循環される光景
act3














 都心に近い青春台駅は、各方面へと向かう車両が行き交う分岐点の為、朝夕の駅周
辺は混雑を極めている。駅構内が直結している駅ビルと、隣接するビル群。それから大き
く立地のとられたバスターミナル。そこを抜けると、ショッピングモールが連なっている。
 ショッピングモールはファーストフードやドラッグストア、コンビニが並らび、平日なら学生
達で賑わっている時間帯だ。
 駅を境に向こう側は、企業のビルが建ち並ぶ立地になっている所為か、ショッピングモ
ールは、帰宅途中のOLや主婦をターゲットにした惣菜屋や、軽食がウリの洋食屋も多く
点在している。そんなショッピングモールも、学生が夏休みに入った現在は、駅周辺の混
雑は幾分緩和されているのかもしれない。けれど全国大会の予選を勝ち進んでいる桃城
とリョーマの二人に、夏休みなどある筈はない。
 朝から昼を挟んで続けられた練習が終了したのは、真夏の太陽が地平線に沈み始め
た時だった。とはいえ、夏らしい気温にならない今年の夏は、未だ気象庁から梅雨明け
宣言がされていない、随分中途半端な気候になっていた。
 ショッピングモール周辺は、夏休みで学生の数が幾分少ないとはいえ、帰宅途中のOL
や、二人と変わらない部活帰りの学生達の姿はそれなりに居る。そんな雑踏の中。自転
車で二人乗りをする程非常識でない桃城とリョーマは、のんびり駅へと向かって歩いて行
く。
「なんか今年は、夏らしくねぇな」
 自転車を転がしながら、桃城が不意に口を開く。
猛暑でない分、夕方に吹く風は、練習後の躯には、クーラーなどの人口のものより、清涼
な感じがした。
「去年も、こんなじゃなかったスか?」
 自転車を転がす桃城の隣で、リョーマは空を見上げた。夏の夕暮れの風が、長い前髪
をフワリと揺らし、通り過ぎていく。
 賑わうショッピングモールの、人工的な装飾の隙間から、切り取られた空が見える。
夏の白い雲と高い蒼。ゆっくり染まっていくオレンジの色彩。夕焼けが綺麗な日は、翌日
は大抵晴れなのだと聴いた。だったら明日も晴れて、テニスができるなと、リョーマはぼん
やりと思った。
「あんま暑い印象、なかったっスよ」
 幼稚園卒園と同時にアメリカに行ったリョーマに、久し振りに帰国してきた夏の記憶は薄
い。元々両親の拠点がアメリカだった為。幼少時、リョーマが日本に居たのは、幼稚園の
時だけだから、日本の季節など知らないに等しい。そんなリョーマでも、日本の夏はアメリ
カと違い湿度が高く、過ごし難いということは知っていた。いたから、湿度の高さは勘弁し
てほしいと思っていた。けれど実際、帰国後初体験に近い状態で経験した去年の夏は、
拍子抜けする程、リョーマにとって、さほど暑さを感じさせないものだった。尤も、テニスが
充実してしまっていた所為で、不快度指数の上がる夏も、気にならなかった可能性の方
が高いことを、リョーマは自覚していない。
「そいやそうだったな。丁度全国大会に入ったあたりから急激に暑くなって、10月初めまで暑かったよな」
 そして突然寒くなって、秋らしい秋は、逆になかった。
「ガキの頃は、7月って言えば、えらく暑かった筈なんだけどな」
 リョーマにつられ、夕陽に染まる空を見上げながら、嘯くように桃城が呟けば、
「今だって十分ガキのくせに、何言ってるんだか」
 リョーマは呆れ、隣を歩く長身を眺めた。
夕陽に照らし出される顔は、リョーマが驚く程、大人びた精悍さを刻み付けている。桃城
は時折、そんな表情を見せることがある。それが無自覚だからタチが悪いのだと、リョー
マは内心舌打ちする。
 混雑するショッピングモールの賑わいのように、明るい笑顔ばかりが印象的なくせに、こ
うして隣を歩いている男は、発展途上とはいえ、大人の精悍さを持っている。テニスや友
人達から離れた部分で桃城が見せるこんな横顔が、曲者と言われる本質なのだと、知ら
ないリョーマではないから、タチの悪い男の要素ばかりが、目立ってしまうのかもしれない。
 決して追いつけない一年の落差。リョーマがそれを思い知るのは、こんな些細な局面で
見せる桃城の横顔だったり、笑顔の隙間に垣間見えてしまったりする部分が殆どだった。
 一体何がこんなにも、桃城を強靭にしているのだろうか?リョーマには判らなかった。
桃城の内側に在るものは、一体なんだろうか?自分の手の内など綺麗に見透かされて
いるというのに、桃城の内側は、一切見えてこない。その理不尽さに、リョーマは時折、身
の裡が捩れる忌ま忌ましさを味わうことがある。その理不尽さを、桃城は何処まで知って
いるのだろうかと、頭一つ以上高い精悍な横顔を眺めてみても、やはりその横顔から見
透かせる部分は、リョーマには一切ない気がした。判るものと言えば、大人の鋭角さを深
めていく横顔、それだけだ。











 利用者数の多い駅だけに、常設されているロッカーも、近隣の数から比べると遥かに多
いものだろう。二人の目の前には、綺麗な空の写真が、整然と並ぶロッカ一面に描き出さ
れていた。構内に設置されているロッカには海が描かれている。テーマは、天空海闊なのだと、以前桃城は誰かから聴いた。
「桃先輩、ハイこれ」
 ズラリと並ぶコインロッカーの前で、リョーマが桃城に手渡したのは、本来ロッカーのカギ
に付いているべき、Noプレートだった。
「ったくお前も、本当手のこんだことしたよな」
 差し出されたプレートを受け取り、桃城は呆れた顔で笑う。質量など微塵も感じさせない
青いプレートが、手に収まった。
 実際、使用したい番号のロッカーが、こうも都合よく開いていたと、桃城には思えなかっ
た。今も目の前のロッカーの殆どは、使用中を現すように、カギが付いてはいない。
 それを考えれば、リョーマは一体いつから自分の誕生日には、こんな手の込んだことを
しようと思っていたのか、桃城には判らなかった。けれどその用意周到さだけは、嫌でも
実感させられずにはいられない桃城だったから、つい『俺ってば案外愛されてる?』と、ふ
ざけたことを内心思って倖せを噛み締めてもてみ、バチは当たらないだろう。
「そうですもないっスよ。夜には結構開いてるし」
 出勤、通学途中で荷物を預けていく人間が大半だからこそ、夜にでもなれば、ロッカー
は結構開いているのだ。
 桃城の誕生日には、今嵌まっている推理もののように、何か仕掛けをしたいと思った。
だから夜中に来て、リョーマは確認していたのだ。
「でもまぁ、此処、3日はキープしてますけどね」
 これから桃城が取り出すプレゼントを、リョーマがロッカーに持ち込んだのは、実際には
昨夜だった。正確には、23日の日付変更線だった。昨年のように、桃城の家に出向かな
かった分、深夜の住宅街を歩くより遥かに危険に遭遇する確立が跳ね上がりそうなショッ
ピングモールを、リョーマは夜中に訪れてきたことになる。
「………夜にはって、お前……」
 夜には開いているというリョーマの科白に、桃城は正面のロッカーを眺めた。
夕方になる今も、100在るロッカーの殆どに、カギは付いていない。ということは、利用者
がそれだけいると言うことだ。だとしたら、夜も夜中に来たのかと察せられない桃城では
ないから、まじまじと小作りな顔を凝視しては、呆れた顔をして見せた。
「勘の鋭いのも、十分タラシの要素っスね」
「お前……あんま無茶ばっかすんなよ」
 節の在る長い指が、サラリと心地好い感触をもたらす髪を、クシャリと掻き回す。
 桃城はテニスバッグの外側に取り付けられている、ジッパーの付いた小さいポケットから、二つのカギを取り出した。
「23のナンバーの方は、そのままキープっスよ」
「なんでだ?」
 改札から少し離れた場所に設置されているロッカーの前で、桃城は首を捻った。
 大中小と大きさが三段階に別れている何の変鉄もロッカーの、23のナンバーは一番大きく、縦長サイズのものだ。けれどそれに見出ださる答えを、桃城は未だ持ってはいない。
「開ければ、判ると思いますよ?」
 意味深に笑うリョーマに、桃城は怪訝な顔をする。リョーマがこんな笑みをする時は、決
まって何か企んでいる時だ。尤も、今はその企みの真っ最中だから、意味深な笑みを浮
かべていて、当然だろう。
「ホラ、サクサク開けて」
「お前なぁ」
 ホラホラと、ヒラヒラ手を振るリョーマに、桃城は幅広い肩をガクリと脱力させ、ロッカに近
寄った。
 桃城は自転車を脇に止めると、7の数字のロッカーに、一つのカギを差し込んだ。確率
は二分の一だ、間違えても、もう一つのカギを差し込めば済むことだ。
 リョーマのヒントが解けなかった場合、整然と並ぶロッカーを、それこそ不審人物に間違
われ兼ねない状況で、カギ穴に二つのカギを差し込む覚悟を桃城はしていた。
 そんな100×二乗の途方もない労力と根気と引き換えれば、二つに限定されているロ
ッカーに、二度カギを差し込む程度、大した作業ではないだろう。そんな風に考えて、桃
城はカギを差し込む瞬間。らしくない程、心臓が早鐘を打つのを意識する。


『天然のプラネタリウム』


 昨年リョーマが見せてくれたのは、とても美しい夜空だった。今も鮮明に甦る白い指先
が示してくれた、天然の光。無限に広がる藍色の夜空。石の球体と、輝く星々。有り触れ
た光景が、とても美しいと思い出させてくれた、白い指先。
 今回は一体何を見せてくれるのだろうか?そう考えれば、意識することなく、心臓は早
鐘を打っていく。
 ラッピングを解く瞬間が、最大に楽しいと言っていたリョーマの科白が、実感として甦る。
今まで数多く贈られてきたプレゼントを、これ程ドキドキして開けたことはない桃城だった。
 そう考えれば、贈ってきてくれた人に申し訳ないことをしていたのかもしれないと、らしく
ない感傷が胸を過ぎっていく。
 莫迦みたいに慎重になりながら、桃城はカギ穴にカギをそっと差し込んだ。どうやら二分
の一の確率は、辺りだったらしく、カギは何処にも引っ掛かることなく、すんなりカギ穴に
吸い込まれていく。カギを左に回せば、カチリと鈍い音を立て、ロッカーは開かれた。
 一体何が出てくるのか?内心ドキドキしながらロッカーを開いた桃城は、入っていたも
のに、深い笑みを漏らした。
「一日遅い、誕生日プレゼントだけどね」
 桃城の背後に立つリョーマは、気配で桃城が苦笑したのが判ったのか、穏やかな声を
掛けた。
「綺麗だったから、どうせならと思って」
 ロッカーに入っていたのは、一枚の絵葉書だった。万が一にも吹き込んだ風に、隙間か
ら飛ばない様にという配慮なのだろう。それは文庫本の間に挟まれていた。その文庫本
は、以前リョーマが桃城から借りた本だった。その本が、リョーマが推理小説を読む切っ
掛けになったものだ。
「お前らしいってか、らしくないっていうか」
「何それ?」
「なんか、手紙とか、大凡お前らしくない感じするしな」
 入っていた絵葉書は、天空海闊をモチーフにしたといわれるこのロッカーの対にでもす
るつものだったのか、鮮やかな蒼い空と、空を映し綺麗に輝く碧の海だった。そして裏に
は流暢な字で『HAPPY BIRTHDAY 桃先輩』と書かれていた。国語が苦手なリョーマ
が、一行と言えど文字を書く手紙を、贈ってくれるとは思わなかった桃城だった。
「7月の『7』に入れるの思い付かなかったから。丁度立ち寄った本屋に、綺麗なカードあ
ったからそのついで」
「サンキューな」
「桃先輩、プレート忘れずに付けてよ」
 葉書を手にして破顔する桃城に、リョーマはそんなに喜ぶことだろうかと、内心首を傾げ
ながら、口を開いた。
 そして23のロッカーを開いた時。桃城は怪訝な表情をした。
「越前?」
 白い封筒が一通。まさかまた手紙という訳ではないだろう。横書き用の白い封筒を手に
して表にヒックリ返した時。桃城は一瞬眼を疑った。
「俺が本当に贈りたかったのは、そっち」
 振り返って、何処か困惑気にする桃城を前に、リョーマはしてやったりと笑った。プレゼ
ントを贈り、リョーマが本当に見たかったのは、こんな桃城の表情だったのだ。
 リョーマが桃城に、盾としての笑顔を向けられたことは、一度としてない。
 気安く開放的な笑顔は、何処か雑踏の賑わいを連想させる明け透けな部分を滲ませる。それが他人を構えさせない、気さくさを提供していると判る。けれどそれは桃城の本質からは遠いものだと知っている。曲者と言われるだけに、桃城は確かに曲者なのだ。笑顔の裏側で、ちゃんと計算をしている男だ。
 いつも莫迦みたいに大切にされている自覚など今更だ。けれど桃城はいつも大切にして、こんな困惑気な表情など、なかなかリョーマの前で曝してくれることはないのだ。だか
らこそ、リョーマはどうしても笑顔でもなく、莫迦みたいな慎重さでもなく、ただ単純に、桃
城の困惑した表情が見たくて、こんな手のこんだことを考えたのだ。
「これ、どうしたんだ?」
 幾らなんでも、中学生が簡単に手に入る代物ではないだろう。高校生にでもなって、バ
イトでもすれば、それは簡単に入手できる代物かもしれないが、実際其処にいったら、立
ち入れるかどうかは、甚だ怪しいものだ。
「半分は親父からだけどね。親父経由だから、半分噛むって面白がってたスよ」
 やっぱあんた達、曲者同志で気が合うんスね。リョーマは嘯いてそう笑った。
「オイオイ……」
 そりゃ南次郎に言ったら、完全に面白がるだろうというのは、桃城にも簡単に予測でき
る代物だった。問題は、その為の金の出所だった。
「ちゃんとした、労働報酬っスよ」
「ってお前、アメリカいた時のか?」
 少しだけ考えて、労働報酬というリョーマの科白を考え合わせれば、桃城が導きたせる
答えは、一つしかなかった。
 リョーマはアメリカに居た当時。全米ジュニア大会で、4回連続優勝している天才児だ。
 全米ジュニア大会と聴いた時。日本の全国小学生大会程度に考えていた時期も、桃城
にはあったのだ。けれどちゃんと考えれば、一部の州で開催されている訳ではない全米
大会の入れ物など、簡単に予測できた。
 グランドスラムジュニア部門。本戦より二週間遅れで開催されるグランドスラムジュニア
大会のUS OPENだと気付いた。その時の桃城の衝動を、リョーマは知らないだろう。
だからこそ足掻いている桃城の内心も、リョーマは知らない。
 リョーマが労働報酬というのなら、間違いなく、USオープンでの報償金だろうと、判らな
い桃城ではなかった。けれど判ってしまった時。頭を抱えたのは、いうまでもない。
「半分はね。あと半分は親父っから。伝言付きっスよ」
「伝言?」
「先行投資、そう言ってたっスよ」
「………先行投資………」
 それは正月のことを言っていると、判らない桃城ではなかった。


『手を離すなら、理由も言い訳も一切しないで、今すぐ離れろ』

 背後に鋭利な刃と牙を覗かせ告げた南次郎の声と貌が、脳裏に甦った。


「あんた達、何企んでんの?」
 先行投資。言葉の意味は判っていても、南次郎が桃城に告げた言葉の深さまで、リョー
マには判らなかった。
 お前には教えてやんない。彼氏からでも聴くんだな。そう軽口に紛らせた南次郎の、思
いの他真摯なものを滲ませていたものを、息子であるリョーマが感じ取れない筈もない。
 けれど実際。南次郎が何を意味して、その言葉を敢えてリョーマに伝言を頼んだのか考
えれば、桃城は内心『曲者!』と叫ばずにはいにれなかった。
 つまりは、意地で全国大会を優勝しろ。そういう伏線を孕んでのものだ。でなければ、正
月の内密事など、綺麗に無効にしてやる。そう笑う南次郎のタチの悪い笑みと笑い声が、
桃城には聞こえるかのようだった。
「訊いても、どうせ答えやしないんだろうけどね」
 今まで軽口に紛らせ、尋ねてきた言葉の意味を、桃城が判らない筈はない。いつも綺
麗なものに紛らせ、誤魔化されてしまうから、訊くだけ無駄だと学習しているリョーマだっ
た。けれどだから尚更焦燥が湧く矛盾を孕んで行く。訊いても欠片も手の内を見せない腹
の立つ桃城の強靭さ。その手の内を、父親が知っているのだという腹立ちが、確かにリョ
ーマにはあった。
「いつかな」
 リョーマが、正月に自分と南次郎が何を話したのか、気にしているのは知っている。
けれど今は未だ、桃城は話せないものだった。自分が何処に向かおうとしているのか。
知ればリョーマは一体どんな表情をするだろうか?きっと泣きそうな表情をするに決まっ
ているのは、判りきっている。
「いいけどね」
 憮然とするリョーマに、桃城は髪をクシャクシャに掻き乱す。そんな桃城を、リョーマは物
言いたげに眺め、
「いつまでも、こんなんじゃ誤魔化されてあけげませんから」
 今日は一日遅れの誕生日だから、許してあげるれけど。リョーマはそう嘯いた。
「ところで桃先輩、それ開けてみてよ」
「ん?ああ」
 白い横開きの封筒は、桃城でも聞いたことのある名前だった。清楚さを窺わせる封筒に
は、銀色の箔押がしている。それはカップルのメッカとなった、台場の有名ホテルの名前
だった。それもビジネスやシティホテルというものとは、完全に一線を画している、ランクの
高いホテルだ。中学生が、簡単に入手できる宿泊券ではないのは確かだ。
「お前〜〜〜これ明後日だぞ」
 封筒を開け、桃城は脱力した。出てきたディナー付宿泊券の期限に音を上げ、桃城は
此処で漸くリョーマが言った期限付きの意味が理解できた。明後日の土曜に宿泊なら、
確かに期限は明日までだ。
「明々後日の日曜、久し振りに練習オフだし。土曜は午前練習だけだから。海に行って、
十分楽しんで泊まれるでしょ」
「海……ってお前、それでこのカードか」
 綺麗な空と海の絵葉書には、やはりちゃんと意味があったのだと、今更ながらリョーマ
の用意周到さに、桃城は頭を抱えた。
「気分転換は、必要だからね」
「それで海にホテルかよ……」
 発想が中学生じゃないと、桃城は脱力する。
「俺ちゃんと言ったよ。今度は人口の宝石箱見せてって」
 シレッというリョーマに、桃城は昨夜の電話を思い出す。
意思を無視して与えられてしまったリョーマのテニスの才が、決してリョーマに優しいもの
には思えなかったから、純粋な好奇心だけで、手の込んだプレゼントを贈ってくれたリョー
マの、テニスだけではない子供っぽい一面に触れ、桃城は確かに感謝したのだ。けれど
それはこんな好奇心じゃなかったぞと、桃城は深々溜め息を吐き出した。
「そりゃあんたは、色々ホテルなんて泊まり慣れてるんだろうけどさ」
「越前〜〜〜」
 泊まり慣れてるの言葉に隠されている嫌味が、判らない桃城ではなかったから、ついつ
い声は情けなく間延びしてしまう。
「俺の為の予行演習だっていうんなら、俺をちゃんとエスコートしてみせなよ」
 俺点数厳しいからね。そう笑うリョーマに、桃城は負けましたと、白旗を上げたのは言う
までもない。











 高く蒼い空は、今はもう夕暮れのオレンジの光に、夜を告げる紫暗が重なり、綺麗なグ
ラデーションを描いていた。
「明後日、晴れるといいな」
 自転車を転がしショッピングモールを抜け、それでもたまには歩くのも悪くはないかと、
二人はのんびり歩いていた。
「でも確か丁度、前線近付いてるとか明後日の予報、雨でしたけどね」
「でも、雨天決行なんだろ?」
「勿論」
「まぁ、その方が、人は少なくて、いいかもしれないな」
「別に…」
「ん?」
 言葉を途切らせたリョーマは脚を止め、空を眺めた。
簡素な住宅街の入り口に差し掛かった場所。真夏に近付く季節でも、夏らしい気候に中
々ならない陽気が続く中。通り過ぎていく風は、夏独特の湿気を吹くんだものは感じられ
ず、清涼なものが滲んでいる。吹く風に、近くの家から夏の風物の風鈴が涼やかな音を
立てる。
「どした?」
「なんでもない」
「気になるだろうが」
 途切れた言葉の先を聞き出すことは、桃城にはできなかった。
「あんたに、言われたくないっスよ」
 欠片も手の内を見せない桃城には、これくらい大した意趣替えしにもならないと、リョー
マはゆっくり歩き出した。
 その半歩後ろから、桃城はその綺麗な後ろ姿を凝視する。昨日の昼間、カギを渡された
時も感じた感慨だ。
 胸の内の何かを別けてくれようとする時。リョーマは何処か慎重になる。態度は相変わ
らずの小生意気さはあっても、リョーマの内側の何処かが慎重になるのが判る。今もそう
だったと、桃城は綺麗な後ろ姿を凝視している。
 リョーマを構成する要素の中。リョーマを何より其処と位置付ける、色素の薄い切っ先の
ような蒼眸。その蒼眸とにた空の光景に、どうか溶け込まないでほしいと願いながら、夕
暮れに溶け込むようなリョーマに、昨年の夏を思い出していた。


『俺もね、見てるよ』


 胸に落ちる、静かな声。あの時も自分は、夕暮れの光景に溶けこみそうなリョーマの後
ろ姿を見ていたのだと、桃城は思い出す。それはレギュラーになって初めて、ランキング
戦で負けた時のことだ。自分を見直す為にと、3日間部活を休んだ。休んだといえば聞こ
えはいいが、サボッた訳で、後にその間、部内のムードが何処かしら険悪になったと聞い
た。尤も聞いた所で、桃城はそれが自分だけのものなのか、判断はできなかった。
 自分が英二と揃って部内のムードメーカであることは、桃城にも認識はあった。けれど3
日間居ない程度で、部内のムードが可笑しくなるなど、有り得ないと思っていたのだ。


『オチビの限界も、持って3日だったよ』

『精神的な部分が、テニスに出てきてたからね』



 英二や不二に言われ知ったことだったが、リョーマには言ってはいない。




「桃先輩?置いてきますよ」
 夕暮れに溶け込む鮮やかな光景が、クルリと振り返る。
少しだけ怪訝な顔をして、綺麗な貌が小首を傾げ、桃城を見ている。それは桃城にだけ
見せる癖なのだと、リョーマは気付いていないのかもしれない。
「本当、光景って、循環されてくるな」
 眼に見えるもの。胸に焼き付く愛しいもの。カタチに置き換えられないもの。声になるも
の。言葉にできないもの。
 リョーマと見た光景は、何より明瞭に桃城の身の裡に循環されてくる。そしてその時感じ
た思いもまた、綺麗に思い出されてくる気がした。
 言葉に出すより、余程雄弁に語り掛けてくる眼差しの深さ。眼に焼き付いて離れない、
カタチに置き換えられない愛しい光景。
「桃先輩」
 小首を傾げ、何処か物言いたげな眼をして、リョーマは桃城に向かって腕を伸ばした。
「コラ越前〜〜〜」
 伸びた腕は、桃城の髪をグシャグシャに掻き乱して行った。
「そんな所で、黄昏てないで下さいよ」
 桃城の髪を思い切りグシャグシャに掻き乱せば、整髪剤で綺麗に整えられていた髪が、乱れていく。リョーマにとって、それは二人だけの桃城の髪形だった。
 こんな光景も、きっといつか柔らかく循環されてくるのかもしれないと思いながら、夏の
夕暮れが夜を告げる中。二人は軽口を叩きながら、歩いて行く。



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