66 06.5.7 帰路もなほ卯の花腐し縄のれん
65 12.26 猫の耳ピクリと動く冬の縁
64 05.9.9 コオロギの二匹となりて声変わる(若竹1988年11月)
63 4..2 春蘭の花あっち向きこっち向き(若竹1997年5月号)
62 3.8 これやこの千代田のお濠はこべ草(若竹1988年6月号)
61 2.6 寒立馬御身なにゆえ動かざる
この句は『若竹』1993年4月号に掲載された。11年前に詠んだ時には「寒立馬」が季語になるのか不安なまま投句したのだったが、今では冬の季語として認知されているようだ。毎日新聞社発行の『俳句あるふあ』66号(12・1月号)の「動物歳時記365日」に採録されている。その解説に
 寒立馬は青森県下北半島の尻屋崎に放牧されている馬です。とくに冬、厳寒の季節に、粗食に耐えて力強く立ちつくす姿は、命の尊さとたくましさを感じさせて印象的です。
とあった。私の句は飲まず食わずでじっと立つ母馬の神々しい姿を詠んだものである。
寒立馬の補足
前に寒立馬が季語として定着しているのかどうか不安のまま投句したと書いた。念のため『カラー版 新日本大歳時記』冬(1999年12月、講談社)を開いて見ると、寒立馬が204ページにあった。驚いたことに、例句は私のものではないか、ビックリ。この解説に
 ◎寒立馬は青森県下北半島の尻屋崎に放牧されている馬である。一年中放牧されているが、特に冬の寒風に吹きさらされながら、生き抜いている様が印象的なので、「寒立馬」と呼ばれるようになったのである。この地方は南部藩時代から馬の産地として知られており、軍馬や農耕馬が多かった。寒立馬もその血統をつぐ馬だが、現在の強靭な馬となるまでに長い歳月を要したという。孕(はら)んでいる馬が見られるのもあわれである。仔馬もこの岬に産み落とされるのである。         [成田千空]
とある。誰が拙句を拾ってくれたか知らないが、感謝。成田さん
ありがとうございます。
60 1.1 賀状書く箱根駅伝聞きながら
59 7.10 蚊にさされ蚊にさされして草むしり
58
7.1 花菖蒲会費あまりしクラス会
57 6.4 声高に道行く人や夏姿
56 5.28 柿の花散りしく朝や衣ほす
55 5.14 踏みかけて一歩しりぞく蜥蜴(とかげ)かな
54 4.23 日はうらら少しのびたか猫のひげ
53 4.16 春の蝶地蔵の頭にとまりけり
52 4.11 花まつりまわらぬ舌で祖母のまね
51 4..3 金髪は隷書の線よ花みづき
この句はアイダホ州立ルイスクラーク大学で詠んだ。
あろうことか、復本一郎監修『現代俳句歳時記辞典』(1993年北辰堂)に収録された。それも、加藤楸邨、加古宗也との鼎立である。
いわく
北アメリカ原産の落葉高木。高さが10メートルにも達する。明治四十五年アメリカに桜を贈った返礼として送られてきた。「アメリカヤマボウシ」とも。
  一つづつ花の夜明けの花みづき  加藤楸邨
  金髪は隷書の線よ花みづき     井垣清明
  明治村晴れてあめりかはなみづき 加古宗也

現今のUSAは他国に軍隊や爆弾を送っているが、礼節ある贈り物を望みたい。
50 3.26 桃の花武陵山人坂を行く
武陵桃源、桃源郷の故事のある湖南省の地。坂であることが景を拡げ、時空ともにゆったりとした一句となっている。
(「竹林の音」東浦津也子、『若竹』818号、2000年6月所載)
49  3.20 赤ん坊がウソ泣き覚え春彼岸
48 3.12 古池の色おこしけり花なずな
47 3.5 (つちふる)や度を甘くして眼鏡買ふ
即ち中国の黄河流域から黄色い砂塵が季節風に乗り日本海を渡ってやってくる。黄沙のために空がまるでくもったようになる日が春先にはたびたびある。「度の甘い眼鏡」と「黄沙」現象に共通のフィーリングを見つけた。「この見にくさは黄沙のせいだ。いや、黄沙のせいに決っている。」と度の進み具合をあえて否定しているところが俳諧だ。清明俳句のよろしさはこのあたりの軽いユーモアにある。

加古宗也 「選後余滴」 (『若竹』 1994年4月号)
46 2.26 すぐ昼寝受験帰りの次男坊
45 2.18 なんとまあ律儀なりけり花粉症
44 2.13 麦踏みの嫗(おうな)畑を売りにけり
43 2.4 山茶花や南枝北枝と花盛り
42 1.29 寒月や変らぬ顔の辻地蔵
41 1.22 薬待つ人無口なり暖炉燃ゆ
40 1.15 霜柱ふみ倒し行くランドセル
39 1.9 せがまれて寿限無寿限無のお正月
38 1.1 初富士やホームの端に行きて見る
『新日本大歳時記・新年』(2000年講談社)33ページ掲載句。富安風生・山口青邨・阿波野青畝など一流の人と共に11句の中の9番目に記載されている。面はゆくて冷汗が出るが、選んでくれた方にただ感謝するのみ。清明
37 12.25 張りかえし障子を歩む日影かな
36 12.19 寄って来て酒こぼし行く年忘れ
35 12.11 かに鍋や三代前を語り合う
34 12.4 弟は小さき熊手買ひにけり
33 11.27 並木道銀杏(いてふ)片側のみ黄葉
「誠を攻める」というのは「真実を発見すること」を意味するのだけれど、それは何も大仰なことと考える必要はない。
掲出句なども見事に誠を攻めた句だといえる。「片側のみ黄葉」がそうで、何故片側のみなのかを問うているわけではない。片側だけであるあることのおかしさを楽しんでいるのだ。理由をつきつめていけば当たり前のことも、しばしば意外性をともなうものだといっていい。問題なのは、じつは多くの人たちが「常識」という罠にはまってしまって「見れども見えず」という状態にしばしば陥ってしまうことなのだ。

加古宗也 「選後余滴」 (『若竹』 2001年1月号)
32 11.20 酢牡蛎(すがき)食ふ関西弁に煽られて
31 11.12 たらちねの母は逝きけり木守柿
30 11.5 秋日落つ猫石塀にわだかまる
29 10.29 神不在 百万灯篭 杜鵑草
28 10.22 いわし食ふお前尻から俺頭から
27 10.15 稲刈機隅に鎌ふる人の居り
26 10.9 こおろぎの声しだきをり仕舞風呂
25 10.1 湧きあがり湧きあがりゆく赤とんぼ
24  9.24  鶏犬の声静まりて月中天
23 9.17 庭草に日を浴びてをり小かまきり
22 9.10 城下町空は単純秋の雲
 城下町と言えば入り組んだ径や土蔵、格子戸のある家並があり、向氏の封建制度がそのたたずまいから滲み出ている。散策していても何となく威圧感と歴史の重みを感じます。
ふと空を見上げると、固からず、厳しからず、自由奔放に湧いては流れ去る秋の雲に作者は安らぎを覚えたのでしょう
 空は単純という言葉に城下町と秋の雲との心の動きが表現されている。あっさりと詩っていて余韻のある句だと思いました。 
 いつも新鮮で好奇心の溢れた清明さんの句を拝見するのが楽しみで、若竹誌を手にする度に鑑賞させていただいています。
 遠く離れていても若竹誌によって誌友の気持ちが伝わってくる。又同じ趣味によって知らない人でも身近に感じられ
懐かしいものです。
どうぞ御健吟の程を。(深見ゆき子)
         (『若竹』1993年11月号所載)
21 9.03 ひげをそる鏡を秋の蚊よぎりけり
20 8.26 晴天や尺取虫の伸び縮み
19  8.20 大西日豚の子たちの影法師
18  8.13 お菓子やの犬が伸びする京の夏
17 8.06 吸ひすぎてやすやすと蚊の打たれけり
16 7.31 炎昼や本文読まず註を読む(句評あり)
炎昼の不快感がよく出ている。猛暑の中では本も真正面から読むことにいささかの倦怠をおぼえるものだ。「註を読む」に思わず膝を打った。
        (「選後余滴」加古宗也)
         若竹吟社『若竹』 749号・1994年9月号
15 7.23 強浴衣(こわゆかた)胸はだけ居る老婆かな
14 7.16 新幹線キップ予約し三尺寝
13 7.09
両三軒おしろい花のさく夜道
12 7.02 梅雨晴れ間二十年来友の愚痴
11 6.25 まだ屯(たむろ)している猫ら夏至の宵
10 6.19 逆立ちて藻を食う金魚雲動く
09 6.16 柿の花散り敷く朝や衣干す
08 6.11 声高に道行く人や夏姿
07 6.04 庭下駄の先に実梅の落ちており
06 5.28 ありまきのたわわなる枝剪り落とす
05 5.21 しぶちんに又頼まれて汗みずく
04 5.14 帰るにも卯の花腐(くた)し縄のれん
03 5.08 ここはまだニホンタンポポ三里塚
02 5.01 玄宗の夢の中から大鍾馗
01 4.24 春のうのう床屋の犬の寝てござる
清 明 句 抄