堺 市

 [八田荘地区]   


 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
堀上町 昭和五十三年 池内福治郎/木下頼定・十場裕次郎・松本幸規 入母屋 蜂田神社/八田寺町
変 遷 先 代   ◎ 大阪市住吉方面新調  明治三十年堺市片蔵から購入
  ◎ 昭和五十三年堺市津久野大東へ
*先々代*   ◎ 明治十九年堺市太平寺へ
現在の地名/読み方 中区-堀上町/ほりあげ-ちょう
   

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
毛穴町 昭和五十八年 池内福治郎/中山慶春 入母屋 蜂田神社/八田寺町
 変 遷 新調決定   ◆ 平成二十八年、植山工務店にて新調決定
先 代   ◎ 明治十年代 大阪市住之江区粉浜新調
        昭和五年和泉市信太宮本町から購入
  ◎ 昭和五十七年堺市下田町へ
*先々代*   ◎ 堺市大庭寺から購入
  ◎ 堺市下田町へ
現在の地名/読み方 中区-毛穴町/けな-ちょう
   

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
八田寺町 昭和五十九年 池内福治郎/岸田恭司・中山慶春・木下賢治 入母屋 蜂田神社/八田寺町
変 遷 先 代   ◎ 昭和四十五年堺市稲葉から購入
  ◎ 昭和五十八年堺市深井畑山町へ
*先々代*   ◎ 江戸後期〜昭和四十五年まで曳行
  ◎ 昭和四十六年解体
現在の地名/読み方 中区-八田寺町/はんだいじ-ちょう
  

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
東堀上 平成二十八年購入 / 蜂田神社/八田寺町
購入元/購入年 元、忠岡町道之町地車 
変 遷 先 代   ◎ 昭和六十二年 当該町新調
  ○ 平成二十七年まで曳行 同市初芝へ売却
現在の地名/読み方 中区-堀上町/ひがしほりあげ
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
平岡町 昭和六十二年 天野藤一/松田正幸・木下賢治・川原和夫 入母屋 蜂田神社/八田寺町
変 遷 先 代   ◎ 昭和六年 岸和田市阿間河瀧町新調
        昭和五十八年岸和田市阿間河瀧町から購入
  ◎ 昭和六十年堺市菱木東
*先々代*   ◎ 明治二十三年大阪市住吉区沢之町から購入
  ◎ 昭和三十五年老朽化により焼却
現在の地名/読み方 西区-平岡町/ひらおか-ちょう
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
家原寺町 平成七(八)年 池内幸一/野原湛水 入母屋 蜂田神社/八田寺町
変 遷 先 代   ◎ 昭和十五年頃大阪市住吉区遠里小野から購入
  ◎ 平成六年まで曳行  その後、境内の地車庫にて保管し、平成
     十年東大阪市川島(2台地車保有の内、大きい方)へ
現在の地名/読み方 西区-家原寺町/えばらじ-ちょう
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
八田北町 平成十七年 吉為寿久/岸田恭司、近藤晃
筒井伸、山本仲伸
入母屋 蜂田神社/八田寺町
変 遷 先 代   ◎ 昭和四十七年岸和田市内畑山口から購入
  ◎ 平成十六年まで曳行  平成十七年堺市美木多上北へ
*先々代*   ◎ 明治三十年代堺市百舌鳥西之町から購入
  ◎ その後、焼却
  ◇ かつて地内には「新在家」と「東側」の二台地車があり、「新在家」
     の地車を北村の地車とした。
現在の地名/読み方/通称 中区-八田北町/はんだ-きたちょう/はんだ
  

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
八田南之町 平成二十一年 大下孝治/木下彫刻工芸 二重破風 蜂田神社/八田寺町
変 遷 先 代   ◎ 昭和五十九年 当該町新調
  ◎ 平成二十年まで曳行 平成二十一年和泉市黒鳥郷小路へ
先々代   ◎ 大正四、五年 淡路方面新調
  ◎ 昭和五十八年守口市八雲南町へ
現在の地名/読み方/旧称 中区-八田南之町/はんだ-みなみのちょう/南村 (みなむら)
 

    

last modified 2015/10/181