地車変遷表


 
町    名 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46
「浦方」
春木南
↑この年に正式に、旧市への乗り入れが許可される
*現在の「泉町、」、「北浜町」、「南浜町」、(「本町」)
「陸方」
春木北 →地車消滅
*昭和40年現在の10町名になる。しかし、これ以前にも、堺市深井地区同様、いくつかの「通称町」が存在したと思われる。
春木元町
当町が子ども地車を製作したことにより、各所で地車祭りの基盤が生まれた
春木大国町 →平成元年まで、地車が登場しない
春木本町
子ども地車を、1年のみ曳行
↑この地車購入を期に、春木南より独立
春木中町
春木大小路
春木宮本町
春木宮川町
春木若松町
八幡町
戎 町 <子ども地車> <子ども地車>
松風町
<町内地車>
「新春木」
春木旭町 町内地車があった
「磯之上」
町    名 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46
磯之上町
磯東
磯西
<子ども地車>  <子ども地車> 地車統合
磯浜
<子ども地車>  <子ども地車>
大道町    <子ども地車>   <子ども地車>
神弥町 →地車消滅

    * 春木地区は元々、大正期に「南」浦方と「北」陸方の2台地車があり、紀州街道を中心に、「追いあい」を中心とする祭りを行なっていた。
          しかし、春木北の地車売却をきっかけに、春木南1台となり、旧市参入を申し入れたのである。

    * 元町が子ども地車を数年曳行し、町会として八幡町が地車を新調したのを皮切りに、次々と地車を購入する町会が増えていった。

    * 磯之上地区では、昭和二十八年頃は、子ども地車を含め、5台の地車所有時期があった。それにより、春木地区の地車とは別行動だが、
          宮入は弥栄神社に参った。しかし、磯之上地区内で次第に地車売却が進み、磯之上1台となったので、春木地区へ参入することになった。