、相手の名前言ってもらいましょうか」
「………お前…どうしても行かない気だな?」
悪びれた様子もなく、勝ち気な性格を覗かせるリョーマに、桃城は苦笑しか出来ない。
「腰痛いし怠いし、面倒。第一、大晦日に初詣、済ませたし」
願う願いの在処を、再確認した気分を味わった時間。
凍える寒い夜。吐き出す吐息がそのまま凍り付きそうな程、空気に氷が刻み付けられたかのように寒かった深夜。
それでも、その凛冽とした寒さは何処か心地好く、それでいて、軋む切なさをと同時に、崩れ込んでしまいそうな絶望をも齎してきた。
過ぎる時間と来る時間。時間の流れは常に一定で、短くも長くもなりはしないと言うのに、過去と未来が交じわる印象を痛烈に感じた。今日が明日に続く事など、極当たり前の事の筈だった。けれどそう感じたのは、きっと桃城と初めて迎える新年だからだろうと、些か感傷的に思うリョーマだった。
それは秋以降、常にリョーマの身の裡に居座り、ついには根を生やしてしまった類いのものだ。今までなら、極力思考に取り込まないようにしていた類いの事を、今はもう意識せずにはいられなかったし、考えない訳にはいかなかった。
自分にとって、桃城とはどういう存在なのか?
そんな事は、今更だった。不鮮明になって行くばかりの境界線を眺め、枷ではないと父親に告げ、それでももう十分、離れる事などできなくなっている。
「今日行かないなんて事になったら、次に会う時、英二先輩に盛大に揶揄われるのは、間違いないな」
計算ずくの意図的で、英二がリョーマを玩具にする事は決定だろう。だろうと、意味深に桃城が笑えば、リョーマは途端に憮然となる。英二のタチの悪さを、リョーマも判っている。そういう事だろう。
「だから昨日も言ったじゃん。精々菊丸先輩に遊ばれてきてくれって」
「お前なぁ。お前連れてかなかったら、俺が全部とばっちり受けるんだぞ」
新学期、英二の玩具になるのはリョーマだろうが、此処でリョーマを一人残し初詣に行った場合、英二の矛先は間違いなく、桃城一人に集中するのは、火を見るより明らかだ。
「だから受けてきて下さい。硝子ケースに入れたい程大事な俺の科白なんだから」
それくらい、簡単でしょ?
リョーマはタチの悪い笑みを刻み付け、面白そうに桃城を眺めた。
「この我が儘ネコ」
「大事にしても、したり無い程、大事なんでしょ?」
睥睨が柔らかく和むと、細い腕がスルリとケットの中から伸び、ベッドの端に腰掛けている桃城の腕に触れた。
「眼にいれちゃうかもしれない程、なんでしょ?」
帰国子女のリョーマが知っている諺など、知らないに等しい程少ない。
昨夜というには些か時間的には日付変更線所か、深夜をも通り越していた情後の目蕩みの中。眠りに落ちるギリギリ意識の端に、桃城の微苦笑と共に聞こえた科白を、リョーマは覚えていた。
『眼にいれても痛くないってのを、通り越している』
微苦笑に紛れ呟かれた声。その正確な諺は、珍しくリョーマも知っていた。そして吐息程度に吐き出された桃城の科白が、彼の深奥に位置としている事実にしかならない事も、リョーマは判っている。
「そいや」
クスクス笑うリョーマを、溜め息を吐き出し眺めていた桃城は、情事の最中、リョーマが淫蕩に漬かり込みながら言った科白を思い出す。
「堕た娼婦程高貴って、何だ?」
触れて来る指を掬い上げ、引き起こす。薄い躯は同年代でも伸長も足りなければ、体重は更に足りないだろう。リョーマの薄い躯は、桃城が呆れる程軽く、その腕の中に収まった。
小食などと言う言葉は、リョーマには縁がない。部活の帰り、ファーストフードに立ち寄っても、桃城が呆れる程リョーマは食べる。それは健康な証拠だろうが、身にならないのが不思議なくらいだ。
尤も、昨年の都大会で氷帝戦で見せた試合のテンションがを考えれば、あのテンションがリョーマのベストだとしたら、それはそれで、スタナミを維持するには、何より食事が大切だろう事は桃城にも判る事だった。それでも、この小柄の躯の何処に、自分とさして変わらぬ食事量が消えるのか、桃城には甚だ謎な部分だった。
「親父の受け売りだけどね」
引き起こされた腕に抵抗の一つもなく、華奢な躯はひどく軽い音を立て、幅広い桃城の肩口に頭を頭を凭れた。
「ねぇ桃先輩」
「だからお前、朝からその眼は止めろ」
「どんな眼?」
「襲っちまうぞ」
「いいけど?大事な菊丸先輩との約束、反故にできる勇気が、あんたに有るなら」
「………何か含んでないか?」
大事な菊丸先輩、その部分を、微妙に強調された気がして、桃城は朝から淫蕩に笑い掛けてくる眼差しを覗き込み、問い掛けた。
「別に」
「あのな、俺は確かに英二先輩と仲がいいよ。きっとどの先輩より気は合うし。でもそれだけだぞ」
微妙に強調された部分の意味を、読取れない桃城ではないから、苦笑と溜め息を同時に吐き出し、癖のない髪をサラリと梳き上げる。
「判ってるよ」
それでも、感情が微妙な部分で納得しないのだから仕方ない。
「だから精々遊ばれてきてくれって、言ってるじゃないっスか」
「お前なぁ」
これでは延々言葉遊びの繰り返しだ。何もない日なら、それは十分楽しい部分だろうが、今は時間制約が有る。のんびり遊んでいられる時間は、かなり少なくなってきていた。
「ねぇ桃先輩、淫蕩と清潔って、成立すると思う?」
「?何だ突然」
「話しの続き。堕た娼婦こそ高貴っていうの、親父の受け売りだけどね。処女と娼婦とか、淫蕩と清潔とかって、コインの裏表みたいなもんじゃん」
「何か急に話しが、極端に走ってないか?」
小作りな貌を覗き込めば、其処には昨夜の何処か痛々しい風情で名を繰り返していたリョーマの姿が見える気がして、桃城はフトは攅眉する。
「そう?綺麗は汚いとも言うじゃん」
「……今度は文学かよ」
「簡単な事じゃん。汚いものは何処かに綺麗なもの持ってるし、それって見る角度にもよるし。光の当たる部分があれば、影ができるのは当然だし。マリアが処女受胎で救世主生み落としたって言うなら、やっぱり娼婦じゃん」
「処女受胎が、何でいきなり娼婦になるよ」
「神の娼婦」
そんで子供作ったんだよ。
リョーマは面白いものでも見つけたかのように、クスクスと笑う。
「この罰当たり」
何処か得体の知れない笑みに思えた。妖冶な娼婦の笑みと穏やかな部分が混在している曖昧なソレ。
「あんた無宗教でしょ?」
「そういう問題か?」
「少なくとも、平和惚けしているこの国には、あんま意味のないものなんじゃない?」
何に頼らなくても、生きて行ける。黙っていても、国が行政政策をしてくれる国は、救われている。
リョーマが精悍な顔を覗き込めば、桃城は苦笑している。と言う事は、桃城もそれは感じていると言う事だろう。
「娼婦と処女ってさ、快楽と苦痛がよく似ているっていうのと、同じ気がする」
「………お前って本当、時々判らない事言うよな」
見上げて来る眼差しを凝視すれば、色素の薄い空色の瞳は、意味深で曖昧な笑みを、綺麗に口端に浮かべているばかりだ。
「深い快楽って、苦痛を味わって通り越した先にしか、ない気がするんだよね」
神経を剥き出しに嬲られる苦痛の先に訪れる快楽。それは何処か生温い泥沼に漬かり込む心地好さと似ている気がする。
溺れて窒息してしまいそうな生存限界点の痛み。
酸欠ギリギリの境界線で、目の前に開けた昏闇に誘い込まれる狭間に垣間見えるナニかと、とてもよく似ている気がしてならない。
大晦日に願った願いの在処。その深奥に触れた昏闇に似た絶望はどれも同じで、痛くて少しばかりの心地好さを与えてくれる気がした。
「……お前…」
腕に収まっている華奢な生き物の迷いや悩みは、自分が認識していたものより随分と深いものだったのかもしれないと、見誤った事実を突き付けられた気がして、桃城は内心自嘲と舌打ちを着ように同時に行った。
見ていても、どれ程見守りたいと願っていても、結果、下手をすれば、追い詰める事になってしまう。けれどだからこそ、普段は欠片も覗かせる事のない脆弱な部分を、痛々しさが付き纏う程、リョーマは見せていたのだろうか?そうとも思えた。
桃城には、その深い深奥まで判る事はない。判らない事に幾重かの焦燥が湧きはしても、けれど立ち入らない部分も見えてしまう為、言葉に吐き出し伝えられる心配など、桃城のリョーマに向けられるものの半分にも満たないだろう。
そしてそんな事を、リョーマは知らない。
「堕た娼婦こそ高貴ってさ、だからマリアは高貴の光の中に、いるんじゃないの?」
「お前、もっと判りやすい例えしろよ」
何処か話す仕草そのものに痛々しさが刻み付けられている気がして、桃城は肩口に頭を額を預けているリョーマの頭を撫でてやる。そうしていないと、勝ち気で負けず嫌いのくせに、時折垣間見せる脆弱な部分が綺麗に砕け散っていきそうで、桃城は堪らない思いに駆られるから、それは所詮自分の不安を一つでも消したい為だと、桃城は理解していた。
少しでも。少しでも、こうして触れ、戯れて、言葉にはならない部分が伝わってくれれば、祈りのように、そう思う。
「本当は、誰だって簡単に知ってるんじゃないの?」
「汚いものも綺麗なものも、同じだって?」
「コインの裏表で、表裏一体性だけどね。どっちが欠けても成り立たない。そんな感じでさ」
「お前、あんま自分追い詰めるなよ」
言葉に出すべき事ではないと百も承知している。それはリョーマの領域の問題だ。体温を分け合う関係に於いても、其処だけは触れてはいけない部分だと、判っていた筈だ。それでも、こんな風に自らを追い込んでいるリョーマの姿を見れば、桃城は到底黙っている事などできなかった。できないと思えば、未々ガキだと思い知る。
「娼婦も処女も、大好きなくせに」
言葉に出して告げられた科白以上に、言外に滲む桃城の心配が手に取るように判ってしまい、リョーマは額を肩口に預け俯いたまま、クスリと笑みを漏らした。
「お前の理屈でいけば、同じもんだろ」
汚い部分も身に付けて、ますます研ぎ済まされていく切っ先の強さ。そうであって欲しいと思うし願う。崩れ落ちそうな弱さを曝しながらでいい。進むべき道を、見誤ってほしくはなかった。
「莫迦だね、本当」
自分の内側が、どれ程澱んだ願いを抱いているか、知りもしないで。
「莫迦なくらいが丁度いいって、前に言ったろ?」
こんな言葉程度で、きっと癒されてはくれないだうと思いながら、桃城は自嘲と共に、幾度となくリョーマの癖のない髪を梳いていた。
□
「っで、結局この時間かよ」
もう約束の時間は、このままスムーズに行っても過ぎてしまうだろうと、桃城は英二の笑い声が聞こえてきそうで、頭を抱えた。
「俺こそいい迷惑っスよ。躯痛ってのに」
結局、レギュラー揃っての初詣をリョーマは辞退しきれず、半ば桃城に引き摺られる恰好で、駅への道を歩いている。
「まったくお前は」
起こしてからごねるリョーマの支度を手伝い、家を出るのに掛かった時間は、2時間近くだ。
「大事にしてもし足りないんだったら、文句言わない」
「お前…そういう部分だけは、よく覚えてるよな」
いつもなら、眠りに入る直前の会話など、翌朝には綺麗に忘れている事の方が多いのだ、リョーマは。
「そりゃね」
忘れてなどいない。忘れているフリをしているだけだ。それでも、あんな風に、吐息で吐き出すように囁くのはフェイントだろうと思うリョーマだった。
到底忘れる事などできる筈もない。
「ねぇ桃先輩」
「んっ?」
「俺体力持たないから、今日色々奢ってよね」
躯中軋む心地好い痛みを回復するのには、何より食べなくてはエネルギーなど湧かないから、リョーマは腕を引くように歩く桃城を眺め、少しだけ声を張り上げて笑った。
引かれる腕の確かさと温かさ。決して離したくはないのだと、もういい加減認めなくてはならないのだろうなと、リョーマは少しだけ軋む躯と心を抱き締め、晴れ渡る空を見上げた。
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