死闘の果て〜〜after











 短い電子音が繰り返された後。相変わらず抑揚を欠いた端然とした声が電話の向こう
で響くのに、不二は少しばかり苦笑と、そして多大な安堵と共に、酷薄な口唇に綺麗な笑
みを飾り立てた。
「ああ、手塚?」
『関東大会、ベスト4進出決まったそうだな』
「なんだ、大石から、もう連絡言ったんだ」
 生真面目な大石の事だ。城西湘南校との対戦後、大石は手塚に報告を予ての連絡をし
ていたのだろう。
『大石と、乾から連絡を貰った』
「乾からも?案外手塚と乾って、距離近いんだよね」
 大石以外の名が手塚の口から出るのに、不二はああと、笑った。
 一見ミスマッチな組み合わせだが、手塚と乾は、あれで気が会う事を、不二は心得てた。いたから、手塚からもたらされた名に、別段不思議な感触を抱く事はなかった。それは
ある一種の信頼ににている事も判っていた。
 春先、乾が校内ランキング戦でリョーマに破れ、レギュラー落ちして以来。手塚はコーチ
としての役割を、乾に求め続けて来た。不二には良く判らない乾汁のその効力すら、部員
の実力アップの為には仕方ないと、眉間に皺を寄せ、黙殺してきた手塚だ。それは信頼
がなければ、できない事だろう。
『どういう事だ?』
「手塚は、乾を信頼しているって事だよ」
 携帯の向こうで、手塚は怪訝な表情をしている事だろうと、不二は笑う。きっと手塚自身、気付いてはいないのだろう。
 手塚は、レギュラー陣のレベルアップを計る練習プログラムと、微調整を乾に全面任せ
ていた。それはコーチとしての信頼がなければ、手塚は乾に託さない事を、不二は判って
 それでも、決して信頼していない訳ではなかった。言われて初めて、手塚は気付いたの
かもしれない。きっとそんな意識もなく、手塚はコーチとしての役割を、乾に任せてきたと
言う事だろう。それはやはり信頼だろうと、不二は思う。
「まぁ二人から連絡行ってるなら、今更だけど。全国に一歩近付いたよ。だから早く戻って
おいでね。君の席は、君じゃないと、埋められないんだから」
 誰も手塚の代わりなどできはしない。手塚が不在になって、それは誰もが理解した事だ
ろう。
 個性豊かな部員を、『グランド20周』と、一喝で走らせる事のできる実力とカリスマを持
っている存在は、そうそう居ない。けれど手塚の存在の大きさというのは、そんな表面に
出るものではなかったのだと、今日誰もが思い知った筈だった。
『らしくない』
「そぅ?これ以上ない程、僕らしいと思うけど?」
 携帯の向こうで漏れた苦笑に、不二は薄い笑みを刻み付ける。刻み付け、
「だからやっぱり君は、僕を誤解しているよ」
 前にも言った科白だった。
「皆ね、君の存在の大きさとか、背負ってるものとか、判ったと思うから」
 決して、誰も肩代わりのできない『柱』の存在。それは部長という職務を肩代わりする事
はできる大石が、けれど手塚と言う存在の代わりはできないと認識し、理解している事か
らも明らかだろう。手塚の存在の大きさといものは、全国を勝ち続けていく為には、部員
一人一人に必要な、安心なのだと、きっと誰もが気付いた筈だった。
 全国に出場する為に、必要な実力を持っていたと言う意味以上に、手塚という存在が抜
けた空洞は、誰にも大きいものだっただろう。手塚のように、誰にでも安心を与える事の
できる存在は、残念ながら、現青学テニス部には、存在してはいなかった。それは、手塚
に頼るという意味とはまた別の部分の問題だ。
 自分のテニスに誇りを持っているのは誰もが同じでも、手塚が居ると居ないとでは、部
員の精神に与えるゆとりが違う。背後に手塚という存在が控えている大きさは、誰にでも
余裕を造らせていたのだ。それを今日、誰もが身に染みた筈だ。
『らしくないぞ。不二』
 苦笑する手塚の声が聞えて、不二は笑う。
「まぁ結局、僕の分まで、順番回ってはこなかったけどね」
『聴いたぞ。また河村に、迷惑をかけたそうだな』
「あれはタカさんが、自分から言ったんだよ。鮨食い放題」
 河村の父親が開いている鮨屋を貸し切り状態にして、テニス部員は、関東大会ベスト4
進出祝賀会を開いて返ってきたその足で、不二は手塚に携帯を鳴らしていた。だからそ
の手塚が試合結果を知っていると言う事は、試合終了後に大石と乾は、それぞれ手塚に
連絡をいれたのだろうと、推測した不二のその推理は、見事に当たっていたのだ。
『河村の家を、破産させる気か?』
 やれやれと、眉間に皺を寄せ苦笑している手塚の姿が、不二には見えるようだった。
手塚は、不二の推察通り、盛大に眉間に皺を寄せ、苦笑していた。
「別にしないんじゃない?タカさんの家の鮨、随分ご贔屓筋が多いし。味には定評有るし」
 町内の一角に、昔ながらのたたずまいを崩す事なく開いている河村鮨は、けれど見ため
とは裏腹に、随分な筋へのご贔屓筋が多い事を、不二は知っている。以前テレビにも登場し、食通で通る評論家の舌をうならせる腕を誇っているのだ、河村の父親は。だからそ
の父親の後を継ぐという言葉が、簡単な事ではない程度、河村自身、判っている事だっ
た。高校に入ったらテニスは辞めるというのが、河村の意思表示だ。それでも。きっとテニ
スは続けるんだろうなと言うのが、不二の感想だと、きっと河村は知らないだろう。
『お前達は……』
「訊かないんだね」
『何をだ?』
「あの子の事。気にならない?」
 短い時間で、関東大会ベスト4進出を報告しただろう多いしと乾が、詳細を手塚に報告
している確率は低かった。
 『青学の柱になれ』という言葉をリョーマに残し、手塚は九州に行った。その言葉の残す
重さを誰より知っている手塚が、リョーマの様子を気に掛けないなど有り得ないと思う不
二の科白は、しかし以外な言葉であっさり打ち砕かれた。
『桃城が、居るだろう?』
 今更何を言っているんだと言うかのような手塚の声に、半瞬絶句したのは不二の方だ。
「手塚ってさ」
 不意に苦笑が漏れた。
『なんだ?』
「君って、天然だよ」
『お前も、大概、俺の事を誤解しているぞ』
 そうしてやれやれと、やはり手塚は大仰に溜め息を吐き出した。
『お前や菊丸が言ってたんじゃないのか?桃城は越前のものだって』
 桃城がレギュラー落ちして、3日間部活をさぼり、グランド百周走っている時。結局リョー
マが桃城を迎えに行き、二人仲良くグランドを走っている姿に、しみじみ言ったのは英二
の筈だった。その時の英二の科白を、手塚は忘れずにいるのかと思えば、やはり手塚は
手塚なのだと、不二は苦笑する。同時に、理不尽な安堵が胸に染み渡るから、案外手塚
も天寝か詐欺師に近いと、不二は尚苦笑を深めた。
「あの子ね、頑張ったよ。綺麗な顔が傷だらけで。腕も相当痛む筈だけど」
『腕か……?』
 瞬間、手塚の声が潜められる。手塚自身、腕と肩を故障し、その治療に九州行を余儀な
くされたのだ。未だ骨格形成の未熟なリョーマの事だ。無理をすれば、今後のテニスに影
響する事を、手塚は心配した。
「それこそ、大丈夫だよ。桃が居るから」
 試合直後、隔絶されるフェンスが開いたと同時に駆け寄り、桃城は一番最初にリョーマ
の腕を心配していた。そんな桃城に過保護だと軽口を叩きながら、それでも腕に掛かる
負担は有ったのだろう。世話を焼く桃城にされるがままに、手首に湿布を張られていた。
傷ついた顔を覗き込まれた時には、流石に呆れていたが、それでも好きにさせているあ
たり、大概無自覚に溺れているのだろうと思う不二だった。
 鮨屋でも、当然のように隣に座り、何だかんだと互いの世話を焼いていた二人だ。そん
な光景は、レギュラー陣には見慣れているものでも、リョーマに想いを寄せる桜乃には、
少々理不尽なものだったかもしれない。
『そうだな』
「あの子は怖いよ。確実に試合の中で進化してる。大和部長の言った通りだよ」
 氷帝戦終了後、相変わらず底のしれない飄々さで、観戦してたんですよと笑って現れた
大和は、リョーマを見るなり言ったのだ。『君はたくさんのテニスを経験するといいですよ。
盗んでコピーして、構築して、自らに還元できた時。もう一度出会ったソレは、随分違うも
のになっているでしょう。その時初めて、それは君のテニスになるんです』
 そう言っていた大和の言葉を実行するかのように、リョーマは今日の試合で、幾重かの
テニスを体得した筈だった。それは今日の一歩も引かないリョーマのテニスを見れば生々
しい程だ。リョーマは確実に進化し、だからこそ、勝利した。
「それでも、あの子のテニスに力を与えたのは手塚だよ」
 今のリョーマを支えているのは、間違えなく桃城だろう。けれど一番最初。リョーマと言う
綺麗な生き物が操るテニスに力を与えたのは、きっと手塚なのだ。コピーし、再現する事は可能でも、再構築する能力と言う意味を見失っていたリョーマのテニスに力を与えた
のは、手塚の筈だった。
「残酷な道歩かせるって承知して、柱にするって決めたのも君」
 柱になれという一言。けれどその言葉の意味の重さは、手塚を傍らで見てきた不二が、
見誤る筈はなかった。そして桃城も、見誤ってはいないだろうとも思えた。その程度を見
誤るようでは、これから残酷な道を歩くだろうリョーマとは、到底居られない。桃城は、手
塚も認める青学一の曲者だ。そんな程度の事は、リョーマ以上に早く、気付いていた筈だ。
 柱と言えば聞こえはいいが、それは一歩間違えれば、人柱の意味をも含んでしまう危う
さを秘めている。茨の冠を与えられ、十字架を背負い歩くような過酷さと、さして変わりな
い。
「その道の残酷さを、未だあの子は判っていないと思うけど。背負う覚悟は、できたみた
いだし」
 手塚の傍らに、ただ居た訳ではないのだ。手塚が背負うものの大きさを、不二は正確に
理解していた。
 そしてリョーマの今日の試合を見れば、その決意が見て取れた。
 進化するテニス。傷ついても倒れても立ち上がる孤高の強さ。それはきっと、手塚への
返信とかわりないものだったのだろう。託された言葉と、言葉以上に、雄弁に語られた手
塚のテニスと。それらに対する、リョーマなりの返信、だったのだろうと、不二は思う。
「だから、早く戻っておいで。君の代わりは、誰も居ないんだからさ」
「越前に桃城が居るように、俺にはお前が居るって事も、忘れないでほしいな」
 お前は、定期的に言わないと、忘れるからな。そんな言葉で笑う手塚に、不二は携帯を
握り締め、絶句する。
「………君さ、それって、あの子が口癖で言ってる『詐欺師』とか『悪党』ってのと、大差な
いよ。君は桃と違って天然な分だけ、タチ悪いよ」
『なんだそれは……』
 曲者の桃城と同一にされたらたまらないと、手塚は半瞬憮然と口を開いた。
「そんな科白、素で言えちゃう君は、桃以上に救えないって事」 手塚が不在の大きさを、
不二は今日の試合で感じていたのだ。だからこそ、こうして気楽に交わす軽口に、安堵し
てしまうのは、仕方ないのだろう。
「全国の切符手にいれて待ってるからさ。早く戻ってお出でよね」
『ああ、判ってる』
 リョーマに余裕を与え、支えている桃城の存在と何一つの変わりなく、自分を支えてい
るのは不二なのだと、手塚が酷薄な口許に、薄い笑みを刻んでいる事を、不二は知らな
いのかもしれない。