無機質な機械音が室内に鳴り響く。
寝起きの悪いリョーマが、目覚ましの音程度で素直に起きる筈もない。
ベッドボードの上で鳴り響く音が徐々に音量が増し、最大限になって漸くケットの中から横着に腕が伸び、バチンと弾いて目覚ましを止める。
毎日その繰り返しだ。時には『煩い』と床に投げ付け、壊した事も有って、それも桃城が泊まっていった日の朝の事だから、桃城を盛大に呆れさせたのは言うまでもない。
ケットの中の小さい影がモソリと動き、時計をズルッと引き寄せる。覚醒しない眼がボーと開き、時刻を確認する。
「……桃先輩に似て、煩い……」
寝起きで些か舌の回らない声が呟き、未だ覚醒しない眼差しが時計を眺め、ボソリと呟いた。
青い目覚時計は、桃城に買って貰った物だ。と言うよりも、買わせたと言った方が正確だろう。
『オイ越前……お前なぁ…何て事すんだ』
前夜泊まって、抱き合って眠って。自分の腕の中。横着に腕を伸ばし時計を叩き付けたリョーマに、盛大に投げ付けられた時計を見詰め、桃城はソレを掬い上げると、リョーマの頬をペチッと叩いた。
『桃先輩に叩かれる理由ないし、叩く権利もないでしょ』
叩かれた事が不機嫌な訳ではなく、ただ寝起きで不機嫌なリョーマは、大して力の入っていない桃城の、戯れに近い仕草で頬を叩かれた事に対しては、痛みなど感じない。
けれど叩かれ面白い筈もなく、桃城の胸板に頬を預けながら、不機嫌な表情で桃城を見上げた。
『権利とか言う問題じゃない。物を粗末に扱うなっていうの』
見上げて来るリョーマの眼差しは、時にはとんでもない引力を発揮する。覚醒しきらないリョーマは、普段なら見せない、らしくない子供じみた拗ねた貌が全面に出ていた。
『桃先輩が、目覚ましになってくれればいいだけっスよ。起きてたんなら、俺が止めるの待ってないで、止めたらいいのに』
時計の音なんて色気ない。
リョーマは不機嫌に桃城に言うと、再び眼を閉じてしまう。
『お前がどれだけの音量で起きるか、見てた』
その言葉に、嘘はない。
リョーマの寝起きが悪い事は、幾度が共に朝を迎え知っている桃城だったが、その程度と言うものは、正確に理解してはいなかった。
桃城が泊まった朝は、桃城が目覚ましの役目をしていたから、リョーマが時計の音量で覚醒を促された事は、一度とてない。だから、桃城は見たくなったのだ。
寝起きの悪いリョーマが、時計の音量のどの数値で、覚醒するのか。ただ単純にそういった思いからのものだった。その筈が、時計を破損してしまう程、リョーマの寝起きが悪い事を、予想してはいなかった。
『同罪、執行猶予無し。時計買って下さい』
ハイ決まり。
リョーマはクフフッと悪戯を仕掛けた子供のような眼をして、桃城を見上げ、朝から見せるには挑発的な、何処か妖冶な笑みを口端に刻み付けた。
『………そりゃ一体どういう理屈だ?』
三段論法も極まる台詞に、桃城は朝から脱力を強いられていた。自分がちゃんと起こしてやれば、無駄な出費は防げた筈で、つい時計に悪い事をしたと、有の上の残骸に視線を落とした。
『そーいう理屈です。今度は頑丈なのでヨロシク』
ヨロシクされてしまった桃城は、結局盛大に溜め息を吐きつつ、リョーマに目覚時計を買ってやった。今威勢よくリョーマが音を消すのにスイッチを叩き付けた代物がそうだった。
ブルーで魚のイラストが描かれている時計。
「ん〜〜〜」
暫く、青い時計を眺めボーとしていたリョーマは、ムクリと起き上がり、伸びをする。それでも未だしっかり覚醒していない頭はボンヤリしたままだ。
足許に丸まって寝ていたカルピンが、目覚ましの音に反応し起きては、リョーマに戯れ付いた。
「っはよ、カルピン」
フワフワと長毛の愛猫を抱き上げ、反射的にネコじゃらしで相手をしてやり、漸く細胞に血が行き渡るかのようだった。
「ん〜〜〜」
それでも、眠いものは眠い。夜更かしをするからいけないんだろうと、盛大に苦笑するのは毎朝迎えに来て、待たされている桃城の台詞だ。
「桃先輩も、M入ってるからな…」
愛猫を抱き締め、ボーとした頭で考える事など、ロクな事など考えられる筈もない。
何が楽しくて、自分を構い倒して待たされると判っていて、毎朝迎えに来るのだろう?
自分を迎えに来れば、学校まで遠回りになると言うのに。
『そりゃお前、迎えに行かなくてお前が遅刻した場合、小言言われるのは俺なんだよ』
『頼まれてな訳?』
『お前が言っただろ。迎えに来てくれたら遅刻しないって』
『そうだった?』
『お前………』
『それで毎日待たされるって判ってて、迎えに来る当たり、桃先輩ってばM』
『あのな…俺はどっちかってとSだぞ』
『ヘェ〜〜〜見た事も、聞いた事もなかった』
ついでに言えば、想像はもっとできない。
とても失礼な台詞を、リョーマは内心で吐き出した。
Sならもっと自分の扱い方も変っている筈だ。壊れ物を扱う慎重さでなど、触れてはこないだろうに。
『んじゃ迎えにいかなくていいのか?』
『そしたら完全に遅刻するから。あんた小言しっかり俺の分も受けて、ついでに校庭も走って下さい』
理不尽など百も承知の言葉遊びだ。
『つまり、迎えに来いって事だな?』
『YES』
現地仕込みの、カタカナでない流暢な発音の英語。
リョーマの綺麗な笑みと流暢な発音に、素直じゃねぇな、そう呟いては、けれどそんな小生意気な部分に溺れてしまったのだから、大概救われないと思う桃城を、リョーマは十分熟知していた。しているからこそ、安心して甘えていられる。甘やかす余裕の在る桃城を知っているからこそ、安心して幾許の自戒を以て、甘えていられる。
呈示されている居場所。疑いようもなく。
「本当にさ、詐欺師の悪党……」
愛猫を抱えたまま、コロンとベッドに横になる。
ギリギリのラインで大人の桃城は、相手の意思も思考も喰う甘やかし方はしない。最終的には、甘やかしてはくれない男だと知っているから、幾許かの自戒を以て、安心していられた。
「何であんなのに…」
掴まったのだろうか?
アメリカでの生活の中。周囲に纏わり付く人間に、下してきた鉄槌は幾重もあった筈だと言うのに。
シーツに懐いて、睡魔に襲われる。それを察して、カルピンがニャアと鳴いて抗議の声を上げている。
「ん〜〜〜眠い……」
腕の中の愛猫の鳴き声に、ボンヤリと開いたまろい眼が、思考を捕らえぬまま眠たげに彷徨っている。
起きなくちゃと思いつつ、けれど眠い。
「ア〜〜〜桃先輩、迎えに来ちゃうなぁ」
それでも、急ぐ気がしないのは、アノ、呆れて苦笑する表情が好きだから、なのかもしれない。
「コラ、彼氏が迎えに来るぞ」
「その彼氏持ちの人の部屋、ノックもしないで開けるな親父」
気配もなく、階段を昇って来る足音も感じさせず、威勢よく扉が開かれる。これもいい加減慣れてしまった日課の一つでやり取りされる会話でしかないから、進歩がないの一言なのかもしれない。
「お前も随分言うようになったな。甘やかされてる証拠だな」
とんでもない曲者に、大切に甘やかされて、我が儘になって行く。それでも、自戒している息子の事を、知らない南次郎ではなかった。
だから父親としても、安心していられるのだろう。
恋に恋する頭の悪い女のように、溺れて周囲を見失ってしまう程度の引くさなら、止めていただろう。何も生み出す事もない、同性同士の恋愛だ。リョーマは中学生で、未々親の管理下に在る。南次郎が止める事は、或る意味正統な権利でもあるだろう。
「甘やかすのは、桃先輩の勝手」
言い捨てると、リョーマは再びカルピンを抱いたまま、パフンとベッドに懐いてしまう。懐けば、再び睡魔が襲ってくる。
「コラ青少年。起きろ」
お前の寝起きの悪さは天才的だな、南次郎は呆れると、ベッドに懐いてしまったリョーマの肩を揺さぶった。
「煩い」
「オイオイ、本気で彼氏が迎えに来るぞ」
「桃先輩来たら起きる」
「……あいつも、難儀だな」
半分眠っているくせに即答する息子の台詞に、南次郎は深々溜め息を吐き出した。
所詮、恋愛は惚れた方の負け。
そんな言葉が、脳裏を通り過ぎて行く。
「オーイ、越前。起きろよ」
ブレーキを掛ける自転車の音。同時に、威勢の良い声が外から響いて来るのに、
「NICEタイミングだな」
南次郎は笑うと、
「ホレ、お待ちかねの彼氏が来たぞ」
リョーマの頭をポンッと叩くと、部屋を出て行った。
リョーマは気怠げにケットの中で動くと、ガラリと窓を開いた。
「桃先輩」
窓から外を見れば、桃城が呆れた顔をしてリョーマの部屋を見ていた。
「早く支度しろ」
どうせ起きてないに決まっていると、桃城は見越していたのか、顔を覗かせたリョーマに桃城は更に苦笑を深めた。
そんな桃城の苦笑に、リョーマは見たかったのはこの顔だと、漠然と思う。
笑っている顔も、情事の余裕顔も好きだけれど、呆れて柔らかい苦笑を刻む貌が、殊更好きなのだと意識する。
決して険しくなる事のない貌。柔らかく苦笑し呆れて笑う姿に、
「やっぱ桃先輩ってM」
リョーマはボソリと呟いた。
□
「ったく、お前も学習しねぇな」
大した時間も経たずに現れたリョーマに、桃城は呆れた顔をする。
ココまで悪びれず先輩を待たせる事ができるのだから、大したものだ。
「そう言いつつ、毎朝迎えに来る桃先輩も、学習しないっスね」
「お前なぁ〜〜〜」
それが先輩に言う台詞かと、桃城はふざけて白い額を小突くと、リョーマはヒラリと身を躱し、綺麗な所作で自転車に飛び乗った。
「遅刻するっスよ。俺走らされるの嫌っスからね」
何とも理不尽な台詞に桃城は脱力すると、それでもヘイヘイと笑ってリョーマを後ろに乗せ、自転車を漕ぎ始めた。
夏の朝。蒼い空。頬を嬲って行く風が心地好い。
ゆっくり目の前を通り過ぎて行く光景の一部。天と地の落差は何処だろうか?明瞭である筈が不明瞭な天と地のライン。広がり続く蒼。
桃城の漕ぐ自転車の後ろに乗るようになって、こうして毎朝迎えに来てもらって、どれ程の時間が経っただろうか?
そう考えれば、大した時間など経ってはいないと不意に可笑しい程思い出す。
慣れてしまった光景や景色。見下ろす桃城の頭。整髪剤を使って撫で付けられている、使用されている整髪剤の仄かな匂い。普段は見上げて視線を合わせる事しかできないのに、こうしている時だけは、見下ろす格好になる。
「ねぇ桃先輩」
「アア?」
「朝食食べた?」
「っんな暇何処にある。途中のコンビニで飯買うんだよ」
そんな事すら毎朝当然なのに、何を今更と桃城は笑った。
寝起きの悪いリョーマの起きる時間を考慮して家を出る桃城が、余裕を持った朝食など悠長に食べている時間など皆無に等しい。あるとすれば、支度をしつつ食パンを齧り、片手間に牛乳を飲む程度だ。
「んじゃその繋ぎに」
ハイと、リョーマは制服のズボンのポケットから、一つの小さい包みを取り出した。
「?」
不意に差し出された白い手。これでよくグリップを能義ってあれ程の鋭いショットを打てるのかと思う幼い手。けれどその小さい掌中に載る包みを見て、桃城は危うくペダルを踏む足が滑り落ちた。
「っとと……お前なぁ〜〜〜」
ボディバランスに優れている桃城だから、危うく崩れ掛けたバランスを取り戻すのは容易だった。
「昨日奈々子姉さんが買ってきたの貰った」
「ファンタピーチの次はパイかよ」
「味はまあまあでしたよ」
シレッと笑うリョーマが差し出した包みは、『夏期限定。旬のパイ包み、完熟城白桃』と言うお菓子だった。
「お前……昨日のファンタピーチで、凝ったのか?」
「夏期限定商品って、桃味の物、多いスよね」
シレッと笑うと、リョーマは小さい菓子の包みを剥き、桃城の口にソレを放り込んでやる。
「コレの何処が、桃味なんだよ?」
「桃味って、やっぱダレかさんと同じで、中途半端な味っスよね」
「お前たった今、味はまあまあだって言わなかったか?」
ソレとも俺の聴き違いか?そう言う桃城に、聴き違いじゃないスかと、リョーマは笑った。
その後暫く、桃味の食べ物に拘って食べているリョーマの姿に、桃城が苦笑を深めたのは、言うまでもない。
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