堺 市

 [深井地区]


 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
深井中町西 昭和四年 小川金平/重田喬雲 切妻 野々宮神社/深井清水町
購入元/購入年 忠岡濱之町新調/平成十四年高石市元町から購入  
変 遷 備 考   ◇ 初代本格的地車 ◇ 新興町
町内地車   ◎ 昭和六十三年堺市深井中町から購入
  ◎ 平成十三年まで曳行  平成十四年高石市土生へ
現在の地名/読み方 中区-深井中町/ふかい-なかまちにし
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
深井水池町 昭和五十八年 池内福治郎/中山慶春・井尻翠雲 <切妻> 野々宮神社/深井清水町
変 遷 備 考   ◇ 18年ぶりの地車復活
先 代   ◎ 昭和十八年購入  昭和四十年老朽化廃絶
現在の地名/読み方 中区-深井水池町/ふかい-みず(が)いけ-ちょう
   

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
深井澤町 昭和六十年 天野藤一/松田正幸・中山慶春・木下賢治 <二重破風> 野々宮神社/深井清水町
変 遷 先 代   ◎ 明治以前新調
        大正後期奈良県?大和高田から購入?  
  ◎ 昭和六十年高石市新家へ
初 代   ◎ 明治二十年頃新調
  ◎ 大正十年頃堺市北王子へ
現在の地名/読み方 中区-深井沢町/ふかい-さわまち
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
深井畑山町 昭和六十年 池内福治郎/中山慶春・十場裕次郎・松田正幸 <入母屋> 野々宮神社/深井清水町
変 遷 先 代   ◇ 34年ぶりの地車復活
  ◎ 明治期 堺市菱木稲葉新調
        昭和五十七年堺市八田寺から購入
  ◎ 現地車新調に伴い、梶内だんじり屋へ  
  ○ 地車復活までは子ども会が一年、その後、町会が二年「太鼓正」
      より地車をリースした。リース以前は布団太鼓
先々代   ◎ 昭和二十二、三年まで曳行
現在の地名/読み方 中区-深井畑山町/ふかい-はたやま-ちょう
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
深井北町 昭和六十二年
<植山良雄 出世地車>
植山良雄/筒井一門・森西鶴&双鶴 入母屋 野々宮神社/深井清水町
変 遷 備 考   ◇ 地車としては、17年ぶりの地車復活
先 代   ◇ 10年ぶりの曳行復活
  ◎ 昭和五十七年「太鼓正」から購入
  ◎ 昭和六十一年まで曳行  堺市上石津へ
*先々代*   ◎ 昭和四十年頃廃絶  その後、休止
現在の地名/読み方 中区-深井北町/ふかい-きたまち
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
深井清水町 昭和六十二年 天野藤一/川原和夫・松田正幸 <入母屋> 野々宮神社/深井清水町
変 遷 備 考   ◇ 25年ぶりの地車復活
町内地車   ◎ 昭和五十五年新調
  ◎ 昭和六十一年まで曳行  堺市深井阪和へ
町内地車   ◎ 昭和五十年新調  曳行は翌年より
  ◎ 堺市八田西町2丁目へ
*先 代*   ◎ 大正四、五年堺市釜室から購入
  ◎ 昭和四十年頃まで曳行  その後、老朽化廃絶
*先々代*
  ◎ 昭和四十年頃に解体
現在の地名/読み方/旧称 中区-深井清水町/ふかい-しみず-ちょう/安村 (あむら)
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
深井中町 昭和六十三年
(平成元年)
植山良雄/筒井和男 <二重破風> 野々宮神社/深井清水町
変 遷 備 考   ◇ 約20年ぶりの地車復活
先 代   ◎ 昭和五十七年「太鼓正」から購入
  ◎ 昭和六十三年堺市深井中町西へ
先々代   ◎ 大正期大阪市住吉区千鉢から購入(有志)
  ◎ 昭和二十四、五年頃まで曳行
  ◎ 昭和四十年代堺市野々宮神社へ奉納    
現在の地名/読み方 中区-深井中町/ふかい-なかまち
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
深井東町 平成十七年 あまの地車製作所/木下彫刻工芸 入母屋 野々宮神社/深井清水町
変 遷 先 代   ◇ 40年ぶりの地車復活
  ◎ 昭和六十年新調  平成十六年まで曳行
布団太鼓   ○ 昭和二十二年から五十九年まで使用
先々代   ◎ 明治二十四年 当該町新調
  ◎ 昭和二十一年大阪市鶴見区今津へ  その後、休止
現在の地名/読み方/旧称 中区-深井東町/ふかい-ひがしまち/中新田 (なかしんでん)