GOOD OLD BOYS の歩み

 

   バンド・リーダーの小瀬敏氏の音楽歴を通して、GOOD OLD BOYSのこ

  れまでを振り返ります。

 

     ● 小瀬氏の「リハビリ日記」No.30、2004年4月30日(金)より

       (見出しを加えました。)

 

       最も偉大なロック・アーティスト、  ユッカバンド(第1期)

       ユッカバンド(第2期)、        研チャンといっしょに

       GOOD OLD BOYS(第1期)、 GOOD OLD BOYS(第2期)

       GOOD OLD BOYS(第3期)、 GOOD OLD BOYS(第4期)

       月日の経つのは

 

    最も偉大なロック・アーティスト

  ♪アメリカの音楽雑誌『ローリング・ストーン』誌がロック生誕50年記念として、

  最も偉大なロック・アーティスト50組みのランキングを発表した。それによると

  みごと第1位の栄冠に輝いたのはビートルズ、当然といえば当然か。それから

  ボブ・ディラン、エルビス・プレスリーと続くそうだ。ここら辺は私としてはなんと

  も言えない。それ以下ローリング・ストーンズ、チャック・ベリー、ジミ・ヘンドリッ

  クス、ジェームス・ブラウン、リトル・リチャード、アレサ・フランクリン、レイ・チャ

  ールズといった面々で10傑が揃うそうだ。

  ♪この中で思いで深いシンガーといったら、ビートルズとジェームス・ブラウンあ

  たりになるだろうか。今でこそ年に1回ぐらいしか聞くことのなくなったビートルズ

  だが、始まりは私が小学校5年生の時、長兄が1枚のレコードを我が家に持っ

  てきたことから始まる。その時、兄は中学校3年。私たち家族はギターが弾ける

  とはちっとも知らなかったが、クラスの仲間とバンドを組んで学芸会で発表する

  といってレコードを持ってきた。たしかセカンドアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』

  だったと思う。それまで、荘厳だがちょっと敷き居が高くて近づきにくいクラシッ

  ク音楽か、母の趣味であるフランク永井の演歌しか聞いたことなかった我が家

  のステレオに、それは始めて鳴った時代の音楽だった。しかし、兄は学芸会が

  終わると急速に興味が薄れたのか、高校生になると、もっと身になる麻雀に、は

  たまた味わったことのない街の刺激に染まっていった。それから、ビートルズを

  聞くのは次兄と私になった。ビートルズの新曲もその頃流行り始めた深夜ラジ

  オからであった。ビートルズ以外にもいい曲はあったと思うんだが、他には目も

  くれず新しいアルバムが出るたび、せっせと買い求めていった。そうして1970年、

  予想はしていたがビートルズは解散した。それ以降、ソロになったジョン・レノン

  の歌を聞き続けてみたものの、急速に興味を失ってしまったようだ。その頃、

  偶然観たNHKの特別番組「スーパーセッション」で始めて無名の黒人の歌を聞

  いた。それまで自分では絶対だと信じていたイギリス音楽からアメリカ音楽に、

  もっと言うとブルースに、黒人の歌声に、真の音楽みたいなものを感じてしまっ

  た。時代の寵児のように髪をのばしてベルボトムのジーンズを引きずって、ヒッ

  ピーのように「自分はアウトローだ」と振舞ってみても、それは世間一般に広が

  っていた害のないただのファッションでしかないことに気が付いてしまったんだ

  な。その頃私は、毎日酒を飲みながら自分自身を解放してくれるブルースにど

  んどん引き込まれていった。

 

   ユッカバンド(第1期)

  ♪それから程なくして、通っていた飲み屋で知り合った同じ世代のヤツラとバン

  ドを組んだ。やりたい音楽とか、細かい音楽性とか全然度外視して、ライブをや

  りたいからとバンドを組んだ感じだ。誰がつけたのか知らないがユッカでヤッて

  るから「ユッカバンド」といういい加減な名前が付いた。メンバーは雄サン(G)、

  福チャン(G・V)、ヨッサン(G)、ゴークン(B)、トッサン(D)、と私(G・V)の6人。

  今でも一緒の雄サンとは、今池の『ユッカ』で彼が弾き語りをしていた頃初めて

  会った。ギターがずば抜けて上手かった。福チャンは、知らない高校生がブル

  ースセッションに来てたと思ってたら、彼だった。リズムキープに芯が通ってい

  た。ヨッサンは、サンタナが得意だった。アンダーグランドの雰囲気を醸し出し

  ていたがネパールで長期留置されて人が変わった。ゴークンは、しばらくしてバ

  ンドの音楽性と懸け離れた日本語で歌うシンガーソングライターの世界に入っ

  ていった。トッサンは、津島辺りの土建屋崩れのアンチャンという感じで、そん

  なにうまくないドラムを叩いていたように思う。みんなそれぞれ、仕事をしながら

  1年は続けていた。今では影もカタチも無くなってしまった松坂屋前のオーディ

  オショップ「ヒダカヤ」の前で、日曜遊歩道を利用してのライブが人前での初ラ

  イブだった。なにをやったか、全然覚えてないが第1期ユッカバンド、楽しい思

  い出だ。それから、ヨッサンが長期間留置されてたこともありバンドは自然消

  滅的に解散した。

 

    ユッカバンド(第2期)

  ♪初めはただの喫茶店に毛が生えたような店だった『ユッカ』が、時々県外の

  ミュージシャンまでもがステージに立つような、そんなライブハウスらしい体裁を

  もちだした頃、雄サンはユッカのママの勧めもあって店の厨房でアルバイトを

  始めた。それから毎夜、店にいる雄サンを目当てにでもないがミュージシャン

  たちが集まるようになってきた。その頃、店の常連達で自然発生的にできたの

  がセッションバンド第2期ユッカバンドだった。店には今では有名になった『EL

  L』のシゲチャンとか、名古屋のロック喫茶のはしり『Be-in』の細野君とか、い

  わゆるクセモンがその日のライブが終わったあとやって来てはセッションに明

  け暮れていた。そういう訳で、メンバーは固定してなかったけど、だいたい雄サ

  ン(G・D)、福チャン(G・V)、薫サン(H・V)と私(G・V)がメインで、ベースとドラ

  ムはその都度変わっていたような気がする。薫サンは雄サンの実兄。ブルー

  スハープを器用に吹いて、オハコがノリのいいロックンロールだった。しかし、

  そのうち『ユッカ』も日本語で歌うミュージシャンが数多く出演するようになり、

  客層の質的変化が始まっていた。毎夜飲み歩いていた私はだんだん『ユッカ』

  から離れていった。

 

    研チャンといっしょに

  ♪それから、1〜2年はメンバーとの交流も時々ライブをするぐらいのことになっ

  ていた。その頃、親密になったのが研チャンだった。研チャンとは雄サンの弾

  き語りを見に行った『ユッカ』で最初の時から妙に話しが合ってそれ以来のつき

  合いだから、知り合って随分経ってたと思う。初めて会った時から、ハンチング

  をかぶった洒落たおじさんという雰囲気だった。私より10歳も年上だったから、

  知らないシンガー達のことをとってもよく知っていた。いつのことだったかもう忘

  れてしまったが、研チャンと二人で納屋橋の路地裏にあるフォーク喫茶みたい

  な店でよくライブをした。冬には寒さしのぎに近くのタチンボーたちが珈琲を飲

  みにくるといった店だった。客の疎らなその店で、ジャズみたいな曲から長谷川

  きよしの曲まで、今までヤッたことのない曲ばかりこなしていた。ギター1本だけ

  の質素なライブだったが、難しいというよりは楽しいという印象が心に残った。

  私は研チャンから歌を歌うとはどういうことか、身を持って教えられたような気

  がする。それと雄サンとも二人だけのライブを時々続けていた。たぶん研チャン

  の紹介だったと思うが、本山にあったイタリアンレストランで週1回のペースでラ

  イブをヤッていた。そんなにはお金にはならなかったが、美味しいものを食べさ

  せてくれて二人ともありがたかった。でも、その頃私は音楽に対してやっぱり停

  滞の時期に陥っていたと思う。

 

    GOOD OLD BOYS(第1期)

  ♪そんな折、私の仕事で一大転機が訪れた。コピーライターでもある薫サンと

  一緒に事務所を立ち上げることになった。上前津にあったPRCというその新会

  社は薫サンと私と女の子の三人でスタートした。それまで、栄にある写真修正

  屋に間借りしていたので心機一転いい機会だと思った。事務所のオープニン

  グパーティの時、雄サンと薫サンと私でライブをして祝った。そのライブがよか

  ったからでもないが、また一緒にライブができたらいいねと話し合った。その頃、

  事務所からそんなに遠くない矢場町に格好のライブハウスを見つけた。『アル

  マジロ』という名のその店は、おもにカントリー系を主に週末ライブをヤッてい

  た。はじめて店に入った時、「この店ならもってこいだ」と勝手にバンド再開を

  決めたのを憶えている。早速メンバーに召集をかけた訳じゃないが、暗黙の了

  解のもとすぐに、雄サン(G)、福チャン(G・V)、薫サン(H・V)、研チャン(V)と

  私(G・V)が集合した。しかし、リズムセクションが全然いなかったので、ユッカ

  からの知り合いでヤギというベース弾きとひょんな事で知り合ったドラムのショ

  ウイチを連れてきて、これを機に第3期ユッカバンドの結成となった。しかしバ

  ンド名で困った。ユッカでもうライブはやらないというのにいつまでも『ユッカバ

  ンド』というバンド名もなんだなという意見もあったし、そもそもバンドに名前を

  つけるのに一番消極的だったのが私だった。バンドに名前、例えば「TEDDY

  BOYS」と付けるとバンドのヤッてる音と名前がだんだん合わなくなる、てなこと

  になり兼ねない。また名前に合った音に自然に染まっていく危険性も感じてい

  た。「ユッカバンド」という名前はユッカでヤッてるバンドという意味しかなく、自

  由に気兼ねなく、ブルースから日本語の曲、フォーク・ジャズぽい曲まで好きな

  曲を幅広くなんでもやれた。当時、小林旭の「昔の名前で出ています」という演

  歌をバリバリのブルースにアレンジしてヤッていたのを思い出す。新しい名前の

  候補は2・3あったが、誰が言ったかもう忘れてしまったが「GOOD OLD BOYS」

  に決まった。その名前は’74年に発表されたRandy Newmanのアルバムタイト

  ルから拝借した。その当時もう30歳を過ぎた僕らには、「良き卒業生」ピッタリ

  の名前だと思えた。’88年の秋、このメンバーでバンド結成15周年の記念ライ

  ブを今のボトムラインの前身の「メトロ」というキャバレーを借り切って盛大に行

  なわれたのを思い出す。メンバーの努力の甲斐もあってか、その当時で 3500

  円のチケットが 500枚以上も売れた。ユッカで一緒にヤッてた細野君や大沢君

  も駆け付けてくれて一層盛り上がった。その時、記念で作ったオリジナルのロッ

  クグラスがまだ我が家に1個か2個あるはずだ。

 

    GOOD OLD BOYS(第2期)

  ♪それから、ドラムが福チャン・ヤギの知り合いだった小森に変わり、15周年

  の記念ライブにも顔を見せていた家田君を正式メンバーに加えて第2期GOOD

  OLD BOYSが船出した。もっぱらライブはアルマジロで、1〜2年は月1回のラ

  イブをきっちりこなしていたと思う。そのうち、研チャンの知り合いである河野君

  がキーボードとして、はたまた女性ボーカルとして桑原さんが新規加入してき

  た。これで総勢9名の大所帯になった。その頃、アルマジロとは別に、ボトムラ

  インでの定期的なライブや誰かに頼まれてディスコでヤッたこともあり、結構忙

  しかった。でも絶頂の時期はそう長くは続かず、大所帯で意思疎通もはかれな

  かったのか、福チャンの突然の「別のバンドでやりたい」という発言でバンドは

  もろくも空中分解した。

 

    GOOD OLD BOYS(第3期)

  ♪その頃、私は仕事のゴタゴタやバンドのゴタゴタに疲れていたし、しばらくは

  大人しくしていようと、積極的に音楽活動に参加するのは控えようという気持ち

  になっていた。時々、新栄にあるバー「OTIS’」の忘年会で2〜3曲好きな歌を

  歌ったり、時々ライブを手伝ってくれてた横山君と新しい場所でのちょっとした

  ライブをしたりとそこそこ楽しくヤッてた。でも、やっぱりもう1度昔のメンバーと

  一緒に思い存分ライブをやりたいという気持ちがだんだん高まっていった。雄

  サンに連絡をとり、研チャンに連絡をとり、「また最初から基本に帰ってシンプ

  ルに3人でヤッていこう」「ライブハウスでのライブもいいけど、それ以外の何で

  もない処でもどんどんライブをヤッていこう」と話合った。雄サン(G・V)、研チャ

  ン(V)と私(G・V)の第3期GOOD OLD BOYSがこうして、また始まった。バンド

  をヤルならリードギターは彼しかいないと心に決めてた横山君にさっそく連絡を

  とり、福チャンバンドでブルースハープを吹いていた広瀬君も誘ってバンドを再

  開した。緑区にある「カフェプー」のブルースセッションに雄サン・広瀬君と私で

  突然参加して次回ライブの日取りを決め、次に星ヶ丘にある「SLOW BLUES」

  でも飛び入りのセッションに参加して、即ライブの日取りを決めてきた。ライブ

  録音によるオリジナルCDを作ったりと、客は相変わらず多くはなかったけど充

  実した日々だった。

 

    GOOD OLD BOYS(第4期)

  ♪そして突然、私の脳硬塞での入院。そのあと1年以上もライブができない状

  態が続いていたのだが、みんなの励ましもあり、’02年12月15日「SLOW

  BLUES」にて復帰第2回目のライブを無事行なうことができた。広瀬君がJAZZ

  の勉強がしたいと抜けたあと、入れ違いに以前バンドにいた家田君(H・V)が

  久しぶりに復帰した。7年ぐらいライブから遠ざかっていたから、しばらくは音

  楽のリハビリが必要だと謙遜していたが、復帰第1回のライブもどうしてどうし

  てそつなくこなし、これからがますます楽しみになってきた。これで現在の第4

  期GOOD OLD BOYSが揃った。石浦雄二…アコスティックギターのことなら技

  量・知識とも彼の右に出る者はいない、それぐらい凄い人。古田研介…還暦を

  過ぎた今でも他の追随を許さない抜群の歌唱力を誇る。まさにヴォーカルの

  達人。横山一明…ここにきてギターに、歌にいい味が出てきた名古屋ナンバー

  ワンの熱血ブルースマン。家田重晴…彼の第1印象は「ブルースを歌わしたら

  かなわないな」。一途にブルースだけを追い求める男。小瀬 敏…雄サンと会

  って今年で31年。ずっと続けてきた大人のライブをこれからも大切にしていき

  たい。これからは、ミツキに1度くらいののんびりとしたペースで、長年続けてき

  た、自分達だけにしかできない大人のサウンドと大人の歌を体力の許す限り、

  ワガママに続けていこうと思っている。願わくば、これからも御贔屓のほどを。

 

    月日の経つのは

  ♪近頃は、昨日食べた夕食のおかずが何だったのかトント思い出せない状態。

  ああ年はとりたくないもんだ。如何せん30年振りに、毎晩酔ってたあの世界を

  思い出そうとしたので記憶違い、勘違いがあるかもしれない。もしそういうことが

  あれば、関係者にはこの場を借りてごめんなさい。それにしても月日の経つの

  は、あっという間だなと感心しきりの今日この頃です。

 

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