「ゲームセット」
審判の言葉に、一瞬の場内は静寂に包まれ、次には喚声と拍手が沸き起こる。
第一試合、逆転勝利を納めた桃城と英二を、青学テニス部の面々が、喚声と拍手で出迎えた。
「お疲れさん、二人共。ナイスゲーム」
コートからベンチに戻ってきた桃城と英二に、桃城特性のハチマキを巻いた大石が、出迎える。
「どもっス」
右手を捻挫した大石の代わりに、急遽試合に選出された桃城は、全身に汗を掻き、勝利の笑顔を見せた。
「ちかれた〜〜〜」
パタパタと、トレーナーの胸元に風を取り込み、英二も笑う。
「ホント、桃、よく動いてくれたよーオレ達だけじゃ……」
桃城と急造コンビを組んだ英二は、心底大石のプレイの負担を勉強した気分だった。
大石の堅実なプレイと、試合全体を見渡される視野の広さ。それらがあるからこそ、今まで自分のアクロバティックプレイは成立していたのだと。桃城とコンビを組んで、英二は大石のプレイの堅実さを、再確認した。
派手ではないが、堅実で広い視野を持って試合を構築するプレイは、自分には到底真似はできない。今回桃城のサポートに回って、初めて英二が実感した事だった。それが判っただけでも、今回の試合は意味のあるものだった。
「ああ…勝てなかったろうな!」
英二の途切れた台詞を、大石が笑顔で繋ぐ。
右手を負傷した自分の代わりに、桃城を代役として選出をと、部長の手塚に連絡をいれた。
自分のパートナーである英二のアクロバティックプレイに付き合えるテニスの技巧を持っているのは、レギュラー以外では桃城しかいなかったから、それは当然の事と言えたが、それでも、不安がまったくない訳ではなかった。けれどその不安は、きっと自分の代役として選出された桃城の方が強かっただろうと思う。
急造ペア。その緊張感が、二人を良い結果へと導いたのかもしれないとも思う。テニスの技巧をクリアして行くに必要なのは、何事にも経験だ。その意味で、今回自分達は良い経験をしたのだろうと思う大石だった。
「アレ?そう言えば、越前は?」
コートからベンチに戻って周囲を見渡せば、在って当然の顔がない事に、桃城は一年トリオと一緒に在るのかと、柵越しに堀尾達に視線を移したが、其処にも小生意気な顔は見当たらない。
「リョーマ君、ベンチで観てたんですけど」
桃城に尋ねられ、カツオは少しだけ逡巡した。
都大会第一回戦オーダー表が発表された時、リョーマの名前は補欠になっていた。別段リョーマはその事に腹を立てた様子は見せなかったが、誘っても彼は応援席のベンチで、桃城と菊丸の急造ペアの試合を観ていた。個人主義のリョーマが、元々桃城が徹夜で作ったハチマキをする事はない。皆と仲良く応援など、できる性格ではないから、彼ら1年生トリオも、リョーマの事は好きにさせていた。無理強いして効く相手でもない事は、ここ数か月の付き合いで判っている事だった。
「アレ?居ない」
応援席のベンチに視線を動かした時。其処にリョーマの姿はない。
「何処行ったんだ?越前の奴」
堀尾が怪訝に呟いた。その言外には、『あいつとことんマイペースだから』と言う苦笑が滲んでいる。少なくとも試合最中は、珍しくファンタも飲まず、観戦していた事は知っていた。 いつもなら、他人事のように冷静に試合を観ているリョーマが、珍しく桃城と菊丸の試合は、ファンタも飲まずに観ている事が、何処か不思議に感じれたのだ。
「ったく、薄情だなあいつは」
応援席にない姿に、桃城は苦笑する。
試合中は、とても他を気にする余裕などなかったから、リョーマが何処で自分を観ていたのかなど当然知らない。補欠になって拗ねているとは思わない。レギュラー人数と試合対戦の数を数えれば、誰かが一人余るのは当然の結果だ。そんな事で拗ねる程、リョーマはバカでも子供でもないだろう。だったら、その意味は何処かに存在するのかもしれない。尤も、『興味ないっス』の一言で、片付けられる可能性は否めないし、元々の性格が性格だから、『おめでとう』なんて言葉がもらえるとも思ってはいないし、きたいもしていない。ただ、顔を見たかっただけだ。
「桃城、呼んどいで」
顧問の竜崎スミレは、淡如に口を開いた。
テニス部の顧問で、リョーマの父親の南次郎を育てたのも彼女だと聞いた。一体何歳なのだろうかと思えば、その若々しさには勝てないものがあるのは、恐らくテニス部員全員の内心だろう。
スミレの顧問としての評価は高いものだ。凌ぎを削るスポーツ界で、常にテニス部を全国大会へと導いている。それだけ選手を育てるコーチとしての資質が、彼女にあると言う事だ。それだけにスミレへの評価は常に高いし、選手から絶対の信頼があった。
「ヘーイ」
スミレの言葉に、桃城は横着な返事をすると、選手ベンチの外へと向かう。
「試合を観る事も勉強だって、お前さんからよく言っときな」
『お前さんは、アレの教育担当だからね』スミレの言外の台詞に、以前誰かにも聞かされた台詞を思い出し、桃城は肩を竦めた。スミレも判っている事だった。リョーマが補欠になって、拗ねている訳ではないだろうと。
幾重もの試合をこなし経験を積む事も成長の為の勉強なら、他人の試合を観る事も勉強で、他人のプレイを観る事でその技術を盗み、自分のモノにする事もまた技巧の一つだと、全米テニス大会Jr部門優勝者のリョーマが知らない筈はない。まして父親のテニスの技巧を盗み、自分のモノにしているリョーマだから、試合を観る意味を知らない筈はない。
「ヘイヘイ」
二度横着な返事をする桃城だった。
□
桃城がリョーマを見つけたのは、偶然ではなかった。
多分此処だろうという見当を付け、歩いて来た。
緑が眩しい夏の日差し。試合で流した汗は心地好いものから、夏の日差しにベタ付くものへと変化して、シャワーが浴びたくなる。そんな緑の木陰に設置された自動機販売機の前に、リョーマは在た。
「相変わらず、バックシャンだな」
小柄だけれど、綺麗に均整のとれた後ろ姿。華奢で薄い背、細い腰。のびやかな手足。どれもが成長過程の未成熟さだ。けれど脆弱ではない若々しいのびやかさが眩しかった。
小柄だと言う事に、リョーマが劣等意識を持っている様子は微塵もない。テニスに対する自信と自尊心が、余計な劣等感など排除しているのだろう。
「この薄情もん」
トレードマークのお気に入りの帽子を被っている姿。小脇には赤いラケットを抱えている。その姿さえ、トレードマークのような姿だ。桃城の気配に気付かない筈はないだろうに、とりたてて振り返る事もない。そんな薄情な後輩に、桃城が声を掛けたのと、白い指先が自動販売機のボタンを押したのは同時だった。
ガチャンと音を立て落ちてきた缶。予想通りのジュースのソレに、桃城は苦笑する。
『お前んな甘いもんばっか飲んでると、背ぇ伸びないぞ』以前言った事のある台詞に、けれどリョーマは練習後ほぼ毎日ソレを口にしている。
「別に薄情じゃないっスよ」
取り出し口からファンタの缶を取り出し背後を振り返り、リョーマは淡如に口を開いた。
「ちゃんと観てたから」
片手で器用にプルトップルを開け一口啜り、リョーマは自分を覗き込むように眺めている桃城に、素っ気なく言い放つ。
「応援席のベンチでか?」
「不服?」
炭酸飲料が、夏の日差しに照り付けられた喉に浸透して行く。覗き込んで来る桃城を睨め付けるように見上げると、
「補欠で拗ねてるって訳じゃ、ねぇだろ?」
見上げてくる眼差しに背を屈めて桃城は笑った。
「お前、結果訊かねぇの?」
そして其処でハタと桃城は思い出す。元々の要件はソレだった。
「桃先輩」
相変わらずバカと、リョーマは呆れた。
「負けて俺の前に立てる根性、してないでしょ?」
校内ランキング戦の時だったそうだったのだ。大石の代わりで菊丸とコンビを組むと言う大役を果たして、負けたら自分の前に、こんな簡単に顔を出す事はできない筈だ。
「第一観たって言ったスよ、最後まで」
校内ランキング戦で部長の手塚と乾に負け、レギュラー落ちした桃城が、大石の代役で菊丸と急造コンビを組む事になった。そう聴いた時、心根の奥を絞り上げていった感情の正体を、桃城は知らないのだろう。知る筈がない。自分でさえ、つい最近意識した感情の一つだ。ソレがそういう類いのものだろうと意識した時、『サイテー』と言う言葉が何より先に出た。
けれど今朝オーダー発表で告げられた選手人の名に、桃城の名前を聴いた時。胸に湧いたのはもっと別のものだった。
「っんだよ?」
ジィッと凝視してくる眼差しに、桃城は怪訝な顔をする。
リョーマは無言で見上げ、次には無言で桃城の左腕を引っ張った。
「こんな時間、よくありましたね?」
桃城のジャージを捲り上げると、ソコには大石の几帳面な字で、ダブルスを制する36ヶ条が書かれていた。
切羽詰まった時間だった筈だ。以前自分が遅刻の言い訳にした理由。けれど今回の大石のソレは言い訳でも冗談でもなく本当で、右手を負傷までしている。そんな緊迫した時間の中。それでもその字を見れば、大石が桃城に託した信頼が判る。
近付く試合時間。それでも揺るぎなく桃城の腕に書かれている文字の一つ一つ。きっと書きながら、説明していたに違いないだろう事が判る。
ダブルスの要点、英二のサポート。その動き。試合構築の為の視野。それはとても大石らしいと思うリョーマだった。だからこその副部長なのだろう。コントロール技術に関しては、針の穴をも通すコントロールを誇っている。でなければ、到底アクロバティックプレイの英二とコンビなど組める筈もない。
「三人で、ダブルスっスね」
腕をまくって振り上げられた拳。信頼が垣間見えた一瞬だった。応援席のベンチから見下ろせば、大石は律義に桃城の作ったハチマキを巻いて、応援していた。
「お前ソレ拗ねてるとか?」
有り得ないけれどと、マジマジと尋ねてしまう桃城だった。
「………桃先輩、バカ?」
覗き込んでくる眼差しに、リョーマは盛大に溜め息を吐いた。吐き、ファンタを一口含む。夏の日差しの中でさえ、焼ける事のない白い喉元が上下するのを、桃城は眩しげに見ている。
「桃先輩、スケベ親父の眼ぇしてるっスよ」
桃城の視線に気付き、リョーマは憮然と笑う。憮然としながら、リョーマは桃城の視線の前に、見える位置に情交の跡を残さない桃城との情事を思い出す。
「バーカ、んな体力あるか」
「眼ぇしてるって言っただけっスよ。するなんて言ってないっス」
やっぱ桃先輩スケベじゃん、そう笑った。
「お前なぁ」
小生意気な後輩の台詞に、桃城は大仰に脱力する。そんな桃城を眺め、リョーマは背を屈めて自分を覗き込んでくる桃城の前に、綺麗な貌を突き出した。
「桃先輩、聞いてあげるけど?」
意味深な笑みと台詞に笑うと、此処ば熱いからこっちと、リョーマは自動販売機の裏手の木陰に入って行く。
試合が始っているのだろう。周囲に人影はない。試合会場は都心とは思えぬ程緑が点在しているから、夏は有りがたい。近頃は初夏だった季節も茹る熱さが容赦なく肌身を灼いて行く。リョーマは桃城の返事など待つ事なくさっさと奥へと歩いて行く。
「オッ、オイ。第二試合始ってるぞ」
振り返る事なく歩いて行く後ろ姿に、桃城は取り敢えずは先輩として建て前を口にする。けれどその足はリョーマの後を歩いているから、言い訳は何一つできない。
「俺どうせ補欠だし」
「お前やっぱ拗ねてるんじゃねぇか」
シレッと言うリョーマは、一つの樹の根元にストンと腰を落とした。
「桃先輩も菊丸先輩も跳び過ぎ。だから上から観てたんスよ。その方が全体的に観えるから。氷帝の選手も跳ぶし」
アクロバティックにも程がある試合に、いつからテニスは格闘技になったのか?ついつい疑りたくなる試合展開だった。英二のアクロバティックプレイは相変わらずでも、打球も重くなった桃城のジャンプ力は以前より増して、氷帝の選手も交え、些かテニスの試合とは言い難い、アクロバティックプレイの応酬だった。
「桃先輩」
「ん?」
「ご褒美欲しい?」
隣に腰掛けた桃城を笑って見上げると、
「いらねぇ」
意味深に笑うリョーマに、桃城は肩を竦めた。
「弁えてるじゃん」
クスリとリョーマは笑う。欲しいと言ったら、殴ってやるところだった。
「お前なぁ、それが先輩に言う台詞か?」
「事実っスよ」
呆れている桃城を睨め付け笑うと、リョーマはファンタグレープを一口口に含んだ。
桃城に決して追いつけないとリョーマが思うのは、身長差と、1年と言う年齢差だ。腰掛けてもそれは当然何一つ変わらないから、リョーマは膝立ちになって漸く桃城を見下ろす事ができるようになる。
僅かに視線が桃城の上に位置して見下ろしている。とても鋭利なショットを打ち出すとは思えぬ細い腕が、スゥッと桃城の頬を両手で挟み込んだ。
「邪魔だな」
意図を察し、桃城はリョーマの帽子を取り上げた。サラリとした癖のない髪が、額に触れる。
夏の日差しを遮る緑。緩やかに屈曲し、降ってくる木漏れ日。流れて行く風は熱いのに、木陰で吹くソレは清涼だ。
「ん…っ…」
少しだけ甘さを含んだ声が漏れた。
重ねられた口唇。流れ込んでくる人口甘味料を多分に含んだ炭酸水。それでも、桃城の腕がリョーマを抱き締める事もなければ、引き寄せる事もない。ただ情欲の色を映さない節の有る指が、サラリと一回だけ柔らかい髪を梳いただけだった。何故かと言えば、重なってくる口唇に色がない事が判っているからで、場所と立場を区別しているからだ。見境なく何処でも抱き合うバカでもなければ、子供でもない。自分の周囲に日常という社会が延長線上に存在している事を、理解している理性が働いている結果だった。
「甘いじゃんお前」
喉の奥に入る前に揮発して行く炭酸水。甘みばかりで却って喉が乾きそうだった。
「そりゃ人口甘味料バリバリだから」
離れた口唇が、うっすらと色付いている。それでも、情事の最中のような色は何処にもなく、相変わらず小生意気な笑みが、桃城を見下ろしている。
「意味違ぇよ」
リョーマの、判って答えているだろう台詞に、苦笑が深まった。
「不本意」
違った?リョーマの深い眼差しが瞬いて問い掛ける。
再びストンと腰を落とすと、桃城の横に並んでファンタに口を付ける。
間視する眼差しの深さ。淡如に笑い告げるリョーマに、桃城は誤魔化せないとますます肩を竦めた。こんな時ばかり正確に内心を見抜いてくる恋人に、適わないと思う。思えば、適わない事ばかりのようにも思う。それでいて、肝心の機微はまったく見抜いてはくれない小生意気な恋人に、だから苦笑が湧く。
「お前、見抜くよな」
こんな時ばっかり。
適わないと思うからこそ、虚勢も無駄だと判る。伊達に『取り敢えず付き合い』をしている訳ではなかったし、ウマが合うのでもなかった。
校内ランキング戦で、乾と部長の手塚に負け、桃城はレギュラー落ちになった。
ランキング戦の結果が張り出されているブロック別の試合結果を見た時の自分の衝動を、きっと桃城はこれから先も知らずに行くのだろうと思えば、つい八つ当たりもしたくなるリョーマだった。
日本に帰国し、父親の母校で、色々なテニスに出会えるからと、本人の意志は無視して放り込まれた青春学園中等部。思い出しても、数か月前の出会いは最良と言うより、最悪に近かった筈だ。それでも出会った当初から桃城はレギュラーで、聴いた話では一年生9月期から対戦したランキング戦で初めてレギュラになってから、その位置を落とした事はないと聴いていた。だからリョーマにとって桃城は先輩であり、最初からレギュラーで、レギュラー以外の桃城など想像もできなかったし、した事もない。けれど今回の関東大会レギュラー決めにもなるランキング戦で、初めて桃城はレギュラーの座を落とした。対戦結果表を見た時の言い様のない衝動を、リョーマは今も覚えている。
初めて落としたレギュラーの位置。3日間練習をサボッた桃城は、けれど其処で終わってしまう程精神は弱くはないから、彼なりに自分の感情に決着を付け、部に戻ってきたのだろう。戻ってきた桃城は、だからでき得る範囲で試合を応援しようと、徹夜でハチマキを作ったのだろう。それは桃城らしいとリョーマは思う。けれど突然の大石の負傷により、選手選
抜されてしまった。それは桃城には、ある意味で不本意な部分を残したものだっただろう。
意識を切替え、次にと努力しようと思った矢先の事だった。プライトの高い桃城の事だから、誰かの代わりに甘んじる事が、ある意味不本意な事だろうとリョーマは思ったのだ。それでも、チームの優勝が掛かっている大会で、不戦敗は羽前できない事も理解していたから、その優先事項を考える必要はなかっのも事実の筈だった。
誰にでも明るい笑顔。それこそ形容的に用いるら『太陽のような』と注釈しても、さした間違いではないだろう。けれど 『取り敢えず付き合っている』関係で、リョーマは桃城のクワセ者と呼ばれる本質を垣間見ている。明るい笑顔の裏に潜むクワセ者。そのプライドの高さは孤高だ。尤も、それは青学テニス部レギュラー全員に言える事では有ったのだけれど。
「それでも、良い勉強したって今は思うぜ」
独語に近い声と台詞、ソレは嘘ではなかった。
大石のアドバイスと、英二のサポート。アクロバティックプレイがメインの英二が、自分のサポートに回ってくれた意味を、考えられない桃城ではなかった。ダブルスの意味を、試合を読むと言う意味を、大石と菊丸から教わった気がした。
「俺と組むより、動きやすかったのは確かだろうし」
それだけは、幾ら桃城でも否定のできよう筈もない。大石の負傷と菊丸とのダブルスと言う緊張感が生んだ結果とはいえ。自分が団体競技に向かない性格をしている事を、リョーマは自覚している。
チラリと隣を間視する。木陰の陰影に縁取られた精悍な貌。校内ランキング戦の後。三日間練習に参加しなかった桃城が練習に参加した時。感じた違和感を今も感じる。
レギュラーでない桃城を視るのは初めてで、違和感を覚えて、その原因は何かとすぐに行き着いた。レギュラージャージを着ていないからだ。レギュラージャージ以外の桃城など幾らでも見てきた筈なのに、それでも。練習中にレギュラージャージを着用していない桃城を視るのは初めてで、奇妙な違和感を覚えた。今もそうだ。
他人の名前の付いたジヤージ。早く脱げばいいのにと漠然と思う。
他人の名前の入ったレギュラージャージ。羽織って試合に望んで、プライドの高い桃城が、不本意な訳がないだろう。
先輩として、副部長として、桃城が大石を信頼しているのは判る。けれどそんな信頼と、自分のテニスに対するプライドは別物だから、大石の名前の入ったジャージを着ている事が、どれ程不本意な事か、リョーマにも判る。自分なら、きっと他人のソレなど着られないだろう。どれ程の我が儘だとしても。
「やっぱお前、ソコに拘りあるんじゃねぇ?」
間視してくる眼差しの意味に気付いているのかいないのか?桃城は隣の小柄な姿を眺めると、貸せと、リョーマの手からファンタを取ると、一挙にソレを呷った。
「やっぱ甘ぇなぁ、コレ」
飲み続けるのは良くねぇぞ、笑いながら、それでも桃城は結局リョーマから取り上げたファンタをすべて飲み干していた。
「人口甘味料と着色料っスからね。桃先輩、帰り奢りね」
「ご褒美じゃねぇのかよ」
「さっきの一口」
「ケチクセ〜〜」
「後輩のファンタ取り上げてよく言う」
呆れると、リョーマは立ち上がる。
「何だよ、サボリじゃねぇのか?」
リョーマに倣って、桃城も立ち上がって土を払う。
立ち上がれば、フト試合最中から持続していた逸る気持ちや緊張が、スッカリ解けていた事に気付いた。
「甘やかしてあげたでしょ?もう終わり」
流石にコレ以上サボッていたら、顧問の竜崎スミレと部長の手塚から、小言を言われるのは火を見るより明らかだ。
ボヤく桃城を眺め、不本意だったのは自分も同じだったのだと、リョーマは判った気がした。
他人の名前の入ったジャージを着て試合をする桃城を、応援はしても、心の何処かが不本意だと思っていた事に、今更気付いた。下らない感傷だとは判っている。試合は試合で、どんな形で望んでも、勝てば官軍の世界なのは当然だ。だから結果を出した桃城は、レギュラー落ちになって、成長したのだろうと言う事も判っている。けれど心根の奥が、きっと何処かで納得していなかったのだろうと思えた。
「お前には適わねぇって時折思うよ」
試合後、自分がベンチに居なかったら探す事も含め、見抜かれていたのかと思えば、甘やかされていたのだと思うから、適わないと痛感する。
「人口甘味料の効いたキス欲しい?」
それはとどのつまり、嘘で塗り込めたキス。そういう意味だろうから、桃城は深々溜め息を吐いた。吐き、
「ナチュラルが健康にはいいみてぇだぞ?」
歩き出した小柄な背に、笑い掛けた。
「そぉスか?俺は人口甘味料の甘さ、嫌いじゃないスよ」
振り返り、意味深な笑みを刻み付ける。
嘘と甘さで構成される要素。嘘でも甘ければ一時は休まる事も有る。それは嘘ではないだろう。
「お前なぁ……」
嘘とは大概いい根性をしていると、桃城は呆れた。
見えない本音。それでも甘いキス。どれが本当で嘘なのだろうか?取り敢えず付き合っている互いの本音は、未々見えない。
「なぁ越前」
半歩先を歩くリョーマの後ろ姿に、桃城の声が掛かる。その声音が、常の明るいものではなくて、何処か真摯なものに感じて、リョーマはピタリと足を止め、振り返った。
黒々瞬くまっすぐな視線。逸らされる事のないソレは、リョーマの怜悧な眼差しを射るように、まっすぐ彼の眼球の中核に伸びていた。
「次は自分のジャージ着て出るからな」
「っんな事当然っスよ。断言も宣言も必要ないっス。桃先輩がモタモタしているうちに、俺は先に行きますよ」
追いつけない男なら、途中で自らのテニスに自信を失い迷い諦めてしまうなら、きっと『取り敢えず』でも付き合いはしなかっただろう。迷い足掻いても、諦めてしまう男なら、自分に触れる事など許さなかった。
「桃先輩、レギュラー復帰するまで、いっそ禁欲すれば?」
澱みも迷いもなくまっすぐ凝視してくる眼差しに、リョーマも迷いのない笑みを返すと、次には冗談とも本気とも判らぬ声と表情で口を開いては、桃城を一挙に脱力させた。
「お前なぁ〜〜その台詞、効力ないだろうが」
一挙に脱力が桃城を襲う。
レギュラー落ちして練習をサボッて、その時言われた言葉は今と同じだ。けれど何一つ効力などなかったのはお互いだった。
「お前が我慢できるなら、俺はかまわないぜ」
ニヤリと笑うと、リョーマもタチの悪い笑みを口端に刻み付けた。
「俺はいいの。桃先輩が、ってのを間違えないように」
「オイオイ、お前なぁ……他にダレかなんていう気か?」
「さぁねぇ?」
一瞬殴ってやろうかと本気で思ったけれど、バカバカしいので意味深な笑みで応えて見せる。
「オイオイオイ」
意味深な笑みに、桃城はガクリと頭を垂れた。
通り過ぎて行く夏の風。熱い日差しに噎返る熱気。喚声が遠くから聞こえてくる。第二試合も簡単には勝てないだろう。夏はまだ始ったばかりなのだと、肌身で実感した。
□
「よぉ少年。何だ今夜は彼氏連れか」
玄関に入った瞬間。ニヤニヤと笑う父親に、リョーマは内心舌打ちすると、
「生ぐさ坊主」
ぞんざいな言葉を返した。
「よぉ」
リョーマの後から入ってきた長身に、南次郎は気軽に声を掛けた。
「こんばんわ」
幾度となく通って南次郎とも顔見知りになっても、相変わらず、内心などまったく見せないクワセ者の父親だと、桃城は乾いた笑みを漏らす。
南次郎と桃城の出会いは最悪だった。どちらもリョーマ関わりで出会っているが、そうと知ったのは後からだった。
一度目は、リョーマと一緒に居る事の1年生トリオから、父親がコーチをしているテニス場に遊びに行くから、一緒にこないかと誘われた時だ。後方から時速を無視して自転車で走ってきた南次郎に、衝突された時。二度目は、リョーマと顧問の竜崎スミレの孫の桜乃の付き合いで、ガットを張り直しに付き合っている時。一度目も二度目も出会いは最悪で、けれど二度目の出会いの時。南次郎が空腹を訴えた時、桃城がラーメンを奢った事から、彼がリョーマの父親だと知れた。
『息子が世話になってるってな。あいつ大変だろ、我が儘で生意気で』
個人主義で能力主義の息子だから、母校に放り込んだ。縦割り構造の体育会系で揉まれる事も、リョーマの成長には必要な事だと判断したからだった。
テニス部で、面白い先輩が居ると聴いたのは入学してすぐの事だった。けれどその『面白い先輩』が、送り迎えをし始めて、自宅に顔を見せるようになったのも早かったから、桃城は南次郎を知らなくても、南次郎は桃城の存在を知っていた。
些か父親の自分の眼から見ても、他人と接触する頻度の低い息子が、珍しくも懐いている相手に興味があった。けれど冷静に見ていれば、ただの先輩と後輩ではない事も直感で判った。
『お前ぇも何かと大変だろ。甘やかすと、付け上がるからな。男は此処一番って時が、肝心だぞ』
ラーメンを奢ってやって、礼だと招かれた自宅は、嫌でも見覚えの有る後輩の家で、その時初めて桃城は南次郎がリョーマの父親だと判った。っと言う事は、顧問のスミレが育てたと言う元プロだと言う事で、イメージと印象がまったく噛み合わない飄々とした男だと言うのが最初の印象だった。
『ハハハハ………』
乾いた笑いをするしかなかった。しっかりと見抜かれている。10は知られていなくても、些か捩れて歪んだ自分達の関係は、2や3という割合程度には知られているのだろうし、知っているという言外の台詞が聞こえた気がした。
第一印象は当てにならないとも言うけれど、大抵第一印象は当てなるのだ。印象だけで好き嫌いを大別しなければそれでいい。そういう事だ。それから言えば、越前南次郎は間違いなくクワセ者で、飄々とした大人の男で、確かに元プロなのだろう。
「母さんは?」
「帰ってきて『ただいま』の前に母親の所在とは、お前ぇもまだまだガキだな」
チッチッチッと、南次郎はニヤリと笑う。
「クソ親父」
睥睨すると、リョーマは桃城にスリッパを出して、上がるように促した。
「アレは菜々と買い物。それから食事して帰ってくるから、遅くなるって言ってたぞ。俺はこれから近所の寄り合いに参加だ」
律義に『お邪魔します』と勝手したたる他人の家に上がった桃城に、
「って訳で、これから誰もいなくなる。励めよ、青少年」
ポンッと桃城の肩を叩いて、入れ替わりに玄関を出て行った父親に、
「エロ親父」
リョーマが怒声が響いた。
「相変わらずだな……」
いっそ感心する事しかできない南次郎は、確かに大人なのだろう。飄々として、捉えどころなど何処にもない。
プロテニス界の頂点を一挙に駆け抜けた、天衣無縫の強さを持った逸材だと聴いた。それはもしかしたら水のように、自らの姿形を持たぬ柔軟性、なのかもしれない。
□
「っ…お前…禁欲じゃなかったのかよ……」
リョーマの部屋に入った瞬間、噛み付くように口唇を重ねられた。リョーマは欲しいという感情を隠さない。けれど噛み付くようなキスと言うのは、記憶にはない桃城だった。
「桃先輩がでしょ…」
吐息が甘い。怺える表情が、桃城を挑発している事を、知らないのだろう。スプリングの利いたベッドの上、桃城を半ば仰向けに引き倒したリョーマは、その腹の上に乗り、身悶えている。
「お前なぁ……」
この強情っ張りと、腹の上で揺らぐ細腰を両腕を捉えると、揺すり立てて行く。
「ぁんんっ…桃先輩は、今夜ダメ…」
ギリッと、細腰を抱く腕に爪を立てる。腹を跨いで開かれた剥き出しの白い下肢。自ら快楽を求め耽溺し、陶然の貌を隠す事なく曝け出し、桃城を見下ろしている。
「んっ…ぁぅんっ…桃先輩は…動くな…」
揺すり立てられる腰の奥。脈動を繰り返す桃城の雄が、尚深く内部の肉の奥へと埋没してくる。ドロドロに爛れている肉襞の奥の奥を、内側から押し開かれて行く生々しさに、リョーマは嫌々と頑是なく首を振り、腰を捩った。
「無茶言うな…」
雪肌が桜に色付く妖冶さ。嫋々に喘ぐ様を見上げれば、手酷い玩弄に曝して啼かせたくなる、雄の嗜虐を刺激する被虐性が垣間見える。 狭い柔襞を押し開き、質量を昂め、細腰の奥を掻き回す
隠される事なく喘ぎ啼き、極みを迎える寸前のリョーマの表情や姿態を堪能する。幼いリョーマ自身は、薄い翳りの中央で、直接的な愛撫を望み、先端から粘稠の白露を滴らせ、喘いでいる。
「んっ…んくぅ…」
押し開かれていく生々しさに、嫌々と無自覚に頭が振られる。ギリギリと、桃城の胸元に爪が立つ。
「イカせてやるから」
「ヒァッ…!」
薄い背が、ビクンと跳ねる威勢で反り返る。桃城の大きい掌が、幼いリョーマ自身を包み込んだからだ。
禁欲云々なんて言う言葉は、互いに信じてはいない台詞だ。どちらも堪え性がないのはお互い様だから、桃城とて告げられた台詞を欠片も信じてはいなかった。
「俺は禁欲らしいから、このままお前をイカせっきりにしてやろうか?」
クツクツ喉の奥で嗤いが漏れた。
「んっ…ぅぅん…っできる…もんなら……」
してみろと、淫蕩を映した挑発的な眼差しが、桃城を見下ろした。
「お前…珍しく……」
締め付けられる心地好さに、桃城自身も限界に近い。言葉が呻きに途切れて行く。
情事の最中。欲しいと言う感情を隠さないリョーマは、けれど今夜は何処か違う。
試合が済んで、誘われた。誘われた意図が判らない筈はない。禁欲なんて言う言葉の効力はゼロだ。互いに脅しにもならない台詞。それでも、今夜のリョーマは何処か違うと、愉悦に崩壊する狭間の恋人を眺め、桃城は思う。
ナニが、何処がと、言葉にできる明確さはない。肌を重ねて初めて判るナニかが、心根の奥に落ちて行くから、きっと今日の試合の事なのだろうと、漠然と思う。それでも、言葉にできる確かなナニかなど欠片もない。ただ判る。判ると言う事だけが判る事実だ。
「あんたが…バカだから…」
不本意な試合を観せつけられた不本意さなど、桃城には判る筈もない。それは下らない感傷の一部だから、別に判ってほしいとも思わない。コレはただの八つ当たりだ。
「バカはねぇだろ…」
腰を突き上げてやると、嫋々の喘ぎが室内を満たす。
二人分の重さを受け鳴るスプリングの音。淫らな嬌声と荒々しい欲情を孕んだ吐息。肉が混じり合う淫靡な音。
「んっ…くぅぅん…」
必死に口唇を噛み締める。ダレも居ない家の中。嬌声を漏らすまいと薄い皮膚が破ける程、口唇を噛み締めている。それでも実際嬌声を噛む事は、ほぼ不可能に近い。桃城に抱かれ、嬌声を殺せた試しは一回もない。抱かれ慣れた躯。快楽を教えられた幼い性は、何処までも貪欲だ。
「っ……っ…」
肉の奥の奥へと絞りあげられて行く。柔襞を押し開きながら、抱かれていると感じるのはこんな一瞬だ。
「桃先輩……追いつけなかったら…」
本気で禁欲…、リョーマがうっすらと笑った。それでも、別れてやると言わないあたり、溺れている自覚の一つくらいは有るのかもしれない。
「待ってろなんて言わねぇよ」
「当…然……んっ…んっ…」
のけ反り撓う背。曝け出されていく胸。尚深く乱れて行く白い肌。極める寸前のリョーマの表情だった。
「ぁんっ…んっ…んっ…んんっ…」
身動きを繰り返し、細腰が揺れる。
「イケよ」
淫らに乱れる丸見えの淫蕩さに、桃城も限界だった。
「あっ…ダッ…ダメ…」
最後は辿々しいうわ言じみた喘ぎと歔り欷きを繰り返し、リョーマは法悦に身を溶かした。
□
「重い……」
情後の余韻も何もなく、リョーマはゲシッと桃城を足蹴にする。
「お前、やっぱなんか拗ねてるだろう」
普段なら、むしろリョーマの方が情事の余韻に浸っている事が多いのが常だ。けれど今夜は違う。
「別に」
素っ気なく言い返すと、バサリとケットを被って、桃城に背を向ける。
「オイ」
「疲れた」
「俺の方が疲れたよ。俺は試合してんだぞ」
「どうせ俺は補欠で観戦してたっスよ」
「やっぱお前の拗ねてる原因ソコかよ」
大仰に溜め息を吐く桃城に、リョーマは横着に頭上に手を伸ばし、クッションを隣に投げ付ける。
「桃先輩、俺だって待ってるなんて言わないっスから、自力で励んで下さい」
クルッとケットの中で姿態を反転させると、自分を覗き込んでくる桃城を睥睨する。
「安心しろよ」
睥睨してくる眼差しに、桃城は肩を竦めて苦笑する。此処に至ってリョーマのいつもと違う意味が判った気がした。
「別に心配してないっス」
髪を梳かれ、憮然とする。それでも触れてくる指を振り払わないのは、心地好いからだ。
「それって、えらい告白聴いた気がするぞ」
「耳悪すぎ」
次回のランキング戦で、桃城がレギュラーに復帰する事を、リョーマ自身疑ってはいなかったから、別段心配など欠片もしてはいなかった。
「次の試合は、ちゃんと自分のレギャラージャージ着て、お前の横に立っててやるから」
「いちいち宣言しなくていいっスよ」
昼間の会話を繰り返している、言葉遊びに紛らわせている互いの本音。
夏が終われば、現3年レギュラーは実質引退になる。部を引っ張って行くのは2年に託されるから、更に力を求められる。立ち止まっている暇は何処にもない。
「アア、でも横に立たれたら鬱陶しいから、横には立たないで下さいよ。ダブルスじゃないんだし」
「……お前…もちっと可愛い言い方できねぇのか?」
「可愛い俺なんて、気持ち悪いじゃないっスか?小生意気なのが好みでしょ?」
だから頑張ってなんて励ましはしない。テニスに対する絶対的な自尊心の為に、頑張るのは当然の事だ。だから励ましは必要ないだろう。
「可愛くねぇけど、可愛いぜお前。小生意気な別嬪だからな」
リョーマの台詞に、桃城は苦笑を深め、汗を吸ってしっとり濡れる柔らかい髪を、クシャクシャと掻き回した。
茹る夏の熱気。通り過ぎて行く風。蒼い空と白い雲。
夏の熱気より更に熱い、試合最中の興奮と熱気。またアノ熱さを味わう為に
【コメント】
After Genius128加筆修正改訂版、如何でしたでしょうか?
私的にGenius128の直後の二人ってのは、こんなんです。そりゃ桃が試合してくれるのはスゲー嬉しいんですが、桃自身には、それで喜んでもらっても困ると思いまして。やっぱ実力でコートに立ってもらいたいという、同人女のドリームです。リョーマさんも然り。互いに不本意な試合だったという話しを書きたかったんですが、なんかやっぱ中途半端でした…。
それでも今回の経験をバネに出来ない奴なら、リョーマさんは任せらんないし。こやつらってのまだまだ発展途上なので、どう転がって行くのかが、書いてて楽しいなぁ〜と思うのですわ。
‖back‖
|
|