堺 市

 [地車廃絶]


 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
百舌鳥赤畑町 明治期 不 詳/不 詳 - 百舌鳥八幡宮/赤畑町
その後の行き先   ○ 大正末期〜昭和初期和泉市富秋町へ
現在の地名/読み方 百舌鳥赤畑町/もず-あかはたちょう
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
百舌鳥本町 不 詳 不 詳/不 詳 - 百舌鳥八幡宮/赤畑町
その後の行き先   ○ 布団太鼓に転換されてからもしばらく保存するが、昭和二十二年
      東大阪市若江東之町へ
現在の地名/読み方 百舌鳥本町/もず-ほんまち
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
百舌鳥西之町 不 詳 不 詳/不 詳 - 百舌鳥八幡宮/赤畑町
その後の行き先   ○ 明治三十年代堺市八田北新在家へ
現在の地名/読み方 百舌鳥西之町/もず-にしのちょう
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
百舌鳥梅北町 不 詳 不 詳/不 詳 - 百舌鳥八幡宮/赤畑町
その後の行き先   ○ 同村の「石田」氏が奈良県の親類の三台地車所有の豪農より、
      一台譲渡してもらう  昭和五年大阪狭山市山本へ
現在の地名/読み方 百舌鳥梅北町/もず-うめきたちょう
 
     ○ 百舌鳥梅町、百舌鳥陵南町、中百舌鳥町、土師町、土塔町にも往古はそれぞれ地車があった

      
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
下石津 不 詳 不 詳/不 詳 - -
購入元/購入年 昭和八年高石市5区から購入 
その後の行き先   ○ 解体売却
現在の地名/読み方 ? /しもいしづ
  

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
船 尾 大正初期 河村新吾/彫又一門 - 諏訪神社/浜寺船尾町西
購入元/購入年 泉大津市我孫子町新調/泉大津市我孫子町から購入
その後の行き先   ○ 昭和二十五年の祭礼時の事故により曳行休止し、しばらく保存す
      るが、平成五年焼却
現在の地名/読み方 浜寺船尾町西/ふなお
 
  
 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
富 蔵 不 詳 不 詳/不 詳 - -
その後の行き先   ○ 明治後期に千早の谷底に落ちていた地車を大工が購入し、四、
      五年曳行  道幅や喧嘩等の問題で大正期貝塚市王子町へ
現在の地名/読み方 富 蔵/とみくら
   
  ○ かつては「畑」、「逆瀬川」にも地車があった