No.21 10月9日
虫めづる姫君 | |
この姫君ののたまふ事「人々の花や蝶をめづるこそ、 はかなうあやしけれ。 人は実(まこと)あり、本地(物の本体)尋ねたるこそ、 心ばへをかしけれ」とて、 よろづの虫のおそろしげなるを取りあつめて、 これが成らむさまを見むとて、 さまざまなる籠、箱どもに入れさせたまふ。 中にもかは虫(毛虫)の心深き様したるこそ心憎けれ(おくゆかしい)とて、 明け暮は耳揉み(前髪を耳にはさむ、かいがいしい様子)をして、 手のうらにそへ伏せてまぼり(見守り)たまふ。 (『堤中納言物語』虫めづる姫君) これは、いろいろの虫、特に毛虫が蝶になるのを愛して幼虫から成虫になるまでを観察した、 当時としては物珍しい風変わりな姫君の物語である。 ところで妻の友人の中に草や虫が好きな人がいる。 --庭に雑草が生えて困るのよね。-- 「アラ、雑草という草はないのよ。草がいいのよ。草があって花が咲くから虫が来るのよ。 小さい花に小さい蝶が来のよ。草がなくなったら虫もいなくなるのよ。 --でもヤブカラシなんかはびこって嫌じゃない。-- 「ツル草がいいのよ。葛(くず)は最高よ。」 という具合で、自然のままの生態系を尊重して、除草してキレイにすることに反対なのである。 「隣近所から嫌がられるじゃない」と言えば 「ただ今『観察中』『ここには**の虫が住んでいます』と 札を立てれば良い」とのこと。 そうはしたいが、毒虫にでもやられたらこまるし、とにかく、庭草の問題は痛しかゆしである。 一昨日、門の傍の梔(クチナシ)の葉が喰われて根本附近に黒い粒々が落ちていた。 「ははあ」と思って見ると案の定、それは虫の糞で、 葉の陰には揚羽の幼虫が五センチ位になっていた。 殺生はやめにしてそのままにしておいた。 |