無二とImitationと人でなし

後 編





 午後11時ジャスト。越前家の玄関チャイムが鳴った。
登校時なら、自転車に跨がったまま、『オーイ越前、来たぞぉ』と大声を上げる桃城も、簡素な住宅街で午後11時と言う時間帯、大声を張り上げる程、非常識ではなかった。
「よぉ少年、こんな時間帯に、デートか?」
 呼ばれて自室から玄関へと向う階段を降りた場所で、予想通り、父親がニヤニヤとした笑みを刻み付け、立っていた。
「夜桜見物」
 父親の存在など最初から予想していたリョーマは、別段驚いた様子もみせず、シレッと口を開いた。
「未だ未だ桜の季節の夜ってのは寒いからなぁ。外でエッチなんてしてたら、風邪ひくぞぉ」
「親父、相変わらず下世話だな。母さんの前でんな台詞吐いてると、離婚されるぞ」
 エロ本まがいの雑誌を呼んでいる父親が、けれど母親にだけはベタ惚れなのを、リョーマは知っている。
「お前にだから言うんだよ。セックス覚えたてで、夢中になんないようにな」
「バッカじゃねぇの親父」
 普通息子に言うか?まして息子が同性に抱かれている可能性が有る相手と出掛ける時に。相変わらず父親のタヌキぶりは得体が知れないと思うリョーマだった。
「桃先輩、肝心な時には意気地無しだから、悪さできないってさ」
「ヘェー」
 少しだけ憮然とした息子に、南次郎は意味深に笑った。
「愛されてるな少年」
 男だねぇ、南次郎はニヤニヤとした笑みで笑う。
「っんだよ」
「判らなねぇからガキッてんだお前は。俺はアレに同情するね」
 息子は多分、桃城の告げた言葉の意味を理解してはいないだろう。だから今自分の前で、珍しい程憮然とした表情をしているのだろう。心底桃城と言う先輩に同情する南次郎だった。
「いい男に惚れられたもんだなお前ぇも」
 ニヤニヤとした笑みの背後には、何とも言えない複雑な表情が横たわっている。
「親父も桃先輩も、訳判んない言葉多すぎだ」
 だとしたら、未だ未だ自分は子供だと言う事なのだろう。
足りない言葉は、決して帰国子女だとか、そういう事ではないのだろう。いつだって桃城は、自分に判らない言葉を使って会話をした事はない。
 推し量れないのは人の内面。そう言う事だ。自分が一番苦手で厄介だと感じる人の裡側や領域や中核だ。
 自分には視えない桃城の内面的な部分を、この父親は推し量れる。そう言う事なのだろうか?
「勘違いすんなよ少年。俺には判らないからな。ただお前より多少は判る。その程度の理解だ。まぁ歳の甲だな」
 後はお前の仕事だろ?そう笑う父親は、確かにタヌキだと思うリョーマだった。





「遅ぇぞお前」
 漸く玄関から姿を現した越前に、桃城は深い苦笑を浮かべた。
「だから寝てるかも知れないって、最初から言ったっスよ」
 嘘だ。ちゃんと起きて待っていて、父親に掴まっただけだ。そんな事を、桃城が知る必要はないだろうとリョーマは思う。
「お前そうしてっと、女の子みてぇだな」
 深夜の闇に支配された時間。背後の闇に白皙の輪郭さえ溶かしこみながら、リョーマは小柄な姿態は鮮明に浮き上がって見える。
 白いハーフコートを着込んでいるリョーマの姿は、夜目にも鮮やかだから尚更だ。繊細なラインが縁取る白皙の貌。長い睫毛。細すぎる首に、ショートカットの黒髪。何より印象的な瞬く双眸。
「ソレ褒め言葉ったら、心置きなく殴り倒しますよ」
「喧嘩っ早いなお前」
 まぁ乗れよ、桃城は顎をしゃくると、後を示した。











「ホレ、到着」
 キィッとブレーキ音を響かせ、自転車が停まる。
「昼間と比べてどうよ?」
「すごい……」
「だろ?」
 素直な感想を漏らしたリョーマに、桃城は得意気に笑みを漏らす。
「桜はな、昼と夜両方見て、初めてその良さが理解できんだよ」
 昼間、ゆったりとした時間の流れを感じさせた桜は、煙花さながらで、霞だって視えた。
けれど今は違う。
 降るように咲き誇る白い花弁。蒼い闇の中、切り取ったように浮かび上がる白い花。深閑とした桜並木の桜は、何か特殊な気配や雰囲気を湛えている気分にさせられる。
「二面的だろ?」
「凄いスね」
 頭上から降るように舞い散ってくる白い花は、雪にも見えた。
「知ってるか?桜って言うのはな『神木』って言われてんだけどな、だからこそ、魔に魅入られる樹とも言われてんだ。鬼が棲むってよく言われてんしな」
「桃先輩の言う二面的?」
「確かキリスト教だと、『正義の戦』って意味が有った筈だぜ」
「フーン」
「国花だしな。でも不思議だよな。こんだけ綺麗で、でも属性は『闇』なんだぜ」
「どしたの桃先輩?昼間から可笑しいスよ。妙に感傷的」
「お前でも『感傷的』なんて言葉、知ってんだな」
 苦笑する。
「何か言いたい事有る?」
 桜から、ゆっくりと視線を移し、隣に佇む、頭一つ分は長身の桃城を見上げて不思議そうに口を開く。
 乾に言われ、牛乳を飲んでも、結局桃城との身長差など何一つ縮まる事はなかった。
そう判った時から、飲む事はやめてしまった。別にテニスは身長でする競技ではないから、支障はない。少なくともリョーマには。
「言わないと判らないよ」
 意味深に笑った父親なら、言葉に出される事のない桃城の内心を推し量れる、そうなのだろうか?


『勘違いすんなよ少年。俺には判らないからな。ただお前より多少は判る。その程度の理解だ。まぁ歳の甲だな』


                 
 たった一歳の年齢差が重い。


「別に、そうだな、まぁ感傷だよな。3年生も卒業しちまって、これで俺は完全にテニス部を引っ張っていかなきゃなんねぇし」
 部長なんて、性じゃねぇしな、そう苦笑する。
「なぁ越前、お前テニスに悩みねぇ?」
「?何スか?」
 ますます意味は判らない。  
「お前多少気にしてたろ?」
「桃先輩、俺ね、断片的な台詞だけで会話できる程、日本語得意じゃないっス」
 リョーマは深々溜め息を吐いた。
「Imitation」
「ヘェー、桃先輩って、案外英語得意?」
 とてもそうは見えない桃城の口から出た言葉は、流暢な発音記号で発声されている。
「別に普通じゃねぇ?」
「それで?」
「部長が言ってただろ?」
「俺のテニスは親父のコピーだって事?」
「ああ」
 不動峰中との対戦の時。部長の手塚が呟いた台詞。手塚にしては珍しい断言の元で告げられた言葉だった。
「まぁ別に、親父にも散々言われて来たし」
「そうか」
「何?それで?」
「別にさ、お前入学当時から小生意気だったなぁってな。二週間後には、新人入ってくるし。
お前みたいなルーキーも在るのかと思ってさ」
「俺は別にちゃんと判ってるよ。俺のテニスは親父のコピーだって。でも仕方ない部分多いんスよ。青学入る前まで親父に教わってたし、親父のプロ時代のビデオとか見て育ったんだから、真似する意識もないちっこい時にはもうラケット持ってテニスしてて、手本はいつだって親父だったし。コピーって言われれば、それまでだってね」
「でもお前一時期それで荒れてたろ」
「別に荒れてないスよ。模索してただけ」
 確かに、判っている事も、他人から指摘されると腹の立つ事だって多いのは当たり前だ。
「否定された気、したんじゃねぇ?」
 桃城の台詞に、リョーマは内心溜め息を吐いた。どうしてこの男は、こうも優しくてバカなのだろうかと思う。だから肝心な時には、手も出してこないのだ。つくづくバカだ。だからこそ、
「人でなし……」
 ボソリと呟いた。
窺うように覗き込んでくる精悍な貌。一歳の年齢差を、否応なしに突き付けてくる。
 何を今更と思う。自分のテニスが父親のコピーだって事は、判っていた。技術的なものは、すべて父親の試合最中のビデオを観て、盗んできた技術だからだ。指摘されるまでもなく、そんな事は、苛立つ程自分が一番理解している。
「だからって別に、コピーが、努力も練習もなしに、習得できる程甘いもんじゃないスよ」
「そりゃ判ってるよ」
 リョーマのテニスが父親のコピーだとしても、努力も練習もなしに習得できる程簡単なものではない事くらい判っている。それこそリョーマの天の才に近い幾重もの反射神経と、元々の資質がなければ、成立はしない。
 海堂のスネークを観ただけで習得してしまう技術。不二の弟のライジングもしかり。元々テニスに対する天の才がなければ、コピーなどできはしないだろう。
 テニスに対する掛け値ない情熱は嘘ではない。手塚や不二が、リョーマの中に見たのは、そんな形のないテニスへの熱さだろう。だから引き寄せられたのだろうと桃城は思う。
 だったら自分は、リョーマの何に引き寄せられているのだろうか?テニスの才能。生意気な性格。どれもひっくるめて愛しいと思うし大切にしたいと思う。どうも自分の想いは恋人には通用してはいないらしいけれど。
「お前は何処まで行くんだろうな?」
 クシャクシャと、髪を掻き乱す。
目線の下に在る小造りな頭。小さい顔。ついつい手を延ばしては、『鬱陶しい』と撥ね除けられていた腕。今では相手も慣れてしまって、呆れて溜め息程度で済まされている。人間慣れの動物だと思う。
 コピーではなく、自分のテニスを見極めた時。リョーマは一体何処に向かって走って行くのだろう?フトそんな感傷的な思いが胸の奥に湧いた。
「さぁ?今は未だ判らないっスね」
 テニスを続けていきたいとは思う。けれどそれは一生涯、仕事として報酬を得る手段にできるかと言うと、答えはYESともNoとも答えられない。プロの世界が決して甘いものではないと言う事は、父親を見れば判る。
 怪我が元で引退した父親。プロの世界にしがみ付く事のなかった父親の、そんな潔さだけは男らしいと思えた。自堕落に生きる事を楽しんでいるかのようなタヌキぶりは、到底子供の自分には判りようもない。
「そういう桃先輩は?何か考えてる?」
「さぁな」
「それで、桜の意味は?」
 キーポイントは桜。昼と夜の交わる位置。
「なんかお前みたいだなって思っただけだよ」
「?あのさ桃先輩、そういう感傷的な言葉、吐き垂れないでくれます?」
 調子狂うから。
「思い出しちまったんだよ。もうじき新入生がきて、お前も帰国して1年経つんだとか思ったら」
「バカだねぇ、桃先輩」
「何とでも言え」
 どうせ俺は好き勝手にお前を甘やかしてるだけだよ、桃城は少しだけ憮然と苦笑する。
「救いようないよ」
 苦笑すると、スゥッと細い腕が桃城の首に絡んだ。
「俺は、別に誰かの為に、何かを諦めたりはしない。プロになりたくなったらそうするかもしれない。しないかもしれない。道なんて一つじゃないっしょ?」
 あんた何を伝えたかったの?
リョーマの瞬きを忘れた双眸が、濃く深く桃城を凝思する。
「桜って昼と夜で表情が違うだろ?」
「処女と娼婦みたい?」
 クスリと、悪戯な気笑みを漏らす。
「お前はまた」
 リョーマの台詞に、苦笑しかできない。首筋に絡んでくる腕り細さを意識しつつ、華奢な姿態を抱き寄せた。
「無二って言葉、知ってるか?」
「無二?」
「二つとないって意味だよ」
「さっきImitationって言いませんでした?俺のテニスは模倣だって言いたかったんじゃないの?」
「逆」
「逆〜〜〜?」
 細腰を引き寄せて包み込んでくる腕。
あんたやっぱ訳判んないよ、リョーマは呆れた。
「昼と夜と表情違うって言うと語塀があるな。二面って意味でだよ」
「俺、鬱陶しいの厳禁って言いましたよね?」
「嫌か?」
 抱き寄せた腕を離そうとして、引き止められた。
「そういう訳判らない言葉で惑わされるの、スゲー腹経つ。簡潔明瞭に」
「お前のテニスはお前のもんだし、お前が努力した結果だし。お前以外にはできない才能だ。俺には真似できねぇ」
「桃先輩はそりゃパワーテニスだし」
「茶化すな」
 更に細腰引き寄せた。この細さで、よくあれだけ威力の在るショットが打てるもんだと、抱く都度感心する。
「だから、お前のテニスはお前にしかできない。見ただけで真似できちまうなんて、お前の才能には違ぇないからな。お前はお前だ」
 桃城の台詞に、リョーマは深々溜め息を吐き出した。
「それで無二?」
「そっ。惚れたか?」
「呆れた」
「お前、少しは優しい先輩の気遣いに感謝はねぇのかよ」
「だって今更じゃんそんな事。誰だってスペアなんてないんスよ。ダレかの為に存在するダレかは、ダレでもいいなんて事ないんスから。同じようで少しずつ違うのは当然でしょ。そりゃ言われた時は腹も立つけど、だけど実際それは間違ってないし。俺はこのままじゃ終わらないから」 
 昼と夜で違う側面を見せる花。立ち位置によって、視点の変わる側面。人も同じだ。
「新入生に、強いの居るかな」
「お前みたいな化け物は、いねぇだろうな」




「寒い…」
「帰るか?」
「……ねぇ桃先輩、桜は情緒的なんっスよね?」
「んん?」
 意味深に笑う面差しに、桃城は怪訝な顔をして見せる。
「やっぱこういう情緒の中じゃ、情緒的な事しないと、桜に申し訳ないっスよね」
 ニヤリと笑うリョーマの笑みの背後には、キッチリとタチの悪いヒトタラシの表情が覗いていた。
 桃城の首筋に絡めた腕を引き寄せると、背伸びして、背筋を伸ばす。必然的に、桃城は背を丸め、屈む格好を強いられる。
「越前……お前、俺の理性砕く気か?」
「欲しいって一言言えば?」
「それこそ風邪引くだろうが。こんな夜中にお前連れ出して、風邪引かせて返す訳にはいかねぇんだよ」
 それでも、覗き込んでくる眼差しの深さに吸い寄せられるのは、若い桃城には当然の事だろう。
 細腰を引き寄せると、
「お前さ、何で俺とこんな事すんの?」
「桃先輩こそ、何で俺に触れたがるの?」
「訊いてんの俺だぞ」
「んっ……」
 睦言のような会話を交じわせ、吐息が重なる。



『この人でなし……』

 薄く開いた口唇から、ゆっくりと入り込んでくる舌。性急にならず、焦燥を煽り立てるかのような緩やかさで求められる。その都度いつだって、乱れていく快感に期待する自分を意識する。


「んっ…ぅんんっ……」
 口唇を重ねたまま、ハーフコートのボタンを弾き、長い指先がゆっくりと、躯を這い回って行く。





「ねぇ桃先輩。今年も、勝ちますよ」
「当たり前だろ?」
「だったら、そんな情けない顔、してないように部長でしょ?」
「越前、桜にはもう一つこういう話が有るんだ」
「また、何スか?」
 今日のあんた、感傷的すぎ。
リョーマは離れた口唇に吐息を乗せる。
「Lunatick、ってあるだろ?」
「月の狂気?」
「それと同じ作用が、桜にもあんだよ」
「その心は?」
「お前、何だと思う?」
 ハーフコートを開き、シャツのボタンをはずし、口唇が首筋から鎖骨へと這う。
「んっ……今夜だけは溺れてあげる」
 情事の最中でも、嘘でも『好き』と言う言葉を言った事はない。
「俺は、愛してるぜ」
 首筋から鎖骨、再び耳朶へと戻り、桃城の一段低い声が、笑って囁いた。






【コメント】
なんか初めてマットーな桃リョを書いた気分です。そして人生の半分以上同人している私が、おそらく初めて書いた、血に濡れてない健全な桜の話だと思います。でも相変わらず、方向性メチャメチャな桜話でした。
途中桃の台詞は関西弁になるし…某西の探偵だったよ…。
南次郎パパ好き♪ですので、これからも出てくると思います。



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